2013年12月27日
【番外】 良い年をお迎え下さい。
今年最後の更新となります。
本年は、「あぜ道コロコロ歩き旅」を読んで頂き、ありがとうございました。
今年は自分にとって、今一つの年でした。仕事が上手くいきません。もう何年も前から、これにすがっています。
7億円もいらないけれど、7000万円あれば、働かなくても慎ましく生きていけます。奮発して40枚も買いました。
来年も引き続き、遍路紀行を書いていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
このブログにアクセスして下さる皆さん、良い年をお迎え下さい。自分自身にとっても良い年となりますように。
本年は、「あぜ道コロコロ歩き旅」を読んで頂き、ありがとうございました。
今年は自分にとって、今一つの年でした。仕事が上手くいきません。もう何年も前から、これにすがっています。
7億円もいらないけれど、7000万円あれば、働かなくても慎ましく生きていけます。奮発して40枚も買いました。
来年も引き続き、遍路紀行を書いていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
このブログにアクセスして下さる皆さん、良い年をお迎え下さい。自分自身にとっても良い年となりますように。
2013年12月25日
【320】歩き遍路37日目〈その3〉[2012年6月18日]
旧街道を歩き続けると、市街地に入って来た訳ではないにも関わらず、突然、アーケード街が現れる。
へんろ地図には書かれていないが、「喜光地商店街」と呼ばれ、昭和が残る商店街である。
調べてみると、昔の旧街道と別子銅山への道が交差する地点として、繁栄していたそうだ。
この商店街の一角に、トイレ付の広場があったので、ここで一休みとした。
へんろ地図では、この商店街の少し手前からは、松山自動車道に沿って歩く、別の遍路道があるが、こちらを歩いたことがある人はいるのだろうか。あまり聞いた事がない。三巡目には、このルートを歩いてみることも検討したい。
引き続き、旧街道(讃岐街道)を進む。今日は伊予三島までずっと、この讃岐街道を歩き続けることになる。
国領川という、広い川を渡るが、川の水は地中を流れているのか、途中で消えている。この辺りにはこのような、石がごろごろして水が流れていない川が目立っていた。
「スーパーM2」の所で、国道11号線に合流し、しばらくは現代の街道を進む。一巡目の時に休憩した「デイリーヤマザキ」を左に見ながらさらに進む。
へんろ地図ではそのまま国道を進むことになっているが、関ノ戸という集落の手前、進行方向右手に国道に平行して旧街道らしき道があったので、そちらに入ってみることにした。
へんろ地図には書かれていないが、「喜光地商店街」と呼ばれ、昭和が残る商店街である。
調べてみると、昔の旧街道と別子銅山への道が交差する地点として、繁栄していたそうだ。
この商店街の一角に、トイレ付の広場があったので、ここで一休みとした。
へんろ地図では、この商店街の少し手前からは、松山自動車道に沿って歩く、別の遍路道があるが、こちらを歩いたことがある人はいるのだろうか。あまり聞いた事がない。三巡目には、このルートを歩いてみることも検討したい。
引き続き、旧街道(讃岐街道)を進む。今日は伊予三島までずっと、この讃岐街道を歩き続けることになる。
国領川という、広い川を渡るが、川の水は地中を流れているのか、途中で消えている。この辺りにはこのような、石がごろごろして水が流れていない川が目立っていた。
「スーパーM2」の所で、国道11号線に合流し、しばらくは現代の街道を進む。一巡目の時に休憩した「デイリーヤマザキ」を左に見ながらさらに進む。
へんろ地図ではそのまま国道を進むことになっているが、関ノ戸という集落の手前、進行方向右手に国道に平行して旧街道らしき道があったので、そちらに入ってみることにした。
2013年12月21日
【319】歩き遍路37日目〈その2〉[2012年6月18日]
中萩駅前のバス停を出発、国道と並行する「旧街道」と標識がある道を、延々と歩き続けることになる。
この道、朝のラッシュということもあるのか、狭い道に結構車が走り、大変歩きにくかった。これでは、歩道があるであろう国道を進むほうが、のんびりと歩けるかも知れない。
