2023年01月27日
【4巡目-6】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その6〉
この時はコロナ禍で、宿が営業しているかどうか、という時期だった。
本日の宿は、5番地蔵寺の門前、「民宿森本屋」にネット予約済みだが、明日の宿はまだである。
(11)藤井寺近くの「旅館吉野」に電話をしてみる。
すんなりと予約がとれた。
念のため、食事は提供されるか聞いてみると、当然、二食付き、という感じで安心した。
最近では、二食付きの宿が減ってきて、悲しんでいる所である。
池谷駅の手前で、道を間違えてしまった。
祠がある踏切の手前で右折しなければならなかったのだが、そのまま線路を渡って、道なりに直進してしまった。
田園地帯に突入して、何かおかしいなあ、と地図を確認して、誤りに気が付いた。
(1)霊山寺まで、旧撫養街道を歩いて間違いやすいのは、ここだけだろうか。
2023年01月23日
【4巡目-5】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その5〉
市内を抜けると、民家が並び、小さな商店が時折あるような、街道らしい道が続いていた。
スマホを手に入れたことから、この先、食事が出来る場所は無いかなあ、と歩きながら探すのだが、まだ時間が早いこともあって、営業している食事処は見付からなかった。
街道からちょっと外れた場所にあったファミリーマートで、軽食を購入する。
庭先のウメの花を眺めたりしながら、旧撫養街道を進む。
大きな神社が見えてきた。阿波神社となっている。
この辺りから、通常のへんろ地図にギリギリ掲載されている場所となっており、「東林院(種蒔大師)」の近くである。
今になって、東林院にも立ち寄れば良かったなあ、と後悔している。
へんろ地図に載っている空海の史跡となっている、全ての場所に立ち寄る、というのを目標に歩くのも面白そうである。
初っ端から逃してしまった。
2023年01月20日
「白鳥温泉」が閉館へ
皆さん、こんばんは。
たまたまスマートフォンでYahoo!ニュースを眺めていたら、残念なニュースが掲載されていました。
(88)大窪寺の先にある「白鳥温泉」が、今年の3月で閉館となるようです
https://news.yahoo.co.jp/articles/65f6ada490f25a5fef9f805aef77b2d5276a7fac
これまで三回も泊まらせてもらった、思い出の宿です。
遍路道沿いにある、数少ない温泉宿でしょうか。宿泊代も手頃で、歩いた後に大浴場に入ることが出来る、貴重な宿でした。
「へんろ道保存協力会」のHPを見ると、さらに閉館した宿が増えていました。
一度泊まったことがある「足摺はっと」。他にも、「大谷旅館」とか「旅館ひらた荘」は泊まったことがある歩き遍路が多いのではないでしょうか。
ますます寂しくなりますね
たまたまスマートフォンでYahoo!ニュースを眺めていたら、残念なニュースが掲載されていました。
(88)大窪寺の先にある「白鳥温泉」が、今年の3月で閉館となるようです

https://news.yahoo.co.jp/articles/65f6ada490f25a5fef9f805aef77b2d5276a7fac
遍路道沿いにある、数少ない温泉宿でしょうか。宿泊代も手頃で、歩いた後に大浴場に入ることが出来る、貴重な宿でした。
一度泊まったことがある「足摺はっと」。他にも、「大谷旅館」とか「旅館ひらた荘」は泊まったことがある歩き遍路が多いのではないでしょうか。
ますます寂しくなりますね

