2021年02月27日
2021冬 歩き遍路 トピックス(前編)
2月19日(金)からの5日間、恒例の冬遍路に行って来ました。
いよいよ四巡目の開始です
Tシャツ一枚で歩くことも多く、冬とは思えない気温の時もあり、花粉が大量に飛んでいたようで、くしゃみ・鼻水・目や耳のかゆみ、で大変でした
11番藤井寺近くの「旅館吉野」で泊まっていたのは二人だけでしたから、歩き遍路をしているのはごく僅か、と思ってよさそうです
東京・名古屋・大阪・福岡圏の方たちが動けない状態では、このような状況になってしまうのでしょうか。
とは言え、その数少ないお遍路さんとの交流が楽しく、充実した遍路旅となりました。
参拝は簡潔にして、数年前に買った上の雑誌でお勉強をしながらの札所巡りです
それでは、今回の遍路旅を簡単に紹介します
1日目[2月19日]は、高速バスを高速鳴門で下車、昔のお遍路さんが歩き始めたという「撫養港」へと向かい、ここから四巡目の歩きを開始しました
多分、写真の場所が港と思われるのですが、堤防が高過ぎて海が見えません。
4時間程で、(1)霊山寺に到着しました。が、誰もおらず貸切状態でした
この日は、(5)地蔵寺門前の「民宿森本屋」に泊まりました。
2日目[2月20日]の朝方は、気温が氷点下近くまで下がったようで、手がかじかんで動きませんでしたが、その後はポカポカ陽気となりました。
大変だった(10)切幡寺の石段も、脚力が付いて、楽に上がれるようになっています
二日目のハイライト、吉野川の潜水橋は、天候に恵まれ、のんびりと時間をかけて渡りました
ちょっと小走りして、午後5時ギリギリに(11)藤井寺、到着です。
宿(旅館吉野)は貸切かと思ったら、もう一人お客さんが。広島からの、少し年下の陽気なお兄さんです。楽しい夕食となりました
いよいよ四巡目の開始です
Tシャツ一枚で歩くことも多く、冬とは思えない気温の時もあり、花粉が大量に飛んでいたようで、くしゃみ・鼻水・目や耳のかゆみ、で大変でした
11番藤井寺近くの「旅館吉野」で泊まっていたのは二人だけでしたから、歩き遍路をしているのはごく僅か、と思ってよさそうです
東京・名古屋・大阪・福岡圏の方たちが動けない状態では、このような状況になってしまうのでしょうか。
とは言え、その数少ないお遍路さんとの交流が楽しく、充実した遍路旅となりました。
参拝は簡潔にして、数年前に買った上の雑誌でお勉強をしながらの札所巡りです
それでは、今回の遍路旅を簡単に紹介します
1日目[2月19日]は、高速バスを高速鳴門で下車、昔のお遍路さんが歩き始めたという「撫養港」へと向かい、ここから四巡目の歩きを開始しました
多分、写真の場所が港と思われるのですが、堤防が高過ぎて海が見えません。
4時間程で、(1)霊山寺に到着しました。が、誰もおらず貸切状態でした
この日は、(5)地蔵寺門前の「民宿森本屋」に泊まりました。
2日目[2月20日]の朝方は、気温が氷点下近くまで下がったようで、手がかじかんで動きませんでしたが、その後はポカポカ陽気となりました。
大変だった(10)切幡寺の石段も、脚力が付いて、楽に上がれるようになっています
二日目のハイライト、吉野川の潜水橋は、天候に恵まれ、のんびりと時間をかけて渡りました
ちょっと小走りして、午後5時ギリギリに(11)藤井寺、到着です。
宿(旅館吉野)は貸切かと思ったら、もう一人お客さんが。広島からの、少し年下の陽気なお兄さんです。楽しい夕食となりました
後編へと続きます
2021年02月23日
【3巡目-617】 60番横峰寺② [2019年3月19日]〈その9〉
(60)横峰寺に到着、荷物を下ろして一休みしたい所だが、濡れ鼠になってしまっている。
下にプレハブ小屋の休憩所があるはずだから、そこで着替えも兼ねて大休憩することにして、先にお参りを済ませることにする。
