2022年12月31日
年末のご挨拶
篠山山頂にて
いつも、くどくどしいブログにお付き合い頂き、ありがとうございます
いよいよ、2022年、最後の一日となりました。
今年の歩き遍路は、2月に「篠山神社」を巡る道を歩いてきました。
遭難するかも、とドキドキでしたが、なかなか印象に残る、思い出に残る遍路行となりました
来年も、2月に歩き遍路を計画中です。
四巡目の続きで、徳島市内の地蔵橋駅から、となります。
ブログの方は、三巡目の記事が終わりましたので、新年一発目(表現が古い?)から四巡目の記事を開始します。
鳴門の撫養港から歩き始めますよ
今年のブログ更新は、以上となります。
来年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します
いつも、くどくどしいブログにお付き合い頂き、ありがとうございます
いよいよ、2022年、最後の一日となりました。
今年の歩き遍路は、2月に「篠山神社」を巡る道を歩いてきました。
遭難するかも、とドキドキでしたが、なかなか印象に残る、思い出に残る遍路行となりました
来年も、2月に歩き遍路を計画中です。
四巡目の続きで、徳島市内の地蔵橋駅から、となります。
ブログの方は、三巡目の記事が終わりましたので、新年一発目(表現が古い?)から四巡目の記事を開始します。
鳴門の撫養港から歩き始めますよ
今年のブログ更新は、以上となります。
来年も、「あぜ道コロコロ歩き旅」をよろしくお願い致します
タグ :歩き遍路
2022年12月28日
廃業した遍路宿(2022年 後編)
「廃業した遍路宿」の続きです。
・ホテルサンパール(2017年8月宿泊)
41番観自在寺を越えた場所にありました。
一昔前の昭和の香りがする観光ホテル、といった感じでした。
過去には、この辺りから、ロープウェイが対岸へと結ばれていたみたいです。
これまで泊まった宿の中では、一番、食事の量が多かったかなあ、という印象です。
モーニングコーヒーが飲み放題だったのも良かったです。
従業員の皆さんも、気さくな方が多く、気持ち良く泊まる事が出来ました。
普通のホテルのつもりで予約をしたら、ロビーには広々とした「お遍路さんコーナー」があり、おもてなしに力を入れていたようでした。
四巡目も必ず泊まろう、と思っていましたが、廃業という事で、残念でなりません
無くなる宿がある反面、ゲストハウスといった、新しく開店する宿がそれ以上にある印象です。
ただ、ほとんどが素泊まりのようです。地元の定食屋さんを紹介してもらって、なども楽しそうではありますが、やっぱり宿は二食付きですね
「ウルトラウォーキング」での経験を生かし、泊まってみたい宿が無かったら徹夜して歩いてみようか、という気になっています。
深夜の歩行も、それはそれで非日常体験ですし、そこら辺の草むらやベンチでちょっと横になれば、多分歩き通せるでしょう。
・ホテルサンパール(2017年8月宿泊)
41番観自在寺を越えた場所にありました。
一昔前の昭和の香りがする観光ホテル、といった感じでした。
過去には、この辺りから、ロープウェイが対岸へと結ばれていたみたいです。
これまで泊まった宿の中では、一番、食事の量が多かったかなあ、という印象です。
モーニングコーヒーが飲み放題だったのも良かったです。
従業員の皆さんも、気さくな方が多く、気持ち良く泊まる事が出来ました。
普通のホテルのつもりで予約をしたら、ロビーには広々とした「お遍路さんコーナー」があり、おもてなしに力を入れていたようでした。
四巡目も必ず泊まろう、と思っていましたが、廃業という事で、残念でなりません
無くなる宿がある反面、ゲストハウスといった、新しく開店する宿がそれ以上にある印象です。
ただ、ほとんどが素泊まりのようです。地元の定食屋さんを紹介してもらって、なども楽しそうではありますが、やっぱり宿は二食付きですね