2023年01月16日
【4巡目-4】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その4〉
他のお遍路さんの記事で見たことがある、立派な遍路石があった。
明治時代のもので、確かに「四國へんろ道」の文字が読み取れる。この道が街道で間違いないようである。
その後も、「遍路道関所跡」なる、真新しい石柱があったりした。
住宅が多かった道沿いも、次第に小さな商店が見られるようになってきた。
そのシャッターには、「四国遍路が始まる街 大道商店街」といくつも看板が貼り付けられており、かつては岡崎港に到着したお遍路さんが、この道を通って(1)霊山寺へと向かった、と書かれていた。
四国遍路で町おこしをしているような雰囲気でもあった。
そうであれば、あの撫養港(岡崎港)に案内板の一つでもあったら良いのになあ、と思う。
2023年01月12日
【4巡目-3】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺、5番地蔵寺まで [2021年2月19日]〈その3〉
まだ明石海峡大橋が無い時代の船着き場があったのだろうか、数十年前らしき看板と待合所風の建物が残っていた。
ここから昔のお遍路さんは歩き始めたのか、と感慨に耽りたい所だったが、2m以上はあろう高い堤防に阻まれて、海が見えない状態で、立ち入ることも出来ない。
少し離れた場所まで行って、港のあったろう場所を眺めてみる。崩れかけた桟橋が残っているのが確認出来た。
まずは、ひたすら撫養街道を進んで、(1)霊山寺を目指す。
その入口が、恐らく写真の場所である。
新築の住宅があったりして風情も無く、本当にここが街道の入口で、昔のお遍路さんが歩き始めた場所なのかなあ、と疑心暗鬼になる。
取り敢えず、進んでみることにした。
2023年01月08日
【4巡目-2】 高速鳴門バス停、撫養港(岡崎)へ [2021年2月19日]〈その2〉
何かと思ったら、無人で乗ることが出来るモノレールのようである。こんな物があるとは、なかなか楽しい。
子供が遊びに使ったりしないのだろうか。
自分が子供の頃だったらきっと、遊び場になっていただろう。
これに乗って、麓へと降りられるようである。ボタンを押すと動き出し、小さなワクワク旅である。
終点には、係員もいる高速バスの待合所があった。
バス停すぐ側の、「マルナカ」などが入った商業施設の駐車場を横切らせてもらう。
今から16年前、生まれて初めて明石海峡大橋を渡って四国入りし、歩き遍路をやってみようか、と思っていた時、ここの二階にある書店で遍路に関する本をいくつか購入した、懐かしい場所である。
今も書店は、営業している様子だった。
撫養川の大きな橋を寒さに震えながら歩いて渡ったが、渡船場があり、乗客が降りる姿が見られた。
後で調べてみると、無料の渡船だったらしい。
2023年01月04日
【4巡目-1】 第34回 区切り打ち 出発 [2021年2月18・19日]〈その1〉
今回は、公共交通機関を利用しました。
仕事を22時ちょっとで早退し、慌てて「松任海浜公園」バス停へと向かいました。
ここに車を止めて、夜行バスで京都駅へ向かい、早朝5時に到着。
時間短縮のため、JRで舞子駅まで移動。
高速舞子バス停から再び高速バスに、とお馴染みになりつつあるパターンでの四国入りです。
高速鳴門バス停で下車し、撫養港(岡崎)を目指します。
風が冷たくて寒いです。四国だから暖かいだろう、と衣服に無頓着、薄着で来てしまいました。
コースタイム
金沢→






2022年12月31日
年末のご挨拶
いつも、くどくどしいブログにお付き合い頂き、ありがとうございます

いよいよ、2022年、最後の一日となりました。
今年の歩き遍路は、2月に「篠山神社」を巡る道を歩いてきました。
遭難するかも、とドキドキでしたが、なかなか印象に残る、思い出に残る遍路行となりました

来年も、2月に歩き遍路を計画中です。
四巡目の続きで、徳島市内の地蔵橋駅から、となります。
ブログの方は、三巡目の記事が終わりましたので、新年一発目(表現が古い?)から四巡目の記事を開始します。
鳴門の撫養港から歩き始めますよ

