2024年02月29日
【篠山道-37】 少林寺から、みまきガーデンへ [2022年2月27日‐その25]
東海図版の「四国遍路地図」によると、少林寺から山を越える遍路道があるが、廃道を示す、オレンジの点線となっている。
確認してみると、確かに歩きの道らしきものが続いていた。
藪漕ぎすれば行けそうではあったが、この日は篠山神社からの遍路道で充分冒険してきたので、もうお腹一杯だった。
探索はせず、素直に英語版の地図通り、山越えの舗装路を進む。
車一台が通れるような、細道だった。
麓に下りてくると、小学校があった。
きっと廃校だろうなあ、と思ったら、児童は10人位だが現役だそうだ。
移住者は子沢山、という話だったから、そのお陰で小学校も存続しているのだろう。
そこからすぐの場所にある、元保育所の建物を利用した、本日の宿「みまきガーデン」には、午後5時過ぎに到着した。
本日のコースタイム
ホテルセレクト愛媛愛南町6:11→6:44増田(中組)→7:54歓喜光寺8:05→8:31篠山神社二の鳥居8:51→11:22篠山神社11:56→15:26祓川温泉→15:47岩陰大師→16:20日切大師16:36→16:44少林寺→17:08みまきガーデン
歩行距離:24.9km[YAMAP計測]
歩数 :44462歩
最高気温:15.9℃
最低気温:1.5℃[愛南町御荘]
確認してみると、確かに歩きの道らしきものが続いていた。
藪漕ぎすれば行けそうではあったが、この日は篠山神社からの遍路道で充分冒険してきたので、もうお腹一杯だった。
探索はせず、素直に英語版の地図通り、山越えの舗装路を進む。
車一台が通れるような、細道だった。
麓に下りてくると、小学校があった。
きっと廃校だろうなあ、と思ったら、児童は10人位だが現役だそうだ。
移住者は子沢山、という話だったから、そのお陰で小学校も存続しているのだろう。
そこからすぐの場所にある、元保育所の建物を利用した、本日の宿「みまきガーデン」には、午後5時過ぎに到着した。
本日のコースタイム
ホテルセレクト愛媛愛南町6:11→6:44増田(中組)→7:54歓喜光寺8:05→8:31篠山神社二の鳥居8:51→11:22篠山神社11:56→15:26祓川温泉→15:47岩陰大師→16:20日切大師16:36→16:44少林寺→17:08みまきガーデン
歩行距離:24.9km[YAMAP計測]
歩数 :44462歩
最高気温:15.9℃
最低気温:1.5℃[愛南町御荘]
2024年02月26日
【篠山道-36】 少林寺 [2022年2月27日‐その24]
少林寺にて手を合わせる。
少林寺と言えば、少林寺拳法しか思い浮かばなかったのだが、実物?の少林寺を参拝出来たのは面白い経験となった。
それにしても、境内からの景色が、日暮れ時という事も相まって、のどかで素晴らしかった。
写真では伝えきれないのが残念である。
少し離れた場所で家を建てていたのだが、赤ん坊を連れたお母さんが工事を見守っていた。
こんな田舎に、と言っては失礼だが、若い夫婦がいるのだなあ、と思った。
後で宿の方に聞いた所、他所から移住して来た方、という事である。
この辺りは御槇(みまき)地区と言うのだが、どうやら移住者を受け入れることに成功しているようであった。
少林寺と言えば、少林寺拳法しか思い浮かばなかったのだが、実物?の少林寺を参拝出来たのは面白い経験となった。
それにしても、境内からの景色が、日暮れ時という事も相まって、のどかで素晴らしかった。
写真では伝えきれないのが残念である。
少し離れた場所で家を建てていたのだが、赤ん坊を連れたお母さんが工事を見守っていた。
こんな田舎に、と言っては失礼だが、若い夫婦がいるのだなあ、と思った。
後で宿の方に聞いた所、他所から移住して来た方、という事である。
この辺りは御槇(みまき)地区と言うのだが、どうやら移住者を受け入れることに成功しているようであった。
2024年02月23日
【篠山道-35】 日切大師から、少林寺へ [2022年2月27日‐その23]
日切大師を参拝させてもらう。
てっきりお大師さんが鎮座しているのかと思ったら、お地蔵さん形の、のっぺらぼうな石が置かれているだけで驚いてしまった。
石がご神体として祭られている、との事であった。
せっかく来てくれたから、とお供え物のお菓子や飲み物などをたくさん頂いた。有難かった。
日切大師の車道の入口には、日切地蔵さん、という看板があった。地元ではそう呼ばれているようである。
次は、少林寺へと向かう。
