2011年04月27日
歩き遍路 2011年ゴールデン・ウィーク
今年のGWは、職場の皆さんの寛容な心のおかげで、一週間もの休みを取れることになりました。
今までは短い区切り打ちを繰り返してきたので、これだけ長く歩くのは久しぶりです。
一昨日、軽いぎっくり腰になってしまい、痛みも残り少々不安ではありますが、頑張って歩いてきます。
明日28日(木)に仕事を終えてから出発。(13)大日寺から歩き始めて、高知県東洋町野根の東洋大師まで歩く予定です。四国では5泊し、宿は3週間前には予約しておきました。予定していた内の一軒は既に満員とのことでしたが、他は無事に取ることが出来ました。
今回はどんな遍路旅となるのでしょうか。最近ではややレクリェーション的になってきているような気がしていますので、自分を見つめ直す、といいますか、もう少し厳かな気持ちで歩くことが出来ればいいかな、と思っています。
今までは短い区切り打ちを繰り返してきたので、これだけ長く歩くのは久しぶりです。
一昨日、軽いぎっくり腰になってしまい、痛みも残り少々不安ではありますが、頑張って歩いてきます。
明日28日(木)に仕事を終えてから出発。(13)大日寺から歩き始めて、高知県東洋町野根の東洋大師まで歩く予定です。四国では5泊し、宿は3週間前には予約しておきました。予定していた内の一軒は既に満員とのことでしたが、他は無事に取ることが出来ました。
今回はどんな遍路旅となるのでしょうか。最近ではややレクリェーション的になってきているような気がしていますので、自分を見つめ直す、といいますか、もう少し厳かな気持ちで歩くことが出来ればいいかな、と思っています。
タグ :歩き遍路
2011年04月26日
【27】歩き遍路 3日目〈その12〉[2011年2月13日]
←植村旅館
1階には二部屋。食事をする部屋があり、その隣が我々の泊まる部屋である。
自室に入るには、食事部屋を通る仕組みとなっている。
茨城のOさんの後に入浴し、食事部屋を通ると、すでに夕食が始まっていた。
本日の宿泊者は、Oさん・山形のSさん・滋賀のTさん・三重のRさん・自分の5名である。
4人とも、通し打ちである。普通なら肉刺が出来た、とか脚が痛い、疲れたなど話題に上ってもいいはずなのだが、皆さん至って元気である。6年前の自分の姿とは大違いであり、健脚揃いだ。
後日談になるが、その後もこの4人の皆さんは、リタイヤすることなく、元気に歩き続けたそうである。
今日が今回の遍路旅、最後の夜である。
Oさんはいつも夕食の時、熱燗をたしなんでいる。自分も久しぶりに日本酒を飲むことにした。
Sさんは熊野古道を歩いたこともあるそうだ。熊野古道と言えば、色々な道があり、どうやって一周するのかよく分からなかったのだが、紀伊半島の各地から内陸にあるお寺に向かう道であり、四国遍路のようにグルリと周る訳では無いそうだ。
Tさんは、どちらかと言えば、無口で物静かな印象の方である。滋賀県の北部、北陸寄りの所にお住いで、61才との事(後で納札を交換して知った)。
Rさんは、伝え聞きではあるが、仕事を辞めて自宅の寺を継ぐことになっているそうで、(12)焼山寺への山道では、お経を唱えながら登っていたそうだ。20代後半か30代前半の方かと思ったが、後で自分より年上の46才と知ってビックリした。
食事を終え、隣の自室に戻る。お互いに明日の準備や書き物をしてマイペースに過ごす。
途中、2階から山形のSさんが下りてきて、一緒に焼山寺を越えた記念に、と納札を交換するために部屋へ来てくれた。
準備が終わると、OさんはNHKの大河ドラマ「江」を見ていた。
何とも平和に夜は更けていく。
植村旅館:一泊二食 6800円(相部屋料金) ※一人の場合は若干プラス
宿泊客:歩き遍路5名
1階には二部屋。食事をする部屋があり、その隣が我々の泊まる部屋である。
自室に入るには、食事部屋を通る仕組みとなっている。
茨城のOさんの後に入浴し、食事部屋を通ると、すでに夕食が始まっていた。
本日の宿泊者は、Oさん・山形のSさん・滋賀のTさん・三重のRさん・自分の5名である。
4人とも、通し打ちである。普通なら肉刺が出来た、とか脚が痛い、疲れたなど話題に上ってもいいはずなのだが、皆さん至って元気である。6年前の自分の姿とは大違いであり、健脚揃いだ。
後日談になるが、その後もこの4人の皆さんは、リタイヤすることなく、元気に歩き続けたそうである。
今日が今回の遍路旅、最後の夜である。
Oさんはいつも夕食の時、熱燗をたしなんでいる。自分も久しぶりに日本酒を飲むことにした。
Sさんは熊野古道を歩いたこともあるそうだ。熊野古道と言えば、色々な道があり、どうやって一周するのかよく分からなかったのだが、紀伊半島の各地から内陸にあるお寺に向かう道であり、四国遍路のようにグルリと周る訳では無いそうだ。
Tさんは、どちらかと言えば、無口で物静かな印象の方である。滋賀県の北部、北陸寄りの所にお住いで、61才との事(後で納札を交換して知った)。
Rさんは、伝え聞きではあるが、仕事を辞めて自宅の寺を継ぐことになっているそうで、(12)焼山寺への山道では、お経を唱えながら登っていたそうだ。20代後半か30代前半の方かと思ったが、後で自分より年上の46才と知ってビックリした。
食事を終え、隣の自室に戻る。お互いに明日の準備や書き物をしてマイペースに過ごす。
途中、2階から山形のSさんが下りてきて、一緒に焼山寺を越えた記念に、と納札を交換するために部屋へ来てくれた。
準備が終わると、OさんはNHKの大河ドラマ「江」を見ていた。
何とも平和に夜は更けていく。
植村旅館:一泊二食 6800円(相部屋料金) ※一人の場合は若干プラス
宿泊客:歩き遍路5名
2011年04月24日
【26】歩き遍路 3日目〈その11〉[2011年2月13日]
6年ぶりの「植村旅館」である。中に入ると、若いお姉さんが対応してくれた。女将の娘さんだろうか?
