2011年10月30日

【71】歩き遍路 11日目〈その1〉[2011年8月13日]

朝の6時前に、昨夜遅くやって来た歩きの方が出発して行くのが分かった。せっかく、久しぶりに歩きの方と同宿したのに、顔を合わせることなくお別れとは寂しいなぁ、とこの時は思っていた。5時半に朝食を摂ったそうだ。

食事場所へ行くと、テーブルの上に請求書とお接待のおにぎりが二つ、置いてあった。お接待を頂けるとは思わなかったので、とてもうれしかった。おじいさんによると、この先、自販機も何も無い区間があることを知ってから、おにぎりのお接待を始めた、との事だった。

昨日はお見かけしなかったおばさん(おじいさんの娘さんになるのだろうか)に缶入りのお茶を頂き、宿前で写真を撮ってもらい、朝6時半に出発した。

歩き始めて間もなく、一巡目の時に宿泊した「大安食堂」が見えてきた。今は営業していないようだ。

宿を出発して40分ほど歩いた頃に「かいつミルク」というお接待休憩所があったので、立ち寄ることにした。
冷たいおしぼりが用意されており、使わせてもらう。お礼にそこで売っていた牛乳を購入した。トイレの案内も出ていて利用させてもらおうと思ったが、結局どこにあるのか分からなかった。

「かいつミルク」を出発すると、「ユートピア那佐」というコンビニが見えてきた。一巡目の時、ここの店先の丸太のベンチに座って休憩した。今日は営業していなかった。

この辺りには、(24)最御崎寺までの番号と距離数が掛かれた独特の看板が、所々に立てられており、これも懐かしい。

次の休憩ポイントとしていた宍喰の道の駅に到着した。朝早い時間だったが、お盆中ということもあり、それなりに賑わっている。ベンチのようなものは見当たらなかったので、仕方なく喫煙所側の階段の所で休ませてもらうことにした。  


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2011年10月28日

【70】歩き遍路 10日目〈その4〉[2011年8月12日]

宿に到着すると、おじいさんが宿内の案内をしてくれた。上に上ったり下りたりとまるで迷路のようである。以前宿泊した鴨島の「さくら旅館」に似ている。
部屋は10畳の広い部屋だった。隣とは襖一枚で仕切られている。

少し休憩してから、お風呂へ。洗い場が4つあり、家庭風呂二つ分くらいの広さだろうか。浴槽は1m×3mくらいの縦長で、新しいわけではないが、意外なことにジェット水流がついており、とても気持ちが良い。

入浴後、食事の部屋に行くと、計3名分の食事の用意がされている。隣は一般の方のようで、向かい側が歩きの方との事だが、まだ到着していないようだ。この方が、今日バスの車窓から見えた大阪のMさんなのだが、顔を合わせるのは明日、高知県に入ってからとなる。

女将さんが、もう一人の歩きの方(大阪のMさん)が来ない、と心配している。電話をしても繋がらない、との事だ(後で分かった事だが、Mさんは到着が遅くなると連絡していたのだが、女将さんが忘れてしまっていたそうである)。

朝食は、朝早くから対応してくれているようである。6時からでお願いした。
部屋に戻って、書き物をしたりして過ごしていると、ようやく大阪のMさんが到着されたようだ。夜の8時近くだったろうか。


 みなみ旅館:一泊二食 6500円 ※洗濯機2・乾燥機1は無料。部屋にお茶等はなし。浴衣なし。宿外に自販機(BOSS)有。
 宿泊客:歩き遍路2名・一般客3名  


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2011年10月25日

【69】歩き遍路 10日目〈その3〉[2011年8月12日]

牟岐を出た頃は大雨だったが、時折、晴れ間も見えるようになってきた。

農協を出発すると、歩き遍路向けにいくつかの看板が立っていたので、指示に従って歩いて行くが、方向がおかしい事に気が付いた。やがて道は元の国道に合流してしまった。どうしてもこちらを歩いて欲しいようだ。今から戻る元気も無かったので、国道経由で進むことにした。

小さな峠を越え、旧海南町の手前からは国道の旧道らしき道の方を歩いた。そのまま国道を進めば有名な遍路小屋があるはずであるが、今回はパスした。

海部川のたもとには、一巡目の時に休憩した、ホームセンターの木のベンチが変わらずに残っていた。これを確認したくて、旧道を歩いたのである。
海部川橋は、1.5車線の狭い橋である。交通量もわりと多く、気を付けて渡らなければならない。
西日が差し、とても良い雰囲気の中で、橋を渡った。

