2018年09月30日
【3巡目-304】 焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その23〉[2017年5月1日]
高速道路を越え、JR土讃線の線路下を抜ける。
土佐久礼駅から、午後5時半過ぎの列車に乗れるかなあ、などと考えていたのだが、6時半の便にも間に合うかどうかという状況、急がないといけない。
安和と久礼では隣町ですぐに行けるイメージだったが、地図を見ると8km近くあるから、時間が掛かる訳である。
林道となっている旧国道を進み、国道56号線に合流したのは、ちょうど午後6時だった。あと2.5kmを30分弱で歩かなければならない。
夕暮れをのんびりと歩きたかったのだが、仕方がない。
国道には歩道が無かったが、通る車も少なく、怖い思いをすることなく歩く。
旧道への遍路道の分岐となった。このまま国道を進もうかとも思ったが、路肩部分がさらに狭くなっており歩くには厳しくなりそうで、旧道へと入った。
三度目の通過で道は覚えているが、記憶に無い休憩所があった。「道の川へんろさんやすみどころ」と看板に書かれており、以前からあるような雰囲気だった。室内の電気が点いていたが、誰かいたのだろうか。
国道に出れそうな道があったので、再びそちらを歩く。明日の駐車場に良い場所があれば、探してみることにする。海岸に、一日なら止めておけそうな場所は事前に調べてあったのだが、もう少し駅から近い場所があれば、と思ったからである。
土佐久礼駅から、午後5時半過ぎの列車に乗れるかなあ、などと考えていたのだが、6時半の便にも間に合うかどうかという状況、急がないといけない。
安和と久礼では隣町ですぐに行けるイメージだったが、地図を見ると8km近くあるから、時間が掛かる訳である。
林道となっている旧国道を進み、国道56号線に合流したのは、ちょうど午後6時だった。あと2.5kmを30分弱で歩かなければならない。
夕暮れをのんびりと歩きたかったのだが、仕方がない。
国道には歩道が無かったが、通る車も少なく、怖い思いをすることなく歩く。
旧道への遍路道の分岐となった。このまま国道を進もうかとも思ったが、路肩部分がさらに狭くなっており歩くには厳しくなりそうで、旧道へと入った。
三度目の通過で道は覚えているが、記憶に無い休憩所があった。「道の川へんろさんやすみどころ」と看板に書かれており、以前からあるような雰囲気だった。室内の電気が点いていたが、誰かいたのだろうか。
国道に出れそうな道があったので、再びそちらを歩く。明日の駐車場に良い場所があれば、探してみることにする。海岸に、一日なら止めておけそうな場所は事前に調べてあったのだが、もう少し駅から近い場所があれば、と思ったからである。
2018年09月27日
【3巡目-303】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その22〉[2017年5月1日]
広島のお兄さんと話をする。
昨夜は、塚地峠の休憩所で野宿をし、横浪スカイライン経由でここまで来た、との事。
「国民宿舎土佐」に泊まった自分にここで追い付いて来るとは、随分と速足である。
(35)清滝寺から数㎞先にある、JRの波川駅という所にバイクを置いて歩き始めるはずだったが、愛媛県内の高速道路上でバイクが壊れてしまい、予定より一日遅れでの出発となったそうである。
浪川駅からアクセスする方法があったとは、考えもしなかった。
今回は、宇和島まで歩けたら次回が楽になる、と話していた。
これから、久礼にある黒潮本陣でお風呂に入り、どこに泊まるかはそれから考える、との事だった。
トンネルをくぐればもっと早く行けたのでは、と聞いてみると、道しるべに従ってついついこっちに来てしまった、と言う。きつい遍路道を選んでくれたことや、思わぬ出会いがとても嬉しかった。
翌日見掛けることもなく、短い出会いだったが、今回の遍路旅で印象に残った一人だった。
お兄さんに続いて、こちらも出発する。次第に、車の轍もしっかりしてきて、下界が近いことを示している。