茨城のOさんと相部屋でお願いします、との事である。
気心の知れたOさんとの相部屋でホッとする。
相部屋は、他のお遍路さんと親しくなることが出来、それはそれで魅力なのだが、正直な所、少々苦手である。一番の理由は、自分がヘビースモーカーということだ。
煙が苦手な方がたくさんいる中で、やはり気になる点である。
今まで何度か相部屋になったことがあるが、同室となる方には「煙草吸いますが、大丈夫ですか?」と聞いている。ほとんどの方が「いいよ~」と言ってくれたのだが、一度だけ「ちょっと苦手」という方もいらっしゃった。
その夜は、就寝までほとんど部屋に入らず、ロビーのような所で過ごすことになった。
もう一つに、数日の区切り打ちでは、早寝早起きの遍路生活になじめずなかなか眠れなかったり、夜中に目が覚めて眠れなくなったり、といった事がたまにある。
そういう時は、普段からの水分の摂りすぎのためか、何度もトイレに行きたくなってしまうのである。同室の方を起こしてしまい、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
へんろ地図(四国遍路ひとり歩き同行二人)には、「宿泊所ご利用のアドバイス」という黄色い紙がはさんである。その記事より一部抜粋します。
【遍路は昔から「先着優先・相部屋原則」を不文律として守ってきたのです。不慣れな環境を体験するのも遍路修行です。見知らぬ同志一夜を共にするのもお大師様のおはからいとこころがけてください。どうしても一人1部屋でないとだめだという方は、歩きをあきらめ車でお巡りなさい。】
大変厳しい言葉ではあるが、自分自身、修行ということを忘れていることを痛感させられる。
いつもの生活を、遍路の時にも持ち込んでいる。
時には我慢をしたり、不慣れな環境を体験することが出来るようにならなければ‥‥ちょっと難しいけど。
茨城のOさんと相部屋でお願いします、との事である。
気心の知れたOさんとの相部屋でホッとする。
相部屋は、他のお遍路さんと親しくなることが出来、それはそれで魅力なのだが、正直な所、少々苦手である。一番の理由は、自分がヘビースモーカーということだ。
煙が苦手な方がたくさんいる中で、やはり気になる点である。
今まで何度か相部屋になったことがあるが、同室となる方には「煙草吸いますが、大丈夫ですか?」と聞いている。ほとんどの方が「いいよ~」と言ってくれたのだが、一度だけ「ちょっと苦手」という方もいらっしゃった。
その夜は、就寝までほとんど部屋に入らず、ロビーのような所で過ごすことになった。
もう一つに、数日の区切り打ちでは、早寝早起きの遍路生活になじめずなかなか眠れなかったり、夜中に目が覚めて眠れなくなったり、といった事がたまにある。
そういう時は、普段からの水分の摂りすぎのためか、何度もトイレに行きたくなってしまうのである。同室の方を起こしてしまい、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
へんろ地図(四国遍路ひとり歩き同行二人)には、「宿泊所ご利用のアドバイス」という黄色い紙がはさんである。その記事より一部抜粋します。
【遍路は昔から「先着優先・相部屋原則」を不文律として守ってきたのです。不慣れな環境を体験するのも遍路修行です。見知らぬ同志一夜を共にするのもお大師様のおはからいとこころがけてください。どうしても一人1部屋でないとだめだという方は、歩きをあきらめ車でお巡りなさい。】
大変厳しい言葉ではあるが、自分自身、修行ということを忘れていることを痛感させられる。
いつもの生活を、遍路の時にも持ち込んでいる。
時には我慢をしたり、不慣れな環境を体験することが出来るようにならなければ‥‥ちょっと難しいけど。
2011年04月21日
【25】歩き遍路 3日目〈その10〉[2011年2月13日]
峠からの道は、ひたすらゆるやかな下りである。ここから麓まで5㎞弱は、平坦な部分が無いといってもいいくらいである。
6年前は、膝を痛めてしまっていたので、この延々と続く下りがとてもつらかった。時折、後向きで歩きながら(痛みが軽減される)何とか宿まで歩いた。宿への到着はかなり遅くなってしまった。
今回は痛みもなく快調である。
この道からの眺めはとても素晴らしい。のどかな山里の風景が眼前に広がっている。遠くの山には、風力発電の風車が見える。
しばらく進むと、新しく建てられた「ヘンロ小屋第36号神山」があり、せっかくなので休憩させてもらう。
崖っぷちに建てられており、眺めも良い。新築のトイレもある。
地元のおばあさん3名が休んでおり、その中に茨城のOさんと共に交ぜてもらう。
小屋にはお接待のみかんが置いてあり一つ頂く。見た目は小さく色も悪いのだが、とても美味しい。
おばあさん曰く、薬をかけていないので、見た目は悪いが味は良いとの事だ。美味しいので、もう一つ頂いた。
おばあさん達と色々話しをするも、方言が交じっているのか、上手く聞き取れないことが多い。Oさんは何となく雰囲気で言葉を察し、会話を続けていた。
