2025年01月24日
【4巡目-137】 22番平等寺から、国道経由、23番薬王寺へ① [2023年2月21日-その2]
(22)平等寺前には、新野駅への木造看板があった。
もう字が消えかかって無くなりそうなので、写真を撮っておく。
ここからの遍路道はちょっと退屈な道のりだったなあ、という印象があったが、今回はそういう感じがしなかった。
所々に石仏があったりする。
(23)薬王寺まで、食料を調達できる場所が無いことが、不便な区間でもある。
のどかな田園地帯を進むと、新しいヘンロ小屋が出来ていた。
「ヘンロ小屋第58号月夜」という事で、調べてみると、令和4年11月完成、となっていた。ほんの三ヶ月前である。
「山茶花」から40分程の距離の場所である。
「月夜」、というバス停が目の前にあるのが良いですね。
番外札所の「月夜御水庵」へとやって来る。
地元の神社位の小さな場所である。ここを通り抜けるように、遍路道が続いている。
車道に出てしばらく進むと、何やら石仏のある落ち葉に覆われた道があった。
ここが昔からの遍路道なのだろうか、とも思ったが、東海図版の四国遍路地図を調べても違うようで、よく分からなかった。
もう字が消えかかって無くなりそうなので、写真を撮っておく。
ここからの遍路道はちょっと退屈な道のりだったなあ、という印象があったが、今回はそういう感じがしなかった。
所々に石仏があったりする。
(23)薬王寺まで、食料を調達できる場所が無いことが、不便な区間でもある。
のどかな田園地帯を進むと、新しいヘンロ小屋が出来ていた。
「ヘンロ小屋第58号月夜」という事で、調べてみると、令和4年11月完成、となっていた。ほんの三ヶ月前である。
「山茶花」から40分程の距離の場所である。
「月夜」、というバス停が目の前にあるのが良いですね。
番外札所の「月夜御水庵」へとやって来る。
地元の神社位の小さな場所である。ここを通り抜けるように、遍路道が続いている。
車道に出てしばらく進むと、何やら石仏のある落ち葉に覆われた道があった。
ここが昔からの遍路道なのだろうか、とも思ったが、東海図版の四国遍路地図を調べても違うようで、よく分からなかった。
タグ :歩き遍路ヘンロ小屋第58号月夜
2025年01月19日
【4巡目-136】 山茶花⑥、22番平等寺 [2023年2月21日-その1]
朝食は午前6時から可能だったが、今日は時間に追われていないので、他の方と同じく6時半でお願いした。
女性二人組とおじさんは、今日は(23)薬王寺まで歩いて、それぞれ最近出来たと思われるゲストハウスのような所に泊まるそうである。
「B&B~」だったか、色々な新しい宿が出来ているようで、ついていけなくなってしまった。
朝食後、7時を回った所で、宿のサンダルを借りて、(22)平等寺へ昨日間に合わなかった納経をしに行って来た。
「つっかけ」で納経に出向けるとは、貴重な経験である。
宿内に置いてあった、お接待のお菓子などを少々頂いて、午前7時半近くに「山茶花」を出発した。
本日は、国道経由で星越峠を越え、(23)薬王寺まで歩いてから帰宅予定である。
女性二人組とおじさんは、今日は(23)薬王寺まで歩いて、それぞれ最近出来たと思われるゲストハウスのような所に泊まるそうである。
「B&B~」だったか、色々な新しい宿が出来ているようで、ついていけなくなってしまった。
朝食後、7時を回った所で、宿のサンダルを借りて、(22)平等寺へ昨日間に合わなかった納経をしに行って来た。
「つっかけ」で納経に出向けるとは、貴重な経験である。
宿内に置いてあった、お接待のお菓子などを少々頂いて、午前7時半近くに「山茶花」を出発した。
本日は、国道経由で星越峠を越え、(23)薬王寺まで歩いてから帰宅予定である。
2025年01月14日
【4巡目-135】 山茶花⑤ [2023年2月20日-その23]
三巡目の男性の方の話は、なかなか興味深かった。
他にも変わったルートを選んでいるに違いなく、もっと話を聞きたかった。
夕食は結局、先程、道の駅で「ナカシカバーガー」のセットを食べたばかりにも関わらず、ご飯をお替りして3杯も食べてしまった。相変わらずである。
食事は文句なしなのだが、トイレだけがちょっとだった。男女共用なので、用を足している姿を女性に見られてしまう可能性がある。
今回は、たまたま男性の方との遭遇だったので助かったが。
