2020年03月30日
【3巡目-519】 「山宿お食事処むらや」① [2019年2月16日]〈その12〉
道の駅「小田の郷せせらぎ」にて一服しながら、迎えの車を待つ。
程なくして、電話での対応の通り、元気で気さくな感じのご主人が迎えに来てくれた。
道の駅から遍路道を外れて随分と遠い場所に宿はあった。外見は、普通の大きな民家である。
ベットが二つある洋室に案内され、早速お風呂に入る。
お風呂、トイレ、洗面所と、とても清潔にされており、細やかな配慮もされていた。奥様によるものだろうか、とも思ったが、今回はご主人の姿しか見ていないので、一人で営業しているのかどうなのだろうか。
本日のコースタイム
内子駅10:50→11:14かば忠11:44→12:23水戸森峠→13:58大瀬→16:33道の駅「小田の郷せせらぎ」→→山宿お食事処むらや
歩行距離:19.6km
歩数 :29927歩
最高気温:10.4℃
最低気温:2.8℃[大洲市]
程なくして、電話での対応の通り、元気で気さくな感じのご主人が迎えに来てくれた。
道の駅から遍路道を外れて随分と遠い場所に宿はあった。外見は、普通の大きな民家である。
ベットが二つある洋室に案内され、早速お風呂に入る。
お風呂、トイレ、洗面所と、とても清潔にされており、細やかな配慮もされていた。奥様によるものだろうか、とも思ったが、今回はご主人の姿しか見ていないので、一人で営業しているのかどうなのだろうか。
本日のコースタイム
内子駅10:50→11:14かば忠11:44→12:23水戸森峠→13:58大瀬→16:33道の駅「小田の郷せせらぎ」→→山宿お食事処むらや
歩行距離:19.6km
歩数 :29927歩
最高気温:10.4℃
最低気温:2.8℃[大洲市]
2020年03月27日
【3巡目-518】 旧小田町へ [2019年2月16日]〈その11〉
旧小田町に向かっては、新しい国道を進めばかなり距離を短縮出来そうではあるが、旧道らしき道を選んで進む。
市街地に近付いてくると、へんろ地図にも掲載されている、「大福旅館」があった。
奥の古い建物が旅館となっており、手前のコンクリートの建物の2階が料亭大福、1階が小福、と看板が出ていた。
ちょうど、割烹着を着た二人の姿が見えた。料亭、というからには、食事はきっと美味しいのだろう。
道に沿って住宅や商店は続いてはいるものの、人の姿があまりなく、地域の方と挨拶を交わすこともなく、黙々と歩く。
一旦、国道を横断すると、小田高校があった。きっと生徒が減って大変だろうなあ、と思う。
小中学校の前を通り、再び国道が近付いてくると、道の駅らしき場所が見えてきた。
今日の宿は、「山宿お食事処むらや」さんにお願いしている。
へんろ地図に掲載されている場所は違っているのか、道の駅から歩いて40分程掛かる場所にあるそうで、駅に着いたら迎えに行くので電話を下さい、との事であった。
小ぢんまりとした道の駅、「小田の郷せせらぎ」に到着したのは午後4時33分、内子駅を出てから約5時間半でした。
市街地に近付いてくると、へんろ地図にも掲載されている、「大福旅館」があった。
奥の古い建物が旅館となっており、手前のコンクリートの建物の2階が料亭大福、1階が小福、と看板が出ていた。
ちょうど、割烹着を着た二人の姿が見えた。料亭、というからには、食事はきっと美味しいのだろう。
道に沿って住宅や商店は続いてはいるものの、人の姿があまりなく、地域の方と挨拶を交わすこともなく、黙々と歩く。
一旦、国道を横断すると、小田高校があった。きっと生徒が減って大変だろうなあ、と思う。
小中学校の前を通り、再び国道が近付いてくると、道の駅らしき場所が見えてきた。
今日の宿は、「山宿お食事処むらや」さんにお願いしている。
へんろ地図に掲載されている場所は違っているのか、道の駅から歩いて40分程掛かる場所にあるそうで、駅に着いたら迎えに行くので電話を下さい、との事であった。
小ぢんまりとした道の駅、「小田の郷せせらぎ」に到着したのは午後4時33分、内子駅を出てから約5時間半でした。
2020年03月24日
【3巡目-517】 突合、旧小田町へ [2019年2月16日]〈その10〉
突合集落で道はT字路となり、右が旧小田町から農祖峠、左が鴇田峠となる。
