2015年10月29日
【3巡目-35】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その13〉[2015年1月11日]
堤防道を少し戻ると、「粟島渡し跡」の石碑と案内板があった。
この辺りには、「光明庵」という番外札所もあったそうである。
へんろ地図では、この場所に直接行ける赤い点線が書いてあるが、それらしき道は見当たらなかった。
県道122号に沿った堤防道に点線を書くのが正解のような気がする。
ここからは地図通りに進んで行く。
堤防を下りて程なく、面白い石標があった。
(11)藤井寺への標石なのだが、一方には「西オエ駅 九丁」と彫り込まれていた。一部カタカナになっている所や、古い標石で、駅へと案内しているものはあまり記憶にない。
この先にも、短い区間に標石が複数あった。こちらの方が本来の遍路道と思われるが、川島橋を渡ったお遍路さんは、右の道の方へと誘導されてしまうようである。
JRの頭がつかえてしまいそうな、レンガ造りの天井の低いトンネルをくぐる。丁度、汽車が走り去って行った。
国道192号線を横断し、県道へと入る。どこかその辺りで、標石があったのだが、明治時代の石碑で、箸蔵寺と書かれていた。またも、箸蔵寺の凄さを知ることとなった。
この辺りには、「光明庵」という番外札所もあったそうである。
へんろ地図では、この場所に直接行ける赤い点線が書いてあるが、それらしき道は見当たらなかった。
県道122号に沿った堤防道に点線を書くのが正解のような気がする。
ここからは地図通りに進んで行く。
堤防を下りて程なく、面白い石標があった。
(11)藤井寺への標石なのだが、一方には「西オエ駅 九丁」と彫り込まれていた。一部カタカナになっている所や、古い標石で、駅へと案内しているものはあまり記憶にない。
この先にも、短い区間に標石が複数あった。こちらの方が本来の遍路道と思われるが、川島橋を渡ったお遍路さんは、右の道の方へと誘導されてしまうようである。
JRの頭がつかえてしまいそうな、レンガ造りの天井の低いトンネルをくぐる。丁度、汽車が走り去って行った。
国道192号線を横断し、県道へと入る。どこかその辺りで、標石があったのだが、明治時代の石碑で、箸蔵寺と書かれていた。またも、箸蔵寺の凄さを知ることとなった。
2015年10月27日
【3巡目-34】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その12〉[2015年1月11日]
二つ目の潜水橋、川島橋を渡る。
今回は、何としても二巡目の時に歩き忘れた道、へんろ地図の赤い点線の道を歩きたい。
橋を渡り終えると、遍路シールは右方向へと誘導している。左には砂利道が続いており、この道で間違いないようである。
今歩いて来た潜水橋には、後続のお遍路さんが続いていた。
会社の上司と部下風の二人組、そしてもう一組、お遍路さんが歩いている。
「民宿寿食堂」で同宿だった、二組の夫婦のうち、60代くらいの方のペアである。(6)安楽寺から度々見掛けていたが、荷物を持っていないので、車遍路かと思っていた。荷物は宿にでも預けてあるのだろうか。
へんろ地図の赤い点線に沿って進む。
振り返ると、後続のお遍路さんたちは、反対方向に進んで行く姿が見えた。
こちらは、昔の道を忠実に辿ってみることにする。
それにしても、強風が吹き付け、寂しい砂塵の道をただ一人、歩いている、といった風情である。荒野の決闘でも起こりそうな場所であった。
遍路札などは、一切見付けられなかった。
へんろ地図の「昔の渡し舟道」と書いてある辺りにやって来た。
何か石碑や案内板があるかと思ったが何もなく、ここから直角に曲がる道があるはずだが見当たらない。
地図にある斜め方向の道を進み、堤防の道に出た。少し戻ると、案内板があった。
今回は、何としても二巡目の時に歩き忘れた道、へんろ地図の赤い点線の道を歩きたい。
橋を渡り終えると、遍路シールは右方向へと誘導している。左には砂利道が続いており、この道で間違いないようである。
今歩いて来た潜水橋には、後続のお遍路さんが続いていた。
会社の上司と部下風の二人組、そしてもう一組、お遍路さんが歩いている。
「民宿寿食堂」で同宿だった、二組の夫婦のうち、60代くらいの方のペアである。(6)安楽寺から度々見掛けていたが、荷物を持っていないので、車遍路かと思っていた。荷物は宿にでも預けてあるのだろうか。
へんろ地図の赤い点線に沿って進む。