「ウルトラウォーキング」での経験を生かし、泊まってみたい宿が無かったら徹夜して歩いてみようか、という気になっています。
深夜の歩行も、それはそれで非日常体験ですし、そこら辺の草むらやベンチでちょっと横になれば、多分歩き通せるでしょう。
2022年12月25日
廃業した遍路宿(2022年 前編)
三巡目の遍路記事が終了しましたので、閑話休題。
定期的に「へんろ道保存協力会」のHPをチェックしていますが、今年もいくつかの宿が廃業となってしまったようです。
有名所では、「おもご旅館」とか「松乃屋旅館」、「鯖大師へんろ会館」などでしょうか。
その中でも、過去に泊まって、もう一度お世話になりたいと思っていた宿の廃業もありまして、ショックを受けています。
・たちばな旅館(2009年3月宿泊)
内子から久万高原への途中の宿です。
ここの目玉は、食べ切れない程の豪勢な食事でした。
直前に間食してしまったこともあり、少し残してしまいました。
熱中症気味で食事が手に付かなかったことはありましたが、それ以外で食べられなかったのは、この宿だけだったかと思います。
絶対にリベンジを、と考えていたのですが、閉店されたようです。
当時より年は取りましたが、今の方が大食いですので、完食出来たはずなのですが
食事の写真を撮らなかったことも残念。
定期的に「へんろ道保存協力会」のHPをチェックしていますが、今年もいくつかの宿が廃業となってしまったようです。
有名所では、「おもご旅館」とか「松乃屋旅館」、「鯖大師へんろ会館」などでしょうか。
その中でも、過去に泊まって、もう一度お世話になりたいと思っていた宿の廃業もありまして、ショックを受けています。
・たちばな旅館(2009年3月宿泊)
内子から久万高原への途中の宿です。
ここの目玉は、食べ切れない程の豪勢な食事でした。
直前に間食してしまったこともあり、少し残してしまいました。
熱中症気味で食事が手に付かなかったことはありましたが、それ以外で食べられなかったのは、この宿だけだったかと思います。
絶対にリベンジを、と考えていたのですが、閉店されたようです。
当時より年は取りましたが、今の方が大食いですので、完食出来たはずなのですが
食事の写真を撮らなかったことも残念。
後編に続きます
2022年12月22日
とびしまウルトラマラニック 2022 [2022年12月11日](後編)
「とびしまウルトラマラニック」の続きです
御手洗(みたらい)という、街並み保存地区があり、ここは景観を楽しみながら歩いて下さい、との事でした。
小さな島でも、このような場所があるのですね。
70kmのエイドで記念撮影をしてもらいました。
ここでは、カキフライのパンが出ました。
この辺りから、下り坂では膝が痛くなりだしました。
いつもだったら、脚は動くが息が続かない状態ですが、今回はちょっと違います。
橋の途中で、愛媛県へと入りました。
走っていると、陸地がいっぱい見えて、どれが島か本土か、全く分かりませんでした。
後で地図を見返してみると、遍路道沿いにある、今治の太陽石油のタンク類が見えていたかも知れません。
77kmのエイドでは、「バター餅ミルクおしるこ」なるものが提供されました。
みかんがのっかっています。
エイドで10分以上は休憩していますので、制限時間がドンドン迫ってきます。
89kmのエイドです。
既に、辺りは真っ暗です。暗闇の中、一人黙々と走り続けます。
何と、95km地点まで、平坦路や下りは走り続けることが出来ました。
ほとんど早歩きのようなペースではありますが、大きな自信となりました。
残り5キロは脚が痛くなり、歩いていました。
係の方から、制限時間に間に合うかどうか、と言われ、猛ダッシュです。
不思議なことに、この時だけ、脚の痛みが全く消えました。アドレナリンとか出ているのでしょうか。
結果は、制限時間の約10秒前、
「15時間59分49秒」でゴールしました。
注目を浴びていた「一本歯下駄ランナー」さんをゴール手前で追い抜いて、ブービー賞です。