開けた場所に出て来る。前回は工事もしていなかったと思うが、高速道路が完成して、遍路道の下を通り抜けていたようである。幸い、そえみみず遍路道のように、階段が続くようなことは無かった。
昨夜は、塚地峠の休憩所で野宿をし、横浪スカイライン経由でここまで来た、との事。
「国民宿舎土佐」に泊まった自分にここで追い付いて来るとは、随分と速足である。
(35)清滝寺から数㎞先にある、JRの波川駅という所にバイクを置いて歩き始めるはずだったが、愛媛県内の高速道路上でバイクが壊れてしまい、予定より一日遅れでの出発となったそうである。
浪川駅からアクセスする方法があったとは、考えもしなかった。
今回は、宇和島まで歩けたら次回が楽になる、と話していた。
これから、久礼にある黒潮本陣でお風呂に入り、どこに泊まるかはそれから考える、との事だった。
トンネルをくぐればもっと早く行けたのでは、と聞いてみると、道しるべに従ってついついこっちに来てしまった、と言う。きつい遍路道を選んでくれたことや、思わぬ出会いがとても嬉しかった。
翌日見掛けることもなく、短い出会いだったが、今回の遍路旅で印象に残った一人だった。
お兄さんに続いて、こちらも出発する。次第に、車の轍もしっかりしてきて、下界が近いことを示している。
開けた場所に出て来る。前回は工事もしていなかったと思うが、高速道路が完成して、遍路道の下を通り抜けていたようである。幸い、そえみみず遍路道のように、階段が続くようなことは無かった。
2018年09月24日
【3巡目-302】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その21〉[2017年5月1日]
土砂崩れで道が埋まったこともあったようだが、現在では土砂を乗り越えるように道が造られていて、特に危険なことも無かった。
歩きの道から、再び林道となる。林道といっても、大昔には国道だったそうである。
12年前、この道を歩いた時に、この辺りで鳥獣保護の仕事をされているおじいさんと出会い、麓まで一緒に歩いた。
密猟する人が山に入っていないか、調べに来ていたようである。
その時に、この林道がかつては国道で、信じられないことにバスも走っており、そのバスに乗ったこともある、という話をされていた。確かに、路肩の土を除ければ、車が走れそうな道幅はあるが。
懐かしい思い出である。
林道をトボトボと歩いていると、部分的に樹木が無く、明るい場所に出てきた。下草もふさふさと生えている。ここの道の真ん中に荷物を下ろして休ませてもらうことにした。
既に午後5時半過ぎ、もう誰も通らないだろうから、道を塞いでも大丈夫だろう。
一休みしていると、森の中から大きなリュックを背負った青年が歩いて来たので、大変驚いてしまった。
まさか、この時間にこの道を歩いているお遍路さんがいるとは思わなかった。
少し話をする。広島から来た、ということだった。
歩きの道から、再び林道となる。林道といっても、大昔には国道だったそうである。
12年前、この道を歩いた時に、この辺りで鳥獣保護の仕事をされているおじいさんと出会い、麓まで一緒に歩いた。
密猟する人が山に入っていないか、調べに来ていたようである。
その時に、この林道がかつては国道で、信じられないことにバスも走っており、そのバスに乗ったこともある、という話をされていた。確かに、路肩の土を除ければ、車が走れそうな道幅はあるが。
懐かしい思い出である。
林道をトボトボと歩いていると、部分的に樹木が無く、明るい場所に出てきた。下草もふさふさと生えている。ここの道の真ん中に荷物を下ろして休ませてもらうことにした。
既に午後5時半過ぎ、もう誰も通らないだろうから、道を塞いでも大丈夫だろう。
一休みしていると、森の中から大きなリュックを背負った青年が歩いて来たので、大変驚いてしまった。
まさか、この時間にこの道を歩いているお遍路さんがいるとは思わなかった。
少し話をする。広島から来た、ということだった。
2018年09月21日