今年のブログ更新は、以上となります。
来年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します

タグ :歩き遍路
2022年12月28日
廃業した遍路宿(2022年 後編)
「廃業した遍路宿」の続きです。
・ホテルサンパール(2017年8月宿泊)
41番観自在寺を越えた場所にありました。
一昔前の昭和の香りがする観光ホテル、といった感じでした。
過去には、この辺りから、ロープウェイが対岸へと結ばれていたみたいです。
これまで泊まった宿の中では、一番、食事の量が多かったかなあ、という印象です。
モーニングコーヒーが飲み放題だったのも良かったです。
従業員の皆さんも、気さくな方が多く、気持ち良く泊まる事が出来ました。
普通のホテルのつもりで予約をしたら、ロビーには広々とした「お遍路さんコーナー」があり、おもてなしに力を入れていたようでした。
四巡目も必ず泊まろう、と思っていましたが、廃業という事で、残念でなりません
無くなる宿がある反面、ゲストハウスといった、新しく開店する宿がそれ以上にある印象です。
ただ、ほとんどが素泊まりのようです。地元の定食屋さんを紹介してもらって、なども楽しそうではありますが、やっぱり宿は二食付きですね
「ウルトラウォーキング」での経験を生かし、泊まってみたい宿が無かったら徹夜して歩いてみようか、という気になっています。
深夜の歩行も、それはそれで非日常体験ですし、そこら辺の草むらやベンチでちょっと横になれば、多分歩き通せるでしょう。
41番観自在寺を越えた場所にありました。
一昔前の昭和の香りがする観光ホテル、といった感じでした。
過去には、この辺りから、ロープウェイが対岸へと結ばれていたみたいです。
これまで泊まった宿の中では、一番、食事の量が多かったかなあ、という印象です。
モーニングコーヒーが飲み放題だったのも良かったです。
普通のホテルのつもりで予約をしたら、ロビーには広々とした「お遍路さんコーナー」があり、おもてなしに力を入れていたようでした。
四巡目も必ず泊まろう、と思っていましたが、廃業という事で、残念でなりません

無くなる宿がある反面、ゲストハウスといった、新しく開店する宿がそれ以上にある印象です。
ただ、ほとんどが素泊まりのようです。地元の定食屋さんを紹介してもらって、なども楽しそうではありますが、やっぱり宿は二食付きですね

「ウルトラウォーキング」での経験を生かし、泊まってみたい宿が無かったら徹夜して歩いてみようか、という気になっています。
深夜の歩行も、それはそれで非日常体験ですし、そこら辺の草むらやベンチでちょっと横になれば、多分歩き通せるでしょう。
2022年12月25日
廃業した遍路宿(2022年 前編)
三巡目の遍路記事が終了しましたので、閑話休題。
定期的に「へんろ道保存協力会」のHPをチェックしていますが、今年もいくつかの宿が廃業となってしまったようです。
有名所では、「おもご旅館」とか「松乃屋旅館」、「鯖大師へんろ会館」などでしょうか。
その中でも、過去に泊まって、もう一度お世話になりたいと思っていた宿の廃業もありまして、ショックを受けています。
・たちばな旅館(2009年3月宿泊)
内子から久万高原への途中の宿です。
ここの目玉は、食べ切れない程の豪勢な食事でした。
直前に間食してしまったこともあり、少し残してしまいました。
熱中症気味で食事が手に付かなかったことはありましたが、それ以外で食べられなかったのは、この宿だけだったかと思います。
絶対にリベンジを、と考えていたのですが、閉店されたようです。
当時より年は取りましたが、今の方が大食いですので、完食出来たはずなのですが
食事の写真を撮らなかったことも残念。
定期的に「へんろ道保存協力会」のHPをチェックしていますが、今年もいくつかの宿が廃業となってしまったようです。
有名所では、「おもご旅館」とか「松乃屋旅館」、「鯖大師へんろ会館」などでしょうか。
その中でも、過去に泊まって、もう一度お世話になりたいと思っていた宿の廃業もありまして、ショックを受けています。
内子から久万高原への途中の宿です。
ここの目玉は、食べ切れない程の豪勢な食事でした。
直前に間食してしまったこともあり、少し残してしまいました。
熱中症気味で食事が手に付かなかったことはありましたが、それ以外で食べられなかったのは、この宿だけだったかと思います。
絶対にリベンジを、と考えていたのですが、閉店されたようです。
当時より年は取りましたが、今の方が大食いですので、完食出来たはずなのですが