突き当たりの民家に、へんろ道保存協力会のものらしき札が貼られており、まだ何とか見える状態である。
44番大宝寺までは農祖峠経由の方が7kmも長いことになっている。へんろ地図では、2㎞しか差が無いのだが。
槙の谷経由で先に45番を打つ場合は農祖峠だが、7年前の二巡目の時、槙の谷方面へは通行可能だったのに通行止の看板があった。今も設置されたままなのだろうか。
今回は農祖峠の手前で畑峠に入る予定、右の旧小田町方面へと進む。こちらを歩くのは初めてである。
小田方面に向かっても、立派な国道に対して旧道が続いている。旧道を丹念に辿ることにした。
小田スキー場の古い看板もあり、積雪がある地域のようだが、山のてっぺんの方でも雪は確認出来ない。
今回の冬の歩き遍路に対して、雪で遍路道が埋まっているのでは、と心配していたが、この様子ではきっと大丈夫だろう。
突き当たりの民家に、へんろ道保存協力会のものらしき札が貼られており、まだ何とか見える状態である。
44番大宝寺までは農祖峠経由の方が7kmも長いことになっている。へんろ地図では、2㎞しか差が無いのだが。
槙の谷経由で先に45番を打つ場合は農祖峠だが、7年前の二巡目の時、槙の谷方面へは通行可能だったのに通行止の看板があった。今も設置されたままなのだろうか。
今回は農祖峠の手前で畑峠に入る予定、右の旧小田町方面へと進む。こちらを歩くのは初めてである。
小田方面に向かっても、立派な国道に対して旧道が続いている。旧道を丹念に辿ることにした。
小田スキー場の古い看板もあり、積雪がある地域のようだが、山のてっぺんの方でも雪は確認出来ない。
今回の冬の歩き遍路に対して、雪で遍路道が埋まっているのでは、と心配していたが、この様子ではきっと大丈夫だろう。
2020年03月21日
【3巡目-516】 旧小田町へ [2019年2月16日]〈その9〉
「民宿来楽苦」を過ぎると、しばらくは退屈な国道歩きとなる。
十数分進むと、休憩所となっている梅津バス停がある。進行方向に向かって真正面に建っているので、結構印象に残る一服処ではないだろうか。せっかくなので、軽く腰を下ろさせてもらう。
埃をかぶっているバス停が多いが、ここは定期的に管理はされているようで、額に入った納経軸や写真なども掛けられており、室内には納札がずらりと並んでいた。
休憩のお礼か、もしかしてここで野宿するお遍路さんがいるのだろうか。
ある程度まとまった民家が見られるようになってくる。
農祖峠と鴇田峠の分岐となる、突合の集落に入ってきた。
バイパスが出来ており、どちらの峠に向かうにも新道が近道となりそうだが、味のある旧道を忠実に辿る。
家先に絵手紙をずらりと並べた民家があり、しばし拝見させてもらう。
7年前の二巡目の時、この辺りで車椅子に乗った青年と出会い、なぜ近道の新道を使わないのか、と話掛けられたことを思い出す。
あの時の青年に会えないかなあ、と思いしばらくウロウロとしてみたが、叶わなかった。
十数分進むと、休憩所となっている梅津バス停がある。進行方向に向かって真正面に建っているので、結構印象に残る一服処ではないだろうか。せっかくなので、軽く腰を下ろさせてもらう。
埃をかぶっているバス停が多いが、ここは定期的に管理はされているようで、額に入った納経軸や写真なども掛けられており、室内には納札がずらりと並んでいた。
休憩のお礼か、もしかしてここで野宿するお遍路さんがいるのだろうか。
ある程度まとまった民家が見られるようになってくる。
農祖峠と鴇田峠の分岐となる、突合の集落に入ってきた。
バイパスが出来ており、どちらの峠に向かうにも新道が近道となりそうだが、味のある旧道を忠実に辿る。
家先に絵手紙をずらりと並べた民家があり、しばし拝見させてもらう。
7年前の二巡目の時、この辺りで車椅子に乗った青年と出会い、なぜ近道の新道を使わないのか、と話掛けられたことを思い出す。
あの時の青年に会えないかなあ、と思いしばらくウロウロとしてみたが、叶わなかった。
2020年03月18日
【3巡目-515】 旧小田町へ [2019年2月16日]〈その8〉
「いかだや」を通り過ぎ、1.5車線ののどかな道を進む。
道は狭いが、車も滅多に通らないから、のんびりと歩くことが出来る。
