2012年12月29日

【192】歩き遍路24日目〈その4〉[2012年4月13日]

九十九折りの坂を下ると、海岸を歩くことで有名な、赤泊の浜となった。

大きな石の上を歩く区間も少しあるのだが、これくらいだったら問題ないと油断があったのだろう、肉刺で痛かった足に力が入らず、勢いが出て、あやうく素っ転びそうになってしまった。

しかしながら、こういった道を歩くのもまた、楽しいものである。遍路道にアクセントを与えてくれる。

石に赤いペンキで矢印が書いてあり、大体その方向へと進んでいく。愛媛のSさんも追いついてきた。
せっかく赤泊の浜まで来たので、ここで石の上に座り、海を眺めながら休憩していくことにした。

この辺りは全く人の気配が無い。密航者がやって来ても分からないかも知れない。先程、月山神社で出会った方は、ここで野宿をしたそうだが、自分には恐ろしくてとても出来ない。

どこまで海岸を歩いていけばいいのかはっきりと分からなかったが、少し先を行くSさんが車道に向けて歩いて行ったので、後を追うと、車道に上がった所に「大月へんろみち 延光寺へ33㎞」と書かれた、石造の道しるべがあった。
ここで合っていたようだ。 

ここからは内陸に向かって歩いていく。少しずつ人の生活の匂いがしてくると、赤泊の集落である。


今年の記事の更新はこれが最後となります。当ブログに訪問して下さったみなさん、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。  


Posted by こいったん at 00:25Comments(0)お遍路 第二拝(高知)

2012年12月26日

【191】歩き遍路24日目〈その3〉[2012年4月13日]

へんろ地図には、「古来、金剛福寺を打ち終えた遍路は、篠山詣りか月山詣りをすることを不文律としてきた」とあることから、月山神社はさぞ立派な神社なのか、と思ってしまうが、見た感じは普通の神社よりも小さい感じがする。

般若心経を唱えたが、神社だから、手拍子と礼だったのだろうか。
参拝していると、「民宿宮本」に宿泊していた愛媛のSさんも到着した。

月山神社一帯は、大浦の集落を出てからというもの、人の気配も車の姿も見えない寂しい場所である。前後に何人か歩いていたことは分かっていたのでよかったが、一人っきりだったら、さぞ心細かっただろう。

その内、はじめて見かける野宿風の気さくなおじさんがやって来た。逆打ちをしているそうで、昨日は赤泊の浜で野宿したそうである。人気の無い海岸で野宿をする逞しさには感服である。

しばらく車道を歩いてから、再び地道の遍路道となった。
後で聞いた話では、同宿した河内長野や喜多方の方は、道が荒れているかも知れない、と車道を歩いたそうだが、その様な事はなく、ずっと歩きやすい道が続いた。

へんろ地図には展望台があることになっているが、どこにあるのか分からなかった。いつの間にか、通過してしまったようだ。
しばらくは平坦な道が続いていたが、九十九折りの下り坂となった。  


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2012年12月24日

【190】歩き遍路24日目〈その2〉[2012年4月13日]

大浦の集落から坂道を上り、しばらくは林道を歩く。
月山神社への道には、地元の方々による道しるべがたくさんあったのだが、この林道にはしばらく見当たらず、もしかして道を間違えたか、と思った頃に、大月へんろみち保存会の札がぶら下がっており、一安心した。

こうやって、地元の方たちが遍路道の整備をしてくれていることに感謝したい。
林道から案内に従って山道に入る。地元小学生による応援のへんろ札が、あちこちにかけてある。

川渡りがあり、石の上をひょいひょいと渡る。

すぐに舗装道路に出たが、大きな木の根っこの所にへんろ札がある。こんな所を上るのか、といった感じだが、案内通りに進んでみるとほんの10mほどでまた舗装道路に出た。遍路道を忠実に再現してくれているのだろうか。

鬱蒼とした森の中の舗装道路を進むと、左手に「守月」と表札のある豪邸が突然現れたので驚いた。月を守る、月山神社ときっと関係があるのだろう。その隣が月山神社だった。
へんろ地図では、大浦の集落から月山神社まで近い感じがするのだが、実際には結構距離があるように感じた。  


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2012年12月21日

【189】歩き遍路24日目〈その1〉[2012年4月13日]

民宿「叶崎」での朝食時間が何時だったかはっきり覚えていないが、6時前には食事をしていたように思う。
6時半頃に、4人中3番目に出発した。歩き始めは、肉刺が少々痛む。