先程、峠で休憩したばかりなので、あまり長居せず、おばあさん達に別れを告げて出発した。
ゆるやかな下り道を歩き続け、夕方5時頃「植村旅館」に到着した。
本日のコースタイム
旅館吉野6:37→(11)藤井寺6:52→8:00長戸庵8:17→9:16柳水庵→10:28浄蓮庵10:39→12:08(12)焼山寺→16:56植村旅館
歩行距離:24.1km
6年前は、膝を痛めてしまっていたので、この延々と続く下りがとてもつらかった。時折、後向きで歩きながら(痛みが軽減される)何とか宿まで歩いた。宿への到着はかなり遅くなってしまった。
今回は痛みもなく快調である。
この道からの眺めはとても素晴らしい。のどかな山里の風景が眼前に広がっている。遠くの山には、風力発電の風車が見える。
しばらく進むと、新しく建てられた「ヘンロ小屋第36号神山」があり、せっかくなので休憩させてもらう。
崖っぷちに建てられており、眺めも良い。新築のトイレもある。
地元のおばあさん3名が休んでおり、その中に茨城のOさんと共に交ぜてもらう。
小屋にはお接待のみかんが置いてあり一つ頂く。見た目は小さく色も悪いのだが、とても美味しい。
おばあさん曰く、薬をかけていないので、見た目は悪いが味は良いとの事だ。美味しいので、もう一つ頂いた。
おばあさん達と色々話しをするも、方言が交じっているのか、上手く聞き取れないことが多い。Oさんは何となく雰囲気で言葉を察し、会話を続けていた。
先程、峠で休憩したばかりなので、あまり長居せず、おばあさん達に別れを告げて出発した。
ゆるやかな下り道を歩き続け、夕方5時頃「植村旅館」に到着した。
本日のコースタイム
旅館吉野6:37→(11)藤井寺6:52→8:00長戸庵8:17→9:16柳水庵→10:28浄蓮庵10:39→12:08(12)焼山寺→16:56植村旅館
歩行距離:24.1km
2011年04月18日
【24】歩き遍路 3日目〈その9〉[2011年2月13日]
玉ケ峠に向けて出発する。「おへんろ駅」を出て写真のへんろ札に従ってすぐに左折する。
遍路シールはあるものの、何かおかしい。
前回も同じ道を歩いたはずなのだが、記憶と違う。
どうやら、峠への最短距離ではなく、距離の長い車道を歩いているようだ。
もうかなり進んでしまったので、そのまま歩き続ける。
へんろ地図の赤い線通りに歩くことに結構こだわっているので、痛いミスではあるが、遍路シールもあることだし、良しとしよう。
しばらく進み、分岐を右折すると、道路には薄っすらと雪が積もっている。山道を進むと、こんな所にも、という場所に家がある。おばあさんがひなたぼっこをしていた。会釈して歩き続ける。
途中までは人が歩いた跡があったが、いつの間にか消えている。車も滅多に通らないようだ。
今回のお遍路は、ずっと誰かと相前後して歩いて来たので、寂しい気持ちになる。
峠付近には庵のような建物があり、そこで休憩しようと歩き続けると、ようやく遠くに建物が見えてきた。
「こっちやぞー」と声が聞こえてくる。茨城のOさんだ。
ここでしばらく自分の到着を待っていたが、来る気配がないので出発しようと思っていたら、鈴の音が聞こえてきた、との事である。ありがたや、ありがたや。
この庵にはわりと新しいトイレも設置されており、利用させてもらう。
昨日買ったせんべいをOさんにもお分けし、しばらく休んでから、本日の宿「植村旅館」に向けて一緒に出発した。
2011年04月15日
【23】歩き遍路 3日目〈その8〉[2011年2月13日]
結局、(12)焼山寺には1時間半くらいいただろうか。
本日の宿「植村旅館」に向けて歩き出す。丁度、福山のAさんや70代くらいの夫婦も一緒に出発した。
山門を出ると、雪のため一人が歩けるだけのスペース分だけ踏み固められている。ここからはしばらく下り坂が続く。
ご夫婦はたぶん自分より遅いだろうと、先に進もうと思ったが先行されてしまう。適当な所で追い抜こうと思っていたのだが、逆に少しずつ離されていく。このご夫婦もなかなかの健脚だ。
(12)焼山寺からの下り道は、地図で見るよりはずっと長く感じる。
緊張しながら歩く。というのも、初めての遍路の時、一日目は普通の運動靴で歩いていたのだが、サイズが小さかったので指が痛くなってしまった。
それで、二日目にはやっぱりお遍路さんは地下足袋やろ、と(10)切幡寺の麓の店で購入して歩き出した。痛みは無くなって楽になったのだが、靴底が薄いからだろう、この下り道で膝を痛めてしまったのだ。
「杖杉庵」ではAさんがいらっしゃったが、お先に、と声を掛けて先に進む。
ここを過ぎてすぐに左の脇道に入る。道が凍結しており、かなり危険な個所があった。
車道に出てしばらく進むと、「おへんろ駅」と大きな看板があり、少し昔風の休憩所があった。今の時期は営業していない様子だ。
膝の痛みは無い。どうやら個人的な難関は通過したようで、ホッとする。
