2020年06月28日
【3巡目-549】 別格9番文珠院、48番西林寺へ [2019年2月18日]〈その11〉
遍路を始めたのは、お大師さんじゃなくて衛門三郎さんだったろうか、分からなくなってきた。
参拝を終え納経所へ向かうと、住職さんだろうか、納経書きの方が何か作業をしているようで、スタンバイしていた。
88ケ所のお寺でさえ、ブザーを鳴らして呼ぶことが増えてきたが、意外と別格のお寺の方が人がいたりする気がする。
境内のベンチで、宿で作ってもらったおむすびの残りを食べてから出発する。
少し腹ごしらえはしたものの、どこかで遅い昼食としたい。このまま遍路道を進んでも食事が出来そうな場所は無かったはずなので、道を変えることにする。

再出発し、適当な場所で右折して、大通りに出ることにしたが、行政シールが貼ってあり、驚く。どうやら、偶々四国のみちになっていた所を歩いていたようである。
県道207号に出ると、消防署があり、お遍路さん向けに、道案内やトイレにお気軽にお立ち寄り下さい、という、新しい看板が取り付けられていた。遍路道沿いではないので、車遍路用だろうか。
写真は、別の消防署で撮ったものだが、同じ看板である。
その後、他の通り掛かった消防署でも見掛けたから、最近、お遍路さんへのお接待を始めたのだろうか。嬉しいことである。
2020年06月25日
【3巡目-548】 47番八坂寺、別格9番文珠院 [2019年2月18日]〈その10〉
この辺り、札所が続くことから、一つ一つのお寺の印象が薄く、どんな境内だったか、なかなか思い出すことが出来ない。
確か、荷物を置いていたベンチから駐車場が見えていたような。
賽銭箱の所にお守りがいくつか売られていた。お代は箱の中へ、ということで、(45)岩屋寺で同年代位のご夫婦から頂いたお接待のお金で、「さくら守り」というお守りを買わせてもらうことにした。
お賽銭にでもして下さい、との事だったので、これで役目を果たせるだろう。手元に、お接待してもらった思い出も残ることになる。
視界が開けると、大きなため池がある。下の車道を歩いたが、池の堤を歩いても合流出来るので、そちらの方が楽しめそうである。
集落の中の細い道となる。運が良ければ、この狭い道に大型の路線バスが走り抜ける壮観な姿が見られるかも。
程なくして、別格9番の文珠院に到着した。
遍路道沿いにあるのだが、参拝するのは初めてである。108ヶ所満願まで、あと2寺となった。
2020年06月22日
【3巡目-547】 46番浄瑠璃寺、47番八坂寺 [2019年2月18日]〈その9〉
狭い車道を進むと、遍路宿の「長珍屋」さんが見えてきた。一度泊まってみたいと思っている宿なのだが、なかなか日程が合わない。
すぐ向かいの(46)浄瑠璃寺に到着したのは、午前11時46分だった。
へんろ地図の距離表示が少し違っているようで、思ったよりも早い到着となった。
山門が無いので、道路から石段を上がったらすぐに境内となる。
参拝をし、いつもだったらゆっくり休憩する所だが、修行だと思って早々に出立する。
古い遍路石も残っている小道を、右に左に進む道となる。道しるべ通りに歩く。
途中からは、田畑が広がるようになり、少し標高が高い場所のため眺めも良く、天気が良いことも重なって、のどかな道中となった。
すぐに集落の中へと戻り、一直線の道路、約150m程先に、(47)八坂寺がもう見えてきた。小ぶりで門の下にベンチを設けた、独特の山門である。
(46)浄瑠璃寺から12分での到着でした。
2020年06月19日
【3巡目-546】 46番浄瑠璃寺へ [2019年2月18日]〈その8〉

二つのルートの分岐点となっている。
わりと早くに集会所が見えてきた。道しるべは直進を示しており、ここで橋を渡った記憶もない。これまでは直進していたのだなあ、と思い右に曲がる。
へんろ地図では、すぐに丹波バス停があるはずなのだが見当たらない。