振り返ると、後続のお遍路さんたちは、反対方向に進んで行く姿が見えた。
こちらは、昔の道を忠実に辿ってみることにする。
それにしても、強風が吹き付け、寂しい砂塵の道をただ一人、歩いている、といった風情である。荒野の決闘でも起こりそうな場所であった。
遍路札などは、一切見付けられなかった。
へんろ地図の「昔の渡し舟道」と書いてある辺りにやって来た。
何か石碑や案内板があるかと思ったが何もなく、ここから直角に曲がる道があるはずだが見当たらない。
地図にある斜め方向の道を進み、堤防の道に出た。少し戻ると、案内板があった。
2015年10月23日
【3巡目-33】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その11〉[2015年1月11日]
吉野川への堤防へと上がる石段の脇には、復元されたのだろうか、中務茂兵衛の遍路石が建てられていた。
そして、お馴染みの吉野川に掛かる潜水橋である。四国歩き遍路で、一番よく見掛ける写真ではないだろうか。
一巡目、二巡目と続き、今回もこの区間では天候が今一つである。天気は良いのだが、寒風が吹きつけて、かなり寒くなっている。
潜水橋には、車(軽トラ)が頻繁に行き交っている。何か集まりでもあったのだろうか。
歩き遍路のハイライトといえる区間でもあるので、ここはゆっくりと、歩ける喜びをかみしめながら進んで行く。
潜水橋を渡り、広大な吉野川の中州となる、田んぼの中の道となる。
今回は、出来るだけ昔の道を辿ってみたく、東海図版の遍路地図に従って、写真の分岐をそのまま直進してみた。
突き当りには林が続いている。善入寺と書かれた小さな手作りのような赤い鳥居があった。最近、郊外の道路の広くなった場所に、ゴミ捨て防止のために置かれているような鳥居である。
渡船場跡など、遍路道の遺構らしきものが見つかればと思ったが、川に出られる道は見当たらなかった。
林に沿って歩き、再び遍路道へと戻る。後方遠くに、歩き遍路さんの姿が見えた。きっと、道を間違えた、と思われただろう。
間もなく、二つ目の潜水橋となる。
そして、お馴染みの吉野川に掛かる潜水橋である。四国歩き遍路で、一番よく見掛ける写真ではないだろうか。
一巡目、二巡目と続き、今回もこの区間では天候が今一つである。天気は良いのだが、寒風が吹きつけて、かなり寒くなっている。
潜水橋には、車(軽トラ)が頻繁に行き交っている。何か集まりでもあったのだろうか。
歩き遍路のハイライトといえる区間でもあるので、ここはゆっくりと、歩ける喜びをかみしめながら進んで行く。
潜水橋を渡り、広大な吉野川の中州となる、田んぼの中の道となる。
今回は、出来るだけ昔の道を辿ってみたく、東海図版の遍路地図に従って、写真の分岐をそのまま直進してみた。
突き当りには林が続いている。善入寺と書かれた小さな手作りのような赤い鳥居があった。最近、郊外の道路の広くなった場所に、ゴミ捨て防止のために置かれているような鳥居である。
渡船場跡など、遍路道の遺構らしきものが見つかればと思ったが、川に出られる道は見当たらなかった。
林に沿って歩き、再び遍路道へと戻る。後方遠くに、歩き遍路さんの姿が見えた。きっと、道を間違えた、と思われただろう。
間もなく、二つ目の潜水橋となる。
2015年10月20日
【3巡目-32】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その10〉[2015年1月11日]
「JA夢市場」にて、買ったものを食べ始めると、背広を着た、ここの管理者風の方がこちらにやって来た。
自販機にある好きな飲み物をお接待します、という申し出だった。
突然のお接待に、驚いてしまった。温かいコーヒーを頂くことにした。
自販機を見てみると、お遍路さんへ、と貼り紙があり、休憩中のお遍路さんに「当販売機の商品を一個無料サービスしますのでお申し出下さい」と書かれてあった。このサービスを受けさせてもらっていたのである。
予期せぬ出来事ほど、ずっと印象に残っていくものである。
休憩所には、他に小さな子供二人が休んでいたのだが、こちらに興味津々な様子。キャッキャ言いながらこちらを見ている。お遍路さんをあまり見慣れていないのかも知れない。
何の話をしたかは忘れてしまったが、お遍路衣装を見て、子供らしい面白い事を聞かれて、大笑いしたのを覚えている。
30分ほど休憩し、「JA夢市場」を出発する。
遍路道へと戻り、前に進む。右手には、ウォーカーズのロケ地にもなったという、「十川スーパー」があった。今日はシャッターが下りている。
