2024年04月27日
【篠山道-55】 第35回 区切り打ち 帰宅[2022年2月28日・3月1日‐その16]
野井坂から頑張ったお陰で、宿には早めに到着、ゆっくりお風呂に入ってから夕食となった。
定食風で、これはこれで良い。朝食は小鉢によるバイキングだった。
新型コロナの影響だろう、食事、風呂、と誰にも会わず、すべて貸切、だった。
これで7290円だったから、随分とお得だった。また機会があれば宿泊を、と思ったのだが、今の値段を調べてみると、1万円位は掛かるようである。当然か。
宿で朝風呂に入ったりしながら、午前10時までゆっくりと過ごしてからチェックアウト。
松山城の麓辺りを散策する。
やっぱり、路面電車が走る街は良いなあ、と思う。
もし仮に、どこかに移住するとしたら、ここ松山市だろうか。適度に都会で良さげな街である。
大街道から、高速バスに乗車、高速舞子で下車。
JRで京都に移動し、駅ビルの食堂で、ラーメンを食べる。
再び高速バスに乗り、夜遅くに金沢へと帰って来た。
「篠山道」編は、55回の連載となりました。
次回からは、通常の遍路道を歩いた、日本一低い山「弁天山」のある、地蔵橋駅から歩いた記事となります。
ホテル勝山:一泊二食 7290円 〈301号室〉
コースタイム
ホテル勝山10:00→大街道バスターミナル10:58→→15:12高速舞子→舞子駅15:24→→15:47三宮駅15:52→→16:44京都駅17:30→→21:26松任海浜公園→22:17金沢
定食風で、これはこれで良い。朝食は小鉢によるバイキングだった。
新型コロナの影響だろう、食事、風呂、と誰にも会わず、すべて貸切、だった。
これで7290円だったから、随分とお得だった。また機会があれば宿泊を、と思ったのだが、今の値段を調べてみると、1万円位は掛かるようである。当然か。
宿で朝風呂に入ったりしながら、午前10時までゆっくりと過ごしてからチェックアウト。
松山城の麓辺りを散策する。
やっぱり、路面電車が走る街は良いなあ、と思う。
もし仮に、どこかに移住するとしたら、ここ松山市だろうか。適度に都会で良さげな街である。
大街道から、高速バスに乗車、高速舞子で下車。
JRで京都に移動し、駅ビルの食堂で、ラーメンを食べる。
再び高速バスに乗り、夜遅くに金沢へと帰って来た。
「篠山道」編は、55回の連載となりました。
次回からは、通常の遍路道を歩いた、日本一低い山「弁天山」のある、地蔵橋駅から歩いた記事となります。
ホテル勝山:一泊二食 7290円 〈301号室〉
コースタイム
ホテル勝山10:00→大街道バスターミナル10:58→→15:12高速舞子→舞子駅15:24→→15:47三宮駅15:52→→16:44京都駅17:30→→21:26松任海浜公園→22:17金沢
[第35回区切り打ち 完]
2024年04月24日
【篠山道-54】 宇和島から、松山市内へ [2022年2月28日‐その15]
宇和島駅から特急宇和海に乗り、松山市内の宿へと向かった。
宇和島から夜行バスに乗って大阪へ向かえば、もう少し早く帰宅出来たのだが、せっかく愛媛県に来たのだから、と県内でもう一泊していくことにした。
卯之町、大洲と歩き遍路お馴染みの駅に止まるごとにお客さんが増え、たった二両編成の特急だったが、座席は全て埋まっていた。
JR松山駅から市電に乗り、市内中心部へ。
二食付きで大浴場がある手頃な値段の宿を探し、市内中心部にある「ホテル勝山」に泊まることにした。
大きくは無いが、まだ新しく、綺麗なホテルだった。
本日のコースタイム
みまきガーデン8:22→12:05満願寺12:51→13:44宮崎橋→14:38野井坂出口15:03→16:51宇和島駅
宇和島駅17:08→→18:35松山駅18:50→→大街道→ホテル勝山
歩行距離:24.8km[YAMAP計測]
歩数 :43069歩
最高気温:14.8℃
最低気温:0.0℃[宇和島市]
宇和島から夜行バスに乗って大阪へ向かえば、もう少し早く帰宅出来たのだが、せっかく愛媛県に来たのだから、と県内でもう一泊していくことにした。
卯之町、大洲と歩き遍路お馴染みの駅に止まるごとにお客さんが増え、たった二両編成の特急だったが、座席は全て埋まっていた。
JR松山駅から市電に乗り、市内中心部へ。
二食付きで大浴場がある手頃な値段の宿を探し、市内中心部にある「ホテル勝山」に泊まることにした。
大きくは無いが、まだ新しく、綺麗なホテルだった。
本日のコースタイム
みまきガーデン8:22→12:05満願寺12:51→13:44宮崎橋→14:38野井坂出口15:03→16:51宇和島駅
宇和島駅17:08→→18:35松山駅18:50→→大街道→ホテル勝山
歩行距離:24.8km[YAMAP計測]
歩数 :43069歩
最高気温:14.8℃
最低気温:0.0℃[宇和島市]
2024年04月21日
【篠山道-53】 野井坂から、宇和島駅へ [2022年2月28日‐その14]
野井坂を下りてから、早々に国道に出るとバス停があり、「野井」停留所であった。