危うくリタイヤになってしまう所で、ヒヤヒヤでした。
完走率は81.4%、との事でした。
ちなみに、当日の歩数は、133896歩と凄い数字が出ました。
ゴール後の余韻をじっくりと楽しみたい所でしたが、時期は真冬。あまりの寒さに早々に車に戻って、暖房全開。
東広島のスーパー銭湯に立ち寄ってから、高速道路に乗り、この日も車中泊。
仮眠を繰り返しながら、金沢へと帰って来ました
良い思い出となる大会でした
御手洗(みたらい)という、街並み保存地区があり、ここは景観を楽しみながら歩いて下さい、との事でした。
小さな島でも、このような場所があるのですね。
70kmのエイドで記念撮影をしてもらいました。
ここでは、カキフライのパンが出ました。
この辺りから、下り坂では膝が痛くなりだしました。
いつもだったら、脚は動くが息が続かない状態ですが、今回はちょっと違います。
橋の途中で、愛媛県へと入りました。
走っていると、陸地がいっぱい見えて、どれが島か本土か、全く分かりませんでした。
後で地図を見返してみると、遍路道沿いにある、今治の太陽石油のタンク類が見えていたかも知れません。
77kmのエイドでは、「バター餅ミルクおしるこ」なるものが提供されました。
みかんがのっかっています。
エイドで10分以上は休憩していますので、制限時間がドンドン迫ってきます。
89kmのエイドです。
既に、辺りは真っ暗です。暗闇の中、一人黙々と走り続けます。
何と、95km地点まで、平坦路や下りは走り続けることが出来ました。
ほとんど早歩きのようなペースではありますが、大きな自信となりました。
残り5キロは脚が痛くなり、歩いていました。
係の方から、制限時間に間に合うかどうか、と言われ、猛ダッシュです。
不思議なことに、この時だけ、脚の痛みが全く消えました。アドレナリンとか出ているのでしょうか。
結果は、制限時間の約10秒前、
「15時間59分49秒」でゴールしました。
注目を浴びていた「一本歯下駄ランナー」さんをゴール手前で追い抜いて、ブービー賞です。
危うくリタイヤになってしまう所で、ヒヤヒヤでした。
完走率は81.4%、との事でした。
ちなみに、当日の歩数は、133896歩と凄い数字が出ました。
ゴール後の余韻をじっくりと楽しみたい所でしたが、時期は真冬。あまりの寒さに早々に車に戻って、暖房全開。
東広島のスーパー銭湯に立ち寄ってから、高速道路に乗り、この日も車中泊。
仮眠を繰り返しながら、金沢へと帰って来ました
良い思い出となる大会でした
2022年12月19日
とびしまウルトラマラニック 2022 [2022年12月11日](前編)
12月11日(日)に広島県呉市のとびしま海道で行われた、「とびしまウルトラマラニック in せとうち呉」に参加してきました。
瀬戸内海に浮かぶ7つの島を、7つの橋で渡って一周する大会で、一番端っこの島は、愛媛県の今治市に属するようです。
「マラニック」とは、マラソンとピクニックを合わせたもので、ピクニック感覚で100kmを走る、というマラソン大会です。
エイドの食べ物が、普通のマラソンとは比べ物にならないくらい、いっぱい出してもらえるのが特徴でしょうか。
制限時間は16時間、と長めになっています。
瀬戸内の橋をいくつも渡りました。
久し振りのウルトラマラソンとなります。
16時間もあれば余裕で完走出来るだろう、などと思っていたら、冷や汗をかくことになってしまいました
会場周辺に一人で泊まれる宿が無く、仕方なく自分の車で広島へ向かうことになりました。
金曜日の夜遅くに出発、高速道路のSAで仮眠、広島市内には翌日の午後遅くになって、ようやく到着しました。
写真は、一度訪ねたいと思っていた、「原爆ドーム」です。
この日も、会場の駐車場で車中泊です。二日続けてこんな状態で、100kmも走れるでしょうか。
早朝5時スタート
出走したランナーは436名でした。
暗闇の中、走り始めます。