同じ敷地内に綺麗な公衆トイレがあり、利用させてもらう。Aさんやご夫婦もベンチで休憩しており、しばらくお話させてもらう。
ご夫婦は確か7~8回目の遍路との事で、この先の宿情報を提供してくれた。
明日(13)大日寺で、今回の区切り打ちは終了である。
今日の宿は「植村旅館」、Aさんの今日の宿は、神山の「民宿つじ荘」である。明日はおそらく自分の方が早く大日寺に到着し、帰宅することになるだろう。
「お元気で」と最後のお別れをして(結局、翌日も大日寺でお会いする)、玉ヶ峠に向かった。
本日の宿「植村旅館」に向けて歩き出す。丁度、福山のAさんや70代くらいの夫婦も一緒に出発した。
山門を出ると、雪のため一人が歩けるだけのスペース分だけ踏み固められている。ここからはしばらく下り坂が続く。
ご夫婦はたぶん自分より遅いだろうと、先に進もうと思ったが先行されてしまう。適当な所で追い抜こうと思っていたのだが、逆に少しずつ離されていく。このご夫婦もなかなかの健脚だ。
(12)焼山寺からの下り道は、地図で見るよりはずっと長く感じる。
緊張しながら歩く。というのも、初めての遍路の時、一日目は普通の運動靴で歩いていたのだが、サイズが小さかったので指が痛くなってしまった。
それで、二日目にはやっぱりお遍路さんは地下足袋やろ、と(10)切幡寺の麓の店で購入して歩き出した。痛みは無くなって楽になったのだが、靴底が薄いからだろう、この下り道で膝を痛めてしまったのだ。
「杖杉庵」ではAさんがいらっしゃったが、お先に、と声を掛けて先に進む。
ここを過ぎてすぐに左の脇道に入る。道が凍結しており、かなり危険な個所があった。
車道に出てしばらく進むと、「おへんろ駅」と大きな看板があり、少し昔風の休憩所があった。今の時期は営業していない様子だ。
膝の痛みは無い。どうやら個人的な難関は通過したようで、ホッとする。
同じ敷地内に綺麗な公衆トイレがあり、利用させてもらう。Aさんやご夫婦もベンチで休憩しており、しばらくお話させてもらう。
ご夫婦は確か7~8回目の遍路との事で、この先の宿情報を提供してくれた。
明日(13)大日寺で、今回の区切り打ちは終了である。
今日の宿は「植村旅館」、Aさんの今日の宿は、神山の「民宿つじ荘」である。明日はおそらく自分の方が早く大日寺に到着し、帰宅することになるだろう。
「お元気で」と最後のお別れをして(結局、翌日も大日寺でお会いする)、玉ヶ峠に向かった。
2011年04月13日
【22】歩き遍路 3日目〈その7〉[2011年2月13日]
(12)焼山寺には10~20cmほどの積雪があったが、人の歩く部分は除雪されていた。
今日、一緒に焼山寺への道を歩いて来た人たちも、相前後して到着した。
まずは、鐘楼で鐘を撞いた。いつも鳴らそうと思って忘れてしまう。今、遍路ころがしを歩いている人たちに聞こえただろうか。
本堂・大師堂でお参りをする。納経所は休憩所を併設した新築の建物となっていた。ここで靴下を脱ぎ、昼食も兼ねて長い休憩とした。先に着いていた滋賀のTさん・山形のSさんをはじめ、茨城のOさん・福山のAさん・三重のRさんもいらっしゃる。
休んでいると、名古屋から来たという70代のおじいさんが話し掛けてくれた。自分も6年前、歩き遍路をした。その時初めてお接待を断ってはいけないと知った、など気さくに話されていた。
この方、顔・雰囲気が、6年前に岩本寺近辺を前になり後になり歩いた方に似ている。6年前というのも一致する。ただ、確か大阪から来たと言っていた。
そんな偶然はないとは思うか、もしかしたらあの時の方だったのかもしれない‥、もう少し何月頃歩いたか、など色々聞いておけばよかったなぁ、と後悔である。
コーヒーを買いに外へ出ると、「旅館吉野」で同泊した70代くらいのご夫婦も到着していた。
Tさん・Sさん・Oさん・Rさんは先に出発していったが、苦労して着いたお寺だから、もう少しゆっくりしていこう。
出発の準備をしていると、広島のBさんがようやくやって来た。「柳水庵」の凍った坂道で転びかけた方である。脚が痛くなり、思うように歩けず、到着が遅くなったようだ。
その後Bさんとはお会いしていないが、無事に本日の宿「すだち館」までたどり着けただろうか。
2011年04月11日
【21】歩き遍路 3日目〈その6〉[2011年2月13日]
丁石の所で休んでいると、茨城のOさんが追い付いて来た。
荷物を置かせてくれた丁石にお礼をしてから、一緒に出発した。
←雪の遍路ころがし
最後の上りが一番苦しかった覚えがある。
それに備えて、力を温存しながらゆっくりと登る。
Oさんが「もう少し(で焼山寺)やろ」と言われるが、最後の上りには「これからが一番苦しい。頑張ろう」のへんろ札があったような気がする(後で調べると、この場所にあるのではなくもっと麓にあったらしい)。
上りなので、徐々にOさんとの距離が離れていき、先に進む。
しばらく登ると、神社の周りを囲っている御影石のようなもの(寄付をしてくれた人の名前が書いてある)が見えてきた。あれ?
