2015年06月19日
【484】第18回 区切り打ち 帰宅[2014年2月11日]

高速鳴門西バス停を目指す。
(2)極楽寺でトイレを借りて再出発、道路を歩いていると、夫婦のお遍路さんがやって来る。あいさつを交わしてすれ違う。二人連れのおばあさんも歩いてくる。軽装だったので、部分的に歩いているのだろう。
こちらに向かって手を合わせてくれた。遍路を続けていると、信仰心篤き方に時折出会う。なぜだかホッとする。

何度か利用したこのバス、次の停留所を示すポロロロ~ンの音色が懐かしい。
県境のトンネルを抜けると、右手に引田付近の街並みと海がきれいに見えた。この景色に憧れて、今回この遍路旅に出てこの辺りを歩きたい、と思ったのもある。
志度バスストップで下車し、車を受け取る。そのまま帰るのも何なので、今回歩いた道を車で辿ってみた。
真っ暗闇の中歩いた、白鳥温泉への道。こんな場所を闇の中歩いていたのかと驚く。(88)大窪寺への道は改良がさらに進んでいた。
国道11号線に出て徳島方面へ。今朝出発した、オーシャン引田の前を通り、鳴門ICから高速に乗り、金沢へと向かった。
今回の歩き遍路は、これまでの遍路旅の中でも特に印象深く、中身の濃い4日間となった。
[完]
本日のコースタイム
ビジネスホテルオーシャン引田6:58→8:31大坂峠展望台8:39→9:34大坂口番所跡→11:06(3)金泉寺11:56→13:06高速鳴門西バスストップ→




歩行距離:10.2km(金泉寺まで)+α
歩数 :25742歩
最高気温:5.3℃
最低気温:1.4℃[旧引田町]
歩き遍路第二拝 第8回区切り打ち 終了
2015年06月14日
【483】歩き遍路51日目〈その7〉[2014年2月11日]

簡易テントの休憩所は今だ健在で懐かしい。二巡目を始めた時に、福山のAさんと出会ったのがここだった。
紅い梅の花が早くも咲いているのが印象的だった。
本堂・大師堂で般若心経を唱え、今回の遍路旅はここ(3)金泉寺にて打ち止めとした。
納経書きの方は、至って丁寧だった。
本年は四国霊場開創1200年ということで、紫色の記念スタンプが押され、通常の御影とは別に、赤い記念御影も頂いた。今年5月まで、この特別対応が続いていたようである。ぜひ、これらを頂きに遍路に出たいと思わせるものだった。

参拝など、まだ慣れていない様子が窺え、微笑ましい。一度山門を出て、再び戻って来ていた。おそらく、あのあぜ道の遍路道から直接境内に入ったからだろう。
ゆっくりと休憩し、満願となった(3)金泉寺を後にした。
2015年06月09日
【482】歩き遍路51日目〈その6〉[2014年2月11日]

右がとくしま、左がさぬき、と書かれていた。あわ、でない所に違和感があるが、現代の言葉では、右が徳島市、左が香川県ということになるのだろう。
その少し先に、通常の(4)大日寺へと続く遍路道が見えている。これでようやく輪が繋がったということになる。
(3)金泉寺に向かって逆打ちする形で歩いて行く。
遍路石があったので、観察したり写真を撮ったりしていると、左手の先に見覚えのある赤い鳥居があった。いつの間にか、金泉寺の門前に到達していた。

雪がちらつく寒い日だった。
今日も、雪こそ降っていないが同じように冷え込んでいる。一年で一番寒い時期ということだろう。
金泉寺の山門に向かって歩いて行くと、門から出てくるお遍路さんを発見した。今回の遍路旅4日目にして、ようやく歩き遍路さんを見掛けた。
菅笠や金剛杖は持っていないが、白衣は着用している。リュックと手提げを手に持って歩いている。すれ違いざまに挨拶してみると、元気良く返答があった。まだまだ歩いてゆけるだろう。
2015年06月04日
【481】歩き遍路51日目〈その5〉[2014年2月11日]

この1号線、大坂峠に向かう登り口では狭い道路だったが、ここでは片側一車線の立派な道路となっている。
意外と車が通り過ぎていくのだが、それにしても、乗用車よりダンプの方が多い。この先に採石場でもあるのだろうか。
無味乾燥な道をトボトボと歩いていると、前方から自転車に乗った地元のおっちゃんが坂道を一生懸命上って来る。「もう終わりか~」と声を掛けてくれた。
こんなおっちゃん、数十年前には結構いたような気がするが、だんだん旅に出ても知らない人に声を掛けてくれる方は減ってきている気がする。
確かにもう終わりに近付いているのだが、今回は歩き始めたのが「道の駅ながお」からで、少々変わった遍路行となっているため、あまり実感が湧かない。一応、2年前に與田寺で満願している。

