2024年02月20日
【篠山道-34】 岩陰大師から、日切大師へ [2022年2月27日‐その22]
森の中に人知れずあった、篠山神社の二の鳥居からの遍路道が、この遍路石がある場所に合流していたようである。
かつて掛かっていたという橋は無くなってしまい、今では通れなくなったそうである。
ちなみに、この川は松田川、という事だから、あの宿毛市内を流れている大河になるのだろう。
橋が有ったろう場所の袂には、明治時代のお地蔵さんがあった。
なかなか楽しい道行である。
次は、「日切大師」へと向かう。
遍路道を外れ、田んぼの中を進み、小さな橋を渡っている所で、一台の車とすれ違った。
ここもはっきりとした看板が無かったのだが、日切大師で間違いないだろう。
「古岩禅師の由来」という名での説明板があった。
お地蔵さんがたくさん並んだ、整備された場所で、まだ新しいトイレもあった。
そうこうしていると、先程、橋で行違った地元の方が、気になったそうでわざわざ戻って来てくれた。ここを管理してくれている方だろうか。
お堂の鍵を開けて、中を見せてくれた。
かつて掛かっていたという橋は無くなってしまい、今では通れなくなったそうである。
ちなみに、この川は松田川、という事だから、あの宿毛市内を流れている大河になるのだろう。
橋が有ったろう場所の袂には、明治時代のお地蔵さんがあった。
なかなか楽しい道行である。
次は、「日切大師」へと向かう。
遍路道を外れ、田んぼの中を進み、小さな橋を渡っている所で、一台の車とすれ違った。
ここもはっきりとした看板が無かったのだが、日切大師で間違いないだろう。
「古岩禅師の由来」という名での説明板があった。
お地蔵さんがたくさん並んだ、整備された場所で、まだ新しいトイレもあった。
そうこうしていると、先程、橋で行違った地元の方が、気になったそうでわざわざ戻って来てくれた。ここを管理してくれている方だろうか。
お堂の鍵を開けて、中を見せてくれた。
2024年02月17日
【篠山道-33】 岩陰大師 [2022年2月27日‐その21]
祓川温泉に到着した時点で、まだ午後3時半前だった。
本日の宿、「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、まだまだ時間がたっぷりある。
「岩陰大師」「日切大師」「少林寺」を訪ねながら、英語版へんろ地図の赤い点線に沿って、ゆっくりと周ることにする。
静かな道から比較的大きな集落の中へ入って行くと、大岩の造形物が目に入った。
看板は無かったのだが、すぐに岩陰大師と分かった。
岩が重なって、桃のようになっている。
これはなかなか凄い。自然に出来たものらしい。もっと有名になっても良さそうな場所である。
この辺りは民家が並ぶ集落となっていたのだが、県道を外れて、再びのどかな道へと進む。
てくてく歩いていると、期せずして、立派な遍路石があった。
「右 さゝ山道」の文字が読み取れた。
本日の宿、「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、まだまだ時間がたっぷりある。
「岩陰大師」「日切大師」「少林寺」を訪ねながら、英語版へんろ地図の赤い点線に沿って、ゆっくりと周ることにする。
静かな道から比較的大きな集落の中へ入って行くと、大岩の造形物が目に入った。
看板は無かったのだが、すぐに岩陰大師と分かった。
岩が重なって、桃のようになっている。
これはなかなか凄い。自然に出来たものらしい。もっと有名になっても良さそうな場所である。
この辺りは民家が並ぶ集落となっていたのだが、県道を外れて、再びのどかな道へと進む。
てくてく歩いていると、期せずして、立派な遍路石があった。
「右 さゝ山道」の文字が読み取れた。
2024年02月14日
【篠山道-32】 祓川温泉 [2022年2月27日‐その20]
車一台通れそうな幅のある、しっかりとした道が続いており、道なりに進んで行く。
右方向へ続いており、いつしかピンクのリボンが見当たらなくなってしまった。
本来の遍路道は左方向にあったそうで、途中の川に掛かっていた橋が無くなったため、通行不能になっているようである。
ただ、途中までは行ける、と翌日出会った遍路道を整備してくれている方が話していた。リボンもきっと、旧遍路道を案内していたのだろう。
道なりに歩いて行くと、右側に建物群が見えてきた。
ここが祓川温泉である。
温泉と向かいに食堂、そしてバス停があり、民家などは無く、後は原野が広がっている、といった感じだった。
この時は、新型コロナの影響により、温泉も食堂も営業停止中で、人の気配は全く無かった。
本日の宿、「みまきガーデン」に泊まれば、お風呂はここの温泉に入ることになっているのだが、残念であった。
右方向へ続いており、いつしかピンクのリボンが見当たらなくなってしまった。
本来の遍路道は左方向にあったそうで、途中の川に掛かっていた橋が無くなったため、通行不能になっているようである。
ただ、途中までは行ける、と翌日出会った遍路道を整備してくれている方が話していた。リボンもきっと、旧遍路道を案内していたのだろう。