10分弱で、叶崎に到着した。白い燈台が見える。自分の中では、四国の一番外れに来た印象がある。
ここが最果て、ハイライト、これからは一番霊山寺に近付いていく。

トンネルをくぐると、遠くに小才角の集落が見える。ここからは大月町となる。

この辺りは「逆くの字形」の地形になっており、海を隔てて、はるか向こうに歩いているお遍路さんの姿が小さく見える。20分ほどであの場所にたどり着けるだろうか、などと考えながら歩く。
気が付くと、ずっと後方にもお遍路さんが歩いていた。

小才角の集落を抜けると、しばらくは海沿いの人家の無い区間が続く。
宿を出て約1時間、大浦分岐に着いた。ここからは国道を離れることになる。

大浦の集落に入ると、意外な場所に自販機があったので、後々のため缶コーヒーを二本買っておいた。

「ヘンロ小屋第14号大浦」があり、せっかくなので少し休憩していくことにした。造られて何年も経っていないようだが、潮風にあたり続けているためだろうか、木の風化が進んでいた。

ここからは、いよいよ歩きの道となり、月山神社へと向かう。  


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2012年12月18日

【188】歩き遍路23日目〈10〉[2012年4月12日]

宿の外観は修繕したばかりのようでとてもきれいだったが、室内は昔のままのようだった。

部屋に案内してもらい一休みする。襖を開けると隣室であった。一階(地下?)に降りて、入浴をして食事となった。

すでに同宿のみなさんが食事をしていた。宿泊客は4人。愛媛のSさんが断られていたから、定員4名だろうか。

斜め向かいに、道の駅や貝ノ川のスーパーで出会った方が座っていた。大阪の河内長野から来られた73才の方で、高野山大学に通っているそうである。

向かいに座っていたのが、話をしているうちに、一緒に下田の渡しにも乗船した、栃木の方と分かった。遍路衣装を解くと、全然誰だか分からない。若く見えるが、61才との事だった。

もう一人、隣に座っていたのが、福島県の喜多方から来られた60才の方で、会津弁丸出しで話し続けていたのが面白かった。田舎のおじさん、という感じがした。
この3名は、昨日「民宿夕日」に泊まっており、顔見知りだったこともあって会話が弾み、楽しい夕食となった。

河内長野の方は遍路の研究をしているそうで、なぜ遍路をしている?、仕事はどうした?とストレートに聞いてくる。
なぜ遍路をしているか、という質問は、いつも返答に困ってしまう。自分でも明確な答えがないからだ。仕事は辞めてきました、と正直に話す。やっぱり、という感じだった。
自分のような年齢の者が、この時期に歩いていると、みんな疑問に思うのも無理はない。

とはいえ、久しぶりに、宿の夕食時に遍路談義で盛り上がれたのはうれしかった。


 民宿叶崎:一泊二食 5500円 
 ※浴衣あり。お茶・シーツなし。自販機は遠くにあり。朝食は6時ちょっと前からでした。
   洗濯代?
   宿泊客:歩き遍路4人  


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2012年12月15日

【187】歩き遍路23日目〈その9〉[2012年4月12日]

ここで休んでいこう、と店に近付くと、愛媛のSさんと、またまたお会いした。道の駅で見かけた年配の方と一緒に休んでいた。

缶コーヒーとアクエリアスを飲みながら、三人で話をした。歩いている途中、Sさんは、今日泊まる「民宿宮本」の方に「Sさんですか、ご予約ありがとうございます」的に声を掛けられたそうである。
年配の方は、今日は「民宿叶崎」に泊まるとの事だった。

この店には喫茶店も併設していた。また、少し道路から入った所に、古いながらも公衆トイレがあった。
お二人は先に出発して行った。少し遅れて、自分も腰を上げる。

貝ノ川トンネルを抜けると、「民宿叶崎」のある大津集落となった。最果て感たっぷりである。自分の中では、ここが四国の一番端っこである印象がする。
今はトンネルをくぐってあっという間に到着するが、昔はさぞ大変だったに違いない。

叶崎の方に目を向けると、山の斜面からせり出すように、近代的な道路がつけられているのも印象深い。

国道から旧道に入り、橋を渡って少し中に入ると宿だったのだが、遠回りして集落の中の道を歩いてしまったが、夕方5時を少し回った頃、宿に到着した。
何度か声を掛け、ようやくご主人らしき方が出て来てくれた。奥さんは、そろそろ自分が到着するだろうと、近くの橋のたもとで待っていてくれたようである。遠回りをしてしまったので、気付かなかったようだ。


