2023年01月31日
【4巡目-7】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その7〉
旧撫養街道からちょっと外れて、池谷駅に立ち寄ってみた。
高松・鳴門方面の分岐駅となる場所だが、随分と廃れてしまっている印象で、昭和の雰囲気が残っていた。
一昔前はそれなりに人もいたのだろうが、今は廃商店が残っているだけの静かな住宅街だった。
池谷駅を出て、線路に沿って静かな狭い道を進む。
それでもバス路線になっているようで、ドイツ村へと向かうバスが通過していった。
何でもない道端に、「四国一番 霊山寺」と書かれた看板がかろうじて残っていた。
この道が、霊山寺へのメイン街道だった頃のものになるのだろう。それは昭和何年位までの事だったのだろうか。
歩みを進めると、へんろ地図にも掲載されている、十輪寺(談議所)があった。
写真を撮っただけであっさり通過するが、看板には、「四国霊場第一番前札所」と添え書きされている。
由緒ある場所だったのだろうか。
高松・鳴門方面の分岐駅となる場所だが、随分と廃れてしまっている印象で、昭和の雰囲気が残っていた。
一昔前はそれなりに人もいたのだろうが、今は廃商店が残っているだけの静かな住宅街だった。
池谷駅を出て、線路に沿って静かな狭い道を進む。
それでもバス路線になっているようで、ドイツ村へと向かうバスが通過していった。
何でもない道端に、「四国一番 霊山寺」と書かれた看板がかろうじて残っていた。
この道が、霊山寺へのメイン街道だった頃のものになるのだろう。それは昭和何年位までの事だったのだろうか。
歩みを進めると、へんろ地図にも掲載されている、十輪寺(談議所)があった。
写真を撮っただけであっさり通過するが、看板には、「四国霊場第一番前札所」と添え書きされている。
由緒ある場所だったのだろうか。
2023年01月27日
【4巡目-6】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その6〉
阿波神社にちょっと立ち寄って、明日の宿の予約をしてみる。
この時はコロナ禍で、宿が営業しているかどうか、という時期だった。
本日の宿は、5番地蔵寺の門前、「民宿森本屋」にネット予約済みだが、明日の宿はまだである。
(11)藤井寺近くの「旅館吉野」に電話をしてみる。
すんなりと予約がとれた。
念のため、食事は提供されるか聞いてみると、当然、二食付き、という感じで安心した。
最近では、二食付きの宿が減ってきて、悲しんでいる所である。
宿の予約が出来た所で、出発する。
池谷駅の手前で、道を間違えてしまった。
祠がある踏切の手前で右折しなければならなかったのだが、そのまま線路を渡って、道なりに直進してしまった。
田園地帯に突入して、何かおかしいなあ、と地図を確認して、誤りに気が付いた。
(1)霊山寺まで、旧撫養街道を歩いて間違いやすいのは、ここだけだろうか。
この時はコロナ禍で、宿が営業しているかどうか、という時期だった。
本日の宿は、5番地蔵寺の門前、「民宿森本屋」にネット予約済みだが、明日の宿はまだである。
(11)藤井寺近くの「旅館吉野」に電話をしてみる。
すんなりと予約がとれた。
念のため、食事は提供されるか聞いてみると、当然、二食付き、という感じで安心した。
最近では、二食付きの宿が減ってきて、悲しんでいる所である。
宿の予約が出来た所で、出発する。
池谷駅の手前で、道を間違えてしまった。
祠がある踏切の手前で右折しなければならなかったのだが、そのまま線路を渡って、道なりに直進してしまった。
田園地帯に突入して、何かおかしいなあ、と地図を確認して、誤りに気が付いた。
(1)霊山寺まで、旧撫養街道を歩いて間違いやすいのは、ここだけだろうか。
2023年01月23日
【4巡目-5】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その5〉
