2012年07月29日
【145】歩き遍路18日目〈その11〉[2012年4月7日]
国道沿いに看板が出ているので、「民宿あわ」の場所はすぐに分かった。ここに宿泊するのは7年ぶりである。外観は以前と変わっていない。
宿に入ると、ちょうど奥さんが法事から帰って来られたようである。忙しい時に泊めて頂いて申し訳ない。それに今日の宿泊は、自分一人ということである。
前回泊まった時(2005年5月19日)には、同宿した方たちとの会話が弾み、今までで一番楽しかった、宿での想い出となっている。皆さん、元気に過ごされているだろうか。
今日は、巡航船に乗ったこともあり、20㎞しか歩いていない。その割には到着時間が遅い。休憩のしすぎだろう。明日からは、いつもの30㎞ペースで歩くことになる。
民宿あわ:一泊朝食 5000円
※洗濯・乾燥代は無料か?。浴衣・お茶無し。エアコン1時間100円。朝食は6時から。
宿泊客:1人
本日のコースタイム
国民宿舎土佐7:17→7:32(36)青龍寺7:53→9:09埋立巡航船乗場10:05→→11:00横浪→14:38道の駅かわうその里すさき15:18→16:48安和→安和森の駅17:23→17:35民宿あわ
歩行距離:19.8km(+巡航船利用10.0㎞)
歩数 :35037歩
最高気温:14.3℃
最低気温: 5.2℃[須崎市]
宿に入ると、ちょうど奥さんが法事から帰って来られたようである。忙しい時に泊めて頂いて申し訳ない。それに今日の宿泊は、自分一人ということである。
前回泊まった時(2005年5月19日)には、同宿した方たちとの会話が弾み、今までで一番楽しかった、宿での想い出となっている。皆さん、元気に過ごされているだろうか。
今日は、巡航船に乗ったこともあり、20㎞しか歩いていない。その割には到着時間が遅い。休憩のしすぎだろう。明日からは、いつもの30㎞ペースで歩くことになる。
民宿あわ:一泊朝食 5000円
※洗濯・乾燥代は無料か?。浴衣・お茶無し。エアコン1時間100円。朝食は6時から。
宿泊客:1人
本日のコースタイム
国民宿舎土佐7:17→7:32(36)青龍寺7:53→9:09埋立巡航船乗場10:05→→11:00横浪→14:38道の駅かわうその里すさき15:18→16:48安和→安和森の駅17:23→17:35民宿あわ
歩行距離:19.8km(+巡航船利用10.0㎞)
歩数 :35037歩
最高気温:14.3℃
最低気温: 5.2℃[須崎市]
2012年07月26日
【144】歩き遍路18日目〈その10〉[2012年4月7日]
しばらく国道を歩くと、ローソン、そして「森の駅」というのがあった。
入口にラーメン屋、奥の建物に入ってみると、特産物の販売、喫茶店もあった。朝6時からモーニングサービスとなっているが、今の時間は営業していなかった。
焼坂峠を通らずに国道を進む場合には、いい休憩所かも知れない。
トイレをお借りし、外のベンチで休んでいると、この駅に商品を卸しているらしき方がやって来て、お接待です、と赤飯をくれた。売れ残った商品のようだったが、ありがたく頂いた。今回の旅、初のお接待である。
夕食は、風呂に入ってからの方がいいのだが、コンビニ弁当では味気無いし、一度宿に入ってから出掛けるのは億劫だし、ということで、入口にあったラーメン屋(遊ゆう安和)で夕食とした。
時間が午後5時過ぎと早かったので、他にお客さんは無く、くつ下を脱いでゆっくりとくつろぐ。みそバターコーンラーメン(750円)とライス小(80円)を頼んだ。
後で気付いたのだが、須崎は「鍋焼きラーメン」が名物となっており、この店でもメニューにあったようである。こちらを頼めば良かったのだが、土地の名物などには今一つ関心が向いていないので、見過ごしてしまった。
こだわりのラーメンを美味しく頂き、来た道を戻る。ローソンで買い出しをし、本日の宿「民宿あわ」に向かった。
