2020年10月29日
【3巡目-582】 55番南光坊、56番泰山寺へ [2019年3月17日]〈その11〉
(55)南光坊を出立する。
今日の宿は(58)仙遊寺宿坊、とまだまだ距離はある。のんびりとしている訳にはいかない。
夕食が午後6時からなので、その前にお風呂にも入りたいから、頑張って歩いて5時半前には到着したい所である。
二巡目の時に泊まった「笑福旅館」には貼り紙があり、「ビジネス旅館笑福」として別の場所に移転した、との事である。老夫婦がやっていたから、世代交代したのだろうか。
(56)泰山寺に向かって一直線に、あまり広くは無い車道を進む。前にここを歩いていた時、練習中の今治西高校の野球部員に挨拶されたことがある。今回は、練習試合をしており、大きな声が響き渡っていた。
国道196号線まで来ると、当てにしていたへんろ地図にも載っているコンビニが、とんかつの「かつや」に鞍替えしていた。
幸い、反対方向100m程先に、ローソンが出来ていた。少し寄り道をする。
(58)仙遊寺の宿坊は精進料理と聞いており、お腹がすいて困っては何なので、念のため、食料の調達、水分の確保、アルコールを購入しておく。
ここが恐らく、仙遊寺までの最終コンビニでは無いだろうか。
今日の宿は(58)仙遊寺宿坊、とまだまだ距離はある。のんびりとしている訳にはいかない。
夕食が午後6時からなので、その前にお風呂にも入りたいから、頑張って歩いて5時半前には到着したい所である。
二巡目の時に泊まった「笑福旅館」には貼り紙があり、「ビジネス旅館笑福」として別の場所に移転した、との事である。老夫婦がやっていたから、世代交代したのだろうか。
(56)泰山寺に向かって一直線に、あまり広くは無い車道を進む。前にここを歩いていた時、練習中の今治西高校の野球部員に挨拶されたことがある。今回は、練習試合をしており、大きな声が響き渡っていた。
国道196号線まで来ると、当てにしていたへんろ地図にも載っているコンビニが、とんかつの「かつや」に鞍替えしていた。
幸い、反対方向100m程先に、ローソンが出来ていた。少し寄り道をする。
(58)仙遊寺の宿坊は精進料理と聞いており、お腹がすいて困っては何なので、念のため、食料の調達、水分の確保、アルコールを購入しておく。
ここが恐らく、仙遊寺までの最終コンビニでは無いだろうか。
2020年10月26日
【3巡目-581】 55番南光坊 [2019年3月17日]〈その10〉
遍路シールがあり(55)南光坊への近道を示しているが、確か山門は国道沿いだったかと思うので、遠回りをして境内へと入った。すっきりとした印象がある。
お参りを終えると、(54)延命寺で見掛けて先に出発したはずの、群馬のおじさん、そして北海道の奥様もやって来た。
北海道の方に、道を間違えたのでは、と声を掛けると、バスに乗ってきた、との事だった。タイミングよくバス便があったそうで、公共交通機関も利用しながら周っているそうである。
今日はどこまで行くのか、まだ決めていないそうである。この先、泊まれる場所は、この(55)南光坊のある今治市内か(59)仙遊寺の宿坊では、とお話しすると、その辺りはご存知のようだった。
(55)南光坊でのメインイベントとして、納経書きの「ひら田さん」にお会いすることであり、結構、有名人のようである。
二巡目の時に、写真にあるように、味のある名札を書いてもらい、今も納経帳に挟んである。
今回も一筆書いて頂きたい、と考えていた。
空いていそうな頃合いを見計らって、納経所へと向かった。中に入ると、お坊さんが納経をしてくれており、「ひら田さん」はいらっしゃらなかった。残念である。
お参りを終えると、(54)延命寺で見掛けて先に出発したはずの、群馬のおじさん、そして北海道の奥様もやって来た。
北海道の方に、道を間違えたのでは、と声を掛けると、バスに乗ってきた、との事だった。タイミングよくバス便があったそうで、公共交通機関も利用しながら周っているそうである。