今回は、実験として、心拍数を上げないように走ってみることにしました。
息があがらないように、早歩きのようなペースで進みます。
30kmが近付いてきた所で、一番大きい安芸灘大橋を渡ります。
ここはランナー同士が折り返しですれ違うことになり、後ろに何人位いるか分かります。
40人位は走っていたでしょうか、安心しました。
約7~8kmおき位に、エイドがあります。
写真は、39kmのエイドです。カレーライスが出ました。
ここで、同じ、石川県から来たランナーと出会いました。
瀬戸内の島は、ミカン畑がたくさん。
みかん食べ放題でした
次々と、美味しい食べ物が提供されます。
瀬戸内海に浮かぶ7つの島を、7つの橋で渡って一周する大会で、一番端っこの島は、愛媛県の今治市に属するようです。
「マラニック」とは、マラソンとピクニックを合わせたもので、ピクニック感覚で100kmを走る、というマラソン大会です。
エイドの食べ物が、普通のマラソンとは比べ物にならないくらい、いっぱい出してもらえるのが特徴でしょうか。
制限時間は16時間、と長めになっています。
瀬戸内の橋をいくつも渡りました。
久し振りのウルトラマラソンとなります。
16時間もあれば余裕で完走出来るだろう、などと思っていたら、冷や汗をかくことになってしまいました
会場周辺に一人で泊まれる宿が無く、仕方なく自分の車で広島へ向かうことになりました。
金曜日の夜遅くに出発、高速道路のSAで仮眠、広島市内には翌日の午後遅くになって、ようやく到着しました。
写真は、一度訪ねたいと思っていた、「原爆ドーム」です。
この日も、会場の駐車場で車中泊です。二日続けてこんな状態で、100kmも走れるでしょうか。
早朝5時スタート
出走したランナーは436名でした。
暗闇の中、走り始めます。
今回は、実験として、心拍数を上げないように走ってみることにしました。
息があがらないように、早歩きのようなペースで進みます。
30kmが近付いてきた所で、一番大きい安芸灘大橋を渡ります。
ここはランナー同士が折り返しですれ違うことになり、後ろに何人位いるか分かります。
40人位は走っていたでしょうか、安心しました。
約7~8kmおき位に、エイドがあります。
写真は、39kmのエイドです。カレーライスが出ました。
ここで、同じ、石川県から来たランナーと出会いました。
瀬戸内の島は、ミカン畑がたくさん。
みかん食べ放題でした
次々と、美味しい食べ物が提供されます。
[後編に続きます]
2022年12月15日
【3巡目-800】 第33回 区切り打ち 帰宅 (後編) [2020年8月31日]〈その16〉
板野駅から、徳島から来た特急に乗り込む。
新型コロナの影響でお客さんは少ないかと思っていたら、ビジネスマンが結構乗っている。
二~三両編成だったか、前から後まで空席を探してみるが、二人掛けの椅子が全て、一人客できれいに埋まっている状態だった。
自分が座れば、そこだけ二人掛けになりそう。何か座りにくい。
結局、座りそびれてしまい、デッキで過ごすことにした。30分ちょっとなので、我慢しよう。
志度駅で下車、少し歩いてことでん志度駅へ。小さくてかわいい駅舎でした。
潟元駅で降りて、1日200円パーキングへと戻る。愛車は無事、隅っこに止まっていた。
この車での四国入りは、これが最後となってしまった。
帰りは、どちらの橋を使おうか迷うが、瀬戸大橋にした。後で地図を見てみると、淡路島経由の方が大分距離が短そうだった。
途中、仮眠をしながら車を走らせ、翌朝、金沢に辿り着いた。
丁度、800回目の投稿で、歩き遍路3巡目の記事が終了となりました。
(88)大窪寺で結願した時が、777号だったから、偶然とはいえ、不思議なものです。
コースタイム
17:07板東駅17:17→→17:23板野駅17:43→→18:16志度駅→ことでん志度駅18:20→→18:43ことでん潟元駅→18:44デイパーク潟元駅前第118:52→高松中央IC→(瀬戸大橋)→龍野西SA→金沢東IC→9月1日6:19自宅
