2016年03月31日
【3巡目-68】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その8〉[2015年8月16日]
案内表示に従っていくと、ほぼ神山森林公園の頂上辺りから、「建治寺」へと向かう遍路道が続いていた。
写真は、入口の場所である。
予想では、夏草に覆われて入口も定かではなく、道なき道を藪漕ぎするのではないかと覚悟はしていたのだが、樹木に覆われていたこともあり、草はそれ程でも無かった。
ただ、道が荒れており、少々歩きにくかった。
この遍路道を歩くお遍路さんは、年に5人もいないだろう。
森林公園の入口からは、ずっと下りが続く。15分ほどで、「建治寺」の建物が眼下に見えてきた。寺の方へと続く道が分岐していたので、下りて行く。道から室内が見え、人の姿があった。
正午過ぎに、「建治寺」に到着した。(13)大日寺の奥の院ということである。
狭い敷地内に、本堂や大師堂などがかたまっていた。整体院なるものも看板を出しており、何か不思議な力で治してくれそうな印象である。
参拝前に一通り敷地内を眺めていると、「建治龍門窟」なる案内がある。矢印が示す方向に向かってみると、洞窟があった。
立て札があり、行場なので、入る場合には自己責任で安全にお参り下さい、となっていた。
寺務所にて懐中電灯を借りるように、となっていたので、億劫になり入りはしなかったが、今となっては、折角の良い機会だったのでお参りしておけばよかった、と後悔している。
2016年03月27日
【3巡目-67】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その7〉[2015年8月16日]
神山森林公園の車道を進んで行くと、たくさんの車やきれいな建物、そして自動販売機までもが見えてきた。
家族連れの姿がたくさん見られる。反対側の、メインルートからやって来た人たちである。
これまでの寂しい山道から一変、賑やかな場所へと到達した。あまりの落差に驚く。
寂れた公園を予想していたのだが、きれいに整備され、また日曜日ということもあり、人出もあった。
その一角で軽く一休みする。
さらに山手へと、車止めがされている車道が続いており、「建治寺」への案内札もぶら下がっていた。
先程のおじさんの言葉通り、芝生広場を突き抜けるように、車道を進む。
頂上付近までやって来ると、展望広場となっていた。
下界の鮎喰川の雄大な流れが一望出来た。
この場所に、公園の大きな案内板があり、建治寺への案内札も貼り付けてあった。右の山手へと進まなければならない。
ここの案内札は、注意して歩いていないと見落としてしまうだろう。たまたま、展望広場に立ち寄ろうとしたため、発見出来た。
今回、この神山森林公園ルートを歩いたのは、辰濃和男さんの著書に登場していたからである。
無事に踏破して、満足である。
2016年03月24日
【3巡目-66】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その6〉[2015年8月16日]
案内板には「建治寺」の文字が見られないが、本当に行けるのか、と少々不安になる。
案内板がある少し開けた場所を出ると、上り道が続くようになった。
息を切らせながら、何とか頑張って歩き続ける。
カーブで路肩が広くなっている場所があり、日当たりも良かったので、へたり込むように休憩をした。
先程から、人にも車にも出会っていない。見掛けたのは、カモシカだけだろう。
そこに突然、前方からウォーキング中のおじさんが現れて、ビックリしてしまった。どこからやって来たのだろうか。
休憩しているこちらへとやって来て、どこへ行くのか、と話し掛けてきてくれた。
建治寺へ向かっているのだが行けるのか尋ねてみると、行ける、との事だった。
おそらく案内もあったはずで、この先、芝生広場を突き抜けていけば良い、結構進んで来ているから、あと30分くらいで行けるのでは、とへんろ地図を見ながら話してくれた。
その言葉に、これまでの疲れと不安が吹き飛んで、元気が出てきた。
建治寺もこれから向かう童学寺も良いお寺、建治寺の駐車場からの眺めが素晴らしい、などの情報も頂いた。
おじさんと別れて5分もすると、標識があり、建治寺の名前がようやく登場してきた。
