2017年01月31日
【3巡目-137】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その14〉[2016年5月8日]
車道を下り続ける。思った以上に長く感じる。
大分、麓まで来たかなあ、という所で、少し先の道路が広くなった場所でUターンしている車がいた。
その車の方が自分の姿を見つけて、大きな声で「乗っていきますか~」と声を掛けてくれた。
今回、この車道を歩いたのは、11年前に痛む膝を引きずりながら、ほうほうのていで歩き、何とか「龍山荘」までたどり着いた、それを懐かしんでのことである。
これから、遍路宿だった「龍山荘」のあった場所へ、という、今回の遍路旅における一大メインイベントが開始、という場所で、お接待の声が掛かった、という訳である。
以前こんなことがあったhttp://masaushi3975.kitemi.net/e75786.htmlので、車お接待は受けようと決めていたから、反射的に、お願いします、と返事をし、快く申し出を受け入れさせてもらうことにした。
車に乗せてくれたのは、まだ30代後半くらいの、青年といってもいい方だった。
15年ぶりにこの辺りに来てみたそうで、自分と同じように、何か懐かしさを求めてやって来ていた様子だった。
車窓から、(21)太龍寺に到着した時に出発して行ったお遍路さんが歩いている姿が見えた。この先宿は無く、きっと野宿するのだろう。
青年の昔話などに耳を傾けながら、車は走る。
阿瀬比のバス停までお願いしたのだが、その少し先、「山口中」というバス停まで送って頂いた。
お陰で、1時間前のバスに乗り、それも徳島駅直行便だったので、1時間半早く徳島駅に着くことが出来た。
お接待と言えば、お年寄りがしてくれる印象だが、今日親切にしてくれた方たちは、自分と年が近い方ばかりだった。このように、次の世代へとお接待が受け継がれていって欲しい。
2017年01月27日
【3巡目-136】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その13〉[2016年5月8日]
午後5時前に(21)太龍寺へと到達出来た。ホッとする。
あとはゆっくりと参拝し、麓の阿瀬比からバスに乗って徳島市内へと戻る予定である。
本堂を参拝し、大師堂の前に来た瞬間、頭陀袋のひもがブチッと切れて、驚いてしまった。
11年間使っていたものだから、もう色は煤けて古くなっていたが、汗をかいてひもが濡れて弱くなってしまっていたのだろう。
よりによって、弘法大師と縁の深い太龍寺の、それも大師堂でひもが切れてしまい、何か悪いことが起こる予兆かとも思ったが、逆に良いことがあるのかも知れないし、逆にここで切れてしまったことも、お大師様とのご縁が出来たような気もした。
納経所そばのベンチでゆっくりと休憩をしていると、息を切らせてやって来た参拝客がいた。
陽気な方で、ロープウェイは使わずに少し下の駐車場から来たが、その道のりがきつかったことを語っていた。51才、との事である。少し癒された。
夕方の5時を過ぎてから(21)太龍寺を出発した。
太龍寺からは、最近復元された、「いわや道」や「平等寺道」があり、そちらを歩いてもよかったのだが、11年前に歩いた、懐かしい車道を進む。
急な下り道が続く。ここを上ってくるとは、先ほどの方はさぞつらかったことだろう。
駐車場にはエンジンが掛かった車が止まっていたので、お連れさんかも知れない。
2017年01月23日
【3巡目-135】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その12〉[2016年5月8日]
地図を取り出して現在地を確認してみると、どうやら尾根付近に到達していたようである。
この先、急な上りは終了し、緩やかな上り下りが続くだけで、ハイペースで歩くことが出来た。一安心である。
この地図は、「加茂谷へんろ道の会」が発行しており、「かも道」の詳細な地図の他、この道への思いなどが書かれている。
「太龍寺道」「いわや道」「平等寺道」の紹介もされている、貴重な冊子となっており、「ふれあいの里さかもと」で頂いたものである。
結局、(21)太龍寺に到着したのは午後4時過ぎだったので、慌てずにもう少しゆっくりと進んでもよかった。
途中、弘法大師の霊跡もあったのだが、急いでいたこともあり、しっかりと見てこなかった。年に数センチずつ動いている、という大岩などがあった。
(20)鶴林寺には、道が荒れている、と看板が立てられていたが、特に荒れた個所もなく、歩きやすい道が続いていた。
「一宿寺」から1時間半で、見覚えのある場所にたどり着いた。
一般的なルートで上がってきた場合と、(22)平等寺へ向かう道の交点となるT字路である。そこに、この「かも道」が加わる訳だから、交差点ということになるだろう。
ここから(21)太龍寺までが、急登が続き、予想外に大変だった。最後の力を振り絞り、山門をくぐる。さらに道は続き、5分ほどで、太龍寺境内に到達した。ちょうど、歩き遍路さんが一人、山を下って行った。
2017年01月19日
【3巡目-134】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その11〉[2016年5月8日]
近年復元された、「かも道」である。
要所には、真新しい案内標識が立てられており、道案内してくれる。
丁石などには解説板があって、由来などが分かるようになっていた。
ゆっくりと見ていきたい所だったが、急いでいたこともあり、少し立ち止まってはすぐに歩き続けた。
空っぽの石室が定期的に現れるのが目に付いた。中の仏さんは、「一宿寺」に祀られている、との事である。
丁石は、どれが南北朝時代のものなのか分からなかったが、いくつかあったどれもがそうなのかも知れない。
真新しい木のベンチがあったので、一休みすることにした。
ベンチに案内板が埋め込まれ、四国遍路や「かも道」の案内が書かれているが、(21)太龍寺までの距離には愕然としてしまった。