おかしいなあ、と思いつつ前へと進むと、もう一つ下流の橋からの道が合流してきた。道しるべもある。
結論から言えば、へんろ地図の榎集会所の場所は間違えているようで、実際にはもう一本上流の橋の袂にある。今歩いてきた道は、遍路道では無かった。
しばらくは退屈な車道を進み、田園地帯を横断し、もう一方の遍路道と合流した。
多分こちらは昔からの道ではなく、安全に歩けるから遍路道に指定されているのではないだろうか。
両側に民家が並ぶ狭い車道が続く。少し開けた場所になってきたかなあ、という所に坂本小学校があった。三坂峠からの下り道で、励ましのメッセージを付けてくれていた学校である。
もっと田舎にあるのかと思っていたが、わりと大きくて、都市の郊外の小学校という感じがした。
2020年06月16日
【3巡目-545】 三坂峠 [2019年2月18日]〈その7〉
松山市街がやや霞みつつも見渡すことが出来た。
小学生による遍路札が励ましてくれる。恐らく、ここ数ヶ月中に付けられたものだろう。
古くからの道しるべが土に還りつつある中、新しい札が取り付けられているのは嬉しいことだった。
三坂峠から長い下り道を進み、土の道から簡易舗装の道路になるとさらに急勾配となる。峠から44分も掛かり、ようやくお接待所の「坂本屋」に辿り着いた。
冬場を除く土日だけの開設と聞いており、残念ながら今日は扉が閉じられている。
トイレは自由に使えるようになっているので、お借りすることにした。ベンチは屋根下にあり、雨の日でも一休み出来そうである。
「網掛石」まで来た所で、草の上に座って一休みすることにした。「いやしの宿八丁坂」にて作ってもらったおむすびを一個食べ、のどかな時間を過ごす。草の感触が気持ち良かった。
道路を挟んでお大師さんがジッとこちらを見ている。網掛石は、確かに石に網を絡めたようになっていた。
この先、へんろ地図では、二つのコースに分かれることになっている。これまでどちらを歩いたのか、全く覚えていない。今回は歩いていない方の道を進んでみよう、と少々気合が入っていた。
2020年06月13日
【3巡目-544】 三坂峠へ [2019年2月18日]〈その6〉
日差しがあり、暖かくなってきた。午前9時頃になると、好天で霜が溶け出してきたようで、電線から水滴が地面に落ちてきて路面が濡れていた。
黙々と峠へ向かって歩みを進める。新しく出来た無料の三坂道路入口を過ぎると、車はほとんど通らなくなった。
国道をひたすら歩くのだが、一ヶ所だけ、遍路宿「桃李庵」の所で短い歩きの遍路道があるので、そちらの方へ入ってみる。
遍路シールなども薄くなって分岐が分からなくなっており、知っていないと通り過ぎてしまうだろう。
ちょっとした上りなのだが、息が上がってしまった。
三坂峠までやって来る。
通り過ぎる車も無く、すっかり寂れてしまった印象である。前回利用した、並んでいた自販機は撤去されてしまっていた。
一匹のワンちゃんが、人恋しそうにこちらへと近付いて来た。こうやって、たまにやって来るお遍路さんをお迎えしているのだろうか。
峠への歩きの道へと入る。入口にはまだ新しい、悪路通行注意、の看板が立てられていた。危険と感じた場合には引き返すように、と書かれている。
ただ、峠からの急坂を降りた所で、引き返す力のあるお遍路さんはいないだろう。
2020年06月10日
【3巡目-543】 千本峠④、三坂峠へ [2019年2月18日]〈その5〉
久万川の橋の手前に、へんろ地図にも掲載されているトイレがある。国道沿いにあるのではないのでご注意を。
橋を渡り少し上がると国道33号線、通常の遍路道と合流であるが、その橋を渡ってすぐの所に「仰西渠」という、江戸時代に固い岩をくり抜いて水不足に悩む農民を救うために造られた、という用水があった。
ちょうど国道の下辺りに並行して流れている。
水路に沿って遊歩道があるのでそのまま進むと、終点辺りで国道へと上がることが出来た。ここからしばらくは国道歩きである。