入口にラーメン屋、奥の建物に入ってみると、特産物の販売、喫茶店もあった。朝6時からモーニングサービスとなっているが、今の時間は営業していなかった。
焼坂峠を通らずに国道を進む場合には、いい休憩所かも知れない。
トイレをお借りし、外のベンチで休んでいると、この駅に商品を卸しているらしき方がやって来て、お接待です、と赤飯をくれた。売れ残った商品のようだったが、ありがたく頂いた。今回の旅、初のお接待である。
夕食は、風呂に入ってからの方がいいのだが、コンビニ弁当では味気無いし、一度宿に入ってから出掛けるのは億劫だし、ということで、入口にあったラーメン屋(遊ゆう安和)で夕食とした。
時間が午後5時過ぎと早かったので、他にお客さんは無く、くつ下を脱いでゆっくりとくつろぐ。みそバターコーンラーメン(750円)とライス小(80円)を頼んだ。
後で気付いたのだが、須崎は「鍋焼きラーメン」が名物となっており、この店でもメニューにあったようである。こちらを頼めば良かったのだが、土地の名物などには今一つ関心が向いていないので、見過ごしてしまった。
こだわりのラーメンを美味しく頂き、来た道を戻る。ローソンで買い出しをし、本日の宿「民宿あわ」に向かった。
2012年07月23日
【143】歩き遍路18日目〈その9〉[2012年4月7日]
道の駅を出ると、前方に山が控え、いよいよかー(何が?)という気がしてくる。
交通量の多い国道55号線を歩くが、途中から右に分岐する旧道があり、一周目に続き、こちらを歩くことにした。
この道は、今まで歩いてきた道の中でも、気に入った道の一つに挙げられる。
以前は道しるべがあって、自然とこちらの道に入ったはずだが、今回は標識が見当たらず、それらしき道に入ってみた所、正解だったようである。
少し距離は長くなるが、交通量は皆無で歩きやすい。
しばらくは森の中を歩くが、直に高い場所から海を眺められる気持ちの良い道となる。
山の斜面に向かってあちこちにレールがある。最初見た時には、これは一体何なんだろうと思ったが、果物を運ぶレールのようである。時折、眼下の国道も見え隠れしている。眺めの良い場所で、休憩とした。
一旦、国道に合流し、再び旧道が分岐するが、疲れてきたので、ここはトンネルをくぐって安和の町にやって来た。
今日は「民宿あわ」に宿泊するが、法事のため夕食を用意出来ないということで、買い出しをしなければならない。食事をする場所も近くにあると言っていたので、宿のある辺りを通り過ぎて、国道を進んだ。
交通量の多い国道55号線を歩くが、途中から右に分岐する旧道があり、一周目に続き、こちらを歩くことにした。
この道は、今まで歩いてきた道の中でも、気に入った道の一つに挙げられる。
以前は道しるべがあって、自然とこちらの道に入ったはずだが、今回は標識が見当たらず、それらしき道に入ってみた所、正解だったようである。
少し距離は長くなるが、交通量は皆無で歩きやすい。
しばらくは森の中を歩くが、直に高い場所から海を眺められる気持ちの良い道となる。
山の斜面に向かってあちこちにレールがある。最初見た時には、これは一体何なんだろうと思ったが、果物を運ぶレールのようである。時折、眼下の国道も見え隠れしている。眺めの良い場所で、休憩とした。
一旦、国道に合流し、再び旧道が分岐するが、疲れてきたので、ここはトンネルをくぐって安和の町にやって来た。
今日は「民宿あわ」に宿泊するが、法事のため夕食を用意出来ないということで、買い出しをしなければならない。食事をする場所も近くにあると言っていたので、宿のある辺りを通り過ぎて、国道を進んだ。
2012年07月21日
【142】歩き遍路18日目〈その8〉[2012年4月7日]
須崎市街を抜け、新国道との合流地点にある、懐かしの「道の駅かわうその里すさき」に到着した。7年前、前後して歩いていた人たちと休憩した、思い出のある道の駅である。
土曜日ということもあり、たくさんの人で賑わっていた。芝桜が丁度見頃できれいに咲いている。
