2014年10月29日
【429】歩き遍路47日目〈その1〉[2012年6月28日]
歩き遍路二巡目、最終日である。
今日は、與田寺を打って、満願とする。
結願と満願の違いが分からないが、(88)大窪寺を打って結願、與田寺を打って満願と、自分なりのルールで決めた。
午前7時に、白鳥温泉を出発した。
川を挟んで向かい側には黒川温泉がある。こちらは小さい宿なのだが、新築したのだろうか、きれいな建物である。
静かな車道を歩いていく。道しるべに従って左折する。三宝寺というお寺の辺りに出た。進むべき方向を探していると、市営バスだろうか、運転手さんが、そっち、と指差しで教えてくれた。
そのまま車道を進んで行けばよかったのだが、四国の道の道しるべがあり歩きの道へと誘導していたので、そちらに入ってみた。
やはりというか、途中から草ボーボーのひどい道になってしまった。何となくそんな予感がしていたのだが、ついついそれでも突っ込んでいってしまうのはいつもの事か。
車道に合流し、星越峠にやって来た。ちょっとした広場になっており、峠の由来の案内板やベンチがある。大窪寺から與田寺や水主神社に向かう遍路道であり、商人たちが往復した、歩荷の道であった、との事である。
今日は、與田寺を打って、満願とする。
結願と満願の違いが分からないが、(88)大窪寺を打って結願、與田寺を打って満願と、自分なりのルールで決めた。
午前7時に、白鳥温泉を出発した。
川を挟んで向かい側には黒川温泉がある。こちらは小さい宿なのだが、新築したのだろうか、きれいな建物である。
静かな車道を歩いていく。道しるべに従って左折する。三宝寺というお寺の辺りに出た。進むべき方向を探していると、市営バスだろうか、運転手さんが、そっち、と指差しで教えてくれた。
そのまま車道を進んで行けばよかったのだが、四国の道の道しるべがあり歩きの道へと誘導していたので、そちらに入ってみた。
やはりというか、途中から草ボーボーのひどい道になってしまった。何となくそんな予感がしていたのだが、ついついそれでも突っ込んでいってしまうのはいつもの事か。
車道に合流し、星越峠にやって来た。ちょっとした広場になっており、峠の由来の案内板やベンチがある。大窪寺から與田寺や水主神社に向かう遍路道であり、商人たちが往復した、歩荷の道であった、との事である。
2014年10月26日
【428】歩き遍路46日目〈その15〉[2012年6月27日]
白鳥温泉は、日帰り入浴客(400円)で賑わっていた。ここに泊まる事が出来るのが、何となくうれしくなってくる。
夕食が20時までとの事で、先に食事とし、食堂に向かう。個人的には大好きな、一昔前風の食堂である。自分ともう一組、数人のグループが食事をしている。
食後、温泉に入ったはずだが、記憶がすっかり飛んでしまっており、どんなお風呂だったかすっかり忘れてしまっていた。
しかし、今年の冬に再訪して、懐かしく思い出されてきた。
建物は、築20年くらいだろうか、古くもなく、新しくもない感じだ。共同の洗面所だけが使いにくかった。
夜、施設内を散歩する。先程まで賑わっていたロビーも、薄暗くすっかり静かであった。
白鳥温泉:一泊夕食 6400円 〈松の間・6畳〉
※洗濯機200円・乾燥機100円、シーツ・お茶あり、冷蔵庫なし、自販機あり
朝食は7時半から
宿泊客:数組、歩き遍路1人
夕食が20時までとの事で、先に食事とし、食堂に向かう。個人的には大好きな、一昔前風の食堂である。自分ともう一組、数人のグループが食事をしている。
食後、温泉に入ったはずだが、記憶がすっかり飛んでしまっており、どんなお風呂だったかすっかり忘れてしまっていた。
しかし、今年の冬に再訪して、懐かしく思い出されてきた。
建物は、築20年くらいだろうか、古くもなく、新しくもない感じだ。共同の洗面所だけが使いにくかった。
夜、施設内を散歩する。先程まで賑わっていたロビーも、薄暗くすっかり静かであった。
白鳥温泉:一泊夕食 6400円 〈松の間・6畳〉
※洗濯機200円・乾燥機100円、シーツ・お茶あり、冷蔵庫なし、自販機あり
朝食は7時半から
宿泊客:数組、歩き遍路1人
2014年10月22日
【427】歩き遍路46日目〈その14〉[2012年6月27日]
八丁坂を越えて、へんろみち保存協力会の道しるべに従って右へ。
旧市場町と白鳥町の境の境目という集落である。すぐに左折して車道を進む。