へんろ札を見逃したのだろうか、丁石の場所から程なくして(12)焼山寺の裏側辺りになるのか?にたどり着いた。一番苦しい区間はいつの間にか通過していたようである。
しばらく道路を歩くと、参道↑という看板がある。看板の位置が微妙で、さて、そのまま道路を進むのか、右側に入っていくのかちょっと迷うが、右の方に進みしばらく歩くと、(12)焼山寺の山門が見えてきた。
時計は12時8分である。(11)藤井寺から5時間15分で到着した。健脚5時間と看板にあったから、結構うれしいものである。
但し、もう少し気候が良い時期だったら、休憩も多く必要になるだろうし、もっと時間が掛かっただろう。
次にこの山道を歩く時は、真夏にチャレンジしてみたい。
荷物を置かせてくれた丁石にお礼をしてから、一緒に出発した。
←雪の遍路ころがし
最後の上りが一番苦しかった覚えがある。
それに備えて、力を温存しながらゆっくりと登る。
Oさんが「もう少し(で焼山寺)やろ」と言われるが、最後の上りには「これからが一番苦しい。頑張ろう」のへんろ札があったような気がする(後で調べると、この場所にあるのではなくもっと麓にあったらしい)。
上りなので、徐々にOさんとの距離が離れていき、先に進む。
しばらく登ると、神社の周りを囲っている御影石のようなもの(寄付をしてくれた人の名前が書いてある)が見えてきた。あれ?
へんろ札を見逃したのだろうか、丁石の場所から程なくして(12)焼山寺の裏側辺りになるのか?にたどり着いた。一番苦しい区間はいつの間にか通過していたようである。
しばらく道路を歩くと、参道↑という看板がある。看板の位置が微妙で、さて、そのまま道路を進むのか、右側に入っていくのかちょっと迷うが、右の方に進みしばらく歩くと、(12)焼山寺の山門が見えてきた。
時計は12時8分である。(11)藤井寺から5時間15分で到着した。健脚5時間と看板にあったから、結構うれしいものである。
但し、もう少し気候が良い時期だったら、休憩も多く必要になるだろうし、もっと時間が掛かっただろう。
次にこの山道を歩く時は、真夏にチャレンジしてみたい。
2011年04月09日
【20】歩き遍路 3日目〈その5〉[2011年2月13日]
「浄蓮庵」を出発すると、道は平坦かやや下りとなる。
6年前は何の知識もなく遍路ころがしを歩いたものだから、何でここまで登ったにもかかわらず下りになるのか、とガックリしたものだが、「浄蓮庵」から一旦350mほど下り、また300mほど上がらなければ(12)焼山寺にはたどり着けないのだ。
しばらくは茨城のOさんの後ろを歩いていたが、普通に歩いていると身体が冷え切ってくる。上り坂では少し汗ばむ程度だが、平坦・下り坂になるととても寒い。
Oさんに道を譲って頂き、身体を温めるため、小走りで道を駆け下りる。
ゆっくり休憩できる、日の当たる暖かい場所を探すが見つからないまま、左右内集落に着いた。
犬の鳴き声が聞こえたり、何か作業をしている人の姿も見える。
深い山の中を歩いて、ようやくたどり着いた集落である。桃源郷のようだ。
←左右内集落のへんろ石
集落にはイノシシ?の毛皮を何枚もぶら下げてある場所もあった。
さらに道を下り、いよいよ最後の難関に差し掛かった。
ここからは急な上り坂となる。
確か、この先に休憩場所はなかったはずだ。左右内集落で休んでおけばよかった、と後悔する。
舗装された林道でも通っていれば休憩出来るのだが‥
最後の遍路ころがしをゆっくりと登る。これが暑い日だったら大変なことになるのだろうが、今日の気温では身体がポカポカしてくる。
息を切らしながら登り続けるが、一向に休む場所が見つからない。
道端に丁石があり、少しだけ平坦な場所があったので、この丁石に菅笠を掛けさせてもらい、雪が積もっているので、仕方なくう〇こ座りで休憩した。
6年前は何の知識もなく遍路ころがしを歩いたものだから、何でここまで登ったにもかかわらず下りになるのか、とガックリしたものだが、「浄蓮庵」から一旦350mほど下り、また300mほど上がらなければ(12)焼山寺にはたどり着けないのだ。
しばらくは茨城のOさんの後ろを歩いていたが、普通に歩いていると身体が冷え切ってくる。上り坂では少し汗ばむ程度だが、平坦・下り坂になるととても寒い。
Oさんに道を譲って頂き、身体を温めるため、小走りで道を駆け下りる。
ゆっくり休憩できる、日の当たる暖かい場所を探すが見つからないまま、左右内集落に着いた。
