2013年05月31日
【255】歩き遍路30日目〈10〉[2012年4月20日]
八丁坂方面から(45)岩屋寺にやって来ると、お寺の裏手というか、山門をくぐると、大師堂の横に到着するようになっている。一般の参拝客は、反対側からやって来る。
どちらが本来の入口だろうか。
一先ず休憩である。無事に(45)岩屋寺まで来れたので、宿の予約をする。
今日のルートは通行止の可能性もあり、どうなるか予定が立たず、まだ予約をしていなかった。まだ12時半過ぎなので、久万の街まで行けるだろう。「ガーデンタイム」を予約した。
その内、三嶋神社で別れた、静岡のTさんがやって来て、大変驚いている。速足のTさんよりも、自分が先に(45)岩屋寺に到着していたからだ。
まだ(44)大宝寺にはまだ参拝していないこと、雨が降って休憩出来ずに歩き続けたことを話すと、納得したようだ。今晩は、お隣の「笛ヶ滝」に泊まるそうである。
これまで歩き続けたツケが出て、この後は休憩ばかり。久万高原町の宿に到着したのは、Tさんよりも2時間は遅くなってしまった。
本堂の横に梯子が掛かっており、上の岩穴に行けるようになっている。団体のじいちゃん、ばあちゃんたちが登っている。よくあんな所を登るものだと感心してしまった。
自分も登ってみよう、と梯子を上がったのだが、このままでは降りれなくなる、と恐ろしくなって、3分の2まで登った所で、引き返してしまった。
どちらが本来の入口だろうか。
一先ず休憩である。無事に(45)岩屋寺まで来れたので、宿の予約をする。
今日のルートは通行止の可能性もあり、どうなるか予定が立たず、まだ予約をしていなかった。まだ12時半過ぎなので、久万の街まで行けるだろう。「ガーデンタイム」を予約した。
その内、三嶋神社で別れた、静岡のTさんがやって来て、大変驚いている。速足のTさんよりも、自分が先に(45)岩屋寺に到着していたからだ。
まだ(44)大宝寺にはまだ参拝していないこと、雨が降って休憩出来ずに歩き続けたことを話すと、納得したようだ。今晩は、お隣の「笛ヶ滝」に泊まるそうである。
これまで歩き続けたツケが出て、この後は休憩ばかり。久万高原町の宿に到着したのは、Tさんよりも2時間は遅くなってしまった。
本堂の横に梯子が掛かっており、上の岩穴に行けるようになっている。団体のじいちゃん、ばあちゃんたちが登っている。よくあんな所を登るものだと感心してしまった。
自分も登ってみよう、と梯子を上がったのだが、このままでは降りれなくなる、と恐ろしくなって、3分の2まで登った所で、引き返してしまった。
2013年05月29日
【254】歩き遍路30日目〈その9〉[2012年4月20日]
槇の谷からの山道の頂上付近に到着した。
「へんろ道保存協力会」のへんろ札、そして鯖大師明善さんの黄色いへんろ札もあり、元気づけられる。
ここからは、森の中の高低差の少ない道となる。ここまで来て、通行止だったらどうしようか、と不安になり、急ぎ足で歩く。
すると、一ヶ所、崖崩れしている場所があった。ここが落石のおそれありの地点だろうか。ただ、崩れていた土砂の上を歩けば難なく進むことが出来た。
徐々に道幅が狭くなってきた。草木が覆いかぶさってきつつあるが小走りで通り過ぎると、まもなく見覚えのある、茶店があったという、八丁坂との合流点にたどり着いた。
通り抜けることが出来て、本当に一安心した。あとは(45)岩屋寺までもう少しだ、と思ったが、意外とこの先が長い。若干の上り下りがある道を進む。
尾根を通る道になるのだろうか、崖下を見ると、目が眩んでしまいそうな区間もある。落ちたら終わりだろう。
道は下りとなる。ここは、歩きにくい道であり、慎重に下る。(45)岩屋寺の敷地に入って来たのだろうか、逼割禅定(せりわりぜんじょう)を通過し、お寺に到着した。
「へんろ道保存協力会」のへんろ札、そして鯖大師明善さんの黄色いへんろ札もあり、元気づけられる。
ここからは、森の中の高低差の少ない道となる。ここまで来て、通行止だったらどうしようか、と不安になり、急ぎ足で歩く。
すると、一ヶ所、崖崩れしている場所があった。ここが落石のおそれありの地点だろうか。ただ、崩れていた土砂の上を歩けば難なく進むことが出来た。
徐々に道幅が狭くなってきた。草木が覆いかぶさってきつつあるが小走りで通り過ぎると、まもなく見覚えのある、茶店があったという、八丁坂との合流点にたどり着いた。
通り抜けることが出来て、本当に一安心した。あとは(45)岩屋寺までもう少しだ、と思ったが、意外とこの先が長い。若干の上り下りがある道を進む。
尾根を通る道になるのだろうか、崖下を見ると、目が眩んでしまいそうな区間もある。落ちたら終わりだろう。
道は下りとなる。ここは、歩きにくい道であり、慎重に下る。(45)岩屋寺の敷地に入って来たのだろうか、逼割禅定(せりわりぜんじょう)を通過し、お寺に到着した。
2013年05月27日
【253】歩き遍路30日目〈その8〉[2012年4月20日]
集落内には、個人の方による、真新しい看板も立っていた。