工場の横を通り、小さな踏切を渡る。そういえば、遍路道には小さな踏切が多い。
後で気が付いたのだが、東海図版の地図では、この道には入らずそのまま直進となっていた。
高速道路の大きな橋桁の下を過ぎると、住宅が続くようになった。(3)金泉寺の門前、板野の街である。
左へ誘導する看板が現れたが、遍路道ではないような気がしたので、もう少し道なりに進んでみることにした。
2015年05月30日
【480】歩き遍路51日目〈その4〉[2014年2月11日]

「へんろちか道」と書かれた、石の道しるべがあるが、字が上手じゃないというか、幼い感じがする。この字体の遍路石も時折見掛ける。
この道に入って行く。道幅は広くなり、石畳も見られる。きっとこの道が、県境を越えて続いていた、廃道になりつつあった幅の広い道の続きだろう。
初めて歩く道ということもあり、写真を撮り、周囲をよく見ながら歩いていたため、ずいぶんと時間が掛かってしまった。
ようやく麓の静かな町まで下りて来た。「大坂口御番所跡」があり、歴史の案内板やベンチがある。

踏切を渡り、しばらくはJR高徳線に沿って歩いて行く。時折、特急電車などが通過していく。
自分が電車に乗って四国を離れる時などは、お遍路さんが歩いていないかと、目を凝らして車窓を見て、発見すればまだ歩けることを羨ましく思うものだが、自分の姿を見て同じような心境になっている乗客はいたのだろうか。
トボトボと車道を歩き、阿波大宮駅という、小さな田舎の駅に到着した。ここで一休みすることにした。駅に人影は無いので、ホームに出たり自由に過ごす。大坂峠ハイキング下車駅、と古い看板が残っていた。汽車でハイキングに来る、そんな時代もあったのだろう。
2015年05月25日
【479】歩き遍路51日目〈その3〉[2014年2月11日]

真冬の風ほど寒いものは無い。今回の遍路初日に、しんしんと雪が降りしきる中を歩いていた時には、確かに歩きにくかったのだが、風は無かったので寒さはそれ程感じられなかった。この時の方がまだ良かったように思える。
200m戻って、遍路道に合流する。歩きの道を下って行くと、車道を横切る。右は板野町、左は鳴門市と看板が出ている。お腹もすいたことだし、この合流地点で一休みすることにした。
おにぎりやお菓子を食べる。天気は良いのだが、気温が低く風も吹いているので、寒くて鼻水がポタポタと落ちていく。
青年が一人、山から降りて来て通過していった。今日は日曜日なので、日帰りトレッキングだろうか。

手すりを利用して降りていきたい所だったが、ちょうど前方より手すりに掴まりながら上ってくる人が。先程、上り道で追い越して行った方のようだ。麓まで下りて、また戻って来たのだろうか。
階段の真ん中を下ったが、少々バランスを崩して声が出てしまった。その声を聞いてか、道を譲ってくれた。
お顔を拝見すると、結構年をとっている感じの方だった。上りで追い抜かされた時などは、その体つきからもっと若い方かと思っていた。休日にはこの山を往復して、身体を鍛えているのだろうか。
身近に、こういった歴史のある峠道があってうらやましいものである。
2015年05月20日
【478】歩き遍路51日目〈その2〉[2014年2月11日]

展望休憩所への道しるべがあった。遍路道を外れるので、行こうかどうか少々迷ったが、数百m坂を上り、立ち寄ってみた。
麓の町は木々に遮られて見えず、瀬戸内海は眺められるものの、歩いていても同じ眺望が楽しめる。
ここの展望所は今一つだったが、県境を越えたもう一つの展望所は素晴らしい景色が広がっていた。
遍路道に戻る。写真を撮りながらのんびり歩いていると、颯爽とハイカーが追い抜いていってビックリした。人間に会うとは思いもよらなかったので、驚いた。
四国のみちの県境を示す立杭がある。下って行く道が続いているのだが、木が生えて自然に帰りつつあり、右上方への歩きの道へと誘導された。何か変だなあと思いつつも、擬木の階段を上る。

