2024年04月15日

【篠山道-51】 野井坂② [2022年2月28日‐その12]

下りに入ってからは、これでもか、という位に、倒木注意の札が、括り付けてあった。

だが、復旧作業がすすんだのだろう、通行に支障となるような倒木は無かったかと思う。

道が崩壊したらしき場所もあったが、迂回路も設けられており、歩きに問題は無かった。

峠まではずっと森の中を進む印象で、視界が開けるのは一箇所だけだったが、峠を越えてからは少し日の差す、明るい場所が多かった。

宮崎橋からは1時間も掛からず、野井坂登り口の看板がある下界へと到達した。

肝心の反対側には、この看板は無かったかと思う。
飛ばされたりしてしまったのだろうか。




「へんろ道保存協力会」のHPによると、野井坂が荒れています、との情報が最近になって掲載されていました。
https://blog.iyohenro.jp/%e3%80%90%e3%81%b8%e3%82%93%e3%82%8d%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b%e3%80%91%e6%84%9b%e5%aa%9b%e7%9c%8c%e5%ae%87%e5%92%8c%e5%b3%b6%e5%b8%82%e9%87%8e%e4%ba%95%e5%9d%82%e3%81%8c/

自分が歩いた時と道の状態は変わっていない様子でした。荒れているとは思わなかったのですが、廃道みたいな遍路道も歩いていますので、感覚の違いでしょうか。  


Posted by こいったん at 00:07Comments(0)篠山道

2024年04月13日

第7回「琵琶湖一周 ウルトラウォーキング(103km)」

4月6日(土)から7日(日)にかけて行われた、「第7回 琵琶湖一周ウルトラウォーキング(103km)」
に参加してきました。

二年前の東回りでの大会で半周しており、今回は西回りで半周し、これで琵琶湖一周となります。

久し振りの大会だなあ、と思って調べてみると、2年前の初夏の、空知100km以来となりました。


よくよく考えてみると、昨年秋の金沢マラソン以来、まともに外に出ていないことに気が付きました。
普段は車しか使いません。

という事で、歩き始めてから早々に、くしゃみ、鼻水、と花粉症の症状が出始めてしまいました。

今年はあまり症状が出ないなあ、と思っていたのですが、単に外に出ていなかったからなんですね7


久し振りの歩きとは言え、時速4.5kmペースで、最初の29kmのエイドまでノンストップで歩いてしまいました。

歩き遍路の時では考えられません。
やはり荷物の量が関係しているのでしょうか。

おむすび2個が出ました。





午前10時に歩き始め、午後9時近くになってようやく、46.5kmのエイドに到達です。
カップ麺が提供されました。

丸一日歩いて、まだ半分にも達していないことに気が付いてしまい(笑)、愕然としました8

白髭神社と言う、湖の中に鳥居がある場所です・・・知らなかった。




夜になって、恒例の睡魔が襲ってきました。歩いていても楽しくありません7

前日は、真夜中に滋賀県に到着して、車の中で仮眠程度しかしていませんので、眠くなって当然です。

いつも大会に出る時はこんな感じなのですが、マラソンだったら一日で終わるので何とでもなりますが、ウルトラウォーキングでは無理みたいです。

次回からは、余裕を持って現地入りしようと思います。

早朝、琵琶湖の畔で一休みです。

桜満開で、朝早くから花見の車が走っています。

滋賀県を歩いていると、京都ナンバーの新車の高級車がやたら目立っていました。

都会は、景気が良いのでしょうか。金沢とは明らかに車の質が違っていましたicon105




頑張って、91kmのエイドに到着、あと12kmです。
記念写真を撮ってもらいました。

結局、正午近くに、25時間52分23秒というタイムで、無事にゴール出来ましたicon104

ゴール地点にもなっている「北近江リゾート」の温泉が、とても気持ち良かったです。

その後も、睡魔に襲われて仮眠を繰り返しながら車を走らせて、金沢へと帰り着きましたicon17

エントリーしたのは、304人とかなり多く、完歩率は80.6%。
万歩計の数値は、一日目84663歩、二日目は62618歩となりました96  


Posted by こいったん at 02:22Comments(0)ウオーキング大会

2024年04月10日

【篠山道-50】 野井坂① [2022年2月28日‐その11]

