2015年09月29日
【3巡目-25】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その3〉[2015年1月11日]
時間は午前8時過ぎだが、朝焼けが美しい。
(7)十楽寺境内には、個人の参拝客がほど良く来ており、のんびりとした雰囲気が漂っていた。
巨大で立派な不動明王が目に入った。戦没学生の慰霊碑として建てられたようである。
十楽寺といえば、眼病治癒にご利益があるとの事で、一巡目の時にはお守りを買った覚えがある。視力の低下に悩んでいるのだが、念入りにお参りするのを忘れてしまった。
(7)十楽寺を出発する。歩道の無い車道を歩くことになる。一番から出発して、最初のやや危険な場所となるだろうか。ただ、交通量が少なかったので、怖い思いをすることは無かった。
新しい住宅街がある一角に、「天然温泉民宿いしだ」の看板があった。宿はこの辺りになるのだろうか。
車道は突き当たりとなり、遍路道は左方向だが、お接待所がある右方向への誘導看板があった。
今回は今まで歩いたことが無い右の方の道を歩いてみようかとも思ったが、やはり遍路道を進むことにした。
どうしようか迷ってもたついている間に、「民宿寿食堂」で一緒だった夫婦が、少しずつ近付いてい来ていた。
1.5車線の旧道へと入る。10番までは、このような道を歩くことが多い。
(7)十楽寺境内には、個人の参拝客がほど良く来ており、のんびりとした雰囲気が漂っていた。
巨大で立派な不動明王が目に入った。戦没学生の慰霊碑として建てられたようである。
十楽寺といえば、眼病治癒にご利益があるとの事で、一巡目の時にはお守りを買った覚えがある。視力の低下に悩んでいるのだが、念入りにお参りするのを忘れてしまった。
(7)十楽寺を出発する。歩道の無い車道を歩くことになる。一番から出発して、最初のやや危険な場所となるだろうか。ただ、交通量が少なかったので、怖い思いをすることは無かった。
新しい住宅街がある一角に、「天然温泉民宿いしだ」の看板があった。宿はこの辺りになるのだろうか。
車道は突き当たりとなり、遍路道は左方向だが、お接待所がある右方向への誘導看板があった。
今回は今まで歩いたことが無い右の方の道を歩いてみようかとも思ったが、やはり遍路道を進むことにした。
どうしようか迷ってもたついている間に、「民宿寿食堂」で一緒だった夫婦が、少しずつ近付いてい来ていた。
1.5車線の旧道へと入る。10番までは、このような道を歩くことが多い。
2015年09月26日
【3巡目-24】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その2〉[2015年1月11日]
遍路道沿いには、要所に「上板町いやしのみちつくり実行委員会」の遍路札が立てられていた。その素朴さが、いい味を出している。
小さな川を渡り、左折して街道から離れる。程なくして、(6)安楽寺に到着した。
山門には、「HPへの掲載を目的とした撮影禁止」の看板がある。なぜ、このような表示があるのだろうか。
過去何度かここの宿坊に泊まらせてもらい、お寺の方はとても感じが良かった。よほどの事があったのだろう。
境内には何人かのお坊さんがいる。何か行事があるようである。その中に、見覚えのある方が。昨日、お接待してくれた和歌山の方だ。
向こうもこちらの事を覚えてくれていて、昨日のお礼をし、少し話をする。この行事のために来られた、との事だった。
これまでは山門を出て左へと進むのが順路と思っていたが、右へ進む表示があったので、その道しるべに従うことにした。
お寺の左側を周る形となるが、突き当りに遍路石がいくつかかたまっていた。
へんろ地図では、少しだけ県道を歩くことになっているが、こちら側が本来の遍路道だったようだ。ほんの少しの距離だが、気が付かなかった。
県道を横断すると、真念しるべ石のある遍路道と合流する。