その少し先で右折となる。ぼんやりしていると、そのまま直進してしまいそうになる場所である。
集落の中の道を歩いていると、畑の一角に見覚えの無い休憩所があった。新しく造られたものだろうか。中を覗いてみると、遍路ノートが置かれていた。
そこから1~2分で、いよいよ、吉野川とのご対面である。
自販機にある好きな飲み物をお接待します、という申し出だった。
突然のお接待に、驚いてしまった。温かいコーヒーを頂くことにした。
自販機を見てみると、お遍路さんへ、と貼り紙があり、休憩中のお遍路さんに「当販売機の商品を一個無料サービスしますのでお申し出下さい」と書かれてあった。このサービスを受けさせてもらっていたのである。
予期せぬ出来事ほど、ずっと印象に残っていくものである。
休憩所には、他に小さな子供二人が休んでいたのだが、こちらに興味津々な様子。キャッキャ言いながらこちらを見ている。お遍路さんをあまり見慣れていないのかも知れない。
何の話をしたかは忘れてしまったが、お遍路衣装を見て、子供らしい面白い事を聞かれて、大笑いしたのを覚えている。
30分ほど休憩し、「JA夢市場」を出発する。
遍路道へと戻り、前に進む。右手には、ウォーカーズのロケ地にもなったという、「十川スーパー」があった。今日はシャッターが下りている。
その少し先で右折となる。ぼんやりしていると、そのまま直進してしまいそうになる場所である。
集落の中の道を歩いていると、畑の一角に見覚えの無い休憩所があった。新しく造られたものだろうか。中を覗いてみると、遍路ノートが置かれていた。
そこから1~2分で、いよいよ、吉野川とのご対面である。
2015年10月17日
【3巡目-31】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その9〉[2015年1月11日]
県道との交差点に差し掛かると、右手にうどん屋さんがある。
駐車場にはたくさんの車が止まっている。混雑している様子で嫌だなあ、と思いつつお店の前まで来た。
「うどん亭八幡」に到着すると、「準備中」の大きな看板が置かれていた。
入口の自動ドアには貼り紙がしてあり、本日は満席のため13時より営業します、との事だった。
既に時刻は13時半近くとなっているから大丈夫だろう、と思い、中に入ってみた。
入口付近には、順番待ちの人たちがずらりと座って待っていた。会社の上司と部下風のお遍路さん二人組も、順番についていた。
これでは当分、食にありつけそうにない。あきらめて店を出た。
遍路道と県道との交差点を反対方向に進んでみて、どこか食事が出来るお店がないか、と探してみることにした。
何も無さそうだなあ、と諦めかけた所、少し先にJAの直売所があるのを発見した。
食料が調達出来るかも知れない、と中に入ってみることにした。
日曜日ということもあり、賑わっている店内には、昼食になりそうなものが並んでいた。
パンやいなり寿司、コロッケを買い込み、レジへ。店内の一角に休憩スペースがあったので、そこで食べてもいいか尋ねてみると、OKとの事だった。
寒い外ではなく、室内で食事が出来ることになり、感謝である。
駐車場にはたくさんの車が止まっている。混雑している様子で嫌だなあ、と思いつつお店の前まで来た。
「うどん亭八幡」に到着すると、「準備中」の大きな看板が置かれていた。
入口の自動ドアには貼り紙がしてあり、本日は満席のため13時より営業します、との事だった。
既に時刻は13時半近くとなっているから大丈夫だろう、と思い、中に入ってみた。
入口付近には、順番待ちの人たちがずらりと座って待っていた。会社の上司と部下風のお遍路さん二人組も、順番についていた。
これでは当分、食にありつけそうにない。あきらめて店を出た。
遍路道と県道との交差点を反対方向に進んでみて、どこか食事が出来るお店がないか、と探してみることにした。
何も無さそうだなあ、と諦めかけた所、少し先にJAの直売所があるのを発見した。
食料が調達出来るかも知れない、と中に入ってみることにした。
日曜日ということもあり、賑わっている店内には、昼食になりそうなものが並んでいた。
パンやいなり寿司、コロッケを買い込み、レジへ。店内の一角に休憩スペースがあったので、そこで食べてもいいか尋ねてみると、OKとの事だった。
寒い外ではなく、室内で食事が出来ることになり、感謝である。
2015年10月14日