道なりに歩いて行くと、右側に建物群が見えてきた。
ここが祓川温泉である。
温泉と向かいに食堂、そしてバス停があり、民家などは無く、後は原野が広がっている、といった感じだった。
この時は、新型コロナの影響により、温泉も食堂も営業停止中で、人の気配は全く無かった。
本日の宿、「みまきガーデン」に泊まれば、お風呂はここの温泉に入ることになっているのだが、残念であった。
2024年02月11日
【篠山道-31】 篠山神社から、祓川温泉へ⑨(二の鳥居) [2022年2月27日‐その19]
森の中の、何となく道っぽい所を進むと、立派な鳥居が建っていた。
訪れる人など誰もいないような、忘れられた場所である。何と神秘的なのだろうか。
いずれ、SNSで評判になって訪れる人が急増、とかなってしまいそうな気もする。それもちょっと嫌だなあ。歩き遍路だけが知っている、秘密の場所が良い。
鳥居をくぐると、何となく道筋が続いている。
ここから先に行けるのか分からないが、行けるところまで行ってみることにした。
その内、道が分からなくなったが、またもピンクのリボンがぶら下がっており追いかけると、道筋が見付かった。
道に黒いホースが埋まっており、これは秡川温泉のお湯が流れているのか、と触れてみるも、暖かくはなかった。
後で宿の方にその話をしてみると、祓川温泉は冷泉を沸かしているそうである。多分、温泉の管だったのだろう。
訪れる人など誰もいないような、忘れられた場所である。何と神秘的なのだろうか。
いずれ、SNSで評判になって訪れる人が急増、とかなってしまいそうな気もする。それもちょっと嫌だなあ。歩き遍路だけが知っている、秘密の場所が良い。
鳥居をくぐると、何となく道筋が続いている。
ここから先に行けるのか分からないが、行けるところまで行ってみることにした。
その内、道が分からなくなったが、またもピンクのリボンがぶら下がっており追いかけると、道筋が見付かった。
道に黒いホースが埋まっており、これは秡川温泉のお湯が流れているのか、と触れてみるも、暖かくはなかった。
後で宿の方にその話をしてみると、祓川温泉は冷泉を沸かしているそうである。多分、温泉の管だったのだろう。
2024年02月08日
【篠山道-30】 篠山神社から、祓川温泉へ⑧ [2022年2月27日‐その18]
対岸の上の方には、木造の建物群が見えている。
そこを目指せば良いのだろうが、ここからの道も、あるような無いような、どこからでも行けそうで、遍路道に拘りたかったのだが、どこなのかよく分からなかった。
迷子になるような心配は無いので、適当に選びながら進むことになる。
「飯場」という言葉がピッタリの場所であった。
人の気配は無かったが、今も使われているようで、立派な作業小屋であった。
小屋への取り付け道路を上がると、静かな車道に出て来た。
ここから、もうひと冒険である。
この辺りの山の中に、篠山神社の二の鳥居がある、との事である。ぜひ尋ねてみたい、と思っていた。
入口もはっきりしないので、入れそうな場所から突入することにしてみた。
何年も前に木を伐りだすような作業をしていたのだろう、樹木は疎らで、何となく作業道の跡が残っており、藪漕ぎするような箇所は無かった。
そこを目指せば良いのだろうが、ここからの道も、あるような無いような、どこからでも行けそうで、遍路道に拘りたかったのだが、どこなのかよく分からなかった。
迷子になるような心配は無いので、適当に選びながら進むことになる。
「飯場」という言葉がピッタリの場所であった。
人の気配は無かったが、今も使われているようで、立派な作業小屋であった。
小屋への取り付け道路を上がると、静かな車道に出て来た。
ここから、もうひと冒険である。
この辺りの山の中に、篠山神社の二の鳥居がある、との事である。ぜひ尋ねてみたい、と思っていた。
入口もはっきりしないので、入れそうな場所から突入することにしてみた。
何年も前に木を伐りだすような作業をしていたのだろう、樹木は疎らで、何となく作業道の跡が残っており、藪漕ぎするような箇所は無かった。
2024年02月05日
【篠山道-29】 篠山神社から、祓川温泉へ⑦(金前橋) [2022年2月27日‐その17]
大きめの石がゴロゴロと転がっている道となった。
道筋を探しながら進んで行くと、清流と何やら大きな祠が見えてきた。
これはもしや、無事に下界に降りられたのだろうか。
目標としていた石の橋、「金前橋」がある。
遭難することもなく到着出来て、本当にホッとした。
つるつるとした感じの石橋である。
祠の中は、木造のお大師さんだろうか。
そして、スプライトの瓶が置いてあった。これは、30年以上前のものになると思われるが、ずっと倒れずに置かれているのだろうか、と気になった。
周囲には他にも、「金前橋」と刻まれた石碑や石仏などがあった。
祓川温泉のお湯はこの辺りから引っ張っている、とあったような気もするが、よく分からなかった。
一休みしてから出発する。
道筋を探しながら進んで行くと、清流と何やら大きな祠が見えてきた。