徐々に山あいへと入って行くと、宮崎橋があった。

木の橋が掛けられていたはずだが、流されてしまったのだろうか。
渡れない時は戻って車道へ、と手書きで書かれている。ここまで来て戻れないなあ。

幸い、この日の水量はわずかで、石をつたって問題なく渡ることが出来た。

ここから、歩きの山道となる。

ただ、「宇和島南郊遍路MAP」によると、別ルートに赤い点線がある。

「田辺せつ石仏」なるものまでがあるようだが、本来の古い道はそちらなのだろうか。

宮崎橋を渡ってすぐに石仏・へんろ墓があったが、その先には、昔からの道を示すものは何も無かった気がする。

石組みの囲みがいくつかあり、これは炭焼きで使われていたもの、という事だった。

一ヶ所、大木が根こそぎ倒れていたが、他には特に荒れた場所などは無く、順調に山道を上がり、頂上付近に到達した。

野井坂の峠には、確か看板などは無く、おそらくここが最高地点になるのだろう。

少し下った場所に案内板があり、一昔前には峠の茶屋があったそうで、遍路MAPには、ここでお饅頭を買った、などの記述がある。  


Posted by こいったん at 00:08Comments(0)篠山道

2024年04月07日

【篠山道-49】 満願寺から、野井坂へ③ [2022年2月28日‐その10]

満願寺で貰った遍路MAPによると、
「道中で亡くなった遍路は、そこの村が葬る慣習。
通行手形には、国許へ連絡に及ばずと書かれ、杖が卒塔婆代わり。
墓石があるのは路銀が残っていた場合。」
と、遍路墓に関して、分かりやすく解説してくれていた。
そうだったのか、と勉強になったのだが、ちょっと切なくなってきた。

地図によると、この辺りから、未整備のへんろ道があることになっている。
ちょっと行ってみることにした。

小道が続いていたのだが、途中から道が分からなくなって藪漕ぎみたいになって、しまいには民家の庭先を通るような形で、何とか車道へと合流出来た。

空き家ではなく車が止まっていたから、すいません、といった感じで、そそくさと通り抜ける。入り込まない方が良かったか。






  


Posted by こいったん at 00:09Comments(0)篠山道

2024年04月04日

【篠山道-48】 満願寺から、野井坂へ② [2022年2月28日‐その9]

満願寺から、来た道を少し戻り、野井坂へと向かう。
ついこの間歩いたような気がするが、5年振りの野井坂だった。

この辺りは結構民家が多く、集落内の洋風なそろばん教室は健在のようだった。
道端に石仏もあったりする。

満願寺の住職さんにもらった、遍路MAPを手にしながら進む。
途中の見所や、廃道になった道まで、丁寧に紹介されている。

遍路シールが貼ってある川を渡り、小学校もある集落を抜けると、山間の静かな道となる。

電柱が無ければ、時代劇にも出てきそうな風景が広がっていた。

野井の集落で左の旧道風の道に入ると、地蔵堂などがある遍路道だったようだが、前回に続き、今回も通り過ぎてしまった。
なぜか、この道は地図に掲載されていない。

山あいの小道をとぼとぼ歩いていると、おへんろ墓があった。  


Posted by こいったん at 00:08Comments(0)篠山道

2024年04月01日

【篠山道-47】 満願寺から、野井坂へ① [2022年2月28日‐その8]

