2025年02月17日
【4巡目-142】 星越峠③ [2023年2月21日-その7]

ススキのような草も生えていたが、真冬という事もあり、枯れているので進むことが出来たが、夏季などはどうなるだろうか。

右方向にトンネルが見えているが、へんろ地図で確認してみると、もっと薬王寺寄りの場所に下りてくる事になっていた。
地図の赤い点線通りに歩きたかったのだが、微妙に道を間違えてしまったのだろうか。

もう18年も前に食事をしたことが、懐かしく思い出される。
歩き遍路で賑わっていた。
2025年02月12日
【4巡目-141】 星越峠② [2023年2月21日-その6]

さて、どっちへ行ったら良いのか、と行きつ戻りつしてしまった。
車道の方には、灯篭がある。
この先に神社があって、その参拝客が車で来るから道があるのでは、と思い、左下方面の、枯れ草に覆われつつある廃道を進んでみることにした。
後で調べてみると、車道の遥か先の山の頂上辺りに「後世神社」があり、左方向に進むのが正解だった。
道しるべは探しても無かったから、注意が必要である。

と、こんな感じで探検しながら歩いていたのですが、後日、「へんろ道保存協力会」のHPに、左記の地図と記事が掲載されていました。
それによると、この灯籠の辺りから一直線に下る、消滅寸前の遍路道があったらしいです。
また、自分の持っている少し前のへんろ地図では、旧国道に赤い線が引いてあるのですが、最新版の地図では、峠から真っすぐ国道に下りる道が掲載されているようです。
星越峠の旧国道を辿る事しか考えていなかったから、まさか古い道があったとは思いませんでした。
https://blog.iyohenro.jp/%e3%80%90%e3%81%b8%e3%82%93%e3%82%8d%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%83%bb%e5%9c%b0%e5%9b%b3%e3%81%ae%e5%a4%89%e6%9b%b4%e6%83%85%e5%a0%b1%e3%80%91%e9%80%9a%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e6%97%a7%e9%81%8d%e8%b7%af/
ただし、「通れない旧遍路道」として紹介されています。
自分の場合は、旧国道らしき道を下って、国道には到達出来ました。
2025年02月07日
【4巡目-140】 星越峠① [2023年2月21日-その5]

落ち葉に覆われてはいるが、意外にも普通車でも走れるような道が続いていた。

その奥から一気に道が狭くなり、峠らしく、車一台分程の幅の切り通しの道が続いていた。

昭和30年代に設置されたような、「徳島45km 福井9km」のレトロな道路標示が残っていた。
石仏もあり、「薬王寺」の文字が刻まれていた。
やっぱり来て良かったなあ、と感動する。
2025年02月02日
【4巡目-139】 22番平等寺から、国道経由、23番薬王寺へ③ [2023年2月21日-その4]

今回は通過する。
数分で、由岐経由の遍路道との分岐となった。

由岐周りは一度歩いており、今回は、星越峠を歩いてみたく、三回目の国道経由での歩きとなる。

今回こそは、と注意深く分岐に気を付けながら進んで行く。
何やら案内板のある分かれ道があり、よく見ると、下にある立杭に遍路シールが二枚貼ってあるのを発見した。
ここが星越峠への入口で間違いなさそうである。
2025年01月29日
【4巡目-138】 22番平等寺から、国道経由、23番薬王寺へ② [2023年2月21日-その3]

ずっと昔からあるなあ。
林の道を過ぎると、右に行ったり左に行ったり、変化があって楽しいが、道しるべを確認しながら進まなければならない。

日付は令和四年十一月、となっている。
こちらもわずか三ヶ月前のものである。
新しいヘンロ小屋が出来た時と一緒に設置されたものなのだろう。
ここから竹やぶ脇の歩きの道を上がると、国道に出ることになる。

トンネルが古くからの遍路道、という事は無いから、昔からの道を探索してもよかったかなあ、と後になって少し後悔した。
きっと、どこかに遍路道の痕跡は残っていただろう。
タグ :歩き遍路
2025年01月24日
【4巡目-137】 22番平等寺から、国道経由、23番薬王寺へ① [2023年2月21日-その2]

もう字が消えかかって無くなりそうなので、写真を撮っておく。
ここからの遍路道はちょっと退屈な道のりだったなあ、という印象があったが、今回はそういう感じがしなかった。
所々に石仏があったりする。

