2023年10月28日

【4巡目-83】 第34回 区切り打ち 帰宅[2021年2月23日‐その12]

徳島駅からは高速バスに乗る。

神戸空港行きに乗車、高速舞子で下車する。
1時間ちょっとの旅で3100円の運賃はかなり割高です。

舞子駅から快速電車で京都駅へ。新快速は人でいっぱいだが、快速はガラガラで快適でした。

電車内で、使い始めたばかりのスマホで、京都駅からの高速バスの予約をする。本当に便利ですね。

お金があれば、JRのサンダーバードに乗ってあっという間に金沢駅ですが、倍以上時間が掛かる高速バスです。
2920円と格安でした。

松任海浜公園で下車、止めて置いた車で自宅へと戻り、歩き遍路旅は終了となりました。






コースタイム
地蔵橋駅13:27→19→13:41徳島駅14:00→icon18→15:21高速舞子(舞子駅)→19→京都駅17:30→icon18→21:32松任海浜公園→icon17→22:58金沢

[第34回区切り打ち 完]

  
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2023年10月24日

【4巡目-82】 JR地蔵橋駅へ [2021年2月23日‐その11]

ローソンを出ると、遍路道から外れて駅を目指す。

住宅街の小道を進み、午後1時過ぎに地蔵橋駅に到着した。
今回の、五日間の歩き遍路は、ここで打ち止めである。

数分前に列車は行ってしまっていたので、次の汽車まで30分弱、待つことになった。

駅裏は田園が広がり、赤ちゃんを連れたお父さんが、子に電車を見せようと待ち構えている、のどかな光景が見られました。


本日のコースタイム
鱗楼7:11→7:17(16)観音寺→8:22(17)井戸寺8:49→11:01阿波おどり会館→12:41弁天山→13:02地蔵橋駅


歩行距離:15.4km
 歩数  :30475歩
最高気温:15.7℃
最低気温:6.6℃[徳島市]  


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2023年10月20日

【4巡目-81】 「日本一低い山 弁天山」、JR地蔵橋駅へ [2021年2月23日‐その10]

100円で、登頂証明書を購入、名前や日付は、自分で書き込む形式である。

標高6.1m、という事だった。

日本一自然の山、弁天山となっている。自然の山、と言う所に、何か意味がありそうな気がする。

日本一低い山を出て、急ぎ足で地蔵橋駅を目指す。


弁天山の手前で追い越した、脚の悪いおばちゃんに再び追い付いた。

少し会話をして先へと向かう。
田んぼが広がる中、脚を引き摺りながらゆっくりペースで頑張っている姿に、エールを送りたくなった。
元気にされているだろうか。

JR牟岐線の踏切を渡り、先程、法花で二股に分かれた県道と、再び合流した。ここにローソンがある。

急いで歩いて来たのだが、もう12時57分の列車には間に合わなさそうである。諦めて、コンビニにちょっと立ち寄ることにした。

なぜ慌てていたのか、年月が経ち過ぎて思い出せないのだが、恐らく、一本前の京都発の高速バスに間に合って、早く金沢に帰り着けたのかも知れない。  


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2023年10月16日

【4巡目-80】 旧土佐街道(日本一低い山 弁天山) [2021年2月23日‐その9]

見覚えのある道になってきた。
三巡目の時に歩いた、「あずり越」からの道に合流していた。

ここまで、今日はどこまで歩けるかなあ、と考えていたのだが、この先にある、地蔵橋駅までが限界のようである。

12時57分に徳島駅行きの汽車があるようなので、この列車に乗ろう、とちょっと急ぎ足で進む。

今回の歩き遍路、最後の名所「日本一低い山 弁天山」までやって来た。

しかしながら、汽車の時間が迫っており、見学する時間は無さそうである。

通過しようか、と迷ったが、前回も通り過ぎているから、今回は立ち寄ることにした。

「白鳥神社」の裏手にも日本一低い山があったが、普通の平坦地だった。こちらの方は一応、山の形となっている。

小山は赤い鳥居の神社、となっていた。厳島神社となっている。宮島の厳島神社と関係あるのだろうか。

ちょっと上ると山頂である。
無人販売でお守り等が売られていた。





  


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2023年10月12日

【4巡目-79】 徳島市内から、旧土佐街道へ [2021年2月23日‐その8]