中尾峠という所から、歩きの道に入る。既に時刻は、夕方6時となっている。歩きお遍路の皆様へ、という新しい張り紙があり、途中崩落しているので、車道を行かれた方が安全です、と書かれていたのだが、やはり遍路道を歩きたいので通ってみることにした。
東屋のある休憩所があったが、もうかなり暗くなりつつあるので通過する。一部、道路が崩れている場所があったが、歩きには支障なかった。
再び車道に合流する。薄暗い、森の中の寂しく細い舗装路を歩いていく。相変わらず、遍路石が多い。
視界が開け、突然、立派で大きな建物が現れ驚いた。本日の宿、白鳥温泉である。
これまで車などほとんど見掛けなかったが、たくさんの車が止まっている。反対方向から来たのだろう。
本日のコースタイム
栄荘7:04→7:08(86)志度寺7:27→9:11(87)長尾寺9:30→11:03おへんろ交流サロン12:18→14:11女体山14:27→15:11(88)大窪寺16:14→18:40白鳥温泉
歩行距離:29.2km
歩数 :49569歩
最高気温:24.4℃
最低気温:21.4℃[高松市]
旧市場町と白鳥町の境の境目という集落である。すぐに左折して車道を進む。
中尾峠という所から、歩きの道に入る。既に時刻は、夕方6時となっている。歩きお遍路の皆様へ、という新しい張り紙があり、途中崩落しているので、車道を行かれた方が安全です、と書かれていたのだが、やはり遍路道を歩きたいので通ってみることにした。
東屋のある休憩所があったが、もうかなり暗くなりつつあるので通過する。一部、道路が崩れている場所があったが、歩きには支障なかった。
再び車道に合流する。薄暗い、森の中の寂しく細い舗装路を歩いていく。相変わらず、遍路石が多い。
視界が開け、突然、立派で大きな建物が現れ驚いた。本日の宿、白鳥温泉である。
これまで車などほとんど見掛けなかったが、たくさんの車が止まっている。反対方向から来たのだろう。
本日のコースタイム
栄荘7:04→7:08(86)志度寺7:27→9:11(87)長尾寺9:30→11:03おへんろ交流サロン12:18→14:11女体山14:27→15:11(88)大窪寺16:14→18:40白鳥温泉
歩行距離:29.2km
歩数 :49569歩
最高気温:24.4℃
最低気温:21.4℃[高松市]
2014年10月18日
【426】歩き遍路46日目〈その13〉[2012年6月27日]
(88)大窪寺を過ぎてからは、遍路シールなど、道しるべが急に少なくなり、歩いている道が合っているのか、少々不安になってくる。
五名トンネルの手前の分岐までやって来た。白鳥温泉へはこのトンネルをくぐった方が楽そうである。
この先、遍路道は山越えとなるが、辺りは薄暗くなってきているし、おそらく草も生えているだろうからマムシの心配もある。
少々迷ったが、ここはやはりトンネルは使わず、遍路道を歩くことにした。
少し進むと、(11)切幡寺への道との分岐となった。左が與田寺である。
ここで、広島のお姉さんともお別れである。(75)善通寺から(76)金倉寺の間でお見掛けしてから、4日間の出会いでした。
ここから少しの山越えである。東海図版の地図には、(45)岩屋寺の手前と同じ、「八丁坂」と書かれている道である。
薄暗くなりつつある竹林の中の道をそそくさと通り抜ける。指差しの分かりやすい遍路石があり、白鳥三里 三番七里と書かれてある。もう少しじっくりと歩いてみたい峠道であったが、日没間近とあっては仕方がない。
20分ほどで車道に合流した。おそらくこの道を歩くお遍路さんはかなり少ないだろうが、それ程荒れた感じはなかった。
へんろ地図によると、この辺りには西教寺道というルートがあったり、白鳥神社を経由する方法もあったり、古い遍路石がしっかりと残っているなど、歩いてみたい道がたくさんある。
この辺りだけ歩いてみたいのだが、やっぱり1番から順番に回って、ここまで来ないとならないかなあ。
五名トンネルの手前の分岐までやって来た。白鳥温泉へはこのトンネルをくぐった方が楽そうである。
この先、遍路道は山越えとなるが、辺りは薄暗くなってきているし、おそらく草も生えているだろうからマムシの心配もある。
少々迷ったが、ここはやはりトンネルは使わず、遍路道を歩くことにした。
少し進むと、(11)切幡寺への道との分岐となった。左が與田寺である。
ここで、広島のお姉さんともお別れである。(75)善通寺から(76)金倉寺の間でお見掛けしてから、4日間の出会いでした。