鳴門の市街地を通る。スッキリとした商店街が続いている。
市内を抜けると、民家が並び、小さな商店が時折あるような、街道らしい道が続いていた。
スマホを手に入れたことから、この先、食事が出来る場所は無いかなあ、と歩きながら探すのだが、まだ時間が早いこともあって、営業している食事処は見付からなかった。
街道からちょっと外れた場所にあったファミリーマートで、軽食を購入する。
庭先のウメの花を眺めたりしながら、旧撫養街道を進む。
文字の判別が付かなくなっている遍路石らしきものも、いくつか発見出来た。写真の分岐にも、文字が読み取れない石があった。
大きな神社が見えてきた。阿波神社となっている。
この辺りから、通常のへんろ地図にギリギリ掲載されている場所となっており、「東林院(種蒔大師)」の近くである。
今になって、東林院にも立ち寄れば良かったなあ、と後悔している。
へんろ地図に載っている空海の史跡となっている、全ての場所に立ち寄る、というのを目標に歩くのも面白そうである。
初っ端から逃してしまった。
市内を抜けると、民家が並び、小さな商店が時折あるような、街道らしい道が続いていた。
スマホを手に入れたことから、この先、食事が出来る場所は無いかなあ、と歩きながら探すのだが、まだ時間が早いこともあって、営業している食事処は見付からなかった。
街道からちょっと外れた場所にあったファミリーマートで、軽食を購入する。
庭先のウメの花を眺めたりしながら、旧撫養街道を進む。
文字の判別が付かなくなっている遍路石らしきものも、いくつか発見出来た。写真の分岐にも、文字が読み取れない石があった。
大きな神社が見えてきた。阿波神社となっている。
この辺りから、通常のへんろ地図にギリギリ掲載されている場所となっており、「東林院(種蒔大師)」の近くである。
今になって、東林院にも立ち寄れば良かったなあ、と後悔している。
へんろ地図に載っている空海の史跡となっている、全ての場所に立ち寄る、というのを目標に歩くのも面白そうである。
初っ端から逃してしまった。
2023年01月20日
「白鳥温泉」が閉館へ
皆さん、こんばんは。
たまたまスマートフォンでYahoo!ニュースを眺めていたら、残念なニュースが掲載されていました。
(88)大窪寺の先にある「白鳥温泉」が、今年の3月で閉館となるようです
https://news.yahoo.co.jp/articles/65f6ada490f25a5fef9f805aef77b2d5276a7fac
これまで三回も泊まらせてもらった、思い出の宿です。
遍路道沿いにある、数少ない温泉宿でしょうか。宿泊代も手頃で、歩いた後に大浴場に入ることが出来る、貴重な宿でした。
「へんろ道保存協力会」のHPを見ると、さらに閉館した宿が増えていました。
一度泊まったことがある「足摺はっと」。他にも、「大谷旅館」とか「旅館ひらた荘」は泊まったことがある歩き遍路が多いのではないでしょうか。
ますます寂しくなりますね
たまたまスマートフォンでYahoo!ニュースを眺めていたら、残念なニュースが掲載されていました。
(88)大窪寺の先にある「白鳥温泉」が、今年の3月で閉館となるようです
https://news.yahoo.co.jp/articles/65f6ada490f25a5fef9f805aef77b2d5276a7fac
これまで三回も泊まらせてもらった、思い出の宿です。
遍路道沿いにある、数少ない温泉宿でしょうか。宿泊代も手頃で、歩いた後に大浴場に入ることが出来る、貴重な宿でした。
「へんろ道保存協力会」のHPを見ると、さらに閉館した宿が増えていました。
一度泊まったことがある「足摺はっと」。他にも、「大谷旅館」とか「旅館ひらた荘」は泊まったことがある歩き遍路が多いのではないでしょうか。
ますます寂しくなりますね
2023年01月16日