これはもしや、無事に下界に降りられたのだろうか。
目標としていた石の橋、「金前橋」がある。
遭難することもなく到着出来て、本当にホッとした。
つるつるとした感じの石橋である。
祠の中は、木造のお大師さんだろうか。
そして、スプライトの瓶が置いてあった。これは、30年以上前のものになると思われるが、ずっと倒れずに置かれているのだろうか、と気になった。
周囲には他にも、「金前橋」と刻まれた石碑や石仏などがあった。
祓川温泉のお湯はこの辺りから引っ張っている、とあったような気もするが、よく分からなかった。
一休みしてから出発する。
2024年02月02日
【篠山道-28】 篠山神社から、祓川温泉へ⑥ [2022年2月27日‐その16]
何とか生き残っている遍路石に愛おしさを感じながら、林道脇の枝の山を乗り越えながら、斜面を下って行く。
歩きに支障はないのだが、くるぶしにちょっとした痛みが出た。
寝起きなどに、ちょっとした違和感を感じることが1年位も続いて、ようやく完治した。
過酷な道程だったことを物語っている。
へんろ地図に掲載されて、多くの人に歩いて欲しい道なのだが、迷った、遭難した、など何も知らない方からたくさんの苦情がくることは間違いなさそうで、公になることは無理だろう、残念である。
いくつ林道を横断して、枝の山を越えたろうか、視界が開けて、向かいの山が見える箇所があった。
目を凝らすと、道路のガードレールまで見える。
これで遭難は免れたようだ、安心した。
後は、「金前橋」と言う、川に掛かっている石の橋の所に降りて来れれば、無事に下界に到着となる。
歩きに支障はないのだが、くるぶしにちょっとした痛みが出た。
寝起きなどに、ちょっとした違和感を感じることが1年位も続いて、ようやく完治した。
過酷な道程だったことを物語っている。
へんろ地図に掲載されて、多くの人に歩いて欲しい道なのだが、迷った、遭難した、など何も知らない方からたくさんの苦情がくることは間違いなさそうで、公になることは無理だろう、残念である。
いくつ林道を横断して、枝の山を越えたろうか、視界が開けて、向かいの山が見える箇所があった。
目を凝らすと、道路のガードレールまで見える。
これで遭難は免れたようだ、安心した。
後は、「金前橋」と言う、川に掛かっている石の橋の所に降りて来れれば、無事に下界に到着となる。
2024年01月30日
【篠山道-27】 篠山神社から、祓川温泉へ⑤ [2022年2月27日‐その15]
急な下りの道が続く。
道がはっきりと分からないので、道筋、そしてピンクのリボンを探しながら進んで行く。
それにしても、遍路石がたくさんある。
中には、ひっくり返って放置されているものまであった。勝手に動かすのも憚れて、そのままにしておいた。
そんな古くからの遍路道が、林業用の作業道でズタズタにされており、きっといくつかの遍路石もどこかに行ってしまっているだろう、悲しいことだった。
そして、林道脇には、枝が積まれて、遍路道を分断していた。
写真のような枝の山も遍路道であり、恐る恐る渡る場面もいくつかあった。
それも急斜面である。
なぜ枝を放置していくのかなあ、と思っていたが、最初にこの道を歩いたことをブログで掲載した時に、林道の法面保護のためである、とコメントを頂いた。
そういう事か、と納得したが、遍路道の部分だけでも何とか歩き易くなると良いのだが。
道がはっきりと分からないので、道筋、そしてピンクのリボンを探しながら進んで行く。
それにしても、遍路石がたくさんある。
中には、ひっくり返って放置されているものまであった。勝手に動かすのも憚れて、そのままにしておいた。
そんな古くからの遍路道が、林業用の作業道でズタズタにされており、きっといくつかの遍路石もどこかに行ってしまっているだろう、悲しいことだった。
そして、林道脇には、枝が積まれて、遍路道を分断していた。
写真のような枝の山も遍路道であり、恐る恐る渡る場面もいくつかあった。
それも急斜面である。
なぜ枝を放置していくのかなあ、と思っていたが、最初にこの道を歩いたことをブログで掲載した時に、林道の法面保護のためである、とコメントを頂いた。
そういう事か、と納得したが、遍路道の部分だけでも何とか歩き易くなると良いのだが。
2024年01月27日
【篠山道-26】 篠山神社から、祓川温泉へ④ [2022年2月27日‐その14]
山の中腹に水盤(手水鉢)があった。
進んでいる道が合っていることの目印にしていた場所で、第二関門突破、という所である。
なぜこんな場所にこんな物が、と言った感じである。
何か文字が刻まれているが、読み取れない。こんな場所で、手や口をゆすいだりしたのだろうか。
周囲には微かに水が湧いているようで、氷が張っていた。
その少し先にも、大きな岩の上に、人工物と思われる、真四角の石が置かれていた。
ここも、何か謂れがある場所なのだろうか。
ここまで森の中をあるいていたのだが、この辺りから、いよいよ遍路道ズタズタ区間が始まった。
視界が開けてきたのだが、まだ新しい林道が造られており、枝が散らばっているようになった。
