2015年07月29日
【3巡目-8】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その7〉[2015年1月10日]
(3)金泉寺を出発し、板野町の中心部に入って来た。
これも有名なのかも知れないが、お遍路さん歓迎の理髪店がある。男人「決意の丸坊主」、女人「覚悟の丸坊主」と書かれている。
以前は手書きだったような気もするが、現在はきれいに印刷されたものだった。店内からは、賑やかな笑い声が聞こえてきていた。
踏切に差し掛かる辺り、前方に、先程金泉寺で見掛けた、スーパーの袋を持ったAさんが歩いていた。歩き遍路だったようだ。
その踏切脇には、古い遍路石があったのだが、一つは「金泉寺・大日寺」、もう一つは確信が持てないが、「ことひら・はしくら道」となっていた。こんな遠い場所にまで、[15]箸蔵寺の名前が出てくるのには驚いた。
かつては賑わったであろう大寺院、箸蔵寺での貸切だった参拝が懐かしく思い出される。
踏切から5分程で、「岡の宮の大クス」と呼ばれる、樹齢約700年という立派なクスノキがあり、しばし見入る。
木や花の名前を覚えることに凝りだしてからは、こうした樹木にも関心が向くようになってきた。
商店、住宅が途切れ、少し視界が開けてきた。並行して走っている県道沿いに、10年前には見掛けなかった、ドラッグストアやコンビニも複数見えている。
以前、二番札所の売店では、この先に食べる所が無いから、とお寿司などを販売していたかと思うが、ここ数年の間に随分と変化してしまったものである。
これも有名なのかも知れないが、お遍路さん歓迎の理髪店がある。男人「決意の丸坊主」、女人「覚悟の丸坊主」と書かれている。
以前は手書きだったような気もするが、現在はきれいに印刷されたものだった。店内からは、賑やかな笑い声が聞こえてきていた。
踏切に差し掛かる辺り、前方に、先程金泉寺で見掛けた、スーパーの袋を持ったAさんが歩いていた。歩き遍路だったようだ。
その踏切脇には、古い遍路石があったのだが、一つは「金泉寺・大日寺」、もう一つは確信が持てないが、「ことひら・はしくら道」となっていた。こんな遠い場所にまで、[15]箸蔵寺の名前が出てくるのには驚いた。
かつては賑わったであろう大寺院、箸蔵寺での貸切だった参拝が懐かしく思い出される。
踏切から5分程で、「岡の宮の大クス」と呼ばれる、樹齢約700年という立派なクスノキがあり、しばし見入る。
木や花の名前を覚えることに凝りだしてからは、こうした樹木にも関心が向くようになってきた。
商店、住宅が途切れ、少し視界が開けてきた。並行して走っている県道沿いに、10年前には見掛けなかった、ドラッグストアやコンビニも複数見えている。
以前、二番札所の売店では、この先に食べる所が無いから、とお寿司などを販売していたかと思うが、ここ数年の間に随分と変化してしまったものである。
2015年07月25日
【3巡目-7】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その6〉[2015年1月10日]
昨年2月の二巡目満願時には、梅の真っ赤な花が咲いていたのが印象的だった(3)金泉寺だったが、今はまだ枯木のままである。
大師堂でお経を唱えていると、視界の範囲に「黄金地蔵尊」があり、参拝客の姿があった。
何があるのかと向かってみると、井戸があった。
覗いてみると、自分の姿が写っていた。
何も変なものが写りませんように、と祈りながらサッと写真を撮ってみた。幸い、何も写っていないようである。
この井戸が、長寿をもたらす黄金の井戸として、金泉寺の名前の由来となっていることに、帰宅後に調べて判明した。姿が写れば長生き‥‥という言い伝えもある様子。
(17)井戸寺に、同じような井戸があることは知っていたが、金泉寺にもあるのは知らなかった。