ほどなく、川崎のOさんがやって来た。今日は久礼の「大谷旅館」までということで、まだ一踏ん張り必要である。前を歩いてくれていて安心した、とお礼を言われる。そんな大げさな、と思ったが、どうやらこのOさん、かなり方向音痴のようである(失礼)。
この先何度も出会うことになるのも、道を間違えてしまって‥‥ということで、休憩しながらダラダラと歩いている自分に追いつかれてしまう、というパターンがよくありました。
時間はまだ午後2時半を過ぎた所である。巡航船のおかげで、随分と時間を短縮出来た。今晩の宿は「民宿あわ」なので、ここでゆっくりしていくことにした。
ちなみに、「民宿あわ」には前回宿泊したので、最初「安和の里」に連絡すると、仕事の人で満室、「岬旅館」は廃業したようでした。
道の駅の建物内に入ると、横浪で会った福井の方も到着し、ソフトクリームを食べていた。今日は近くの「民宿ひかり」に泊まるとの事でした。
土曜日ということもあり、たくさんの人で賑わっていた。芝桜が丁度見頃できれいに咲いている。
ほどなく、川崎のOさんがやって来た。今日は久礼の「大谷旅館」までということで、まだ一踏ん張り必要である。前を歩いてくれていて安心した、とお礼を言われる。そんな大げさな、と思ったが、どうやらこのOさん、かなり方向音痴のようである(失礼)。
この先何度も出会うことになるのも、道を間違えてしまって‥‥ということで、休憩しながらダラダラと歩いている自分に追いつかれてしまう、というパターンがよくありました。
時間はまだ午後2時半を過ぎた所である。巡航船のおかげで、随分と時間を短縮出来た。今晩の宿は「民宿あわ」なので、ここでゆっくりしていくことにした。
ちなみに、「民宿あわ」には前回宿泊したので、最初「安和の里」に連絡すると、仕事の人で満室、「岬旅館」は廃業したようでした。
道の駅の建物内に入ると、横浪で会った福井の方も到着し、ソフトクリームを食べていた。今日は近くの「民宿ひかり」に泊まるとの事でした。
2012年07月17日
【141】歩き遍路18日目〈その7〉[2012年4月7日]
住友大阪セメントを過ぎ、須崎市街に入ってきた。
前回は、遍路シール通りに歩いていると、大間の駅辺りに誘導されたので、今回はへんろ地図の赤い線に沿って歩こうとしたのだが、気が付くと、前と同じく大間駅に向かっていた。
駅の手前に、自販機と座れそうなコンクリートブロックがあったので、少し会社の敷地にかかってはいたが、休憩させてもらうことにした。
休んでいると、60代くらいのお遍路さんがやって来て、道は合っているのか尋ねてきた。へんろ地図の赤い線とは違うからだろう。この方が、この先愛媛県の旧津島町まで何度も出会うことになる、神奈川県川崎市のOさんである。
須崎市内に入る。高速道路が開通したためか、少しへんろ地図とは道路が変わってきているようだ。道路反対側の前方を歩いていた川崎のOさんが立ち止って、地図を確認している。この辺りは一度歩いて記憶にあるので、旧道に沿って歩き続ける。Oさんも後方を付いてきている。
別格の大善寺は前回立ち寄ったので、今回はパスして前方に見えているトンネルをくぐることにした。このトンネルは歩道が無いのかなあ、と思ったら、オッ!、歩行者用トンネルがあるではないですか。
どこかのブログでこのトンネルを見たことがあったのですが、こんなトンネルあったかな?と思っていたのは、ここの事だったようです。前回は大善寺に寄ったので分かりませんでした。
前回は、遍路シール通りに歩いていると、大間の駅辺りに誘導されたので、今回はへんろ地図の赤い線に沿って歩こうとしたのだが、気が付くと、前と同じく大間駅に向かっていた。
駅の手前に、自販機と座れそうなコンクリートブロックがあったので、少し会社の敷地にかかってはいたが、休憩させてもらうことにした。
休んでいると、60代くらいのお遍路さんがやって来て、道は合っているのか尋ねてきた。へんろ地図の赤い線とは違うからだろう。この方が、この先愛媛県の旧津島町まで何度も出会うことになる、神奈川県川崎市のOさんである。