進んでいる道が合っていることの目印にしていた場所で、第二関門突破、という所である。
なぜこんな場所にこんな物が、と言った感じである。
何か文字が刻まれているが、読み取れない。こんな場所で、手や口をゆすいだりしたのだろうか。
周囲には微かに水が湧いているようで、氷が張っていた。
その少し先にも、大きな岩の上に、人工物と思われる、真四角の石が置かれていた。
ここも、何か謂れがある場所なのだろうか。
ここまで森の中をあるいていたのだが、この辺りから、いよいよ遍路道ズタズタ区間が始まった。
視界が開けてきたのだが、まだ新しい林道が造られており、枝が散らばっているようになった。
2024年01月25日
【続】 令和6年能登半島地震
こんばんは。
石川県は、余震も少しずつ減ってきて、落ち着きを取り戻しつつあります。
災害ゴミを受け入れてくれる、との事で、ようやく破損した本棚を捨てに行って来ました。
金沢市内は通常通りの生活なのですが、同じ県内の奧能登では避難所生活を送っている方が多数いることが信じられません。
全国ニュースになっていないのが不思議なのですが、我が家のお墓がある、金沢市の山手にある市営墓地が崩落してしまっていました。
土砂の中に、墓石が散乱しています。
あと10m崩れていたら、我が家も巻き込まれる所でした。
77基のお墓が崩落してしまったそうです。
墓石はともかく、お骨はどうなってしまうのでしょうか、かなりの衝撃でした。家屋の倒壊は直せますが、遺骨は、もう誰のものなのか分からないでしょう。
この先、雪や雨、余震で我が家のお墓も流されてしまうのではないか、と不安です。
金沢市から、復旧工事をするとの事で、一時的に墓石を移転する、との連絡がありました。
こちらは、金沢市のお隣の内灘町で、液状化現象で街が歪んでしまいました。
この場所、亡き母の里がある場所で、馴染みのある場所なので驚きました。
こんな状態になっているのを知ったのが、地震から一週間後でした。
輪島とか珠洲の情報ばかりで、せめて県内ニュースでもう少し早く報道してくれていればなあ、と思いました。
奧能登の子どもは、高校を卒業すると、ほとんどが金沢市に出て来ます。
珠洲市出身の方が、「珠洲には良い人しかおらんよ~」と言っていたので、「本当かいや」などと話していたのですが、本当に珠洲出身の人たちは、穏やかで良い人ばかりでした。
産業も無く、交通不便な土地で、皆助け合って生きてきたのでしょうか。
早く、平穏な生活が送れるようになれば良いなあと思います。
石川県は、余震も少しずつ減ってきて、落ち着きを取り戻しつつあります。
災害ゴミを受け入れてくれる、との事で、ようやく破損した本棚を捨てに行って来ました。
金沢市内は通常通りの生活なのですが、同じ県内の奧能登では避難所生活を送っている方が多数いることが信じられません。
全国ニュースになっていないのが不思議なのですが、我が家のお墓がある、金沢市の山手にある市営墓地が崩落してしまっていました。
土砂の中に、墓石が散乱しています。
あと10m崩れていたら、我が家も巻き込まれる所でした。
77基のお墓が崩落してしまったそうです。
墓石はともかく、お骨はどうなってしまうのでしょうか、かなりの衝撃でした。家屋の倒壊は直せますが、遺骨は、もう誰のものなのか分からないでしょう。
この先、雪や雨、余震で我が家のお墓も流されてしまうのではないか、と不安です。
金沢市から、復旧工事をするとの事で、一時的に墓石を移転する、との連絡がありました。
こちらは、金沢市のお隣の内灘町で、液状化現象で街が歪んでしまいました。
この場所、亡き母の里がある場所で、馴染みのある場所なので驚きました。
こんな状態になっているのを知ったのが、地震から一週間後でした。
輪島とか珠洲の情報ばかりで、せめて県内ニュースでもう少し早く報道してくれていればなあ、と思いました。
奧能登の子どもは、高校を卒業すると、ほとんどが金沢市に出て来ます。
珠洲市出身の方が、「珠洲には良い人しかおらんよ~」と言っていたので、「本当かいや」などと話していたのですが、本当に珠洲出身の人たちは、穏やかで良い人ばかりでした。
産業も無く、交通不便な土地で、皆助け合って生きてきたのでしょうか。
早く、平穏な生活が送れるようになれば良いなあと思います。
2024年01月22日
【篠山道-25】 篠山神社から、祓川温泉へ③ [2022年2月27日‐その13]
開けた山の尾根道を進んで行くが、どこかで左折しなければならない。
「右 本社」の立派な遍路石がある所から30分程歩いた所で、分かりやすい道しるべがあった。
「四国遍路掲示板」にこの道しるべを取り付けてくれた方の投稿があったので、それを探しながら歩いていた。
その少し先にもう一つあり、ここから下界へと下ることになる。左折地点を発見出来て、とりあえず一安心である。
ここからが、作業用林道が遍路道をズタズタにしており、危険な道、という事になっている。
山の尾根を下り始めてからは、道が分かりづらくなり、迷うこともあった。