手水場は下にあったので、石段を少し降りて、また上へ。
本堂に向かうと、歩き風の方がお参りをしていた。挨拶を交わす。
雨の中参拝をし、まずは休憩所に直行する。リュックから納経帳を取り出し、水に濡れないようにして納経所に行って来た。
休憩所には、二人の方が既に一休みしていた。
腹ごしらえ中に申し訳なかったのだが、一言断って、濡れた下着を脱いで着替えをする。
途中で追い越してきた、「ビジネス旅館小松」での食事の時に隣に座っていた方も到着しており、香川県の(83)一宮寺の近くに住んでいる、との事だった。
今日は、宿に連泊するそうで、歩き遍路には詳しそう。
モエ坂に行く、と話をすると、自分は歩いたことがないが、急坂が続くと聞いている、今日は危ないのでは、と忠告してくれる。「モエ坂」を知っているだけでも嬉しかった。
のんびりと休憩していたので、行くなら早く向かった方が、と心配してくれていたようである。
下にプレハブ小屋の休憩所があるはずだから、そこで着替えも兼ねて大休憩することにして、先にお参りを済ませることにする。
手水場は下にあったので、石段を少し降りて、また上へ。
本堂に向かうと、歩き風の方がお参りをしていた。挨拶を交わす。
雨の中参拝をし、まずは休憩所に直行する。リュックから納経帳を取り出し、水に濡れないようにして納経所に行って来た。
休憩所には、二人の方が既に一休みしていた。
腹ごしらえ中に申し訳なかったのだが、一言断って、濡れた下着を脱いで着替えをする。
途中で追い越してきた、「ビジネス旅館小松」での食事の時に隣に座っていた方も到着しており、香川県の(83)一宮寺の近くに住んでいる、との事だった。
今日は、宿に連泊するそうで、歩き遍路には詳しそう。
モエ坂に行く、と話をすると、自分は歩いたことがないが、急坂が続くと聞いている、今日は危ないのでは、と忠告してくれる。「モエ坂」を知っているだけでも嬉しかった。
のんびりと休憩していたので、行くなら早く向かった方が、と心配してくれていたようである。
2021年02月19日
【3巡目-616】 60番横峰寺① [2019年3月19日]〈その8〉
同じ宿に泊まっていた方を追い越して、先へと進む。
軽装のお遍路さんとすれ違う。この方も同じ宿だったのだろうか。
歩きの山道が終わり、写真の場所で車道に合流することになる。
「作業用以外のバイク等原動機付車両の進入走行はご遠慮下さい」と真新しい貼り紙がぶら下がっていた。今通ってきた道は人間しか歩けないような道だったが、バイクが侵入することがあるのだろうか。
道路に出て、もう上りは終わってしまうのか、と複雑な心境になってしまう。幸い、身体の冷えは大分和らいできた。実際には、もう少し上りが続く。
バスが通る車道から、チェーンがしてある林道に入る。
舗装が剥げてきて、小さな石が転がっている林道である。
もう一人、軽装のお遍路さんとすれ違った。皆さん、荷物は麓の宿に置いてきているようで、なかなかしっかりしている。
逆打ちする形で歩いてきたので、(60)横峰寺には、仁王門ではなく、境内にある大師堂に到着、となった。午前10時49分である。
(61)香園寺からは、滝行していた時間を除いて、2時間50分程だった。
軽装のお遍路さんとすれ違う。この方も同じ宿だったのだろうか。
歩きの山道が終わり、写真の場所で車道に合流することになる。
「作業用以外のバイク等原動機付車両の進入走行はご遠慮下さい」と真新しい貼り紙がぶら下がっていた。今通ってきた道は人間しか歩けないような道だったが、バイクが侵入することがあるのだろうか。
道路に出て、もう上りは終わってしまうのか、と複雑な心境になってしまう。幸い、身体の冷えは大分和らいできた。実際には、もう少し上りが続く。
バスが通る車道から、チェーンがしてある林道に入る。