そのまま道なりに進む。商店がぽつぽつと並んでいる。この辺りが昔の旧海部町の中心街だったのかも知れない。その一角にある「みなみ旅館」には夕方5時半に到着した。


本日のコースタイム
牟岐13:27→15:05[4]鯖大師15:29→17:31みなみ旅館

歩行距離:11.6km
 歩数 :22574歩
最高気温:31.4℃
最低気温:25.0℃[海陽町]  


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2011年10月23日

【68】歩き遍路 10日目〈その2〉[2011年8月12日]

別格の参拝は初めてである。さて、どこでお経を唱えるのだろうか。本堂・大師堂というのはあるのだろうか。
よく分からないので、正面のお堂で般若心経を唱えて、納経してもらった。

別格の数珠を集めると良い、という話を聞いていたので、購入することにした。
三種類あり、どれにしますか、と聞かれたが、これも分からなかったので、男玉?だったかを買った。
冷静に考えてみれば、数珠を集めて輪っかにして自分が使うのだから、これで良かったのだ、と簡単な事に気付いた。この辺りの事には全く疎いのである。

参拝後、駐車場にあった灯篭の台座に腰かけて休憩していると、通りかかった地元の方と、暑いですねぇ、など少し話をする。今日宿泊予定の「みなみ旅館」のことをご存じで、昔からあって古いよ、との事だった。
以前知り合ったお遍路さんが「遊遊NASA」がとても良かった、と絶賛していたが、このお盆の時期に一人で泊まれるわけがない、と最初からあきらめていた。

「鯖大師」を午後3時半に出発した。ここから本日の宿まで8㎞近くある。少々急がないと6時を過ぎてしまいそうである。

浅川の町に入ると、遍路道は二手に分かれる。一周目の時は海側の道を歩いた。今回も同じ道を歩こうと思ったが、道しるべはすべてそのまま国道を直進するように指示が出ている。海側の道は遠回りになります的な看板まであった(地図を見ると海側の道の方が100m短いのだが‥)。どうしても国道を通って欲しいような感じで、反って訝しい印象を受けた。
少々迷ったが、懐かしい海側のルートを歩く事にした。

ゆっくり休憩出来る所を探したが、なかなか見つからない。浅川の農協に自販機と日陰があったので、少し埃っぽい場所だったが、ここの入口の階段の所で休ませてもらうことにした。
  


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2011年10月21日

【67】歩き遍路 10日目〈その1〉[2011年8月12日]

牟岐から歩き出して間もなく、ポツリポツリと雨が降ってきた。天気予報では晴れのはずだが‥。ポンチョを着るほどの降り方ではないので、そのまま歩く。
「草鞋大師」のある山側の道を歩きたかったが、雨が降ってきたので、そのまま国道を歩くことにした。

程なくローソンがあり、さぬきうどんが店内で食べることが出来るようになっていた。せっかくなので立ち寄ることにした。かけうどん(190円)を頼んだ。

飲食していると、本格的に雨となり、それもかなり激しく降ってきた。小止みになったのを見計らって出発した途端、またも激しく降ってきて、ローソンの軒先に逆戻り。しばらく待っていたが、雨脚は一向に衰えそうもないので、土砂降りの中、出発した。

早速、靴の中はびしょ濡れになってしまったが、構わずに歩き続けた。その内、雨は止んでその後降ることはなかったから、もう数十分、ローソンに居た方が良かったのかもしれない。

一か月前、真っ暗な中を修行僧さんと歩いた道を、今は昼間の明るい時間に歩いている。

道路右側に「いやしの古道 土佐浜街道」という看板を発見、ここから「鯖大師」へ行けるようなので、この道を通ってみることにした。
丘を一つ越える感じの土の道だった。

「鯖大師」の建物が見えてきた所で、道に柵がしてある。エッ!と思ったら、鹿避けの柵なので、柵を開けてお通り下さい、と看板があってホッとした。
看板が無かったとしても、ここまで来て引き返すのは嫌なので、こっそりと飛び越えていたかもしれない。。。

午後3時頃、日中の別格④「鯖大師」に到着した。
  


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2011年10月19日

【66】第14回 区切り打ち 出発[2011年8月12日]