そんな時に、「赤っぽいもの、新しいピンク色、色の煤けたピンク色」の三種類のリボンが枝にぶら下がっており、それが遍路道を案内してくれていることに、ようやく気が付いた。
山の尾根道を歩いている時から見掛けていたのだが、何か、作業用のものだろう、と頭に入っていなかった。
ちなみに、赤っぽいリボンを取り付けてくれた方に、翌日出会う事になる。
数年前に遍路道を探索していた時に付けてくれたそうである。
山の中腹にあるという、水盤がある場所に到着出来た。
「右 本社」の立派な遍路石がある所から30分程歩いた所で、分かりやすい道しるべがあった。
「四国遍路掲示板」にこの道しるべを取り付けてくれた方の投稿があったので、それを探しながら歩いていた。
その少し先にもう一つあり、ここから下界へと下ることになる。左折地点を発見出来て、とりあえず一安心である。
ここからが、作業用林道が遍路道をズタズタにしており、危険な道、という事になっている。
山の尾根を下り始めてからは、道が分かりづらくなり、迷うこともあった。
そんな時に、「赤っぽいもの、新しいピンク色、色の煤けたピンク色」の三種類のリボンが枝にぶら下がっており、それが遍路道を案内してくれていることに、ようやく気が付いた。
山の尾根道を歩いている時から見掛けていたのだが、何か、作業用のものだろう、と頭に入っていなかった。
ちなみに、赤っぽいリボンを取り付けてくれた方に、翌日出会う事になる。
数年前に遍路道を探索していた時に付けてくれたそうである。
山の中腹にあるという、水盤がある場所に到着出来た。
2024年01月19日
【篠山道-24】 篠山神社から、祓川温泉へ② [2022年2月27日‐その12]
立派な遍路石がある分岐までやって来た。
ここから左方向に入れば、登山道があり、麓へと降りられるようである。
遍路札も消えかかっていはいたが、祓川温泉方面への案内をしてくれていた。
ただ、登山道方面には丸太が道を塞いでおり、ここは行くなサインかと思ってしまいそうである。丸太を乗り越えて進むのが正解だろう。
だが、今回は山の尾根をそのまま直進する、昔からの遍路道を探索する。
これから進む山の尾根は、樹木が疎らで歩き易いのだが、はっきりとした道筋が分からなく、適当にここかなあ、と予想しながら進むことも多かった。
後から気が付いたのだが、ピンクのリボンがぶら下がっていたから、それを目印に進めば順調に歩けたのだろう。
大きな樹木を通り過ぎ、虫の知らせ、とかだろうか、なぜか後ろを振り向いたら、石仏が木の根元に置かれていて驚いてしまった。
反対側から上ってきた方用であろう。
ここから左方向に入れば、登山道があり、麓へと降りられるようである。
遍路札も消えかかっていはいたが、祓川温泉方面への案内をしてくれていた。
ただ、登山道方面には丸太が道を塞いでおり、ここは行くなサインかと思ってしまいそうである。丸太を乗り越えて進むのが正解だろう。
だが、今回は山の尾根をそのまま直進する、昔からの遍路道を探索する。
これから進む山の尾根は、樹木が疎らで歩き易いのだが、はっきりとした道筋が分からなく、適当にここかなあ、と予想しながら進むことも多かった。
後から気が付いたのだが、ピンクのリボンがぶら下がっていたから、それを目印に進めば順調に歩けたのだろう。
大きな樹木を通り過ぎ、虫の知らせ、とかだろうか、なぜか後ろを振り向いたら、石仏が木の根元に置かれていて驚いてしまった。
反対側から上ってきた方用であろう。
2024年01月16日
【篠山道-23】 篠山神社から、祓川温泉へ① [2022年2月27日‐その11]
30分程滞在して、篠山神社を後にする。
「左 駐車場⇔右 津島町」の木杭がある。駐車場の方から来たので、今度は津島町へと向かう。
こちらは、篠山神社への「裏参道」、という事のようである。
動物除けの網に沿って10分程下った所で、鹿よけの柵がある。柵があると、通れないのでは、とちょっとドキッとする。
柵を抜けてしばらくすると、立派な遍路石があった。
「右 本社 左 寺道」の立派なものである。
これから歩く、津島側の遍路道から来た方用で、本社は篠山神社で、寺道は、先程通った観世音寺へと、篠山神社を経由しない別ルートがあるようである。
東海図版の「四国遍路地図」に「大杉経由の回り道~」とあって、よく意味が分からないままだったのだが、この道を指しているようである。
ここまで歩いて来たら篠山神社を目指すのが普通かと思うのだが、なぜ迂回路があるのだろうか。
さていよいよ、ここからが本番である。
「左 駐車場⇔右 津島町」の木杭がある。駐車場の方から来たので、今度は津島町へと向かう。
こちらは、篠山神社への「裏参道」、という事のようである。
動物除けの網に沿って10分程下った所で、鹿よけの柵がある。柵があると、通れないのでは、とちょっとドキッとする。
柵を抜けてしばらくすると、立派な遍路石があった。
「右 本社 左 寺道」の立派なものである。
これから歩く、津島側の遍路道から来た方用で、本社は篠山神社で、寺道は、先程通った観世音寺へと、篠山神社を経由しない別ルートがあるようである。
