2020年02月29日
【3巡目-509】 水戸森峠① [2019年2月16日]〈その2〉
右が通常の遍路道だが、水戸森峠へは左へと進む。
以前、この辺りに、遍路道は右、と車からでも分かるような大きな看板があったように思うが、ここだったろうか。左へ行くと間違って進んでいると思われるのでは、とちょっと気になっていた。
ちなみに、水戸森峠が、本来の遍路道だったようである。
四国のみちになっているので、木柱が要所に立っており峠までは行けるようだが、東海図版の地図では、峠から先は通行困難、と書いてある。
国道を横断し小さな橋を渡り、突き当たりにある集会所まで来ると、3年前に出来たばかりの新しく大きな遍路道案内板があった。
これは間違いなく、通り抜け出来そうである。
ここから道は勾配がついてくる。ヘアピンカーブにショートカットするような急な階段がある。
マニアックな道に貼られている緑の遍路シールがしっかりとあり、何とか一気に上りきる。
再び車道に戻り、松山自動車道の下をくぐる。しばらく高速道路に並行して歩く。遠くに、車を運転中に休憩したこともある内子PAが見えていた。
2020年02月26日
【3巡目-508】 内子駅から、水戸森峠、大瀬、旧小田町まで [2019年2月16日]〈その1〉
内子の商店街を通り、前回歩いた時に気になった中華料理店を目指す。ここで早々に昼食とするつもりだ。
「かば忠」と言う、古くからあるような普通の店だったが、なぜか気に掛かり、メニューも表に出されていたので安心して入れそうだった。
事前に調べた所では11時開店のはずである。11時を回ってお店に到着するが、まだ準備中の札が。
仕方なく小道に入り、歴史ある街並みなど、散策する。
テーブルが4つの小さなお店だった。一人の場合には少し時間をずらした方が良さそうである。
メニューを見て、野菜炒め定食(864円)を注文する。ボリュームがあって、大食いの身には良かったです。
冷水ポットでお冷が出てきたので、ペットボトルに貰っても良いかお願いすると、快く許可が出た。
早々に、作業服を着たグループの人たちも昼食に来ていました。
英気を養った所で、今回の遍路旅の本格的な歩きを開始した。時刻は午前11時44分である。
2020年02月23日
【3巡目-507】 第29回 区切り打ち 出発[2019年2月15・16日]
杖や菅笠を持っての移動が億劫で、自家用車を使ってばかりでした。
車を止めて置くことが出来る、「松任海浜公園」バス停から大阪行きの夜行バスに乗り込みます。
席について早々、リクライニングを倒した所、後ろのお姉さんから、「シートを倒すときは一言声を掛けて下さい」と叱られてしまいました。
一応、目配せはしたのですが。結構大きな声だったので、他のお客さんにも聞かれてしまったでしょうか、恥ずかしかったです。
こんなに殺伐として、世の中、どうなってしまったのでしょうか。
早朝5時、京都駅にて下車、JRの快速列車で新大阪駅へ。ここから鹿児島中央行きの新幹線「さくら」、在来線の特急「しおかぜ」「宇和海」と乗り継ぎ、午前11時前に内子駅へと到着しました。
他にも何組かの観光客が下車して、内子市街へと向かっていました。外国人も多かったです。
今回は、二泊三日の予定。積雪の状況でどこまで行けるか分かりませんが、松山市内を目指してスタートです。
寝不足状態で、バスの中で30分、汽車の中で30分程しか眠れませんでしたが、まあ何とかなるでしょう。
コースタイム
南砺市福光→






タグ :歩き遍路
2020年02月20日
【3巡目-506】 第28回 区切り打ち 帰宅[2018年9月3・4日]
階段を見つけて下り、河原へと出て来た。早速、白衣とTシャツを脱ぎ、川に飛び込んだ。
浅瀬が多かったのだが、深みを見つけて遊ばせてもらった。
そんな矢先、ポケットに買ったばかりのデジタルカメラが入っていることに気が付き、青ざめてしまった。
今回の遍路旅の写真はここで終了となった。
その後、一週間程で自然とカメラは治ったので、助かりました。

期間限定で700円で入浴させてもらった。小ぢんまりとしたお風呂である。
食事場所を求めて松山方面へ下道を走り、伊予市に近付いたところでようやくラーメン屋(豚太郎)を発見、遅い昼食とし、伊予ICから高速道路に乗り、金沢へと帰って来た。
本日のコースタイム
道の駅「内子フレッシュパークからり」6:16→6:38内子駅7:00→

歩行距離:15.5km
歩数 :25361歩
最高気温:34.2℃
最低気温:20.6℃[大洲市]
道の駅「内子フレッシュパークからり」12:28→





次回からは、昨年の2月に内子から松山市内へと歩いた記事となります。
2020年02月18日