【3巡目-301】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その20〉[2017年5月1日]
はっきりとした表示は無いのだが、「焼坂峠」と思われる場所へと到着した。時刻は午後5時近くである。
電線越しに、標高差で約200mの安和集落が見えていた。これだけの高さを上って来た訳である。
峠には、この先の遍路道に危険個所があるので注意を促す大きな看板が設置されていた。確かに荒れている部分もあったが、同じような遍路道は他にもあるので、特別歩きにくいという訳ではなかった。
峠からは、廃道になりつつある林道を下る。緩やかなので、のんびりと歩くことが出来る。
注意書きのラミネートされた張り紙が急に目立つようになってきた。路肩注意、落石注意、足元注意と、次々と登場してくる。役所が取り付けてくれているのだろうか。
通行止にするのではなく、注意を促しながら通れるようにしてくれるのはうれしい。
幅の広い道を進んでいたのだが、いつの間にか歩きの道に入っていたようである。
峠を越えてからは林道を歩く区間が長いが、峠までは、直登する歩きの道だった。ということは、埋もれてしまっている、峠からの歩きの下り道があるということになるのだろうか。
電線越しに、標高差で約200mの安和集落が見えていた。これだけの高さを上って来た訳である。
峠には、この先の遍路道に危険個所があるので注意を促す大きな看板が設置されていた。確かに荒れている部分もあったが、同じような遍路道は他にもあるので、特別歩きにくいという訳ではなかった。
峠からは、廃道になりつつある林道を下る。緩やかなので、のんびりと歩くことが出来る。
注意書きのラミネートされた張り紙が急に目立つようになってきた。路肩注意、落石注意、足元注意と、次々と登場してくる。役所が取り付けてくれているのだろうか。
通行止にするのではなく、注意を促しながら通れるようにしてくれるのはうれしい。
幅の広い道を進んでいたのだが、いつの間にか歩きの道に入っていたようである。
峠を越えてからは林道を歩く区間が長いが、峠までは、直登する歩きの道だった。ということは、埋もれてしまっている、峠からの歩きの下り道があるということになるのだろうか。
2018年09月18日
【3巡目-300】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その19〉[2017年5月1日]
JRの線路脇を歩く、印象的な場所を進む。
砂利道の林道を歩いていると、期せずして前方から軽自動車がやって来て、通り過ぎて止まった。おばさんが降りてきて、後方席から夏みかんを取り出して渡してくれた。お接待である。
また、助手席に乗っていたおばあさんから呼ばれ、千円札を渡してくれた。高額なお接待に、素直に喜んでしまった。納札をお渡しする。
砂防ダムのある辺りから、歩きの道となる。峠に向かって直登する感じで、きつい山道で息が切れる。石畳の場所もあり、トラロープが付けられている場所もある。
汗を噴き出しながら歩き、林道と交差した。道の上に荷物を置いて一休みする。
一巡目の時には一気に上がれたのだが、今ではもう無理である。
木々に覆われているので、薄暗くなってきている。
こんな山の中にいるのは自分一人だけだろうなあ、と普通に思っていたのだが、その後、ずっと後ろから歩いてきていたお遍路さんとのうれしい出会いがある。
息を整えて、再び山道へアタックする。
10分程上った所でようやく、頂上らしき場所へと到達した。普通の人なら30分で来れる所を40分掛かってしまい、悔しい限りである。
砂利道の林道を歩いていると、期せずして前方から軽自動車がやって来て、通り過ぎて止まった。おばさんが降りてきて、後方席から夏みかんを取り出して渡してくれた。お接待である。
また、助手席に乗っていたおばあさんから呼ばれ、千円札を渡してくれた。高額なお接待に、素直に喜んでしまった。納札をお渡しする。
砂防ダムのある辺りから、歩きの道となる。峠に向かって直登する感じで、きつい山道で息が切れる。石畳の場所もあり、トラロープが付けられている場所もある。