食事の写真を撮らなかったことも残念。
後編に続きます
2022年12月22日
とびしまウルトラマラニック 2022 [2022年12月11日](後編)

御手洗(みたらい)という、街並み保存地区があり、ここは景観を楽しみながら歩いて下さい、との事でした。
小さな島でも、このような場所があるのですね。

ここでは、カキフライのパンが出ました。
この辺りから、下り坂では膝が痛くなりだしました。
いつもだったら、脚は動くが息が続かない状態ですが、今回はちょっと違います。

走っていると、陸地がいっぱい見えて、どれが島か本土か、全く分かりませんでした。
後で地図を見返してみると、遍路道沿いにある、今治の太陽石油のタンク類が見えていたかも知れません。

みかんがのっかっています。
エイドで10分以上は休憩していますので、制限時間がドンドン迫ってきます。

既に、辺りは真っ暗です。暗闇の中、一人黙々と走り続けます。
何と、95km地点まで、平坦路や下りは走り続けることが出来ました。
ほとんど早歩きのようなペースではありますが、大きな自信となりました。

係の方から、制限時間に間に合うかどうか、と言われ、猛ダッシュです。
不思議なことに、この時だけ、脚の痛みが全く消えました。アドレナリンとか出ているのでしょうか。

「15時間59分49秒」でゴールしました。
注目を浴びていた「一本歯下駄ランナー」さんをゴール手前で追い抜いて、ブービー賞です。
危うくリタイヤになってしまう所で、ヒヤヒヤでした。
完走率は81.4%、との事でした。
ちなみに、当日の歩数は、133896歩と凄い数字が出ました。
ゴール後の余韻をじっくりと楽しみたい所でしたが、時期は真冬。あまりの寒さに早々に車に戻って、暖房全開。
東広島のスーパー銭湯に立ち寄ってから、高速道路に乗り、この日も車中泊。
仮眠を繰り返しながら、金沢へと帰って来ました

良い思い出となる大会でした

2022年12月19日
とびしまウルトラマラニック 2022 [2022年12月11日](前編)

瀬戸内海に浮かぶ7つの島を、7つの橋で渡って一周する大会で、一番端っこの島は、愛媛県の今治市に属するようです。
「マラニック」とは、マラソンとピクニックを合わせたもので、ピクニック感覚で100kmを走る、というマラソン大会です。
エイドの食べ物が、普通のマラソンとは比べ物にならないくらい、いっぱい出してもらえるのが特徴でしょうか。
制限時間は16時間、と長めになっています。

久し振りのウルトラマラソンとなります。
16時間もあれば余裕で完走出来るだろう、などと思っていたら、冷や汗をかくことになってしまいました


金曜日の夜遅くに出発、高速道路のSAで仮眠、広島市内には翌日の午後遅くになって、ようやく到着しました。

この日も、会場の駐車場で車中泊です。二日続けてこんな状態で、100kmも走れるでしょうか。

出走したランナーは436名でした。
暗闇の中、走り始めます。
今回は、実験として、心拍数を上げないように走ってみることにしました。
息があがらないように、早歩きのようなペースで進みます。