舗装が剥げてきて、小さな石が転がっている林道である。
もう一人、軽装のお遍路さんとすれ違った。皆さん、荷物は麓の宿に置いてきているようで、なかなかしっかりしている。
逆打ちする形で歩いてきたので、(60)横峰寺には、仁王門ではなく、境内にある大師堂に到着、となった。午前10時49分である。
(61)香園寺からは、滝行していた時間を除いて、2時間50分程だった。
2021年02月15日
【3巡目-615】 小松、60番横峰寺へ [2019年3月19日]〈その7〉
小松から直接上がってくる道との合流点(おこや)までやって来た。大きな水たまりが出来ている。
一度、こちらからの道を歩いてみたいと考えているのだが、今回も叶わなかった。
一ヶ所だけ、応急処置はしてあるものの、道がえぐれて細くなっている場所があった。
横峰寺への上りはきついはずなのだが、上りの方が身体が温まって嬉しい、という変な状態になっているので、苦も無く進んで行く。
前方にお遍路さんが見えるようになってきた。すぐに追い付き、少し話をする。
同じ「ビジネス旅館小松」に泊まっていたそうで、それも食事の時に隣に座っていた方だと分かった。
どの道を通って来たか、と聞かれたので、奥之院経由で滝行をしてきた話をする。
この方は、小松から直接上がってくる道を歩いたそうである。軽装なので尋ねてみると、宿に荷物を預けてきた、との事だった。
この方は連泊だそうだが、連泊でなくてもお願いすれば、玄関先に荷物を置かせてもらえたそうである。
今日はこの後、(62)宝寿寺へと戻る予定だったから、そうと知っていれば荷物を預けてきたのだが。
以前は、荷物も全部担いで周ることにも拘っていたが、一巡目で達成したので、今は特に拘りは無い。
昔のお遍路さんも、打ち戻りの場所では荷物を預けていたみたいだ(真念庵など)と知ったこともある。
一度、こちらからの道を歩いてみたいと考えているのだが、今回も叶わなかった。
一ヶ所だけ、応急処置はしてあるものの、道がえぐれて細くなっている場所があった。
横峰寺への上りはきついはずなのだが、上りの方が身体が温まって嬉しい、という変な状態になっているので、苦も無く進んで行く。
前方にお遍路さんが見えるようになってきた。すぐに追い付き、少し話をする。
同じ「ビジネス旅館小松」に泊まっていたそうで、それも食事の時に隣に座っていた方だと分かった。
どの道を通って来たか、と聞かれたので、奥之院経由で滝行をしてきた話をする。
この方は、小松から直接上がってくる道を歩いたそうである。軽装なので尋ねてみると、宿に荷物を預けてきた、との事だった。
この方は連泊だそうだが、連泊でなくてもお願いすれば、玄関先に荷物を置かせてもらえたそうである。
今日はこの後、(62)宝寿寺へと戻る予定だったから、そうと知っていれば荷物を預けてきたのだが。
以前は、荷物も全部担いで周ることにも拘っていたが、一巡目で達成したので、今は特に拘りは無い。
昔のお遍路さんも、打ち戻りの場所では荷物を預けていたみたいだ(真念庵など)と知ったこともある。
2021年02月11日
【3巡目-614】 白滝奥之院、60番横峰寺へ [2019年3月19日]〈その6〉
白滝での滝行を終え、納経所のある建物の所まで戻ってくる。
軒下で再び身支度をしてから出発した。
身体が冷えて、下着もびしょ濡れなので、とても寒い。
幸い、と言おうか、ここから(60)横峰寺に向かって上りが続くので、身体を温めてくれて助かった。下りが続いていたら、凍えてしまっただろう。
いつもならつらい階段も、喜んで上がるような感じである。
車道から土の道へと入る分岐となるが、以前には無かった立派な柵がしてある。
確か、(60)横峰寺からこの道を通って下りてきているはずである。