ベンチに腰掛けようかと思ったら、埃を被って座れそうもない。駐車場の植え込みの石の上で座らせてもらうことにした。
トイレも自由に利用できるようになっていた。缶コーヒーを買って一休みする。
出発して歩き出す。50メートルほど進んだだろうか、前方から松山行きのバスがやって来た。
アレっ、おかしいぞ、こちらも松山へと向かっているのに、という事で、反対方向へと歩いていることに気が付いた。自分としては珍しい間違いである。バスのおかげで、ちょっと進んだだけで気が付けて助かりました。
2020年06月07日
【3巡目-542】 千本峠③ [2019年2月18日]〈その4〉
ぽつぽつと民家がみられる。前回立ち寄らなかった展望台とやらに行ってみよう、と思い、少しコースを離れる。100mほどの寄り道となる。
道路にポールが置かれて、私設展望台となっている。どういうことか、と取りあえず行ってみることにした。
てっぺんにある民家の敷地内に展望台があるようで、料金は100円、100円がもったいない方は入場禁止、との事である。
100円が勿体無いので、入らないことにする。ちょっと嫌な気分になる。
恐らく、展望台に入れば久万高原の街が一望出来るのかも知れない。こちらからは、街の端っこの方が、やや霞みつつもかろうじて見えていた。
高野の集落から、麓に向かって降りて行く。
今朝、あれだけ寒かったので、霜が降りて、一面真っ白である。
写真の場所で、車道から歩きの道へと誘導され下って行くと、別の集落が現れた。
一ヶ所だけ、枯れ藪の中に入って急坂を行く場所があり、この道で合っているのかなあ、ということがあったが、降り切った所に四国のみちの木柱があったので、正解だったようである。
2020年06月04日
【3巡目-541】 千本峠② [2019年2月18日]〈その3〉
千本高原キャンプ場というのがあるらしい。車で来れる別ルートがあるのだろうか。
ちょうど、朝日が射しこんできて、周囲がオレンジ色に輝き、いい感じになってきた。
再び森の中へと入って行く。
スギ林の中に人知れず、遍路石やお地蔵さんがポツリと鎮座している。何だか愛おしくなってくる。
案内板などなく、どこが千本峠かはっきりと分からなかったが、いつしか道は下りになってきた。上りは終了か、とホッとする。
峠らしき場所は過ぎたのだから後は下りが続く、と思っていたら、再び山の斜面に沿って上りの道が続いているのが視界の先に見えており、げんなりする。
東海図版の地図で確認して見ると、昔の道は消えてしまったようで、この道は代替路という事になるのだろう。
この、上りの道を登り切ると、民家が見られるようになってきた。
2020年06月01日
【3巡目-540】 千本峠① [2019年2月18日]〈その2〉
一時、災害による被害で通行止になっていたが、現在はどうなっているだろうか。
10年前にも歩いているので、峠への入口は何となく覚えている。
四国のみちの木柱があるが、枯草に覆われかけている。
道路の反対側には、へんろ道保存協力会の立杭があるが、そのまま県道を進むようになっていた。この峠道もいずれは消えてしまうのだろう。
特に通行止などの表示は無いので、まだ薄暗い中、山の中へと突入する。
一旦、峠への道に入ってしまえば、遍路札や四国のみちの案内など、要所にあるので、道に迷うようなことは無かった。
林道から歩きの道へと入る。「伐採作業中」との看板がある。
実際に、キャタピラーの踏み跡でボコボコになった道が登場して、ちょっと驚いてしまった。
看板を出してくれているのは、四国のみちにもなっているので規則からなのか、それとも歩き遍路のためにと思ってなのだろうか。
山道を進むと案内板があり、「開拓の地千本高原」千数百年前に開拓され、畑野川開拓の第一歩をしるした所、という事である。そんな昔から人が入り込んでいたような場所だったとは。