東海図版の「四国遍路地図」に「大杉経由の回り道~」とあって、よく意味が分からないままだったのだが、この道を指しているようである。
ここまで歩いて来たら篠山神社を目指すのが普通かと思うのだが、なぜ迂回路があるのだろうか。
さていよいよ、ここからが本番である。
2024年01月13日
【篠山道-22】 篠山山頂 [2022年2月27日‐その10]
山頂付近は岩がゴツゴツしており、土佐・伊予の国境を示す立派な界石があった。
吹きっさらしなので、確かに風が強いが、せっかくここまでやって来たのだから、と岩に座って一休みした。
天気は良かったのだが、やや霞んでいるのが残念だった。下界の街並みとか瀬戸内海まで眺められるのだろうか。
山頂にある水たまりのような「矢筈の池」は、真冬だったこともあり、凍り付いていた。
さあ、ここからが本日のメインイベントです。
登山道があるようで、そこを下れば、焼滝を通って反対側の秡川温泉へと降りられるようなのですが、その道とは別に、今にも埋もれそうな遍路道がある、との事です。
丁石もあったりするのですが、作業用林道が遍路道をズタズタにしているらしく、遭難の危険もありそうで、緊張しながらここまで歩いて来ました。
まだ正午前で、本日の宿「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、時間の余裕はあります。
←矢筈の池
吹きっさらしなので、確かに風が強いが、せっかくここまでやって来たのだから、と岩に座って一休みした。
天気は良かったのだが、やや霞んでいるのが残念だった。下界の街並みとか瀬戸内海まで眺められるのだろうか。
山頂にある水たまりのような「矢筈の池」は、真冬だったこともあり、凍り付いていた。
さあ、ここからが本日のメインイベントです。
登山道があるようで、そこを下れば、焼滝を通って反対側の秡川温泉へと降りられるようなのですが、その道とは別に、今にも埋もれそうな遍路道がある、との事です。
丁石もあったりするのですが、作業用林道が遍路道をズタズタにしているらしく、遭難の危険もありそうで、緊張しながらここまで歩いて来ました。
まだ正午前で、本日の宿「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、時間の余裕はあります。
←矢筈の池
2024年01月10日
【篠山道-21】 篠山神社 [2022年2月27日‐その9]
動物除けの柵を通り抜け、観世音寺跡を出て、篠山神社へと向かう。
賑やかな声が聞こえてきた。山登りの5人組だった。風が強いよ、との事だった。
10分程で、神社の石段と狛犬が見えてきた。午前11時22分、篠山神社に到着した。
一本松の宿を出たのが6時9分だったから、5時間ちょっとだった。順調なペースである。
これで、へんろ地図に記載されている、月山詣り・篠山詣りをしたことになった。
先に篠山の山頂に寄ってから神社へ、と考えていたから道を間違えたか、と少し引き返してみた。道は見付からず、また戻ってきた。
歪んでしまった、狭い石段を上って、本殿へ。手を合わせてきた。
まだ新しいお供え物もあった。
由緒ある場所でも、車が入れないとなると、この先寂れていく一方なのだろうか。
篠山山頂は、その本殿を通り過ぎた場所であった。
賑やかな声が聞こえてきた。山登りの5人組だった。風が強いよ、との事だった。
10分程で、神社の石段と狛犬が見えてきた。午前11時22分、篠山神社に到着した。
一本松の宿を出たのが6時9分だったから、5時間ちょっとだった。順調なペースである。
これで、へんろ地図に記載されている、月山詣り・篠山詣りをしたことになった。
先に篠山の山頂に寄ってから神社へ、と考えていたから道を間違えたか、と少し引き返してみた。道は見付からず、また戻ってきた。
歪んでしまった、狭い石段を上って、本殿へ。手を合わせてきた。
まだ新しいお供え物もあった。
由緒ある場所でも、車が入れないとなると、この先寂れていく一方なのだろうか。
篠山山頂は、その本殿を通り過ぎた場所であった。
2024年01月07日
【篠山道-20】 篠山神社へ⑦(観世音寺跡) [2022年2月27日‐その8]
第一駐車場から山道に入る。
山から降りてくる方がおり、挨拶を交わす。駐車場に一台だけ止まっていた車の方だろう。
水のタンク、そして久し振りに石仏が置かれている箇所があった。
篠山神社から反対側には丁石がたくさんあったのだが、こちら側には全く無いのが不思議だった。
微かに、雪が残っている箇所もあった。積雪で歩けないかも、と不安はあったが、この時は大丈夫だった。
約20分で、薄暗い広場になっている、観世音寺跡までやって来た。
「えひめの記憶」から引用させてもらうと、「観世音寺は観自在寺の奥の院として古く開創され、神仏習合の篠山権現と観世音寺への参詣は永く続いた~」となっている。
由緒深き霊域である。
「明治初期の神仏分離により廃寺となって以降、寺の建物は篠山神社の社務所や宿泊所となり、昭和40年代まで利用された」ともある。