ひたすら速歩きに徹する。
もう4回目の場所だから、道は覚えている。
宇和島市内までは、コンビニ、食事処など、何でもあり便利である。
「馬目木大師」に立ち寄って最後のお参りを、と急に思いついたが、時すでに遅し、地図も見ないで歩いていたから、分岐を通り過ぎてしまっていた。
かつては高校野球で活躍していた、宇和島東高校の前を通る。
卒業式にはまだ早いかと思うが、卒業アルバムらしきを見ている高校生たちを駅や街で見掛けた。
適当な交差点で右左折し、かなり頑張ったお陰で、午後5時前には宇和島駅に到着出来た。
ヤシの木のある、南国風の駅である。
駅前で、セルフタイマーで記念撮影をした。
ひたすら速歩きに徹する。
もう4回目の場所だから、道は覚えている。
宇和島市内までは、コンビニ、食事処など、何でもあり便利である。
「馬目木大師」に立ち寄って最後のお参りを、と急に思いついたが、時すでに遅し、地図も見ないで歩いていたから、分岐を通り過ぎてしまっていた。
かつては高校野球で活躍していた、宇和島東高校の前を通る。
卒業式にはまだ早いかと思うが、卒業アルバムらしきを見ている高校生たちを駅や街で見掛けた。
適当な交差点で右左折し、かなり頑張ったお陰で、午後5時前には宇和島駅に到着出来た。
ヤシの木のある、南国風の駅である。
駅前で、セルフタイマーで記念撮影をした。
2024年04月18日
【篠山道-52】 野井坂③ [2022年2月28日‐その13]
野井坂を越え、下界に到着した。
高速道路の側道のような場所に出るが、ちょうど真新しいコンクリート地のプレハブ小屋があり、地べたに座って一休みさせてもらう。
通る車などは無いから、のんびりと25分も休憩していた。
今からの計画を考える。本日の宿は、松山市内のホテルである。
二食付きの大浴場がある宿だから、風呂に入ってから飯、それに早く到着してゆっくりしたい。
ここから宇和島駅までの距離がはっきりしないのだが、10~12km位のようで、3時間近く掛かるだろうか。
現在の時刻は午後3時過ぎ。約2時間後の17時8分発のJRの特急を目標にすることにした。
ここから先は探索したい道も無いから、最短距離をスピード重視で頑張ってみることにする。
この場所には、へんろ道保存協力会の立札がある。
篠山神社を上がる時に頂き、ここまで使ってきた古い竹の杖をここの根元の所に奉納?していくことにした。
次回訪ねられるのは何年後になるか分からないが、その時まで残ってくれているだろうか、楽しみである。
高速道路の側道のような場所に出るが、ちょうど真新しいコンクリート地のプレハブ小屋があり、地べたに座って一休みさせてもらう。
通る車などは無いから、のんびりと25分も休憩していた。
今からの計画を考える。本日の宿は、松山市内のホテルである。
二食付きの大浴場がある宿だから、風呂に入ってから飯、それに早く到着してゆっくりしたい。
ここから宇和島駅までの距離がはっきりしないのだが、10~12km位のようで、3時間近く掛かるだろうか。
現在の時刻は午後3時過ぎ。約2時間後の17時8分発のJRの特急を目標にすることにした。
ここから先は探索したい道も無いから、最短距離をスピード重視で頑張ってみることにする。
この場所には、へんろ道保存協力会の立札がある。
篠山神社を上がる時に頂き、ここまで使ってきた古い竹の杖をここの根元の所に奉納?していくことにした。
次回訪ねられるのは何年後になるか分からないが、その時まで残ってくれているだろうか、楽しみである。
2024年04月15日
【篠山道-51】 野井坂② [2022年2月28日‐その12]
下りに入ってからは、これでもか、という位に、倒木注意の札が、括り付けてあった。
だが、復旧作業がすすんだのだろう、通行に支障となるような倒木は無かったかと思う。
道が崩壊したらしき場所もあったが、迂回路も設けられており、歩きに問題は無かった。
峠まではずっと森の中を進む印象で、視界が開けるのは一箇所だけだったが、峠を越えてからは少し日の差す、明るい場所が多かった。
宮崎橋からは1時間も掛からず、野井坂登り口の看板がある下界へと到達した。
肝心の反対側には、この看板は無かったかと思う。
飛ばされたりしてしまったのだろうか。
「へんろ道保存協力会」のHPによると、野井坂が荒れています、との情報が最近になって掲載されていました。
https://blog.iyohenro.jp/%e3%80%90%e3%81%b8%e3%82%93%e3%82%8d%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b%e3%80%91%e6%84%9b%e5%aa%9b%e7%9c%8c%e5%ae%87%e5%92%8c%e5%b3%b6%e5%b8%82%e9%87%8e%e4%ba%95%e5%9d%82%e3%81%8c/
自分が歩いた時と道の状態は変わっていない様子でした。荒れているとは思わなかったのですが、廃道みたいな遍路道も歩いていますので、感覚の違いでしょうか。