須崎市内に入る。高速道路が開通したためか、少しへんろ地図とは道路が変わってきているようだ。道路反対側の前方を歩いていた川崎のOさんが立ち止って、地図を確認している。この辺りは一度歩いて記憶にあるので、旧道に沿って歩き続ける。Oさんも後方を付いてきている。
別格の大善寺は前回立ち寄ったので、今回はパスして前方に見えているトンネルをくぐることにした。このトンネルは歩道が無いのかなあ、と思ったら、オッ!、歩行者用トンネルがあるではないですか。
どこかのブログでこのトンネルを見たことがあったのですが、こんなトンネルあったかな?と思っていたのは、ここの事だったようです。前回は大善寺に寄ったので分かりませんでした。
2012年07月15日
【140】歩き遍路18日目〈その6〉[2012年4月7日]
道端の道路が広くなった場所で、横浪で買ったおにぎり、たこ焼きを食べることにした。少々時間的には早いが、お遍路中は腹が減って仕方がない。
一周目の時は、仏坂の方の道を歩いたので、こちらのルートは初めてである。見ず知らずの道というのは、新鮮でもある。
少し高度を上げると間もなく、鳥坂トンネルに差し掛かった。歩道が無く、怖いトンネルである。
「ヘンロ小屋第17号須崎」が見えてきたので、ここで休憩することにした。ザックが一つ置いてある。巡航船で一緒だった、安和で区切る女性の方だ。トイレを借りていたようで、入れ違いに出発していった。
ここに隣接している住宅の方が、トイレ(簡易式)を提供してくれている感じである。水場もあった。
温度計がかかっており、15.5℃となっていた。少々肌寒い。
須崎市街に向かって歩いていると、大きな工場が見えてきた。住友大阪セメントである。大きな工場を見るのが好きなので、パチパチと写真を撮る。
一周目の時、ここの工場前の橋の上で地図の確認をしていると、守衛さんが出てきて、大きな声で道案内をしてくれたことが懐かしい。
しばらくは工場脇の道となるので、中を観察しながら歩を進める。従業員の方がチラリと見える。こんな大企業で働けたらなーと羨ましく思う。きっと人生安泰に違いない、などと今更僻んでもしょうがないのだが。
一周目の時は、仏坂の方の道を歩いたので、こちらのルートは初めてである。見ず知らずの道というのは、新鮮でもある。
少し高度を上げると間もなく、鳥坂トンネルに差し掛かった。歩道が無く、怖いトンネルである。
「ヘンロ小屋第17号須崎」が見えてきたので、ここで休憩することにした。ザックが一つ置いてある。巡航船で一緒だった、安和で区切る女性の方だ。トイレを借りていたようで、入れ違いに出発していった。
ここに隣接している住宅の方が、トイレ(簡易式)を提供してくれている感じである。水場もあった。
温度計がかかっており、15.5℃となっていた。少々肌寒い。
須崎市街に向かって歩いていると、大きな工場が見えてきた。住友大阪セメントである。大きな工場を見るのが好きなので、パチパチと写真を撮る。
一周目の時、ここの工場前の橋の上で地図の確認をしていると、守衛さんが出てきて、大きな声で道案内をしてくれたことが懐かしい。
しばらくは工場脇の道となるので、中を観察しながら歩を進める。従業員の方がチラリと見える。こんな大企業で働けたらなーと羨ましく思う。きっと人生安泰に違いない、などと今更僻んでもしょうがないのだが。
タグ :歩き遍路ヘンロ小屋第17号須崎
2012年07月13日
【139】歩き遍路18日目〈その5〉[2012年4月7日]
この先、食事が出来そうな場所が無いとの事で、横浪のスーパーに立ち寄った。個人商店のような感じだったが、弁当や惣菜など結構揃っていたので、昼食を買った。また、トイレもお借りできたので、船に一緒に乗ったお遍路さんと交代で使わせてもらった。
店を出ると、一人のお遍路さんが「全然休む場所無いですねー」と言いながらやって来た。船に乗ってきたもので‥と申し訳なさそうに言葉を返す。