のどかな田園地帯を進むと、新しいヘンロ小屋が出来ていた。
「ヘンロ小屋第58号月夜」という事で、調べてみると、令和4年11月完成、となっていた。ほんの三ヶ月前である。
「山茶花」から40分程の距離の場所である。
「月夜」、というバス停が目の前にあるのが良いですね。

地元の神社位の小さな場所である。ここを通り抜けるように、遍路道が続いている。
車道に出てしばらく進むと、何やら石仏のある落ち葉に覆われた道があった。
ここが昔からの遍路道なのだろうか、とも思ったが、東海図版の四国遍路地図を調べても違うようで、よく分からなかった。
タグ :歩き遍路ヘンロ小屋第58号月夜
2025年01月19日
【4巡目-136】 山茶花⑥、22番平等寺 [2023年2月21日-その1]

女性二人組とおじさんは、今日は(23)薬王寺まで歩いて、それぞれ最近出来たと思われるゲストハウスのような所に泊まるそうである。
「B&B~」だったか、色々な新しい宿が出来ているようで、ついていけなくなってしまった。

「つっかけ」で納経に出向けるとは、貴重な経験である。
宿内に置いてあった、お接待のお菓子などを少々頂いて、午前7時半近くに「山茶花」を出発した。

2025年01月14日
【4巡目-135】 山茶花⑤ [2023年2月20日-その23]

他にも変わったルートを選んでいるに違いなく、もっと話を聞きたかった。
夕食は結局、先程、道の駅で「ナカシカバーガー」のセットを食べたばかりにも関わらず、ご飯をお替りして3杯も食べてしまった。相変わらずである。
食事は文句なしなのだが、トイレだけがちょっとだった。男女共用なので、用を足している姿を女性に見られてしまう可能性がある。
今回は、たまたま男性の方との遭遇だったので助かったが。

宿の奥の方にあるのだろうか、どこが個室なのか分からなかった。
山茶花:一泊二食 7500円が徳島割で6000円 〈大広間〉
※洗濯機2台・乾燥機2台、おそらく無料。自販機、外にあり。朝食は6時から。
宿泊客:歩き遍路4名
2025年01月09日
【4巡目-134】 山茶花④ [2023年2月20日-その22]

恐らく、70代半ば以上だろう、これが最後の遍路、という事で、かなりマニアックな道を歩く予定をしていた。
本日は、(20)鶴林寺で見掛けたが、その後、「かも道」を歩いて宿にやって来たという。
それにしては早い到着だなあ、と思ったら、(21)太龍寺からはロープウェイ、山口集落までバスを使い、大根峠はパスして宿入り、との事だった。なかなか面白いコース取りである。

通行止なのでは、と尋ねると、Googleマップで歩けると確認済み、との事である。
そして、何と篠山神社にも参拝し、反対側へ降りて「みまきガーデン」を既に予約済み、という話であった。
昨冬に泊まらせてもらった、懐かしの宿である。
1000人に一人位しか選ばないようなルートだろう。
もっとたくさん話をしたかったのだが、時間が無くなってしまった。残念である。
無事に結願されただろうか。
2025年01月04日
【4巡目-133】 山茶花③ [2023年2月20日-その21]
本年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します。
夕食は期待通り、毎日でも食べたい総菜など、たっぷりと提供してくれた。
本日の宿泊客は4名。
道中、何度か顔を合わせた女性二人組、そして鶴林寺で見掛けた70代半ば位の男性だった。
お三方とも、周りのお遍路さんに関心があるようで、あの人は何とか、などと、他の歩き遍路の話題が上がっていた。自分も同じタイプなので、なかなか楽しい夕食となった。
もう何日か同泊出来たらきっと、思い出に残る遍路旅になったことだろう。
昨日、今日と見掛けた、道の駅かつうらに泊まっていた大きなリュックの男性。
年中周っている方かと思ったら、初めての歩き遍路で、断念して帰りたかった所をお寺の住職に説得されてもう少し続けている、という話だった。
女性二人は、奈良県と愛媛県と、別々の所にお住まいで、宿は一緒にしているが、歩きはそれぞれのペースで、だそうである。
道理で、鶴林寺への道で、奈良の方だけが後ろを付いてきていた訳である。
三人とも通し打ちで、女性の方は6年ぶり二回目の遍路、との事だった。