だが、復旧作業がすすんだのだろう、通行に支障となるような倒木は無かったかと思う。
道が崩壊したらしき場所もあったが、迂回路も設けられており、歩きに問題は無かった。
峠まではずっと森の中を進む印象で、視界が開けるのは一箇所だけだったが、峠を越えてからは少し日の差す、明るい場所が多かった。
宮崎橋からは1時間も掛からず、野井坂登り口の看板がある下界へと到達した。
肝心の反対側には、この看板は無かったかと思う。
飛ばされたりしてしまったのだろうか。
「へんろ道保存協力会」のHPによると、野井坂が荒れています、との情報が最近になって掲載されていました。
https://blog.iyohenro.jp/%e3%80%90%e3%81%b8%e3%82%93%e3%82%8d%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b%e3%80%91%e6%84%9b%e5%aa%9b%e7%9c%8c%e5%ae%87%e5%92%8c%e5%b3%b6%e5%b8%82%e9%87%8e%e4%ba%95%e5%9d%82%e3%81%8c/
自分が歩いた時と道の状態は変わっていない様子でした。荒れているとは思わなかったのですが、廃道みたいな遍路道も歩いていますので、感覚の違いでしょうか。
2024年04月10日
【篠山道-50】 野井坂① [2022年2月28日‐その11]
徐々に山あいへと入って行くと、宮崎橋があった。
木の橋が掛けられていたはずだが、流されてしまったのだろうか。
渡れない時は戻って車道へ、と手書きで書かれている。ここまで来て戻れないなあ。
幸い、この日の水量はわずかで、石をつたって問題なく渡ることが出来た。
ここから、歩きの山道となる。
ただ、「宇和島南郊遍路MAP」によると、別ルートに赤い点線がある。
「田辺せつ石仏」なるものまでがあるようだが、本来の古い道はそちらなのだろうか。
宮崎橋を渡ってすぐに石仏・へんろ墓があったが、その先には、昔からの道を示すものは何も無かった気がする。
石組みの囲みがいくつかあり、これは炭焼きで使われていたもの、という事だった。
一ヶ所、大木が根こそぎ倒れていたが、他には特に荒れた場所などは無く、順調に山道を上がり、頂上付近に到達した。
野井坂の峠には、確か看板などは無く、おそらくここが最高地点になるのだろう。
少し下った場所に案内板があり、一昔前には峠の茶屋があったそうで、遍路MAPには、ここでお饅頭を買った、などの記述がある。
木の橋が掛けられていたはずだが、流されてしまったのだろうか。
渡れない時は戻って車道へ、と手書きで書かれている。ここまで来て戻れないなあ。
幸い、この日の水量はわずかで、石をつたって問題なく渡ることが出来た。
ここから、歩きの山道となる。
ただ、「宇和島南郊遍路MAP」によると、別ルートに赤い点線がある。
「田辺せつ石仏」なるものまでがあるようだが、本来の古い道はそちらなのだろうか。
宮崎橋を渡ってすぐに石仏・へんろ墓があったが、その先には、昔からの道を示すものは何も無かった気がする。
石組みの囲みがいくつかあり、これは炭焼きで使われていたもの、という事だった。
一ヶ所、大木が根こそぎ倒れていたが、他には特に荒れた場所などは無く、順調に山道を上がり、頂上付近に到達した。
野井坂の峠には、確か看板などは無く、おそらくここが最高地点になるのだろう。
少し下った場所に案内板があり、一昔前には峠の茶屋があったそうで、遍路MAPには、ここでお饅頭を買った、などの記述がある。
2024年04月07日
【篠山道-49】 満願寺から、野井坂へ③ [2022年2月28日‐その10]
満願寺で貰った遍路MAPによると、
「道中で亡くなった遍路は、そこの村が葬る慣習。
通行手形には、国許へ連絡に及ばずと書かれ、杖が卒塔婆代わり。
墓石があるのは路銀が残っていた場合。」
と、遍路墓に関して、分かりやすく解説してくれていた。
そうだったのか、と勉強になったのだが、ちょっと切なくなってきた。
地図によると、この辺りから、未整備のへんろ道があることになっている。
ちょっと行ってみることにした。
小道が続いていたのだが、途中から道が分からなくなって藪漕ぎみたいになって、しまいには民家の庭先を通るような形で、何とか車道へと合流出来た。
空き家ではなく車が止まっていたから、すいません、といった感じで、そそくさと通り抜ける。入り込まない方が良かったか。
「道中で亡くなった遍路は、そこの村が葬る慣習。
通行手形には、国許へ連絡に及ばずと書かれ、杖が卒塔婆代わり。
墓石があるのは路銀が残っていた場合。」
と、遍路墓に関して、分かりやすく解説してくれていた。
そうだったのか、と勉強になったのだが、ちょっと切なくなってきた。
地図によると、この辺りから、未整備のへんろ道があることになっている。
ちょっと行ってみることにした。
小道が続いていたのだが、途中から道が分からなくなって藪漕ぎみたいになって、しまいには民家の庭先を通るような形で、何とか車道へと合流出来た。
