2012年10月31日
【166】歩き遍路21日目〈その4〉[2012年4月10日]
四万十川の河口を船は進む。
日本一の清流と呼ばれている川であるが、河口部で水の流れもゆるやかなので、水が透き通っているというわけではないが、あの有名な四万十川を船で横断しているという事実に、とても良い気分となる。
これで、浦戸湾のフェリー・浦ノ内湾の巡航船・下田の渡しと、お遍路道中の船便は制覇したことになった。
わずか5分ほどで、対岸の初崎船着場に到着した。
元々の船着き場は土砂が溜まって使えなくなったそうで、現在はコンクリートの壁に船を横付けする形となっていた。階段を上って対岸に上陸した。
岸壁で乗船前に購入した缶コーヒーを飲みながら休憩することにした。栃木の方たちはそのまますぐに歩いて行ってしまった。
周囲には、初崎船着場の説明版がある。以前は四万十川には至る所に渡船があったが、現在残っているのはここだけだそうである。
ここの渡しにしても、以前廃止されたものが復活したわけであるから、出来るだけ利用していくようにしたいものである。
初崎の船着場を出発する。へんろ地図では、しばらくは車道を歩いてから左に入り歩きの道になるようになっているが、それらしき場所には会社が建っていて、遍路道を探してみるが見つからなかった。
あきらめて、そのまま車道を進むと、青い倉庫のある所に左に行ける道があった。軽トラックが止まっており、尋ねてみると、ここから行けるとの事だった。
お昼になっていたので、一旦そのまま進んで、その先にある「うどん屋田子作」でお昼とすることにした。
日本一の清流と呼ばれている川であるが、河口部で水の流れもゆるやかなので、水が透き通っているというわけではないが、あの有名な四万十川を船で横断しているという事実に、とても良い気分となる。
これで、浦戸湾のフェリー・浦ノ内湾の巡航船・下田の渡しと、お遍路道中の船便は制覇したことになった。
わずか5分ほどで、対岸の初崎船着場に到着した。
元々の船着き場は土砂が溜まって使えなくなったそうで、現在はコンクリートの壁に船を横付けする形となっていた。階段を上って対岸に上陸した。
岸壁で乗船前に購入した缶コーヒーを飲みながら休憩することにした。栃木の方たちはそのまますぐに歩いて行ってしまった。
周囲には、初崎船着場の説明版がある。以前は四万十川には至る所に渡船があったが、現在残っているのはここだけだそうである。
ここの渡しにしても、以前廃止されたものが復活したわけであるから、出来るだけ利用していくようにしたいものである。
初崎の船着場を出発する。へんろ地図では、しばらくは車道を歩いてから左に入り歩きの道になるようになっているが、それらしき場所には会社が建っていて、遍路道を探してみるが見つからなかった。
あきらめて、そのまま車道を進むと、青い倉庫のある所に左に行ける道があった。軽トラックが止まっており、尋ねてみると、ここから行けるとの事だった。
お昼になっていたので、一旦そのまま進んで、その先にある「うどん屋田子作」でお昼とすることにした。
2012年10月27日
【165】歩き遍路21日目〈その3〉[2012年4月10日]
県道を進み、分岐点に差し掛かる。ここには飲食店があり、ちょうどお客さんが入っていった。
どちらの道からでも行けるようなので、左側(海側)の道を進んだ。
これまでは少し標高のある高台を歩いてきたが、坂道を下ると、下田の集落にたどり着いた。わりと大きな集落である。
この辺りから、電柱には「下田の渡し」へと誘導する、青色の遍路シールが見られるようになってきた。運賃500円と書いてある。あ、お金がかかるのか‥と当然の事にようやく気が付いた。
途中、道しるべを見逃したようだったが、地元の人に教えられて、下田の渡しと立札のある場所に到着した。100mほど離れた場所に、先に抜かしていった栃木の方たちの姿が見えた。
どうして向こうにいるのかなあ、と思っていると、通りかかった船のおっちゃんが、向こうの方を指さして、移動するように指示があった。