この方とは、明後日まで何度か顔を合わせることになるが、最後にお話した時に、福井県の鯖江市から来られたことが分かった。お隣さんである。
しばらくは浦ノ内さんと歩く。巡航船に一緒に乗った年配の方の女性が、どこかに電話している。タクシーなども使いながら周っているそうなので、呼んでいるのかも知れない。
浦ノ内さんは「道の駅かわうその里すさき」まで歩き、土佐新荘駅から安芸の方に止めてある車を取りに行くそうである。明日はかわうその里から歩き始めるから、自分より少し後れることになる。
一日40㎞歩かれる方だから、少しずつ距離が開き始めた。海岸べりで昼食にすることにしたので、浦ノ内さんとはお別れとなった。
歩くペースも早いので、2~3日後にまた会えるだろう、と思っていたのだが、残念ながら再会とはならなかった。出会ったお遍路さんにお接待を配りながら歩いていることだろう。
店を出ると、一人のお遍路さんが「全然休む場所無いですねー」と言いながらやって来た。船に乗ってきたもので‥と申し訳なさそうに言葉を返す。
この方とは、明後日まで何度か顔を合わせることになるが、最後にお話した時に、福井県の鯖江市から来られたことが分かった。お隣さんである。
しばらくは浦ノ内さんと歩く。巡航船に一緒に乗った年配の方の女性が、どこかに電話している。タクシーなども使いながら周っているそうなので、呼んでいるのかも知れない。
浦ノ内さんは「道の駅かわうその里すさき」まで歩き、土佐新荘駅から安芸の方に止めてある車を取りに行くそうである。明日はかわうその里から歩き始めるから、自分より少し後れることになる。
一日40㎞歩かれる方だから、少しずつ距離が開き始めた。海岸べりで昼食にすることにしたので、浦ノ内さんとはお別れとなった。
歩くペースも早いので、2~3日後にまた会えるだろう、と思っていたのだが、残念ながら再会とはならなかった。出会ったお遍路さんにお接待を配りながら歩いていることだろう。
2012年07月10日
【138】歩き遍路18日目〈その4〉[2012年4月7日]
横浪を出発した巡航船は、ぐるっと大回りして、再び横浪の方に戻ってきたような感じがした。
これはどうやら、対岸の集落に向かったが、乗る人がいないのでそのまま通過してしまったようである。
この巡航船は、いくつかの集落を巡りながら運行しているはずだが、一向に止まる気配はないので、お客さんがいないと分かれば通過するスタイルのようである。
船内はお遍路さん4人だけなので、自分も浦ノ内さんも椅子の上に正座するような形で、海を眺めながら、思い思いに過ごさせてもらった。
浦ノ内湾には、水上の家がいくつも浮かんでいた。そこを拠点に養殖などをしているのだろうか。
1時間ほどの航海で、横浪に到着した。約10㎞の歩行距離短縮となった。歩いていたら3時間は掛かっただろう。昔のお遍路さんも、船で浦ノ内湾を進んだとの話も聞いているので、良しとしよう。
木造の船着き場に到着した。運転手さんにお礼をし、木のタラップを上って、陸地に上陸である。何とものどかで素朴である。
周囲を見渡したが、巡航船乗り場の案内らしき物は見当たらない。鉄筋の新しい小屋があったので近付いてみると、窓に巡航船の料金表が貼ってあった。看板は出ていないが、ここが待合室のようだ。
いつまでもこの不完全さを残しておいて欲しいなあ、と切に思う。おそらく昔は、日本中でこういった光景が見られたのではないだろうか。乗り場が分からないなどと、苦情を言う人が出てきませんように。
これはどうやら、対岸の集落に向かったが、乗る人がいないのでそのまま通過してしまったようである。
この巡航船は、いくつかの集落を巡りながら運行しているはずだが、一向に止まる気配はないので、お客さんがいないと分かれば通過するスタイルのようである。
船内はお遍路さん4人だけなので、自分も浦ノ内さんも椅子の上に正座するような形で、海を眺めながら、思い思いに過ごさせてもらった。
浦ノ内湾には、水上の家がいくつも浮かんでいた。そこを拠点に養殖などをしているのだろうか。