空き家ではなく車が止まっていたから、すいません、といった感じで、そそくさと通り抜ける。入り込まない方が良かったか。
2024年04月04日
【篠山道-48】 満願寺から、野井坂へ② [2022年2月28日‐その9]
満願寺から、来た道を少し戻り、野井坂へと向かう。
ついこの間歩いたような気がするが、5年振りの野井坂だった。
この辺りは結構民家が多く、集落内の洋風なそろばん教室は健在のようだった。
道端に石仏もあったりする。
満願寺の住職さんにもらった、遍路MAPを手にしながら進む。
途中の見所や、廃道になった道まで、丁寧に紹介されている。
遍路シールが貼ってある川を渡り、小学校もある集落を抜けると、山間の静かな道となる。
電柱が無ければ、時代劇にも出てきそうな風景が広がっていた。
野井の集落で左の旧道風の道に入ると、地蔵堂などがある遍路道だったようだが、前回に続き、今回も通り過ぎてしまった。
なぜか、この道は地図に掲載されていない。
山あいの小道をとぼとぼ歩いていると、おへんろ墓があった。
ついこの間歩いたような気がするが、5年振りの野井坂だった。
この辺りは結構民家が多く、集落内の洋風なそろばん教室は健在のようだった。
道端に石仏もあったりする。
満願寺の住職さんにもらった、遍路MAPを手にしながら進む。
途中の見所や、廃道になった道まで、丁寧に紹介されている。
遍路シールが貼ってある川を渡り、小学校もある集落を抜けると、山間の静かな道となる。
電柱が無ければ、時代劇にも出てきそうな風景が広がっていた。
野井の集落で左の旧道風の道に入ると、地蔵堂などがある遍路道だったようだが、前回に続き、今回も通り過ぎてしまった。
なぜか、この道は地図に掲載されていない。
山あいの小道をとぼとぼ歩いていると、おへんろ墓があった。
2024年04月01日
【篠山道-47】 満願寺から、野井坂へ① [2022年2月28日‐その8]
満願寺の住職さんからも、篠山神社からどの道を歩いて来たのか、と聞かれる。
あの枝の山は何とかならないものか、と消えかかっている遍路道の現状をお話しした。
古い遍路道に感心を持ってくれている人たちがいたのは心強かった。
石仏が並ぶ道が、現在進行形で壊されているのだから、何とか守られて欲しいと思う。
45分程も滞在してから、満願寺を出立し、野井坂方面へと向かった。
今になって、満願寺を出ると「篠山道」は終わりなのだろうか、と素朴な疑問が湧いてきた。
「えひめの記憶」で調べてみると、「~大町で中道に合流する」となっている。大町がどこか分からないが、この辺りのことだろう。
ここからは「中道」になるようである。
ちなみに、「上大道で中道から灘道(現代の通常の遍路道)が分岐する」と書かれているから、「中道」が基本の本線、という事になるのだろうか。
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/11/view/1854
あの枝の山は何とかならないものか、と消えかかっている遍路道の現状をお話しした。
古い遍路道に感心を持ってくれている人たちがいたのは心強かった。
石仏が並ぶ道が、現在進行形で壊されているのだから、何とか守られて欲しいと思う。
45分程も滞在してから、満願寺を出立し、野井坂方面へと向かった。
今になって、満願寺を出ると「篠山道」は終わりなのだろうか、と素朴な疑問が湧いてきた。
「えひめの記憶」で調べてみると、「~大町で中道に合流する」となっている。大町がどこか分からないが、この辺りのことだろう。
ここからは「中道」になるようである。
ちなみに、「上大道で中道から灘道(現代の通常の遍路道)が分岐する」と書かれているから、「中道」が基本の本線、という事になるのだろうか。
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/11/view/1854
2024年03月29日
【篠山道-46】 番外札所 満願寺 [2022年2月28日‐その7]
比較的民家がまとまった集落を通り抜けると、いよいよ、番外札所の満願寺に到着となった。
前回訪ねたのが2017年8月だから、4年半ぶり、という事になる。
懐かしさは感じず、ついこの間のことのように感じるのは、年を取ったからだろうか。
参拝して境内をウロウロしていると、車道から、散歩中らしき老夫婦がこちらを見ており、会釈する。この方が満願寺の住職さんだった。
納経して頂けるそうで、お願いした。納経料をお渡しすると、このお金は「中道」のへんろ道復元事業に寄付させてもらいます、との事だった。
前回、「三好旅館」に泊まった時に、満願寺の住職さんは良い方、と仰っていたが、その通りのようだった。
また、「宇和島南郊遍路MAP」なるものを渡してくれた。
これから歩く野井坂方面の見所や地図、消えた遍路道も載っている、かなり詳細なものであった。
これを活用させてもらうことにする。
前回訪ねたのが2017年8月だから、4年半ぶり、という事になる。