宿に置いてあった名刺によると、バストイレ付きの個室がある、との事である。
宿の奥の方にあるのだろうか、どこが個室なのか分からなかった。
山茶花:一泊二食 7500円が徳島割で6000円 〈大広間〉
※洗濯機2台・乾燥機2台、おそらく無料。自販機、外にあり。朝食は6時から。
宿泊客:歩き遍路4名
他にも変わったルートを選んでいるに違いなく、もっと話を聞きたかった。
夕食は結局、先程、道の駅で「ナカシカバーガー」のセットを食べたばかりにも関わらず、ご飯をお替りして3杯も食べてしまった。相変わらずである。
食事は文句なしなのだが、トイレだけがちょっとだった。男女共用なので、用を足している姿を女性に見られてしまう可能性がある。
今回は、たまたま男性の方との遭遇だったので助かったが。
宿に置いてあった名刺によると、バストイレ付きの個室がある、との事である。
宿の奥の方にあるのだろうか、どこが個室なのか分からなかった。
山茶花:一泊二食 7500円が徳島割で6000円 〈大広間〉
※洗濯機2台・乾燥機2台、おそらく無料。自販機、外にあり。朝食は6時から。
宿泊客:歩き遍路4名
2025年01月09日
【4巡目-134】 山茶花④ [2023年2月20日-その22]
もう一方、三巡目という男性の通しの歩き遍路さんの話が、なかなか興味深かった。
恐らく、70代半ば以上だろう、これが最後の遍路、という事で、かなりマニアックな道を歩く予定をしていた。
本日は、(20)鶴林寺で見掛けたが、その後、「かも道」を歩いて宿にやって来たという。
それにしては早い到着だなあ、と思ったら、(21)太龍寺からはロープウェイ、山口集落までバスを使い、大根峠はパスして宿入り、との事だった。なかなか面白いコース取りである。
他にも、「月山神社」に立ち寄るそうだが、海岸沿いにあるグネグネの旧道を歩くそうである。
通行止なのでは、と尋ねると、Googleマップで歩けると確認済み、との事である。
そして、何と篠山神社にも参拝し、反対側へ降りて「みまきガーデン」を既に予約済み、という話であった。
昨冬に泊まらせてもらった、懐かしの宿である。
1000人に一人位しか選ばないようなルートだろう。
もっとたくさん話をしたかったのだが、時間が無くなってしまった。残念である。
無事に結願されただろうか。
恐らく、70代半ば以上だろう、これが最後の遍路、という事で、かなりマニアックな道を歩く予定をしていた。
本日は、(20)鶴林寺で見掛けたが、その後、「かも道」を歩いて宿にやって来たという。
それにしては早い到着だなあ、と思ったら、(21)太龍寺からはロープウェイ、山口集落までバスを使い、大根峠はパスして宿入り、との事だった。なかなか面白いコース取りである。
他にも、「月山神社」に立ち寄るそうだが、海岸沿いにあるグネグネの旧道を歩くそうである。
通行止なのでは、と尋ねると、Googleマップで歩けると確認済み、との事である。
そして、何と篠山神社にも参拝し、反対側へ降りて「みまきガーデン」を既に予約済み、という話であった。
昨冬に泊まらせてもらった、懐かしの宿である。
1000人に一人位しか選ばないようなルートだろう。
もっとたくさん話をしたかったのだが、時間が無くなってしまった。残念である。
無事に結願されただろうか。
2025年01月04日
【4巡目-133】 山茶花③ [2023年2月20日-その21]
本年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します。
夕食は期待通り、毎日でも食べたい総菜など、たっぷりと提供してくれた。
本日の宿泊客は4名。
道中、何度か顔を合わせた女性二人組、そして鶴林寺で見掛けた70代半ば位の男性だった。
お三方とも、周りのお遍路さんに関心があるようで、あの人は何とか、などと、他の歩き遍路の話題が上がっていた。自分も同じタイプなので、なかなか楽しい夕食となった。
もう何日か同泊出来たらきっと、思い出に残る遍路旅になったことだろう。
昨日、今日と見掛けた、道の駅かつうらに泊まっていた大きなリュックの男性。
年中周っている方かと思ったら、初めての歩き遍路で、断念して帰りたかった所をお寺の住職に説得されてもう少し続けている、という話だった。
女性二人は、奈良県と愛媛県と、別々の所にお住まいで、宿は一緒にしているが、歩きはそれぞれのペースで、だそうである。
道理で、鶴林寺への道で、奈良の方だけが後ろを付いてきていた訳である。