汗を噴き出しながら歩き、林道と交差した。道の上に荷物を置いて一休みする。
一巡目の時には一気に上がれたのだが、今ではもう無理である。
木々に覆われているので、薄暗くなってきている。
こんな山の中にいるのは自分一人だけだろうなあ、と普通に思っていたのだが、その後、ずっと後ろから歩いてきていたお遍路さんとのうれしい出会いがある。
息を整えて、再び山道へアタックする。
10分程上った所でようやく、頂上らしき場所へと到達した。普通の人なら30分で来れる所を40分掛かってしまい、悔しい限りである。
2018年09月14日
【3巡目-299】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その18〉[2017年5月1日]
時刻は午後4時となっている。峠へ向かうには時間が遅いが、日照時間は長いので大丈夫だろう。
「民宿あわ」の前を通り、通常の遍路道に戻る。
この宿には、過去二回泊まっている。
一巡目は、宿泊者同士でお遍路談義で盛り上がり楽しかった。二巡目では、宿の方が法事との事で、素泊まりで無理に泊めさせてもらった、と思い出のある宿である。
焼坂峠に向かっては、写真の手作りの遍路札が、あちこちで見られた。
遍路石も見掛けたが、次のお寺は「岩本寺」ではなく、「五社」となっている。今回は、昔は札所だった五社と呼ばれる、高岡神社にも参拝予定である。
意外と長く安和集落内の道が続く。保育園もあり、保護者が迎えに来ている。保育園が残っているとは、結構大きな集落ということになるのだろうか。
住宅が途切れると、文章付きの遍路札がある。ここで軽く一休みする。
字がくっきりと残っているので、誰かが跡ぐりしてくれたのだろう。
杭の部分には、峠まで所要約30分と文字が消えかかっているが書かれている。実際に歩いてみると、途中休憩したこともあるが40分も掛かってしまい、ショックだった。
「民宿あわ」の前を通り、通常の遍路道に戻る。
この宿には、過去二回泊まっている。
一巡目は、宿泊者同士でお遍路談義で盛り上がり楽しかった。二巡目では、宿の方が法事との事で、素泊まりで無理に泊めさせてもらった、と思い出のある宿である。
焼坂峠に向かっては、写真の手作りの遍路札が、あちこちで見られた。
遍路石も見掛けたが、次のお寺は「岩本寺」ではなく、「五社」となっている。今回は、昔は札所だった五社と呼ばれる、高岡神社にも参拝予定である。
意外と長く安和集落内の道が続く。保育園もあり、保護者が迎えに来ている。保育園が残っているとは、結構大きな集落ということになるのだろうか。
住宅が途切れると、文章付きの遍路札がある。ここで軽く一休みする。
字がくっきりと残っているので、誰かが跡ぐりしてくれたのだろう。
杭の部分には、峠まで所要約30分と文字が消えかかっているが書かれている。実際に歩いてみると、途中休憩したこともあるが40分も掛かってしまい、ショックだった。
2018年09月12日
2018 越後長岡ツーデーマーチ(新潟県) [2018年9月8日・9日]
9月8日(土)・9日(日)に、新潟県長岡市で行われた、
2018越後長岡ツーデーマーチ 「山古志&信濃川ウオーク」に参加してきました。
1日目は、14年前に新潟県中越地震のあった旧山古志村を歩く、やや高低差のある16km。
2日目は信濃川を眺めながらの20kmと、短い距離設定です。
真夏日・猛暑日が続くこの夏でしたが、この日を境に急に涼しくなって、両日とも雨降りの一日となってしまいました。
初日は、日本の原風景とも言われる、のどかな里山を眺めつつ、地震による土砂で埋まった「木籠集落水没家屋」や、日本一の手掘りトンネル「中山隧道」を巡るコースでした。
写真は、お接待でスイカの提供をしてくれた、地元の農家さん宅に立ち寄る参加者です。
歩いた後は、「えちご川口温泉」に立ち寄り、市内で車中泊しました。
翌日は、長岡駅前にある、「アオーレ長岡」と言う、全天候型の広い空間に集合でした。
街中にこういった施設があるのは良いですね。