歩いていると、八朔か何か、果実がなっているのをよく見掛けるのだが、果物にも色々な種類があるので、名前は特定できない。
(6)安楽寺を出発してから20分も経たないうちに、(7)十楽寺に到着した。
小さな川を渡り、左折して街道から離れる。程なくして、(6)安楽寺に到着した。
山門には、「HPへの掲載を目的とした撮影禁止」の看板がある。なぜ、このような表示があるのだろうか。
過去何度かここの宿坊に泊まらせてもらい、お寺の方はとても感じが良かった。よほどの事があったのだろう。
境内には何人かのお坊さんがいる。何か行事があるようである。その中に、見覚えのある方が。昨日、お接待してくれた和歌山の方だ。
向こうもこちらの事を覚えてくれていて、昨日のお礼をし、少し話をする。この行事のために来られた、との事だった。
これまでは山門を出て左へと進むのが順路と思っていたが、右へ進む表示があったので、その道しるべに従うことにした。
お寺の左側を周る形となるが、突き当りに遍路石がいくつかかたまっていた。
へんろ地図では、少しだけ県道を歩くことになっているが、こちら側が本来の遍路道だったようだ。ほんの少しの距離だが、気が付かなかった。
県道を横断すると、真念しるべ石のある遍路道と合流する。
歩いていると、八朔か何か、果実がなっているのをよく見掛けるのだが、果物にも色々な種類があるので、名前は特定できない。
(6)安楽寺を出発してから20分も経たないうちに、(7)十楽寺に到着した。
2015年09月23日
【3巡目-23】 6番安楽寺から11番藤井寺、鴨島市街まで 〈その1〉[2015年1月11日]
朝食は6時半からとなっていた。
食堂に向かう。一番乗りのようである。
テーブル上には、宿のマッチと五円玉が置かれていた。ご縁があればまた、ということだろう。
食事を終え、宿代の支払いをし、部屋へと戻って早々に出発する。
本日は、(11)藤井寺を参拝し、帰宅する予定である。
日曜日の朝ということもあり、静かな県道12号線を進む。
へんろ地図にも掲載されている「ハッピー食堂」があった。小さいお店だったが、お四国さんの食事処、という幟が立っていた。
歩き遍路の場合は、この場所を通り掛かることは滅多に無いが、車遍路さんがちょっと立ち寄ることもあるのかも知れない。
ここでほんの少し寄り道、左折してバスの鍛冶屋原車庫を経由する。
その昔、鍛冶屋原線という大赤字ローカル線があったはずである。とうの昔に廃線となっているが、その痕跡があれば見ておこう、と考えたからである。
普通の住宅街に広いバスの車庫があり、徳島市内に向けてそれなりの本数がそろっていた。
ただ、鉄道が走っていたことを感じさせるものは、見当たらなかった。下調べをしておけば、何らかの石碑などは見つかっただろう。
少し進むと、(6)安楽寺への遍路道に合流した。
食堂に向かう。一番乗りのようである。
テーブル上には、宿のマッチと五円玉が置かれていた。ご縁があればまた、ということだろう。
食事を終え、宿代の支払いをし、部屋へと戻って早々に出発する。
本日は、(11)藤井寺を参拝し、帰宅する予定である。
日曜日の朝ということもあり、静かな県道12号線を進む。
へんろ地図にも掲載されている「ハッピー食堂」があった。小さいお店だったが、お四国さんの食事処、という幟が立っていた。
歩き遍路の場合は、この場所を通り掛かることは滅多に無いが、車遍路さんがちょっと立ち寄ることもあるのかも知れない。
ここでほんの少し寄り道、左折してバスの鍛冶屋原車庫を経由する。
その昔、鍛冶屋原線という大赤字ローカル線があったはずである。とうの昔に廃線となっているが、その痕跡があれば見ておこう、と考えたからである。
普通の住宅街に広いバスの車庫があり、徳島市内に向けてそれなりの本数がそろっていた。
ただ、鉄道が走っていたことを感じさせるものは、見当たらなかった。下調べをしておけば、何らかの石碑などは見つかっただろう。