1時間ほどの航海で、横浪に到着した。約10㎞の歩行距離短縮となった。歩いていたら3時間は掛かっただろう。昔のお遍路さんも、船で浦ノ内湾を進んだとの話も聞いているので、良しとしよう。
木造の船着き場に到着した。運転手さんにお礼をし、木のタラップを上って、陸地に上陸である。何とものどかで素朴である。
周囲を見渡したが、巡航船乗り場の案内らしき物は見当たらない。鉄筋の新しい小屋があったので近付いてみると、窓に巡航船の料金表が貼ってあった。看板は出ていないが、ここが待合室のようだ。
いつまでもこの不完全さを残しておいて欲しいなあ、と切に思う。おそらく昔は、日本中でこういった光景が見られたのではないだろうか。乗り場が分からないなどと、苦情を言う人が出てきませんように。
2012年07月07日
2012梅雨 歩き遍路 トピックス(4)
10日目[6月26日]は、高松市内を歩きました。
(83)一宮寺の前後は、何度も道を曲がりながら歩きます。こんなかわいらしい踏切も遍路道となっていました。
(84)屋島寺への登りは、結構きついです。讃岐は、小高い山の上に札所があったりして、意外と大変かも知れません。
この日は、「栄荘」に宿泊しました。
11日目[6月27日]は、いよいよ結願となりました。女体山を越え、(88)大窪寺に到着、熱い涙が溢れることを期待していたのですが、特に何も起こりませんでした。
門前にあるウォーカーズのロケ地のお蕎麦屋さんに今回こそ行こう!と思っていましたので、念願がかないました。一周目の時には、到着が夕方5時を過ぎていたので閉店していたのです。
この日は、「白鳥温泉」に宿泊しました。
最終日[6月28日]は、四国総奥之院と称されている「與田寺」を参って、今回の遍路旅を終えることにしました。
しかし、へんろ地図に「三本松港が関西の窓口として‥‥」と書かれているのをみて、どうしても一度歩いてみないと、ということで行ってみたのですが‥看板も何もなく、どこが三本松港なのか分かりません。
おそらく写真の場所がそうではないでしょうか。遍路を感じさせるものは、気付いた限りでは、何もありませんでした。
次回からは、4月に歩いた話の続きに戻ります。浦ノ内湾の巡航船に乗った辺りの話となります。
(83)一宮寺の前後は、何度も道を曲がりながら歩きます。こんなかわいらしい踏切も遍路道となっていました。
(84)屋島寺への登りは、結構きついです。讃岐は、小高い山の上に札所があったりして、意外と大変かも知れません。
この日は、「栄荘」に宿泊しました。
11日目[6月27日]は、いよいよ結願となりました。女体山を越え、(88)大窪寺に到着、熱い涙が溢れることを期待していたのですが、特に何も起こりませんでした。
門前にあるウォーカーズのロケ地のお蕎麦屋さんに今回こそ行こう!と思っていましたので、念願がかないました。一周目の時には、到着が夕方5時を過ぎていたので閉店していたのです。
この日は、「白鳥温泉」に宿泊しました。
最終日[6月28日]は、四国総奥之院と称されている「與田寺」を参って、今回の遍路旅を終えることにしました。
しかし、へんろ地図に「三本松港が関西の窓口として‥‥」と書かれているのをみて、どうしても一度歩いてみないと、ということで行ってみたのですが‥看板も何もなく、どこが三本松港なのか分かりません。
おそらく写真の場所がそうではないでしょうか。遍路を感じさせるものは、気付いた限りでは、何もありませんでした。
次回からは、4月に歩いた話の続きに戻ります。浦ノ内湾の巡航船に乗った辺りの話となります。
タグ :歩き遍路
2012年07月05日
2012梅雨 歩き遍路 トピックス(3)
6日目[6月22日]は、(68・69)観音寺・神恵院を打ってから、琴弾公園の銭形の砂絵「寛永通宝」を眺めました。
ウォーカーズロケ地めぐりの一環です。
この日は、(71)弥谷寺から[18]海岸寺へ抜ける遍路道を通りましたが、昨日からの雨で、道が川となっていました。あきらめて、ジャブジャブと川歩きをしました。