満願寺の住職さんからも、篠山神社からどの道を歩いて来たのか、と聞かれる。

あの枝の山は何とかならないものか、と消えかかっている遍路道の現状をお話しした。

古い遍路道に感心を持ってくれている人たちがいたのは心強かった。

石仏が並ぶ道が、現在進行形で壊されているのだから、何とか守られて欲しいと思う。

45分程も滞在してから、満願寺を出立し、野井坂方面へと向かった。

今になって、満願寺を出ると「篠山道」は終わりなのだろうか、と素朴な疑問が湧いてきた。

「えひめの記憶」で調べてみると、「~大町で中道に合流する」となっている。大町がどこか分からないが、この辺りのことだろう。

ここからは「中道」になるようである。

ちなみに、「上大道で中道から灘道(現代の通常の遍路道)が分岐する」と書かれているから、「中道」が基本の本線、という事になるのだろうか。
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/11/view/1854
  


Posted by こいったん at 00:07Comments(0)篠山道

2024年03月29日

【篠山道-46】 番外札所 満願寺 [2022年2月28日‐その7]

比較的民家がまとまった集落を通り抜けると、いよいよ、番外札所の満願寺に到着となった。

前回訪ねたのが2017年8月だから、4年半ぶり、という事になる。
懐かしさは感じず、ついこの間のことのように感じるのは、年を取ったからだろうか。

参拝して境内をウロウロしていると、車道から、散歩中らしき老夫婦がこちらを見ており、会釈する。この方が満願寺の住職さんだった。

納経して頂けるそうで、お願いした。納経料をお渡しすると、このお金は「中道」のへんろ道復元事業に寄付させてもらいます、との事だった。

前回、「三好旅館」に泊まった時に、満願寺の住職さんは良い方、と仰っていたが、その通りのようだった。

また、「宇和島南郊遍路MAP」なるものを渡してくれた。

これから歩く野井坂方面の見所や地図、消えた遍路道も載っている、かなり詳細なものであった。
これを活用させてもらうことにする。

  


Posted by こいったん at 00:06Comments(0)篠山道

2024年03月27日

「みまきガーデン」について

こんばんは。

現在、「みまきガーデン」に泊まった記事を書いておりますが、フェイスブックを見た所、何と、休業してしまった様子。

https://www.facebook.com/mimakigarden/?locale=ja_JP

Googleマップで調べてみると、「閉業」となっていました。何となく、もう終了な印象7

篠山神社をグルっと周るコース上での唯一の宿ですから、無くなってしまうと大変困ります。

この辺りは市営バスが運行されており、祓川温泉発の最終が午後5時過ぎなので、それに乗れば津島町内で宿泊は可能で、一応、この遍路道を辿ることは可能なのですが。。。平日のみの運行です。

「一時休園」という事で、復活を期待したい所ですが、どうなるのでしょうか。

また、あの美味しい料理が食べられなくなるとは・・・ランチバイキングに行きたかったです。

他に、もう一度どうしても泊まりたい宿とかもありますので、廃業してしまわないか、と不安になってしまいます。  


Posted by こいったん at 02:22Comments(0)篠山道

2024年03月24日

【篠山道-45】 みまきガーデンから、満願寺へ⑤ [2022年2月28日‐その6]

旧道に入り、上芋地谷橋を渡る。

この辺りは「上芋地谷」という集落名のようである。
何とかわいい地名なのだろう。住所が上芋地谷だったらカッコいいなあ。







一旦、県道に出て、再び旧道へと入る、バス停がある場所に、遍路石らしきものが、一段高い場所にあった。
見学しに向かう。

何とか村、と文字は残っているのだが、自分の知識では遍路に関係するものなのかどうかも分からなかった。

お地蔵さんの彫り物があったから、多分遍路石なのだろう。


トンネルはパスして、山裾の、旧道らしき静かな道を進む。

番外札所「満願寺」まで、あと一息である。



  


Posted by こいったん at 00:05Comments(0)篠山道

2024年03月21日

【篠山道-44】 みまきガーデンから、満願寺へ④ [2022年2月28日‐その5]

地元のSさんと、写真を撮り合ってお別れする。

車道の上方にあるという、廃道になった遍路道を、歩かないまでも少し見に行くことにした。

擁壁を上がると、短いが急な斜面となり、荷物を持った身にはかなりきつかったが、登りきると、確かに道の痕跡が見付かった。石垣で守られた道がある。

周囲を小一時間探索して、元の車道へと戻ったのだが、丁石とか、何か遍路道の痕跡などあったりしたのだろうか。
こうやって記事を書いていると、改めて探索したくなってきた。