長岡って、合併前の人口は10万人台だったと思うのですが、かなり都会な印象でした。
この日は、信濃川に架かる橋を4本渡り、川沿いの土手を歩くコースです。
相変わらず歩くのが遅いので、いつの間にか最下位集団に。ここで大事件が。
近くを歩いていた方が、コースを間違っていることに気が付き、係に報告。我々は事無きでしたが、他の数百人の参加者は、全く違う方向に歩いて行ってしまいました。
先頭を歩く係の方が、間違ってしまったようです。責められていて、気の毒でした。
信濃川に架かる、フェニックス大橋を渡り、土手に沿って進みます。
屋根に梯子が掛けれている家が多いことに気が付きました。洪水に備えているのでしょう。
のんびり歩いていると、コースを間違った20kmの参加者が追い付いてきて、ドンドン抜かされました。凄い勢いです。
あちらはスポーツで、こっちは散歩の延長、といった感じです。
4時間半掛かって長岡駅前へと戻って来ました。
程なくして、最終ランナーが到着しました、と放送が。一時はトップ集団だったのに、最後方とは。
恐らく、16kmにコース変更した方が多かったのでしょう。
参加者の集計表です。
1日目の16kmコースは392人、2日目の20kmコースは216人となっていますが、天候が悪かったので、実際にはかなり少なかった印象です。
お陰で、と言いますか、振舞の豚汁は食べ放題となり、お腹いっぱいになれました。
「鵜の浜温泉」で疲れた身体を癒し、下道を延々と走り、金沢へと帰ってきました。
2018越後長岡ツーデーマーチ 「山古志&信濃川ウオーク」に参加してきました。
1日目は、14年前に新潟県中越地震のあった旧山古志村を歩く、やや高低差のある16km。
2日目は信濃川を眺めながらの20kmと、短い距離設定です。
真夏日・猛暑日が続くこの夏でしたが、この日を境に急に涼しくなって、両日とも雨降りの一日となってしまいました。
初日は、日本の原風景とも言われる、のどかな里山を眺めつつ、地震による土砂で埋まった「木籠集落水没家屋」や、日本一の手掘りトンネル「中山隧道」を巡るコースでした。
写真は、お接待でスイカの提供をしてくれた、地元の農家さん宅に立ち寄る参加者です。
歩いた後は、「えちご川口温泉」に立ち寄り、市内で車中泊しました。
翌日は、長岡駅前にある、「アオーレ長岡」と言う、全天候型の広い空間に集合でした。
街中にこういった施設があるのは良いですね。
長岡って、合併前の人口は10万人台だったと思うのですが、かなり都会な印象でした。
この日は、信濃川に架かる橋を4本渡り、川沿いの土手を歩くコースです。
相変わらず歩くのが遅いので、いつの間にか最下位集団に。ここで大事件が。
近くを歩いていた方が、コースを間違っていることに気が付き、係に報告。我々は事無きでしたが、他の数百人の参加者は、全く違う方向に歩いて行ってしまいました。
先頭を歩く係の方が、間違ってしまったようです。責められていて、気の毒でした。
信濃川に架かる、フェニックス大橋を渡り、土手に沿って進みます。
屋根に梯子が掛けれている家が多いことに気が付きました。洪水に備えているのでしょう。
のんびり歩いていると、コースを間違った20kmの参加者が追い付いてきて、ドンドン抜かされました。凄い勢いです。
あちらはスポーツで、こっちは散歩の延長、といった感じです。
4時間半掛かって長岡駅前へと戻って来ました。
程なくして、最終ランナーが到着しました、と放送が。一時はトップ集団だったのに、最後方とは。
恐らく、16kmにコース変更した方が多かったのでしょう。
参加者の集計表です。
1日目の16kmコースは392人、2日目の20kmコースは216人となっていますが、天候が悪かったので、実際にはかなり少なかった印象です。
お陰で、と言いますか、振舞の豚汁は食べ放題となり、お腹いっぱいになれました。
「鵜の浜温泉」で疲れた身体を癒し、下道を延々と走り、金沢へと帰ってきました。
2018年09月09日
【3巡目-298】 安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その17〉[2017年5月1日]
