2014年11月30日
【437】歩き遍路48日目〈その3〉[2014年2月8日]
山の中に、「さぬき市建設残土処分場」というものがあり、ずっとあった一台の車の通った跡が、この中へと入っていった。
ここからは、全く人の足跡は見られなくなった。
しばらく進むと、左手に花折山へんろ道の出口の看板があった。全長2.0kmと書いてある。
折からの雪で、竹がしなって、道路を覆っている。これまでバキバキと竹が折れる音も聞いていた。こんなにも雪に弱いものなのか。完全に道を覆っているので、車の通行は無理である。
しんしんと雪が降り続いているので、菅笠に雪が積もっていく。まるで、昔話の「かさじぞう」の世界のようだ。こういった雪へんろもまた楽しい。
道の駅から50分ほどで、期せずして休憩所があった。宿にたどり着けるのか不安もあり、少々気が急いていたこともあり、ここは通過する。
すぐに、「相草東峠 七十丁の地蔵」という真新しい看板があった。峠に差し掛かったようだ。
さぬき市に入ってからの遍路道沿いには、その場所のいわれが書かれた新しい看板がたくさんあったが、この道にも引き続き立てられていた。
峠からは右手に家が見えるが、誰も住んでいないようだ。
道は下りとなった。何と楽なのだろう。スイスイと泳ぐように新雪の上を下っていく。長かった上りに比べ、あっという間に下りは終了、里に下りてきた。
小さな車道に合流、少し進むと、先ほど乗ってきたコミュニティバスが走っているのが見えた。大窪寺からの帰りだろう。道の駅からの車道、県道3号線となった。
ここからは、全く人の足跡は見られなくなった。
しばらく進むと、左手に花折山へんろ道の出口の看板があった。全長2.0kmと書いてある。
折からの雪で、竹がしなって、道路を覆っている。これまでバキバキと竹が折れる音も聞いていた。こんなにも雪に弱いものなのか。完全に道を覆っているので、車の通行は無理である。
しんしんと雪が降り続いているので、菅笠に雪が積もっていく。まるで、昔話の「かさじぞう」の世界のようだ。こういった雪へんろもまた楽しい。
道の駅から50分ほどで、期せずして休憩所があった。宿にたどり着けるのか不安もあり、少々気が急いていたこともあり、ここは通過する。
すぐに、「相草東峠 七十丁の地蔵」という真新しい看板があった。峠に差し掛かったようだ。
さぬき市に入ってからの遍路道沿いには、その場所のいわれが書かれた新しい看板がたくさんあったが、この道にも引き続き立てられていた。
峠からは右手に家が見えるが、誰も住んでいないようだ。
道は下りとなった。何と楽なのだろう。スイスイと泳ぐように新雪の上を下っていく。長かった上りに比べ、あっという間に下りは終了、里に下りてきた。
小さな車道に合流、少し進むと、先ほど乗ってきたコミュニティバスが走っているのが見えた。大窪寺からの帰りだろう。道の駅からの車道、県道3号線となった。
2014年11月26日
【436】歩き遍路48日目〈その2〉[2014年2月8日]
今回「道の駅ながお」から歩き始めたのは、これまでの二巡では、女体山を越えて(88)大窪寺に到達しているので、歩きをつないでいくには、この場所から、ということになった。
道の駅を出発するとすぐに、自分の存在に気付いた、向かいの「おへんろ交流サロン」の方が声を掛けてくれた。
今回は結願ではないので、立ち寄りはせず、道路越しに遍路道への入り口を確認のため教えてもらった。
道の駅から少し戻って、山の方へと入る、昔からの遍路道を進んだ。
最初は何軒かの家があったが、その内、人煙途絶えた山中の道となった。歩きの道なのかと思っていたが、ずっと車道が続いていた。
雪に覆われていたのではっきりとは分からないが、おそらくずっと舗装路だったのではないかと思う。
上り始めると、左手に「花折山へんろ道」の看板があった。写真の場所である。