三人とも通し打ちで、女性の方は6年ぶり二回目の遍路、との事だった。
夕食は期待通り、毎日でも食べたい総菜など、たっぷりと提供してくれた。
本日の宿泊客は4名。
道中、何度か顔を合わせた女性二人組、そして鶴林寺で見掛けた70代半ば位の男性だった。
お三方とも、周りのお遍路さんに関心があるようで、あの人は何とか、などと、他の歩き遍路の話題が上がっていた。自分も同じタイプなので、なかなか楽しい夕食となった。
もう何日か同泊出来たらきっと、思い出に残る遍路旅になったことだろう。
昨日、今日と見掛けた、道の駅かつうらに泊まっていた大きなリュックの男性。
年中周っている方かと思ったら、初めての歩き遍路で、断念して帰りたかった所をお寺の住職に説得されてもう少し続けている、という話だった。
女性二人は、奈良県と愛媛県と、別々の所にお住まいで、宿は一緒にしているが、歩きはそれぞれのペースで、だそうである。
道理で、鶴林寺への道で、奈良の方だけが後ろを付いてきていた訳である。
三人とも通し打ちで、女性の方は6年ぶり二回目の遍路、との事だった。
2024年12月30日
【4巡目-132】 山茶花② [2023年2月20日-その20]
今回は、大舞台のような、広い部屋に案内された。
ここが噂の大広間のようだ。10人以上は楽に泊まれるだろう。
歩き遍路10人位で泊まったら、情報交換も出来て、賑やかで楽しそうである。
ただ、大昔に「龍山荘」や「金子や」で大部屋相部屋があったが、早く寝てしまうお遍路さんがいるので、消灯も早く、窮屈な思いをしたことがある。
先着された方の後、お風呂に入らせてもらう。
以前と変わらず、気持ちの良い石風呂だった。
お風呂の後は、お楽しみの夕食である。
家庭料理満載の食事が提供されることだろう。
本日のコースタイム
みかんの宿7:24→8:31(20)鶴林寺9:01→11:38(21)太龍寺12:35→12:48舎心ヶ嶽13:13→15:04道の駅わじき15:51→17:11(22)平等寺→17:24山茶花
歩行距離:21.2km
歩数 :38788歩
最高気温:12.5℃
最低気温:4.6℃[徳島市]
ここが噂の大広間のようだ。10人以上は楽に泊まれるだろう。
歩き遍路10人位で泊まったら、情報交換も出来て、賑やかで楽しそうである。
ただ、大昔に「龍山荘」や「金子や」で大部屋相部屋があったが、早く寝てしまうお遍路さんがいるので、消灯も早く、窮屈な思いをしたことがある。
先着された方の後、お風呂に入らせてもらう。
以前と変わらず、気持ちの良い石風呂だった。
お風呂の後は、お楽しみの夕食である。
家庭料理満載の食事が提供されることだろう。
本日のコースタイム
みかんの宿7:24→8:31(20)鶴林寺9:01→11:38(21)太龍寺12:35→12:48舎心ヶ嶽13:13→15:04道の駅わじき15:51→17:11(22)平等寺→17:24山茶花
歩行距離:21.2km
歩数 :38788歩
最高気温:12.5℃
最低気温:4.6℃[徳島市]
2024年12月25日
【4巡目-131】 山茶花① [2023年2月20日-その19]
(22)平等寺での参拝を終え、お隣にある本日の宿「山茶花」へ。
宿の外観の写真を撮っていたら、左隣の建物からおじさんが出てきて話し掛けてくれる。
高い所にある本堂から山を眺めると~何とか、と忘れてしまった。明日確認してみますね、と応えた。
山茶花に置いてあった名刺によると、「歩歩小屋」となっており、マッサージや針灸、観光案内をしているそうである。
山茶花さんとはどういう関係なのだろう、旦那さんなのか?と謎だった。
宿に入ると、女将さんが出迎えてくれた。
2011年にも一度泊まっているから、12年振り、という事になる。
その時の記憶とは、随分と雰囲気が変わったなあ、という印象だった。
女性二人組を見掛けなかったか、と聞かれたので、太龍寺で出会ったので、おいおい来られるだろう、とお応えした。
宿の外観の写真を撮っていたら、左隣の建物からおじさんが出てきて話し掛けてくれる。
高い所にある本堂から山を眺めると~何とか、と忘れてしまった。明日確認してみますね、と応えた。
山茶花に置いてあった名刺によると、「歩歩小屋」となっており、マッサージや針灸、観光案内をしているそうである。
山茶花さんとはどういう関係なのだろう、旦那さんなのか?と謎だった。