自分が生まれた頃、車も入れないようなこの場所に人の気配があったとは信じられない。
山から降りてくる方がおり、挨拶を交わす。駐車場に一台だけ止まっていた車の方だろう。
水のタンク、そして久し振りに石仏が置かれている箇所があった。
篠山神社から反対側には丁石がたくさんあったのだが、こちら側には全く無いのが不思議だった。
微かに、雪が残っている箇所もあった。積雪で歩けないかも、と不安はあったが、この時は大丈夫だった。
約20分で、薄暗い広場になっている、観世音寺跡までやって来た。
「えひめの記憶」から引用させてもらうと、「観世音寺は観自在寺の奥の院として古く開創され、神仏習合の篠山権現と観世音寺への参詣は永く続いた~」となっている。
由緒深き霊域である。
「明治初期の神仏分離により廃寺となって以降、寺の建物は篠山神社の社務所や宿泊所となり、昭和40年代まで利用された」ともある。
自分が生まれた頃、車も入れないようなこの場所に人の気配があったとは信じられない。
2024年01月04日
【篠山道-19】 篠山神社へ⑥(篠山荘) [2022年2月27日‐その7]
ずっと林の中を歩いて来たが、視界が開けて、向かいの山に道路が見える場所があった。
そして何やら、前方にコンクリートの建物が見えてきた。久々の、人工物である。何だろう、と思ったら、「篠山荘」であった。
素泊まりで泊まれるはずだったが、へんろ地図を確認してみると、抹消されていた。
室内を覗いてみたが、窓の下部分がすりガラスになっており、あまり見えなかったが、天井が剥がれている箇所があり、既に泊まれるような印象は無かった。
「篠山荘」を過ぎると、トイレがある駐車場となった。
ここが篠山への第一駐車場だった。車が一台、止まっている。
第二駐車場もあるらしく、登山の方は、どちらかに車を止めて、篠山山頂へと向かうようである。
駐車場を通り抜けると、再び山道への入口がある。
新しい案内板があり、山頂まで1時間となっている。まだそんなにあるのか、と思ったが、実際には30分ちょっとで山頂に到達出来た。
お接待の竹杖が置かれており、古くなったものを一本頂いて出発する。
そして何やら、前方にコンクリートの建物が見えてきた。久々の、人工物である。何だろう、と思ったら、「篠山荘」であった。
素泊まりで泊まれるはずだったが、へんろ地図を確認してみると、抹消されていた。
室内を覗いてみたが、窓の下部分がすりガラスになっており、あまり見えなかったが、天井が剥がれている箇所があり、既に泊まれるような印象は無かった。
「篠山荘」を過ぎると、トイレがある駐車場となった。
ここが篠山への第一駐車場だった。車が一台、止まっている。
第二駐車場もあるらしく、登山の方は、どちらかに車を止めて、篠山山頂へと向かうようである。
駐車場を通り抜けると、再び山道への入口がある。
新しい案内板があり、山頂まで1時間となっている。まだそんなにあるのか、と思ったが、実際には30分ちょっとで山頂に到達出来た。
お接待の竹杖が置かれており、古くなったものを一本頂いて出発する。
2024年01月02日
令和6年能登半島地震
本年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します。
元旦から仕事をしておりまして、大地震が発生。
あの、津波が来る時のサイレンが鳴り響いていました。
自宅に帰ると、部屋が凄いことに。
本棚が倒れて、ぐちゃぐちゃになっておりました。
左上隅をよく見ると、(88)大窪寺での結願証が。
こちらはさすが、無事でした。
庭の灯籠も倒壊。
昨夏亡くなった父から受け継いだものですから、修復しなければなりません。
いくら掛かるのでしょうか? 石材店に頼めばいいのでしょうか?
室内の壁も、所々、剥がれてしまいました。
こういうのはほっといても大丈夫なものなのでしょうか?
直すにしても、どこに頼めばいいのか、何をどうしたら良いのか分からないのがつらい所です。
今になっても余震が続いており、築55年の家ですので、倒壊しないか、と不安です。
災害に遭ったのは生まれて初めてになりますので、かなり滅入っています。
これまで、他人事みたいに思っていたのを実感しました。
テレビを付けると、こんな時でも箱根駅伝をやって、沿道は盛り上がっています。
心が狭い話なのですが、都会の人たちには、北陸の出来事なんか関係ないんやなぁ、向こうが困っていても助けてやらんぞー、と僻んでしまいます すいません。
次回からは、篠山神社へと向かう記事を続けていきます
元旦から仕事をしておりまして、大地震が発生。
あの、津波が来る時のサイレンが鳴り響いていました。
自宅に帰ると、部屋が凄いことに。
本棚が倒れて、ぐちゃぐちゃになっておりました。
左上隅をよく見ると、(88)大窪寺での結願証が。
こちらはさすが、無事でした。
庭の灯籠も倒壊。
昨夏亡くなった父から受け継いだものですから、修復しなければなりません。
いくら掛かるのでしょうか? 石材店に頼めばいいのでしょうか?
室内の壁も、所々、剥がれてしまいました。
こういうのはほっといても大丈夫なものなのでしょうか?