参拝後、あぜ道の遍路道から直接境内に入ったことから、手水場での作法をすっかり忘れてしまったことに気付き、慌てて清める。
このお寺の納経所は、いつも応対が丁寧であり、おもてなしの心でお遍路さんに接するように、と徹底的に教育されています、といった感じである。
テントの広い休憩所や自販機が用意されており、歩き遍路がゆっくり休めるように、との配慮がもしかしたらあるのだろうか。
ここで一休みさせてもらうが、今日は別格の大山寺にも参拝予定である。早々に出立した。
大師堂でお経を唱えていると、視界の範囲に「黄金地蔵尊」があり、参拝客の姿があった。
何があるのかと向かってみると、井戸があった。
覗いてみると、自分の姿が写っていた。
何も変なものが写りませんように、と祈りながらサッと写真を撮ってみた。幸い、何も写っていないようである。
この井戸が、長寿をもたらす黄金の井戸として、金泉寺の名前の由来となっていることに、帰宅後に調べて判明した。姿が写れば長生き‥‥という言い伝えもある様子。
(17)井戸寺に、同じような井戸があることは知っていたが、金泉寺にもあるのは知らなかった。
参拝後、あぜ道の遍路道から直接境内に入ったことから、手水場での作法をすっかり忘れてしまったことに気付き、慌てて清める。
このお寺の納経所は、いつも応対が丁寧であり、おもてなしの心でお遍路さんに接するように、と徹底的に教育されています、といった感じである。
テントの広い休憩所や自販機が用意されており、歩き遍路がゆっくり休めるように、との配慮がもしかしたらあるのだろうか。
ここで一休みさせてもらうが、今日は別格の大山寺にも参拝予定である。早々に出立した。
2015年07月20日
【3巡目-6】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その5〉[2015年1月10日]
本日の宿を確保した所で、(2)極楽寺を出発する。
極楽寺までは車道のみを歩くことになるのだが、ここからはほんの少し、墓地の中を通り抜ける歩きの道となる。
初めて歩いたお遍路さんにとっては、このような道も歩くのか、と歩き遍路の面白さを実感し始めるのではないだろうか。
駐車場脇の細い道を入り、小さな丘を越えて、再び車道を歩く。
この辺りの遍路道を歩くのは4回目になるはずだが、その割には意外と記憶に残っておらず、こんな道歩いたかなあ、と思い返すことしばしばである。
もうすっかりお馴染みになっているあぜ道の遍路道へと差し掛かった。このあぜ道から直接、(3)金泉寺の境内へと入って行く。
以前とは大きな変化が。
あぜ道が、完全な土の道ではなくなっており、四角いコンクリートブロックが埋め込まれたような道に変わってしまっていた。少々、寂しい思いがする。
(3)金泉寺に到着、これも恒例になりつつあるが、境内の一角にあるテントの休憩所に荷物を下ろす。
天候の悪い時などには、歩き遍路にとって大いに助かる場所である。
先客の方が荷物の整理をしていた。小さなリュックにスーパーの袋を二つ持っている40才前後位の方。遍路装束ではないが、歩き遍路だろうか。とりあえず、あいさつをする。この先何度かお見掛けするので、Aさんとしておこう。
極楽寺までは車道のみを歩くことになるのだが、ここからはほんの少し、墓地の中を通り抜ける歩きの道となる。
初めて歩いたお遍路さんにとっては、このような道も歩くのか、と歩き遍路の面白さを実感し始めるのではないだろうか。
駐車場脇の細い道を入り、小さな丘を越えて、再び車道を歩く。
この辺りの遍路道を歩くのは4回目になるはずだが、その割には意外と記憶に残っておらず、こんな道歩いたかなあ、と思い返すことしばしばである。
もうすっかりお馴染みになっているあぜ道の遍路道へと差し掛かった。このあぜ道から直接、(3)金泉寺の境内へと入って行く。
以前とは大きな変化が。
あぜ道が、完全な土の道ではなくなっており、四角いコンクリートブロックが埋め込まれたような道に変わってしまっていた。少々、寂しい思いがする。