宿に入ると、女将さんが出迎えてくれた。
2011年にも一度泊まっているから、12年振り、という事になる。
その時の記憶とは、随分と雰囲気が変わったなあ、という印象だった。
女性二人組を見掛けなかったか、と聞かれたので、太龍寺で出会ったので、おいおい来られるだろう、とお応えした。
2024年12月20日
【4巡目-130】 22番平等寺 [2023年2月20日-その18]
大根峠を越え、(22)平等寺を目指す。
17時の納経に間に合えば、と考えていたが、無理そうである。
(21)太龍寺で到着が早いと褒められたのだが、「舎心ヶ嶽」や「道の駅わじき」でゆっくりし過ぎた。
のどかな田園風景の中、歩みを進める。
午後5時になると、辺り一帯に音楽が鳴り始めた。
午後5時10分過ぎに、(22)平等寺に到着した。
前回訪れた時には、時間を過ぎると柵がされて入れないようになっていた。
今回は柵が無かった。お参りだけさせてもらうことにした。
「今こそ四国遍路」によると、大師が杖で井戸を掘ると、乳白色の水が湧きだしてきた、という開運鏡の井戸があるそうである。
探してみると、石段の上り口にありました。
簡易的な蓋がしてあり、今も湧き続けている、という事である。ちょっと覗いてみるが、薄暗くてよく分からなかったが水はあったように思う。
17時の納経に間に合えば、と考えていたが、無理そうである。
(21)太龍寺で到着が早いと褒められたのだが、「舎心ヶ嶽」や「道の駅わじき」でゆっくりし過ぎた。
のどかな田園風景の中、歩みを進める。
午後5時になると、辺り一帯に音楽が鳴り始めた。
午後5時10分過ぎに、(22)平等寺に到着した。
前回訪れた時には、時間を過ぎると柵がされて入れないようになっていた。
今回は柵が無かった。お参りだけさせてもらうことにした。
「今こそ四国遍路」によると、大師が杖で井戸を掘ると、乳白色の水が湧きだしてきた、という開運鏡の井戸があるそうである。
探してみると、石段の上り口にありました。
簡易的な蓋がしてあり、今も湧き続けている、という事である。ちょっと覗いてみるが、薄暗くてよく分からなかったが水はあったように思う。
2024年12月15日
【4巡目-129】 「道の駅わじき」から、大根峠へ [2023年2月20日-その17]
ご当地グルメの「ナカシカバーガー」のセットに、コーヒーをお替りしたり、アイスを頼んだ。
なぜか駄菓子コーナーもあって、これをいくつか購入し、お会計は1975円、と見事2000円内に収まった。
ハンバーガーに鹿の角があるのが可愛いかった。
50分程ゆっくりと休憩して、出発する。
先程のGS跡まで戻るのかと思ったら、早々に遍路シールがあり右折する。
ヘンロ小屋の前を通らずに、遍路道に合流する形となった。
集落外れの農道のような道を進み、大根峠へと向かう。
大した峠では無い印象だったが、今回は意外ときつく感じた。
峠では、この赤い文字の標識が、変わらず出迎えてくれる。
他に、標石など見当たらないのが不思議である。
本来の道は別にあったりするのだろうか。
なぜか駄菓子コーナーもあって、これをいくつか購入し、お会計は1975円、と見事2000円内に収まった。
ハンバーガーに鹿の角があるのが可愛いかった。
50分程ゆっくりと休憩して、出発する。
先程のGS跡まで戻るのかと思ったら、早々に遍路シールがあり右折する。
ヘンロ小屋の前を通らずに、遍路道に合流する形となった。
集落外れの農道のような道を進み、大根峠へと向かう。
大した峠では無い印象だったが、今回は意外ときつく感じた。
峠では、この赤い文字の標識が、変わらず出迎えてくれる。
他に、標石など見当たらないのが不思議である。
本来の道は別にあったりするのだろうか。
2024年12月10日
【4巡目-128】 「道の駅わじき」へ [2023年2月20日-その16]
阿瀬比集落の車道へと到達、程なくして県道と合流した。
18年前、トイレをお借りしようとしたら、トイレは無い(本当か?)と言われてしまったガソリンスタンドは、更地になっていた。
さて、ここからは、「道の駅わじき」へと寄り道しなければならない、と言うのも変だが、「みかんの宿」で頂いた、徳島割クーポンがある。
1000円分だったら無視しようかとも思うが、平日なので2000円分、という事で、これは使わなければならないだろう。
遍路道を外れて、思ったよりもすぐに道の駅が見えてきた。