コンクリートの擁壁から伸びたホースからちょろちょろと水が流れており、水が当たる部分には藻がびっしりと付いている。まだ新しい柄杓が備え付けられており、楽水大師と書かれていた。
この水が「楽水大師堂」の水と言うことだろうか。
どういった謂れのある水かは分からなかったが、飲むのには少々抵抗はあったものの、せっかくなので一口、口に含ませてもらった。
その10m程先が楽水大師堂らしきお堂があるが、名称を書いた看板等が無く、石碑のようなものも見当たらない。
確か以前は、へんろ道保存協力会の札に書かれていたはずだが、薄くなって読めなくなっていた。
5分程歩くと、「民宿来楽苦」の渋い建物が見えてきた。
オーナーは豆腐屋さん、と聞いているが、これ程人口が少なそうな地域で営業していけるのだったら、よっぽど美味しいのだろう。
宿泊して夕食をご馳走になりたいものだが、大食いの身には物足りないだろうか。
道は狭いが、車も滅多に通らないから、のんびりと歩くことが出来る。
コンクリートの擁壁から伸びたホースからちょろちょろと水が流れており、水が当たる部分には藻がびっしりと付いている。まだ新しい柄杓が備え付けられており、楽水大師と書かれていた。
この水が「楽水大師堂」の水と言うことだろうか。
どういった謂れのある水かは分からなかったが、飲むのには少々抵抗はあったものの、せっかくなので一口、口に含ませてもらった。
その10m程先が楽水大師堂らしきお堂があるが、名称を書いた看板等が無く、石碑のようなものも見当たらない。
確か以前は、へんろ道保存協力会の札に書かれていたはずだが、薄くなって読めなくなっていた。
5分程歩くと、「民宿来楽苦」の渋い建物が見えてきた。
オーナーは豆腐屋さん、と聞いているが、これ程人口が少なそうな地域で営業していけるのだったら、よっぽど美味しいのだろう。
宿泊して夕食をご馳走になりたいものだが、大食いの身には物足りないだろうか。
2020年03月15日
【3巡目-514】 大瀬、旧小田町へ [2019年2月16日]〈その7〉
大瀬の橋の袂の東屋で一休みする。側の自販機で缶コーヒーを買う。
なぜかいつもみたいに大休憩する気になれず、早々に出発する。
今回の遍路旅では、いつもみたいに30分近く休憩したりするようなことは無かった。
歴史ある建物が残る集落内の道を進み、トイレを目指す。公民館のような建物に公衆の物があるはずである。
こちらの方にも東屋と自販機があったから、ここで休憩する方が良かったかも。
大瀬の集落を抜けると、時折国道と合流しつつも、車が滅多に通らない静かな旧道となる。
まだ歩いたことがない国道を進もうかとも思ったが、きっと退屈だろう、忠実に遍路道を進むことにした。
「千人宿大師堂」にて手を合わせると、廃校を利用した「いかだや」が見えてきた。
2013年のへんろ地図には黒字で掲載されており、2016年版では消されているが、英語版へんろ地図には掲載されている。
さて、普通に泊まれる宿なのだろうか。
帰宅後、検索してみると、遍路宿とはなっているが、一室二名で泊った時の料金が掲載されている。一人でも泊まれるのだろうか。へんろ地図には載っていないし、交流施設と看板も出ていたので、二人以上のグループで利用する宿なのかも知れないし、ちょっとよく分からない。
なぜかいつもみたいに大休憩する気になれず、早々に出発する。
今回の遍路旅では、いつもみたいに30分近く休憩したりするようなことは無かった。
歴史ある建物が残る集落内の道を進み、トイレを目指す。公民館のような建物に公衆の物があるはずである。
こちらの方にも東屋と自販機があったから、ここで休憩する方が良かったかも。
大瀬の集落を抜けると、時折国道と合流しつつも、車が滅多に通らない静かな旧道となる。
まだ歩いたことがない国道を進もうかとも思ったが、きっと退屈だろう、忠実に遍路道を進むことにした。
「千人宿大師堂」にて手を合わせると、廃校を利用した「いかだや」が見えてきた。
2013年のへんろ地図には黒字で掲載されており、2016年版では消されているが、英語版へんろ地図には掲載されている。
さて、普通に泊まれる宿なのだろうか。
帰宅後、検索してみると、遍路宿とはなっているが、一室二名で泊った時の料金が掲載されている。一人でも泊まれるのだろうか。へんろ地図には載っていないし、交流施設と看板も出ていたので、二人以上のグループで利用する宿なのかも知れないし、ちょっとよく分からない。