【3巡目-30】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その8〉[2015年1月11日]
(10)切幡寺の大塔まで足を伸ばし、お寺を後にする。
宿の看板がたくさんある。これまでに泊まったことがある宿は無かったが、先日のお盆遍路で、「名西旅館花」を利用した。次回はどの宿に泊まろうか。
時刻は13時近くとなっている。
門前街のうどん屋さんが営業していないということで、昼食はこれまで二回お世話になっている、「うどん亭八幡」に決定である。
歩いていると、「市場町切幡」と標識があることから、この辺りの地名も寺名と同じになっているようだった。
切幡寺を出発して程なく、歩道が切れる一角に、お遍路さんのマネキンと、お接待のみかんが置いてある一角があった。
マネキンといえば、(1)霊山寺に置かれている方が有名かも知れないが、このような普通の住宅街にいらっしゃるとは思わなかった。
みかんが置いてあったが、残念ながら腐っており食べられなかったが、納札がたくさん残されていた。
そこから数分歩いた場所に、新しいヘンロ小屋が完成していた。「ヘンロ小屋第45号 空海庵・切幡」である。昼食の予定地まであと少しなので、腰を下ろさずに通過した。
交通量の多い県道に出る所で、「民宿寿食堂」で一緒だったご夫婦が歩いている姿が見えた。おそらく、昼食を終えて、(11)藤井寺へと向かって行ったのだろう。お二人を見掛けたのは、これが最後となった。
宿の看板がたくさんある。これまでに泊まったことがある宿は無かったが、先日のお盆遍路で、「名西旅館花」を利用した。次回はどの宿に泊まろうか。
時刻は13時近くとなっている。
門前街のうどん屋さんが営業していないということで、昼食はこれまで二回お世話になっている、「うどん亭八幡」に決定である。
歩いていると、「市場町切幡」と標識があることから、この辺りの地名も寺名と同じになっているようだった。
切幡寺を出発して程なく、歩道が切れる一角に、お遍路さんのマネキンと、お接待のみかんが置いてある一角があった。
マネキンといえば、(1)霊山寺に置かれている方が有名かも知れないが、このような普通の住宅街にいらっしゃるとは思わなかった。
みかんが置いてあったが、残念ながら腐っており食べられなかったが、納札がたくさん残されていた。
そこから数分歩いた場所に、新しいヘンロ小屋が完成していた。「ヘンロ小屋第45号 空海庵・切幡」である。昼食の予定地まであと少しなので、腰を下ろさずに通過した。
交通量の多い県道に出る所で、「民宿寿食堂」で一緒だったご夫婦が歩いている姿が見えた。おそらく、昼食を終えて、(11)藤井寺へと向かって行ったのだろう。お二人を見掛けたのは、これが最後となった。
2015年10月11日
【3巡目-29】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その7〉[2015年1月11日]
入口付近に、小さなうどん屋さんがある。一度立ち寄ってみようかと思いつつ、前回に続き、今回も営業していなかった。
もう少し先に、「民宿錦青」の看板がある。
わりと新しい看板であり、携帯番号も書いてある。営業していそうな雰囲気ではあるが、へんろ地図には掲載されていない。宿泊出来るのだろうか。
門前街を抜け、少し下りとなり、高速道路の高架が見えてくる。
二巡目の時、茨城のOさんがここで荷造ろいをしていたのを思い出す。懐かしい。
山門をくぐると、すぐ左手に真新しいトイレが造られていた。
ちょうど、「民宿寿食堂」で一緒だった夫婦が前方からやって来て、石段がきつかった、とご主人が話していた。
二巡目の時には、この333段の石段を一気に上がれるか、を大きな目標にしていた。
今回も、何とか休まずに、本堂がある一角にたどり着くことが出来た。まだ、体力はある程度、保たれているようである。
境内には、寂しくない程度に、参拝客の姿がある。(9)法輪寺で見掛けた、会社の上司と部下風の歩き遍路さんも到着していた。
境内よりさらに石段を上った所に、「切幡寺大塔」があり、参拝している人の姿が見えた。
まだ上へと登るのかと躊躇はあったが、せっかくなので自分も行ってみることにした。
1607年に大坂の住吉大社で建てられ、1873年、(10)切幡寺に移築されたそうである。100年以上前に、大坂からここまで、どうやって運んできたのだろうか。
これから歩く方角になるであろうか、吉野川の中州など、麓の平野を眺めることが出来た。
もう少し先に、「民宿錦青」の看板がある。