懐かしさは感じず、ついこの間のことのように感じるのは、年を取ったからだろうか。
参拝して境内をウロウロしていると、車道から、散歩中らしき老夫婦がこちらを見ており、会釈する。この方が満願寺の住職さんだった。
納経して頂けるそうで、お願いした。納経料をお渡しすると、このお金は「中道」のへんろ道復元事業に寄付させてもらいます、との事だった。
前回、「三好旅館」に泊まった時に、満願寺の住職さんは良い方、と仰っていたが、その通りのようだった。
また、「宇和島南郊遍路MAP」なるものを渡してくれた。
これから歩く野井坂方面の見所や地図、消えた遍路道も載っている、かなり詳細なものであった。
これを活用させてもらうことにする。
2024年03月27日
「みまきガーデン」について
こんばんは。
現在、「みまきガーデン」に泊まった記事を書いておりますが、フェイスブックを見た所、何と、休業してしまった様子。
https://www.facebook.com/mimakigarden/?locale=ja_JP
Googleマップで調べてみると、「閉業」となっていました。何となく、もう終了な印象
篠山神社をグルっと周るコース上での唯一の宿ですから、無くなってしまうと大変困ります。
この辺りは市営バスが運行されており、祓川温泉発の最終が午後5時過ぎなので、それに乗れば津島町内で宿泊は可能で、一応、この遍路道を辿ることは可能なのですが。。。平日のみの運行です。
「一時休園」という事で、復活を期待したい所ですが、どうなるのでしょうか。
また、あの美味しい料理が食べられなくなるとは・・・ランチバイキングに行きたかったです。
他に、もう一度どうしても泊まりたい宿とかもありますので、廃業してしまわないか、と不安になってしまいます。
現在、「みまきガーデン」に泊まった記事を書いておりますが、フェイスブックを見た所、何と、休業してしまった様子。
https://www.facebook.com/mimakigarden/?locale=ja_JP
Googleマップで調べてみると、「閉業」となっていました。何となく、もう終了な印象
篠山神社をグルっと周るコース上での唯一の宿ですから、無くなってしまうと大変困ります。
この辺りは市営バスが運行されており、祓川温泉発の最終が午後5時過ぎなので、それに乗れば津島町内で宿泊は可能で、一応、この遍路道を辿ることは可能なのですが。。。平日のみの運行です。
「一時休園」という事で、復活を期待したい所ですが、どうなるのでしょうか。
また、あの美味しい料理が食べられなくなるとは・・・ランチバイキングに行きたかったです。
他に、もう一度どうしても泊まりたい宿とかもありますので、廃業してしまわないか、と不安になってしまいます。
2024年03月24日
【篠山道-45】 みまきガーデンから、満願寺へ⑤ [2022年2月28日‐その6]
旧道に入り、上芋地谷橋を渡る。
この辺りは「上芋地谷」という集落名のようである。
何とかわいい地名なのだろう。住所が上芋地谷だったらカッコいいなあ。
一旦、県道に出て、再び旧道へと入る、バス停がある場所に、遍路石らしきものが、一段高い場所にあった。
見学しに向かう。
何とか村、と文字は残っているのだが、自分の知識では遍路に関係するものなのかどうかも分からなかった。
お地蔵さんの彫り物があったから、多分遍路石なのだろう。
トンネルはパスして、山裾の、旧道らしき静かな道を進む。
番外札所「満願寺」まで、あと一息である。
この辺りは「上芋地谷」という集落名のようである。
何とかわいい地名なのだろう。住所が上芋地谷だったらカッコいいなあ。
一旦、県道に出て、再び旧道へと入る、バス停がある場所に、遍路石らしきものが、一段高い場所にあった。
見学しに向かう。
何とか村、と文字は残っているのだが、自分の知識では遍路に関係するものなのかどうかも分からなかった。
お地蔵さんの彫り物があったから、多分遍路石なのだろう。
トンネルはパスして、山裾の、旧道らしき静かな道を進む。
番外札所「満願寺」まで、あと一息である。
2024年03月21日
【篠山道-44】 みまきガーデンから、満願寺へ④ [2022年2月28日‐その5]
地元のSさんと、写真を撮り合ってお別れする。
車道の上方にあるという、廃道になった遍路道を、歩かないまでも少し見に行くことにした。
擁壁を上がると、短いが急な斜面となり、荷物を持った身にはかなりきつかったが、登りきると、確かに道の痕跡が見付かった。石垣で守られた道がある。
周囲を小一時間探索して、元の車道へと戻ったのだが、丁石とか、何か遍路道の痕跡などあったりしたのだろうか。
こうやって記事を書いていると、改めて探索したくなってきた。
横吹渓谷を抜けると、再び民家がみられるようになった。
広場で老人が一人、パークゴルフの練習をしている。何とものどかな光景である。
県道を離れ、英語版のへんろ地図に従って、旧道を辿る。
菜の花畑を眺めたり、訪れた春の田舎の歩き旅を楽しんだ。