ここから少しの山越えである。東海図版の地図には、(45)岩屋寺の手前と同じ、「八丁坂」と書かれている道である。
薄暗くなりつつある竹林の中の道をそそくさと通り抜ける。指差しの分かりやすい遍路石があり、白鳥三里 三番七里と書かれてある。もう少しじっくりと歩いてみたい峠道であったが、日没間近とあっては仕方がない。
20分ほどで車道に合流した。おそらくこの道を歩くお遍路さんはかなり少ないだろうが、それ程荒れた感じはなかった。
へんろ地図によると、この辺りには西教寺道というルートがあったり、白鳥神社を経由する方法もあったり、古い遍路石がしっかりと残っているなど、歩いてみたい道がたくさんある。
この辺りだけ歩いてみたいのだが、やっぱり1番から順番に回って、ここまで来ないとならないかなあ。
2014年10月15日
【425】歩き遍路46日目〈その12〉[2012年6月27日]
(88)大窪寺を出ると、幅の広い道路が続いているが、拡張工事が進行中のようであり、昔ながらの細い道も残っていた。
しばらく歩いていると、前方に広島のお姉さんが歩いていた。ゆっくり歩いていたので直に追いついて、一緒に歩くこととなった。今回の遍路旅では、他のお遍路さんとの初めての同行である。
通し打ちであり、歩き始めたのがGWの前ということで、ビックリしてしまった。もう二ヶ月以上も経っている。GW中は知り合いの所で休んでいたので歩いていないそうだったが、それでも日時が掛かっている。
少しずつ歩いているうちに足腰が鍛えられて、結願まで来れたのだろう。
途中からは、善根宿で紹介してもらった、父親と同じ年のお遍路さんと一緒に、テントに泊まりながら歩いていたという。そんな事が現実にあるのだろうか、と不思議だった。危険は無かったらしい。
その方は、伊予三島辺りから旧池田町を通り、高知の方へと帰っていったそうである。
出来るだけ安い宿に泊まるか野宿をしており、今日の宿も悩んでいたが、この先の野宿スポットに向かうことになった。
そして、中萩の善根宿のノートに書いていたのは彼女だった、という事が分かったhttp://masaushi3975.kitemi.net/e65651.html 。
もう一度四国を回ってみたいか聞いてみると、次はこっちの道を歩いてみたい、とか色々出てくる、と話していた。やっぱりみんな同じだなあ。
しばらく歩いていると、前方に広島のお姉さんが歩いていた。ゆっくり歩いていたので直に追いついて、一緒に歩くこととなった。今回の遍路旅では、他のお遍路さんとの初めての同行である。
通し打ちであり、歩き始めたのがGWの前ということで、ビックリしてしまった。もう二ヶ月以上も経っている。GW中は知り合いの所で休んでいたので歩いていないそうだったが、それでも日時が掛かっている。
少しずつ歩いているうちに足腰が鍛えられて、結願まで来れたのだろう。
途中からは、善根宿で紹介してもらった、父親と同じ年のお遍路さんと一緒に、テントに泊まりながら歩いていたという。そんな事が現実にあるのだろうか、と不思議だった。危険は無かったらしい。
その方は、伊予三島辺りから旧池田町を通り、高知の方へと帰っていったそうである。
出来るだけ安い宿に泊まるか野宿をしており、今日の宿も悩んでいたが、この先の野宿スポットに向かうことになった。
そして、中萩の善根宿のノートに書いていたのは彼女だった、という事が分かったhttp://masaushi3975.kitemi.net/e65651.html 。
もう一度四国を回ってみたいか聞いてみると、次はこっちの道を歩いてみたい、とか色々出てくる、と話していた。やっぱりみんな同じだなあ。
2014年10月11日
【424】歩き遍路46日目〈その11〉[2012年6月27日]
大窪寺門前の「八十八庵」で、うどんを頂く。
午後4時過ぎということもあり貸切で、ウォーカーズで映っていたのはここだったかな、などと好きに過ごさせてもらった。
店の方に写真を撮ってもらい、帰り際に買ったソフトクリームを食べながら出発した。
今日の宿は「白鳥温泉」を予約してある。温泉宿に泊まることなどほとんどないので、楽しみである。
別格の20番大滝寺にも行きたかったのだが、もう帰らなければならない日がきていたので今回はあきらめることにした。大滝寺も箸蔵寺や神野寺と同じように、一日がかりで往復しなければならないようである。
店横には遍路石があり、切幡と白鳥へ道案内をしている。
白鳥というのは白鳥神社だろうか。この先、たくさんの遍路石があったのだが、ほとんどが白鳥と書かれていた気がする。與田寺というのはあまり見なかったような。