【4巡目-4】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その4〉
撫養街道らしき道を進む。
他のお遍路さんの記事で見たことがある、立派な遍路石があった。
明治時代のもので、確かに「四國へんろ道」の文字が読み取れる。この道が街道で間違いないようである。
その後も、「遍路道関所跡」なる、真新しい石柱があったりした。
住宅が多かった道沿いも、次第に小さな商店が見られるようになってきた。
鳴門の市街地へと入って、広い道路を横断したり、アーケードのある商店街となった。
そのシャッターには、「四国遍路が始まる街 大道商店街」といくつも看板が貼り付けられており、かつては岡崎港に到着したお遍路さんが、この道を通って(1)霊山寺へと向かった、と書かれていた。
四国遍路で町おこしをしているような雰囲気でもあった。
そうであれば、あの撫養港(岡崎港)に案内板の一つでもあったら良いのになあ、と思う。
他のお遍路さんの記事で見たことがある、立派な遍路石があった。
明治時代のもので、確かに「四國へんろ道」の文字が読み取れる。この道が街道で間違いないようである。
その後も、「遍路道関所跡」なる、真新しい石柱があったりした。
住宅が多かった道沿いも、次第に小さな商店が見られるようになってきた。
鳴門の市街地へと入って、広い道路を横断したり、アーケードのある商店街となった。
そのシャッターには、「四国遍路が始まる街 大道商店街」といくつも看板が貼り付けられており、かつては岡崎港に到着したお遍路さんが、この道を通って(1)霊山寺へと向かった、と書かれていた。
四国遍路で町おこしをしているような雰囲気でもあった。
そうであれば、あの撫養港(岡崎港)に案内板の一つでもあったら良いのになあ、と思う。
2023年01月12日
【4巡目-3】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺、5番地蔵寺まで [2021年2月19日]〈その3〉
高速鳴門バス停から約20分歩いて、撫養港(岡崎)らしき場所に辿り着いた。
まだ明石海峡大橋が無い時代の船着き場があったのだろうか、数十年前らしき看板と待合所風の建物が残っていた。
ここから昔のお遍路さんは歩き始めたのか、と感慨に耽りたい所だったが、2m以上はあろう高い堤防に阻まれて、海が見えない状態で、立ち入ることも出来ない。
少し離れた場所まで行って、港のあったろう場所を眺めてみる。崩れかけた桟橋が残っているのが確認出来た。
撫養港まで戻って、いよいよ四巡目の歩き遍路を開始した。
まずは、ひたすら撫養街道を進んで、(1)霊山寺を目指す。
その入口が、恐らく写真の場所である。
新築の住宅があったりして風情も無く、本当にここが街道の入口で、昔のお遍路さんが歩き始めた場所なのかなあ、と疑心暗鬼になる。
取り敢えず、進んでみることにした。
まだ明石海峡大橋が無い時代の船着き場があったのだろうか、数十年前らしき看板と待合所風の建物が残っていた。
ここから昔のお遍路さんは歩き始めたのか、と感慨に耽りたい所だったが、2m以上はあろう高い堤防に阻まれて、海が見えない状態で、立ち入ることも出来ない。
少し離れた場所まで行って、港のあったろう場所を眺めてみる。崩れかけた桟橋が残っているのが確認出来た。
撫養港まで戻って、いよいよ四巡目の歩き遍路を開始した。
まずは、ひたすら撫養街道を進んで、(1)霊山寺を目指す。
その入口が、恐らく写真の場所である。
新築の住宅があったりして風情も無く、本当にここが街道の入口で、昔のお遍路さんが歩き始めた場所なのかなあ、と疑心暗鬼になる。
取り敢えず、進んでみることにした。
2023年01月08日
【4巡目-2】 高速鳴門バス停、撫養港(岡崎)へ [2021年2月19日]〈その2〉
高速鳴門バス停で下車、柵を抜けると、何やら可愛らしい乗り物があった。