遍路道の案内、そして〇〇邸跡と、離村した家の名前が載っている。この村を離れた方によるものではないだろうか。
「山へんろ道、道険しく足元を十分注意して、お参り下さい。」と書かれている。
この方のお気持ちに沿えるように、このルートを歩いてくれる人が増えてくれるとうれしいのだが、ずっと手前にあった「不通」と書かれた看板があったことからも、ここを歩くお遍路さんは、かなり少ないだろう。
しばらくは廃屋があったりするが、直に山道となった。かなり急な上りで、これが結構きつかった。道自体は、春先ということもあるのか、それほど草も生えておらず、歩きに差し支えはなかった。
森の中を抜けると、急に明るくなる。木が伐採されて、灌木の中の道となった。視界が開け、日差しが心地良い。随分と高い所まで登って来たものである。
もう少し上りが続く。この頂上が、八丁坂との合流点だったらうれしいのだが。
他のお遍路さんのブログに、この辺りで道に迷った、という記事を読んだことがあったので、少々気を付けていたのだが、今回歩いた限りでは、道に迷うような場所はどこなのか分からなかった。
また、へんろ地図には「落石のおそれあり、自己責任で通行してください」と書かれてあるが、どこのことだろうか、と思いつつ歩き続ける。
再び森の中に入ると、頂上付近に到達した。残念ながら、ここは八丁坂との合流点ではなかった。
遍路道の案内、そして〇〇邸跡と、離村した家の名前が載っている。この村を離れた方によるものではないだろうか。
「山へんろ道、道険しく足元を十分注意して、お参り下さい。」と書かれている。
この方のお気持ちに沿えるように、このルートを歩いてくれる人が増えてくれるとうれしいのだが、ずっと手前にあった「不通」と書かれた看板があったことからも、ここを歩くお遍路さんは、かなり少ないだろう。
しばらくは廃屋があったりするが、直に山道となった。かなり急な上りで、これが結構きつかった。道自体は、春先ということもあるのか、それほど草も生えておらず、歩きに差し支えはなかった。
森の中を抜けると、急に明るくなる。木が伐採されて、灌木の中の道となった。視界が開け、日差しが心地良い。随分と高い所まで登って来たものである。
もう少し上りが続く。この頂上が、八丁坂との合流点だったらうれしいのだが。
他のお遍路さんのブログに、この辺りで道に迷った、という記事を読んだことがあったので、少々気を付けていたのだが、今回歩いた限りでは、道に迷うような場所はどこなのか分からなかった。
また、へんろ地図には「落石のおそれあり、自己責任で通行してください」と書かれてあるが、どこのことだろうか、と思いつつ歩き続ける。
再び森の中に入ると、頂上付近に到達した。残念ながら、ここは八丁坂との合流点ではなかった。
2013年05月25日
【252】歩き遍路30日目〈その7〉[2012年4月20日]
槇の谷の集落に入る。人里離れた、桃源郷のようであり、平家の落人伝説などがありそうな場所である。
数軒の民家があり、少し離れた場所に、畑仕事をしているおじいさんの姿が見える。
校舎が見えたので立ち寄ってみると、立派な木造校舎があった。桜の花が咲いている。
石碑があり、久万小学校の分校だったが、平成2年に自然閉校のやむなきに至る、とある。22年前に小学生がいなくなったという事であろう。
登り道となり、少し進むと、最後の民家から犬の吠え声が聞こえてきた。村中に部外者が来たと知られてしまっただろう。
道沿いに石垣が残っている。以前は、この車も通れない細い道沿いに民家があったようだ。
そこに、うれしいへんろ札がぶら下がっていた。緑の新しいポールに「遍路道」の札である。この新しさは、最近立てられたものであろう。
以前、通行出来ない、と言われていた(21)太龍寺からの「ふだらく峠」にも、同じ形の新しい札が立てられており、無事に通ることが出来た。
これまで不安になりながら歩いていたのだが、おそらく通行可能に違いない。少々、安心感が出て来た。
数軒の民家があり、少し離れた場所に、畑仕事をしているおじいさんの姿が見える。
校舎が見えたので立ち寄ってみると、立派な木造校舎があった。桜の花が咲いている。
石碑があり、久万小学校の分校だったが、平成2年に自然閉校のやむなきに至る、とある。22年前に小学生がいなくなったという事であろう。
登り道となり、少し進むと、最後の民家から犬の吠え声が聞こえてきた。村中に部外者が来たと知られてしまっただろう。
道沿いに石垣が残っている。以前は、この車も通れない細い道沿いに民家があったようだ。
そこに、うれしいへんろ札がぶら下がっていた。緑の新しいポールに「遍路道」の札である。この新しさは、最近立てられたものであろう。
以前、通行出来ない、と言われていた(21)太龍寺からの「ふだらく峠」にも、同じ形の新しい札が立てられており、無事に通ることが出来た。
これまで不安になりながら歩いていたのだが、おそらく通行可能に違いない。少々、安心感が出て来た。