横吹渓谷を抜けると、再び民家がみられるようになった。

広場で老人が一人、パークゴルフの練習をしている。何とものどかな光景である。

県道を離れ、英語版のへんろ地図に従って、旧道を辿る。





菜の花畑を眺めたり、訪れた春の田舎の歩き旅を楽しんだ。





  


Posted by こいったん at 00:04Comments(0)篠山道

2024年03月18日

【篠山道-43】 みまきガーデンから、満願寺へ③ [2022年2月28日‐その4]

遍路道の整備に関わってくれている、地元のSさんと話をする。

篠山神社からの古い遍路道が、作業用の林道によってズタズタになっていることを報告する。

あの道を整備するのはかなり難しいと思うが、迷わないよう、道が分かるようにはしたい、との事であった。

また、今歩いている道の山手に古い遍路道があり、何年か前にそこも踏破したことがあるそうである。
東海図版の四国遍路地図で、廃道のオレンジの点線が引いてある道である。

工事で道が分断されて、一直線には進めなくなっているが、道は続いている。

たまたま今いる場所から擁壁に沿って山に上る道があり、ちょっと藪漕ぎすれば、古い遍路道に辿り着ける、との事であった。

他にも、祓川温泉手前の、篠山神社二の鳥居からの消えた遍路道も歩いたことがあるそうである。

今になって思えば、白衣を着るなど、もう少しお遍路さんスタイルで歩いていれば、篠山神社を巡る歩き遍路は珍しいだろうから、もっと出会いがあったかも知れない。惜しいことをした。  


Posted by こいったん at 00:03Comments(0)篠山道

2024年03月15日

【篠山道-42】 みまきガーデンから、満願寺へ② [2022年2月28日‐その3]

集落を抜け、少しずつ山の方へと向かって行く。
この辺りは愛媛県の宇和島市になるのだが、川の水は高知県の宿毛市へと流れているから、ちょっと変な感覚である。

源池公園というものがあり、ここが松田川の源流となる分水嶺らしい。

ここを過ぎると、民家が途絶えて横吹渓谷となり、川の水は反対方向へと流れるようになっていた。

そんな静かな峠道を歩いていると、お遍路さ~んと、一台の車が止まった。

この時は遍路装束は身に着けておらず、大きなリュックに、篠山を上る時に頂いた竹の杖だけを持って歩いていたのだが、お遍路さんと分かったようである。

中道のへんろ道復元事業にも関わっている、地元のSさんという方だった。
色々な情報を教えてくれた。

篠山神社を周ってきた話をすると、どの道を歩いて来た?との事で、尾根をしばらく歩いて急斜面を下りてきた、と伝える。

どうやら、山の中に道しるべとなっていた三種類のリボンの内、赤いリボンを付けてくれたのがSさんのようであった。  


Posted by こいったん at 00:02Comments(0)篠山道

2024年03月12日

【篠山道-41】 みまきガーデンから、満願寺へ① [2022年2月28日‐その2]

「みまきガーデン」を出発、県道に出る。通勤の車なども無さそうで、静かな道だった。

本日の予定は、満願寺から野井坂を通って宇和島まで、を予定している。

集落へと続く細道があり、旧道だろうと入ってみた。

JAの小さなスーパーがあった。くみあいマーケットの名称が懐かしい。
まだ午前8時半過ぎだというのにもう営業していたので、ちょっと立ち寄って飲み物を調達する。昼食になりそうなものはあったかどうか、確認し忘れた。
満願寺の手前に小さな商店はあったが、やはり宿でおむすびを作ってもらって良かったか。

民家が続いているが、かつてはこの辺りに、篠山神社の鳥居があった、と後で地元の方から聞いた。裏参道の一の鳥居とかだろうか。

鳥居があったのは確かだろうが、篠山神社のものだろうか、検索してみるも、よく分からなかった。

写真の場所は、福田百貨店である。
田舎の百貨店と言えば、食料衣料なんでも売っているお店のイメージだが、ここは調べてみると、移住者の方が、自然食品などを売っているこだわりの店で、週四日の営業だった。  