この日は、「門先屋旅館」に宿泊しました。
7日目[6月23日]は、捨身ヶ嶽禅定を目指しました。
なかなかきつい坂道でしたが、頑張って歩き、お大師様が飛び降りたと言われている場所まで行って来ました。
その後は、山の反対側を降りて、[17]神野寺・満濃池へ。金毘羅さんの前を通ったのですが、時間の関係で素通りとなってしまいました。
この日は、「善通寺宿坊」に宿泊しました。
8日目[6月24日]は、(80)国分寺まで歩きました。
途中、ダラダラとしていたせいか、到着したのは夜の7時を過ぎてしまいました。参拝だけでもと思ったのですが、山門は柵でシャットアウトされていました。
写真にある、昼食に入った店のラーメンは230円、四国はうどんが安いですが、ラーメンも安いですね。
ウォーカーズロケ地めぐりの一環です。
この日は、(71)弥谷寺から[18]海岸寺へ抜ける遍路道を通りましたが、昨日からの雨で、道が川となっていました。あきらめて、ジャブジャブと川歩きをしました。
この日は、「門先屋旅館」に宿泊しました。
7日目[6月23日]は、捨身ヶ嶽禅定を目指しました。
なかなかきつい坂道でしたが、頑張って歩き、お大師様が飛び降りたと言われている場所まで行って来ました。
その後は、山の反対側を降りて、[17]神野寺・満濃池へ。金毘羅さんの前を通ったのですが、時間の関係で素通りとなってしまいました。
この日は、「善通寺宿坊」に宿泊しました。
8日目[6月24日]は、(80)国分寺まで歩きました。
途中、ダラダラとしていたせいか、到着したのは夜の7時を過ぎてしまいました。参拝だけでもと思ったのですが、山門は柵でシャットアウトされていました。
写真にある、昼食に入った店のラーメンは230円、四国はうどんが安いですが、ラーメンも安いですね。
タグ :歩き遍路
2012年07月03日
2012梅雨 歩き遍路 トピックス(2)
3日目[6月19日]は、台風が来ているとの事で、朝から雨となりました。(65)三角寺から別格[13]仙龍寺を目指しました。
山越えのへんろ道を通りましたが、雰囲気のあるとても良い道でした。この雨の中、歩いている人などいるはずもなく、随所にある丁石に励まされながらの歩きでした。
この道では、草刈りお接待用のハサミが用意されていましたので、少し協力してきました。
仙龍寺の建物は素晴らしかったです。
その後、雨は本降りとなり、全身びしょ濡れ状態で、今日の宿「民宿岡田」に到着しました。名物のおやじさんに「見たことある顔やなあ、前に泊まったことある?」と言われ、驚きました。3年前のGWに泊まった一お客を覚えていてくれたのでしょうか?
4日目[6月20日]は、「民宿岡田」に連泊して、[14]箸蔵寺へと往復してきました。
山門からは立派な参道、石段が続いて、なかなか凄かったです。仙龍寺といい、箸蔵寺といい、88ヶ所のお寺とは違う独特の建築様式です。階段だらけで疲れますが、ぜひお薦めしたいです。
池田にあった、スリルのある吊り橋も渡って来ました。
5日目[6月21日]も雨となりました。
(66)雲辺寺から[16]萩原寺へ向かっていると、一層激しい雨となり、道は川のようになってしまいました。流れる水を上手く脇に誘導したりして、半分遊びながら下りました。
この日は観音寺市内まで歩きました。
山越えのへんろ道を通りましたが、雰囲気のあるとても良い道でした。この雨の中、歩いている人などいるはずもなく、随所にある丁石に励まされながらの歩きでした。
この道では、草刈りお接待用のハサミが用意されていましたので、少し協力してきました。
仙龍寺の建物は素晴らしかったです。
その後、雨は本降りとなり、全身びしょ濡れ状態で、今日の宿「民宿岡田」に到着しました。名物のおやじさんに「見たことある顔やなあ、前に泊まったことある?」と言われ、驚きました。3年前のGWに泊まった一お客を覚えていてくれたのでしょうか?