少し進むと、(6)安楽寺への遍路道に合流した。
2015年09月20日
【3巡目-22】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その21〉[2015年1月10日]
夕食の案内があり、一旦外に出て、食堂へと向かう。
50代くらいのご夫婦が既に食事をしていた。ビールを飲んで上機嫌な様子である。
この夫婦とは宿では話をしなかったが、翌日は何度か顔を合わせて、一言二言、言葉を交わした。
二日間だけの予定との事だったので、自分と同じである。
少し遅れて、もう一組、60代くらいのご夫婦がやって来た。この方々とは一度も話はしなかったが、翌日は何度かお見掛けする。
鴨鍋が名物とのことで、鶏肉が苦手なこともあり、夕食に出されたら食べられるのか心配していた。
案の定、鍋がメイン料理となっており、あまり見掛けないお肉(鴨肉?)と野菜がたっぷり用意されていたが、美味しく食べることが出来た。
特に、不足がちな野菜をたくさん食べることが出来て、大満足である。
三組のお遍路さんが宿泊していたが、それぞれ別のテーブルで、他の二組とは背を向けるように座っていたこともあり、遍路談義などは無く、食事を終えると、部屋へとすぐに戻った。
最近では、毎日9時間ほども寝ていることに加え、昨夜は車を走らせ続けてあまり寝ていなかったこともあり、早々に眠たくなり、午後8時半過ぎには眠りについた。
民宿寿食堂:一泊二食 7000円 〈3号室 8畳〉
※洗濯機・乾燥機はおそらくあり、お茶、浴衣あり。自販機外にあり。
朝食は6時半から。
宿泊客:歩き遍路3組5人。
50代くらいのご夫婦が既に食事をしていた。ビールを飲んで上機嫌な様子である。
この夫婦とは宿では話をしなかったが、翌日は何度か顔を合わせて、一言二言、言葉を交わした。
二日間だけの予定との事だったので、自分と同じである。
少し遅れて、もう一組、60代くらいのご夫婦がやって来た。この方々とは一度も話はしなかったが、翌日は何度かお見掛けする。
鴨鍋が名物とのことで、鶏肉が苦手なこともあり、夕食に出されたら食べられるのか心配していた。
案の定、鍋がメイン料理となっており、あまり見掛けないお肉(鴨肉?)と野菜がたっぷり用意されていたが、美味しく食べることが出来た。
特に、不足がちな野菜をたくさん食べることが出来て、大満足である。
三組のお遍路さんが宿泊していたが、それぞれ別のテーブルで、他の二組とは背を向けるように座っていたこともあり、遍路談義などは無く、食事を終えると、部屋へとすぐに戻った。
最近では、毎日9時間ほども寝ていることに加え、昨夜は車を走らせ続けてあまり寝ていなかったこともあり、早々に眠たくなり、午後8時半過ぎには眠りについた。
民宿寿食堂:一泊二食 7000円 〈3号室 8畳〉
※洗濯機・乾燥機はおそらくあり、お茶、浴衣あり。自販機外にあり。
朝食は6時半から。
宿泊客:歩き遍路3組5人。
2015年09月17日
【3巡目-21】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その20〉[2015年1月10日]
宿には、「門鳴」と宿名よりも大きく書かれているが、酒の名前か何かだろうか。
右手が食堂、左手が宿泊棟となっていた。
杖の先を洗おうとしていると、若主人になるのだろうか、中から出て来て、代わりに洗ってくれた。
おそらくになるのだが、夫婦と若夫婦、小さい子供の三世代同居のようだった。
お母さんに部屋まで案内して頂き、宿の説明を受けた。やや古めの建物である。
お砂踏みが出来るとの張り紙もあり、遍路宿らしい印象がある。
すぐにお風呂に入れるとの事で、早速一汗流すことにした。大浴場と小浴場があったが、本日は大浴場の方が使えるようになっていた。3~4人は一度に入れそうだった。
部屋は禁煙となっていた。禁煙が当たり前になりつつあるのだろうか。