規模は小さく、平日ということもあり、他に人の姿は無かった。
「道の駅わじき」と言えば、三巡目の時にここに車を止めさせてもらい、(23)薬王寺まで歩き、バスを乗り継いで戻って来た、という思い出のある道の駅でもある。
ちょっとした土産物売り場と、飲食コーナーがあり、うどんなどもあるが売り切れで、数量限定の「ナカシカバーガー」ならあります、との事だった。
那賀町なので、ナカシカバーガーなのだろう。
もう午後3時を過ぎているし、本日の宿「山茶花」では、美味しい家庭料理を品数たっぷり提供してくれるはずである。
今食べなくても、ではある。
ただ、土産物は荷物になるし、という事で、ナカシカバーガーのセットをお願いした。
18年前、トイレをお借りしようとしたら、トイレは無い(本当か?)と言われてしまったガソリンスタンドは、更地になっていた。
さて、ここからは、「道の駅わじき」へと寄り道しなければならない、と言うのも変だが、「みかんの宿」で頂いた、徳島割クーポンがある。
1000円分だったら無視しようかとも思うが、平日なので2000円分、という事で、これは使わなければならないだろう。
遍路道を外れて、思ったよりもすぐに道の駅が見えてきた。
規模は小さく、平日ということもあり、他に人の姿は無かった。
「道の駅わじき」と言えば、三巡目の時にここに車を止めさせてもらい、(23)薬王寺まで歩き、バスを乗り継いで戻って来た、という思い出のある道の駅でもある。
ちょっとした土産物売り場と、飲食コーナーがあり、うどんなどもあるが売り切れで、数量限定の「ナカシカバーガー」ならあります、との事だった。
那賀町なので、ナカシカバーガーなのだろう。
もう午後3時を過ぎているし、本日の宿「山茶花」では、美味しい家庭料理を品数たっぷり提供してくれるはずである。
今食べなくても、ではある。
ただ、土産物は荷物になるし、という事で、ナカシカバーガーのセットをお願いした。
2024年12月05日
【4巡目-127】 平等寺道 [2023年2月20日-その15]
「いわや道」から、「平等寺道」へと入る。
こちらも、国指定史跡となっているから、古くからの道なのだろう。
ただおかしいことに、あれだけあった遍路石が、ぱったりと見られなくなってしまった。なぜだろうか。
写真が、平等寺道で見掛けた、唯一の丁石である。
舎心ヶ嶽を出立してから、なだらかに下る、歩き易い道が続いていた。
このまま麓まで行ければ良いなあ、などと思っていたが、やはりそんなに甘くはなかった。
尾根道から麓へと降りるのだろう、かなり急な下り道となってしまった。
何とか下りきると、へんろ小屋もある阿瀬比集落となった。
廃屋もあったりするが、風情のある小道を進む。
こちらも、国指定史跡となっているから、古くからの道なのだろう。
ただおかしいことに、あれだけあった遍路石が、ぱったりと見られなくなってしまった。なぜだろうか。
写真が、平等寺道で見掛けた、唯一の丁石である。
舎心ヶ嶽を出立してから、なだらかに下る、歩き易い道が続いていた。
このまま麓まで行ければ良いなあ、などと思っていたが、やはりそんなに甘くはなかった。
尾根道から麓へと降りるのだろう、かなり急な下り道となってしまった。
何とか下りきると、へんろ小屋もある阿瀬比集落となった。
廃屋もあったりするが、風情のある小道を進む。
2024年11月30日
【4巡目-126】 いわや道 [2023年2月20日-その14]
舎心ヶ嶽を出ると、二つ目の分岐で、いわや道とふだらく峠への道の分岐となった。
左下方へと下って行く。
十数年前には、いわや道を少し入った所に、この先通行止の看板があった。
そこが歩けるようになったのか、と少々感慨深かった。
丁石など、遍路石が次々と現れ、新しい解説板があって、どんな文字が刻まれているかを教えてくれている。
それらを読みながら進んで行く。
それにしても、ゆるやかな下りの、とても歩き易い道が続く。
このまま下界まで到達出来たら良いのになあ、などと思っていたが、最後に、急勾配の下りがある。
いわや道の終点までやって来た。
分岐があり、案内板によると、「ここから先のいわや道は通行不能」となっており、平等寺道という、別ルートを歩くことになる。
左下方へと下って行く。
十数年前には、いわや道を少し入った所に、この先通行止の看板があった。
そこが歩けるようになったのか、と少々感慨深かった。