わりと新しい看板であり、携帯番号も書いてある。営業していそうな雰囲気ではあるが、へんろ地図には掲載されていない。宿泊出来るのだろうか。
門前街を抜け、少し下りとなり、高速道路の高架が見えてくる。
二巡目の時、茨城のOさんがここで荷造ろいをしていたのを思い出す。懐かしい。
山門をくぐると、すぐ左手に真新しいトイレが造られていた。
ちょうど、「民宿寿食堂」で一緒だった夫婦が前方からやって来て、石段がきつかった、とご主人が話していた。
二巡目の時には、この333段の石段を一気に上がれるか、を大きな目標にしていた。
今回も、何とか休まずに、本堂がある一角にたどり着くことが出来た。まだ、体力はある程度、保たれているようである。
境内には、寂しくない程度に、参拝客の姿がある。(9)法輪寺で見掛けた、会社の上司と部下風の歩き遍路さんも到着していた。
境内よりさらに石段を上った所に、「切幡寺大塔」があり、参拝している人の姿が見えた。
まだ上へと登るのかと躊躇はあったが、せっかくなので自分も行ってみることにした。
1607年に大坂の住吉大社で建てられ、1873年、(10)切幡寺に移築されたそうである。100年以上前に、大坂からここまで、どうやって運んできたのだろうか。
これから歩く方角になるであろうか、吉野川の中州など、麓の平野を眺めることが出来た。
2015年10月08日
【3巡目-28】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その6〉[2015年1月11日]
(9)法輪寺を出発する。
出発して田んぼの中を歩いていると、珍しく、逆打ちの方とすれ違った。あいさつを交わす。
遍路道は集落内へと入っていき、「小豆洗大師」が見えてきた。4年前の二巡目の時には、建て替えたばかりで新築ホヤホヤといった感じだったが、色褪せて渋みを増していた。
県道との合流地点に、見覚えのあるお接待所が健在だった。今回は利用しなかったが、ポットが用意されていたので、お茶が飲めるようである。
県道を進んで行く。1.5車線の狭い道に、消防車や車が次々とやって来る。何か消防団の催し物があったのだろうか。少々歩きにくい。
そこに、右手へと入る遍路道への案内板があった。今まで、このような遍路道があっただろうか、記憶に無い。
最近指定された道なのかも知れない。歩いてみることにした。
県道と並行して、少し高い場所を進む道で、車の通行も無かったので、こちらの方がのんびりと歩くことが出来た。8分間で、再び県道に合流した。
(10)切幡寺への参道入口に到着した。
参道の両側には、遍路用品店などが軒を連ねている。切幡寺は、門前街が残っている、数少ない札所の一つである。
出発して田んぼの中を歩いていると、珍しく、逆打ちの方とすれ違った。あいさつを交わす。
遍路道は集落内へと入っていき、「小豆洗大師」が見えてきた。4年前の二巡目の時には、建て替えたばかりで新築ホヤホヤといった感じだったが、色褪せて渋みを増していた。
県道との合流地点に、見覚えのあるお接待所が健在だった。今回は利用しなかったが、ポットが用意されていたので、お茶が飲めるようである。
県道を進んで行く。1.5車線の狭い道に、消防車や車が次々とやって来る。何か消防団の催し物があったのだろうか。少々歩きにくい。
そこに、右手へと入る遍路道への案内板があった。今まで、このような遍路道があっただろうか、記憶に無い。
最近指定された道なのかも知れない。歩いてみることにした。
県道と並行して、少し高い場所を進む道で、車の通行も無かったので、こちらの方がのんびりと歩くことが出来た。8分間で、再び県道に合流した。
(10)切幡寺への参道入口に到着した。
参道の両側には、遍路用品店などが軒を連ねている。切幡寺は、門前街が残っている、数少ない札所の一つである。
2015年10月05日
【3巡目-27】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その5〉[2015年1月11日]
(8)熊谷寺の本堂、大師堂は、少々長い石段を上った場所にある。(10)切幡寺の石段の予行演習になるだろうか。
本堂などがある一角は、広い駐車場と比較してやや狭く感じる。
参拝後、納経所前のベンチで、ゆっくりと休憩する。
「民宿寿食堂」で一緒だった二組の夫婦、そして、歩き遍路だろうか、大きなリュックを背負った二人組の方を新たに見掛けた。会社の上司と部下風である。
この二人組とも、(11)藤井寺まで前後しながらの歩きとなった。