今回はこの道を歩いてみるつもりだったのだが、このひどい雪では入っていく気持ちになれず、そのまま車道を進んだ。
フカフカの雪の上を歩いていく。上りなので、雪に足をとられて、いつも以上にパワーがいる。その上、防寒対策をしっかりしていたので、暑くて汗びっしょりになってしまった。
ゆるやかな道が続くと思っていたので、少々誤算である、というか、もう少し考えて衣類の調整をすべきだった。
屋根付の休憩所などはないので仕方なく、杉の木の下の雪が少ない場所にリュックを下ろして、着込んでいた衣服を脱いだ。これでようやく落ち着いた。
道の駅を出発するとすぐに、自分の存在に気付いた、向かいの「おへんろ交流サロン」の方が声を掛けてくれた。
今回は結願ではないので、立ち寄りはせず、道路越しに遍路道への入り口を確認のため教えてもらった。
道の駅から少し戻って、山の方へと入る、昔からの遍路道を進んだ。
最初は何軒かの家があったが、その内、人煙途絶えた山中の道となった。歩きの道なのかと思っていたが、ずっと車道が続いていた。
雪に覆われていたのではっきりとは分からないが、おそらくずっと舗装路だったのではないかと思う。
上り始めると、左手に「花折山へんろ道」の看板があった。写真の場所である。
今回はこの道を歩いてみるつもりだったのだが、このひどい雪では入っていく気持ちになれず、そのまま車道を進んだ。
フカフカの雪の上を歩いていく。上りなので、雪に足をとられて、いつも以上にパワーがいる。その上、防寒対策をしっかりしていたので、暑くて汗びっしょりになってしまった。
ゆるやかな道が続くと思っていたので、少々誤算である、というか、もう少し考えて衣類の調整をすべきだった。
屋根付の休憩所などはないので仕方なく、杉の木の下の雪が少ない場所にリュックを下ろして、着込んでいた衣服を脱いだ。これでようやく落ち着いた。
2014年11月22日
【435】歩き遍路48日目〈その1〉[2014年2月8日]
遅れてやって来たコミュニティバスに乗り込むと乗客は無く、運転手さんの後ろの席に座った。
志度から長尾に入ると、ますます雪が多くなってきた。10cmは積もっているだろうか。香川県でもこんなに雪が積もるとは。派手にスリップ事故を起こした車も見られた。
気さくな運転手さんが、どこから来たのかなど、色々と話し掛けてきました。こういった会話で、結構元気になります。
前回の区切り打ちの時、(88)大窪寺で同じバスを見掛けた時、何かを聞いていたお遍路さんに対して、ぞんざいに対応していたのを見ていたのですが、その時とは違う運転手さんのようでした。
バス代は平日一律200円が、土日祝日は500円という、変わった運賃体系となっていますが、年中無休で走っているようです。
車内放送は無かったので、降りる場所は自己申告でしょうか。
「おへんろ交流サロン」前の、「道の駅ながお」停留所で下車。
乗る前に、ポケットに用意しておいた500円玉が見当たらない。どこかで落としてしまったようだ。仕方なく、新たにお金を用意してバスから降り、旅の記念に、運転手さんの写真を撮らせてもらいました。
「道の駅ながお」でトイレをお借りし、店員さんの声掛けもあり、中に入り一息つくことにした。
今日の宿に考えていた「奥の湯温泉」に予約の連絡をしてみると、部屋は空いているが、雪がひどいが本当に来れるのか、といった感じだった。宿泊拒否?かとも思ってしまったが、大丈夫行けます、と応え、無事に予約が取れた。宿が決まれば一安心である。
志度から長尾に入ると、ますます雪が多くなってきた。10cmは積もっているだろうか。香川県でもこんなに雪が積もるとは。派手にスリップ事故を起こした車も見られた。
気さくな運転手さんが、どこから来たのかなど、色々と話し掛けてきました。こういった会話で、結構元気になります。