【3巡目-505】 道の駅「内子フレッシュパークからり」へ [2018年9月3日]〈その9〉
逸れる、と言っても、英語版のへんろ地図では、この通りから「水戸森峠」へと赤い点線が続いているので、こちらが昔からの道なのかも知れない。
「八日市・護国の町並み」と呼ばれ、江戸時代末期から明治時代の町並みが600mに渡って保存されているそうである。観光客もちらほらと歩いていた。
歴史ある町並みが途切れる所まで歩いてから、もらったパンフレットを手にしながら遍路道へと戻る。国道のすぐ側に出て来た。
時刻は11時42分、大洲駅から寄り道しながらのんびり歩いて、4時間20分の道のりでした。
敷地内に入ると、托鉢をしているお遍路さんが真っ先に目に入った。
托鉢禁止を謳うお寺もあるが、その勇気には感心する。
今回初めて見掛ける歩き遍路さんになるのだろうか。まさか車遍路ということは無いだろう。
ここの道の駅では川遊びが出来るという事で、一泳ぎするのを楽しみにしていた。
2020年02月16日
【3巡目-504】 内子市街へ [2018年9月3日]〈その8〉
受付のお姉さんに、この近辺で日帰り入浴出来る場所を尋ねてみることにした。
親切に対応して頂き、この辺りでは、「オーベルジュ内子」しか無い、との事で、料金は1000円だそうである。
お風呂に入ってから高速道路に乗って帰宅したいと考えていたので、値段は高いが利用させてもらうことにしようか。
場所は、へんろ地図で「龍王温泉龍王荘」がある場所のようである。この龍王温泉が営業しているのかどうなのかが事前に調べていてもよく分からなかったのだが、跡地に出来た施設になるのだろうか。
ここでゆっくり休憩するのもありかな、と思う。のんびり出来そうな良さげな所なのだが、あまり目立つ場所ではないので人は来るのだろうか。
内子の歴史ある街並みと言うのは、遍路道にもなっている、今歩いている商店街なのかと思っていたら、別に「八日市・護国の町並み」という場所があるようである。
せっかくの機会なので、そちらにも立ち寄ってみることにした。
タグ :歩き遍路内子町ビジターセンター
2020年02月14日
【3巡目-503】 内子市街へ [2018年9月3日]〈その7〉
遍路道とは全く思えない場所である。かつては昔からの道があったのが、開発されて無くなってしまったのだろう。
管理事務所にはベンチと、最近よく見られるようになってきた、「四国遍路日本遺産協議会」による、自転車のタイヤを掛けるのだろうか、鉄棒のような物も置かれていた。
自販機もいくつかならんでいたことから、ミルクティーを飲みながら少し休憩をする。
小道に入り道を下ると、内子駅の横に到着した。そのまま住宅街を道しるべに従って進むと、商店が並ぶエリアとなる。
今朝、道の駅から駅に向かってこの道を歩いてきたので、逆走する形となる。
歴史がありそうな建物を利用した、「ビジターセンター」なるものがある。
今日は「道の駅からり」まで歩いた後、どこかでお風呂に入りたいと考えていた。事前に調べてはいたのだが、有るような無いような、よく分からない状態だった。
こういった施設を利用することはほとんど無いのだが、何か情報があるかと中に入ってみることにした。
2020年02月12日
【3巡目-502】 伊予大洲駅から、道の駅「内子フレッシュパークからり」まで [2018年9月3日]〈その6〉
国道との合流地点に、お馴染みのお遍路さん休憩所「神南堂」がある。ここで靴下を脱いで、ゆっくりと一休みすることにした。
シャワーはあるものの、確かトイレは無かったと思っていたが、奥にある建設会社の倉庫の一部分にトイレがある、と貼り紙があり、利用させてもらった。
10数分程休ませてもらってから、休憩所を後にする。ここからは、交通量の多い国道歩きとなる。
東海図版の地図では、そのまま国道を進むルートも書かれており、今回はそちらを歩いてみようかとも考えていたのだが、車通りの多さに閉口してしまい、通常通りの遍路道を選んだ。
舗装路から砂利道、山の農道風な道、と次第に長閑になっていく。
少々草が伸びつつある箇所があったものの、特に問題は無かった。イノシシによって掘られた穴が目についた。
2020年02月10日
【3巡目-501】 伊予大洲駅から、道の駅「内子フレッシュパークからり」まで [2018年9月3日]〈その5〉
その一角の駐車場になぜか簡易トイレが並んでいたので、利用させてもらった。女性用まである。
不思議に感じていたが、今にして思えば、水害で室内のトイレが使えなくなったための処置だったのかも知れない。
20分程国道を歩き、旧道へと入り、新谷(にいや)の街へと入って行く。
銀河鉄道999で町おこしをしており、商店街には「鉄郎通り」「メーテル通り」と名付けられた小旗がたなびいていた。以前はあったかなあ。