2013年05月23日
【251】歩き遍路30日目〈その6〉[2012年4月20日]
静岡のTさんによると、昔のへんろ地図には、ここから南の河口という集落から日の出橋に至るートも遍路道になっていたそうで、一度歩いたことがある、と話していた。
旧小田町から新真弓トンネル、河口、日の出橋から槇の谷を経て、(45)岩屋寺を目指すコースもあったそうだが、現在のへんろ地図に、赤いラインは引かれていない。
確かに、河口方面から来た人用の道しるべが残っていた。
山の中の「日の出橋」だが、横から見ると立派な造りで、歴史を感じさせる建造物である。過去には、重要な橋だったのかも知れない。
道を進むが、一向に人の気配がしない。
久万の町を出てから、中野村に集落があった以外は、ずっともの寂しい道が続いている。
ようやく、遠くに槇の谷の集落が見えてきた所に、突然現れた、この道しるべ。これを見たいと思っていたので、ようやく発見しました。
槇谷林道改築記念とある。昭和18年に造られたようだ。道案内があり、岩屋寺―當地蔵尊―中之村縣道―大寶寺、とある。ゑびす様や魚の模様もあり、なかなかユニークな道しるべである。
旧小田町から新真弓トンネル、河口、日の出橋から槇の谷を経て、(45)岩屋寺を目指すコースもあったそうだが、現在のへんろ地図に、赤いラインは引かれていない。
確かに、河口方面から来た人用の道しるべが残っていた。
山の中の「日の出橋」だが、横から見ると立派な造りで、歴史を感じさせる建造物である。過去には、重要な橋だったのかも知れない。
道を進むが、一向に人の気配がしない。
久万の町を出てから、中野村に集落があった以外は、ずっともの寂しい道が続いている。
ようやく、遠くに槇の谷の集落が見えてきた所に、突然現れた、この道しるべ。これを見たいと思っていたので、ようやく発見しました。
槇谷林道改築記念とある。昭和18年に造られたようだ。道案内があり、岩屋寺―當地蔵尊―中之村縣道―大寶寺、とある。ゑびす様や魚の模様もあり、なかなかユニークな道しるべである。
2013年05月21日
【250】歩き遍路30日目〈その5〉[2012年4月20日]
中野村の集落に到着した。小さな盆地に家が点在している感じだ。
バス停があり、伊予鉄久万バスと書いてある。ここまでバスがやって来るのか。
きれいに整備された待合所があり、ここで一休みさせてもらうことにした。
4時間も歩き続けたのは、もちろん初めてである。
雨で休憩場所が見つからなかったこともあるが、これから歩く槇の谷ルートが、通れるのかどうか分からず不安があったため、何となく気が急いていたのもあったと思う。
このバス停内には、新聞受けがあり、20人ほどの名前が書いてある。まだ新聞が残っている家もある。家まで配達してもらえないのだろうか。
朝食の残りを食べたが、ここであまりのんびりと休憩するには気が引けたので、早々に出発した。うれしいことに、休んでいる間に、雨も上がったようだ。
すぐに分岐となる。分岐には岩屋寺~槇谷歩きルート~と書かれた立派な看板が立っている。きっと通れる、と思いたい。
中野村を過ぎると、渓谷沿いの人の気配がしない道となるが、古い遍路石も残っており、昔はこの道が使われたことが窺える。
日の出橋までやって来た。ここから左折することになる。しっかりとした、立派な看板もある。
バス停があり、伊予鉄久万バスと書いてある。ここまでバスがやって来るのか。
きれいに整備された待合所があり、ここで一休みさせてもらうことにした。
4時間も歩き続けたのは、もちろん初めてである。
雨で休憩場所が見つからなかったこともあるが、これから歩く槇の谷ルートが、通れるのかどうか分からず不安があったため、何となく気が急いていたのもあったと思う。
このバス停内には、新聞受けがあり、20人ほどの名前が書いてある。まだ新聞が残っている家もある。家まで配達してもらえないのだろうか。
朝食の残りを食べたが、ここであまりのんびりと休憩するには気が引けたので、早々に出発した。うれしいことに、休んでいる間に、雨も上がったようだ。
すぐに分岐となる。分岐には岩屋寺~槇谷歩きルート~と書かれた立派な看板が立っている。きっと通れる、と思いたい。
中野村を過ぎると、渓谷沿いの人の気配がしない道となるが、古い遍路石も残っており、昔はこの道が使われたことが窺える。
日の出橋までやって来た。ここから左折することになる。しっかりとした、立派な看板もある。
2013年05月17日
【249】歩き遍路30日目〈その4〉[2012年4月20日]
農祖峠から山道を下ると、民家がぽつぽつとある山里に降りてきた。
しばらくで、再び分岐があり、指示通りに山道へと入って行く。峠を越えて、この先、道は下る一方かと思っていたが再び上り道だったので少々滅入るが、すぐに上りは終了した。
さらに分岐があり、(44)大宝寺と(45)岩屋寺への分かれ道となるのだが、ここに不穏な看板が‥‥岩屋寺への遍路道は不通、大宝寺からお進み下さい、と書かれている。本当だろうか?