←高速舞子バス停

高速舞子9時発の室戸行きだが、出発前の高速道路情報では大きな渋滞が予想されていたので、大分遅れて来るだろうな、とは思っていたが、やはり時間になってもバスは一向にやって来なかった。
中には定刻通りに来るバスもあるが、これはおそらく神戸発の便だろう。

高速舞子の狭いバス停には次々と人がやって来て、長い列が出来ている。淡路島に向かうバスに乗る人たちの列だ。旅行客というよりは、地元の方のようだ。これ程たくさんの人たちがバスを利用しているのか、と感心してしまった。次々とバスがやって来るが、すぐに列が伸びていく。

途中、トイレに行きたくなったが、下の階の少々離れた場所にあるので、バスが来ては、となかなか行けない。バス案内をしていたおじさんにお願いして、バスが来たら待ってもらって下さい、とお願いし、トイレへと走った。

2時間くらいは遅れてくるかなぁ、と思っていたが、1時間弱の遅れで室戸行きバスがやって来た。2台体制である。バス停では、二人ほどお遍路さんの姿を見かけたが、このバスには乗らなかった。
バスは途中、室津PAで休憩し、徳島からは国道を走る。

(23)薬王寺のある日和佐からは、一巡目の時に歩いた懐かしい道を、車窓から眺めていた。
と、一人の歩き遍路さんの姿を発見した。この暑いお盆にも歩いている人がいて、うれしくなった。今の時点でここを歩いているということは、今日は牟岐辺りに泊まるのかなぁ、などと考えていたが、この方とは、その後何度も顔を合わせ、宿でも一緒となり親しくさせて頂くことになる。

牟岐に到着したのは昼の1時10分頃と、定刻より1時間以上の遅れとなった。
ここから前回区切った「鯖大師」まで、JRか路線バスを利用する予定だったが、バスが遅れたため、これから乗る便がなく、牟岐から歩き始めることにした。

牟岐のバス停は、バスターミナルの少し手前のスーパー前だったので、ターミナルの待合所へ行き、そこで遍路衣装に着替え、8月12日午後1時27分、いよいよ今回の遍路旅を開始した。


本日のコースタイム
石川県東金沢駅→金沢駅11日23:00⇒icon18⇒12日04:49京都駅烏丸口→西宮駅→西明石駅7:23→舞子駅…高速舞子⇒icon18⇒13:14牟岐
  


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2011年10月17日

【65】第14回 区切り打ち 出発[2011年8月11日]

今回が、通算14回目の区切り打ちとなります(第二拝では4回目)。

日数が長いので駐車場所の確保やお盆の渋滞を避けるため、公共交通機関を利用して四国まで移動しました。関西までは、初めての高速バス利用です。

車の場合は気にしなくていいのですが、お杖や菅笠を人目につかず(恥ずかしいので)どう持っていくか、考えなくてはなりません。

夜23時発の大阪行きのバス(北陸ドリーム大阪号)は3台体制。予約開始日に予約したので、座席は1号車の1A、二階建てバスの先頭座席です。景色が良いはずなのですが、夜行なのでカーテンは閉めたままでした。3時間くらいは眠ったでしょうか。

大阪付近の渋滞が心配だったので、京都駅で下車、まだ朝の5時前でした。JRに乗り換え、高速舞子まで移動しました。
高速舞子にバスが停車してもらえると、とても助かります。大阪では時間的に乗り継ぎが間に合わなくても、舞子ならJRを利用することで可能となります。

京都駅からは始発列車の普通加古川行きに乗車です。

今日は8月12日、通勤客と行楽客が入り混じっていました。冷房がきつく身体が冷えてきたので、一旦西宮駅で下車し、ホームで休憩、再び電車に乗り込んだのですが、居眠りしてしまい、下車するはずの舞子駅を過ぎ、気付いた時には西明石駅の手前でした。舞子駅に着いたのは朝の8時前でした。

室戸行き高速バスは9時発なので、バス停への道の途中にあったロッテリアで朝食としました。ここは珍しく喫煙OKだったので、ゆっくりできました。
  


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2011年10月15日

【64】歩き遍路 9日目〈その10〉[2011年7月3日]


牟岐からは乗客が1名増えて、計3名となり、列車は日和佐駅に到着した。

「道の駅日和佐」に止めて置いた車に乗り込み、徳島市内で給油と食事をし、四国を後にした。

最後に一つ、失敗が‥
高速道路の深夜割引を利用するには、淡路島を抜けて神戸方面へ走り抜けなければならなかったのだが、淡路PAで朝まで仮眠していたため、割引を受けることが出来ずに、ほぼ正規料金を払うことになってしまった。PAに止まっている車が少ないのでおかしいな、とは思っていた。橋を渡った所にある料金所を夜の間に通過しなければならなかった。
こんなことなら、四国でもう一泊して翌日帰ってくれば良かったなぁ。