この船が、渡し船だった。「渡し船」なので、エッチラコと漕いでいく船を想像していたが、エンジン付の小さな漁船である。
乗船場所は、立札のある場所ではなく、漁協の建物のある場所となっていた。
予約していた時間にはあと30分近くあったが、栃木の方たちを乗せて今から出航するようだったので、この便に乗せてもらうことにし、缶コーヒーを買い、あわてて船に乗り込んだ。お客さんは、我々3名である。ライフジャケットを着用する。
名簿に名前を書き込み、料金500円を支払うと、運行責任者である沖さんの名刺を頂いた。裏側は、下田の渡し保存会の乗船証明書、と印刷されており、良い記念となった。また、お接待の飴玉も頂いた。
どちらの道からでも行けるようなので、左側(海側)の道を進んだ。
これまでは少し標高のある高台を歩いてきたが、坂道を下ると、下田の集落にたどり着いた。わりと大きな集落である。
この辺りから、電柱には「下田の渡し」へと誘導する、青色の遍路シールが見られるようになってきた。運賃500円と書いてある。あ、お金がかかるのか‥と当然の事にようやく気が付いた。
途中、道しるべを見逃したようだったが、地元の人に教えられて、下田の渡しと立札のある場所に到着した。100mほど離れた場所に、先に抜かしていった栃木の方たちの姿が見えた。
どうして向こうにいるのかなあ、と思っていると、通りかかった船のおっちゃんが、向こうの方を指さして、移動するように指示があった。
この船が、渡し船だった。「渡し船」なので、エッチラコと漕いでいく船を想像していたが、エンジン付の小さな漁船である。
乗船場所は、立札のある場所ではなく、漁協の建物のある場所となっていた。
予約していた時間にはあと30分近くあったが、栃木の方たちを乗せて今から出航するようだったので、この便に乗せてもらうことにし、缶コーヒーを買い、あわてて船に乗り込んだ。お客さんは、我々3名である。ライフジャケットを着用する。
名簿に名前を書き込み、料金500円を支払うと、運行責任者である沖さんの名刺を頂いた。裏側は、下田の渡し保存会の乗船証明書、と印刷されており、良い記念となった。また、お接待の飴玉も頂いた。
2012年10月15日
【164】歩き遍路21日目〈その2〉[2012年4月10日]
県道に合流して、ややアップダウンのある道を進むと、四万十大橋方面と下田の渡し方面への分岐点にたどり着いた。
今回の旅の目的の一つに、復活した「下田の渡し」を利用したい、というのがある。
へんろ標識があり、運行できない場合もあるので、ここで連絡をお願いします、とあった。先程連絡したばかりだから大丈夫だろう。
左折して、ここからは初めて歩く道となった。休憩場所を探しながら歩いていたが、田野浦の集落の郵便局のある辺りで腰かける場所があったので、近くの自販機でコーヒーを買い、一休みとした。
ここは海に面しており、漁業の集落のようである。
近所の87才というおじいさんが通りかかり、少しお話をした。何でも、20年前に白血病に罹ったが、中村の病院に通い、完治した、との事だった。
田野浦の集落を出発。一旦、道は海岸沿いに出る。狭い道に、一日数本のバスがたまたまやって来た。
交通量が若干ある道に合流するが、単調な道が続く。
歩いていると、道端にコンクリートブロック製のトイレがあった。男性用は、仕切りのない、コンクリートの壁に向かって行う、昔のトイレである。
予期せぬ場所にあったが、地元の畑作業をしている人たちが利用するのだろうか。この辺りで一休みすることにした。
休憩していると、七子峠の手前で出会った栃木の方、そして岩本寺近くで見かけた方が一緒にやって来て、足早に通り過ぎていった。お二人も「下田の渡し」を予約したそうである。
今回の旅の目的の一つに、復活した「下田の渡し」を利用したい、というのがある。
へんろ標識があり、運行できない場合もあるので、ここで連絡をお願いします、とあった。先程連絡したばかりだから大丈夫だろう。
左折して、ここからは初めて歩く道となった。休憩場所を探しながら歩いていたが、田野浦の集落の郵便局のある辺りで腰かける場所があったので、近くの自販機でコーヒーを買い、一休みとした。