何らかの不通の案内は想定していたが、新しい看板が立っているとは思わなかった。
とりあえず、行けるところまで行って、ダメなら引き返すことにした。
久万の町にやって来た。国道を横断し、道しるべ通りに進む。
今日は小雨ということもあり、一度も休憩していない。もう3時間以上も歩き続けている。どこかに休める場所はないかな、と探すが、見つからないまま、次第に山の方へと入って行ってしまった。疲れたが、歩き続けるしかない。
狭く薄暗い、くねくね道となった。通る車はほとんど無いが、下方の谷に山を削って、立派な道路を建設している。完成しても通る車はほんのわずかだろう。
「旧土佐道」の看板を何か所かで見掛ける。この場所から高知への道が続いているとは、想像がつかない。
人の気配がない道を歩き、峠を越えて、道は下りとなる。
10時を過ぎて、ようやく集落が見えてきた。へんろ地図では中の村となっているが、中野村が正解のようだ。
しばらくで、再び分岐があり、指示通りに山道へと入って行く。峠を越えて、この先、道は下る一方かと思っていたが再び上り道だったので少々滅入るが、すぐに上りは終了した。
さらに分岐があり、(44)大宝寺と(45)岩屋寺への分かれ道となるのだが、ここに不穏な看板が‥‥岩屋寺への遍路道は不通、大宝寺からお進み下さい、と書かれている。本当だろうか?
何らかの不通の案内は想定していたが、新しい看板が立っているとは思わなかった。
とりあえず、行けるところまで行って、ダメなら引き返すことにした。
久万の町にやって来た。国道を横断し、道しるべ通りに進む。
今日は小雨ということもあり、一度も休憩していない。もう3時間以上も歩き続けている。どこかに休める場所はないかな、と探すが、見つからないまま、次第に山の方へと入って行ってしまった。疲れたが、歩き続けるしかない。
狭く薄暗い、くねくね道となった。通る車はほとんど無いが、下方の谷に山を削って、立派な道路を建設している。完成しても通る車はほんのわずかだろう。
「旧土佐道」の看板を何か所かで見掛ける。この場所から高知への道が続いているとは、想像がつかない。
人の気配がない道を歩き、峠を越えて、道は下りとなる。
10時を過ぎて、ようやく集落が見えてきた。へんろ地図では中の村となっているが、中野村が正解のようだ。
2013年05月15日
【248】歩き遍路30日目〈その3〉[2012年4月20日]
農祖峠への道に入ると、すぐに右の山手に上がる道と左手の道とに分かれている。いきなり、どっちへ行ったらいいのか分からなくなってしまった。
注意深くへんろ札を探してみるが、見当たらなかった。
右の山の方に向かう道を進んでみるが、すぐに思い直して、左の道へと行ってみた。
しばらく進むも、道しるべがない。これは間違えたな、引き返さなければならないか、と思った所に、ようやく青地の見慣れないへんろ札が、木にぶら下がっていた。これで一安心である。
しばらくは林道を歩くが、遍路石があり分岐となり、歩きの山道となった。
小雨の中を登っていくと、農祖峠に到着した。楽に到達した印象がある。
「へんろ道保存協力会」の札がある。分岐点ではよく見かけるが、こういう場所に立っているのは、意外と珍しいのではないだろうか。
峠付近は、少し広くなってはいたが、説明板のようなものは見当たらなかったので、すぐに下り道へと進むことにした。
現在、農祖峠よりも鴇田峠の道を選択するお遍路さんの方が多いような気もするが、実際はどのくらいの割合になっているのだろうか。
余談となるが、地図を見ると、農祖峠は「のうそのとう」となっている。「げ」は付かないのだろうか。時折、峠を「とうげ」と呼ばないで「とう」となっているのを見かける。
注意深くへんろ札を探してみるが、見当たらなかった。
右の山の方に向かう道を進んでみるが、すぐに思い直して、左の道へと行ってみた。
しばらく進むも、道しるべがない。これは間違えたな、引き返さなければならないか、と思った所に、ようやく青地の見慣れないへんろ札が、木にぶら下がっていた。これで一安心である。
しばらくは林道を歩くが、遍路石があり分岐となり、歩きの山道となった。
小雨の中を登っていくと、農祖峠に到着した。楽に到達した印象がある。
「へんろ道保存協力会」の札がある。分岐点ではよく見かけるが、こういう場所に立っているのは、意外と珍しいのではないだろうか。
峠付近は、少し広くなってはいたが、説明板のようなものは見当たらなかったので、すぐに下り道へと進むことにした。
現在、農祖峠よりも鴇田峠の道を選択するお遍路さんの方が多いような気もするが、実際はどのくらいの割合になっているのだろうか。
余談となるが、地図を見ると、農祖峠は「のうそのとう」となっている。「げ」は付かないのだろうか。時折、峠を「とうげ」と呼ばないで「とう」となっているのを見かける。
2013年05月13日
【247】歩き遍路30日目〈その2〉[2012年4月20日]