本日のコースタイム
足摺はっと7:06→icon18→ヘンロ小屋第20号足摺7:17→土佐清水(喫茶TOP)11:25→13:35道の駅めじかの里土佐清水14:17→16:26貝ノ川16:49→17:14民宿叶崎

歩行距離:29.7km
 歩数  :48844歩
最高気温:21.5℃
最低気温:15.6℃[土佐清水市]  


Posted by こいったん at 22:27Comments(0)お遍路 第二拝(高知)

2012年12月12日

【186】歩き遍路23日目〈その8〉[2012年4月12日]

国道321号線は、竜串の海岸を左に見ながら続いていく。
海の上に、ピンクと白の変わった建物が立っている。海中展望塔と呼ぶらしく、海の中を歩いているように眺めることが出来るそうである。

観光地の竜串を過ぎると、人家も少なくなり、いよいよ最果て感が漂ってきた。

片粕という集落のバス停で一休みすることにした。海を目の前にした、少し高い所にある、きれいなバス停である。
愛媛のSさん、そして二人連れの旅人が休んでいた。

父と息子風だったが、知人の息子さんだそうで、遍路ではなく、海岸線に沿って四国を一周しているそうである。確かにこの道路は、四国の外周路となる。
お父さんの方は、日本縦断をしたことがあり、メディアにも登場したことがあるそうである。
今日はこの場所にテントを張って、野宿をするとの事だった。

ここからは、トンネルが続く。トンネル脇には、海岸に沿って通じていたのだろう、旧道が続いている。
おそらく、少し前までは、この狭いグネグネ道がメイン道路だったのだろう。今はトンネルが出来て、随分と移動時間が短縮されたに違いない。

トンネルを二つ抜け、貝ノ川という集落に入った。立派な家が多いように感じる。今まで見てきた漁村とは少し違うように思えた。

へんろ地図に「ファミリーマート」と書いてあるので、コンビニがあるのかと思っていたが、先ほどの二人連れから、違うと聞いていた。小さなスーパーである。   


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2012年12月09日

【185】歩き遍路23日目〈その7〉[2012年4月12日]

「道の駅めじかの里土佐清水」には、愛媛のSさん、作務衣の方、そして今日の宿で一緒になる、初めて見かける年配の方がそれぞれ休憩していた。

今日は「民宿叶崎」を予約してあるが、愛媛のSさんは満員と断られ、「民宿宮本」に予約したそうである。

惣菜とソフトクリームを買い、日当たりの良いポカポカの場所で食べることにした。今日は暑いくらいの一日である。

道の駅で40分ほど休憩してから出発する。すぐに三崎、という大きな集落となった。
幡多信用金庫があり、ここでお金を下した。今は、信用金庫同士ならば手数料なしでお金を下ろせるようになったのだろうか、こんな遠く離れた場所の銀行でも手数料はかからなかった。

三崎地区を過ぎると、観光地としても有名な「竜串」である。

せっかく来たのだから、少し観光しても良かったのだが、初めて来る場所なので、へんろ道を忠実に歩きたかったし、前を行く愛媛のSさんも足を止める様子もない、観光に来たわけでもないので、そのまま素通りしてしまった。

一昔前の昭和の雰囲気が漂っている。廃墟になった竜宮城もあり、ウン十年前にはきっと、たくさんの人たちで賑わったのだろう。  


Posted by こいったん at 23:09Comments(0)お遍路 第二拝(高知)

2012年12月07日

【184】歩き遍路23日目〈その6〉[2012年4月12日]

道しるべが見当たらないので、もしかして道を間違えているのでは、と少々不安になるが、一本道だし、道路標識などからも合っているようである。

遠くに土佐清水市街が見渡せる場所までやって来た。そろそろトイレに行きたいのだが。
「海の駅あしずり」があったが、道をそれて、かなり奥まで入って行かなければトイレが無さそうだったので、少し行きかけた所でUターンして戻ってきた。

海を眺めながら歩き、松崎という集落の福祉センターに「お遍路さん・道案内・お手洗い」と書かれた、かわいいイラスト入りのステッカーが貼ってあった。この辺りで度々見かけるステッカーである。
中へ入り、事務の方にお願いして、トイレをお借りした。自分より少し年上の方で、少々話をしてからお礼を言い、出発した。

洗濯岩のような変わった岩石が見られる海岸を見ながら歩いてきたが、少し山の方に入って行く。
土佐清水市内を出発して、1時間15分。ようやく木に結び付けられたへんろ札を発見した。久しぶりの再会である。