犬の鳴き声が聞こえたり、何か作業をしている人の姿も見える。
深い山の中を歩いて、ようやくたどり着いた集落である。桃源郷のようだ。
←左右内集落のへんろ石
集落にはイノシシ?の毛皮を何枚もぶら下げてある場所もあった。
さらに道を下り、いよいよ最後の難関に差し掛かった。
ここからは急な上り坂となる。
確か、この先に休憩場所はなかったはずだ。左右内集落で休んでおけばよかった、と後悔する。
舗装された林道でも通っていれば休憩出来るのだが‥
最後の遍路ころがしをゆっくりと登る。これが暑い日だったら大変なことになるのだろうが、今日の気温では身体がポカポカしてくる。
息を切らしながら登り続けるが、一向に休む場所が見つからない。
道端に丁石があり、少しだけ平坦な場所があったので、この丁石に菅笠を掛けさせてもらい、雪が積もっているので、仕方なくう〇こ座りで休憩した。
2011年04月07日
【19】歩き遍路 3日目〈その4〉[2011年2月13日]
「浄蓮庵」に向けて出発する。「一本杉庵」とも称されているようで、自分もこちらの名称で覚えていた。
ゆるやかな登りが続き、少しずつ福山のAさんとの距離が開いていく。
平坦・下り道では他の方に置いていかれるのだが、上りに関しては逆にリードを広げていく。
この辺りまで来ると、一面真っ白なため、靴の中に雪が入らないように、前の人たちがつけてくれた足跡を追いながら歩く。
「浄蓮庵」の手前約1㎞からは急な上り坂となる。急坂を登りきると、右手に弘法大師の大きな銅像が姿を現した。
はじめての遍路の時は、この突然現れた大きな銅像に、いたく驚かされた。
階段を上り、10時半頃「浄蓮庵」にたどり着いた。
山形のSさんや茨城のOさんも既に到着していた。Sさんはすぐに出発し、しばらくOさんと休憩する。
Oさんから、大きな杉やね、と言われ、そういえばここは「一本杉庵」とも言われるくらいだから大きな杉の木があるんだ、と当たり前の事にようやく気付く。
自分自身、ちょっと天然ボケが入っているのだ。
ここには、外壁が崩れむき出しの便器があったのだが、ありがたく使用させて頂く。
「旅館吉野」で一緒だった、滋賀のTさんがやって来たが、すぐに出発していかれた。
結局、このTさんが、一番早く(12)焼山寺にたどり着いたようだ。
福山のAさんもやや遅れて到着した。
ここは日当たりが悪くとても寒いので、暖かい場所で休憩しようと思い、10分ほど休んだだけで、早々に出発した。
ゆるやかな登りが続き、少しずつ福山のAさんとの距離が開いていく。
平坦・下り道では他の方に置いていかれるのだが、上りに関しては逆にリードを広げていく。
この辺りまで来ると、一面真っ白なため、靴の中に雪が入らないように、前の人たちがつけてくれた足跡を追いながら歩く。
「浄蓮庵」の手前約1㎞からは急な上り坂となる。急坂を登りきると、右手に弘法大師の大きな銅像が姿を現した。
はじめての遍路の時は、この突然現れた大きな銅像に、いたく驚かされた。
階段を上り、10時半頃「浄蓮庵」にたどり着いた。
山形のSさんや茨城のOさんも既に到着していた。Sさんはすぐに出発し、しばらくOさんと休憩する。
Oさんから、大きな杉やね、と言われ、そういえばここは「一本杉庵」とも言われるくらいだから大きな杉の木があるんだ、と当たり前の事にようやく気付く。
自分自身、ちょっと天然ボケが入っているのだ。
ここには、外壁が崩れむき出しの便器があったのだが、ありがたく使用させて頂く。
「旅館吉野」で一緒だった、滋賀のTさんがやって来たが、すぐに出発していかれた。
結局、このTさんが、一番早く(12)焼山寺にたどり着いたようだ。
福山のAさんもやや遅れて到着した。
ここは日当たりが悪くとても寒いので、暖かい場所で休憩しようと思い、10分ほど休んだだけで、早々に出発した。
2011年04月05日
【18】歩き遍路 3日目〈その3〉[2011年2月13日]
「長戸庵」を出てから10分ほど歩くと、見晴らしのいい地点に着いた。
昨日歩いた吉野川近辺がよく見える。素晴らしい景色だ。ここでも茨城のOさんに会う。
次の「柳水庵」までの道の記憶がなぜかあまり残っていない。他の方のレポートでは、上り下りを繰り返しながら進んでいく、とある。
(12)焼山寺までのきつい登りには、6年前には無かった「へんろころがし1/6」などと書いた新しい標識が設置されていた。この標識で、いくつめのキツイ登りにトライしているのかが分かるようになっている。とても親切なのだが‥‥