直すにしても、どこに頼めばいいのか、何をどうしたら良いのか分からないのがつらい所です。
今になっても余震が続いており、築55年の家ですので、倒壊しないか、と不安です。
災害に遭ったのは生まれて初めてになりますので、かなり滅入っています。
これまで、他人事みたいに思っていたのを実感しました。
テレビを付けると、こんな時でも箱根駅伝をやって、沿道は盛り上がっています。
心が狭い話なのですが、都会の人たちには、北陸の出来事なんか関係ないんやなぁ、向こうが困っていても助けてやらんぞー、と僻んでしまいます すいません。
次回からは、篠山神社へと向かう記事を続けていきます
2023年12月31日
【篠山道-18】 篠山神社へ⑤(歩き遍路道) [2022年2月27日‐その6]
歩きの道に入って早々に、遍路石があった。明治23年のものだった。
それ以降は、遍路石や石仏などはほとんど見掛けなかったと思う。本当に昔からの道なのかなあ、と思ってしまった。
ただ、遍路札が登場し、いくつかぶら下がっていたのは嬉しかった。
一時的に舗装路となり、普通の現代のお墓があった。
この辺りから、勾配が出てくるようになってきた。
きっと、山の尾根へと向かっているのだろう。ずっと続く訳では無いだろうから、踏ん張り所である。
トレイルランの方が追い越していった。
歩き易い、良い道が続いているから、走り易くもあるのだろう。きっと後で再会するに違いない、楽しみである。
1時間ちょっと経った頃、今度は山の方から降りて来た。声を掛け合ってすれ違う。
きつい区間を抜けると、案の定、なだらかな上りとなり助かった。
切り株に腰掛けて一休みしながら、篠山神社へと向かう。
本年度の更新は以上となります。
今年一年、「あぜ道コロコロ歩き旅」をご愛読頂き、ありがとうございました。
それ以降は、遍路石や石仏などはほとんど見掛けなかったと思う。本当に昔からの道なのかなあ、と思ってしまった。
ただ、遍路札が登場し、いくつかぶら下がっていたのは嬉しかった。
一時的に舗装路となり、普通の現代のお墓があった。
この辺りから、勾配が出てくるようになってきた。
きっと、山の尾根へと向かっているのだろう。ずっと続く訳では無いだろうから、踏ん張り所である。
トレイルランの方が追い越していった。
歩き易い、良い道が続いているから、走り易くもあるのだろう。きっと後で再会するに違いない、楽しみである。
1時間ちょっと経った頃、今度は山の方から降りて来た。声を掛け合ってすれ違う。
きつい区間を抜けると、案の定、なだらかな上りとなり助かった。
切り株に腰掛けて一休みしながら、篠山神社へと向かう。
本年度の更新は以上となります。
今年一年、「あぜ道コロコロ歩き旅」をご愛読頂き、ありがとうございました。
2023年12月28日
【篠山道-17】 篠山神社へ④(二の鳥居) [2022年2月27日‐その5]
「歓喜光寺」を出立する。まだ朝8時過ぎである。
静かな県道、篠山公園線を進む。
再び旧道風の道があり、入ってみることにしたが、山の中に入って行きそうな雰囲気である。
地図を取り出して調べてみると、違う方向に進む道だった。御在所集会所の中を通り抜けさせてもらって、県道へと戻った。
篠山への最後の自販機があり、その先右方向に、小さな川を渡る橋があった。ほとんど消えかかった標識がある。
ここを渡ると、篠山神社の二の鳥居があった。
札掛の宿の辺りの遍路道沿いにあったものが一の鳥居で、こちらは二番目である。
ちなみに、篠山神社を越えた反対側にも二の鳥居があった。
遍路シールなど、道案内はほぼ無いので、このルートを歩く時には、英語版や東海図版の地図で確認しながらの旅となる。
鳥居の石段に腰掛けて、朝食用に昨日コンビニで買っておいたもので腹ごしらえをした。
ポカポカ陽気で気持ちが良い。
ここから、いよいよ篠山神社への歩きの道が始まる。
鳥居横に道が続いている。入口には、石仏の他、木柱・遍路札もあったが、ほとんど文字は消えてしまっていた。
静かな県道、篠山公園線を進む。
再び旧道風の道があり、入ってみることにしたが、山の中に入って行きそうな雰囲気である。
地図を取り出して調べてみると、違う方向に進む道だった。御在所集会所の中を通り抜けさせてもらって、県道へと戻った。
篠山への最後の自販機があり、その先右方向に、小さな川を渡る橋があった。ほとんど消えかかった標識がある。
ここを渡ると、篠山神社の二の鳥居があった。
札掛の宿の辺りの遍路道沿いにあったものが一の鳥居で、こちらは二番目である。
ちなみに、篠山神社を越えた反対側にも二の鳥居があった。
遍路シールなど、道案内はほぼ無いので、このルートを歩く時には、英語版や東海図版の地図で確認しながらの旅となる。
鳥居の石段に腰掛けて、朝食用に昨日コンビニで買っておいたもので腹ごしらえをした。
ポカポカ陽気で気持ちが良い。
ここから、いよいよ篠山神社への歩きの道が始まる。
鳥居横に道が続いている。入口には、石仏の他、木柱・遍路札もあったが、ほとんど文字は消えてしまっていた。