人が通れる程度には隙間があるから、車止めであって、歩行者は通行可なのかも知れないが、四国のみちの木柱はそのまま車道を進むように指示している。
柵の横を通り抜けて、この道を進むことにした。ジグザグと上りが続き、冷えた身体には大助かりである。
17分歩くと、再び柵がしてあり、T字路となった。(60)香園寺へは今上がって来た道ではなく、左の方に下りて行くように道案内が出ていた。
今歩いて来た道に危険な場所は無かったと思うが、現在は違う道へと誘導しているようであり、そのための柵だったようである。なぜだろうか。
軒下で再び身支度をしてから出発した。
身体が冷えて、下着もびしょ濡れなので、とても寒い。
幸い、と言おうか、ここから(60)横峰寺に向かって上りが続くので、身体を温めてくれて助かった。下りが続いていたら、凍えてしまっただろう。
いつもならつらい階段も、喜んで上がるような感じである。
車道から土の道へと入る分岐となるが、以前には無かった立派な柵がしてある。
確か、(60)横峰寺からこの道を通って下りてきているはずである。
人が通れる程度には隙間があるから、車止めであって、歩行者は通行可なのかも知れないが、四国のみちの木柱はそのまま車道を進むように指示している。
柵の横を通り抜けて、この道を進むことにした。ジグザグと上りが続き、冷えた身体には大助かりである。
17分歩くと、再び柵がしてあり、T字路となった。(60)香園寺へは今上がって来た道ではなく、左の方に下りて行くように道案内が出ていた。
今歩いて来た道に危険な場所は無かったと思うが、現在は違う道へと誘導しているようであり、そのための柵だったようである。なぜだろうか。
2021年02月07日
「歩き遍路」 四巡目 開始!!
三巡目の「歩き遍路」を終えてから、半年近くとなりました。
四巡目の開始はしばらく考えていなかったのですが、2月が近付くと、急にウズウズしてきました。
まだ確定ではないのですが、4日間程、行けるようなら行ってこようか、と考えています。
極寒と酷暑の時期が、自分にとっての遍路シーズンでしょうか。
ウメの赤い花やロウバイの黄色い花を眺めたり、雑草の花たちを観察しながらの歩きです。
今の所、石川県から四国への移動は規制されていませんので、このままいけば大丈夫でしょうか。
久し振りの「玉が峠」、あと、(12)焼山寺へ行く途中にある「樋山地」という看板が気になっています。
まだ歩いたことが無い道が、「建治寺」辺りに残っています。
歩き始めは1番ではなく、鳴門の撫養港(岡崎港)からにするのも面白そうですね。
その前に、三巡目の記事の作成が全然追い付いていなくて、記憶から遠ざかりつつあり、焦っている所です。
既に結願しているのですが、記事上ではまだ(61)香園寺にいますし
四巡目を開始するにあたって、どういった遍路にしようか、と計画中です。
歩き遍路にしては、真夏でも菅笠、白衣、輪袈裟、ときっちりとした格好をして歩いていましたが、遍路装束はとりあえず返上。お酒飲みながら歩いていますし。
頭陀袋も、似たような普通のカバンを購入しました。
参拝も、般若心経を始め、蝋燭・線香・納札も省略。手を合わせるだけにして、余った時間でもう少しお寺の建物を見て回る、とか、歴史を勉強したりとか、境内を見て回りたいです。
納経帳は、重印せず、新しいものを使うことにしました。
歩いたことが無い遍路道を探求していくことは、これまで通りですが、歩きに拘らず、時にはバスなども利用する、ことも考えています。室戸岬とか。
スタンプラリー遍路になってしまいそうです。
四巡目の開始はしばらく考えていなかったのですが、2月が近付くと、急にウズウズしてきました。
まだ確定ではないのですが、4日間程、行けるようなら行ってこようか、と考えています。
極寒と酷暑の時期が、自分にとっての遍路シーズンでしょうか。