「長戸庵」を出て1時間弱、急坂を降りると「柳水庵」にたどり着いた。先発していた山形のSさんがお参りしていた。が、すぐに出発していった。
もう少し下った所に新しい休憩所があるので、舗装された急坂を下るが、道が凍っており、とても危険だった。路肩に残った新雪の上をそろりそろりと歩いて、無事休憩所に着いた。ここには山の湧水がたっぷりと溢れており、新鮮な水を飲むことが出来る。
休憩所の軒先は日が当たらず寒いので、道の上に座り込み、宿で作ってもらったおにぎりや昨日買ったせんべいを食べたり、缶コーヒーを飲んで、大休憩体制に入る。
おなじみのOさんや福山のAさんも到着。皆さんそれぞれにのんびりと休憩している。
Oさんが先に出発し、入れ替わりに広島のBさんが来られた。「旅館吉野」で一緒のテーブルだった、50代くらいの方である。Bさんは「金剛杖」は持たず、何が入っているのか分からないが、手提げを持って歩いている。
話によると、休憩所手前の凍った坂で滑ってしまい、転びはしなかったが、変な態勢になってしまい、脚をひねってしまったそうだ。大丈夫だろうか。
おそらく30分以上は休憩しただろう。
Aさんと共に「浄蓮庵(一本杉庵?)」に向けて出発した。
昨日歩いた吉野川近辺がよく見える。素晴らしい景色だ。ここでも茨城のOさんに会う。
次の「柳水庵」までの道の記憶がなぜかあまり残っていない。他の方のレポートでは、上り下りを繰り返しながら進んでいく、とある。
(12)焼山寺までのきつい登りには、6年前には無かった「へんろころがし1/6」などと書いた新しい標識が設置されていた。この標識で、いくつめのキツイ登りにトライしているのかが分かるようになっている。とても親切なのだが‥‥
「長戸庵」を出て1時間弱、急坂を降りると「柳水庵」にたどり着いた。先発していた山形のSさんがお参りしていた。が、すぐに出発していった。
もう少し下った所に新しい休憩所があるので、舗装された急坂を下るが、道が凍っており、とても危険だった。路肩に残った新雪の上をそろりそろりと歩いて、無事休憩所に着いた。ここには山の湧水がたっぷりと溢れており、新鮮な水を飲むことが出来る。
休憩所の軒先は日が当たらず寒いので、道の上に座り込み、宿で作ってもらったおにぎりや昨日買ったせんべいを食べたり、缶コーヒーを飲んで、大休憩体制に入る。
おなじみのOさんや福山のAさんも到着。皆さんそれぞれにのんびりと休憩している。
Oさんが先に出発し、入れ替わりに広島のBさんが来られた。「旅館吉野」で一緒のテーブルだった、50代くらいの方である。Bさんは「金剛杖」は持たず、何が入っているのか分からないが、手提げを持って歩いている。
話によると、休憩所手前の凍った坂で滑ってしまい、転びはしなかったが、変な態勢になってしまい、脚をひねってしまったそうだ。大丈夫だろうか。
おそらく30分以上は休憩しただろう。
Aさんと共に「浄蓮庵(一本杉庵?)」に向けて出発した。
2011年04月03日
【17】歩き遍路 3日目〈その2〉[2011年2月13日]
最初から飛ばすと後半バテてしまう、と聞いていたので、ゆっくりゆっくりと登り始める。
初めての遍路の時に知り合った毎年四国を歩いている方が、この辺りには行き倒れた人たちの無縁仏があり、自分には霊感がないがこの区間だけは気持ち悪くなってしまう、と言っていた。
もしかしたら自分も何か感じるかなぁと思ったが、特に何も感じることはなく、最初の休憩場所に決めていた「長戸庵」に向けて歩みを進める。
森の中をくぐり抜け、見晴らしの良い地点にたどり着いた。今日は天気も良く、視界良好である。
高度を上げるにつれ、徐々に雪が増えてきた。道の両脇にうっすらと残っている程度だったが、所々道の上にも雪が積もっている場所も出てきた。
幸い、前日歩いた人たちが踏み固めてくれたのだろうか、雪は圧雪されており歩きやすかった。
また、気温もおそらく氷点下、凍った雪と落ち葉を踏むと「パリッパリッ」と音がする。
凍った雪の上を歩く音だけではなく、落ち葉が関係しているのだろうか、あまり聞き慣れない心地よい音が聞こえてくる。
これが、暖かい日となっていたら、靴はベチャベチャになっていただろう。
結局、普通のジョギングシューズのような靴で山を越えたのだが、靴の中が濡れるような事はなかった。
登り始めてから1時間ちょっとの午前8時、「長戸庵」にたどり着いた。