この辺りに、4月の遍路旅で何度も一緒になった愛媛のSさんが住まわれているはずである。遍路道沿いに自宅があると話していた。
持鈴を鳴らしながら、通り沿いの家の表札の見える家は出来るだけ確認しながら歩いていったのだが、結局の所、Sさん宅と思われる家は見つからなかった。
道沿いに「荻生庵」という、休憩所が現れた。お遍路さんの無料宿泊所にもなっているようだ。前回歩いた時には、存在に気付かなかった。
中に入ってみると、遍路ノートがあり、パラパラとめくってみた。最近の書き込みに、変わったものがある。
どなたかと一緒にずっと同行していたが、独り立ちして歩き始めた、といった内容である。日数もずいぶんと掛かっている。
一体どういうことだろうか、と軽く疑問に思ったのだが、この書き主とは、約一週間後に出会い、何度も顔を合わせ、偶然にもほぼ同時に結願することになるから、不思議な出会いとなった。
この辺りには、平屋だが立派な構えの農家風の家が目立つ。他ではあまり見かけない感じの家である。
この道、朝のラッシュということもあるのか、狭い道に結構車が走り、大変歩きにくかった。これでは、歩道があるであろう国道を進むほうが、のんびりと歩けるかも知れない。
この辺りに、4月の遍路旅で何度も一緒になった愛媛のSさんが住まわれているはずである。遍路道沿いに自宅があると話していた。
持鈴を鳴らしながら、通り沿いの家の表札の見える家は出来るだけ確認しながら歩いていったのだが、結局の所、Sさん宅と思われる家は見つからなかった。
道沿いに「荻生庵」という、休憩所が現れた。お遍路さんの無料宿泊所にもなっているようだ。前回歩いた時には、存在に気付かなかった。
中に入ってみると、遍路ノートがあり、パラパラとめくってみた。最近の書き込みに、変わったものがある。
どなたかと一緒にずっと同行していたが、独り立ちして歩き始めた、といった内容である。日数もずいぶんと掛かっている。
一体どういうことだろうか、と軽く疑問に思ったのだが、この書き主とは、約一週間後に出会い、何度も顔を合わせ、偶然にもほぼ同時に結願することになるから、不思議な出会いとなった。
この辺りには、平屋だが立派な構えの農家風の家が目立つ。他ではあまり見かけない感じの家である。
2013年12月17日
【318】歩き遍路37日目〈その1〉[2012年6月18日]
朝6時25分に起床する。普段はぐっすり寝ている時間なので、とても眠たい‥。
朝食は6時45分からだった。7時からだったら諦めて食べずに出発、となる所だが、この時間からだったらギリギリ食べて行こうか、となる。
朝食をしっかり食べるのと食べないのでは、午後からのパワーに大きく影響してくる。
レストランでは、何組かの人たちが食事をしている。向かいのテーブルにもお遍路さんらしき若い人が食事をしていた。彼とはこの後何度か顔を合わせることになる。
いざ出発、と荷物を抱えてロビーに行くと、昨日のたかり?のおじさんが入って来て、ロビーで新聞を読み始めた。声を掛けずに、そのまま出発した。
この後、本当に福島の原発へ働きに行ったのだろうか、それとも、今もお遍路さんからお金を無心しているのだろうか。
西条駅に行き、バスを待つ。西条は水の町ということで、駅前や駅のホームにも水が湧き出している一角があった。石鎚山からの伏流水があふれているのだろう。
四国と言えば、水不足が深刻、というイメージがあるが、場所によるのかもしれない。
同じ頃に石鎚山方面行きのバスがあり、一人のお遍路さんが乗車していったようだ。ちょうどその頃、腹の調子が悪くなり、駅のトイレに駆け込んだ。朝はいつも腹の調子が今一つである。
午前7時46分発のバスにギリギリ間に合う。8時過ぎ、昨日の夕方乗車した中萩駅前で下車、今日はここから歩き始める。伊予三島まで、約30㎞である。
出発が少々遅くなったが、この距離で札所は別格の延命寺だけだから、それ程遅くならずに到着出来るだろう。
朝食は6時45分からだった。7時からだったら諦めて食べずに出発、となる所だが、この時間からだったらギリギリ食べて行こうか、となる。
朝食をしっかり食べるのと食べないのでは、午後からのパワーに大きく影響してくる。