(88)大窪寺を参拝した後は、白鳥に向かうのが大勢だった時代があったのだろうか。
へんろ地図には、「三本松港が関西の窓口として栄えた頃、與田寺はお礼参りの寺として多くの遍路が訪れた」と書かれてあるが、白鳥付近が栄えた時代があったのかも知れない。
東海図版の四国遍路地図には、白鳥神社経由で(3)金泉寺に向かう道が書かれている。へんろみち保存協力会の地図には、なぜか白鳥神社は書かれていない。
午後4時過ぎということもあり貸切で、ウォーカーズで映っていたのはここだったかな、などと好きに過ごさせてもらった。
店の方に写真を撮ってもらい、帰り際に買ったソフトクリームを食べながら出発した。
今日の宿は「白鳥温泉」を予約してある。温泉宿に泊まることなどほとんどないので、楽しみである。
別格の20番大滝寺にも行きたかったのだが、もう帰らなければならない日がきていたので今回はあきらめることにした。大滝寺も箸蔵寺や神野寺と同じように、一日がかりで往復しなければならないようである。
店横には遍路石があり、切幡と白鳥へ道案内をしている。
白鳥というのは白鳥神社だろうか。この先、たくさんの遍路石があったのだが、ほとんどが白鳥と書かれていた気がする。與田寺というのはあまり見なかったような。
(88)大窪寺を参拝した後は、白鳥に向かうのが大勢だった時代があったのだろうか。
へんろ地図には、「三本松港が関西の窓口として栄えた頃、與田寺はお礼参りの寺として多くの遍路が訪れた」と書かれてあるが、白鳥付近が栄えた時代があったのかも知れない。
東海図版の四国遍路地図には、白鳥神社経由で(3)金泉寺に向かう道が書かれている。へんろみち保存協力会の地図には、なぜか白鳥神社は書かれていない。
2014年10月07日
【423】歩き遍路46日目〈その10〉[2012年6月27日]
2012年6月27日午後3時11分、四国八十八ヶ所霊場第八十八番大窪寺に到着した。
女体山から歩いてくると境内に直接たどり着くので、一旦山門を出てから一礼して入ることにした。元気に結願出来たことがうれしい。
到着して5分後くらいには、広島のお姉さんもやって来た。結願も同時になるとは、名前も何も聞いていないが、やはり彼女とはご縁があったのだろう。
参拝を終え、納経所へ。一巡目に続き今回も、結願の証(2000円)を書いてもらった。お杖を納めていくという話もあるが、今回も自宅に持って帰ることにする。
(88)大窪寺での一番の目的を果たさなければならない。またまた「ウォーカーズ」の話になるが、みんなが結願後にうどんを食べていた店に入ることである。
一巡目の時には、夕方5時を過ぎて到着したので、人の気配が無かったのである。今日はどの店もまだ営業している。
まずは、休憩所の辺りに行ってみると、二人のお遍路さんが。「栄荘」で一緒だった松山のOさん、そして「民宿岡田」で別れて以来の、同じく松山のYさんであった。自分は別格を回りながらであるから、ずいぶんとゆっくりペースでの結願である。
お二人は程なくやって来たコミュニティバスで帰って行った。
女体山から歩いてくると境内に直接たどり着くので、一旦山門を出てから一礼して入ることにした。元気に結願出来たことがうれしい。
到着して5分後くらいには、広島のお姉さんもやって来た。結願も同時になるとは、名前も何も聞いていないが、やはり彼女とはご縁があったのだろう。
参拝を終え、納経所へ。一巡目に続き今回も、結願の証(2000円)を書いてもらった。お杖を納めていくという話もあるが、今回も自宅に持って帰ることにする。
(88)大窪寺での一番の目的を果たさなければならない。またまた「ウォーカーズ」の話になるが、みんなが結願後にうどんを食べていた店に入ることである。
一巡目の時には、夕方5時を過ぎて到着したので、人の気配が無かったのである。今日はどの店もまだ営業している。
まずは、休憩所の辺りに行ってみると、二人のお遍路さんが。「栄荘」で一緒だった松山のOさん、そして「民宿岡田」で別れて以来の、同じく松山のYさんであった。自分は別格を回りながらであるから、ずいぶんとゆっくりペースでの結願である。
お二人は程なくやって来たコミュニティバスで帰って行った。
2014年10月04日
【422】歩き遍路46日目〈その9〉[2012年6月27日]
女体山から下っていくと、へんろ地図には胎蔵峰と書かれた場所がある。(88)大窪寺の奥の院であるらしい。