(3)金泉寺に到着、これも恒例になりつつあるが、境内の一角にあるテントの休憩所に荷物を下ろす。
天候の悪い時などには、歩き遍路にとって大いに助かる場所である。
先客の方が荷物の整理をしていた。小さなリュックにスーパーの袋を二つ持っている40才前後位の方。遍路装束ではないが、歩き遍路だろうか。とりあえず、あいさつをする。この先何度かお見掛けするので、Aさんとしておこう。
2015年07月16日
【3巡目-5】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その4〉[2015年1月10日]
石柱には、「四国第二番 霊場極楽寺」とはっきり書かれており、立派なものであった。
今歩いて来た道が、昔からの遍路道で間違いない、ということだろう。
ちなみに、この門は、「石柱」という名称でよいのだろうか? 門柱、石柱門、山門、とどの名称になるのか分からないので、とりあえず石柱とした。
石柱の門をくぐり、引き続き住宅街の狭い道を少し進むと、見覚えのある赤い門が視線の先に見えてきた。
県道を横断すると、(2)極楽寺に到着である。
ほんの短い距離だったが、まだ歩いたことの無い道でもあり、立派な石柱にも出合えて、新鮮な道行となった。
もう何度も訪れているお寺のような印象がするが、本堂はどこだったか、記憶に残っていなかった。
境内はわりと広いのだが、本堂や大師堂は、石段を上った、狭い一角に配置されていた。
一番札所で見掛けた方たちも、ちらほらと見受けられる。これまでの所、歩いている風の人はまだ見ていない。
納経を終え、これまで3度泊まっており、気に入っている宿でもある、(6)安楽寺の宿坊に予約の連絡をする。
ところが、何か行事があるとの事で、宿泊不可だった。この宿坊に泊まるのを楽しみにしていたこともあり、大ショックである。
へんろ地図を見て、本日の宿を再検討する。安楽寺の手前にある、「民宿寿食堂」に連絡してみると、明るい感じのおっちゃんが電話に出て、宿泊出来るとの事だった。無事に、本日の宿を確保した。
今歩いて来た道が、昔からの遍路道で間違いない、ということだろう。
ちなみに、この門は、「石柱」という名称でよいのだろうか? 門柱、石柱門、山門、とどの名称になるのか分からないので、とりあえず石柱とした。
石柱の門をくぐり、引き続き住宅街の狭い道を少し進むと、見覚えのある赤い門が視線の先に見えてきた。
県道を横断すると、(2)極楽寺に到着である。
ほんの短い距離だったが、まだ歩いたことの無い道でもあり、立派な石柱にも出合えて、新鮮な道行となった。
もう何度も訪れているお寺のような印象がするが、本堂はどこだったか、記憶に残っていなかった。
境内はわりと広いのだが、本堂や大師堂は、石段を上った、狭い一角に配置されていた。
一番札所で見掛けた方たちも、ちらほらと見受けられる。これまでの所、歩いている風の人はまだ見ていない。
納経を終え、これまで3度泊まっており、気に入っている宿でもある、(6)安楽寺の宿坊に予約の連絡をする。
ところが、何か行事があるとの事で、宿泊不可だった。この宿坊に泊まるのを楽しみにしていたこともあり、大ショックである。
へんろ地図を見て、本日の宿を再検討する。安楽寺の手前にある、「民宿寿食堂」に連絡してみると、明るい感じのおっちゃんが電話に出て、宿泊出来るとの事だった。無事に、本日の宿を確保した。
2015年07月12日
【3巡目-4】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その3〉[2015年1月10日]
有田みかんのお接待を頂き、気分良く(1)霊山寺を出発する。
山門を出て右方向に県道を進むのが、現在の一般的な遍路道であるが、今回は東海図版の四国遍路地図に従って、真っ直ぐに板東駅方面へと向かい、昔からの道を選ぶ。