前回の区切り打ちの時、(88)大窪寺で同じバスを見掛けた時、何かを聞いていたお遍路さんに対して、ぞんざいに対応していたのを見ていたのですが、その時とは違う運転手さんのようでした。
バス代は平日一律200円が、土日祝日は500円という、変わった運賃体系となっていますが、年中無休で走っているようです。
車内放送は無かったので、降りる場所は自己申告でしょうか。
「おへんろ交流サロン」前の、「道の駅ながお」停留所で下車。
乗る前に、ポケットに用意しておいた500円玉が見当たらない。どこかで落としてしまったようだ。仕方なく、新たにお金を用意してバスから降り、旅の記念に、運転手さんの写真を撮らせてもらいました。
「道の駅ながお」でトイレをお借りし、店員さんの声掛けもあり、中に入り一息つくことにした。
今日の宿に考えていた「奥の湯温泉」に予約の連絡をしてみると、部屋は空いているが、雪がひどいが本当に来れるのか、といった感じだった。宿泊拒否?かとも思ってしまったが、大丈夫行けます、と応え、無事に予約が取れた。宿が決まれば一安心である。
2014年11月18日
【434】第18回 区切り打ち 出発[2014年2月7・8日]
今回が、通算18回目の区切り打ちとなります(第二拝では8回目)。
二巡目は満願していたのですが、その続きという位置づけにすることにしました。
前回参拝出来なかった別格20番の大滝寺、そして白鳥神社から引田経由で3番金泉寺までという、三泊四日の遍路旅となります。
今回も自家用車で四国に向かうことにしました。高速代節約のため、神戸までひたすら下道を走ります。
金沢→敦賀→小浜→綾部→福知山→丹波と走り、兵庫県三木市で給油と夕食(餃子の王将)、神戸西ICまで約8時間でした。
高速に乗り、明石海峡大橋を渡ります。淡路島に入ってから、雪が降り出して来ました。
早く移動してしまえば良いのですが、夜10時を過ぎると高速代が少々安くなるので時間調整をしてから、四国に入りました。
鳴門ICで下車、国道11号線を高松方面に走り、夜の11時を過ぎて、(86)志度寺に向かう途中にある「道の駅源平の里むれ」に到着、ここで車中泊です。
翌日(2月8日)は、近くの志度バスストップへ。
ここに車を止めさせてもらい、明々後日に鳴門西バスストップから高松駅行きの高速バスに乗って、戻ってくる予定としています。
志度バスストップには、(88)大窪寺方面に向かうコミュニティバスが通ります。
雪で道が白くなってきました。バスは時間になってもやって来ません。もしかして、運休?と不安になってきた頃に、遅れてやって来ました。良かった。
二巡目は満願していたのですが、その続きという位置づけにすることにしました。
前回参拝出来なかった別格20番の大滝寺、そして白鳥神社から引田経由で3番金泉寺までという、三泊四日の遍路旅となります。
今回も自家用車で四国に向かうことにしました。高速代節約のため、神戸までひたすら下道を走ります。
金沢→敦賀→小浜→綾部→福知山→丹波と走り、兵庫県三木市で給油と夕食(餃子の王将)、神戸西ICまで約8時間でした。
高速に乗り、明石海峡大橋を渡ります。淡路島に入ってから、雪が降り出して来ました。
早く移動してしまえば良いのですが、夜10時を過ぎると高速代が少々安くなるので時間調整をしてから、四国に入りました。
鳴門ICで下車、国道11号線を高松方面に走り、夜の11時を過ぎて、(86)志度寺に向かう途中にある「道の駅源平の里むれ」に到着、ここで車中泊です。
翌日(2月8日)は、近くの志度バスストップへ。
ここに車を止めさせてもらい、明々後日に鳴門西バスストップから高松駅行きの高速バスに乗って、戻ってくる予定としています。
志度バスストップには、(88)大窪寺方面に向かうコミュニティバスが通ります。