レストランでは、何組かの人たちが食事をしている。向かいのテーブルにもお遍路さんらしき若い人が食事をしていた。彼とはこの後何度か顔を合わせることになる。
いざ出発、と荷物を抱えてロビーに行くと、昨日のたかり?のおじさんが入って来て、ロビーで新聞を読み始めた。声を掛けずに、そのまま出発した。
この後、本当に福島の原発へ働きに行ったのだろうか、それとも、今もお遍路さんからお金を無心しているのだろうか。
西条駅に行き、バスを待つ。西条は水の町ということで、駅前や駅のホームにも水が湧き出している一角があった。石鎚山からの伏流水があふれているのだろう。
四国と言えば、水不足が深刻、というイメージがあるが、場所によるのかもしれない。
同じ頃に石鎚山方面行きのバスがあり、一人のお遍路さんが乗車していったようだ。ちょうどその頃、腹の調子が悪くなり、駅のトイレに駆け込んだ。朝はいつも腹の調子が今一つである。
午前7時46分発のバスにギリギリ間に合う。8時過ぎ、昨日の夕方乗車した中萩駅前で下車、今日はここから歩き始める。伊予三島まで、約30㎞である。
出発が少々遅くなったが、この距離で札所は別格の延命寺だけだから、それ程遅くならずに到着出来るだろう。
2013年12月13日
【317】歩き遍路36日目〈その7〉[2012年6月17日]
本日の宿、「西条国際ホテル」に到着した。国際ホテル、と名のつく宿に泊まるのは生まれて初めてなので、少々楽しみである。
ホテルに入ると、ロビー、廊下とスポーツ刈りのお兄さんたちの姿がやたらと目立ち、こちらにジロリと視線を投げてくる。
一体何の人たちかと思ったが、すぐに中国の方かな、とピンときた。
夕食のため、レストランに入る。一般客はチラホラ、先程の青年たちで賑わっていた。回鍋肉定食(800円)を注文する。手頃な値段で夕食を済ませることが出来て良かった。
レストランの方に聞いた話では、青年たちは中国からの造船関係の研修生で、1か月ほど滞在するとの事だった。ホテルに長期間滞在して研修とはリッチである。
こういった研修生のためだろうか、洗濯機や乾燥機の台数が多く、無料で使えるようになっていたのは有難かった。
本日のコースタイム
伊予小松駅12:09→12:11(62)宝寿寺12:18→12:50(63)吉祥寺13:14→13:53(64)前神寺14:38→17:15中萩駅前17:20→→西条駅前→17:46西条国際ホテル
西条国際ホテル:1泊朝食付 3920円(ネット予約) 515号室
※備品は一般のビジネスホテルと同じ。コインランドリーは2か所あり、洗濯機計8台、
乾燥機計6台が無料。洗剤のみ購入する。
夕食はレストランにて。朝食は6時45分から。
歩行距離:14.7km
歩数 :26872歩
最高気温:25.8℃
最低気温:20.9℃[西条市]
ホテルに入ると、ロビー、廊下とスポーツ刈りのお兄さんたちの姿がやたらと目立ち、こちらにジロリと視線を投げてくる。
一体何の人たちかと思ったが、すぐに中国の方かな、とピンときた。
夕食のため、レストランに入る。一般客はチラホラ、先程の青年たちで賑わっていた。回鍋肉定食(800円)を注文する。手頃な値段で夕食を済ませることが出来て良かった。
レストランの方に聞いた話では、青年たちは中国からの造船関係の研修生で、1か月ほど滞在するとの事だった。ホテルに長期間滞在して研修とはリッチである。
こういった研修生のためだろうか、洗濯機や乾燥機の台数が多く、無料で使えるようになっていたのは有難かった。
本日のコースタイム
伊予小松駅12:09→12:11(62)宝寿寺12:18→12:50(63)吉祥寺13:14→13:53(64)前神寺14:38→17:15中萩駅前17:20→→西条駅前→17:46西条国際ホテル
西条国際ホテル:1泊朝食付 3920円(ネット予約) 515号室
※備品は一般のビジネスホテルと同じ。コインランドリーは2か所あり、洗濯機計8台、
乾燥機計6台が無料。洗剤のみ購入する。
夕食はレストランにて。朝食は6時45分から。
歩行距離:14.7km
歩数 :26872歩
最高気温:25.8℃
最低気温:20.9℃[西条市]
2013年12月09日
【316】歩き遍路36日目〈その6〉[2012年6月17日]
西条市から新居浜市に入る。中萩という集落にやって来た。今日の歩きはこれで終了。