2016年03月19日
【3巡目-65】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その5〉[2015年8月16日]
小さな集落を抜けると、徐々に勾配がきつくなったきた。その内、山手の高い所に道路が見えるようになってきた。
どこかにショートカットがあるはずだったが、見逃したな、と思っていると、前方にトンネルが見えてきた。
大桜トンネルとなっている。
トンネルの手前を左に入っていくが、入ってすぐの車道の隅で、リュックを下ろして休憩とした。
たまに、(13)大日寺方面へと車が走り去って行く。
ここから、またも勾配のきつい車道となる。
へんろ地図には直角の道が掲載されているが、太陽光の発電所があるようで、そのための道となっている様子だった。
ぐねぐねの方の道を歩いていると、少し離れた場所にカモシカの姿が見えた。
写真を撮ろうとしているうちに逃げてしまった。
上りが終わり、今度は下りが続くようになった。下りの終了を願うものの、なかなか終わらない。今まで上って来た苦労が水の泡である。
まるで、ミニ「浄蓮庵から焼山寺」だった。
途中、芸術家のものらしき住居がある以外は、何も無い道で、下りが終了すると、ようやく森林公園の案内板などがある、少し開けた空間に到着した。
案内板には、色々な施設の名称が書かれているが、車も全く通らず、これ程に人の気配が無いということは、きっと廃園のような場所なのだろう、とこの時は勘違いしていた。
後で分かったのだが、今歩いている道は裏口のようなもので、メインルートは大日寺の辺りから入る道であり、公園は家族連れで賑わっていた。
2016年03月15日
【3巡目-64】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その4〉[2015年8月16日]
県道21号から、県道207号の丙ルートへと入る。
小さな緑色の果実が成った樹木が並んでいる。これが「スダチ」の木であろう。
調べてみると、98%が徳島県で生産されているとの事だった。他の地方では、なぜ生産されていないのだろうか。
スダチを眺めながら、山里の道を進んで行くと、小さな峠に差し掛かった。
「獄門峠」という、恐ろしい名前の峠である。まるで、時代劇の磔獄門のようだ。
峠を越えると再び、集落が見えてくる。小さな学校があり、一の坂分校となっていた。
道路沿いには20年ほど前に建てられた、(13)大日寺に向けての新しい遍路石がいくつか見られた。
神山森林公園へと向かっているのだが、一向に案内板が見当たらない。
本当に森林公園はあるのかと心配になっていた所、ようやく看板を発見した。
少々古くなっているが、神山森林公園と書いてある。
右に行くと、佐那河内村となっている。
作曲家の佐村河内さんが話題になった時、真っ先にこの村の名前が思い浮かんだのは自分だけだろうか。
[20]大滝寺に向かっていた時も、案内がなかなか見つからず、本当にお寺はあるのか、と思ったことを思い出した。
途中、分校があった所も、よく似ている。
小さな緑色の果実が成った樹木が並んでいる。これが「スダチ」の木であろう。
調べてみると、98%が徳島県で生産されているとの事だった。他の地方では、なぜ生産されていないのだろうか。
スダチを眺めながら、山里の道を進んで行くと、小さな峠に差し掛かった。
「獄門峠」という、恐ろしい名前の峠である。まるで、時代劇の磔獄門のようだ。
峠を越えると再び、集落が見えてくる。小さな学校があり、一の坂分校となっていた。
道路沿いには20年ほど前に建てられた、(13)大日寺に向けての新しい遍路石がいくつか見られた。
神山森林公園へと向かっているのだが、一向に案内板が見当たらない。
本当に森林公園はあるのかと心配になっていた所、ようやく看板を発見した。
少々古くなっているが、神山森林公園と書いてある。
右に行くと、佐那河内村となっている。
作曲家の佐村河内さんが話題になった時、真っ先にこの村の名前が思い浮かんだのは自分だけだろうか。
[20]大滝寺に向かっていた時も、案内がなかなか見つからず、本当にお寺はあるのか、と思ったことを思い出した。
途中、分校があった所も、よく似ている。
2016年03月11日