新型コロナの影響でお客さんは少ないかと思っていたら、ビジネスマンが結構乗っている。
二~三両編成だったか、前から後まで空席を探してみるが、二人掛けの椅子が全て、一人客できれいに埋まっている状態だった。
自分が座れば、そこだけ二人掛けになりそう。何か座りにくい。
結局、座りそびれてしまい、デッキで過ごすことにした。30分ちょっとなので、我慢しよう。
志度駅で下車、少し歩いてことでん志度駅へ。小さくてかわいい駅舎でした。
潟元駅で降りて、1日200円パーキングへと戻る。愛車は無事、隅っこに止まっていた。
この車での四国入りは、これが最後となってしまった。
帰りは、どちらの橋を使おうか迷うが、瀬戸大橋にした。後で地図を見てみると、淡路島経由の方が大分距離が短そうだった。
途中、仮眠をしながら車を走らせ、翌朝、金沢に辿り着いた。
丁度、800回目の投稿で、歩き遍路3巡目の記事が終了となりました。
(88)大窪寺で結願した時が、777号だったから、偶然とはいえ、不思議なものです。
コースタイム
17:07板東駅17:17→→17:23板野駅17:43→→18:16志度駅→ことでん志度駅18:20→→18:43ことでん潟元駅→18:44デイパーク潟元駅前第118:52→高松中央IC→(瀬戸大橋)→龍野西SA→金沢東IC→9月1日6:19自宅
[歩き遍路第三拝 終了]
2022年12月11日
【3巡目-799】 第33回 区切り打ち 帰宅 (前編) [2020年8月31日]〈その15〉
午後5時近くになって、(1)霊山寺を出立した。
後は、(84)屋島寺麓の「琴電潟元駅」近くに止めてある、自家用車を取りに戻ることになる。
板東駅から志度駅までJRを利用し、近くの琴電志度駅から潟元駅へ、という計画である。
駅までは、グリーンのラインが引いてあり、迷わないようにたどり着けるようになっていた。
記憶に無い、おもてなしステーションがあったりと、少しずつ変化してきている。
12分で、板東駅に到着した。
無人駅だが券売機があり、志度駅までの切符を購入した。
板東駅からは、早々にやって来た(3)金泉寺のある、板野駅行きの汽車に乗り込み、終点で下車。ここから特急に乗り換えて志度駅へと向かう。
20分の乗り継ぎ時間があったことから、駅を出て、板野駅周辺を散策した。
一度廃業した「旅館ばんどう」が、料金がかなり安くなって、この時は復活していたようである。
ただ、へんろ道保存協力会のHPによると、その後再び、短期間で廃業となってしまっていた。
本日のコースタイム
白鳥温泉8:39→引田→13:33大坂峠→15:31卯辰越→16:04大麻比古神社16:16→16:29(1)霊山寺16:55→17:07板東駅
歩行距離:29.6km
歩数 :45400歩
最高気温:35.6℃
最低気温:25.6℃[引田]
後は、(84)屋島寺麓の「琴電潟元駅」近くに止めてある、自家用車を取りに戻ることになる。
板東駅から志度駅までJRを利用し、近くの琴電志度駅から潟元駅へ、という計画である。
駅までは、グリーンのラインが引いてあり、迷わないようにたどり着けるようになっていた。
記憶に無い、おもてなしステーションがあったりと、少しずつ変化してきている。
12分で、板東駅に到着した。
無人駅だが券売機があり、志度駅までの切符を購入した。
板東駅からは、早々にやって来た(3)金泉寺のある、板野駅行きの汽車に乗り込み、終点で下車。ここから特急に乗り換えて志度駅へと向かう。
20分の乗り継ぎ時間があったことから、駅を出て、板野駅周辺を散策した。
一度廃業した「旅館ばんどう」が、料金がかなり安くなって、この時は復活していたようである。
ただ、へんろ道保存協力会のHPによると、その後再び、短期間で廃業となってしまっていた。
本日のコースタイム