いつも米原から北陸自動車道に入るので、今回はそのまま東進し、遠回りになるが、愛知県の一宮JCTから東海北陸自動車道経由で帰って来た。初めて走るルートとなった。


本日のコースタイム
山茶花7:05→(22)平等寺7:22→(由岐経由)→14:00(23)薬王寺14:36→20:07(別格4)鯖大師20:17→鯖瀬駅

鯖瀬駅→日和佐駅→道の駅日和佐→鳴門IC⇒(淡路SA)⇒⇒(一宮JCT)⇒⇒4日17:20金沢

歩行距離:42.1km

車両総走行距離:175,690㎞(出発)→176,767㎞(到着)[1077㎞]


歩き遍路第二拝 第3回区切り打ち 終了

  


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2011年10月13日

【63】歩き遍路 9日目〈その9〉[2011年7月3日]

辺りは真っ暗だったが、般若心経を唱えて打ち止めとした。修行僧さんに写真を撮ってもらった。

さて、修行僧さんはどうするのだろうか。ここの宿坊に泊まれたら、と辺りを探してみるが、人の気配がせず、暗いのでどこに宿坊があるのか分からない。
あきらめて、鯖大師を出発するとすぐに、一台の軽トラックが通りかかった。この車を止めて、この辺りに宿はないか、必死に尋ねている。
少し離れた場所で様子を眺めていたが、修行僧さんの話によると、偶然にも、軽トラックの方が近くで宿を経営しているそうで(本当か?)、今からそこまで行きます、との事だった。

国道まで一緒に歩いて、今後の健闘を祈りつつ、修行僧さんとお別れした。
汽車の時間まで少しあったので、食堂の前に座り込み、缶コーヒーを飲みながら一服した。

鯖瀬駅は小さな無人駅、この時間に汽車に乗る人はもちろんいないので、駅を独り占めである。
やって来た列車に先客は1名だけだった。
のんびりと列車に揺られながら、達成感と充実感に満ち溢れていた。

この日歩いた距離は42㎞と、自己最高となった。歩いた距離にこだわる訳では無いのだが、たまにはこうやって頑張って目一杯歩いてみるのもいいものである。
  


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2011年10月11日

【62】歩き遍路 9日目〈その8〉[2011年7月3日]

ゆるやかな流れの川面を左手に眺めながら歩き続けると、牟岐の町に到着した。
一周目の時は、ここから市街地に入り、草鞋大師に向かう山道を歩いたが、今回は有名なお接待所があるという、国道をそのまま歩いた。
時刻は夜の7時近くとなり、徐々に薄暗くなってきた。

牟岐警察署近くのお接待所の辺りに、修行僧さんが立っていた。追いついて話を聞くと、今日はこのお接待所で野宿しようかと思っていたが、泊まるのは無理そうだ、という感じの事を言っていた。

国道を歩き続け、八坂トンネルを抜けると、写真の通り眼下に海が広がっていた。もう辺りはすっかり薄暗くなっている。

道を下ると浜辺に降りる階段を見つけたので、休憩のため降りていくと、こんな所に、といった場所に自動販売機があった。おそらく海水浴客用だろう。コンクリートの堤防に腰かけてゆっくり休もうかと思ったが、すぐ側にテントが張ってあり、誰かが野宿しているようだ。早々に引き揚げることにした。

辺りはすっかり真っ暗闇となってしまった。一人っきりだったら、歩き続けることが出来たかどうか。前方に修行僧さんも歩いているかと思うと、頑張れたのかもしれない。

鯖大師の近くまで来ると、再び修行僧さんに追い付いた。ここからは一緒に歩く。
国道を右折して100m、夜の8時を少し過ぎてようやく、最終目的地「鯖大師」に到着した。
  


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2011年10月09日

【61】歩き遍路 9日目〈その7〉[2011年7月3日]