ここからJRで西条市内に戻る方法もあるのだが、国道沿いのバス停からちょうどバスが来る時間だったので、ここから西条市内に帰ることにした。
道路に沿って空き地が目立つ。拡張工事に入っているのではないか。数年後に訪れたら、きっと景色が一変しているだろう。
交通量の多い国道に、西条駅行きの空っぽのバスがやって来た。途中から一人のお客さんを乗せて、西条駅前に到着した。
ここから宿に向かって歩いていると、自転車に乗ったおじさんがやって来て、話しかけてきた。
ずっと地元に住んでいるが、今日初めて前神寺など四国遍路のお寺を巡って来た、という話から始まったのだが、お金が無くて、3日ほど何も食べていない、直に福島の原発へ働きに行く、との事だった。お金が無かったら、家賃や光熱費などはどうしているのだろうか、と変に思ったが、満更ウソとも思えない。
話は続き、1000円もらえないか、とお願いされてしまい、素直に渡してしまった。
数日後に出会ったお遍路さんも、同じように話を聞き、この方に1000円渡したそうであるが、後から考えるとあの話はおかしい、あれは騙された、と怒っていた。真相はどうなのだろうか。今も、西条市内でお遍路さんからお金を集っているかも知れない。
車で四国に来ていたので、帰りに確かめることも出来るのだが。
ここからJRで西条市内に戻る方法もあるのだが、国道沿いのバス停からちょうどバスが来る時間だったので、ここから西条市内に帰ることにした。
道路に沿って空き地が目立つ。拡張工事に入っているのではないか。数年後に訪れたら、きっと景色が一変しているだろう。
交通量の多い国道に、西条駅行きの空っぽのバスがやって来た。途中から一人のお客さんを乗せて、西条駅前に到着した。
ここから宿に向かって歩いていると、自転車に乗ったおじさんがやって来て、話しかけてきた。
ずっと地元に住んでいるが、今日初めて前神寺など四国遍路のお寺を巡って来た、という話から始まったのだが、お金が無くて、3日ほど何も食べていない、直に福島の原発へ働きに行く、との事だった。お金が無かったら、家賃や光熱費などはどうしているのだろうか、と変に思ったが、満更ウソとも思えない。
話は続き、1000円もらえないか、とお願いされてしまい、素直に渡してしまった。
数日後に出会ったお遍路さんも、同じように話を聞き、この方に1000円渡したそうであるが、後から考えるとあの話はおかしい、あれは騙された、と怒っていた。真相はどうなのだろうか。今も、西条市内でお遍路さんからお金を集っているかも知れない。
車で四国に来ていたので、帰りに確かめることも出来るのだが。
2013年12月05日
【315】歩き遍路36日目〈その5〉[2012年6月17日]
遍路石に導かれて西条市内の狭い道を歩くと、再び賑やかな国道11号線に合流した。
道は向かい側に続いているようであり、国道を渡って進むと、再び遍路石があった。たくさんの遍路石が残されている。
すぐに国道に再合流し、そのまま進むことになる。
交通量の多い国道だが、歩道があるので歩きやすい。以前のへんろ地図に掲載されていた西条グランドホテルがあったが、廃墟のようになっていた。
先程のママチャリのお遍路さんをこの道でもお見掛けした。どこかお店にでも立ち寄っていたのだろう。ママチャリだったら、歩きと同じような感覚で旅が出来るかも知れない。
コマツ教習所の辺りから、右手の狭い道に入って行く。教習所には日曜日にも関わらず作業服姿の人たちの姿がある。免許取得だろうか。
程なく、(64)前神寺から、一番多くのお遍路さんが歩くであろう、遍路道と合流した。
古い石橋を渡ると、左手に個人が設営してくれたのだろう、「漆陸庵」という休憩所があったのだが、閉鎖されて入れないようになっていた。前回の遍路では、ここで休憩したはずである。
もう少し進んだ飯岡の集落内に自販機があったので、地べたに座って休憩とした。
休憩を終え、再び歩き出す。時刻は午後4時半過ぎである。
国道に合流し、いよ西条ICの入口を通り過ぎると、左手に再び旧道が続いているので、そちらの道に入る。
トラクターが狭い道を通り過ぎる。四国では、6月に田植えをしている姿をよく見かけた。北陸ではGW頃のはずだが、地域によって田植え時期というのは違うのだろうか。