木に菅笠がしっかりと括り付けられている。結願間近のお遍路さんが奉納していったのだろうか。
急な擬木となり、一部、踏み固められた雪でツルツル状態のため、手を付いて上った。
上りきった所で、右0.2km大坂峠休憩所の標識がある。
先程寄り道した展望所が今一つだったこともあり、素通りしようかとも思ったが、せっかくここまで歩いて来たので、行ってみることにした。
さらにツルツルの階段を登っていくと、山の頂上らしき開けた場所となった。引田の街だけではなく、白鳥や高松市内までの展望が開けていた。小豆島や本州も見えるらしいのだが、どこがどこなのか分からず特定は出来なかったが、遠くまで見渡すことが出来た。
2015年05月15日
【477】歩き遍路51日目〈その1〉[2014年2月11日]

午前7時過ぎに宿を出発する。
部屋を出て、フロントへあいさつに行くべきかどうか考えているうちに、奥さんが出てきてくれた。駐車場にカメラが設置されているのだろうか。
国道を昨日の分岐まで少し戻り、大坂峠へと向かう。県道1号線を少し進み右折すると、両側に木造の住宅が並ぶ、渋い一角があった。
JRの線路をくぐってすぐに左折となる。ここは、ぼんやりしていると、そのまま直進してしまいそうだった。
突き当たりから山道となった。車が通れそうなほどの幅の土の道が続いていく。ツツジの花の一部が、もう咲き始めていた。

新しい遍路石が大坂峠へと誘導してくれているが、その袂に花が供えられている。周囲に人家は見当たらないが、麓の方がしてくれているのだろうか。遍路石にお花も珍しい気がする。
山道を上って行くと、「大坂峠みちの移り変わり」という案内板があった。
道の歴史、そして詳細な地図が書いてある。今歩いているのは、旧道(四国のみち)となっているが、旧旧道(最も古い道)という道があり、昨日泊まったホテルの手前の道が、旧旧道にあたるようだった。
2015年05月10日
【476】歩き遍路50日目〈その10〉[2014年2月10日]

ホテルの手前に、「文化庁選定 讃岐街道 大坂峠越 歴史の道百選」と書かれた看板がある。
明日は、先程の分岐まで戻らず、この道からも行けるようだが、へんろ地図に従って、一応少し戻って大坂峠へ向かうことにする。
翌日分かったのだが、ホテルの横から入る道は、大昔、初期の頃の峠へ向かう道のようだった。

そう言えば、遍路宿では煎餅布団が多いが、今回宿泊した三軒とも、きれいな布団であった。
身体が暖まらないので、毛布に包まって、テレビを見ながら過ごした。
ビジネスホテルオーシャン引田:素泊まり 4000円 〈3号室・14畳くらい?〉
※洗濯は可能だが、お願いしなかったので値段は?
シーツ・パジャマ・小さな湯沸かし器(茶・コーヒー)、冷蔵庫、洗面用具あり、自販機なし
宿泊客:?人
本日のコースタイム
白鳥温泉8:28→10:18しろとり物産センター10:42→11:45東照寺12:01→12:22白鳥神社13:24→16:05讃岐相生駅16:11→16:33ビジネスホテルオーシャン引田
歩行距離:22.2km
歩数 :34559歩
最高気温:5.2℃
最低気温:2.6℃[引田]
2015年05月06日
【475】歩き遍路50日目〈その9〉[2014年2月10日]

一旦、国道に出るが、すぐに旧道へと入りしばらく進むと、県道1号線の標識が見えてきた。
明日はここから右方向へ行き、大坂峠へと向かう。
今日は、もう少し先の「ビジネスホテルオーシャン引田」に泊まるので、再び国道に出た。ローソンがある。今日の宿は、食事付なのか、予約の時に聞くのを忘れてしまった。恐らく素泊まりと思うので、夕食を買っていこうかとも思ったが、念のため、まずは宿に入ることにした。
ローソンから宿まで100m弱だろうか。歩道は向こう側にあったが、あと少しなので、人一人歩けるだけの路側帯を歩いていた所、これまでの遍路で一番の恐怖が。