近くまで来たのだが、案内などが無い。道路脇に遍路石っぽいものがある。
ここを入れば良いのだな、と小道に入り石段を上ると、お寺があった。
ただ、ここにも寺名が分かるものが無かった。
お堂に「篠山奥の院」の文字が辛うじて残っていたから、ここが少林寺で間違いないだろう。
てっきりお大師さんが鎮座しているのかと思ったら、お地蔵さん形の、のっぺらぼうな石が置かれているだけで驚いてしまった。
石がご神体として祭られている、との事であった。
せっかく来てくれたから、とお供え物のお菓子や飲み物などをたくさん頂いた。有難かった。
日切大師の車道の入口には、日切地蔵さん、という看板があった。地元ではそう呼ばれているようである。
次は、少林寺へと向かう。
近くまで来たのだが、案内などが無い。道路脇に遍路石っぽいものがある。
ここを入れば良いのだな、と小道に入り石段を上ると、お寺があった。
ただ、ここにも寺名が分かるものが無かった。
お堂に「篠山奥の院」の文字が辛うじて残っていたから、ここが少林寺で間違いないだろう。
2024年02月20日
【篠山道-34】 岩陰大師から、日切大師へ [2022年2月27日‐その22]
森の中に人知れずあった、篠山神社の二の鳥居からの遍路道が、この遍路石がある場所に合流していたようである。
かつて掛かっていたという橋は無くなってしまい、今では通れなくなったそうである。
ちなみに、この川は松田川、という事だから、あの宿毛市内を流れている大河になるのだろう。
橋が有ったろう場所の袂には、明治時代のお地蔵さんがあった。
なかなか楽しい道行である。
次は、「日切大師」へと向かう。
遍路道を外れ、田んぼの中を進み、小さな橋を渡っている所で、一台の車とすれ違った。
ここもはっきりとした看板が無かったのだが、日切大師で間違いないだろう。
「古岩禅師の由来」という名での説明板があった。
お地蔵さんがたくさん並んだ、整備された場所で、まだ新しいトイレもあった。
そうこうしていると、先程、橋で行違った地元の方が、気になったそうでわざわざ戻って来てくれた。ここを管理してくれている方だろうか。
お堂の鍵を開けて、中を見せてくれた。
かつて掛かっていたという橋は無くなってしまい、今では通れなくなったそうである。
ちなみに、この川は松田川、という事だから、あの宿毛市内を流れている大河になるのだろう。
橋が有ったろう場所の袂には、明治時代のお地蔵さんがあった。
なかなか楽しい道行である。
次は、「日切大師」へと向かう。
遍路道を外れ、田んぼの中を進み、小さな橋を渡っている所で、一台の車とすれ違った。
ここもはっきりとした看板が無かったのだが、日切大師で間違いないだろう。
「古岩禅師の由来」という名での説明板があった。
お地蔵さんがたくさん並んだ、整備された場所で、まだ新しいトイレもあった。
そうこうしていると、先程、橋で行違った地元の方が、気になったそうでわざわざ戻って来てくれた。ここを管理してくれている方だろうか。
お堂の鍵を開けて、中を見せてくれた。
2024年02月17日
【篠山道-33】 岩陰大師 [2022年2月27日‐その21]
祓川温泉に到着した時点で、まだ午後3時半前だった。
本日の宿、「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、まだまだ時間がたっぷりある。
「岩陰大師」「日切大師」「少林寺」を訪ねながら、英語版へんろ地図の赤い点線に沿って、ゆっくりと周ることにする。
静かな道から比較的大きな集落の中へ入って行くと、大岩の造形物が目に入った。
看板は無かったのだが、すぐに岩陰大師と分かった。
岩が重なって、桃のようになっている。
これはなかなか凄い。自然に出来たものらしい。もっと有名になっても良さそうな場所である。
この辺りは民家が並ぶ集落となっていたのだが、県道を外れて、再びのどかな道へと進む。
てくてく歩いていると、期せずして、立派な遍路石があった。
「右 さゝ山道」の文字が読み取れた。
本日の宿、「みまきガーデン」には午後6時過ぎの到着、と伝えてあり、まだまだ時間がたっぷりある。
「岩陰大師」「日切大師」「少林寺」を訪ねながら、英語版へんろ地図の赤い点線に沿って、ゆっくりと周ることにする。
静かな道から比較的大きな集落の中へ入って行くと、大岩の造形物が目に入った。
看板は無かったのだが、すぐに岩陰大師と分かった。
岩が重なって、桃のようになっている。