何かと思ったら、無人で乗ることが出来るモノレールのようである。こんな物があるとは、なかなか楽しい。
子供が遊びに使ったりしないのだろうか。
自分が子供の頃だったらきっと、遊び場になっていただろう。
これに乗って、麓へと降りられるようである。ボタンを押すと動き出し、小さなワクワク旅である。
終点には、係員もいる高速バスの待合所があった。
ここから、四巡目の歩き遍路を開始することになった。撫養港(岡崎)を目指す。
バス停すぐ側の、「マルナカ」などが入った商業施設の駐車場を横切らせてもらう。
今から16年前、生まれて初めて明石海峡大橋を渡って四国入りし、歩き遍路をやってみようか、と思っていた時、ここの二階にある書店で遍路に関する本をいくつか購入した、懐かしい場所である。
今も書店は、営業している様子だった。
撫養川の大きな橋を寒さに震えながら歩いて渡ったが、渡船場があり、乗客が降りる姿が見られた。
後で調べてみると、無料の渡船だったらしい。
何かと思ったら、無人で乗ることが出来るモノレールのようである。こんな物があるとは、なかなか楽しい。
子供が遊びに使ったりしないのだろうか。
自分が子供の頃だったらきっと、遊び場になっていただろう。
これに乗って、麓へと降りられるようである。ボタンを押すと動き出し、小さなワクワク旅である。
終点には、係員もいる高速バスの待合所があった。
ここから、四巡目の歩き遍路を開始することになった。撫養港(岡崎)を目指す。
バス停すぐ側の、「マルナカ」などが入った商業施設の駐車場を横切らせてもらう。
今から16年前、生まれて初めて明石海峡大橋を渡って四国入りし、歩き遍路をやってみようか、と思っていた時、ここの二階にある書店で遍路に関する本をいくつか購入した、懐かしい場所である。
今も書店は、営業している様子だった。
撫養川の大きな橋を寒さに震えながら歩いて渡ったが、渡船場があり、乗客が降りる姿が見られた。
後で調べてみると、無料の渡船だったらしい。
2023年01月04日
【4巡目-1】 第34回 区切り打ち 出発 [2021年2月18・19日]〈その1〉
三巡目の結願から半年、歩き遍路四巡目を開始しました。
今回は、公共交通機関を利用しました。
仕事を22時ちょっとで早退し、慌てて「松任海浜公園」バス停へと向かいました。
ここに車を止めて、夜行バスで京都駅へ向かい、早朝5時に到着。
時間短縮のため、JRで舞子駅まで移動。
高速舞子バス停から再び高速バスに、とお馴染みになりつつあるパターンでの四国入りです。
普通だったら、高速鳴門西バス停で下車して(1)霊山寺から、となる所ですが、今回は、大昔のお遍路さんが歩き始めた、という、撫養港(岡崎)から四巡目を開始することにしました。
高速鳴門バス停で下車し、撫養港(岡崎)を目指します。
風が冷たくて寒いです。四国だから暖かいだろう、と衣服に無頓着、薄着で来てしまいました。
コースタイム
金沢→→松任海浜公園→→19日5:02京都駅5:21→→舞子駅→→6:52高速舞子→→7:49高速鳴門7:51→→8:16撫養港
今回は、公共交通機関を利用しました。
仕事を22時ちょっとで早退し、慌てて「松任海浜公園」バス停へと向かいました。
ここに車を止めて、夜行バスで京都駅へ向かい、早朝5時に到着。
時間短縮のため、JRで舞子駅まで移動。
高速舞子バス停から再び高速バスに、とお馴染みになりつつあるパターンでの四国入りです。
普通だったら、高速鳴門西バス停で下車して(1)霊山寺から、となる所ですが、今回は、大昔のお遍路さんが歩き始めた、という、撫養港(岡崎)から四巡目を開始することにしました。
高速鳴門バス停で下車し、撫養港(岡崎)を目指します。
風が冷たくて寒いです。四国だから暖かいだろう、と衣服に無頓着、薄着で来てしまいました。
コースタイム
金沢→→松任海浜公園→→19日5:02京都駅5:21→→舞子駅→→6:52高速舞子→→7:49高速鳴門7:51→→8:16撫養港