2013年07月22日
【272】歩き遍路32日目〈その2〉[2012年4月22日]
道後温泉を出て、用水に沿った道を歩いていると、前方から沖縄のOさんがUターンして来た。山頭火一草庵に寄るつもりだったが通り過ぎてしまったようである。
松山市内の遍路道にはいくつかのコースがある。前回は、「乙・甲」コースを歩いたので、今回は「丙」のコースを進んでみることにした。
分岐点に来たが、遍路札は「甲」「乙」コースへと誘導しているので、へんろ地図を見ながら意識して歩いていないと「丙」コースには入れないようになっている。
広い道路を渡るが、横断歩道が無いので、サッと向こう側へ。しばらくは遍路シールがなかなか見つからなかったが、地図を見る限り、道は間違えていないようだ。
分岐には「へんろみち保存協力会」の遍路札があったが、字が消えかかっているものが多かった。昔からの遍路シールは残っていたが、最近よく見られる形のシールは見かけなかったように思う。
現在、こちらのルートを歩く人はほとんどいないのではないだろうか。
へんろ地図の赤い点線に沿って、忠実に歩く。写真の児童公園の中も遍路道となっていた。
この辺りの住居表示は「ひばりヶ丘」となっている。どこかで聞いた地名だなぁと思っていたら、「へんろみち保存協力会」のある場所だった。昨年亡くなられた、へんろ地図の著者、宮崎建樹さんの自宅も、おそらくこの辺りになるのだろう。
松山市内の遍路道にはいくつかのコースがある。前回は、「乙・甲」コースを歩いたので、今回は「丙」のコースを進んでみることにした。
分岐点に来たが、遍路札は「甲」「乙」コースへと誘導しているので、へんろ地図を見ながら意識して歩いていないと「丙」コースには入れないようになっている。
広い道路を渡るが、横断歩道が無いので、サッと向こう側へ。しばらくは遍路シールがなかなか見つからなかったが、地図を見る限り、道は間違えていないようだ。
分岐には「へんろみち保存協力会」の遍路札があったが、字が消えかかっているものが多かった。昔からの遍路シールは残っていたが、最近よく見られる形のシールは見かけなかったように思う。
現在、こちらのルートを歩く人はほとんどいないのではないだろうか。
へんろ地図の赤い点線に沿って、忠実に歩く。写真の児童公園の中も遍路道となっていた。
この辺りの住居表示は「ひばりヶ丘」となっている。どこかで聞いた地名だなぁと思っていたら、「へんろみち保存協力会」のある場所だった。昨年亡くなられた、へんろ地図の著者、宮崎建樹さんの自宅も、おそらくこの辺りになるのだろう。
Posted by こいったん at 21:17│Comments(0)
│お遍路 第二拝(愛媛)