2020年03月12日
【3巡目-513】 大瀬、旧小田町へ [2019年2月16日]〈その6〉
和田隧道はパスして、旧道らしき道を進む。住宅が立ち並んでいたが、しばらくで途切れる。
何も無い道を歩いていると、いきなりパン屋さんが見えてきたので驚いてしまった。こんな所にパン屋が、である。
トンネルの反対側の集落に到達したようである。
先程、昼食をたっぷり食べたばかりなので通過してしまったが、立ち寄ってみれば良かったなあ。美味しいパン屋さんはどこに店があってもお客さんは来てくれるのだろう。
再び国道歩きとなるが、程なくして大瀬への旧道への分岐となった。しかし、土砂崩れにより通行止となっている。歩きなら通れるかも知れないが、まだ歩いたことが無い国道をそのまま進むことにした。味気ない道で、やはり退屈である。
そんな時、前方からお遍路さんが歩いてくる姿が見えた。久しぶりに会う、他の歩き遍路さんである。
普通の杖ではなく、根っこがからんだような立派な物を手にしていた。
会釈をしてこんにちは、と挨拶する。目が合い、顔は穏やかそうだったものの、何の反応も無かった。
大瀬集落の対岸までやって来た。
内子の中華料理屋を出てから2時間以上歩き続けている。そろそろ休憩したいと思い、橋を渡って袂にある東屋で荷を下ろすことにした。
何も無い道を歩いていると、いきなりパン屋さんが見えてきたので驚いてしまった。こんな所にパン屋が、である。
トンネルの反対側の集落に到達したようである。
先程、昼食をたっぷり食べたばかりなので通過してしまったが、立ち寄ってみれば良かったなあ。美味しいパン屋さんはどこに店があってもお客さんは来てくれるのだろう。
再び国道歩きとなるが、程なくして大瀬への旧道への分岐となった。しかし、土砂崩れにより通行止となっている。歩きなら通れるかも知れないが、まだ歩いたことが無い国道をそのまま進むことにした。味気ない道で、やはり退屈である。
そんな時、前方からお遍路さんが歩いてくる姿が見えた。久しぶりに会う、他の歩き遍路さんである。
普通の杖ではなく、根っこがからんだような立派な物を手にしていた。
会釈をしてこんにちは、と挨拶する。目が合い、顔は穏やかそうだったものの、何の反応も無かった。
大瀬集落の対岸までやって来た。
内子の中華料理屋を出てから2時間以上歩き続けている。そろそろ休憩したいと思い、橋を渡って袂にある東屋で荷を下ろすことにした。
2020年03月09日
【3巡目-512】 水戸森峠、旧小田町へ [2019年2月16日]〈その5〉
石浦大師堂から集落の中を通り抜け、通常の遍路道となっている国道379号線に下りてきた。
右手には、へんろ地図にも載っている福岡商店があった。
山越えの峠よりは、平坦な国道を歩いた方がずっと楽だろう。既に一仕事終えた感がある。
大瀬に向かって国道を進むが、変化に富んだ先程までの水戸森峠の道に比べ、単調で退屈である。交通量もそれなりに多い。
長い四国の遍路道の中でも、この辺りは苦手な区間の一つである。
前方に長岡山トンネルが見えてきた。トンネルをくぐらない旧道もあるようなので、退屈しのぎに入ってみることにした。
渓流に沿って道が続き、こちらの方が気持ち良く歩くことが出来た。ただ、地図で見る限り、随分と遠回りをしている。
「お遍路無料宿」の前を通り、次に和田トンネルが見えてきた。
和田隧道へんろ道、と手作り看板があったが、こちらにも旧道らしき道があった。通り抜け出来るか不安はあるが、入ってみることにした。
右手には、へんろ地図にも載っている福岡商店があった。
山越えの峠よりは、平坦な国道を歩いた方がずっと楽だろう。既に一仕事終えた感がある。
大瀬に向かって国道を進むが、変化に富んだ先程までの水戸森峠の道に比べ、単調で退屈である。交通量もそれなりに多い。
長い四国の遍路道の中でも、この辺りは苦手な区間の一つである。
前方に長岡山トンネルが見えてきた。トンネルをくぐらない旧道もあるようなので、退屈しのぎに入ってみることにした。
渓流に沿って道が続き、こちらの方が気持ち良く歩くことが出来た。ただ、地図で見る限り、随分と遠回りをしている。