午後4時半過ぎ、「ビジネスホテルオーシャン引田」に到着した。サービスタイム〇〇円と書かれた看板がある。元ラブホテルと思っていたが、現役のようだ。
入り口はどこか、とウロウロしていると、奥さんが出て来て案内してくれた。予約の電話の時と同じく、感じの良い方だった。
受付をし、お接待のスポーツドリンクを頂き、部屋に案内してもらった。やはり素泊まりのようで、先程のローソンか、隣にあった食堂が手頃な値段で食事が出来るとの事だった。
身体が冷え切っていたので、すべきことは早くしてしまおうと、荷物を降ろしてすぐに夕食の買出しに向かった。
2015年05月02日
【474】歩き遍路50日目〈その8〉[2014年2月10日]

水谷屋旅館という、営業しているのかは分からないが、レトロで印象的な建物があった。
少し先に、またも遍路石があるが、半分以上、地面に埋まっている。はっきりと文字が見え、大坂越、そして一本松と刻まれている。三本松は與田寺の辺りだったが、一本松とはどこになるのだろうか。
引田の街を抜け、引き続き旧道を選びながら歩いて行く。へんろ地図に「東海寺」と掲載されているので、立ち寄ったつもりが違う寺名が書かれている。近くにあるのだろうが、通過することにした。

国道から100mほど入った所に駅舎が見えたので、休憩がてら立ち寄ってみることにした。讃岐相生駅である。楠だろうか、大きな樹が目立っている。
四国のみちがここを通っているようで、讃岐相生の説明版があった。
和三盆の製造が盛ん、そして、あの東京ブギウギの笠置シヅ子の出身地ということだった。もちろん、現役の歌手時代は知らないが、家族そろって歌合戦の審査員だったことで記憶に残っている。
ベンチに荷物を下ろして、一休みする。ホームに出てみると、田んぼが広がっており、犬の散歩をしているおじさんの姿が見えた。のどかなひと時である。
2015年04月28日
【473】歩き遍路50日目〈その7〉[2014年2月10日]

そう遠くは無いので、立ち寄ることにした。オープンしたてのようだった。スパゲッティを買い、店の端の外でしゃがんで食べる。これでようやく、お腹は落ち着いた。
旧道を進み、写真の場所で踏切を渡り、国道11号線に合流した。
引田ICを過ぎ、橋を渡ってから、東海図版の地図に従い、左の方の旧道へと入った。すぐに「こんひら志ろとり道」と書かれた石造の道標があった。今歩いている道が、昔からの道だということが分かる。

じっくりと遍路石を観察している所に、軽自動車が勢いよく脇道へと入って行った。よく無事に、車にぶつけられることなく、今までこの場所に立っていたものである。
引田の市街地に入って来た。
引田の港は、物産の集散地として賑わい、街中には古い建物が所々に残っており、醤油醸造で栄えた、との事である。
街中で右折する場所にも、遍路石が残されていた。
へんろ地図に、こちらのルートも赤い線を引いてあっても良いのでは、と思う。急ぐお遍路さんは、自分で国道を選択するだろう。
2015年04月24日
【472】歩き遍路50日目〈その6〉[2014年2月10日]

遠くに赤い立派な鳥居が見えている。白鳥神社関係の鳥居だろうか。
市街地を抜け、国道11号線に出て来た。少しだけ国道を歩く。お腹がすいてきたので、前後を見渡して飲食店を探して見る。一軒見つかったが定休日、他には無さそうである。
東海図版の四国遍路地図では、これから旧道へと入っていくので、この辺りで腹ごしらえをしておかなければと思っていたのだが、諦めて旧道へと入った。

久々の遍路シールもあり、左を指している。うれしかった。
なぜここに貼ってあるのかと思ったが、この場所でへんろ地図のルートと合流していた。
鳥居には白鳥の文字が見られる。この場所まで白鳥神社の社有地だったのだろうか。神社からはかなり歩いている。
旧道を進んで行く。遠くに線路と国道が見えている。車が行き交っている道路を横目に、静かな道を歩いて行く、穏やかで楽しいひとときである。
「森権平庵」という小さなお堂があった。お立ち寄り帳があったので、パラパラと眺めてみると、最近地元のテレビで放映されたようで、結構な書き込みがあった。
2015年04月20日
【471】歩き遍路50日目〈その5〉[2014年2月10日]

社務所があり、インターホンがあったので納経はしてもらえるのか聞いてみると、すぐ行きますね、との事だった。納経して頂けるようだ。
お経を唱えたのではないので、この場合は、ご朱印は頂けますか、と言うべきだった。
程なく宮司さんがやって来て、納経帳をお渡しする。どんな風に書けば、といったような事を聞かれたが分からないので、適当に‥とお答えする。
ご朱印を押し、日付を書いてくれた。日付の記入は記念になるのでありがたい。