立派な半纏が用意されていたので、使わせてもらった。ハンガーが多く、服を掛ける場所も使いやすく便利だった。
本日のコースタイム
自宅 9日19:50→金沢西IC→→10日1:23淡路島・緑PA6:54→→鳴門IC→→7:44鳴門西高速バス駐車場7:50→→8:02(1)霊山寺
(1)霊山寺8:25→8:43(2)極楽寺9:05→9:40(3)金泉寺10:09→11:41(4)大日寺12:00→12:24(5)地蔵寺12:52→14:49[1]大山寺15:28→16:56民宿寿食堂
歩行距離:22.9km
歩数 :38586歩
最高気温:10.1℃
最低気温:4.5℃[徳島市]
右手が食堂、左手が宿泊棟となっていた。
杖の先を洗おうとしていると、若主人になるのだろうか、中から出て来て、代わりに洗ってくれた。
おそらくになるのだが、夫婦と若夫婦、小さい子供の三世代同居のようだった。
お母さんに部屋まで案内して頂き、宿の説明を受けた。やや古めの建物である。
お砂踏みが出来るとの張り紙もあり、遍路宿らしい印象がある。
すぐにお風呂に入れるとの事で、早速一汗流すことにした。大浴場と小浴場があったが、本日は大浴場の方が使えるようになっていた。3~4人は一度に入れそうだった。
部屋は禁煙となっていた。禁煙が当たり前になりつつあるのだろうか。
立派な半纏が用意されていたので、使わせてもらった。ハンガーが多く、服を掛ける場所も使いやすく便利だった。
本日のコースタイム
自宅 9日19:50→金沢西IC→→10日1:23淡路島・緑PA6:54→→鳴門IC→→7:44鳴門西高速バス駐車場7:50→→8:02(1)霊山寺
(1)霊山寺8:25→8:43(2)極楽寺9:05→9:40(3)金泉寺10:09→11:41(4)大日寺12:00→12:24(5)地蔵寺12:52→14:49[1]大山寺15:28→16:56民宿寿食堂
歩行距離:22.9km
歩数 :38586歩
最高気温:10.1℃
最低気温:4.5℃[徳島市]
2015年09月14日
【3巡目-20】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その19〉[2015年1月10日]
行きは遍路道を歩いて来たので、帰りは車道を歩くことにした。牛とお別れし、車道へと戻って下界を目指す。
少し先に何か開けた場所があり、小動物の軍団が林の方へと逃げていった。おそらく、イノシシの子供だろう。開けた場所は、太陽光発電をしているようだった。
数台の車とはすれ違ったものの、ほとんど貸切の道を、のんびりと下って行く。
行きに通った車道と歩きの道との分岐までやって来たが、やはり歩きの道の方が、距離は大分短く感じた。
いつの間にかかなりの標高を稼いでいたようで、時折、素晴らしい眼下の眺めを堪能しながら歩ける場所があった。
行きに見掛けた休憩所を過ぎ、果樹園を通り抜け、麓の住宅がある場所、そして巨樹がある三叉路まで戻って来た。
ここからは右の方へと進み、(6)安楽寺方面へと向かう。
山裾の集落を抜けると、田んぼが広がり、西日が差して良い雰囲気である。宿まではもう少しだ。
一軒の家の前を通り掛かると、おばあさんから声を掛けられた。
指示通りに待っていると、家の中からオロナミンCと100円を持ってきてくれた。うれしいうれしいお接待である。納札をお渡ししながら、南無大師遍照金剛を唱えた。
へんろ地図で、地蔵尊と書いてある場所からは赤い線の道から外れ、県道12号線に出る。
午後5時過ぎに、本日の宿「民宿寿食堂」に到着した。
少し先に何か開けた場所があり、小動物の軍団が林の方へと逃げていった。おそらく、イノシシの子供だろう。開けた場所は、太陽光発電をしているようだった。
数台の車とはすれ違ったものの、ほとんど貸切の道を、のんびりと下って行く。
行きに通った車道と歩きの道との分岐までやって来たが、やはり歩きの道の方が、距離は大分短く感じた。