Posted by こいったん at 00:01Comments(0)篠山道

2024年03月09日

【篠山道-40】 みまきガーデン③ [2022年2月28日‐その1]

HPによると、朝食は7時半からになっていたのでその時間にお願いしたのだが、こちらに合わせてくれるようだった。
多分、もう少し早くても大丈夫そうだった。

洗濯出来ることになっていたが、この時は故障中との事で出来なかった。

本日の予定は、満願寺から野井坂を越え、宇和島まで歩いてから、松山市内で宿泊、翌日帰宅予定である。

朝食は、昨夜とは違うおばちゃんが出勤してきて作ってくれた。食後にはコーヒーまで出してもらった。

今日のルートで食事が出来る場所は無さそうだったから、前日におむすびを用意してもらえるか頼んでみた所、大丈夫だったので4個お願いし、受け取った。お接待で、みかんも頂いた。

途中に、JAの小さなスーパーがあって立ち寄ったのだが、食料はどうだったか、見忘れてしまった。
満願寺近辺にも、小さな商店がいくつかあった。

午前8時20分過ぎと遅い時間に、おばちゃんに見送ってもらい、「みまきガーデン」を出発した。

なかなか良い、お宿だった。  


Posted by こいったん at 00:02Comments(0)篠山道

2024年03月06日

【篠山道-39】 みまきガーデン② [2022年2月27日‐その27]

食堂は、元保育所の教室を利用した狭い部屋だったが、土日には一般の方向けのランチバイキングをやっているそうである。

おじさんが一人で行くのは恥ずかしいのだが、こんなに美味しい料理が食べ放題なら、ぜひ利用したいのだが、次にこの辺りへ行けるのは何年後になるのだろうか。

食堂には、数枚の納札が貼ってあった。
少ないながらも、篠山道を歩くお遍路さんがいるようである。

この日の記事は(その27)までとなった。1日の記事の量としては、おそらく過去最高だろう。
遍路史上に残る、中身の濃い一日でした。


みまきガーデン:一泊二食、缶ビール3本、翌日のおむすび4個で 計7000円
 (内訳不明 6000円+600円+400円か?)  〈あかぐみ〉
    ※洗濯機なし。自販機なし。茶あり。浴衣等なし。朝食の時間は合わせてくれる様子。
    宿泊客:歩き遍路1名


  


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2024年03月03日

【篠山道-38】 みまきガーデン① [2022年2月27日‐その26]

宿の入口には冷蔵ケースがあり、缶ビールが置いてあった。
ちょっと、自分の飲み物を冷やすのに利用させてもらった。

部屋には、ベットが二つに、こたつが置いてある畳の空間があり、窓からは小学校が見える、のどかな部屋だった。

お風呂は、本来なら祓川温泉を利用することになっているのだが、新型コロナの影響により休館中、で宿の内風呂に入った。

宿の予約はメールで行ったのだが、その時対応してくれたSさんが顔を出してくれた。
御槇地区の地域おこし協力隊の一員、という事で、腰の低い良い方で、缶ビールが足りなければ買ってきますよ、との事だった。

宿の食事は、地元のおばちゃん達が交代で作ってくれているようである。

手作り感満載で、大変美味しかった。

ご飯と素麵入りの御汁は4~5杯程、お替りさせてもらった。おかずもお替りを、と言いたかったのだが言えなかった。

一般的に、おかずのお替りってあり得るのでしょうか?  