←コインスナックおにがいわや

6年前、ここに立ち寄った時にはゴミが散乱しており、ゆっくりと休憩出来る雰囲気ではなかったが、今回は大丈夫だった。

間もなく、修行僧さんがやって来たので、色々と話を伺うことが出来た。
高野山のお寺で修行している。結構、野宿をしているそうなので、夕食はどうしているのか聞くと、朝と昼の一日二食という決まりだそうだ。これで、体力は持つのだろうか。本当の修行とは厳しいものである。大食いの自分には耐えられないだろう。また、足を少々痛めているとの事で、国道を中心に歩いているそうだ。

修行僧さんは先に出発し、国道をそのまま歩いて行った。自分は道路の反対側に渡り、小松大師の方に向かった。
とりあえずここを目標に歩いてきたが、身体にエンジンがかかってきたようで、まだまだ進めそうである。夕方6時近くとなったが、外はまだまだ明るい。この調子なら、鯖大師近くの鯖瀬駅から、車を置いてある日和佐駅への最終列車(20:37)に間に合いそうである。この頃には、鯖大師まで頑張って歩こう、という気持ちになっていた。

国道をショートカットする道に入り、小松大師の側まで来た。確か、この上です、という看板も出ていたのだが、どこにあるのかが分からない。ここかなぁと思い入っていくと、一般の家の敷地だったりと、結局分からずじまいだった。先を急ぐので、深追いせずにあきらめ、牟岐方面へと向かった。
  


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2011年10月07日

【60】歩き遍路 9日目〈その6〉[2011年7月3日]

この遍路小屋(第40号日和佐)は地図には掲載されていないので、最近出来たばかりのようである。6年前に比べて、随分と休憩所が増えてきている印象がある。
修行僧さんは、そのまま休まずに行ってしまった。

国道55号線を歩いていると温度計が現れた。28℃となっている。

山河内の集落を過ぎると、前方に先程の修行僧さんと車に乗ったグループの方が何やら話しをしている姿が見えてきた。水車があり、小さいベンチが置かれている場所である。
修行僧さんを見てビックリ、若い黒人の方だった。
車に乗ったグループの方々は、カメラが趣味で、その方の写真を撮りまくっている。話によると、何日か前に全く別の場所で、この修行僧さんを見かけたそうだ。その時は、声を掛けることが出来なかったらしい。
宍喰でお餅を投げるお祭りがあり、その帰りとの事で、その時のお餅を我々にお接待してくれた。とてもおいしいお餅だった。

修行僧さんは、特に行き先は決めておらず、宿がなければ野宿しているようだった。グループの方々を見送り、修行僧さんも出発して行った。少し遅れて自分も出発する。

国道ということで、交通量は多いが、木々に囲まれて日当たりが悪いのか、苔むした区間が続く。
峠を越えてゆるやかな下り坂となる。すると、前を歩いていたはずの修行僧さんがバックしてこちらに戻って来た。何かと思ったら、古びたバス停の中にお地蔵さんがあったが、お参りする人も少ないのか、埃をかぶって汚れてしまっていた。それが気になって引き返してきたようである。修行僧さんは側にあった竹ぼうきで掃除を始めた。

しばらく進むと、休憩場所の目途にしていた「コインスナックおにがいわや」に到着した。ゆっくり休ませてもらうことにした。
  
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2011年10月05日

【59】歩き遍路 9日目〈その5〉[2011年7月3日]

(23)薬王寺を出ると、お寺の駐車場の一角に温泉が出来ていた。旧千羽温泉だろうか。今日の帰りにでも立ち寄ろうかと思ったが、終了時間が早かったので無理そうだ。
少し歩くと、「道の駅日和佐」である。昨日止めて置いた自家用車は無事である。ここでも再び休憩とする。
日曜日ということもあり、たくさんの人で賑わっている。遅い昼食で、焼きそばを食べた。
また、大きな荷物を持った30代くらいのお遍路さんがいた。今回の旅で初めて見かける、確実な歩き遍路さんだった(太龍寺で見かけた方は確信が持てないので)。話をしたかったが、何となく声を掛けづらかったので止めておいた。

時間は午後3時近くとなっている。ここから鯖大師までは20㎞近くある。5時間以上はかかるだろう。牟岐までは15㎞で4時間くらいか。少々難しいかもしれない。
小松大師まで行けば近くにJRの駅もあるので、とりあえずはここまでを目標に歩き始めた。

ゆっくりと休憩したためか、快調に国道を歩く。しばらく進むと前方を歩いている人を発見した。どうやらお遍路さんのようだ。歩いている人がいるとは思いもしなかった。牟岐まで行かれるのだろうか。
少しずつ距離を縮めていくとその方の様子が分かって来た。黒色の衣装にオレンジの何かを羽織っている。修行僧のような方である(この方とは結局、「鯖大師」まで相前後しながら歩くことになる)。