山伏峠を過ぎて、道端で靴下を脱いで一息入れた。
休憩を終え立ち上がると、後ろからお遍路さんがやって来た。これから度々顔を合わせる、愛媛のSさんだ。

一定の距離を保ちながら歩いていると、「道の駅めじかの里土佐清水」に到着した。おそらく、ここを通るお遍路さんはみなが立ち寄るのではないだろうか。  
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2012年12月05日

【183】歩き遍路23日目〈その5〉[2012年4月12日]

土佐清水市街に入る。ずっとお腹がすいて仕方なかったので、モーニング的なものが食べられる喫茶店がないか、探しながら歩いた。

あきらめかけていた所に期せずして、「TOP」という、良い感じの喫茶店を発見した。外観からは、積極的に営業している雰囲気も感じられる。

中に入ると店員さんが丁度入口の辺りにいたので、何か食べるものがあるか聞いてみると、ホットサンドなどがあるとの事で、寄っていくことにした。
お客さんが一人、お遍路さんがいたのにはビックリした。話をしたかったが、入れ替わりに出て行ってしまった。

店内はレトロでシックな雰囲気で、ミニチュアカーや昔のたばこ自販機が飾られている。

ホットサンドとアイスコーヒーのセット(580円)を注文した。コーヒーもとても美味しく、本格的な感じだった。
顔見知りが集まる店というよりは、一見さんも入りやすい、都会的な店だった。

土佐清水市街の外れまで来た。ここで右折するはずだが、遍路シールなどは見つからない。急に道しるべが見当たらなくなってしまった。へんろ道の本道から外れると、こうも標識が減ってしまうものなのか。

大月周りは初めて歩くルートである。これからどんな道が続くのだろうか、楽しみでもある。  


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2012年12月03日

【182】歩き遍路23日目〈その4〉[2012年4月12日]

土佐清水の湾に沿ってぐるりと歩いていくと、ホームセンターがあった。ここでトイレを借りることにしよう。店員さんがおり、お願いすると、快く貸して頂けた。
一度、ガソリンスタンドで断られた経験があるので、貸してもらえるとうれしいものである。

橋を渡り、「あしずり温泉郷」と書かれた、観光地らしい門をくぐると、窪津方面からの道と合流する。

そのまま湾に沿って歩いていると、前方に先ほどの作務衣のお遍路さんを発見した。今日は叶崎までは歩けそうにないので、行けるところまで歩いてから、竜串の宿に戻って泊まるそうである。

まもなく「足摺黒潮市場」に着いた。ここで海を見ながら休憩する。

市場を出発するとすぐに、川崎のOさんが現れてビックリした。隣に公園があり、そこで休んでいたそうである。
道中、休憩はしないはずなのだが、今日の宿は「安宿」で余裕があるので時間をつぶしていた、との事だった。

作務衣のお遍路さんも一緒になり、川崎のOさんと共に少し一緒に歩いたが、すぐに大月方面との分岐点となった。Oさんと、またの再会を願ってお別れした。順調にいけば、(39)延光寺と宿毛市内の間ですれ違うかも知れない。  
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2012年12月01日

【181】歩き遍路23日目〈その3〉[2012年4月12日]

県道から離れ、大浜という集落に入る。用水沿いの道を歩いたり、石段を上り丘を越え、へんろ標識を見落とさないように歩くと、ジョン万次郎の生誕地と言われる、中浜となった。
足摺の西岸は変化に富んだ道が続く。

中浜万次郎生家と書いた大きな看板もあり、ミニ観光地のようになっていた。
堤防のコンクリートの壁に、ジョン万次郎の生い立ちが書かれた看板が並んでいたので、それを読みながら歩いた。

中浜の集落を抜けると、再び丘の上を目指し、厚生橋に行く山越えの道と車道を進む道との分岐点となった。へんろ道の赤い点線沿いは一巡目の時、忠実に歩いているので、ここも車道を選択する。

県道に到達し、ここからは下りとなる。海岸に再び出ると、湾の向こうに土佐清水の街が見渡せるようになった。ここから対岸に渡れれば随分と近道になるのだが、ぐるっと大回りしなければならない。

帰宅後に購入した、東海出版の四国遍路地図を見ると、江戸期は湾口を舟で渡った、と書いてあり、消えた遍路道の点線が引いてあった。

椰子の木が植えてあり、南国情緒を醸し出している辺りで、一人のお遍路さんが向こうからやって来た。これまで何度か会っている栃木の方かな、と思い声を掛けたが、間違えで、口数が少なそうな若い青年だった。すぐに分かれたが、彼とは8日後に久万高原で再びすれ違うことになる。  


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