200m遍路道から外れるが、行ってみる事にした。分岐から少し先にリュックを置いていく。まさかこの場所からリュックが消えてしまうことは無いだろう。
ほんの少しの距離の寄り道だが、歩き遍路をしていると少しでも早く先に進みたい意識が働くのでパスしがちである。
道端にトタンで覆われた建物がある。納札を入れる青い箱もあることから、ここが奥の院のようである。もう少し立派な建物を想像していたので、拍子抜けである。
奥の院への訪問はほとんどしたことがないのだが、どのお寺の奥の院もこういった様子なのだろうか。
遍路道に戻り、歩きの道をジグザグ下っていくと、大窪寺周辺を見下ろせる広場がある。
ウォーカーズのロケ地にもなった場所のはずである。写真を撮っている場所が江口洋介と戸田菜穂が抱き合っていた所で、写真の場所は、原田芳雄らがそれを見て、そそくさと立ち去った所ではないだろうか。
道を下っていくと、いつの間にか(88)大窪寺の境内に到着である。女体山からのルートでは、山門ではなく、境内に直接降りて来ることになる。
二回目の結願を迎えた。
200m遍路道から外れるが、行ってみる事にした。分岐から少し先にリュックを置いていく。まさかこの場所からリュックが消えてしまうことは無いだろう。
ほんの少しの距離の寄り道だが、歩き遍路をしていると少しでも早く先に進みたい意識が働くのでパスしがちである。
道端にトタンで覆われた建物がある。納札を入れる青い箱もあることから、ここが奥の院のようである。もう少し立派な建物を想像していたので、拍子抜けである。
奥の院への訪問はほとんどしたことがないのだが、どのお寺の奥の院もこういった様子なのだろうか。
遍路道に戻り、歩きの道をジグザグ下っていくと、大窪寺周辺を見下ろせる広場がある。
ウォーカーズのロケ地にもなった場所のはずである。写真を撮っている場所が江口洋介と戸田菜穂が抱き合っていた所で、写真の場所は、原田芳雄らがそれを見て、そそくさと立ち去った所ではないだろうか。
道を下っていくと、いつの間にか(88)大窪寺の境内に到着である。女体山からのルートでは、山門ではなく、境内に直接降りて来ることになる。
二回目の結願を迎えた。
2014年10月01日
【421】歩き遍路46日目〈その8〉[2012年6月27日]
少し車道を進む。通る車は無い。
一巡目の時には、この辺りの人気の無い所で、麓の町から車で涼みに来ていたおじいさんがおり、飲み物を頂いて休憩した場所がある。
宿への到着は遅くなりそうだし、これ以上山道を歩けそうになく、もうダメかと諦めかけていたのだが、ここで一休みしたことで、何とか女体山を越えて、夕方遅くに(88)大窪寺に到達出来た。
その休憩した場所を探しながら歩いたのだが、なぜなのか、どこだったか特定出来なかった。あれは、お大師様による夢の出来事だったりして。
再び歩きの道となるが一旦車道を横切って、また歩きの山道となる。
有名な岩場を、這うように登る。岩に取っ手が付いた場所を上り切り、女体山(763m)の山頂へ、元気に到達した。
今日は天候が良いので、瀬戸内海の島々まで見渡すことが出来た。山と平地の境目には、先ほど側を歩いてきた前山ダムも見えている。
今朝、あの遥か彼方の麓の町から、歩いてここまで来たというのが信じられない。
何枚も記念写真を撮り、出発する。少し先に東屋がある。この辺りが女体山の本当の頂上のようである。
一巡目の時には、この辺りの人気の無い所で、麓の町から車で涼みに来ていたおじいさんがおり、飲み物を頂いて休憩した場所がある。
宿への到着は遅くなりそうだし、これ以上山道を歩けそうになく、もうダメかと諦めかけていたのだが、ここで一休みしたことで、何とか女体山を越えて、夕方遅くに(88)大窪寺に到達出来た。
その休憩した場所を探しながら歩いたのだが、なぜなのか、どこだったか特定出来なかった。あれは、お大師様による夢の出来事だったりして。
再び歩きの道となるが一旦車道を横切って、また歩きの山道となる。
有名な岩場を、這うように登る。岩に取っ手が付いた場所を上り切り、女体山(763m)の山頂へ、元気に到達した。
今日は天候が良いので、瀬戸内海の島々まで見渡すことが出来た。山と平地の境目には、先ほど側を歩いてきた前山ダムも見えている。
今朝、あの遥か彼方の麓の町から、歩いてここまで来たというのが信じられない。
何枚も記念写真を撮り、出発する。少し先に東屋がある。この辺りが女体山の本当の頂上のようである。