二軒屋駅付近で左折せず、一直線に、旧土佐街道を進んで行く。

へんろ地図に書かれている通り、確かに歩道も無く、少し危険な道ではあった。
それで、通常の遍路道は、広い歩道のある国道55号線へと誘導しているのだろう。

ただ、路肩部分は人の歩くスペースがあり、それ程怖い感じはしなかった。

行政シールも貼ってあった。


「法花」という場所で、道がきれいに二股に分かれている。

へんろ地図では、地蔵越で歩いて来たらこの辺りで合流し、左方向の広い道へ進むようになっている。

旧土佐街道は右方向、そのまま直進すれば良さそうである。



狭い道路に郊外型店舗が並ぶ賑やかな道が続いていたが、田んぼが広がるようになってきた。

さらに脇道の旧道に入らなければならなかったのだが、地図の確認を怠って逃してしまった。
修正し、適当な場所で遍路道に戻る。

遍路石らしき石仏も残っていた。




  


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2023年10月08日

【4巡目-78】 徳島市内縦断、旧土佐街道へ [2021年2月23日‐その7]

阿波おどり会館から早々に、「新町温泉」という銭湯があった。

歩き遍路はお接待で無料で入らせてもらえる銭湯がある、と知ってはいたのだが、ここの事だろうか。
調べてみると、その様であった。

タダで入らせてもらう図太さは無いなあ。




徳島市街を進んで行き、セブンイレブンがあり、道路を挟んで神社の石段がある。

ここで一休みしていくことにした。
この辺りで腰を下ろせる場所はここだけだろうか。ここを通る時には、毎回休んでいるかも。

まずはセブンへ。コンビニコーヒーを頼むが、床にこぼしてしまう。謝ると、愛想の良い店員さんで助かった。
レシートを確認すると、ソーセージマフィンも購入していた。

二軒屋駅付近で左折して、国道55号線に出るのが、一般の遍路道となっている。

歩道橋の目立たない場所にも、遍路シールが残っていた。

だが、東海図版の「四国遍路地図」には、そのまま一直線に進む、「旧土佐街道が遍路道だった。歩道はなく、車に注意」と記されている。

今回はこの道を歩いてみることにした。  
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2023年10月04日

【4巡目-77】 徳島市内縦断 [2021年2月23日‐その6]

先程の国道や、今歩いている裏道のあちこちに、1日200円前後で止めて置ける「デイパーク」がいくつもあった。

区切り打ちの歩き遍路で車の置き場所に困った時は、この辺りに車を止める方法もある。ウロウロしていれば、駐車場を見付けられるだろう。

ちなみに、自分が知っている一番使いやすいのは、駅に近接した、佐古駅のデイパークである。

この辺りでまたもトイレに行きたくなり、写真右の立正寺という、お寺さんに立ち寄った所、普通によくあるような公衆トイレがあって、助かりました。

一直線に歩き、大通りに出たら右に進み、徳島市街へ、というイメージだった。

大通り出るほんのちょっと手前に近道があって、そちらに入ってみると、記憶に無い遍路石が残されていた。井戸寺の文字が見える。







すぐに大通りに出ると、いよいよ遍路装束で都会に突入、といった所だろうか。

その先、ちょっと右に入った所に「阿波おどり会館」がある。

中に入らないまでも、手前までちょっと行ってみた。

向かいには、「ヘンロ小屋第12号 眉山(びざん)」があり、会館横に、外から入れるようになっているトイレがあった。

ここまで、街中ながら、意外とへんろ地図には載っていないトイレがあって、利用させてもらった。  


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2023年09月30日

【4巡目-76】 17番井戸寺から、徳島市内へ [2021年2月23日‐その5]

広大な鮎喰川を渡る。
東海図版の四国遍路地図では、ここを渡って左方向に入りカクカクと曲がる道にピンクの点線がはいっている。今度は、ここを探索することにした。

今になって気が付いたが、天狗久会館の道にもピンクの点線が入っていた。ちょうど、地図の折り目になっている場所で、見落としていた。

行政シールも貼ってあり、そのまま一直線に進めば、徳島市内へと入って行くのだろうが、こちらは再び右折して国道へと戻った。
特に、古い街道を示すものは見当たらなかった。

今回は、2005年にも歩いた、国道から一本裏に入って続いている道を進んで徳島市内を通過することにしている。

一度歩いたことがあるはずなのだが、記憶はほとんど残っていなかった。

普段から便が緩いこともあり、困っていた所に、運よく公衆トイレがあって助かった。荷物が置きやすく一休みしやすいような、正方形の大きなベンチもあった。


色んな標語が貼られている、ユニークトイレだった。



  
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2023年09月26日

【4巡目-75】 17番井戸寺から、徳島市内へ [2021年2月23日‐その4]

