2017年06月25日

【3巡目-171】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その3〉[2016年8月14日]

【3巡目-171】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その3〉[2016年8月14日]岩場の遍路道を超え、再び浜となる。
行き止まりになるかと心配していたのだが、犬の散歩をしているおばさんがいた。どこかに道が続いているはずである。
遍路札を探しながら、慎重に進む。

樹木に札が複数ぶら下がっている場所があり、林の中を入って行くと、無事に国道へと合流出来た。

この遍路道は歩いた記憶が無かった。なかなか楽しい道だったが、きっと国道をそのまま進むお遍路さんの方が圧倒的なのだろう。

この後、旧道や遍路道を丁寧に回るつもりでいたのだが、身体の調子がおかしい。脚がガクガクしたり、息切れもする。
今日の最低限の目標を、約20km先の高知県東洋町生見までとして、歩いて行くことにした。
お盆中なので宿はサーファーなどで満室だろうから、車中泊の予定である。

【3巡目-171】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その3〉[2016年8月14日]トンネル手前には、へんろ道への誘導看板がいくつか見られたのだが、そのまま国道を進む。
四巡目の時には必ず、遍路道を歩こう。

鯖大師の辺りまでやって来た。海岸の方に出て、一休みする。

慰霊碑があり、昭和51年に若者がボート遊びをしていて遭難してしまったことから、こうした悲しい事故が再び起きぬように、との願いで建立された、との事である。
存命なら、還暦を過ぎた頃の方たちだろうか、と慰霊碑を眺めながら考え込んでしまった。



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