本日の宿泊客は4名。
道中、何度か顔を合わせた女性二人組、そして鶴林寺で見掛けた70代半ば位の男性だった。
お三方とも、周りのお遍路さんに関心があるようで、あの人は何とか、などと、他の歩き遍路の話題が上がっていた。自分も同じタイプなので、なかなか楽しい夕食となった。
もう何日か同泊出来たらきっと、思い出に残る遍路旅になったことだろう。

年中周っている方かと思ったら、初めての歩き遍路で、断念して帰りたかった所をお寺の住職に説得されてもう少し続けている、という話だった。
女性二人は、奈良県と愛媛県と、別々の所にお住まいで、宿は一緒にしているが、歩きはそれぞれのペースで、だそうである。
道理で、鶴林寺への道で、奈良の方だけが後ろを付いてきていた訳である。
三人とも通し打ちで、女性の方は6年ぶり二回目の遍路、との事だった。
2024年12月30日
【4巡目-132】 山茶花② [2023年2月20日-その20]

ここが噂の大広間のようだ。10人以上は楽に泊まれるだろう。
歩き遍路10人位で泊まったら、情報交換も出来て、賑やかで楽しそうである。
ただ、大昔に「龍山荘」や「金子や」で大部屋相部屋があったが、早く寝てしまうお遍路さんがいるので、消灯も早く、窮屈な思いをしたことがある。

以前と変わらず、気持ちの良い石風呂だった。
お風呂の後は、お楽しみの夕食である。
家庭料理満載の食事が提供されることだろう。
本日のコースタイム
みかんの宿7:24→8:31(20)鶴林寺9:01→11:38(21)太龍寺12:35→12:48舎心ヶ嶽13:13→15:04道の駅わじき15:51→17:11(22)平等寺→17:24山茶花
歩行距離:21.2km
歩数 :38788歩
最高気温:12.5℃
最低気温:4.6℃[徳島市]
2024年12月25日
【4巡目-131】 山茶花① [2023年2月20日-その19]

宿の外観の写真を撮っていたら、左隣の建物からおじさんが出てきて話し掛けてくれる。
高い所にある本堂から山を眺めると~何とか、と忘れてしまった。明日確認してみますね、と応えた。
山茶花に置いてあった名刺によると、「歩歩小屋」となっており、マッサージや針灸、観光案内をしているそうである。
山茶花さんとはどういう関係なのだろう、旦那さんなのか?と謎だった。

2011年にも一度泊まっているから、12年振り、という事になる。
その時の記憶とは、随分と雰囲気が変わったなあ、という印象だった。
女性二人組を見掛けなかったか、と聞かれたので、太龍寺で出会ったので、おいおい来られるだろう、とお応えした。
2024年12月20日
【4巡目-130】 22番平等寺 [2023年2月20日-その18]

17時の納経に間に合えば、と考えていたが、無理そうである。
(21)太龍寺で到着が早いと褒められたのだが、「舎心ヶ嶽」や「道の駅わじき」でゆっくりし過ぎた。
のどかな田園風景の中、歩みを進める。
午後5時になると、辺り一帯に音楽が鳴り始めた。

前回訪れた時には、時間を過ぎると柵がされて入れないようになっていた。
今回は柵が無かった。お参りだけさせてもらうことにした。

探してみると、石段の上り口にありました。
簡易的な蓋がしてあり、今も湧き続けている、という事である。ちょっと覗いてみるが、薄暗くてよく分からなかったが水はあったように思う。
2024年12月15日
【4巡目-129】 「道の駅わじき」から、大根峠へ [2023年2月20日-その17]

なぜか駄菓子コーナーもあって、これをいくつか購入し、お会計は1975円、と見事2000円内に収まった。
ハンバーガーに鹿の角があるのが可愛いかった。
50分程ゆっくりと休憩して、出発する。

ヘンロ小屋の前を通らずに、遍路道に合流する形となった。
集落外れの農道のような道を進み、大根峠へと向かう。
大した峠では無い印象だったが、今回は意外ときつく感じた。

他に、標石など見当たらないのが不思議である。
本来の道は別にあったりするのだろうか。
2024年12月10日
【4巡目-128】 「道の駅わじき」へ [2023年2月20日-その16]

18年前、トイレをお借りしようとしたら、トイレは無い(本当か?)と言われてしまったガソリンスタンドは、更地になっていた。
さて、ここからは、「道の駅わじき」へと寄り道しなければならない、と言うのも変だが、「みかんの宿」で頂いた、徳島割クーポンがある。