雪に覆われており、お地蔵さんは、誰かが自分の菅笠をかぶせてくれたのだろうか、笠地蔵のようになっている。
ここで、同じ頃に前後して到着した山形のSさん、茨城のOさんらと記念撮影をした。
山形のSさんが先発し、程なく「さくら旅館」に泊まっていた福山のAさんも到着した。
20分ほど休憩し、次の休憩予定地「柳水庵」に向けて出発した。
初めての遍路の時に知り合った毎年四国を歩いている方が、この辺りには行き倒れた人たちの無縁仏があり、自分には霊感がないがこの区間だけは気持ち悪くなってしまう、と言っていた。
もしかしたら自分も何か感じるかなぁと思ったが、特に何も感じることはなく、最初の休憩場所に決めていた「長戸庵」に向けて歩みを進める。
森の中をくぐり抜け、見晴らしの良い地点にたどり着いた。今日は天気も良く、視界良好である。
高度を上げるにつれ、徐々に雪が増えてきた。道の両脇にうっすらと残っている程度だったが、所々道の上にも雪が積もっている場所も出てきた。
幸い、前日歩いた人たちが踏み固めてくれたのだろうか、雪は圧雪されており歩きやすかった。
また、気温もおそらく氷点下、凍った雪と落ち葉を踏むと「パリッパリッ」と音がする。
凍った雪の上を歩く音だけではなく、落ち葉が関係しているのだろうか、あまり聞き慣れない心地よい音が聞こえてくる。
これが、暖かい日となっていたら、靴はベチャベチャになっていただろう。
結局、普通のジョギングシューズのような靴で山を越えたのだが、靴の中が濡れるような事はなかった。
登り始めてから1時間ちょっとの午前8時、「長戸庵」にたどり着いた。
雪に覆われており、お地蔵さんは、誰かが自分の菅笠をかぶせてくれたのだろうか、笠地蔵のようになっている。
ここで、同じ頃に前後して到着した山形のSさん、茨城のOさんらと記念撮影をした。
山形のSさんが先発し、程なく「さくら旅館」に泊まっていた福山のAさんも到着した。
20分ほど休憩し、次の休憩予定地「柳水庵」に向けて出発した。
2011年04月01日
【16】歩き遍路 3日目〈その1〉[2011年2月13日]
まだ早寝早起きの生活に慣れていないためか、夜中に何度か目が覚めてしまう。
お遍路さんの夜は早く、朝も早い。
朝の6時に食堂へ行くと、もう皆さん食事を摂られていた。これから「遍路ころがし」と言われる(12)焼山寺への道を歩くことになるから、一刻も早く出発したいと気が急くのだろう。
焼山寺には食堂があったはずだが、この時期は営業していないとの事で、念のためおにぎり2人分を前日にお願いしておいた。
準備をして玄関へ行くと、他の同泊者の方々も何人か出発する所だった。おかみさんにご挨拶すると、「あんたは大丈夫やよ~」的なことを言ってくれた。おそらく、ご飯を何杯もおかわりするような元気な人は、遍路ころがしを突破出来るということだろう。
午前6時35分、気分良く宿を出発した。
藤井寺の駐車場でトイレを済ませ、缶コーヒーを購入し、6時50分にいよいよ(12)焼山寺への道を歩き始めた。
健脚5時間・平均6時間・弱足8時間とある。
前回はどれくらいの時間で歩いたのか、記録を取っていなかったので分からないが、そこそこの時間で登りきったと思う。
さて、今回は何時間で(12)焼山寺にたどり着けるだろうか。あまり急がず、ゆっくりと休憩しながら歩いていきたい。
お遍路さんの夜は早く、朝も早い。
朝の6時に食堂へ行くと、もう皆さん食事を摂られていた。これから「遍路ころがし」と言われる(12)焼山寺への道を歩くことになるから、一刻も早く出発したいと気が急くのだろう。
焼山寺には食堂があったはずだが、この時期は営業していないとの事で、念のためおにぎり2人分を前日にお願いしておいた。
準備をして玄関へ行くと、他の同泊者の方々も何人か出発する所だった。おかみさんにご挨拶すると、「あんたは大丈夫やよ~」的なことを言ってくれた。おそらく、ご飯を何杯もおかわりするような元気な人は、遍路ころがしを突破出来るということだろう。
午前6時35分、気分良く宿を出発した。
藤井寺の駐車場でトイレを済ませ、缶コーヒーを購入し、6時50分にいよいよ(12)焼山寺への道を歩き始めた。
健脚5時間・平均6時間・弱足8時間とある。
前回はどれくらいの時間で歩いたのか、記録を取っていなかったので分からないが、そこそこの時間で登りきったと思う。
さて、今回は何時間で(12)焼山寺にたどり着けるだろうか。あまり急がず、ゆっくりと休憩しながら歩いていきたい。