ここはランナー同士が折り返しですれ違うことになり、後ろに何人位いるか分かります。
40人位は走っていたでしょうか、安心しました。

写真は、39kmのエイドです。カレーライスが出ました。
ここで、同じ、石川県から来たランナーと出会いました。

みかん食べ放題でした

[後編に続きます]
2022年12月15日
【3巡目-800】 第33回 区切り打ち 帰宅 (後編) [2020年8月31日]〈その16〉
新型コロナの影響でお客さんは少ないかと思っていたら、ビジネスマンが結構乗っている。
二~三両編成だったか、前から後まで空席を探してみるが、二人掛けの椅子が全て、一人客できれいに埋まっている状態だった。
自分が座れば、そこだけ二人掛けになりそう。何か座りにくい。
結局、座りそびれてしまい、デッキで過ごすことにした。30分ちょっとなので、我慢しよう。
志度駅で下車、少し歩いてことでん志度駅へ。小さくてかわいい駅舎でした。
この車での四国入りは、これが最後となってしまった。
帰りは、どちらの橋を使おうか迷うが、瀬戸大橋にした。後で地図を見てみると、淡路島経由の方が大分距離が短そうだった。
途中、仮眠をしながら車を走らせ、翌朝、金沢に辿り着いた。
丁度、800回目の投稿で、歩き遍路3巡目の記事が終了となりました。
(88)大窪寺で結願した時が、777号だったから、偶然とはいえ、不思議なものです。
コースタイム
17:07板東駅17:17→



[歩き遍路第三拝 終了]
2022年12月11日
【3巡目-799】 第33回 区切り打ち 帰宅 (前編) [2020年8月31日]〈その15〉
後は、(84)屋島寺麓の「琴電潟元駅」近くに止めてある、自家用車を取りに戻ることになる。
板東駅から志度駅までJRを利用し、近くの琴電志度駅から潟元駅へ、という計画である。
駅までは、グリーンのラインが引いてあり、迷わないようにたどり着けるようになっていた。
記憶に無い、おもてなしステーションがあったりと、少しずつ変化してきている。
12分で、板東駅に到着した。
無人駅だが券売機があり、志度駅までの切符を購入した。
20分の乗り継ぎ時間があったことから、駅を出て、板野駅周辺を散策した。
一度廃業した「旅館ばんどう」が、料金がかなり安くなって、この時は復活していたようである。
ただ、へんろ道保存協力会のHPによると、その後再び、短期間で廃業となってしまっていた。
本日のコースタイム
白鳥温泉8:39→引田→13:33大坂峠→15:31卯辰越→16:04大麻比古神社16:16→16:29(1)霊山寺16:55→17:07板東駅
歩行距離:29.6km
歩数 :45400歩
最高気温:35.6℃
最低気温:25.6℃[引田]
2022年12月07日
【3巡目-798】 1番霊山寺(満願) [2020年8月31日]〈その14〉
立派な灯籠が並ぶ参道を戻るように進む。
15分程歩いて、午後4時半過ぎに、無事、(1)霊山寺に到着した。三度目の満願となった。
「結願」と「満願」の違いははっきりしていないようだが、(88)大窪寺で結願、(1)霊山寺で満願、ということにしておく。
(88)大窪寺でもそうだったが、ある程度の達成感はあるものの、そんなに深い感慨は起こらなかった。