Posted by こいったん at 00:04Comments(0)篠山道

2024年02月29日

【篠山道-37】 少林寺から、みまきガーデンへ [2022年2月27日‐その25]

東海図版の「四国遍路地図」によると、少林寺から山を越える遍路道があるが、廃道を示す、オレンジの点線となっている。

確認してみると、確かに歩きの道らしきものが続いていた。

藪漕ぎすれば行けそうではあったが、この日は篠山神社からの遍路道で充分冒険してきたので、もうお腹一杯だった。

探索はせず、素直に英語版の地図通り、山越えの舗装路を進む。
車一台が通れるような、細道だった。

麓に下りてくると、小学校があった。
きっと廃校だろうなあ、と思ったら、児童は10人位だが現役だそうだ。

移住者は子沢山、という話だったから、そのお陰で小学校も存続しているのだろう。







そこからすぐの場所にある、元保育所の建物を利用した、本日の宿「みまきガーデン」には、午後5時過ぎに到着した。







本日のコースタイム
ホテルセレクト愛媛愛南町6:11→6:44増田(中組)→7:54歓喜光寺8:05→8:31篠山神社二の鳥居8:51→11:22篠山神社11:56→15:26祓川温泉→15:47岩陰大師→16:20日切大師16:36→16:44少林寺→17:08みまきガーデン


歩行距離:24.9km[YAMAP計測]
 歩数  :44462歩
最高気温:15.9℃
最低気温:1.5℃[愛南町御荘]  


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2024年02月26日

【篠山道-36】 少林寺 [2022年2月27日‐その24]

少林寺にて手を合わせる。

少林寺と言えば、少林寺拳法しか思い浮かばなかったのだが、実物?の少林寺を参拝出来たのは面白い経験となった。

それにしても、境内からの景色が、日暮れ時という事も相まって、のどかで素晴らしかった。

写真では伝えきれないのが残念である。



少し離れた場所で家を建てていたのだが、赤ん坊を連れたお母さんが工事を見守っていた。

こんな田舎に、と言っては失礼だが、若い夫婦がいるのだなあ、と思った。
後で宿の方に聞いた所、他所から移住して来た方、という事である。

この辺りは御槇(みまき)地区と言うのだが、どうやら移住者を受け入れることに成功しているようであった。  


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2024年02月23日

【篠山道-35】 日切大師から、少林寺へ [2022年2月27日‐その23]

日切大師を参拝させてもらう。

てっきりお大師さんが鎮座しているのかと思ったら、お地蔵さん形の、のっぺらぼうな石が置かれているだけで驚いてしまった。

石がご神体として祭られている、との事であった。

せっかく来てくれたから、とお供え物のお菓子や飲み物などをたくさん頂いた。有難かった。


日切大師の車道の入口には、日切地蔵さん、という看板があった。地元ではそう呼ばれているようである。

次は、少林寺へと向かう。

近くまで来たのだが、案内などが無い。道路脇に遍路石っぽいものがある。
ここを入れば良いのだな、と小道に入り石段を上ると、お寺があった。



ただ、ここにも寺名が分かるものが無かった。
お堂に「篠山奥の院」の文字が辛うじて残っていたから、ここが少林寺で間違いないだろう。



  


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2024年02月20日

【篠山道-34】 岩陰大師から、日切大師へ [2022年2月27日‐その22]

森の中に人知れずあった、篠山神社の二の鳥居からの遍路道が、この遍路石がある場所に合流していたようである。

かつて掛かっていたという橋は無くなってしまい、今では通れなくなったそうである。

ちなみに、この川は松田川、という事だから、あの宿毛市内を流れている大河になるのだろう。




橋が有ったろう場所の袂には、明治時代のお地蔵さんがあった。
なかなか楽しい道行である。


次は、「日切大師」へと向かう。
遍路道を外れ、田んぼの中を進み、小さな橋を渡っている所で、一台の車とすれ違った。





ここもはっきりとした看板が無かったのだが、日切大師で間違いないだろう。

「古岩禅師の由来」という名での説明板があった。

お地蔵さんがたくさん並んだ、整備された場所で、まだ新しいトイレもあった。
そうこうしていると、先程、橋で行違った地元の方が、気になったそうでわざわざ戻って来てくれた。ここを管理してくれている方だろうか。

お堂の鍵を開けて、中を見せてくれた。  


Posted by こいったん at 00:08Comments(0)篠山道