あと3kmとなっている。35分間、懸命に歩いて進んだ距離は1.4kmということになる。
この先、もう息が切れて、今までと同じペースでは歩けそうにもない。同じような道が続くとしたら、17時までには太龍寺にたどり着けないかも知れない。
休みもそこそこに、出発することにした。石灰岩の道となり、麓の眺めが素晴らしかった。ただ急いでいることもあり、すぐに通過する。
ふと、最初に一気に標高を稼ぎ、後は尾根道ではないか、と気が付いた。
2017年01月15日
【3巡目-133】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その10〉[2016年5月8日]
「十八女町」を歩いていると、走り去っていった車が急ブレーキで停車、バックしてこちらまで戻ってきた。
少し年上の怖そうな方だったが、「道間違えてないか?」と声を掛けてくれた。
「かも道」を歩くことを伝えると納得されたようで、そのまま走り去っていった。ありがとうございました。
那賀川を渡ると、その一帯が加茂谷と言われているようである。
昨年だったか、それ以前にも、この一帯が豪雨で水に浸かり、中学校が頻繁にテレビに出ていたのをよく覚えている。
遠くの田んぼ越しに学校らしき建物が見えていたので、あれが例の中学校だろう。
こちらはそこまでは行かず、山裾の集落を抜け、丘の上にある「一宿寺」を目指す。
遍路シールを頼りに歩き、「一宿寺」へとやって来た。
時刻は午後2時半である。ここから歩きの山道を約4kmということになる。のんびりとしていては納経時間に間に合わないかも知れない、早々に出立する。
竹林の中を進む。最初の内はそれ程きつい上りではなく、何とか休まずに上れたのだが、途中からきつくなってきて、息があがるようになってきた。
必死で上り続ける。
2017年01月11日
【3巡目-132】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その9〉[2016年5月8日]
水井橋手前の休憩所には官製の遍路道案内図があり、これから歩く「かも道」も、しっかりと書かれていた。
ここから、「かも道」の登り口となる加茂谷にある「一宿寺」までが4.2km、「一宿寺」から(21)太龍寺までが4.4kmとなっていた。
一方、一般的な遍路道をこのまま進むと、4.2kmとなっている。
なぜ昔は、わざわざ遠回りとなる加茂谷からの遍路道があったのか不思議だったが、「さかもと」で聞いた話によると、水井橋の辺りは流れが急で対岸に渡れなかった、だから加茂谷からの道が出来た、ということである。
なるほど、それだったら、「かも道」が歩かれたことも納得出来る。
水井橋の休憩所から、一般のお遍路さんとは反対となる、左方向へと進む。
那賀川の雄大な流れを眺めながらの歩きとなる。天気も良かったことから、素晴らしい風景に、こちらのルートを選んで良かったなあ、と思う。
右に大河、左は山、の車道を進み、少し平地が見られるようになり、住宅も現れてきた。
バス停名は「桃付」となっていた。この先、「十八女町」という地名の場所が登場することからも、何か艶っぽい地名が続いている。
2017年01月07日
【3巡目-131】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その8〉[2016年5月8日]
(20)鶴林寺からの下りは階段が続き、膝にとっては要注意個所である。
ゆっくりと降りていき、一旦車道に合流した。第一弾終了である。
第二弾の階段の場所に、コンクリートの場所があるので、ここで昼食とすることにした。
「ふれあいの里さかもと」で作ってもらった、おむすびである。1個70円でした。
今日の宿をどうするか考えながら歩いていたのだが、ふと、徳島市内に止めてある自分の車で車中泊すれば上手くいくのではないか、という考えが浮かんだ。
←遍路札が書かれています
(21)太龍寺へ午後5時までに到着出来さえすれば、麓の阿瀬比バス停の最終バスは午後7時過ぎ、徳島市内まで戻ることが出来る。
翌日は、「道の駅わじき」に車を止めさせてもらえば、歩き繋げることになる。
なぜこの方法に気が付かなかったのだろうか。
太龍寺への納経時間に間に合うように、時間をみながら歩くことになった。
階段を下り続け、麓の集落までやって来た。土砂崩れの危険があるということで、う回路を進み、県道へとたどり着いた。すぐ側に、いつもの休憩所があった。
昼食休憩を含め、鶴林寺から1時間の距離だった。
2017年01月03日
【3巡目-130】 別格3番慈眼寺、20番鶴林寺、かも道、21番太龍寺麓まで 〈その7〉[2016年5月8日]
あけましておめでとうございます。
本年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します。
(20)鶴林寺での参拝を終える。
一人、歩き遍路さんがまだ残っていたので、これからどこまで歩くのか、話し掛けてみた。
逆打ちで、昨日は「山茶花」に泊まり、今日は「鮒の里」、との事だった。
初めての遍路、それもいきなりの逆打ちでの通し打ちで、出会った人たちから無謀と言われながらも、ここまで来たそうである。
うるう年のご利益の話を聞いて思い立ったのだろう。
先程見掛けたお遍路さんたちは、逆打ちだったのかも知れない。今年は、うるう年である。それで、この時間に「鶴林寺」にいた、という訳である。
(21)太龍寺へと向かう出発点に、これから歩く予定の「かも道」に関して、「路面状態が悪く歩くのに適していません」という真新しい看板が立っていた。
そういった表示があるが気にしなくても大丈夫、という話を事前に聞いていたし、実際に歩いてみて、何の問題もなかった。
わざわざそういった看板を立てる何かがあったのだろうか。
30分弱滞在して、(20)鶴林寺を後にした。
鶴林寺からの下りは階段が続き、膝には気を付けなければならない。
出発してから、鶴林寺で昼食も兼ねてゆっくり休めば、と後悔した。昼時だったので、お腹がすいてきた。