車道の上方にあるという、廃道になった遍路道を、歩かないまでも少し見に行くことにした。
擁壁を上がると、短いが急な斜面となり、荷物を持った身にはかなりきつかったが、登りきると、確かに道の痕跡が見付かった。石垣で守られた道がある。
周囲を小一時間探索して、元の車道へと戻ったのだが、丁石とか、何か遍路道の痕跡などあったりしたのだろうか。
こうやって記事を書いていると、改めて探索したくなってきた。
横吹渓谷を抜けると、再び民家がみられるようになった。
広場で老人が一人、パークゴルフの練習をしている。何とものどかな光景である。
県道を離れ、英語版のへんろ地図に従って、旧道を辿る。
菜の花畑を眺めたり、訪れた春の田舎の歩き旅を楽しんだ。
2024年03月18日
【篠山道-43】 みまきガーデンから、満願寺へ③ [2022年2月28日‐その4]
遍路道の整備に関わってくれている、地元のSさんと話をする。
篠山神社からの古い遍路道が、作業用の林道によってズタズタになっていることを報告する。
あの道を整備するのはかなり難しいと思うが、迷わないよう、道が分かるようにはしたい、との事であった。
また、今歩いている道の山手に古い遍路道があり、何年か前にそこも踏破したことがあるそうである。
東海図版の四国遍路地図で、廃道のオレンジの点線が引いてある道である。
工事で道が分断されて、一直線には進めなくなっているが、道は続いている。
たまたま今いる場所から擁壁に沿って山に上る道があり、ちょっと藪漕ぎすれば、古い遍路道に辿り着ける、との事であった。
他にも、祓川温泉手前の、篠山神社二の鳥居からの消えた遍路道も歩いたことがあるそうである。
今になって思えば、白衣を着るなど、もう少しお遍路さんスタイルで歩いていれば、篠山神社を巡る歩き遍路は珍しいだろうから、もっと出会いがあったかも知れない。惜しいことをした。
篠山神社からの古い遍路道が、作業用の林道によってズタズタになっていることを報告する。
あの道を整備するのはかなり難しいと思うが、迷わないよう、道が分かるようにはしたい、との事であった。
また、今歩いている道の山手に古い遍路道があり、何年か前にそこも踏破したことがあるそうである。
東海図版の四国遍路地図で、廃道のオレンジの点線が引いてある道である。
工事で道が分断されて、一直線には進めなくなっているが、道は続いている。
たまたま今いる場所から擁壁に沿って山に上る道があり、ちょっと藪漕ぎすれば、古い遍路道に辿り着ける、との事であった。
他にも、祓川温泉手前の、篠山神社二の鳥居からの消えた遍路道も歩いたことがあるそうである。
今になって思えば、白衣を着るなど、もう少しお遍路さんスタイルで歩いていれば、篠山神社を巡る歩き遍路は珍しいだろうから、もっと出会いがあったかも知れない。惜しいことをした。
2024年03月15日
【篠山道-42】 みまきガーデンから、満願寺へ② [2022年2月28日‐その3]
集落を抜け、少しずつ山の方へと向かって行く。
この辺りは愛媛県の宇和島市になるのだが、川の水は高知県の宿毛市へと流れているから、ちょっと変な感覚である。
源池公園というものがあり、ここが松田川の源流となる分水嶺らしい。
ここを過ぎると、民家が途絶えて横吹渓谷となり、川の水は反対方向へと流れるようになっていた。
そんな静かな峠道を歩いていると、お遍路さ~んと、一台の車が止まった。
この時は遍路装束は身に着けておらず、大きなリュックに、篠山を上る時に頂いた竹の杖だけを持って歩いていたのだが、お遍路さんと分かったようである。
中道のへんろ道復元事業にも関わっている、地元のSさんという方だった。
色々な情報を教えてくれた。
篠山神社を周ってきた話をすると、どの道を歩いて来た?との事で、尾根をしばらく歩いて急斜面を下りてきた、と伝える。
どうやら、山の中に道しるべとなっていた三種類のリボンの内、赤いリボンを付けてくれたのがSさんのようであった。
この辺りは愛媛県の宇和島市になるのだが、川の水は高知県の宿毛市へと流れているから、ちょっと変な感覚である。
源池公園というものがあり、ここが松田川の源流となる分水嶺らしい。
ここを過ぎると、民家が途絶えて横吹渓谷となり、川の水は反対方向へと流れるようになっていた。
そんな静かな峠道を歩いていると、お遍路さ~んと、一台の車が止まった。
この時は遍路装束は身に着けておらず、大きなリュックに、篠山を上る時に頂いた竹の杖だけを持って歩いていたのだが、お遍路さんと分かったようである。
中道のへんろ道復元事業にも関わっている、地元のSさんという方だった。
色々な情報を教えてくれた。
篠山神社を周ってきた話をすると、どの道を歩いて来た?との事で、尾根をしばらく歩いて急斜面を下りてきた、と伝える。
どうやら、山の中に道しるべとなっていた三種類のリボンの内、赤いリボンを付けてくれたのがSさんのようであった。
2024年03月12日
【篠山道-41】 みまきガーデンから、満願寺へ① [2022年2月28日‐その2]