雪で道が白くなってきました。バスは時間になってもやって来ません。もしかして、運休?と不安になってきた頃に、遅れてやって来ました。良かった。
2014年11月17日
北海道の温泉(16) コタン温泉「コタン温泉露天風呂」
コタン温泉「コタン温泉露天風呂」
コタン温泉露天風呂は、北海道の東部、屈斜路湖のほとりにある、無料の露天風呂です。
写真の通り、湖の雄大な眺めを堪能しながら、温泉に浸かることが出来ます。白鳥もたくさん集まって来ていました。
中国人でしょうか、一組のカップルが入っていましたが、直に貸切となりました。
本州だったらきっと、芋の子を洗うような大混雑でしょうが、北海道の東の果て、冬の閑散期ということもあるのでしょう。
こんな素晴らしい露天風呂を独り占め出来るとは信じられません。
駐車場に戻ると、先程から止まっていた富山ナンバーの車の持ち主がやって来ました。
こちらが富山空港から飛行機に乗ってやって来たことを伝え、お話を。写真を撮って楽しんでいるそうです。
こんな遠い場所で北陸人に出会えるとはうれしいものです。
コタン温泉露天風呂は、北海道の東部、屈斜路湖のほとりにある、無料の露天風呂です。
写真の通り、湖の雄大な眺めを堪能しながら、温泉に浸かることが出来ます。白鳥もたくさん集まって来ていました。
中国人でしょうか、一組のカップルが入っていましたが、直に貸切となりました。
本州だったらきっと、芋の子を洗うような大混雑でしょうが、北海道の東の果て、冬の閑散期ということもあるのでしょう。
こんな素晴らしい露天風呂を独り占め出来るとは信じられません。
駐車場に戻ると、先程から止まっていた富山ナンバーの車の持ち主がやって来ました。
こちらが富山空港から飛行機に乗ってやって来たことを伝え、お話を。写真を撮って楽しんでいるそうです。
こんな遠い場所で北陸人に出会えるとはうれしいものです。
[2014年1月18日]
2014年11月16日
北海道の温泉(15) ながぬま温泉「ながぬま温泉」
ANAのマイレージが貯まっていたので北海道へ。一年で一番お客さんが少ない時期かも知れません、飛行機に乗っていたのは15人くらいでした。レンタカーを借りて出発です。
ながぬま温泉「ながぬま温泉」
ながぬま温泉は、北海道の石狩地方、札幌市から少し内陸(東)の方の長沼町という所にあります。
値段は500円でしたが、平成26年4月より600円となったようです。
二つの浴室をくっつけたような、変わった造りとなっていました。浴槽と洗い場のセットが右と左に二つあります。
ナトリウム・塩化物強塩泉ということで、お湯はしょっぱく、温泉に入っていると実感出来ました。
お客さんも多く、仕事帰りといった若い人たちの姿も見られました。やはり札幌に近いこともあるのでしょうか、客層が年配の方に偏っていない印象でした。
露天風呂にも入りましたが、真冬ということもあり、湯船にたどり着くまでが寒いですね。
源泉掛け流しとなっていました。塩素はどうなのでしょうか、はっきり分かりませんでした。
併設するホテルの小さなレストランで豚ジンギスカン定食980円を頼み、夕食としました。
ながぬま温泉「ながぬま温泉」
ながぬま温泉は、北海道の石狩地方、札幌市から少し内陸(東)の方の長沼町という所にあります。
値段は500円でしたが、平成26年4月より600円となったようです。
二つの浴室をくっつけたような、変わった造りとなっていました。浴槽と洗い場のセットが右と左に二つあります。
ナトリウム・塩化物強塩泉ということで、お湯はしょっぱく、温泉に入っていると実感出来ました。
お客さんも多く、仕事帰りといった若い人たちの姿も見られました。やはり札幌に近いこともあるのでしょうか、客層が年配の方に偏っていない印象でした。
露天風呂にも入りましたが、真冬ということもあり、湯船にたどり着くまでが寒いですね。