いつの間にかかなりの標高を稼いでいたようで、時折、素晴らしい眼下の眺めを堪能しながら歩ける場所があった。
行きに見掛けた休憩所を過ぎ、果樹園を通り抜け、麓の住宅がある場所、そして巨樹がある三叉路まで戻って来た。
ここからは右の方へと進み、(6)安楽寺方面へと向かう。
山裾の集落を抜けると、田んぼが広がり、西日が差して良い雰囲気である。宿まではもう少しだ。
一軒の家の前を通り掛かると、おばあさんから声を掛けられた。
指示通りに待っていると、家の中からオロナミンCと100円を持ってきてくれた。うれしいうれしいお接待である。納札をお渡ししながら、南無大師遍照金剛を唱えた。
へんろ地図で、地蔵尊と書いてある場所からは赤い線の道から外れ、県道12号線に出る。
午後5時過ぎに、本日の宿「民宿寿食堂」に到着した。
2015年09月11日
【3巡目-19】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その18〉[2015年1月10日]
納経を終え、静かな外のベンチで一休みしていると、境内に車が入って来て、ガヤガヤと人が現れた。
何かを降ろしていったようだが、一体何事だろうか。
人が去った後、本堂の賽銭箱の横に、変な鏡餅のレプリカが置いてあった。
赤と白の鏡餅である。この場には浮いた存在であり、何でこのような物を置いていくのだろうか、と不思議だった。
帰宅してから調べてみると、これは「力餅」と呼ばれる、[1]大山寺で受け継がれている鏡餅を運ぶ年中行事のためのもの、かも知れないことが分かった。
ちなみに、赤と白の鏡餅は、石川県独自の鏡餅と聞いていたのだが、徳島県でもこのような鏡餅を飾っているのだろうか。
この、鏡餅を担いだ彫刻のような石像があったのだが、何でスタンプを持った石像があるのだろうか、と訝しく思い、鏡餅とは気付かなかった。
静かな、誰もいない境内でしばし休憩し、[1]大山寺を出立した。
後は、本日の宿「民宿寿食堂」に向かうのみである。
時刻は15時半過ぎなので、それ程慌てなくても、17時までには宿入り出来そうである。
来た道を戻り、歩きの遍路道への分岐となった。少し遍路道へと入り、先程見掛けた牛の姿を見に行った。柵の側に立っていると、こちらの方にゆっくりとやって来た。人懐こい、牛のようである。
何かを降ろしていったようだが、一体何事だろうか。
人が去った後、本堂の賽銭箱の横に、変な鏡餅のレプリカが置いてあった。
赤と白の鏡餅である。この場には浮いた存在であり、何でこのような物を置いていくのだろうか、と不思議だった。
帰宅してから調べてみると、これは「力餅」と呼ばれる、[1]大山寺で受け継がれている鏡餅を運ぶ年中行事のためのもの、かも知れないことが分かった。
ちなみに、赤と白の鏡餅は、石川県独自の鏡餅と聞いていたのだが、徳島県でもこのような鏡餅を飾っているのだろうか。
この、鏡餅を担いだ彫刻のような石像があったのだが、何でスタンプを持った石像があるのだろうか、と訝しく思い、鏡餅とは気付かなかった。
静かな、誰もいない境内でしばし休憩し、[1]大山寺を出立した。
後は、本日の宿「民宿寿食堂」に向かうのみである。
時刻は15時半過ぎなので、それ程慌てなくても、17時までには宿入り出来そうである。
来た道を戻り、歩きの遍路道への分岐となった。少し遍路道へと入り、先程見掛けた牛の姿を見に行った。柵の側に立っていると、こちらの方にゆっくりとやって来た。人懐こい、牛のようである。
2015年09月08日
【3巡目-18】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その17〉[2015年1月10日]
牛がいる民家を過ぎると、[1]大山寺への車道に合流した。
廃屋が並んでいる。この山奥での生活は、さぞ不便だったに違いない。
その先に、簡素な仁王門が見えてきた。屋根は、青いビニールシートで覆われている。