(17)井戸寺を出てからは、歩くルートが三つある。

お寺を出て、左方向に進む①の道がきっとメインルートなのだろう。

一巡目と三巡目は②のルート、二巡目は①のルートを歩いているので、今回は来た道を少し戻る、③のルートを進んでみることにした。

遍路と関係あるのか分からないが、石仏は発見出来た。

田んぼの真ん中を歩く、風が無ければ気持ちが良い道もあった。この日は天候も良く、最高気温は15℃と、真冬にしてはそこそこの温度だった。

分岐がいくつかあるが、辛うじて遍路シールも残っており、順調に進み、国道192号線に至った。

新しいへんろ地図を見ると、国道を出た所で、チューオーというスーパーの裏側に赤い点線が追加されているのに気が付いた。
今回はこの道を歩いてみたいと思う。


国道を横断すると、そのまま道が続いていた。

両側に民家が並び、旧道の雰囲気がある。
「天狗久資料館」という、古い民家を使った、何かの資料館があった。

鮎喰川の袂まで来ると、祠や天狗久の碑なるものもあった。  


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2023年09月22日

【4巡目-74】 16番観音寺から、旧遍路道探索、17番井戸寺へ [2021年2月23日‐その3]


府中(こう)駅の小さな踏切を渡って、引き続き線路の反対側の古い遍路道の探索をする。

写真の場所も、遍路と関係する場所だろうか。舟形地蔵がたくさんある。

この辺りをウロウロしていた時に、期せずして、大阪のKさんに遭遇した。通常の遍路道沿いでは無い場所である。

この先にあるこども園の所を曲がれば(17)井戸寺に行ける、との事であった。
スマホの地図を見ながら歩いていたようだった。

(12)焼山寺への道で迷った、と話していたから、遍路シールなどの道しるべをあまり確認しないタイプの方なのだろう。

通常の遍路道に合流し、立派な朱色の門構えの(17)井戸寺に到着した。

大阪のKさんは、無事に辿り着いていた。
Kさんとはこのお寺でお別れとなったが、今も元気に歩き遍路を続けているだろうか。

井戸寺と言えば、覗き込んで自分の姿が写れば無病息災、という、面影の井戸がある。(3)金泉寺にも同じような井戸があったか。
恐る恐る覗いてみると、今回もちゃんと姿が写っていた。  


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2023年09月18日

【4巡目-73】 16番観音寺から、鱗楼、旧遍路道探索へ [2021年2月23日‐その2]

(16)観音寺を出立する。
再び、「鱗楼」の前を通り掛かる。横の小道を見ると、随分と奥行きのある建物であることが分かった。

一昔前は、宴会がよく行われるような、大きな料理旅館だったに違いない。現代では、その役割をホテルが取って代わってしまったのだろう。

同じ様な宿で思い浮かぶのが、北条にある「太田屋ビジネス旅館」かなあ。まだ他にもあったような気がする。

写真の大きな神社の前を通り掛かる。結構、印象に残る場所ではないだろうか。

ここの手前で左折して、いよいよ、古い遍路道の探索を始める。

東海図版の地図を片手に、それらしき道を探しながら小道をちょこちょこと曲がりながら進むと、古い遍路道である痕跡があちこちで見られた。

道端に、遍路石らしきものをいくつか発見した。
なかなか面白い。




中には、はっきりと「井戸寺」の文字が見られるものもあった。




  


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2023年09月15日

【4巡目-72】 鱗楼、16番観音寺へ [2021年2月23日‐その1]

朝食は6時半から可能だった。
ご飯は、4杯分くらいを食べただろうか。

晩ご飯の時には、5杯くらいは平らげたから、相変わらずである。

昨夜は、午後9時半過ぎに就寝、今朝5時半過ぎまで寝ていた。

大阪のKさんは、夕方の徳島発の高速バスを予約してあるそうで、たっぷり余る時間は、サウナでゆっくり過ごす、との事だった。

自分も、行けるところまで歩いて、高速バスを乗り継いで帰宅予定である。

東海図版の四国遍路地図によると、(16)観音寺から(17)井戸寺にかけて、廃道を示す、オレンジ色の点線が引かれている。

今日のメインイベントは、この道の痕跡でも見つけられたら、という所である。

まずは、午前7時を過ぎてから、「鱗楼」を出発。少し戻って、昨日寄れなかった(16)観音寺を参拝した。

商店や民家が並ぶ中にある、小ぢんまりとした境内のお寺である。  


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2023年09月12日

【4巡目-71】 鱗楼 [2021年2月22日‐その20]