「お遍路無料宿」の前を通り、次に和田トンネルが見えてきた。
和田隧道へんろ道、と手作り看板があったが、こちらにも旧道らしき道があった。通り抜け出来るか不安はあるが、入ってみることにした。
2020年03月06日
【3巡目-511】 水戸森峠③ [2019年2月16日]〈その4〉
水戸森峠からはしっかりとした道が続いている印象だったが、少し前までは不通だったのだろうか。
遍路札なども時折ぶら下がっていたので、安心して歩くことが出来た。
ジグザグと下って行くと、下界に下りてきたようで、お堂が見えてきた。
ここで大きな危険物が。
動物除けの電流柵が道を塞ぐように張られていた。30㎝ほどの高さだったので跨げば通れるのだが、偶々気が付いたから良かったものの、普通に歩いていたら、脚が引っかかって転んでしまったり、接触していただろう。
ビリビリと身体に電流が流れるのだろうか。
←反対側から撮った写真。電気柵が道を塞いでいるが見えない。小さな注意札がぶら下がっているが、峠から降りてきたら気付くのは難しい。
薄暗い時間だったら、絶対に気が付かなかったと思う。
見えてきたお堂は、「石浦大師堂」と言うそうで、「四国へんろ道案内」という看板が設置してあり、水戸森峠から下りてきたお遍路さんが参拝し、ここで一休みした、との事である。
遍路札なども時折ぶら下がっていたので、安心して歩くことが出来た。
ジグザグと下って行くと、下界に下りてきたようで、お堂が見えてきた。
ここで大きな危険物が。
動物除けの電流柵が道を塞ぐように張られていた。30㎝ほどの高さだったので跨げば通れるのだが、偶々気が付いたから良かったものの、普通に歩いていたら、脚が引っかかって転んでしまったり、接触していただろう。
ビリビリと身体に電流が流れるのだろうか。
←反対側から撮った写真。電気柵が道を塞いでいるが見えない。小さな注意札がぶら下がっているが、峠から降りてきたら気付くのは難しい。
薄暗い時間だったら、絶対に気が付かなかったと思う。
見えてきたお堂は、「石浦大師堂」と言うそうで、「四国へんろ道案内」という看板が設置してあり、水戸森峠から下りてきたお遍路さんが参拝し、ここで一休みした、との事である。
2020年03月03日
【3巡目-510】 水戸森峠② [2019年2月16日]〈その3〉
高速道路側を歩いていると、年季の入った遍路石があった。
石自体は古そうだが、字体は現代っぽい。
日付を見てみると「平成3年」、となっていた。平成になってからこんな渋い遍路石が作られていたとは。
昔からの道には、このような後世に残る遍路石を設置していければいいのかなあ、と思う。
ここからは高速道路を離れ、右上へと続く坂道へと入る。
視界が開け、長閑な場所となるが、イノシシ除けの柵がある。レバー一つで開けられる物ではなく、鎖を絡ませて閉めてある。開けるのが面倒だった。
この、山の斜面を切り開いた、長閑な農道を進み、終点が水戸森峠であった。
ここにまたもや柵が。鎖が絡ませてある。跨ぐには高過ぎるし、どこか抜けられる場所も無さそうだし、鎖をほどいて通過する。
峠には、誰も利用しないだろうが東屋と案内板があり、かつては遍路が一休みしていた、と書かれていた。
ここまで、結構勾配がありきつかったが、休まずに通過する。
峠からは、森の中をジグザグに下って行く道となる。
石自体は古そうだが、字体は現代っぽい。
日付を見てみると「平成3年」、となっていた。平成になってからこんな渋い遍路石が作られていたとは。
昔からの道には、このような後世に残る遍路石を設置していければいいのかなあ、と思う。
ここからは高速道路を離れ、右上へと続く坂道へと入る。
視界が開け、長閑な場所となるが、イノシシ除けの柵がある。レバー一つで開けられる物ではなく、鎖を絡ませて閉めてある。開けるのが面倒だった。
この、山の斜面を切り開いた、長閑な農道を進み、終点が水戸森峠であった。
ここにまたもや柵が。鎖が絡ませてある。跨ぐには高過ぎるし、どこか抜けられる場所も無さそうだし、鎖をほどいて通過する。
峠には、誰も利用しないだろうが東屋と案内板があり、かつては遍路が一休みしていた、と書かれていた。
ここまで、結構勾配がありきつかったが、休まずに通過する。
峠からは、森の中をジグザグに下って行く道となる。