丁石など、遍路石が次々と現れ、新しい解説板があって、どんな文字が刻まれているかを教えてくれている。
それらを読みながら進んで行く。
それにしても、ゆるやかな下りの、とても歩き易い道が続く。
このまま下界まで到達出来たら良いのになあ、などと思っていたが、最後に、急勾配の下りがある。
いわや道の終点までやって来た。
分岐があり、案内板によると、「ここから先のいわや道は通行不能」となっており、平等寺道という、別ルートを歩くことになる。
2024年11月25日
【4巡目-125】 舎心ヶ嶽から、「いわや道」へ [2023年2月20日-その13]
食事をしながら、時折通り掛かるロープウェイに向かって手を振ってみる。
写真の中程に、小さくロープウェイが走っている。
遠すぎてはっきり分からないのだが、お客さんが乗っていないのだろうか、反応は見られなかった。残念である。
山から煙が上がっており、火事か、あんな場所に建物があったか、と思ったら、何と「花粉」が飛散していたようである。
テレビで画像は見たことがあるような気はするが、まさか生で見ることになるとは思わなかった。
先程から、花粉症の症状が出始めた所である。
「舎心ヶ嶽」で30分程過ごし、(22)平等寺へと向かう。
「いわや道」への入口には、真新しい注意書きの看板があり、「夏季4時、冬期3時以降の立ち入りは、日没時間となりますので、ご注意下さい」とある。
まだ午後1時半前なので大丈夫である。
以前、ふだらく峠越えでお遍路さんの遭難があり、この道を勧めない動きがあったみたいなので、そういったこともあっての注意喚起なのだろうか。
写真の中程に、小さくロープウェイが走っている。
遠すぎてはっきり分からないのだが、お客さんが乗っていないのだろうか、反応は見られなかった。残念である。
山から煙が上がっており、火事か、あんな場所に建物があったか、と思ったら、何と「花粉」が飛散していたようである。
テレビで画像は見たことがあるような気はするが、まさか生で見ることになるとは思わなかった。
先程から、花粉症の症状が出始めた所である。
「舎心ヶ嶽」で30分程過ごし、(22)平等寺へと向かう。
「いわや道」への入口には、真新しい注意書きの看板があり、「夏季4時、冬期3時以降の立ち入りは、日没時間となりますので、ご注意下さい」とある。
まだ午後1時半前なので大丈夫である。
以前、ふだらく峠越えでお遍路さんの遭難があり、この道を勧めない動きがあったみたいなので、そういったこともあっての注意喚起なのだろうか。
2024年11月20日
【4巡目-124】 舎心ヶ嶽② [2023年2月20日-その12]
舎心ヶ嶽からは、(21)太龍寺のロープウェイ駅は勿論、遠くに見えるのは徳島市街だろうか。
瀬戸内海になるのか太平洋になるのか、海まで見渡す事が出来た。
ただ、物凄い強風で、お大師さんの後ろまでは行けるのだが、高い所がちょっと怖いのもあって前側に回るのは勇気がいった。
銅像にしがみつきながら一周するのが精一杯である。
コンコンしてみると、銅像の中は空洞のようだった。
お大師さんの後ろ側には、人ひとり、ちょっと一休み出来そうなスペースがある。
ここで、「みかんの宿」で持たせてくれた、お接待の昼食を頂くことにした。
こんなに素晴らしい場所を独り占めし、おむすびをほおばるとは、何と贅沢な時間なのだろう、と感慨深かった。
瀬戸内海になるのか太平洋になるのか、海まで見渡す事が出来た。
ただ、物凄い強風で、お大師さんの後ろまでは行けるのだが、高い所がちょっと怖いのもあって前側に回るのは勇気がいった。
銅像にしがみつきながら一周するのが精一杯である。
コンコンしてみると、銅像の中は空洞のようだった。
お大師さんの後ろ側には、人ひとり、ちょっと一休み出来そうなスペースがある。
ここで、「みかんの宿」で持たせてくれた、お接待の昼食を頂くことにした。
こんなに素晴らしい場所を独り占めし、おむすびをほおばるとは、何と贅沢な時間なのだろう、と感慨深かった。
2024年11月12日
【4巡目-123】 舎心ヶ嶽① [2023年2月20日-その11]
「舎心ヶ嶽」へと向かう。
「ここからはお大師様がお迎えにこられます 御宝号をお唱えしながら登りましょう」と、石碑がある。
神聖な場所に立ち入るようで、ちょっと緊張する。
10分程で「舎心ヶ嶽」に到着した。
御朱印を受ける方は納経所へ、と看板があった。
知っていたら書いてもらっていたのだが。