お風呂に入り、夕食は午後6時半でお願いした。

本日の宿泊客は、大阪のKさんと二人だけである。

大変凝った料理が出てきた。
Kさんは予約が遅かったにも関わらず、食材の調達とかどうやって準備してくれているのだろうか、と感心してしまった。

Kさんと、会話をしながらの夕食となった。
血液の癌なんです、と話され、驚いてしまった。真性多血症という、血液の病気だそうだ。

癌と言っても今すぐ命の危機が、という訳ではないようなのでホッとしたが、恐らく、一生付き合っていかないといけない病なのだろう。

自分自身も年齢的にそういった事態になることは十分にあり得ることなので、他人事では無い。


「鱗楼」と言う名称から、武骨なご主人が経営している姿を想像していたのだが、きめ細やかな感性の女性が仕切っている、という印象の宿だった。


鱗楼:一泊二食 7700円  〈206号室洗面あり 8畳〉
      ※洗濯機2台100円・乾燥機2台200円。自販機、外にあり。朝食は6時半から。
       宿泊客:歩き遍路2名  


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2023年09月09日

【4巡目-70】 15番国分寺から、鱗楼へ [2021年2月22日‐その19]

(15)国分寺を出た時点で、既に午後5時近くになっていた。

広い道路を横断するが、今回もまだ全線開通していないと思われ、交通量は少なかった。2005年から状況は変わっていない。

(16)観音寺の前を通り掛かるが、午後5時を過ぎていたことから、参拝は明日にして、宿へ直行することにした。

程なくして、少し先にある本日の宿、「鱗楼」に到着した。

この日は、約25kmの距離に10時間半も費やしており、時速2.5kmにも届かなかった。



本日のコースタイム
もりあんloft6:51→7:45玉ヶ峠→9:25植村旅館→10:56広野→12:13建治寺12:51→14:38(13)大日寺15:26→15:59(14)常楽寺16:18→16:29(15)国分寺16:48→17:20鱗楼


歩行距離:24.6km
 歩数  :44325歩
最高気温:20.2℃
最低気温: 6.8℃[徳島市]  


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2023年09月06日

【4巡目-69】 14番常楽寺、15番国分寺へ [2021年2月22日‐その18]

常楽寺でいつも印象に残るのが、この木版。

「まつり人のない 霊さまを おがんであげて 下さい」と書かれている。

字体も寂しそうで、悲しい気分を醸し出している。字は薄くなりつつあるが、何とか残っていた。

(14)常楽寺を出立する。

初めての歩き遍路である、大阪のKさんと歩いているので、参拝の作法について聞かれて答えていたのだが、伝わっただろうか。

10分程で、(15)国分寺に到着した。
我々以外は誰もおらず、貸切である。

Kさんは普通に参拝、自分はここでも、「今こそ四国遍路」でお勉強をする。

国分寺の中で唯一、戦国時代の兵火を逃れたのが「烏瑟沙摩明王堂」、との事である。確か、昔の納経所はここの横にあったはずである。
戦国時代から残っているとは、凄いものである。

せっかく二人で歩いているので、山門前でお互いに写真を撮り合いした。
今になって見返してみると、二月にも関わらず半袖だった。  


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2023年09月03日

【4巡目-68】 14番常楽寺へ [2021年2月22日‐その17]

大阪のKさんと、(13)大日寺を出立する。

2015年に泊まらせてもらった、「名西旅館花」の前を通る。親切なご主人は、お元気だろうか。

柚子の葉で作ったという、塗り薬を貰ったことをよく覚えている。

県道沿いの、本家になるのだろうか、「名西旅館」の方の看板には、「ヤメタヨ」と書かれていた。現在は花の方だけが営業しているのだろう。

ちなみに、2015年の写真を確認してみると、「本館は部屋広い」となっていた。

Kさんと話しながら歩いていたら、ちょっと道を間違えてしまったようである。

道筋はもう分かっているから修正して、大きな橋の袂まで戻った。

大日寺から30分ちょっとで、流線形の岩がボコボコの、(14)常楽寺に到着した。

「今こそ四国遍路」によると、イチイの大木の枝分かれしている部分に大師像が置かれているとの事。

「あららぎ大師」と呼ばれているそうで、確かにお大師さんがいらっしゃった。  


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2023年08月31日

【4巡目-67】 13番大日寺にて [2021年2月22日‐その16]