長い回廊があり、習字や演武大会での集合写真などがずらりと並んでいる。
中には、弘化元年と書かれた額もある。江戸時代のものが、こんなにもはっきりと残っているものなのか。
神社の裏は松林となっており、少し歩くと「御山 日本一低い山 三・六メートル」の石柱があった。少し小高くなっている感じは無く、平地の一部分といった印象だ。記念撮影をする。
門を出て、駐車場の奥に、樹齢約800年といわれるクスノキがあった。間近で見るとかなりの迫力である。
2015年04月16日
【470】歩き遍路50日目〈その4〉[2014年2月10日]

静かな本堂内では、係の方が厄除けのための商品を細々と販売していた。少々、お経が唱えづらい。
看板によると、弘法大師が満濃池の修築後にここへ立ち寄って、薬師如来像を作ったとのことである。
納経をお願いしてみると、やっていない、との事だった。
「東照寺」を出ると、賑やかな国道11号線を横断する。百十四銀行がある。銀行名が数字になっているのは、地元では見掛けないので、結構面白い。なぜ114なのだろうか。

その前に、神社の前にあるおもちゃ屋さんに、興味がいった。今時、個人商店のようなおもちゃ屋さんは珍しい。
中をのぞいて見ると、「くまもん」のぬいぐるみもあるから、何年も時代が止まったまま、同じ商品が置かれている、というわけでは無さそうである。
広い境内の大きな神社で歴史があることが感じられるが、人影は見られない。ウォーキングの方が立ち寄っていったくらいである。
神社の縁起によると、日本武尊の霊が、白鳥になってこの地に舞い降りたのが始まりとされる、という壮大なものであった。四国八十八ヶ所巡りの最後に、この白鳥神社で参拝をして住んでいる場所に帰っていくには、十分足りうる貫禄のある神社だった。
2015年04月12日
【469】歩き遍路50日目〈その3〉[2014年2月10日]

歩き始めて1時間以上経っているのでそろそろ休憩したいのだが、やはり一般の遍路道では無いからだろうか、ゆっくり出来そうな場所は見つからない。
橋を渡ってすぐ、右に入る旧道らしき道があったのでそちらに入る。東海図版の地図でも、ピンクの点線となっていた。
旧道を出たところに、「しろとり物産センター」という建物があった。屋根付きの場所がある。ようやく一休み出来そうだ。
週に一日だけ開いているようで、今日は人の気配がしない。自販機もあり、紅茶を買った。正式な休憩所では無いものの、あまり人の目に触れずに腰を下ろせる、良い場所であった。

高速道路をくぐる。左手に、四国のみちの簡単な休憩所がある。
東海図版の地図では、この辺りにオレンジの廃道の点線が引いてあるので、少し国道を逸れてみたが、よく分からないので、再び国道に戻った。
旧白鳥市街に近付いてきて、遍路シールも貼ってある分岐を右に入る。へんろ地図にも掲載されている「東照寺」に立ち寄ってみることにした。「厄除 田ノ口薬師」という真新しい看板がたくさん出ているが、東照寺の文字は見当たらない。
薄くなった遍路シールに、黒マジックで右方向へと塗りつぶしてあり、指示に従った。「田ノ口薬師」があるが、植栽に遍路札がぶら下がっていたので、中へと入る。やはり、「田ノ口薬師」が「東照寺」のことだった。
2015年04月08日
【468】歩き遍路50日目〈その2〉[2014年2月10日]

ダスキンの同じ車に、何度も抜かれる。この辺りの家々でモップを取り替えては進んでいるのだろう。
歩き遍路と同じで、何度も顔を合わせているうちに、親近感が湧いてきた。
與田寺との分岐に到着した。「へんろみち保存協力会」の道しるべもあり、「直進 白鳥神社 金泉寺直行」となっている。ここを真っ直ぐである。初めて歩く道となるので、楽しみである。
国道377号線を進んでいくが、旧道らしき道があればそちらに入っていく。與田神社と、学校跡のような建物がある。與田寺と関係あるのだろうか。