源泉掛け流しとなっていました。塩素はどうなのでしょうか、はっきり分かりませんでした。
併設するホテルの小さなレストランで豚ジンギスカン定食980円を頼み、夕食としました。
[2014年1月17日]
2014年11月11日
【433】第17回 区切り打ち 帰宅[2012年6月28日]
最後の札所ということで、1時間半ほどもゆっくりと過ごしてから、與田寺を後にした。
へんろ地図には、「三本松港が関西の窓口として栄えた頃、與田寺は‥‥」と書かれている。
この三本松港に行って、今回の遍路旅を終えることにした。
道しるべは無いので、へんろ地図を見ながら三本松の市街を通り、港の辺りまで来た。
はっきりとした表示は無かったが、たくさんの船が係留されていることから、ここが三本松港に間違いないようである。
遍路石など、たくさんの遍路で賑わったことを示すようなものは、残念ながら見当たらなかった。
しばし海を眺め、来た道とは違う道を歩き、再び與田寺に戻ってきた。近くの高速バス停留所から帰宅する。
山門脇のベンチで、再び一休みさせてもらう。セミが一匹、鳴いていた。今年初めて聞くセミの鳴き声である。いよいよ夏が来たのだなあ。
大内高速バス乗り場から高松行きのバスに乗り、高速志度で下車、止めて置いた車に乗って、(87)長尾寺へと戻る。「定年からは同行二人」の作者、小林淳宏さんが野宿をしたという墓場へ行ってみるのを忘れてしまっていたのだ。
もう20年以上前の事なので、横になったという屋根つきの休み台は見つからなかった。
再び車を走らせ、明石海峡大橋を渡り、金沢へと向かった。
本日のコースタイム
白鳥温泉7:01→7:47星越峠→8:34大内ダム→9:30與田寺10:55→11:40三本松港→12:45與田寺→13:09高速大内13:43→→13:57高速志度→→(87)長尾寺14:44→→白鳥大内IC→→金沢東IC→→22:17自宅
歩行距離:8.4km(與田寺まで)+α
歩数 :32492歩
最高気温:26.0℃
最低気温:19.3℃[旧引田町]
次は、道の駅ながお(おへんろ交流サロン)から別格20番大滝寺や白鳥神社に参拝し、3番金泉寺へと向かう旅の話となります。
へんろ地図には、「三本松港が関西の窓口として栄えた頃、與田寺は‥‥」と書かれている。
この三本松港に行って、今回の遍路旅を終えることにした。
道しるべは無いので、へんろ地図を見ながら三本松の市街を通り、港の辺りまで来た。
はっきりとした表示は無かったが、たくさんの船が係留されていることから、ここが三本松港に間違いないようである。
遍路石など、たくさんの遍路で賑わったことを示すようなものは、残念ながら見当たらなかった。
しばし海を眺め、来た道とは違う道を歩き、再び與田寺に戻ってきた。近くの高速バス停留所から帰宅する。
山門脇のベンチで、再び一休みさせてもらう。セミが一匹、鳴いていた。今年初めて聞くセミの鳴き声である。いよいよ夏が来たのだなあ。
大内高速バス乗り場から高松行きのバスに乗り、高速志度で下車、止めて置いた車に乗って、(87)長尾寺へと戻る。「定年からは同行二人」の作者、小林淳宏さんが野宿をしたという墓場へ行ってみるのを忘れてしまっていたのだ。
もう20年以上前の事なので、横になったという屋根つきの休み台は見つからなかった。
再び車を走らせ、明石海峡大橋を渡り、金沢へと向かった。
[完]
本日のコースタイム
白鳥温泉7:01→7:47星越峠→8:34大内ダム→9:30與田寺10:55→11:40三本松港→12:45與田寺→13:09高速大内13:43→→13:57高速志度→→(87)長尾寺14:44→→白鳥大内IC→→金沢東IC→→22:17自宅
歩行距離:8.4km(與田寺まで)+α
歩数 :32492歩
最高気温:26.0℃