大阪のKさんの話によると、「旅館吉野」に泊まっていたのは4名、先達風の方とお供の二人組、もう一人歩き遍路の方とKさん、との事だった。

もう一人の歩きの方は、新型コロナの感染を気にして、部屋食にしてもらったそうである。

失礼ながら、何と我侭なお遍路さんがいるものだ、と思ってしまった。そんなに不安なら、ホテル泊まりでも良いと思うのだが。

結局、一人っきりのような食事となってしまい、寂しかったそうで、今声を掛けてもらって嬉しかった、と話していた。

一昨日は、広島のTさんとの楽しい夕食だったから、日によって、変わるものである。

本日の宿は、予約が遅かったため、素泊まりになってしまったそうである。

自分が「鱗楼」に泊まることをお話しすると、宿のHPを確認し、連絡してみると、すでに午後3時を過ぎていたにも関わらず食事を提供してくれるとの事で、一緒な宿に泊まることになった。

同宿する歩き遍路さんと出会えて、こちらも嬉しかった。

ご一緒してよろしいですか、と言われ、同じ宿に泊まることに良いも何もないだろうと思っていたら、一緒に宿まで歩きましょう、という、お誘いの言葉だった。
あまり誘われたことがないので、ちょっと驚く。  


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2023年08月28日

【4巡目-66】 13番大日寺 [2021年2月22日‐その15]

午後2時半を回って、(13)大日寺に到着した。
「もりあんloft」を出たのが、午前7時前だったから、8時間近く掛かっている。

建治寺にも立ち寄っているが、距離は20km弱なので、時速2.5kmペースと、相変わらずののんびりさ、である。

大日寺の境内に入ると、歩き風の方が庇の下に座っていた。

自分の近くを歩いてるお遍路さんは、旅館吉野で一緒だった広島のTさんと、焼山寺への道で見掛けた野宿風の方の二人だけだろうなあ、と思っていたから、ちょっと驚く。

参拝した後もまだいらっしゃったので、話し掛けてみた。

大阪から来られたKさんで、56才との事、自分より5才年上である。大阪からの移動は制限されていた時期だったのだが、そうなんですか、と知らなかったようだ。

話を聞いてみると、なかなか興味深かった。

何と、自分が泊まった翌日に、「旅館吉野」に宿泊したそうである。
という事は、今朝吉野さんを出て、(12)焼山寺に向かったが、道に迷ってしまい到着が遅れてしまった。たまたま焼山寺で出会った方に、お接待で(13)大日寺まで車で送ってもらった、との話しであった。
一日遅れで同じ宿に泊まった方と出会うとは、不思議な感覚である。  


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2023年08月25日

【4巡目-65】 おやすみなし亭、13番大日寺へ [2021年2月22日‐その14]

以前の「おやすみなし亭」では、お接待の食料、飲料を、たくさん提供してくれていた。

それが、随分と質素な感じになっており、失礼な言い方になってしまうが、みかんが数個置いてあるだけだった。

これまでお世話をしてくれていた方が、出来なくなってしまったのだろう、と想像する。

納札がいっぱい貼られていた遍路ノートもあって、書き込みもさせてもらったのだが。
何事も、何十年単位で継続していくことは難しいのだろうことを実感する。

おやすみなし亭を出発、十数分でセブンイレブンがあり、一休みしていくことにした。

この辺り、以前は食事する場所が見当たらなかったものだが、遍路道沿いにもコンビニが増えてきて、便利になったものである。

コンビニの横には梁田橋があるが、ここは潜水橋となっており、一度歩いてみたいと思っている。

植村旅館の方から歩いてきたら、広野集落の所で橋を渡らずにそのまま川の反対側を進んで、梁田橋を使うのもありである。  


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2023年08月22日

【4巡目-64】 13番大日寺へ [2021年2月22日‐その13]

静かな車道を歩いていると、へんろ道保存協力会の立杭が残っていた。

杭に書かれた言葉は、「へんろとは 歩くこと也 感謝と行〇〇」だった。「行」の後の文字は消えてしまっていた。何だったのだろうか。

下界に到達、民家が見られるようになってきた。

へんろ地図では、建治寺から下りてきて、そのまま一直線に車道を下り遍路道に合流、ではなく、途中で右折することになっている。

左の写真の場所がその分岐だろう、右折する。

短い距離だが、所々に石仏があった。今はただの田舎道のような感じだったが、歴史ある、古くからの道なのだろうか。

(13)大日寺への、通常の遍路道となっている県道に合流する。

ちょっと戻って、歩き遍路の休憩所としてお馴染みの、「おやすみなし亭」に寄らせてもらうことにした。

中に入ってみると、ガランとした感じで、以前とは随分と様相が変わっていた。




  


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