三嶋神社で一休みしようかと思ったのだが、全体的に埃っぽく、ゆっくり出来そうな感じではなかった。あきらめて、もう少し先へと進むことにした。
畑峠への遍路道への分岐はまだかな、と歩いていたが、後でへんろ地図を見ると、先程の三嶋神社の所を入って行かなければならなかったようだ。下坂場峠経由で行くことにする。
峠への車道と歩きの道の分岐となった。桜の花びらが道一面をピンクに染め、とてもきれいだった。
10分ほど歩くと、車道がなくなり、歩きの道へと入って行く。この頃から、雨がパラパラと降り出してきた。さらに10分で車道に合流し、下坂場峠に到着した。ここからは広い道を下る。
宮成の集落まで降りてくると、民家の裏を歩く遍路道がある。ほんの10mほどでまた車道に出るので、呆気にとられるかも知れない。
普通は左方向に進路を取る所だが、今回は二名方面へと右に進み、農祖峠へと入ることにしている。
道路脇に「二名の名水」が湧いていた。暑い日にはさぞかし重宝しそうだが、今日のような小雨の日には通過である。
遍路道ではない所を歩いていると、地元の方から、違いますよ、とご指摘を受けるかもしれない、と思っていたが、いらぬ心配で、農祖峠への入口に到着した。お役所が立てたような立派な看板も設置されていた。
畑峠への遍路道への分岐はまだかな、と歩いていたが、後でへんろ地図を見ると、先程の三嶋神社の所を入って行かなければならなかったようだ。下坂場峠経由で行くことにする。
峠への車道と歩きの道の分岐となった。桜の花びらが道一面をピンクに染め、とてもきれいだった。
10分ほど歩くと、車道がなくなり、歩きの道へと入って行く。この頃から、雨がパラパラと降り出してきた。さらに10分で車道に合流し、下坂場峠に到着した。ここからは広い道を下る。
宮成の集落まで降りてくると、民家の裏を歩く遍路道がある。ほんの10mほどでまた車道に出るので、呆気にとられるかも知れない。
普通は左方向に進路を取る所だが、今回は二名方面へと右に進み、農祖峠へと入ることにしている。
道路脇に「二名の名水」が湧いていた。暑い日にはさぞかし重宝しそうだが、今日のような小雨の日には通過である。
遍路道ではない所を歩いていると、地元の方から、違いますよ、とご指摘を受けるかもしれない、と思っていたが、いらぬ心配で、農祖峠への入口に到着した。お役所が立てたような立派な看板も設置されていた。
2013年05月11日
【246】歩き遍路30日目〈その1〉[2012年4月20日]
早めに起床し、前日に用意してくれていたおにぎりを食べる。朝は食欲が今一つ、少しだけ食べて、後は道中頂くことにしよう。
6時を少し回った頃に出発する。自分としては早い出発である。玄関には、写真の文言があった。
昨日あまり歩いていないので、今日は頑張るつもりだ。
予定では、畑峠か、あるいは下坂場峠から遍路道を外れて、農祖峠を経由し、槇の谷経由で(45)岩屋寺を打ち、(44)大宝寺辺りまで歩ければ、と考えている。
槇の谷付近は通行できないという話も聞いているので、どうなるだろうか。(44)大宝寺まで歩けば、かなりの距離となる。
昨日歩いた道を戻り、落合トンネル付近の分岐点までやって来た。すると、一台の車がやって来て、一人のお遍路さんが降りてきた。昨日、内子の手前のYショップで出会った、静岡のTさんだ。
「たちばな旅館」の女将さんに、ここまで送って来てもらったようである。この辺りは、一巡目の時には誰とも出会わなかった区間なので、ここでお遍路さんの姿を見掛けるのは新鮮な感じがした。
Tさんは、札所への到着時間や休憩場所・時間まで全て計画済みではあるが、せっかく会ったから、ということで、しばらく一緒に歩こう、と言ってくれた。
歩くペースは全然違うはずだが、こちらに合わせてくれている。「たちばな旅館」では、もう一人、歩き遍路がいたそうである。
今日は、普通に鴇田峠を越えて(44)(45)と打ち、久万高原の宿に泊まるとの事だった。
4㎞弱の三嶋神社まで来た所で、一息入れたかったので、Tさんには先に行ってもらうことにした。
6時を少し回った頃に出発する。自分としては早い出発である。玄関には、写真の文言があった。
昨日あまり歩いていないので、今日は頑張るつもりだ。
予定では、畑峠か、あるいは下坂場峠から遍路道を外れて、農祖峠を経由し、槇の谷経由で(45)岩屋寺を打ち、(44)大宝寺辺りまで歩ければ、と考えている。
槇の谷付近は通行できないという話も聞いているので、どうなるだろうか。(44)大宝寺まで歩けば、かなりの距離となる。
昨日歩いた道を戻り、落合トンネル付近の分岐点までやって来た。すると、一台の車がやって来て、一人のお遍路さんが降りてきた。昨日、内子の手前のYショップで出会った、静岡のTさんだ。
「たちばな旅館」の女将さんに、ここまで送って来てもらったようである。この辺りは、一巡目の時には誰とも出会わなかった区間なので、ここでお遍路さんの姿を見掛けるのは新鮮な感じがした。
Tさんは、札所への到着時間や休憩場所・時間まで全て計画済みではあるが、せっかく会ったから、ということで、しばらく一緒に歩こう、と言ってくれた。