日和佐トンネルに差し掛かる。一周目の時は、トンネルの手前から左に入る、地図には書いてない遍路道(おそらく国道の旧道)の案内があったので、そちらを通ったのだが、ガードレールで入口が塞がれ通れないようになっていたので、今回はトンネルを通ることにした。

徐々に前方の修行僧さんに近付き、あと数十mとなると、その方が唱えている般若心経らしき声が聞こえてきた。歩きながらずっとお経を唱えているのだろうか。

トンネルを抜けしばらくで、左手に遍路小屋が見えてきた(ヘンロ小屋第40号日和佐)ので、休憩することにした。時間は午後4時前である。
  


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2011年10月03日

【58】歩き遍路 9日目〈その4〉[2011年7月3日]

お接待所を出発し、日和佐の市街地を歩く。一直線の商店街を歩くと、国道を挟んで目の前が(23)薬王寺である。このシチュエーションは(1)霊山寺に似ている。
今歩いてきた一直線の商店街は、お寺への参道に当たるのだろうか。由岐からの道が本来のへんろ道になるのかもしれない。

階段には一円玉が置いてある。自分も厄年(後厄)なので、置いていこうかと思ったら、手持ちの一円玉が2~3枚しか無かったので、上の方にだけ置いた。こんなやり方で良かったのだろうか。

参拝の前に御本尊の真言を確認すると「厄除薬師如来」となっている。厄除?
実は今だ厄払いをしておらず、誕生日が迫ってきており、どうしようか、と困っていた所だった。どうやって行っていいのかよく分からなかったので、何となく先延ばしにしていたのだ。

参拝後、納経所にて厄払いについて尋ねると、住所・氏名等を書いて、代金(3000円)を支払えば、翌日、お寺の方で厄払いをして頂けるそうである。これ幸いに、お願いすることにした。
ずっと気にしていた厄払いをやっと行うことができ、ホッとした。木製の立派なお札を頂いた。
同じく納経所にいた別の方も、続いて厄払いの依頼をされていた。

後で調べた所によると、(23)薬王寺は厄払いのお寺として、全国的にも有名なようだ。

お寺は高台にあるので、日和佐市街の眺めがとても良い。眺めの良い場所に、ベンチがいくつか置かれて休憩出来るようになっていたので、ゆっくりと過ごした。個人的にはお気に入りのお寺になりそうである。
  


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2011年10月01日

【57】歩き遍路 9日目〈その3〉[2011年7月3日]

木岐の遍路小屋を出ると、しばらくで丘を越える歩きの道となった。
ここは「俳句の小径」となっており、お遍路さんその他から俳句を募集し、入選した作品が杭に書かれて立っていた。まだ新しい杭が多く読みやすかったので、途中からは一つひとつ読みながら歩いた。
一句、心に響く作品があり、切なくなってしまった。

再び県道に合流。通る車はとても少ない。しばらく進み、県道をショートカットする歩きの道に入る場所に小さな休憩所があったので、ちょっと立ち寄る。
先程の俳句の小径の資料があり、投句箱もあった。自分も応募してみようかと思ったが、適当な紙がなかったので見送った。

歩きの道を下ると、平地に出た。湾を周るように歩くと、眼前に海が広がる広い道に出た。キャンプ場もある。ここには一軒の釣具店に自販機とベンチがあったので、一休みすることにした。

ここからは少し上りとなり、高い所から海を眺めながらの歩きとなる。道は狭いが、通る車も少ない。「ホテル白い燈台」にはたくさんの車が止まっている。日帰り入浴が出来るようだ。眼下の海岸には海で遊んでいる人たちの姿が見える。
道は下りとなり、日和佐の町にたどり着いた。町内を歩いていると、忠愛所というお接待所があり、声を掛けてもらった。

(23)薬王寺までもうすぐだったのでお寺で休憩を、と思ったが、せっかくの申し出なので、休ませてもらうことにした。
冷たいお茶やコーヒー、お菓子を頂き、少しお話をさせて頂いた。今日はもう一人、お遍路さんが通ったそうだが、先を急ぐとの事で立ち寄らなかったそうだ。

こうやって数少ないお遍路さんを迎えるために、自分自身の時間を割いて休憩所に詰めていてくれることは、凄いことだな‥と改めて思う。
  


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