2020年11月07日
【3巡目-585】 57番栄福寺 [2019年3月17日]〈その14〉
(57)栄福寺に向かって、車道から山裾の小道へと入る。
ここは確か土の農道だったはずだが、白いコンクリートに変わってしまっていた。
この先の道は記憶に残っていなかったが、道しるべ通りに進み、(57)栄福寺に到着した。午後4時5分である。
山門は無く、小ぢんまりとしたお寺である。もう少し上がった場所に神社があるようなので、神仏分離とかでこうなったのだろうか。
入ってすぐに、木造で小さくきれいなトイレがあり、利用させてもらった。
本も出している若い住職さん、との事で、駐車場の字体も今時であった。
群馬の方も先に到着していたが、早々に出立していった。後で聞いた話では、(58)仙遊寺の宿坊に午後5時には到着したいと思い、急いでいたそうである。
本堂の軒下には、お寺の説明文でよく書かれている、足腰が不自由な少年が治癒しそのご利益に感謝して昭和8年に奉納された、と言う箱車が置かれていた。
静かにお経を唱えたい所だったが、本堂横の廻廊で工事をしている。工事音なら仕方ないのだが、職人さんの大声での世間話が煩くて集中出来なかった。
ここは確か土の農道だったはずだが、白いコンクリートに変わってしまっていた。
この先の道は記憶に残っていなかったが、道しるべ通りに進み、(57)栄福寺に到着した。午後4時5分である。
山門は無く、小ぢんまりとしたお寺である。もう少し上がった場所に神社があるようなので、神仏分離とかでこうなったのだろうか。
入ってすぐに、木造で小さくきれいなトイレがあり、利用させてもらった。
本も出している若い住職さん、との事で、駐車場の字体も今時であった。
群馬の方も先に到着していたが、早々に出立していった。後で聞いた話では、(58)仙遊寺の宿坊に午後5時には到着したいと思い、急いでいたそうである。
本堂の軒下には、お寺の説明文でよく書かれている、足腰が不自由な少年が治癒しそのご利益に感謝して昭和8年に奉納された、と言う箱車が置かれていた。
静かにお経を唱えたい所だったが、本堂横の廻廊で工事をしている。工事音なら仕方ないのだが、職人さんの大声での世間話が煩くて集中出来なかった。