歩くペースは全然違うはずだが、こちらに合わせてくれている。「たちばな旅館」では、もう一人、歩き遍路がいたそうである。
今日は、普通に鴇田峠を越えて(44)(45)と打ち、久万高原の宿に泊まるとの事だった。
4㎞弱の三嶋神社まで来た所で、一息入れたかったので、Tさんには先に行ってもらうことにした。
2013年05月09日
JR倶利伽羅駅(石川県)から砺波駅経由、高岡駅(富山県)まで
GWはゆっくりと過ごすつもりでしたが、前回の歩き遍路から1年余りが経ち、久しぶりに30㎞くらい、みっちりと歩いてみたいなーという気持ちが出てきました。
八重桜が見頃な倶利伽羅峠、そしてチューリップフェアの砺波市を目指す、ということで、5月4日(土)に歩いてきました。
当日は朝6時半に起きるつもりが、9時になってしまいました。
自宅から出発予定でしたが車でワープ、JR倶利伽羅駅から歩き始めました。ここは無料で車を止めて置くことが出来る、貴重な駅です。
八重桜と新緑を眺めながら、車道を上っていきます。
倶利伽羅古戦場と呼ばれる頂上付近は、八重桜が見頃で、それなりに賑わっていました。
旧北陸道に沿って、山を下ります。ほぼ歩きの道となっています。
途中、大きなリュックを背負った青年とすれ違いました。歩いて旅をしているのでしょうか。あいさつだけでしたが、こういった方と出会えただけでもうれしいですね。他に二組の方が峠に向かって歩いていました。
麓に下りてからは、「倶利伽羅源平の郷埴生口」にある、休日のみ営業のお茶屋で、おやべホワイトラーメン(700円)を食べました。
お茶屋を出て、昭和47年に廃止された、加越能鉄道加越線という私鉄の線路跡を利用したサイクリングロードへ。
砺波平野の散居村のど真ん中を進みます。あちこちで、田植えをしている姿が見られました。
田んぼの中に、屋敷林に囲まれた家が点在しています。教科書などで、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
サイクリングロードから一般道に入り、砺波市を目指します。チューリップの産地であり、「チューリップフェア」が開催されています。
会場に到着しましたが、入場料が1000円‥‥中に入ることはあきらめて、会場の周りを一周しました。
すると、きれいなチューリップ畑を発見しました。この眺めだけでも、十分に楽しめました。
時間はまだ午後5時前。ここからは進路を変えて北上、高岡方面に向かって、国道は避け、適当な道を選んで歩きました。
JR城端線に沿って、細い道が続いていたので、しばらくここを歩きました。
「忍者ハットリくん列車」が走っていきました。富山県西部は、「ドラえもん」でも有名な、藤子不二雄の出身地だからでしょう。
高岡市戸出地区からは、線路脇を離れ、田んぼの中の道や用水に沿った道を歩き続けました。おとぎの森公園を通り抜けた頃には、既に真っ暗となってしまいました。
夜の8時に、ようやくJR高岡駅に到着し、車を止めてある倶利伽羅駅へと戻りました。
この日の歩行距離は、休憩もほどほどに9時間半は歩いているので、30㎞は越えたのではないでしょうか。
久しぶりの長距離の歩きに、早速、足裏に肉刺が出来ていました。脚の筋肉痛にしびれまでが。お遍路の時以上のダメージでした(翌々日にはすっかり回復しました)。
小矢部市にある銭湯に立ち寄り、疲れを癒してから帰宅、久しぶりの達成感を味わうことが出来ました。
本日のコースタイム
JR倶利伽羅駅10:35→11:31倶利伽羅峠→倶利伽羅源平の郷埴生口→16:03砺波市チューリップ公園16:28→20:00JR高岡駅20:11→→20:36JR倶利伽羅駅
八重桜が見頃な倶利伽羅峠、そしてチューリップフェアの砺波市を目指す、ということで、5月4日(土)に歩いてきました。
当日は朝6時半に起きるつもりが、9時になってしまいました。
自宅から出発予定でしたが車でワープ、JR倶利伽羅駅から歩き始めました。ここは無料で車を止めて置くことが出来る、貴重な駅です。
八重桜と新緑を眺めながら、車道を上っていきます。
倶利伽羅古戦場と呼ばれる頂上付近は、八重桜が見頃で、それなりに賑わっていました。
旧北陸道に沿って、山を下ります。ほぼ歩きの道となっています。
途中、大きなリュックを背負った青年とすれ違いました。歩いて旅をしているのでしょうか。あいさつだけでしたが、こういった方と出会えただけでもうれしいですね。他に二組の方が峠に向かって歩いていました。
麓に下りてからは、「倶利伽羅源平の郷埴生口」にある、休日のみ営業のお茶屋で、おやべホワイトラーメン(700円)を食べました。
お茶屋を出て、昭和47年に廃止された、加越能鉄道加越線という私鉄の線路跡を利用したサイクリングロードへ。
砺波平野の散居村のど真ん中を進みます。あちこちで、田植えをしている姿が見られました。
田んぼの中に、屋敷林に囲まれた家が点在しています。教科書などで、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