最低気温:19.3℃[旧引田町]
歩き遍路第二拝 第7回区切り打ち 終了
次は、道の駅ながお(おへんろ交流サロン)から別格20番大滝寺や白鳥神社に参拝し、3番金泉寺へと向かう旅の話となります。
2014年11月08日
【432】歩き遍路47日目〈その4〉[2012年6月28日]
田園風景の広がる道から、集落の中に入っていき、午前9時半に、四国八十八ヶ所総奥之院といわれる「與田寺」に到着した。これにて満願となる。
與田寺は、厄払いのお寺として知られているようである。へんろ地図では、「よたじ」となっているが、お寺でもらったビラには「よだじ」となっており、「た」は濁るようである。
先にトイレを済ませてから参拝する。きれいなトイレだった。平地にあるが、わりと広い境内となっている。山門をくぐると、中程にもう一つ鐘楼堂がある。
ヒモが垂れているので何かと思ったら、これを思いっ切り引っ張ると鐘が鳴るようだった。静かなお寺で、大きく鳴らす勇気は無かった。
大師堂での参拝を終え、満願となった。セルフタイマーで、何枚も記念撮影をした。
右手の丘の上にもお寺の敷地が広がっているので、散策する。
古い小さな建物があり、文字は消えかかっているが大師堂と書かれてある。本尊 弘法大師 不動明王とも書いてある。
ここが本来の大師堂で、般若心経を唱えなければならないのか、と迷ってしまった。
境内では、寺男さんがあっちこっちと作業をしている。寺男という仕事に憧れるのだが、どうなのだろうか。
納経所へ行くと、お寺の奥さんが対応してくれた。いつもは字の上手な係の方がいるそうだが、今日はお休みとの事だ。墨を磨りながら、色々と話を聞かせてくれた。
参拝後は、山門脇のベンチでゆっくりと一休みした。
與田寺は、厄払いのお寺として知られているようである。へんろ地図では、「よたじ」となっているが、お寺でもらったビラには「よだじ」となっており、「た」は濁るようである。
先にトイレを済ませてから参拝する。きれいなトイレだった。平地にあるが、わりと広い境内となっている。山門をくぐると、中程にもう一つ鐘楼堂がある。
ヒモが垂れているので何かと思ったら、これを思いっ切り引っ張ると鐘が鳴るようだった。静かなお寺で、大きく鳴らす勇気は無かった。
大師堂での参拝を終え、満願となった。セルフタイマーで、何枚も記念撮影をした。
右手の丘の上にもお寺の敷地が広がっているので、散策する。
古い小さな建物があり、文字は消えかかっているが大師堂と書かれてある。本尊 弘法大師 不動明王とも書いてある。
ここが本来の大師堂で、般若心経を唱えなければならないのか、と迷ってしまった。
境内では、寺男さんがあっちこっちと作業をしている。寺男という仕事に憧れるのだが、どうなのだろうか。
納経所へ行くと、お寺の奥さんが対応してくれた。いつもは字の上手な係の方がいるそうだが、今日はお休みとの事だ。墨を磨りながら、色々と話を聞かせてくれた。
参拝後は、山門脇のベンチでゆっくりと一休みした。
2014年11月05日
【431】歩き遍路47日目〈その3〉[2012年6月28日]
ダム横の道を降りてくると、写真の場所に出た。この道で正解だったようだ。
すぐに水主神社があるが、通過する。後で東海図版の地図を見ると、祈り杉という、樹齢800年のスギの樹があるとの事、立ち寄っておけば良かった。
この先、道しるべが少なく、自力で地図を見ながら歩いていくことになるが、何ヶ所かで遍路シールの痕跡があった。以前は貼ってあったシールが、真っ白になっていたり、時間の経過とともに剥がれてしまったのだろう。
県道から旧道らしき道に入る。農作業風景を見ながら、のんびりと歩く。
家が連なるようになる。与田川を渡るが、これも沈下橋というのだろうか、何やら工事中の川を渡る。