ここは海に面しており、漁業の集落のようである。
近所の87才というおじいさんが通りかかり、少しお話をした。何でも、20年前に白血病に罹ったが、中村の病院に通い、完治した、との事だった。
田野浦の集落を出発。一旦、道は海岸沿いに出る。狭い道に、一日数本のバスがたまたまやって来た。
交通量が若干ある道に合流するが、単調な道が続く。
歩いていると、道端にコンクリートブロック製のトイレがあった。男性用は、仕切りのない、コンクリートの壁に向かって行う、昔のトイレである。
予期せぬ場所にあったが、地元の畑作業をしている人たちが利用するのだろうか。この辺りで一休みすることにした。
休憩していると、七子峠の手前で出会った栃木の方、そして岩本寺近くで見かけた方が一緒にやって来て、足早に通り過ぎていった。お二人も「下田の渡し」を予約したそうである。
2012年10月05日
【163】歩き遍路21日目〈その1〉[2012年4月10日]
早朝5時ごろ目が覚めると、一人のお遍路さんが出発していく姿が窓から見えた。
後でフロントの人に聞くと、この方が和歌山のHさんのようだった。Hさんを見かけたのはこれが最後となった。無事に宿毛まで歩き継ぐことが出来ただろうか。
朝食は7時から準備が出来るという事で、少し遅いのだがお願いしておいた。おそらく、歩き遍路のために少し時間を早くしてくれているようだった。食事中に他のお客さんもやって来たのだが、時間がまだということで一旦戻っていく、ということがあった。
遍路宿での食事はほとんど和食なので、たまには洋食を摂りたくなる。
朝食を終え、朝7時半にチェックアウトした。宿代は7000円ちょうどでビックリしてしまった。この値段でこんな立派な宿に泊まっていいものだろうか。
今まで泊まった遍路宿の中で、一番良い宿だった。
ホテルを出るとしばらくで、運動公園の中を歩く道となる。遍路シールはあるのだが、本当にここが遍路道なのか、と思ってしまう道である。
今日は、四万十川を渡る「下田の渡し」を利用予定である。へんろ地図には「遅くとも出発希望時刻の30分前までに電話で予約して下さい」と書いてあるので、宿を出て早々に連絡を入れた。
渡し船なので、おじいさんでも電話に出るのかと思ったが、わりと若そうで話しやすそうな方が出て、少し余裕を持って11時半頃にお願いできないか頼んでみると、大丈夫だと思います、との事だった。
思います、とは何か変だなーと思ったが、考えてみれば、天候の影響などで、必ずしも渡れるわけでは無いのかも知れない。
後でフロントの人に聞くと、この方が和歌山のHさんのようだった。Hさんを見かけたのはこれが最後となった。無事に宿毛まで歩き継ぐことが出来ただろうか。
朝食は7時から準備が出来るという事で、少し遅いのだがお願いしておいた。おそらく、歩き遍路のために少し時間を早くしてくれているようだった。食事中に他のお客さんもやって来たのだが、時間がまだということで一旦戻っていく、ということがあった。
遍路宿での食事はほとんど和食なので、たまには洋食を摂りたくなる。
朝食を終え、朝7時半にチェックアウトした。宿代は7000円ちょうどでビックリしてしまった。この値段でこんな立派な宿に泊まっていいものだろうか。
今まで泊まった遍路宿の中で、一番良い宿だった。
ホテルを出るとしばらくで、運動公園の中を歩く道となる。遍路シールはあるのだが、本当にここが遍路道なのか、と思ってしまう道である。
今日は、四万十川を渡る「下田の渡し」を利用予定である。へんろ地図には「遅くとも出発希望時刻の30分前までに電話で予約して下さい」と書いてあるので、宿を出て早々に連絡を入れた。
渡し船なので、おじいさんでも電話に出るのかと思ったが、わりと若そうで話しやすそうな方が出て、少し余裕を持って11時半頃にお願いできないか頼んでみると、大丈夫だと思います、との事だった。
思います、とは何か変だなーと思ったが、考えてみれば、天候の影響などで、必ずしも渡れるわけでは無いのかも知れない。