門の先には、天まで届きそうな石段が続いている。
長い石段を、お腹ダイエットも兼ねて、一段飛ばしでゆっくりと上って行く。石段は、9段上ると踊り場があり、をくり返していた。数えながら上った所、約260段ある計算となった。
今にも捲れて(めくれて)しまいそうな石段である。
上り切ると、門から縄がぶら下がっており、鐘楼門と呼ばれるようだ。與田寺と同じような門である。力を入れて引っ張り、鐘を鳴らした。
別格のお寺と言えば、箸蔵寺のような大寺院もあれば、神野寺や大滝寺のような小さなお寺まで、とバラエティに富んでいるが、この[1]大山寺は、すっきりとした、まずまずの広さで、普通の八十八ヶ所のお寺の一つと同じような印象である。
大きなイチョウの樹があるが、この時期は葉を落として、完全な裸木となっている。
参拝していると、ゴ~ンと鐘が鳴った。貸切だった境内だったが、もう一組、参拝客が来たようである。
50代くらいのご夫婦で、百八ヶ所を歩いて周るのか、など話し掛けてきてくれた。人里離れたお寺での出会いに、自然と親近感が湧いてくる。
廃屋が並んでいる。この山奥での生活は、さぞ不便だったに違いない。
その先に、簡素な仁王門が見えてきた。屋根は、青いビニールシートで覆われている。
門の先には、天まで届きそうな石段が続いている。
長い石段を、お腹ダイエットも兼ねて、一段飛ばしでゆっくりと上って行く。石段は、9段上ると踊り場があり、をくり返していた。数えながら上った所、約260段ある計算となった。
今にも捲れて(めくれて)しまいそうな石段である。
上り切ると、門から縄がぶら下がっており、鐘楼門と呼ばれるようだ。與田寺と同じような門である。力を入れて引っ張り、鐘を鳴らした。
別格のお寺と言えば、箸蔵寺のような大寺院もあれば、神野寺や大滝寺のような小さなお寺まで、とバラエティに富んでいるが、この[1]大山寺は、すっきりとした、まずまずの広さで、普通の八十八ヶ所のお寺の一つと同じような印象である。
大きなイチョウの樹があるが、この時期は葉を落として、完全な裸木となっている。
参拝していると、ゴ~ンと鐘が鳴った。貸切だった境内だったが、もう一組、参拝客が来たようである。
50代くらいのご夫婦で、百八ヶ所を歩いて周るのか、など話し掛けてきてくれた。人里離れたお寺での出会いに、自然と親近感が湧いてくる。
2015年09月05日
【3巡目-17】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その16〉[2015年1月10日]
車道から歩きの道への分岐に差し掛かった。
「へんろみち保存協力会」の道しるべが設置してあり、杭の部分には「車道歩行」「五百メートル先 シダ繁茂 通行困難 将来復元」と書いてある。
五百メートル先で通行止の道へどうして誘導しているのだろうか、と不思議だったが、すでに復元されているだろう、と考え、道しるべ通りに進んでみることにした。
林の中の上り道が続いている。
へんろ地図には、この歩きの道は掲載されておらず、車道に赤い線が引かれている。
歩き進めていくと、シダ類が多い一帯に差し掛かったが、この真冬の時期では繁茂することもなく、問題なく歩くことが出来たが、夏場は大丈夫なのだろうか。
人里離れた場所であり、歩くお遍路さんも少ない道である。
右手は山、左手は谷間の道を進んで行くと、谷向こうの山の縁にポツリと民家が見えてきた。凄い場所に家があるものだ。軽自動車も止まっている。
ロープウェイの頂上駅があるような場所に家がある印象である。よく見ると、サイロらしき物も見えていることから、牧場のようである。
もう少し進んでみると、空き地に牛の姿がある。山の斜面を利用して酪農が行われているのだろうか。
もう一軒民家があり、家主の姿が見えた。まだ働き盛りといった印象である。