通りを歩いていると、商店から奥さんが出て来て、町のことが書かれたチラシを渡してくれた。
作者である松本零士さんが、戦時中にこの町に疎開していた、との事である。
松本零士と言えば、マッキーと裁判沙汰になったこともあり、あまりイメージが良くないのだが。
帝京第五高校を過ぎると、木工所か何かの一角の大きな木の下にお遍路さん休憩所がある。
せっかくなので、ほんの少しだけ腰を下ろさせてもらい、すぐに出発した。
タグ :歩き遍路
2020年02月08日
【3巡目-500】 別格8番十夜ヶ橋へ [2018年9月3日]〈その4〉
一見すると分からないが、この辺りが水害の被害に遭った場所で、復興が進み、最近になって店が少しずつ再開しだしているようであった。
程なくして、大洲ICに差し掛かった。
横断歩道が一ヶ所しか無く、反対車線に移動し大回りすることになる。
左折するパトカーが、こちらの横断を待ってくれていた。出来れば行ってしまって欲しいのだが、職業柄そんな訳にもいかないのだろう。ジッとこちらが渡り終えるのを待っている。
小走りして渡ることになり、却って疲れてしまうのだが。
先日の水害で大きな被害を受けたようで、納経所の窓や本堂などあちこちに、「大水害(浸水)最高水位」と書かれた紙が貼られていた。
人間の身長の高さ程までも、水が押し寄せたようである。
橋の下のお大師さんを訪ねてみる。新しい布団が掛けられていた。
ここは、二巡目に納経していることもあり、軽く手を合わせて出発した。
2020年02月06日
【3巡目-499】 伊予大洲駅から、道の駅「内子フレッシュパークからり」まで [2018年9月3日]〈その3〉
この辺りかもう少し先で、ダムの放流による水害が発生して、甚大な被害が出た場所である。
水が堤防を越えたそうだが、こんなに河川敷が広いのに、と信じられない。
少し土手を歩いてから車道へと戻り、分岐を入って国道56号線に出て来た。通常の遍路道と合流である。
郊外型店舗が並んで賑やかである。その一角にジョイフルがあったことから、ここで朝食とすることにした。
40分程滞在してから、ようやく出発する。
程なくして、ビジネスホテルやラーメン屋、コンビニが一ヶ所に集まっている一角があり、ここのセブンイレブンで冷凍のお茶を購入した。
実は、このコンビニで買い物をしたのは今回、4回目である。
というのも、本当は良くないのだが、ここの共同駐車場で二日連続車中泊をさせてもらったのである。昨夜の夕食はここのラーメン屋を利用させてもらったし、たくさんお金を使ったので許してもらえるだろうか。
タグ :歩き遍路
2020年02月04日
【3巡目-498】 伊予大洲駅から、道の駅「内子フレッシュパークからり」まで [2018年9月3日]〈その2〉
学生たちは、帝京第五高校がある新谷駅に向かうのかなあ、と思っていたら一人が降りただけで、他の生徒たちは大洲駅やさらに先を目指すようだった。
みんなヘルメットを持参していたのは、駅から自転車を使う際には強制されているのだろう。
午前7時20分過ぎ、伊予大洲駅から歩き始めた。
へんろ地図では国道を進むことになっているが、地図を眺めていると、国道に並行して旧道っぽい道が続いている。東海図版の「四国遍路地図」でも赤い点線が入っていることから、この道を歩いてみることにした。
1.5車線の狭い道に、前方から集団登校の小学生たちが続々と列をなしてやって来る。車も行き交っており、少々危険であった。
住宅が並ぶ道を抜け、肱川沿いにたどり着くと、お堂があり、その一角に期せずして明治時代の遍路石があった。
やはりこの道が昔からの道だったようである。
遍路石には、遠く離れた[13]仙龍寺の文字が見られた。そんなに影響力の大きいお寺だったのだろうか。
タグ :歩き遍路
2020年02月02日
【3巡目-497】 伊予大洲駅から、道の駅「内子フレッシュパークからり」まで [2018年9月3日]〈その1〉
第二駐車場があり、そちらに車を移動、歩いて内子駅へと向かう。
この日は、道の駅に車を止めておいて、伊予大洲駅までJRを使って移動、歩いて戻ってくる方法を採る事にした。
朝の6時17分に道の駅を出発、内子の街中を通り抜け、20分程で内子駅に到着した。
朝早いにも関わらず、高校生たちが家族の送迎でやって来ていた。
裏手に回ると、20台ほど止められそうな、JR利用者用の駐車場があった。
すでに10台くらい止まっているのは、近所の方が駐車場にしているのだろうか。
ここに車を止めさせてもらい、松山まで歩いて戻ってくることも可能かも知れない。
朝7時ちょうど発の列車に乗り込む。同時刻に反対方向の松山行きも来ていたのだが、向こうにはサラリーマンやOLの姿も見られた。遠距離通勤されているのだろうか。こちらの列車は、ほとんどが学生さんだった。