参拝をし、納経所へと向かった。
霊山寺では「満願之証」なるものを出してくれているそうなので、今回は頂いてみようかと考えていた。
大窪寺の結願証とは、大きさや貫禄がかなり劣るものの、無事に満願之証(2000円)を受け取ることが出来た。
この日はちょうど51回目の誕生日であり、その日付のものが頂けて良かった。
2022年12月03日
【3巡目-797】 卯辰越④、1番霊山寺へ [2020年8月31日]〈その13〉
後は何もない、クネクネ山道を下って行くことになる。
麓まで降りてくると、四国のみちの立杭があり、次に目指していた大麻比古神社への道しるべがあるが、だだっ広い駐車場のような場所へ入るように指示している。
鉄製の門で閉じられているが、横から入れるようになっている。ここを進めば良いのだろうか。取り敢えず行ってみることにした。
いよいよ、(1)霊山寺はすぐそこであるが、まずは由緒あり気な、この大神社に立ち寄った。
ちなみに、そのまま車道を進めば、道の駅となっている「第九の里」があるようである。
霊山寺の納経時間終了にはまだ時間があることから、最後の一休みをさせてもらった。
2022年11月29日
【3巡目-796】 卯辰越③ [2020年8月31日]〈その12〉
ちょっと進むと、先程見えていた自販機があった。奥に工場のような建物があり、その入口に設置されていた。命の水である。
ここに自販機が無かったら、どうなっていたことだろうか。お茶とコーラのペットボトルを買う。
「卯辰トンネル」だったか、早期着工の大きな看板があった。もしかして、もうトンネルが完成しているのだろうか、と期待してしまったが、そのような様子は無かった。
そんなにキツイ峠なのだろうか、と少々不安になる。
ようやく手に入れた水分を手にしながら上り、卯辰越の頂上らしき場所に辿り着いた。
何か祠と、四国のみちの案内板があった。
峠を越えてからもクネクネ道が続くが、上りよりは視界が開けてよい感じである。
それにしても、静かな峠道かと思っていたら、次々と車が追い越していく道だった。
2022年11月25日
【3巡目-795】 卯辰越② [2020年8月31日]〈その11〉
途中、軽トラ一台が通り過ぎていっただけである。遍路道の痕跡を示すものは見当たらなかった。現代の遍路道なのだろう。
途中から舗装路となり、ちょっと新しいコンクリート部分があったので、一休みする。
水分が後わずかしかない。この状態で卯辰越を進めるだろうか。へんろ地図によると、170m上ることになっている。
直に県道に合流するが、ここに自販機が無いと、大変な事になる、と言うか、山越えは無理だろう。
何か赤い物が見える。あれはコカ・コーラの自販機では無いだろうか。
肉眼でははっきり見えないので、デジカメの望遠を使って写真を撮って確認してみると、確かに自販機だった。助かった。
真夏の歩き遍路で、水分の危機に陥るのはこれで何回目だろうか。
県道41号に合流する。分岐には四国のみちの石柱があり、右折して(1)霊山寺を目指す。
2022年11月21日
【3巡目-794】 卯辰越① [2020年8月31日]〈その10〉
車一台走れるくらいの狭い林の中の車道を下って行く。
ほとんど、車は通らない。一ヶ所だけ、下界の集落が見渡せる場所があったろうか。
道路が広くなると、左斜め方向に向かう道路があったが、分かりにくい。ボケっとしていたら、気付かずにそのまま下りて行ってしまっただろう。
振り返って看板をみると、右方向が折野となっている。多分、こっちへ進めば良いのだろう。
レの字のように曲がると、再び上りになってしまった。が、数分で頂上となる。「花折大明神」という、赤い鳥居の神社がある。
道路右側には、ベタノ谷に沿って、延々と青い網が続いている。
何のためにあるのかなあ、と考えていたが、確かどなたかの遍路紀行で、卯辰越には不法投棄が多い、と目にしたのを覚えている。この対策のためなのかも知れない。
網が無かったら、下方の川に向かって簡単に物を捨てられそうで、実際に崖下を見てみると、あちこちに投棄物があった。
2022年11月17日
【3巡目-793】 大坂峠③、卯辰越へ [2020年8月31日]〈その9〉
麓からは、1時間とちょっとだった。
四国のみちの立杭やへんろ地図によると、県境からの距離は800mで、120m登ることになっている。
ここから右方向へさらに上へあがると、眺めが良い場所があるのだが、酷暑の中そんな元気も無く、一度行ったこともあることから、とそのまま峠を下った。
一旦、車道を横断すると、恐らく、遍路道の中ではナンバーワンの急な擬木の階段がある。
昔の遍路石と現在のものとが両立している。
今回は、卯辰越で(1)霊山寺を目指す。ここからは、初めて歩く道となる。
ただ、気掛かりが。水分がもう底をついている。
卯辰「越」という事で、これから上り道を進んで大丈夫だろうか。そんなに標高のない峠かと思うが、自販機はあるだろうか、と大いに不安になる。
金泉寺方面に向かえば、後は下りで、駅もあったから、自販機くらいはあるだろう。
と言いつつ、結局、卯辰越を目指した。