道は向かい側に続いているようであり、国道を渡って進むと、再び遍路石があった。たくさんの遍路石が残されている。
すぐに国道に再合流し、そのまま進むことになる。
交通量の多い国道だが、歩道があるので歩きやすい。以前のへんろ地図に掲載されていた西条グランドホテルがあったが、廃墟のようになっていた。
先程のママチャリのお遍路さんをこの道でもお見掛けした。どこかお店にでも立ち寄っていたのだろう。ママチャリだったら、歩きと同じような感覚で旅が出来るかも知れない。
コマツ教習所の辺りから、右手の狭い道に入って行く。教習所には日曜日にも関わらず作業服姿の人たちの姿がある。免許取得だろうか。
程なく、(64)前神寺から、一番多くのお遍路さんが歩くであろう、遍路道と合流した。
古い石橋を渡ると、左手に個人が設営してくれたのだろう、「漆陸庵」という休憩所があったのだが、閉鎖されて入れないようになっていた。前回の遍路では、ここで休憩したはずである。
もう少し進んだ飯岡の集落内に自販機があったので、地べたに座って休憩とした。
休憩を終え、再び歩き出す。時刻は午後4時半過ぎである。
国道に合流し、いよ西条ICの入口を通り過ぎると、左手に再び旧道が続いているので、そちらの道に入る。
トラクターが狭い道を通り過ぎる。四国では、6月に田植えをしている姿をよく見かけた。北陸ではGW頃のはずだが、地域によって田植え時期というのは違うのだろうか。
2013年12月01日
【314】歩き遍路36日目〈その4〉[2012年6月17日]
東海図版の四国遍路地図によると、このまま旧道らしき道を進んでいく道が遍路道となっている。
国道11号線に出ると、道路反対側に細い道が続いている。ここを進むようである。
集落の中の道を進む。ここを歩くお遍路さんは、年に何人くらいいるのだろうか。
所々に「神戸プラタナス育成会」と書かれた看板がある。一体、兵庫県の神戸市とこの集落に何のつながりがあるのだろうか、と思ったが、この辺りの集落名が神戸であり、単に、神戸小学校の親の会の名称のようだった。
道は大きな川にぶつかった。昔はここを渡ったようだが、今は橋が無いので、迂回するために上流の国道の橋に戻った。そこに、(64)前神寺で見かけた、ママチャリのお遍路さんが橋を渡って行く姿が見えた。ママチャリで旅をするのもまた、楽しいかも知れない。
大きな加茂川橋を渡り、再び先程の遍路道の続きと思われる場所に戻る。西条市内に近付いてきており、住宅が密集し商店も見られるようになってきた。
古い石造の遍路石もいくつか見られることから、この道が昔の遍路道であるのは間違いないようだ。なぜ、へんろ地図に赤い線が引かれていないのだろうか。
このまま西条市内の宿に入ることも出来るが、時間はまだ午後3時台、明日の歩行は約36㎞と少々距離があるので、もう少し先に進んで、JRかバスで宿に戻ることにした。事前に調べた所、両者ともそれなりの本数があるはずである。
国道11号線に出ると、道路反対側に細い道が続いている。ここを進むようである。
集落の中の道を進む。ここを歩くお遍路さんは、年に何人くらいいるのだろうか。
所々に「神戸プラタナス育成会」と書かれた看板がある。一体、兵庫県の神戸市とこの集落に何のつながりがあるのだろうか、と思ったが、この辺りの集落名が神戸であり、単に、神戸小学校の親の会の名称のようだった。
道は大きな川にぶつかった。昔はここを渡ったようだが、今は橋が無いので、迂回するために上流の国道の橋に戻った。そこに、(64)前神寺で見かけた、ママチャリのお遍路さんが橋を渡って行く姿が見えた。ママチャリで旅をするのもまた、楽しいかも知れない。
大きな加茂川橋を渡り、再び先程の遍路道の続きと思われる場所に戻る。西条市内に近付いてきており、住宅が密集し商店も見られるようになってきた。
古い石造の遍路石もいくつか見られることから、この道が昔の遍路道であるのは間違いないようだ。なぜ、へんろ地図に赤い線が引かれていないのだろうか。
このまま西条市内の宿に入ることも出来るが、時間はまだ午後3時台、明日の歩行は約36㎞と少々距離があるので、もう少し先に進んで、JRかバスで宿に戻ることにした。事前に調べた所、両者ともそれなりの本数があるはずである。
タグ :歩き遍路東海図版四国遍路地図