【3巡目-63】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その3〉[2015年8月16日]
道端の休憩所で、今日の宿を予約する。
(13)大日寺付近で宿泊したことは無いので、一番よく耳にする「名西旅館 花」に連絡してみると、無事に予約を取る事が出来た。
峠を越えると、右手に入る旧道があったので、そちらの方へと入る。
へんろ地図に「オーロ喜来」と書いてあるバス停の場所が分岐となっており、右折する。オーロというのは、鬼籠野のことだろうか、このバス停名が変わっているので少し興味があったのだが、探すのを忘れてしまった。
この辺り、微妙にへんろ地図が違っている。
分岐には、「へんろ道保存協力会」の道しるべがあった。
直進する道は、大日寺まで12kmだが、この場所を右折する、へんろ地図の「丙」ルートは、9.5kmとなっていた。
多少のアップダウンはあるものの、距離的には結構な差があることになる。
「丙」ルートの方が近いとは知らなかった。こちらの道を歩くお遍路さんはいるのだろうか。
同じく分岐には、「建治寺への遍路道」という案内板もあった。そのまま県道を進むように、となっている。
この看板は、車用なのか、歩きの人向けなのかが分からなかった。
神山森林公園経由の道は通れなくなっているのか、と少々不安になったものの、予定通り右折して進むことにした。
2016年03月07日
【3巡目-62】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その2〉[2015年8月16日]
写真の道の駅を過ぎると、緩やかな上りとなっている。
神山からの道は平坦かと思っていたが、ほんの少しだが、上り下りがある。
昨日の、左右内集落から(12)焼山寺への道で、息が続かず何度も休憩したことから、上り坂を見るとげんなりしてしまう。
そう言えば、今朝は鮎喰川を眺めながら歩いていたのだが、いつの間にか見えなくなっていた。
地図を見てみると、鮎喰川は植村旅館方面へと流れており、こちらの国道は、軽い峠越えが続くようである。
どういう訳か、今一つ元気が出ない。まだ昨日の疲れが残っているのだろうか。
1時間ほど歩いて、そろそろ一休みしたい所だが、道の駅を過ぎてから休憩スポットが無い。
ちょうど、道端に大きな石が置いてあったので、そこで腰かけさせてもらった。
小さな丘を越え、国道から脇道へと入ると、鬼籠野(オロノ)の集落となった。この地名も、神山町の名にふさわしく、何かあり気な感じがする。
遍路石かどうかは分からないが、一ノ宮と彫られた、古い石標があった。一ノ宮とは、おそらく(13)大日寺のことだろう。
鬼籠野の集落を抜けると、小さな峠を越える。とぼとぼ歩いているとようやく、路肩が広くなっている場所に材木が置いてあり、腰を下ろせるようになっていた。
リュックを下ろして一休みすることにした。
2016年03月03日
【3巡目-61】 神山市街から、建治寺、別格2番童学寺、13番大日寺まで 〈その1〉[2015年8月16日]
昨夜は、20時過ぎには寝床に入り、夜中に目が覚めて1時間程眠れなくなったものの、朝6時までぐっすりと寝ていた。
朝食は何時でも、と言ってもらえたが、普通に6時半でお願いした。早立ちしたい方には助かるだろう。
普段の朝は食欲が無いのだが、歩き遍路中ということもあり、ご飯を3杯も食べることが出来た。
身支度を整え、午前7時過ぎに「桜屋旅館」を後にした。
今日は、神山森林公園から建治寺、別格2番童学寺を経て13番大日寺辺りまで、という、少々変わった計画を立てている。
天候は曇りで、気温もそれ程高くはない。
神山町寄井の集落には、こんな不思議な看板が。
邪馬台国が神山にあったというものである。卑弥呼の文字も見られる。
集落を抜け、国道へと合流した。休日の朝でもあり、時折、車が走り去って行く程度である。
ここにも、神山スキーランドホテル内にある日本超古代研究所という、怪しげな看板があり、ソロモンの秘宝は阿波神山にある、そうである。
神の山の町というだけあって、何かそういった伝説がある土地なのだろうか。
再び集落の方に入っていく分岐となったが、そのまま国道を直進する。
「道の駅 温泉の里 神山」があるが、まだ時間も早く、閑散としていた。歩き始めたばかりなので、先へと進む。