(8)熊谷寺を出立する。ウォーキングの会だろうか、団体の歩きの人たちとすれ違い、少々気恥ずかしい。
徳島自動車道の高架をくぐり、田んぼが広がる一帯となった。真冬の寒風が遮られることなく吹き付けて、かなり寒い。
ただ、防寒対策はしっかりしてきたので、寒がりの身でも、何とか耐えることが出来る。
強い風に逆らって歩き、(9)法輪寺に到着した。
以前からある茶店の少し手前に、新しい茶店があった。以前からあっただろうか。
門前では、お遍路さんが托鉢をしていた。
法輪寺には程よく参拝客が来ており、寂しさを感じさせなかった。すっきりとした印象のお寺である。
このお寺の休憩所は屋根付きで新しいので、天候を気にせずに一休みすることが出来るようになっている。
本堂などがある一角は、広い駐車場と比較してやや狭く感じる。
参拝後、納経所前のベンチで、ゆっくりと休憩する。
「民宿寿食堂」で一緒だった二組の夫婦、そして、歩き遍路だろうか、大きなリュックを背負った二人組の方を新たに見掛けた。会社の上司と部下風である。
この二人組とも、(11)藤井寺まで前後しながらの歩きとなった。
(8)熊谷寺を出立する。ウォーキングの会だろうか、団体の歩きの人たちとすれ違い、少々気恥ずかしい。
徳島自動車道の高架をくぐり、田んぼが広がる一帯となった。真冬の寒風が遮られることなく吹き付けて、かなり寒い。
ただ、防寒対策はしっかりしてきたので、寒がりの身でも、何とか耐えることが出来る。
強い風に逆らって歩き、(9)法輪寺に到着した。
以前からある茶店の少し手前に、新しい茶店があった。以前からあっただろうか。
門前では、お遍路さんが托鉢をしていた。
法輪寺には程よく参拝客が来ており、寂しさを感じさせなかった。すっきりとした印象のお寺である。
このお寺の休憩所は屋根付きで新しいので、天候を気にせずに一休みすることが出来るようになっている。
2015年10月02日
【3巡目-26】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その4〉[2015年1月11日]
(8)熊谷寺に向かって、1.5車線の道をゆっくりと歩いて行く。
時折写真を撮ったりしているので、後ろを歩いていたご夫婦に直に追い付かれ、あいさつを交わす。
寿食堂で一緒だった人?と聞かれたので、そうです、と答える。他宿泊者とは話をしなかったので、遍路衣装になると、果たして同宿だったか分からなくなるのだろう。
本日帰宅するとの事だったので、こちらと同じ、一泊二日の遍路旅の様子だった。
単調な道を進み、熊谷寺への分岐に差し掛かった。
遍路シールはたくさん貼られているが、看板の字はほとんど見えなくなっているので、ぼんやりしていると通過してしまいそうである。
立派な二王門が見える。「仁」ではなく、「二」のようである。新しい説明板があり、1687年の建立となっているから、300年以上前の建物が残っているとはすごいことである。
二王門をくぐった後も、普通の車道が少し続き、(8)熊谷寺に到着した。
広い駐車場があり、その一角に納経所やトイレ、休憩スペースがあり、ゆっくりと休むことが出来るお寺である。
熊谷寺といえば、スピーカーから何か音楽を流しているイメージがあったのだが、今回は静かだった。そういうお寺があってもいいかな、と思っていたので、少々寂しい気がする。
時折写真を撮ったりしているので、後ろを歩いていたご夫婦に直に追い付かれ、あいさつを交わす。
寿食堂で一緒だった人?と聞かれたので、そうです、と答える。他宿泊者とは話をしなかったので、遍路衣装になると、果たして同宿だったか分からなくなるのだろう。
本日帰宅するとの事だったので、こちらと同じ、一泊二日の遍路旅の様子だった。
単調な道を進み、熊谷寺への分岐に差し掛かった。
遍路シールはたくさん貼られているが、看板の字はほとんど見えなくなっているので、ぼんやりしていると通過してしまいそうである。
立派な二王門が見える。「仁」ではなく、「二」のようである。新しい説明板があり、1687年の建立となっているから、300年以上前の建物が残っているとはすごいことである。
二王門をくぐった後も、普通の車道が少し続き、(8)熊谷寺に到着した。
広い駐車場があり、その一角に納経所やトイレ、休憩スペースがあり、ゆっくりと休むことが出来るお寺である。
熊谷寺といえば、スピーカーから何か音楽を流しているイメージがあったのだが、今回は静かだった。そういうお寺があってもいいかな、と思っていたので、少々寂しい気がする。