遍路道を外れて、思ったよりもすぐに道の駅が見えてきた。
規模は小さく、平日ということもあり、他に人の姿は無かった。
「道の駅わじき」と言えば、三巡目の時にここに車を止めさせてもらい、(23)薬王寺まで歩き、バスを乗り継いで戻って来た、という思い出のある道の駅でもある。

那賀町なので、ナカシカバーガーなのだろう。
もう午後3時を過ぎているし、本日の宿「山茶花」では、美味しい家庭料理を品数たっぷり提供してくれるはずである。
今食べなくても、ではある。
ただ、土産物は荷物になるし、という事で、ナカシカバーガーのセットをお願いした。
2024年12月05日
【4巡目-127】 平等寺道 [2023年2月20日-その15]

こちらも、国指定史跡となっているから、古くからの道なのだろう。
ただおかしいことに、あれだけあった遍路石が、ぱったりと見られなくなってしまった。なぜだろうか。

舎心ヶ嶽を出立してから、なだらかに下る、歩き易い道が続いていた。
このまま麓まで行ければ良いなあ、などと思っていたが、やはりそんなに甘くはなかった。

何とか下りきると、へんろ小屋もある阿瀬比集落となった。
廃屋もあったりするが、風情のある小道を進む。
2024年11月30日
【4巡目-126】 いわや道 [2023年2月20日-その14]

左下方へと下って行く。
十数年前には、いわや道を少し入った所に、この先通行止の看板があった。
そこが歩けるようになったのか、と少々感慨深かった。

それらを読みながら進んで行く。
それにしても、ゆるやかな下りの、とても歩き易い道が続く。
このまま下界まで到達出来たら良いのになあ、などと思っていたが、最後に、急勾配の下りがある。

分岐があり、案内板によると、「ここから先のいわや道は通行不能」となっており、平等寺道という、別ルートを歩くことになる。
2024年11月25日
【4巡目-125】 舎心ヶ嶽から、「いわや道」へ [2023年2月20日-その13]

写真の中程に、小さくロープウェイが走っている。
遠すぎてはっきり分からないのだが、お客さんが乗っていないのだろうか、反応は見られなかった。残念である。
山から煙が上がっており、火事か、あんな場所に建物があったか、と思ったら、何と「花粉」が飛散していたようである。
テレビで画像は見たことがあるような気はするが、まさか生で見ることになるとは思わなかった。
先程から、花粉症の症状が出始めた所である。

「いわや道」への入口には、真新しい注意書きの看板があり、「夏季4時、冬期3時以降の立ち入りは、日没時間となりますので、ご注意下さい」とある。
まだ午後1時半前なので大丈夫である。
以前、ふだらく峠越えでお遍路さんの遭難があり、この道を勧めない動きがあったみたいなので、そういったこともあっての注意喚起なのだろうか。
2024年11月20日
【4巡目-124】 舎心ヶ嶽② [2023年2月20日-その12]

瀬戸内海になるのか太平洋になるのか、海まで見渡す事が出来た。
ただ、物凄い強風で、お大師さんの後ろまでは行けるのだが、高い所がちょっと怖いのもあって前側に回るのは勇気がいった。

コンコンしてみると、銅像の中は空洞のようだった。
お大師さんの後ろ側には、人ひとり、ちょっと一休み出来そうなスペースがある。

こんなに素晴らしい場所を独り占めし、おむすびをほおばるとは、何と贅沢な時間なのだろう、と感慨深かった。
2024年11月17日
金沢マラソン 2024 [2024年10月27日]

10月27日(日)に行われた、
「金沢マラソン2024」に参加してきました。
あまり出場する気もなく、とりあえず申し込んだら、本年も見事当選

10年目の記念大会でもあり、走らせてもらうことにしました。
金沢マラソンにはテーマソングなるものがあり、なかなか元気が出る曲です。何度も聞いて、気持ちを盛り上げていきました

コース紹介動画でずっと流れていますので、貼り付けておきます。


紹介された時には、大盛り上がりでした。
スタート地点で手を振ってくれていたので、写真を撮るランナーで渋滞が発生してました


「5時間47分51秒」となりました。
少々暑かったこともあるのですが、恐らく老化による体力の低下が原因と思われます

このままでは不甲斐ないので、次に大会に出る時には、ランニングマシンで走ったり、ちょっと練習してみようか、と計画しています

タグ :金沢マラソン金沢マラソン2024