「みまきガーデン」を出発、県道に出る。通勤の車なども無さそうで、静かな道だった。
本日の予定は、満願寺から野井坂を通って宇和島まで、を予定している。
集落へと続く細道があり、旧道だろうと入ってみた。
JAの小さなスーパーがあった。くみあいマーケットの名称が懐かしい。
まだ午前8時半過ぎだというのにもう営業していたので、ちょっと立ち寄って飲み物を調達する。昼食になりそうなものはあったかどうか、確認し忘れた。
満願寺の手前に小さな商店はあったが、やはり宿でおむすびを作ってもらって良かったか。
民家が続いているが、かつてはこの辺りに、篠山神社の鳥居があった、と後で地元の方から聞いた。裏参道の一の鳥居とかだろうか。
鳥居があったのは確かだろうが、篠山神社のものだろうか、検索してみるも、よく分からなかった。
写真の場所は、福田百貨店である。
田舎の百貨店と言えば、食料衣料なんでも売っているお店のイメージだが、ここは調べてみると、移住者の方が、自然食品などを売っているこだわりの店で、週四日の営業だった。
本日の予定は、満願寺から野井坂を通って宇和島まで、を予定している。
集落へと続く細道があり、旧道だろうと入ってみた。
JAの小さなスーパーがあった。くみあいマーケットの名称が懐かしい。
まだ午前8時半過ぎだというのにもう営業していたので、ちょっと立ち寄って飲み物を調達する。昼食になりそうなものはあったかどうか、確認し忘れた。
満願寺の手前に小さな商店はあったが、やはり宿でおむすびを作ってもらって良かったか。
民家が続いているが、かつてはこの辺りに、篠山神社の鳥居があった、と後で地元の方から聞いた。裏参道の一の鳥居とかだろうか。
鳥居があったのは確かだろうが、篠山神社のものだろうか、検索してみるも、よく分からなかった。
写真の場所は、福田百貨店である。
田舎の百貨店と言えば、食料衣料なんでも売っているお店のイメージだが、ここは調べてみると、移住者の方が、自然食品などを売っているこだわりの店で、週四日の営業だった。
2024年03月09日
【篠山道-40】 みまきガーデン③ [2022年2月28日‐その1]
HPによると、朝食は7時半からになっていたのでその時間にお願いしたのだが、こちらに合わせてくれるようだった。
多分、もう少し早くても大丈夫そうだった。
洗濯出来ることになっていたが、この時は故障中との事で出来なかった。
本日の予定は、満願寺から野井坂を越え、宇和島まで歩いてから、松山市内で宿泊、翌日帰宅予定である。
朝食は、昨夜とは違うおばちゃんが出勤してきて作ってくれた。食後にはコーヒーまで出してもらった。
今日のルートで食事が出来る場所は無さそうだったから、前日におむすびを用意してもらえるか頼んでみた所、大丈夫だったので4個お願いし、受け取った。お接待で、みかんも頂いた。
途中に、JAの小さなスーパーがあって立ち寄ったのだが、食料はどうだったか、見忘れてしまった。
満願寺近辺にも、小さな商店がいくつかあった。
午前8時20分過ぎと遅い時間に、おばちゃんに見送ってもらい、「みまきガーデン」を出発した。
なかなか良い、お宿だった。
多分、もう少し早くても大丈夫そうだった。
洗濯出来ることになっていたが、この時は故障中との事で出来なかった。
本日の予定は、満願寺から野井坂を越え、宇和島まで歩いてから、松山市内で宿泊、翌日帰宅予定である。
朝食は、昨夜とは違うおばちゃんが出勤してきて作ってくれた。食後にはコーヒーまで出してもらった。
今日のルートで食事が出来る場所は無さそうだったから、前日におむすびを用意してもらえるか頼んでみた所、大丈夫だったので4個お願いし、受け取った。お接待で、みかんも頂いた。
途中に、JAの小さなスーパーがあって立ち寄ったのだが、食料はどうだったか、見忘れてしまった。
満願寺近辺にも、小さな商店がいくつかあった。
午前8時20分過ぎと遅い時間に、おばちゃんに見送ってもらい、「みまきガーデン」を出発した。
なかなか良い、お宿だった。
2024年03月06日
【篠山道-39】 みまきガーデン② [2022年2月27日‐その27]
食堂は、元保育所の教室を利用した狭い部屋だったが、土日には一般の方向けのランチバイキングをやっているそうである。
おじさんが一人で行くのは恥ずかしいのだが、こんなに美味しい料理が食べ放題なら、ぜひ利用したいのだが、次にこの辺りへ行けるのは何年後になるのだろうか。
食堂には、数枚の納札が貼ってあった。
少ないながらも、篠山道を歩くお遍路さんがいるようである。
この日の記事は(その27)までとなった。1日の記事の量としては、おそらく過去最高だろう。
遍路史上に残る、中身の濃い一日でした。
みまきガーデン:一泊二食、缶ビール3本、翌日のおむすび4個で 計7000円
(内訳不明 6000円+600円+400円か?) 〈あかぐみ〉
※洗濯機なし。自販機なし。茶あり。浴衣等なし。朝食の時間は合わせてくれる様子。
宿泊客:歩き遍路1名
おじさんが一人で行くのは恥ずかしいのだが、こんなに美味しい料理が食べ放題なら、ぜひ利用したいのだが、次にこの辺りへ行けるのは何年後になるのだろうか。