サイクリングロードから一般道に入り、砺波市を目指します。チューリップの産地であり、「チューリップフェア」が開催されています。
会場に到着しましたが、入場料が1000円‥‥中に入ることはあきらめて、会場の周りを一周しました。
すると、きれいなチューリップ畑を発見しました。この眺めだけでも、十分に楽しめました。
時間はまだ午後5時前。ここからは進路を変えて北上、高岡方面に向かって、国道は避け、適当な道を選んで歩きました。
JR城端線に沿って、細い道が続いていたので、しばらくここを歩きました。
「忍者ハットリくん列車」が走っていきました。富山県西部は、「ドラえもん」でも有名な、藤子不二雄の出身地だからでしょう。
高岡市戸出地区からは、線路脇を離れ、田んぼの中の道や用水に沿った道を歩き続けました。おとぎの森公園を通り抜けた頃には、既に真っ暗となってしまいました。
夜の8時に、ようやくJR高岡駅に到着し、車を止めてある倶利伽羅駅へと戻りました。
この日の歩行距離は、休憩もほどほどに9時間半は歩いているので、30㎞は越えたのではないでしょうか。
久しぶりの長距離の歩きに、早速、足裏に肉刺が出来ていました。脚の筋肉痛にしびれまでが。お遍路の時以上のダメージでした(翌々日にはすっかり回復しました)。
小矢部市にある銭湯に立ち寄り、疲れを癒してから帰宅、久しぶりの達成感を味わうことが出来ました。
本日のコースタイム
JR倶利伽羅駅10:35→11:31倶利伽羅峠→倶利伽羅源平の郷埴生口→16:03砺波市チューリップ公園16:28→20:00JR高岡駅20:11→→20:36JR倶利伽羅駅
[2013年5月4日]
2013年05月07日
【245】歩き遍路29日目〈その7〉[2012年4月19日]
今日の歩行距離は25㎞足らず、何か味気ない。
かといってこの先、久万高原まで宿が無いので今日は仕方なかったのだが、明日は頑張って歩きたい。
「ゑびすや旅館」は、お風呂にも花が飾ってあるなど、小ぎれいにされている。
女将さんと話をしている内に、はじめて遍路を始めた7年前、(2)極楽寺で声を掛けてもらい、その後も色々と教えてくれた方がこの宿の常連さんと分かり、大いに話が盛り上がった。毎年のように顔を出してくれているそうである。元気にされているようで良かった。
夕食は、話に聞いていた通り、豪華な料理である。出された時には、思わず声が出てしまった。食べ切れるかどうか心配だったが、完食することが出来た。ご飯のお替わりもした。一つ、目標クリアである。
部屋には遍路ノートがあり、これまで宿泊した旅人達の言葉が残されている。全てに目を通すにはとても時間が足りないのだが、部屋でゆっくりとくつろぎながら、みなさんの書き込みを読みながら過ごした。
ゑびすや旅館:一泊二食 6800円 (朝食はおにぎりとみそ汁の弁当)
※浴衣、茶あり。洗濯代200円。自販機は100m先にあり。
宿泊客:歩き遍路1人
かといってこの先、久万高原まで宿が無いので今日は仕方なかったのだが、明日は頑張って歩きたい。
「ゑびすや旅館」は、お風呂にも花が飾ってあるなど、小ぎれいにされている。
女将さんと話をしている内に、はじめて遍路を始めた7年前、(2)極楽寺で声を掛けてもらい、その後も色々と教えてくれた方がこの宿の常連さんと分かり、大いに話が盛り上がった。毎年のように顔を出してくれているそうである。元気にされているようで良かった。
夕食は、話に聞いていた通り、豪華な料理である。出された時には、思わず声が出てしまった。食べ切れるかどうか心配だったが、完食することが出来た。ご飯のお替わりもした。一つ、目標クリアである。
部屋には遍路ノートがあり、これまで宿泊した旅人達の言葉が残されている。全てに目を通すにはとても時間が足りないのだが、部屋でゆっくりとくつろぎながら、みなさんの書き込みを読みながら過ごした。
ゑびすや旅館:一泊二食 6800円 (朝食はおにぎりとみそ汁の弁当)
※浴衣、茶あり。洗濯代200円。自販機は100m先にあり。
宿泊客:歩き遍路1人
2013年05月05日
【244】歩き遍路29日目〈その6〉[2012年4月19日]
上田渡の薬師堂を出発、国道379号線を歩く。落合トンネルを抜けて道なりに進むと旧広田村、右に曲がると遍路道である。
今回は、落合トンネルはパスし、旧道らしき道があるようなので、そちらを探検してみた。落ち葉に覆われた狭い道が続く。小雨で薄暗くなりつつある、寂しい道を進む。
昔のへんろ石も残っており、以前はこの道が使われていたことが分かる。鴇田(ひわた)峠への分岐点には、かなり薄くはなっていたが、へんろ札も残っていた。
そのまま道なりに進み、旧広田村へと入って行った。
一巡目の時には「たちばな旅館」に泊まったので、今回は「ゑびすや旅館」の方に予約をした。
ここの食事も食べきれないくらいに出される、と聞いているので、これを完食することが目標である。
