2014年08月14日

【406】歩き遍路45日目〈その5〉[2012年6月26日]

(83)一宮寺からのジグザグ遍路道を歩いていると、再び線路が。琴平電鉄の長尾線である。

民家の軒下を通るような形で、人一人だけ歩ける踏切を渡り、大通りへと出て来た。ローソンがあったので、アイスのソフトクリームを買う。

再び住宅街の中に入っていく。半分以上地面に埋まった遍路石だが、手のマークがしっかりと道を案内してくれている。

JRの下をくぐり、大きな道に出た。ここからしばらくは都会の道である。国道11号線を横断すると、前回とルートを変え、直進せずに一旦右に曲がって再び左に行く道を歩き、(84)屋島寺の麓へとやって来た。

地元の自転車に乗ったおじさんに話掛けられたので、道を聞きながら、しばらく一緒に歩いた。昭和12年生まれとの事だった。
これから屋島寺への道がきつくて心配なことを話すと、大したことない、と話していた。

この辺りには、青い遍路シールがあった。四国の道と書かれていた。
一巡目の時にも休憩した。池のほとりの東屋で一休みする。

ここから、(84)屋島寺へは、かなり急な、舗装された山道である。前回は真夏に歩いたので、かなりきつかった。今回はまだ30℃以上にはなっていないので大丈夫だろうが、自分の中では難所の一つになっている。



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この記事へのコメント
こんにちは
都会(県都)の道は苦手なんです。歩くには至極便利ですが、浴びせられる視線がね・・・、「招かざる客」を見るような。足摺の地と高松では微妙に温度差を感じてしまいます。田舎遍路のひがみでしょうか?
今回は法然寺経由でしたから、春日川沿いの堤防道を比較的のんびりと、視界前方には屋島。迷うことない一本道でした。
そう言えば、こいったんさんの歩かれた道、どういう意味かは聞きそびれたんですが、「巡菜庵」の親爺はお勧めルートじゃないとか言ってましたね。歩く側、歩かれる側双方に評判がよろしくないとか言っていたように記憶してます。
Posted by 越前おろしそば at 2014年08月15日 10:49
こんばんは。そうですね‥‥実は、都会ではあまり視線を感じなくて、遍路衣装で歩いていても気にもされない四国って凄いなあと思っていました。金沢市内で同じ格好をして歩いていたら変人ですし。
無関心な感じが、却って冷たく思えてしまうのでしょうか。

堤防の遍路道は気持ち良さそうですね。
一宮寺からのジグザグ遍路道は、少々分かりにくいですし、標識も完璧では無かったので、一般的にはお薦めといきませんが、歩かれる側の評判、というのは何かあるのでしょうか。遍路嫌いの方が住んでいるとか‥‥興味津々です。
短い区間でお接待が二回もありましたし、遍路石はあるし、道に変化があって、とても楽しかったです。
Posted by こいったんこいったん at 2014年08月15日 20:44
こんばんは
一宮寺からのジグザグ遍路道、いつの間にか保存協会の歩き地図からも姿を消したようですね。その理由は分かりかねます・・・。

ただその道は、江戸時代後期に高松藩が城下への遍路の立ち入りを禁じた史実に由来します。おそらく「結界」となった田んぼのあぜ道沿いに遍路石が設置されたのでしょう。
土佐藩と同じく(土佐ほどは厳しくなかったようですが)高松藩でも遍路はパージされたことは事実です。

昔も今も、歩きの遍路はでき得るだけ最短のコースで札所に向かいたいはずですから、あんなひまわり畑の迷路のような遍路道は遍路の望むものではなかったはずです。ここにも遍路排除の歴史を垣間見ることができます・・・。
Posted by 越前おろしそば at 2014年08月16日 18:41
こんばんは。高松で遍路が立ち入り禁止の時代があったのですか。知りませんでした。

あのジグザグ遍路道の内側には入るな、ということなんですね。遍路石が結界の標だったとしたら、何か複雑な心境になります。

一宮寺を挟んで、きれいなピラミッド型の道になっているのは、そういった事情があったとは‥‥
言われてみれば、最短コースを辿るはずの遍路道にしては、道が変わってますね。
教えて頂いてありがとうございます。
Posted by こいったんこいったん at 2014年08月16日 20:55
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