食堂には、数枚の納札が貼ってあった。
少ないながらも、篠山道を歩くお遍路さんがいるようである。
この日の記事は(その27)までとなった。1日の記事の量としては、おそらく過去最高だろう。
遍路史上に残る、中身の濃い一日でした。
みまきガーデン:一泊二食、缶ビール3本、翌日のおむすび4個で 計7000円
(内訳不明 6000円+600円+400円か?) 〈あかぐみ〉
※洗濯機なし。自販機なし。茶あり。浴衣等なし。朝食の時間は合わせてくれる様子。
宿泊客:歩き遍路1名
2024年03月03日
【篠山道-38】 みまきガーデン① [2022年2月27日‐その26]
宿の入口には冷蔵ケースがあり、缶ビールが置いてあった。
ちょっと、自分の飲み物を冷やすのに利用させてもらった。
部屋には、ベットが二つに、こたつが置いてある畳の空間があり、窓からは小学校が見える、のどかな部屋だった。
お風呂は、本来なら祓川温泉を利用することになっているのだが、新型コロナの影響により休館中、で宿の内風呂に入った。
宿の予約はメールで行ったのだが、その時対応してくれたSさんが顔を出してくれた。
御槇地区の地域おこし協力隊の一員、という事で、腰の低い良い方で、缶ビールが足りなければ買ってきますよ、との事だった。
宿の食事は、地元のおばちゃん達が交代で作ってくれているようである。
手作り感満載で、大変美味しかった。
ご飯と素麵入りの御汁は4~5杯程、お替りさせてもらった。おかずもお替りを、と言いたかったのだが言えなかった。
一般的に、おかずのお替りってあり得るのでしょうか?
ちょっと、自分の飲み物を冷やすのに利用させてもらった。
部屋には、ベットが二つに、こたつが置いてある畳の空間があり、窓からは小学校が見える、のどかな部屋だった。
お風呂は、本来なら祓川温泉を利用することになっているのだが、新型コロナの影響により休館中、で宿の内風呂に入った。
宿の予約はメールで行ったのだが、その時対応してくれたSさんが顔を出してくれた。
御槇地区の地域おこし協力隊の一員、という事で、腰の低い良い方で、缶ビールが足りなければ買ってきますよ、との事だった。
宿の食事は、地元のおばちゃん達が交代で作ってくれているようである。
手作り感満載で、大変美味しかった。
ご飯と素麵入りの御汁は4~5杯程、お替りさせてもらった。おかずもお替りを、と言いたかったのだが言えなかった。
一般的に、おかずのお替りってあり得るのでしょうか?
2024年02月29日
【篠山道-37】 少林寺から、みまきガーデンへ [2022年2月27日‐その25]
東海図版の「四国遍路地図」によると、少林寺から山を越える遍路道があるが、廃道を示す、オレンジの点線となっている。
確認してみると、確かに歩きの道らしきものが続いていた。
藪漕ぎすれば行けそうではあったが、この日は篠山神社からの遍路道で充分冒険してきたので、もうお腹一杯だった。
探索はせず、素直に英語版の地図通り、山越えの舗装路を進む。
車一台が通れるような、細道だった。
麓に下りてくると、小学校があった。
きっと廃校だろうなあ、と思ったら、児童は10人位だが現役だそうだ。
移住者は子沢山、という話だったから、そのお陰で小学校も存続しているのだろう。
そこからすぐの場所にある、元保育所の建物を利用した、本日の宿「みまきガーデン」には、午後5時過ぎに到着した。
本日のコースタイム
ホテルセレクト愛媛愛南町6:11→6:44増田(中組)→7:54歓喜光寺8:05→8:31篠山神社二の鳥居8:51→11:22篠山神社11:56→15:26祓川温泉→15:47岩陰大師→16:20日切大師16:36→16:44少林寺→17:08みまきガーデン
歩行距離:24.9km[YAMAP計測]
歩数 :44462歩
最高気温:15.9℃
最低気温:1.5℃[愛南町御荘]
確認してみると、確かに歩きの道らしきものが続いていた。
藪漕ぎすれば行けそうではあったが、この日は篠山神社からの遍路道で充分冒険してきたので、もうお腹一杯だった。
探索はせず、素直に英語版の地図通り、山越えの舗装路を進む。
車一台が通れるような、細道だった。
麓に下りてくると、小学校があった。
きっと廃校だろうなあ、と思ったら、児童は10人位だが現役だそうだ。
移住者は子沢山、という話だったから、そのお陰で小学校も存続しているのだろう。
そこからすぐの場所にある、元保育所の建物を利用した、本日の宿「みまきガーデン」には、午後5時過ぎに到着した。
本日のコースタイム
ホテルセレクト愛媛愛南町6:11→6:44増田(中組)→7:54歓喜光寺8:05→8:31篠山神社二の鳥居8:51→11:22篠山神社11:56→15:26祓川温泉→15:47岩陰大師→16:20日切大師16:36→16:44少林寺→17:08みまきガーデン
歩行距離:24.9km[YAMAP計測]
歩数 :44462歩
最高気温:15.9℃
最低気温:1.5℃[愛南町御荘]