さて、ここからが本番である。
確かに、崖っぷちのお大師さんに向かって鎖が続いている。立入禁止ではないようだ。
岩をよじ登って、お大師さんの元へとたどり着くことが出来た。
ようやく念願達成である。
この日は好天だったこともあり、素晴らしい景色が広がっていた。
「ここからはお大師様がお迎えにこられます 御宝号をお唱えしながら登りましょう」と、石碑がある。
神聖な場所に立ち入るようで、ちょっと緊張する。
10分程で「舎心ヶ嶽」に到着した。
御朱印を受ける方は納経所へ、と看板があった。
知っていたら書いてもらっていたのだが。
さて、ここからが本番である。
確かに、崖っぷちのお大師さんに向かって鎖が続いている。立入禁止ではないようだ。
岩をよじ登って、お大師さんの元へとたどり着くことが出来た。
ようやく念願達成である。
この日は好天だったこともあり、素晴らしい景色が広がっていた。
2024年11月07日
【4巡目-122】 21番太龍寺から、「舎心ヶ嶽」へ [2023年2月20日-その10]
1時間程、(21)太龍寺にて時間を過ごす。
「舎心ヶ嶽」へと向かうので、ロープウェイ駅方面へと向かった。
すると、見覚えのある顔が。
「みかんの宿」で同泊した、公共交通機関を利用しながら区切りで回っている、広島県出身長尾在住の青年だ。
何でも、(20)鶴林寺を参拝した後、来た道を戻り、バスを乗り継いで、ロープウェイを利用し、太龍寺までやって来たそうである。
鶴林寺への山道で軽々と追い越していったから、あの脚力なら十分、太龍寺まで歩いて来れるはずなのだが。驚いてしまった。
公共交通機関を利用しながら周っているので、との事だった。
さて、ここからが本日のメインイベントである。
舎心ヶ嶽の崖っぷちにお大師さんの銅像がある。
勿論、存在は知っていたのだが、すぐ間近まで岩石を伝って行けるようで、その事は知らなかった。
ぜひとも行ってみよう、と思っている。
これが、実際にその時の写真である。
「舎心ヶ嶽」へと向かうので、ロープウェイ駅方面へと向かった。
すると、見覚えのある顔が。
「みかんの宿」で同泊した、公共交通機関を利用しながら区切りで回っている、広島県出身長尾在住の青年だ。
何でも、(20)鶴林寺を参拝した後、来た道を戻り、バスを乗り継いで、ロープウェイを利用し、太龍寺までやって来たそうである。
鶴林寺への山道で軽々と追い越していったから、あの脚力なら十分、太龍寺まで歩いて来れるはずなのだが。驚いてしまった。
公共交通機関を利用しながら周っているので、との事だった。
さて、ここからが本日のメインイベントである。
舎心ヶ嶽の崖っぷちにお大師さんの銅像がある。
勿論、存在は知っていたのだが、すぐ間近まで岩石を伝って行けるようで、その事は知らなかった。
ぜひとも行ってみよう、と思っている。
これが、実際にその時の写真である。
2024年11月02日
【4巡目-121】 21番太龍寺 [2023年2月20日-その9]
(21)太龍寺での参拝を終え、納経所へ向かう。
納経書きの方が、この時間にここにいるのは優秀、自信を持って、と言ってくれた。
早ければ良い訳では無いのだが、やはり褒められると嬉しいものである。
ベンチでゆっくり休んでいると、(20)鶴林寺でも一緒だった女性二人組が到着した。
自分が着いてから1時間近く後のことになるから、この時点ではやはり、早いペースだったのだろう。
ただ、この後ゆっくりし過ぎて、(22)平等寺の納経には間に合わないことになる。
お二人に今日の宿を聞くと、同じ「山茶花」だった。
天井の龍の絵はどこにある?、とか、ここに荷物置いておいても大丈夫かね、などと賑やかだった。
奈良県から来られたそうで、昨晩は「ふれあいの宿さかもと」、その前の日は、「みかんの宿」と同じ、生名地区にある「もみじの里」に泊まったそうである。
納経書きの方が、この時間にここにいるのは優秀、自信を持って、と言ってくれた。
早ければ良い訳では無いのだが、やはり褒められると嬉しいものである。
ベンチでゆっくり休んでいると、(20)鶴林寺でも一緒だった女性二人組が到着した。
自分が着いてから1時間近く後のことになるから、この時点ではやはり、早いペースだったのだろう。
ただ、この後ゆっくりし過ぎて、(22)平等寺の納経には間に合わないことになる。
お二人に今日の宿を聞くと、同じ「山茶花」だった。
天井の龍の絵はどこにある?、とか、ここに荷物置いておいても大丈夫かね、などと賑やかだった。