これはなかなか凄い。自然に出来たものらしい。もっと有名になっても良さそうな場所である。
この辺りは民家が並ぶ集落となっていたのだが、県道を外れて、再びのどかな道へと進む。
てくてく歩いていると、期せずして、立派な遍路石があった。
「右 さゝ山道」の文字が読み取れた。
2024年02月14日
【篠山道-32】 祓川温泉 [2022年2月27日‐その20]
車一台通れそうな幅のある、しっかりとした道が続いており、道なりに進んで行く。
右方向へ続いており、いつしかピンクのリボンが見当たらなくなってしまった。
本来の遍路道は左方向にあったそうで、途中の川に掛かっていた橋が無くなったため、通行不能になっているようである。
ただ、途中までは行ける、と翌日出会った遍路道を整備してくれている方が話していた。リボンもきっと、旧遍路道を案内していたのだろう。
道なりに歩いて行くと、右側に建物群が見えてきた。
ここが祓川温泉である。
温泉と向かいに食堂、そしてバス停があり、民家などは無く、後は原野が広がっている、といった感じだった。
この時は、新型コロナの影響により、温泉も食堂も営業停止中で、人の気配は全く無かった。
本日の宿、「みまきガーデン」に泊まれば、お風呂はここの温泉に入ることになっているのだが、残念であった。
右方向へ続いており、いつしかピンクのリボンが見当たらなくなってしまった。
本来の遍路道は左方向にあったそうで、途中の川に掛かっていた橋が無くなったため、通行不能になっているようである。
ただ、途中までは行ける、と翌日出会った遍路道を整備してくれている方が話していた。リボンもきっと、旧遍路道を案内していたのだろう。
道なりに歩いて行くと、右側に建物群が見えてきた。
ここが祓川温泉である。
温泉と向かいに食堂、そしてバス停があり、民家などは無く、後は原野が広がっている、といった感じだった。
この時は、新型コロナの影響により、温泉も食堂も営業停止中で、人の気配は全く無かった。
本日の宿、「みまきガーデン」に泊まれば、お風呂はここの温泉に入ることになっているのだが、残念であった。
2024年02月11日
【篠山道-31】 篠山神社から、祓川温泉へ⑨(二の鳥居) [2022年2月27日‐その19]
森の中の、何となく道っぽい所を進むと、立派な鳥居が建っていた。
訪れる人など誰もいないような、忘れられた場所である。何と神秘的なのだろうか。
いずれ、SNSで評判になって訪れる人が急増、とかなってしまいそうな気もする。それもちょっと嫌だなあ。歩き遍路だけが知っている、秘密の場所が良い。
鳥居をくぐると、何となく道筋が続いている。
ここから先に行けるのか分からないが、行けるところまで行ってみることにした。
その内、道が分からなくなったが、またもピンクのリボンがぶら下がっており追いかけると、道筋が見付かった。
道に黒いホースが埋まっており、これは秡川温泉のお湯が流れているのか、と触れてみるも、暖かくはなかった。
後で宿の方にその話をしてみると、祓川温泉は冷泉を沸かしているそうである。多分、温泉の管だったのだろう。
訪れる人など誰もいないような、忘れられた場所である。何と神秘的なのだろうか。
いずれ、SNSで評判になって訪れる人が急増、とかなってしまいそうな気もする。それもちょっと嫌だなあ。歩き遍路だけが知っている、秘密の場所が良い。
鳥居をくぐると、何となく道筋が続いている。
ここから先に行けるのか分からないが、行けるところまで行ってみることにした。
その内、道が分からなくなったが、またもピンクのリボンがぶら下がっており追いかけると、道筋が見付かった。
道に黒いホースが埋まっており、これは秡川温泉のお湯が流れているのか、と触れてみるも、暖かくはなかった。
後で宿の方にその話をしてみると、祓川温泉は冷泉を沸かしているそうである。多分、温泉の管だったのだろう。
2024年02月08日
【篠山道-30】 篠山神社から、祓川温泉へ⑧ [2022年2月27日‐その18]
対岸の上の方には、木造の建物群が見えている。
そこを目指せば良いのだろうが、ここからの道も、あるような無いような、どこからでも行けそうで、遍路道に拘りたかったのだが、どこなのかよく分からなかった。
迷子になるような心配は無いので、適当に選びながら進むことになる。
「飯場」という言葉がピッタリの場所であった。
人の気配は無かったが、今も使われているようで、立派な作業小屋であった。
小屋への取り付け道路を上がると、静かな車道に出て来た。
ここから、もうひと冒険である。