T字路を右に曲がる。「旧撫養街道遍路道」とカラーの紙で書かれた案内が、道端にいくつかぶら下がっていた。鳴門から霊山寺までの旧街道の案内である。
今回の遍路旅では、この鳴門の岡崎港から歩くことも考えたのだが、日程の都合もあり諦めてしまった。いつかは、昔のお遍路さんが歩いたというこの道を歩いてみたい。三巡目結願後になるだろうか。
最近所々で見られる、新しい遍路石も設置してあり、極楽寺1㎞、と表示されていた。
道は1.5車線ほどで、旧街道の面影が残っている道を進んで行く。家は立ち並んでいるが、地元の方の姿は見られない。
遍路シールは、何枚か貼ってあった。
現在は、霊山寺の山門を出てすぐに右の道を行くのがほとんどと思われるが、わざわざ遠回りをして、この旧街道を歩くお遍路さんはどれくらいいるのだろうか。
朝日の差す遍路道をのんびり歩いていると、期せずして立派な石柱が現れた。
山門を出て右方向に県道を進むのが、現在の一般的な遍路道であるが、今回は東海図版の四国遍路地図に従って、真っ直ぐに板東駅方面へと向かい、昔からの道を選ぶ。
T字路を右に曲がる。「旧撫養街道遍路道」とカラーの紙で書かれた案内が、道端にいくつかぶら下がっていた。鳴門から霊山寺までの旧街道の案内である。
今回の遍路旅では、この鳴門の岡崎港から歩くことも考えたのだが、日程の都合もあり諦めてしまった。いつかは、昔のお遍路さんが歩いたというこの道を歩いてみたい。三巡目結願後になるだろうか。
最近所々で見られる、新しい遍路石も設置してあり、極楽寺1㎞、と表示されていた。
道は1.5車線ほどで、旧街道の面影が残っている道を進んで行く。家は立ち並んでいるが、地元の方の姿は見られない。
遍路シールは、何枚か貼ってあった。
現在は、霊山寺の山門を出てすぐに右の道を行くのがほとんどと思われるが、わざわざ遠回りをして、この旧街道を歩くお遍路さんはどれくらいいるのだろうか。
朝日の差す遍路道をのんびり歩いていると、期せずして立派な石柱が現れた。
2015年07月08日
【3巡目-3】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その2〉[2015年1月10日]
本堂、大師堂と般若心経を唱え、本堂横の売店兼納経所へと向かう。
二巡目は、二冊目の納経帳を使っていたが、三巡目は二冊目に重印することにした。
納経所では、係の方がおらず、5分近く待たされることとなった。参詣客が少ないことの表れか。
歩き遍路は、「歩き遍路ノート」に記帳を勧められるはずだが、特に何も言われなかった。これまで二回記入して満願していることもあり、今回はそのまま出立した。
山門をくぐった時からすぐに気が付いていたのだが、霊山寺の山門横の建物で、有田みかんのお接待を行っていた。
以前、NHKの「新日本紀行~ふたたび」という番組で、この霊山寺でお接待をしている、和歌山県有田地方の方のドキュメントを観たことがある。数十年前のドキュメントと現在の様子を、比較リポートする番組だ。
毎年、霊山寺でのお接待に向かっているが、高齢化が進んで、という内容だったと思う。そのお接待に遭遇したのかも、とわくわくしていた。
トイレを済ませて建物前を通り掛かると、元気な声が飛んできて、有田みかんのお接待を頂いた。若い人たちが多く、世代交代しつつもお接待が続いているのだろうか、とうれしい気持ちになった。
帰宅後、その番組のビデオが残っていたので観てみると、番組でのお接待は春先に霊山寺へと向かっていた。今回は1月である。テレビとは別のグループになるのだろうか。
いずれにしても、有田みかんのお接待を一番札所で頂いて、幸先の良い旅立ちとなった。
二巡目は、二冊目の納経帳を使っていたが、三巡目は二冊目に重印することにした。
納経所では、係の方がおらず、5分近く待たされることとなった。参詣客が少ないことの表れか。