4日目[6月20日]は、「民宿岡田」に連泊して、[14]箸蔵寺へと往復してきました。
山門からは立派な参道、石段が続いて、なかなか凄かったです。仙龍寺といい、箸蔵寺といい、88ヶ所のお寺とは違う独特の建築様式です。階段だらけで疲れますが、ぜひお薦めしたいです。
池田にあった、スリルのある吊り橋も渡って来ました。
5日目[6月21日]も雨となりました。
(66)雲辺寺から[16]萩原寺へ向かっていると、一層激しい雨となり、道は川のようになってしまいました。流れる水を上手く脇に誘導したりして、半分遊びながら下りました。
この日は観音寺市内まで歩きました。
タグ :歩き遍路
2012年07月01日
2012梅雨 歩き遍路 トピックス(1)
今回の遍路旅について、簡単に紹介したいと思います。
札所では、一人っきりだったり、一組二組だけの参拝客といったことが多く、閑散としていました。たまに団体さんがいらっしゃると、少し賑やかになり、却ってうれしいくらいでした。
もしかしたら遍路ブームが終わってしまったのだろうか、と寂しい気がしました。
1日目[6月17日]は、小松の(62)宝寿寺からスタートです。大師堂で打ちはじめの報告をしました。
この札所は、納経の時間に昼休みがあります。丁度その時間でした。自分は前回納経を終えていたから良かったのですが、一人のお遍路さんが昼寝をして待っていました。
今日の宿に入る直前、おじさんに話しかけられました。地元に住んでいながら、今日初めて、61番から64番まで周って来た、という話から始まり、直に福島の原発へ働きに行く、お金がなくて昨日から何も食べていない、ということで1000円下さい、と言われ、思わず差し出してしまいました。
後日知り合った方も、この方に同じようにお金を渡したとか。果たして話は本当だったのだろうか‥‥
この日は、「西条国際ホテル」に宿泊しました。
2日目[6月18日]は、ひたすら旧街道を三島に向かって歩く一日となりました。
一周目の時には、いきなり現れたこのアーケードにビックリしたものです。
この日は、「ビジネス旅館ろんどん荘」に宿泊しました。
札所では、一人っきりだったり、一組二組だけの参拝客といったことが多く、閑散としていました。たまに団体さんがいらっしゃると、少し賑やかになり、却ってうれしいくらいでした。
もしかしたら遍路ブームが終わってしまったのだろうか、と寂しい気がしました。
1日目[6月17日]は、小松の(62)宝寿寺からスタートです。大師堂で打ちはじめの報告をしました。
この札所は、納経の時間に昼休みがあります。丁度その時間でした。自分は前回納経を終えていたから良かったのですが、一人のお遍路さんが昼寝をして待っていました。
今日の宿に入る直前、おじさんに話しかけられました。地元に住んでいながら、今日初めて、61番から64番まで周って来た、という話から始まり、直に福島の原発へ働きに行く、お金がなくて昨日から何も食べていない、ということで1000円下さい、と言われ、思わず差し出してしまいました。
後日知り合った方も、この方に同じようにお金を渡したとか。果たして話は本当だったのだろうか‥‥
この日は、「西条国際ホテル」に宿泊しました。
2日目[6月18日]は、ひたすら旧街道を三島に向かって歩く一日となりました。
一周目の時には、いきなり現れたこのアーケードにビックリしたものです。
この日は、「ビジネス旅館ろんどん荘」に宿泊しました。
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