再び県道に出る所で、ガードレールにお久しぶりの遍路シールがあった。県道を歩くとすぐに、またまた左折の遍路シールがあった。へんろ地図の左折よりも少し手前だが、これに従った。
いつもだったらへんろ地図の赤い線にこだわるのだが、やっと見つけたシールにうれしかったのだろうか。
高松自動車道が通っており、大内バスストップの案内もある。今回は、このバス停から帰宅することになる。與田寺はもうすぐである。
すぐに水主神社があるが、通過する。後で東海図版の地図を見ると、祈り杉という、樹齢800年のスギの樹があるとの事、立ち寄っておけば良かった。
この先、道しるべが少なく、自力で地図を見ながら歩いていくことになるが、何ヶ所かで遍路シールの痕跡があった。以前は貼ってあったシールが、真っ白になっていたり、時間の経過とともに剥がれてしまったのだろう。
県道から旧道らしき道に入る。農作業風景を見ながら、のんびりと歩く。
家が連なるようになる。与田川を渡るが、これも沈下橋というのだろうか、何やら工事中の川を渡る。
再び県道に出る所で、ガードレールにお久しぶりの遍路シールがあった。県道を歩くとすぐに、またまた左折の遍路シールがあった。へんろ地図の左折よりも少し手前だが、これに従った。
いつもだったらへんろ地図の赤い線にこだわるのだが、やっと見つけたシールにうれしかったのだろうか。
高松自動車道が通っており、大内バスストップの案内もある。今回は、このバス停から帰宅することになる。與田寺はもうすぐである。
2014年11月02日
【430】歩き遍路47日目〈その2〉[2012年6月28日]
星越峠を過ぎると、右に入る遍路道があるはずなので、注意深く歩いていくが入り口が見つからない。
少し行き過ぎたと思われる場所に、四国の道の道しるべがあり、右の方のダート道に入っていった。この道でいいのかな、と思いつつ進んでいく。
どうやらこの道は、大内ダムのダム湖を、へんろ地図の赤い線の対岸を進んでいく道のようである。この道を進んでも與田寺へは行けそうである。
来た道を戻るのはつらいのだが、初めての道なのでやはり、へんろ地図の赤い線に沿って歩きたいので引き返すことにした。
誰も通らないようなダート道を引き返していると突然、土木作業員らしき方たちが乗った車が追い越していった。こんな平日の朝早くにこの場所を歩いているお遍路さんに遭遇して、さぞ驚いたことだろう。
星越峠辺りは道路の拡幅工事が進んでいたので、遍路道の入口が分からなくなってしまったのかも知れない。
大内ダムまで来ると、またも道に少々迷ってしまった。へんろ地図ではダムの堤を渡る感じとなっているが、渡らずに下へ降りていくのが合っているのでは、と写真の草の生えたコンクリート道を降りていく。
少し行き過ぎたと思われる場所に、四国の道の道しるべがあり、右の方のダート道に入っていった。この道でいいのかな、と思いつつ進んでいく。
どうやらこの道は、大内ダムのダム湖を、へんろ地図の赤い線の対岸を進んでいく道のようである。この道を進んでも與田寺へは行けそうである。
来た道を戻るのはつらいのだが、初めての道なのでやはり、へんろ地図の赤い線に沿って歩きたいので引き返すことにした。
誰も通らないようなダート道を引き返していると突然、土木作業員らしき方たちが乗った車が追い越していった。こんな平日の朝早くにこの場所を歩いているお遍路さんに遭遇して、さぞ驚いたことだろう。
星越峠辺りは道路の拡幅工事が進んでいたので、遍路道の入口が分からなくなってしまったのかも知れない。
大内ダムまで来ると、またも道に少々迷ってしまった。へんろ地図ではダムの堤を渡る感じとなっているが、渡らずに下へ降りていくのが合っているのでは、と写真の草の生えたコンクリート道を降りていく。
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