一旦、国道に入ったが、再び村の中の道へと入って行く。分岐にはゑびすや旅館の看板が立っているので、迷わず行くことが出来た。
宿前に到着したが、もう100mほど先の自販機で飲み物を買い込んでから、「ゑびすや旅館」へと入った。
本日のコースタイム
うめたこ旅館6:59→道の駅内子フレッシュパークからり10:05→大瀬休憩所12:20→14:11ヘンロ小屋第38号内子14:32→16:31ゑびすや旅館
歩行距離:24.8km
歩数 :45539歩
最高気温:21.2℃
最低気温:13.1℃[大洲市]
今回は、落合トンネルはパスし、旧道らしき道があるようなので、そちらを探検してみた。落ち葉に覆われた狭い道が続く。小雨で薄暗くなりつつある、寂しい道を進む。
昔のへんろ石も残っており、以前はこの道が使われていたことが分かる。鴇田(ひわた)峠への分岐点には、かなり薄くはなっていたが、へんろ札も残っていた。
そのまま道なりに進み、旧広田村へと入って行った。
一巡目の時には「たちばな旅館」に泊まったので、今回は「ゑびすや旅館」の方に予約をした。
ここの食事も食べきれないくらいに出される、と聞いているので、これを完食することが目標である。
一旦、国道に入ったが、再び村の中の道へと入って行く。分岐にはゑびすや旅館の看板が立っているので、迷わず行くことが出来た。
宿前に到着したが、もう100mほど先の自販機で飲み物を買い込んでから、「ゑびすや旅館」へと入った。
本日のコースタイム
うめたこ旅館6:59→道の駅内子フレッシュパークからり10:05→大瀬休憩所12:20→14:11ヘンロ小屋第38号内子14:32→16:31ゑびすや旅館
歩行距離:24.8km
歩数 :45539歩
最高気温:21.2℃
最低気温:13.1℃[大洲市]
2013年05月03日
【243】歩き遍路29日目〈その5〉[2012年4月19日]
いよいよGWとなりました。一番、歩き遍路が多い時期でしょうか。三巡目の歩きを開始することも考えたのですが、今回はお休みし、自宅で引きこもることにしました。元々、出不精なタイプなのです。もう少し暑くなったら、活動を開始したいと思います。
突合の集落に入ると、地元の車椅子の青年が話し掛けてきた。トンネルが出来たからこっちは遠回り、と教えてくれたのだが、昔からの道を歩きたいからこちらに来た、と説明する。
突き当りに、噂の「さかえや旅館」があった。女性の方の姿があったが、自分を見かけると急に中へと入って行った。何か渡されるのだろうか、なぜかあわてて先へと進んでしまった。ちょうど商店があり、道路から一段入った所に自販機があったので、そこに入った。
谷間の道を進むと、先程のトンネルからの立派な道と合流、そこに新しい「ヘンロ小屋第38号内子」が出来ていた。せっかくなので、ここで休んでいくことにした。
この頃から、ポツポツと雨が降ってきた。そう言えば、午後から天気が崩れる予報が出ていたはずだが、あまり気にしていなかった。
歩道付きの立派な道が続く。谷が狭くなり、両側の山が迫ってきている。
小雨の中歩き続け、ヘンロ小屋から50分ほどで、中田渡の集落辺りに到着。ここにある、薬師堂の下で雨宿りしながら休憩とした。
今日の宿は、砥部町(旧広田村)の「ゑびすや旅館」にお願いしてある。近くの「たちばな旅館」共々、以前はへんろ地図に掲載されていたのだが、なぜか削除されてしまっていた。
それが、今年3月に発行された新しいへんろ地図には、再掲載されていた。
大洲市から30㎞ちょっと、と良い立地条件、両方とも食事が豪華で親切に応対してくれる宿である。
突合の集落に入ると、地元の車椅子の青年が話し掛けてきた。トンネルが出来たからこっちは遠回り、と教えてくれたのだが、昔からの道を歩きたいからこちらに来た、と説明する。
突き当りに、噂の「さかえや旅館」があった。女性の方の姿があったが、自分を見かけると急に中へと入って行った。何か渡されるのだろうか、なぜかあわてて先へと進んでしまった。ちょうど商店があり、道路から一段入った所に自販機があったので、そこに入った。
谷間の道を進むと、先程のトンネルからの立派な道と合流、そこに新しい「ヘンロ小屋第38号内子」が出来ていた。せっかくなので、ここで休んでいくことにした。
この頃から、ポツポツと雨が降ってきた。そう言えば、午後から天気が崩れる予報が出ていたはずだが、あまり気にしていなかった。
歩道付きの立派な道が続く。谷が狭くなり、両側の山が迫ってきている。
小雨の中歩き続け、ヘンロ小屋から50分ほどで、中田渡の集落辺りに到着。ここにある、薬師堂の下で雨宿りしながら休憩とした。
今日の宿は、砥部町(旧広田村)の「ゑびすや旅館」にお願いしてある。近くの「たちばな旅館」共々、以前はへんろ地図に掲載されていたのだが、なぜか削除されてしまっていた。
それが、今年3月に発行された新しいへんろ地図には、再掲載されていた。
大洲市から30㎞ちょっと、と良い立地条件、両方とも食事が豪華で親切に応対してくれる宿である。