トンネルを抜け、安和の街の入口までやって来た。JRの安和駅が見えている。
安和婦人会による、遍路道の新しい看板があった。焼坂峠と海沿いの県道を進む道の二つが、遍路道として紹介されていた。
海沿いの道は、二巡目の時に、焼坂峠が通行止だったか、迂回路がとてつもなく長かった時に、こちらを歩いたというお遍路さんに会ったことを思い出す。四巡目には、この海沿いの道を歩いてみようか。
国道をそのまま進む道は、何も指定されていないのが嬉しかった。やはり楽な新しい道よりも、昔からの遍路道を紹介して欲しいなあ、と思う。国道はわざわざ案内しなくても、各自で場合に応じて選択するだろう。
一巡目は焼坂峠、二巡目はトンネル、ということで、今回は焼坂峠を歩く心積もりでいた。12年ぶりということになる。
峠への分岐に差し掛かったが、少し国道を進み、ローソンへと向かう。少し進んだ所で、コンクリート塀をくり抜いて、遍路石が納められているのに気が付いた。本来はここを曲がるのが正解なのだろうか。
コンビニで冷凍のお茶とアイスコーヒーを仕入れ、峠越えに備えた。
店を出ると、大阪のお兄さんがやって来た。「民宿あわ」は手前、と伝えると、お酒などを買いに来た、との事だった。お兄さんとは、これが最後の出会いとなった。
安和婦人会による、遍路道の新しい看板があった。焼坂峠と海沿いの県道を進む道の二つが、遍路道として紹介されていた。
海沿いの道は、二巡目の時に、焼坂峠が通行止だったか、迂回路がとてつもなく長かった時に、こちらを歩いたというお遍路さんに会ったことを思い出す。四巡目には、この海沿いの道を歩いてみようか。
国道をそのまま進む道は、何も指定されていないのが嬉しかった。やはり楽な新しい道よりも、昔からの遍路道を紹介して欲しいなあ、と思う。国道はわざわざ案内しなくても、各自で場合に応じて選択するだろう。
一巡目は焼坂峠、二巡目はトンネル、ということで、今回は焼坂峠を歩く心積もりでいた。12年ぶりということになる。
峠への分岐に差し掛かったが、少し国道を進み、ローソンへと向かう。少し進んだ所で、コンクリート塀をくり抜いて、遍路石が納められているのに気が付いた。本来はここを曲がるのが正解なのだろうか。
コンビニで冷凍のお茶とアイスコーヒーを仕入れ、峠越えに備えた。
店を出ると、大阪のお兄さんがやって来た。「民宿あわ」は手前、と伝えると、お酒などを買いに来た、との事だった。お兄さんとは、これが最後の出会いとなった。
2018年09月06日
2018夏 歩き遍路 トピックス
9月1日から3日間(実質2日)の、弾丸歩き遍路に行って来ました
今回の札所は、別格7番「金山出石寺」のみです。先日の災害のこともあり、悪路覚悟で歩いてきましたが、大丈夫でした
この時期やっぱり、と言いますか、他の歩き遍路さんとの出会いはありません
では、今回の遍路旅を、簡単に紹介します。
1日目[9月1日]は、前回区切った、43番明石寺のある卯之町駅から歩き始めました
遍路道ではなく、6年前に歩いた肱川沿いの、のどかな堤防道を進みます。
晴れていたら気持ちの良い所ですが、雨が降り出してきてしまいました
恐怖の鳥坂トンネルをくぐった後は、別格7番出石寺方面へ。
この日は、伊予平野駅まで歩きました。
2日目[9月2日]は、出石寺に向かって山登りです。
瀬田ルートを歩きました。
遍路道の崩落、草ボーボーを覚悟していました
一ヶ所、道がえぐれて、枯れ木に手をつきながらヨッコイショーと上がらなければならない場所がありましたが(小柄な方は大変かも)、他は少々荒れた個所はあるものの、普通の別格への道でした。
[7]金山出石寺は素晴らしいお寺で、出立するのが惜しかったです。1時間20分も滞在してしまいました。
帰りは、高山・阿蔵ルートを選び、伊予大洲駅まで歩きました
3日目[9月3日]は、内子の道の駅まで、半日の予定です 暑い日となりました。
水害に遭った東大洲辺りの大型店では、ここ最近再オープンしたようなお店が続いていました。