歩き遍路は、「歩き遍路ノート」に記帳を勧められるはずだが、特に何も言われなかった。これまで二回記入して満願していることもあり、今回はそのまま出立した。
山門をくぐった時からすぐに気が付いていたのだが、霊山寺の山門横の建物で、有田みかんのお接待を行っていた。
以前、NHKの「新日本紀行~ふたたび」という番組で、この霊山寺でお接待をしている、和歌山県有田地方の方のドキュメントを観たことがある。数十年前のドキュメントと現在の様子を、比較リポートする番組だ。
毎年、霊山寺でのお接待に向かっているが、高齢化が進んで、という内容だったと思う。そのお接待に遭遇したのかも、とわくわくしていた。
トイレを済ませて建物前を通り掛かると、元気な声が飛んできて、有田みかんのお接待を頂いた。若い人たちが多く、世代交代しつつもお接待が続いているのだろうか、とうれしい気持ちになった。
帰宅後、その番組のビデオが残っていたので観てみると、番組でのお接待は春先に霊山寺へと向かっていた。今回は1月である。テレビとは別のグループになるのだろうか。
いずれにしても、有田みかんのお接待を一番札所で頂いて、幸先の良い旅立ちとなった。
2015年07月04日
【3巡目-2】 1番霊山寺から5番地蔵寺、別格1番大山寺 〈その1〉[2015年1月10日]
三巡目の遍路行を記録していくにあたり、通し番号は、二巡目と区別するために【3巡目-〇】という形とし、題名に関しては、二巡目は「歩き遍路〇〇日目~」でしたが、三巡目は参拝したお寺などを書いていくことにしました。
朝焼けの(1)霊山寺に到着したのは、午前8時だった。
山門前には、地面にカメラを置いてセルフタイマーで自身を撮影しようと、一生懸命になっている同世代風の方がいた。何となく初々しい姿が微笑ましい。
今日は、別格1番の大山寺を参拝し、(6)安楽寺までを計画している。
もう少し早く到着していれば良かったのだが、この時間から歩き始めて別格を巡るとなると、少々急がなければならないかも知れない。
かも知れない、とあやふやなのは、最近の傾向として、一日に歩く距離数など正確に把握しないまま、下準備もしないで旅立つようになって来ていることがある。
へんろ地図も、ほぼ頭にインプットされつつあることや、慣れもあるのだろうか。
一応、歩く距離は調べるものの、それを書き留めたりはしないので、今日は急ぐ、普通、のんびり程度だけしか記憶していない。
納札に賽銭、ロウソク、線香に火を付けて、数珠を頭陀袋から取り出して、般若心経を唱える、と一連の作法は、たった一年ぶりの遍路旅ということだろうか、戸惑うことなく、流れるように行うことが出来た。
連休初日の朝の(1)霊山寺は、数組の参拝客のみで、静か過ぎず煩すぎず、ほど良い感じで、落ち着いて参拝することが出来た。
朝焼けの(1)霊山寺に到着したのは、午前8時だった。
山門前には、地面にカメラを置いてセルフタイマーで自身を撮影しようと、一生懸命になっている同世代風の方がいた。何となく初々しい姿が微笑ましい。
今日は、別格1番の大山寺を参拝し、(6)安楽寺までを計画している。
もう少し早く到着していれば良かったのだが、この時間から歩き始めて別格を巡るとなると、少々急がなければならないかも知れない。
かも知れない、とあやふやなのは、最近の傾向として、一日に歩く距離数など正確に把握しないまま、下準備もしないで旅立つようになって来ていることがある。
へんろ地図も、ほぼ頭にインプットされつつあることや、慣れもあるのだろうか。
一応、歩く距離は調べるものの、それを書き留めたりはしないので、今日は急ぐ、普通、のんびり程度だけしか記憶していない。
納札に賽銭、ロウソク、線香に火を付けて、数珠を頭陀袋から取り出して、般若心経を唱える、と一連の作法は、たった一年ぶりの遍路旅ということだろうか、戸惑うことなく、流れるように行うことが出来た。
連休初日の朝の(1)霊山寺は、数組の参拝客のみで、静か過ぎず煩すぎず、ほど良い感じで、落ち着いて参拝することが出来た。