奈良県から来られたそうで、昨晩は「ふれあいの宿さかもと」、その前の日は、「みかんの宿」と同じ、生名地区にある「もみじの里」に泊まったそうである。
2024年10月28日
【4巡目-120】 20番鶴林寺から、21番太龍寺へ④ [2023年2月20日-その8]
(21)太龍寺に向かって、険しい山の遍路道を進む。
見たことが無い遍路札も掛けられていた。
「伍」とは何だろうか。
次第に、目がムズムズしてきて、くしゃみが出るようになった。
ついに、花粉症の症状が出始めたようである。昨年も歩き遍路中に同じようになったが、今年も、である。
心拍数を上げない歩きのお陰で、今回も一休みすることもなく、ノンストップで上りきることが出来た。
無事、「かも道」との合流点に到達である。
ここからが最後の厳しい上りの車道となるが、午前11時半を少し回った頃、(21)太龍寺に到着となった。
見たことが無い遍路札も掛けられていた。
「伍」とは何だろうか。
次第に、目がムズムズしてきて、くしゃみが出るようになった。
ついに、花粉症の症状が出始めたようである。昨年も歩き遍路中に同じようになったが、今年も、である。
心拍数を上げない歩きのお陰で、今回も一休みすることもなく、ノンストップで上りきることが出来た。
無事、「かも道」との合流点に到達である。
ここからが最後の厳しい上りの車道となるが、午前11時半を少し回った頃、(21)太龍寺に到着となった。
2024年10月16日
【4巡目-119】 20番鶴林寺から、21番太龍寺へ③ [2023年2月20日-その7]
(21)太龍寺に向かって、道幅の狭い、簡易舗装の道が続いている。
一巡目だったか二巡目だったか、ここに軽トラがやって来てすれ違ったのだが、落石なんかもあって、今はもう車が走ることは難しそうである。
この先に廃屋などあったかと思うが、通う方もいなくなったのだろう。
「若杉山辰砂採掘遺跡」なる弥生時代の遺跡を過ぎ、渓流に沿った狭い道を進むと、歩きの道の入口があった。
周囲には、何軒かの廃屋や田畑の跡が残されており、やはり人が通っている雰囲気は無くなっていた。
廃村だろう。
ここからがキツイ上りとなることから、心してかかる。
一歩一歩、心拍数が上がらないよう、わざとゆっくりペースで進んで行く。
一巡目だったか二巡目だったか、ここに軽トラがやって来てすれ違ったのだが、落石なんかもあって、今はもう車が走ることは難しそうである。
この先に廃屋などあったかと思うが、通う方もいなくなったのだろう。
「若杉山辰砂採掘遺跡」なる弥生時代の遺跡を過ぎ、渓流に沿った狭い道を進むと、歩きの道の入口があった。
周囲には、何軒かの廃屋や田畑の跡が残されており、やはり人が通っている雰囲気は無くなっていた。
廃村だろう。
ここからがキツイ上りとなることから、心してかかる。
一歩一歩、心拍数が上がらないよう、わざとゆっくりペースで進んで行く。
タグ :歩き遍路
2024年10月09日
【4巡目-118】 20番鶴林寺から、21番太龍寺へ② [2023年2月20日-その6]
(20)鶴林寺から、下り続けて丁度1時間、麓の車道まで降りて来た。
屋根付きの休憩所がある。
15年近く前のGWになるだろうか、歩き遍路で大賑わいだった休み場所である。
この日は、当然と言おうか、人の姿は見られなかった。この日、前後を歩いていたのは、5人程だろう。
水井橋まで来ると、この辺り唯一の自販機があった。
前回は「かも道」を歩いているから、久々の水井橋である。
高さがかなりあり、橋幅は狭く、風も強かったことから、かなり怖かった。車が来なくて助かった。
橋を渡ってから左に右にと、全然記憶と道順が違っていた。
ここにも新しい説明板がいくつもあり、これらを読み進めながら進んだ。
屋根付きの休憩所がある。
15年近く前のGWになるだろうか、歩き遍路で大賑わいだった休み場所である。
この日は、当然と言おうか、人の姿は見られなかった。この日、前後を歩いていたのは、5人程だろう。
水井橋まで来ると、この辺り唯一の自販機があった。
前回は「かも道」を歩いているから、久々の水井橋である。
高さがかなりあり、橋幅は狭く、風も強かったことから、かなり怖かった。車が来なくて助かった。
橋を渡ってから左に右にと、全然記憶と道順が違っていた。
ここにも新しい説明板がいくつもあり、これらを読み進めながら進んだ。