白鳥温泉8:39→引田→13:33大坂峠→15:31卯辰越→16:04大麻比古神社16:16→16:29(1)霊山寺16:55→17:07板東駅
歩行距離:29.6km
歩数 :45400歩
最高気温:35.6℃
最低気温:25.6℃[引田]
2022年12月07日
【3巡目-798】 1番霊山寺(満願) [2020年8月31日]〈その14〉
立派な「大麻比古神社」にて一休みさせてもらい、いよいよ(1)霊山寺へと向かう。
立派な灯籠が並ぶ参道を戻るように進む。
15分程歩いて、午後4時半過ぎに、無事、(1)霊山寺に到着した。三度目の満願となった。
「結願」と「満願」の違いははっきりしていないようだが、(88)大窪寺で結願、(1)霊山寺で満願、ということにしておく。
(88)大窪寺でもそうだったが、ある程度の達成感はあるものの、そんなに深い感慨は起こらなかった。
新型コロナの影響で、賑わいは無く、静かな境内である。
参拝をし、納経所へと向かった。
霊山寺では「満願之証」なるものを出してくれているそうなので、今回は頂いてみようかと考えていた。
大窪寺の結願証とは、大きさや貫禄がかなり劣るものの、無事に満願之証(2000円)を受け取ることが出来た。
この日はちょうど51回目の誕生日であり、その日付のものが頂けて良かった。
立派な灯籠が並ぶ参道を戻るように進む。
15分程歩いて、午後4時半過ぎに、無事、(1)霊山寺に到着した。三度目の満願となった。
「結願」と「満願」の違いははっきりしていないようだが、(88)大窪寺で結願、(1)霊山寺で満願、ということにしておく。
(88)大窪寺でもそうだったが、ある程度の達成感はあるものの、そんなに深い感慨は起こらなかった。
新型コロナの影響で、賑わいは無く、静かな境内である。
参拝をし、納経所へと向かった。
霊山寺では「満願之証」なるものを出してくれているそうなので、今回は頂いてみようかと考えていた。
大窪寺の結願証とは、大きさや貫禄がかなり劣るものの、無事に満願之証(2000円)を受け取ることが出来た。
この日はちょうど51回目の誕生日であり、その日付のものが頂けて良かった。
2022年12月03日
【3巡目-797】 卯辰越④、1番霊山寺へ [2020年8月31日]〈その13〉
卯辰越の峠を越えてからは、ヨーク牧場という観光牧場でもあったのか、その跡地らしきものがあった。
後は何もない、クネクネ山道を下って行くことになる。
麓まで降りてくると、四国のみちの立杭があり、次に目指していた大麻比古神社への道しるべがあるが、だだっ広い駐車場のような場所へ入るように指示している。
鉄製の門で閉じられているが、横から入れるようになっている。ここを進めば良いのだろうか。取り敢えず行ってみることにした。
どうやら、この広い駐車場は、参拝客用なのだろう。そこを横切って、午後4時過ぎ、「大麻比古神社」に到着した。
いよいよ、(1)霊山寺はすぐそこであるが、まずは由緒あり気な、この大神社に立ち寄った。
ちなみに、そのまま車道を進めば、道の駅となっている「第九の里」があるようである。
霊山寺の納経時間終了にはまだ時間があることから、最後の一休みをさせてもらった。
後は何もない、クネクネ山道を下って行くことになる。
麓まで降りてくると、四国のみちの立杭があり、次に目指していた大麻比古神社への道しるべがあるが、だだっ広い駐車場のような場所へ入るように指示している。
鉄製の門で閉じられているが、横から入れるようになっている。ここを進めば良いのだろうか。取り敢えず行ってみることにした。
どうやら、この広い駐車場は、参拝客用なのだろう。そこを横切って、午後4時過ぎ、「大麻比古神社」に到着した。
いよいよ、(1)霊山寺はすぐそこであるが、まずは由緒あり気な、この大神社に立ち寄った。
ちなみに、そのまま車道を進めば、道の駅となっている「第九の里」があるようである。
霊山寺の納経時間終了にはまだ時間があることから、最後の一休みをさせてもらった。