2014年10月04日

【422】歩き遍路46日目〈その9〉[2012年6月27日]

女体山から下っていくと、へんろ地図には胎蔵峰と書かれた場所がある。(88)大窪寺の奥の院であるらしい。
200m遍路道から外れるが、行ってみる事にした。分岐から少し先にリュックを置いていく。まさかこの場所からリュックが消えてしまうことは無いだろう。

ほんの少しの距離の寄り道だが、歩き遍路をしていると少しでも早く先に進みたい意識が働くのでパスしがちである。

道端にトタンで覆われた建物がある。納札を入れる青い箱もあることから、ここが奥の院のようである。もう少し立派な建物を想像していたので、拍子抜けである。
奥の院への訪問はほとんどしたことがないのだが、どのお寺の奥の院もこういった様子なのだろうか。

遍路道に戻り、歩きの道をジグザグ下っていくと、大窪寺周辺を見下ろせる広場がある。

ウォーカーズのロケ地にもなった場所のはずである。写真を撮っている場所が江口洋介と戸田菜穂が抱き合っていた所で、写真の場所は、原田芳雄らがそれを見て、そそくさと立ち去った所ではないだろうか。

道を下っていくと、いつの間にか(88)大窪寺の境内に到着である。女体山からのルートでは、山門ではなく、境内に直接降りて来ることになる。
二回目の結願を迎えた。



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この記事へのコメント
おはようございます
商売柄とでも申しましょうか、「奥の院」を参拝する度、私には不純な思いが(何時だってそうだろう、とか言われそうで恐縮・・・)。田舎町にバイパス道路ができると、新しい道路脇に出店する自営業者の姿と重なるんです。

平安時代に入り新しい仏教が渡来すると、それまで修験者等によって信仰されて来た山間の祠(お堂)が、より人々の集まりやすい麓へと降りてくるわけですね。いわゆる神仏混合の始まりですね。やがて、布教が広まり始め、信者の浄財をかき集め立派な堂宇が整えられてくるんです。いきおい発祥の地と言われる奥の院は廃れ、やがて消滅することも多かったとか。
時代の流れは古今を問わず人の世の常ですか。
岩屋寺と大宝寺、出釈迦寺と曼荼羅寺、長尾寺と志度寺もそんな関係だったとか・・・。あっ、寺院ではないけれど箸蔵寺と金毘羅さんもそんな関係らしいですね。
Posted by 越前おろしそば at 2014年10月05日 09:39
こんばんは。バイパスが出来ると新しい店が次々と出来て、従来の道はシャッター通りになってしまいますね。便利な所へと移って行くのは世の常なのでしょうか。

岩屋寺や出釈迦寺などは、札所でなかったら、今の大窪寺の奥の院のようになっていた可能性もあるということですね。現在、山の上にあるお寺も、参拝しやすい平野部に移動、などということも遠い将来、ありうるのでしょうか。いつも深い話をありがとうございます。
Posted by こいったんこいったん at 2014年10月05日 21:12
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