この辺りの山の中に、篠山神社の二の鳥居がある、との事である。ぜひ尋ねてみたい、と思っていた。
入口もはっきりしないので、入れそうな場所から突入することにしてみた。
何年も前に木を伐りだすような作業をしていたのだろう、樹木は疎らで、何となく作業道の跡が残っており、藪漕ぎするような箇所は無かった。
そこを目指せば良いのだろうが、ここからの道も、あるような無いような、どこからでも行けそうで、遍路道に拘りたかったのだが、どこなのかよく分からなかった。
迷子になるような心配は無いので、適当に選びながら進むことになる。
「飯場」という言葉がピッタリの場所であった。
人の気配は無かったが、今も使われているようで、立派な作業小屋であった。
小屋への取り付け道路を上がると、静かな車道に出て来た。
ここから、もうひと冒険である。
この辺りの山の中に、篠山神社の二の鳥居がある、との事である。ぜひ尋ねてみたい、と思っていた。
入口もはっきりしないので、入れそうな場所から突入することにしてみた。
何年も前に木を伐りだすような作業をしていたのだろう、樹木は疎らで、何となく作業道の跡が残っており、藪漕ぎするような箇所は無かった。
2024年02月05日
【篠山道-29】 篠山神社から、祓川温泉へ⑦(金前橋) [2022年2月27日‐その17]
大きめの石がゴロゴロと転がっている道となった。
道筋を探しながら進んで行くと、清流と何やら大きな祠が見えてきた。
これはもしや、無事に下界に降りられたのだろうか。
目標としていた石の橋、「金前橋」がある。
遭難することもなく到着出来て、本当にホッとした。
つるつるとした感じの石橋である。
祠の中は、木造のお大師さんだろうか。
そして、スプライトの瓶が置いてあった。これは、30年以上前のものになると思われるが、ずっと倒れずに置かれているのだろうか、と気になった。
周囲には他にも、「金前橋」と刻まれた石碑や石仏などがあった。
祓川温泉のお湯はこの辺りから引っ張っている、とあったような気もするが、よく分からなかった。
一休みしてから出発する。
道筋を探しながら進んで行くと、清流と何やら大きな祠が見えてきた。
これはもしや、無事に下界に降りられたのだろうか。
目標としていた石の橋、「金前橋」がある。
遭難することもなく到着出来て、本当にホッとした。
つるつるとした感じの石橋である。
祠の中は、木造のお大師さんだろうか。
そして、スプライトの瓶が置いてあった。これは、30年以上前のものになると思われるが、ずっと倒れずに置かれているのだろうか、と気になった。
周囲には他にも、「金前橋」と刻まれた石碑や石仏などがあった。
祓川温泉のお湯はこの辺りから引っ張っている、とあったような気もするが、よく分からなかった。
一休みしてから出発する。
2024年02月02日
【篠山道-28】 篠山神社から、祓川温泉へ⑥ [2022年2月27日‐その16]
何とか生き残っている遍路石に愛おしさを感じながら、林道脇の枝の山を乗り越えながら、斜面を下って行く。
歩きに支障はないのだが、くるぶしにちょっとした痛みが出た。
寝起きなどに、ちょっとした違和感を感じることが1年位も続いて、ようやく完治した。
過酷な道程だったことを物語っている。
へんろ地図に掲載されて、多くの人に歩いて欲しい道なのだが、迷った、遭難した、など何も知らない方からたくさんの苦情がくることは間違いなさそうで、公になることは無理だろう、残念である。
いくつ林道を横断して、枝の山を越えたろうか、視界が開けて、向かいの山が見える箇所があった。
目を凝らすと、道路のガードレールまで見える。
これで遭難は免れたようだ、安心した。
後は、「金前橋」と言う、川に掛かっている石の橋の所に降りて来れれば、無事に下界に到着となる。
歩きに支障はないのだが、くるぶしにちょっとした痛みが出た。
寝起きなどに、ちょっとした違和感を感じることが1年位も続いて、ようやく完治した。
過酷な道程だったことを物語っている。
へんろ地図に掲載されて、多くの人に歩いて欲しい道なのだが、迷った、遭難した、など何も知らない方からたくさんの苦情がくることは間違いなさそうで、公になることは無理だろう、残念である。
いくつ林道を横断して、枝の山を越えたろうか、視界が開けて、向かいの山が見える箇所があった。
目を凝らすと、道路のガードレールまで見える。
これで遭難は免れたようだ、安心した。
後は、「金前橋」と言う、川に掛かっている石の橋の所に降りて来れれば、無事に下界に到着となる。