実は、災害ボランティアをしようかとも考えていたのですが、大洲市では愛媛県内の方限定となっています。
[8]十夜ヶ橋には、災害時の水位を表示した貼り紙が、あちこちにありました。
4時間半弱で、道の駅「内子フレッシュパークからり」に到着です。
ここで川遊びをするのを楽しみにしていましたが、最後に大失敗を。デジカメをズボンのポケットに入れたまま、川で泳いでしまいました 写真はここで終了です。
「オーベルジュ内子」の日帰り温泉を利用してから高速道路をひたすら走り 真夜中に金沢へと帰ってきました。
今回の札所は、別格7番「金山出石寺」のみです。先日の災害のこともあり、悪路覚悟で歩いてきましたが、大丈夫でした
この時期やっぱり、と言いますか、他の歩き遍路さんとの出会いはありません
では、今回の遍路旅を、簡単に紹介します。
1日目[9月1日]は、前回区切った、43番明石寺のある卯之町駅から歩き始めました
遍路道ではなく、6年前に歩いた肱川沿いの、のどかな堤防道を進みます。
晴れていたら気持ちの良い所ですが、雨が降り出してきてしまいました
恐怖の鳥坂トンネルをくぐった後は、別格7番出石寺方面へ。
この日は、伊予平野駅まで歩きました。
2日目[9月2日]は、出石寺に向かって山登りです。
瀬田ルートを歩きました。
遍路道の崩落、草ボーボーを覚悟していました
一ヶ所、道がえぐれて、枯れ木に手をつきながらヨッコイショーと上がらなければならない場所がありましたが(小柄な方は大変かも)、他は少々荒れた個所はあるものの、普通の別格への道でした。
[7]金山出石寺は素晴らしいお寺で、出立するのが惜しかったです。1時間20分も滞在してしまいました。
帰りは、高山・阿蔵ルートを選び、伊予大洲駅まで歩きました
3日目[9月3日]は、内子の道の駅まで、半日の予定です 暑い日となりました。
水害に遭った東大洲辺りの大型店では、ここ最近再オープンしたようなお店が続いていました。
実は、災害ボランティアをしようかとも考えていたのですが、大洲市では愛媛県内の方限定となっています。
[8]十夜ヶ橋には、災害時の水位を表示した貼り紙が、あちこちにありました。
4時間半弱で、道の駅「内子フレッシュパークからり」に到着です。
ここで川遊びをするのを楽しみにしていましたが、最後に大失敗を。デジカメをズボンのポケットに入れたまま、川で泳いでしまいました 写真はここで終了です。
「オーベルジュ内子」の日帰り温泉を利用してから高速道路をひたすら走り 真夜中に金沢へと帰ってきました。
2018年09月03日
【3巡目-297】 道の駅「かわうその里すさき」、安和、焼坂峠、土佐久礼駅まで 〈その16〉[2017年5月1日]
道の駅「かわうその里すさき」を過ぎてから、へんろ地図ではそのまま国道を進むことになっているが、景色が良くてほとんど車が通らない旧道がある。
一巡目の時に、へんろ道保存協力会の立札もありこちらの道を歩き、とても気に入った道となった。
二巡目の時にはその立札も、朽ち果ててしまったのか、見当たらなくなっていた。
今回は、これまで二回歩いたことがあることや、時間が押していることもあり、トンネルを利用することにする。歩道が無いと聞いている。
大阪のお兄さんに、時間があるなら旧道はどうですか、と薦めてみるが、山越えの険しい道と思ってしまったようで、歩かないようだった。もう少し上手に説明すべきだった。
歩くスピードが自分より早いので徐々に差をつけられてしまったが、煙草で一服していく、との事で、追い越して先へと進む。
トンネルをいくつか通過するが、歩道は無いものの、ある程度の路肩はあるので、それ程怖い思いはしなかった。並行して無料の高速道路が開通していることもあるのだろう、通り過ぎる車も少なかった。
こちらの道からも、時折、海を眺めることが出来た。廃墟となったドライブインなどもある。
前方を、先程の若めの夫婦が歩いていたのだが、ドンドン差が開いていき、その内、姿が見えなくなってしまった。
先程、歩き遍路から帰ってきました。近日中にトピックスで記事をアップします。
タグ :歩き遍路