帰ってから調べてみると、「ロウバイ」というらしい。南国だけの木かと思ったが、兼六園の素心蝋梅が咲いたという新聞記事が出ていたので、そうでもないようだが、地元ではあまり見掛けない樹木である。
旧道を抜けると、福栄小学校がある。東海図版の地図では、ここを入って行くように書いてあるので左に曲がった。しばらく進むと、川の手前にある家の方が出て来て、昔は橋があったけど今は無くなって、川を渡れない、と教えてくれた。小学校まで戻らなければ、との事だった。
短い距離だったが、引き返すことにする。同じ道を戻るのは嫌なので、微妙に道を変えて、国道へと戻った。
橋を渡り、再び田舎道へと入り、消えた橋の反対側へと向かい、続きと思われる道を探し出して進んで行った。西山という集落で、国道318号線に入り左折した。
2015年04月04日
【467】歩き遍路50日目〈その1〉[2014年2月10日]

朝7時から8時まで、宿泊者のみ入浴が可能だったので、朝風呂を楽しむことにした。
宿泊者が多い感じでは無かったので、貸切であった。
入浴後、8時過ぎに朝食とした。
こんなに遅い朝食は、歩き遍路中では初めてかも知れない。朝食は7時半から8時半の間に、という事だった。
いつもだったら食べずに出発となる時間からなのだが、昨日頑張ったので今朝はゆっくりと過ごすことにした。
いつも朝食の時には、食欲が無いながらも出された物は食べきるのだが、今日は吐くほどではないものの、少々気持ち悪さがある。ご飯を半分ほど残してしまった。
便の色も黒っぽく、自覚症状は無いものの体調が悪いのかも知れない。昨日の無理が祟ったのだろう。

午前8時半過ぎに支払いをし、チェックアウトする。フロントのおじさんによると、もう一人お遍路さんが泊まっていたそうで、朝早く出発していったそうである。きっと、(1)霊山寺に向かったのだろう。
帰宅後、このお遍路さんもブログを立ち上げており、偶然にも発見したのには驚いた。もちろん、こちらの存在には気付いていなかった。
本日は、前回参拝した與田寺には立ち寄らずに、白鳥神社経由で引田へと向かう。一部、へんろ地図には赤い線が入っていないコースである。今日は、東海図版の「四国遍路地図」に従って歩いて行くことにしている。
この地図は、昔の道を忠実に辿らせてくれる。
2015年03月28日
【466】歩き遍路49日目〈その21〉[2014年2月9日]

昨日は10畳の部屋だったので、エアコンでは部屋が暖まりきらずに寒かったのだが、今日は6畳間なのでポカポカしている。
床に就くが、隣の部屋の話し声が少々うるさい。と言っても、普通に話している程度なのだが。
前回宿泊した時には気が付かなかったが、壁が薄いようである。
12時頃まで話しているのが聞こえたが、その内眠りについてしまった。
白鳥温泉:一泊二食 6800円 〈梅・6畳〉
※洗濯機200円・乾燥機30分100円が1台ずつ、シーツ・お茶あり、自販機あり
宿泊客:歩き遍路2人、一般客数人
本日のコースタイム
奥の湯温泉6:22→大屋敷橋7:41→9:14さぬき温泉分岐9:32→9:46[20]大滝寺10:11→13:12夏子休憩所13:36→14:39長谷分岐→15:26旧多和小学校15:43→17:37五名トンネル→18:45白鳥温泉
歩行距離:35.4km+α
歩数 :67161歩
最高気温:6.7℃
最低気温:0.1℃[高松・香南]
2015年03月24日
【465】歩き遍路49日目〈その20〉[2014年2月9日]

到着が遅かったので、先に食事となった。洗濯機・乾燥機はあるとの事で、汚れた衣類を入れ、廻しておく。
左足の甲の部分が、かなり腫れている。長靴を履いたまま下り道を歩き続けたので、親指がずっと靴の先端に当たり続けたためであろう。
骨が変形してしまったのかもと心配だったが、すぐに腫れもひいて、大丈夫だった。
二年前にも利用した食堂へと向かう。懐かしい。一泊二食で予約をしたが、素泊まりにして、別に食事を頼むことも出来るようだ。
浴衣姿で食事をしている方が一組、食事だけの方は二人、後に家族連れもやって来た。
常連らしきおじさんが、賄いの方へ楽しそうに声を掛けて帰って行った。前回泊まった時にも、同じような方がいらっしゃったような気がする。

夕食の後は、温泉である。午後9時までとなっている。駐車場は広いのだが、浴室自体は大きくはない。
どんなお風呂だったかすっかり忘れてしまっていたのだが、中に入って鮮明に思い出した。
温泉の広い浴槽と、水道水を沸かした小さな浴槽、サウナと水風呂がある。
歩き遍路旅での温泉は、最高の贅沢である。