「へんろみち保存協力会」の道しるべが設置してあり、杭の部分には「車道歩行」「五百メートル先 シダ繁茂 通行困難 将来復元」と書いてある。
五百メートル先で通行止の道へどうして誘導しているのだろうか、と不思議だったが、すでに復元されているだろう、と考え、道しるべ通りに進んでみることにした。
林の中の上り道が続いている。
へんろ地図には、この歩きの道は掲載されておらず、車道に赤い線が引かれている。
歩き進めていくと、シダ類が多い一帯に差し掛かったが、この真冬の時期では繁茂することもなく、問題なく歩くことが出来たが、夏場は大丈夫なのだろうか。
人里離れた場所であり、歩くお遍路さんも少ない道である。
右手は山、左手は谷間の道を進んで行くと、谷向こうの山の縁にポツリと民家が見えてきた。凄い場所に家があるものだ。軽自動車も止まっている。
ロープウェイの頂上駅があるような場所に家がある印象である。よく見ると、サイロらしき物も見えていることから、牧場のようである。
もう少し進んでみると、空き地に牛の姿がある。山の斜面を利用して酪農が行われているのだろうか。
もう一軒民家があり、家主の姿が見えた。まだ働き盛りといった印象である。
2015年09月02日
【3巡目-16】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その15〉[2015年1月10日]
「飛地蔵堂」と書かれた標石、そして、本来の大山寺遍路道、と書かれた、「へんろ道保存協力会」の道しるべもあり、右の道へと入る。
本来の~と書かれていると、絶対に歩かなければ、と思ってしまう。
林の中を抜けると視界が開け、梅畑が広がっていた。
果樹園の中を通り抜ける道だったが、ショートカットがあったことに気付かずに通り掛かっただけで、帰りはいつの間にか近道を歩いており、この場所は通らなかった。
徳島平野を眺めることが出来る、気持ちが良い場所だった。
果樹園を通り抜けると、再び車道を歩くことになった。
香川県方面からも車の行き来があるような、県境を越える道かと想像していたが、ほとんど車が通らない、おそらく[1]大山寺へ向かう人専用の、林道のような印象である。
建物など、何も無い林道をトボトボ歩いていると、期せずして、お遍路さん用だろう、休憩所があった。「八丁目休憩所」となっており、「上板町いやしの道ベンチ・サイン部会」による建築のようである。
人間と見間違えそうな、金剛杖を手にした三体の人形が置かれていた。
テーブルの上に何か置いてある。遍路ノートかと思い、中を開けてみると、なぜか小学校五年生の算数カセットであった。単なる放置ゴミだろうか。
こうした、歩き遍路が滅多に通らないような道にも休憩所を設置してくれていることは、本当にありがたいことである。
本来の~と書かれていると、絶対に歩かなければ、と思ってしまう。
林の中を抜けると視界が開け、梅畑が広がっていた。
果樹園の中を通り抜ける道だったが、ショートカットがあったことに気付かずに通り掛かっただけで、帰りはいつの間にか近道を歩いており、この場所は通らなかった。
徳島平野を眺めることが出来る、気持ちが良い場所だった。
果樹園を通り抜けると、再び車道を歩くことになった。
香川県方面からも車の行き来があるような、県境を越える道かと想像していたが、ほとんど車が通らない、おそらく[1]大山寺へ向かう人専用の、林道のような印象である。
建物など、何も無い林道をトボトボ歩いていると、期せずして、お遍路さん用だろう、休憩所があった。「八丁目休憩所」となっており、「上板町いやしの道ベンチ・サイン部会」による建築のようである。
人間と見間違えそうな、金剛杖を手にした三体の人形が置かれていた。
テーブルの上に何か置いてある。遍路ノートかと思い、中を開けてみると、なぜか小学校五年生の算数カセットであった。単なる放置ゴミだろうか。
こうした、歩き遍路が滅多に通らないような道にも休憩所を設置してくれていることは、本当にありがたいことである。