ウメの赤い花やロウバイの黄色い花を眺めたり、雑草の花たちを観察しながらの歩きです。
今の所、石川県から四国への移動は規制されていませんので、このままいけば大丈夫でしょうか。
久し振りの「玉が峠」、あと、(12)焼山寺へ行く途中にある「樋山地」という看板が気になっています。
まだ歩いたことが無い道が、「建治寺」辺りに残っています。
歩き始めは1番ではなく、鳴門の撫養港(岡崎港)からにするのも面白そうですね。
その前に、三巡目の記事の作成が全然追い付いていなくて、記憶から遠ざかりつつあり、焦っている所です。
既に結願しているのですが、記事上ではまだ(61)香園寺にいますし
四巡目を開始するにあたって、どういった遍路にしようか、と計画中です。
歩き遍路にしては、真夏でも菅笠、白衣、輪袈裟、ときっちりとした格好をして歩いていましたが、遍路装束はとりあえず返上。お酒飲みながら歩いていますし。
頭陀袋も、似たような普通のカバンを購入しました。
参拝も、般若心経を始め、蝋燭・線香・納札も省略。手を合わせるだけにして、余った時間でもう少しお寺の建物を見て回る、とか、歴史を勉強したりとか、境内を見て回りたいです。
納経帳は、重印せず、新しいものを使うことにしました。
歩いたことが無い遍路道を探求していくことは、これまで通りですが、歩きに拘らず、時にはバスなども利用する、ことも考えています。室戸岬とか。
スタンプラリー遍路になってしまいそうです。
タグ :歩き遍路
2021年02月04日
【3巡目-613】 61番香園寺 白滝奥之院 [2019年3月19日]〈その5〉
雨に濡れながら服を脱ぎ、滝行の準備をする。脱いだ服も雨ざらしである。
帰宅後に調べてみると、以前はここに更衣室があったようである。きっと災害で流されてしまったのだろう。
震えるような寒さなのだが、勇気を出して滝つぼに入ってみた。
想像以上の冷たさで、身体に滝の水があたると、息が出来ないくらいだった。
また、滝つぼは真っ平では無くボコボコなので、立つ位置もどこが良いのか戸惑う。
般若心経を唱えてみるが、息が続かなくて無理だった。
(61)香園寺の納経所で、般若心経を唱えるつもり、と話した所、般若心経は長過ぎるのでは、「南無大師遍照金剛」だけ、足を漬けるだけの方もいる、と言われたのだが、確かにその通りだった。
何とか、「南無大師遍照金剛」を唱え、般若心経は、滝の水の裏側に少し下がって唱えることにした。冷たい水飛沫を受けながらもやり終えることが出来た。
今にして思えば、今日は雨なので水量が多く危険では、と言われていたので、滝行には向かない日だったのだろう。
ちなみに、何かに取り憑かれたり、といった事は無く、一安心している。
平常時の滝行にも挑戦してみたいなあ、と思う今日この頃である。
帰宅後に調べてみると、以前はここに更衣室があったようである。きっと災害で流されてしまったのだろう。
震えるような寒さなのだが、勇気を出して滝つぼに入ってみた。
想像以上の冷たさで、身体に滝の水があたると、息が出来ないくらいだった。
また、滝つぼは真っ平では無くボコボコなので、立つ位置もどこが良いのか戸惑う。
般若心経を唱えてみるが、息が続かなくて無理だった。
(61)香園寺の納経所で、般若心経を唱えるつもり、と話した所、般若心経は長過ぎるのでは、「南無大師遍照金剛」だけ、足を漬けるだけの方もいる、と言われたのだが、確かにその通りだった。
何とか、「南無大師遍照金剛」を唱え、般若心経は、滝の水の裏側に少し下がって唱えることにした。冷たい水飛沫を受けながらもやり終えることが出来た。
今にして思えば、今日は雨なので水量が多く危険では、と言われていたので、滝行には向かない日だったのだろう。
ちなみに、何かに取り憑かれたり、といった事は無く、一安心している。
平常時の滝行にも挑戦してみたいなあ、と思う今日この頃である。