今日はどこまで行くのか、まだ決めていないそうである。この先、泊まれる場所は、この(55)南光坊のある今治市内か(59)仙遊寺の宿坊では、とお話しすると、その辺りはご存知のようだった。
(55)南光坊でのメインイベントとして、納経書きの「ひら田さん」にお会いすることであり、結構、有名人のようである。
二巡目の時に、写真にあるように、味のある名札を書いてもらい、今も納経帳に挟んである。
今回も一筆書いて頂きたい、と考えていた。
空いていそうな頃合いを見計らって、納経所へと向かった。中に入ると、お坊さんが納経をしてくれており、「ひら田さん」はいらっしゃらなかった。残念である。
2020年10月23日
第3回「中山道・木曽路ウルトラフリーウォーキング(100km)」
2020年10月17日(土)から18日(日)にかけて行われた、
「第3回 中山道・木曽路ウルトラフリーウォーキング」
に参加してきました。
岐阜駅を出発し、馬籠宿・妻籠宿などの宿場を通り、長野県の南木曽駅までの103kmを歩く、ウルトラウォーキングです。
新型コロナの影響で、マラソン・ウォーキング大会が軒並み中止となるなか、開催される大会を発見、これは参加しなければ、といった次第です。
それも、歴史街道の中山道を歩けるとは、素晴らしそうじゃないですか。
朝10時に岐阜駅を出発、約40kmは平地を歩くのですが、その後ゴールまではほとんどアップダウンのある山道や丘を越えるという、超ハードな道程でした。それも、一日目はずっと雨降りとなってしまいました。
そして真夜中に、山の中の石畳の道など、風情のある道を歩くという、凄い大会でもありました。
途中、標識を見落として道を間違えて迷子になってしまったり(それも夜中)、自販機が無くて手持ちの水が無くなりかけ、山の中の井戸から水を汲んだり、とあり得ないような経験もありました。
真っ暗闇の中、懐中電灯の明かりだけを頼りに歩き、1~2時間は誰にも会わないようなこともありました。
親子のクマを見掛けた、という情報も(本当か?)。
22~23時間で歩けるかなあ、と計画していたのですが、結果は27時間39分も掛かってしまいました。立派な完歩証は勲章のようなものです。
エントリーは205名、実際に参加したのは184名、完歩したのは127名、と完歩率は69%のようでした。
装備万全の百戦錬磨のような参加者が多かったことを考えると、過酷な歩きだったことが分かります。
睡魔もあって、もうこんな辛いことは懲り懲り、との思いも、一晩眠ると、また参加してみたいなあ、という気分になっております。
ちなみに歩数は、1日目89873歩、2日目62514歩でした。
「アクトレップ」という会社が事務局となっており、至れり尽くせりの大会では無いのですが、その分、フットワーク軽く大会を開催しているようで、年内はあと、小豆島一周と霞ケ浦一周の大会があります。
またどこかの大会に出てみよう、と計画しています。
「第3回 中山道・木曽路ウルトラフリーウォーキング」
に参加してきました。
岐阜駅を出発し、馬籠宿・妻籠宿などの宿場を通り、長野県の南木曽駅までの103kmを歩く、ウルトラウォーキングです。
新型コロナの影響で、マラソン・ウォーキング大会が軒並み中止となるなか、開催される大会を発見、これは参加しなければ、といった次第です。
それも、歴史街道の中山道を歩けるとは、素晴らしそうじゃないですか。
朝10時に岐阜駅を出発、約40kmは平地を歩くのですが、その後ゴールまではほとんどアップダウンのある山道や丘を越えるという、超ハードな道程でした。それも、一日目はずっと雨降りとなってしまいました。
そして真夜中に、山の中の石畳の道など、風情のある道を歩くという、凄い大会でもありました。
途中、標識を見落として道を間違えて迷子になってしまったり(それも夜中)、自販機が無くて手持ちの水が無くなりかけ、山の中の井戸から水を汲んだり、とあり得ないような経験もありました。
真っ暗闇の中、懐中電灯の明かりだけを頼りに歩き、1~2時間は誰にも会わないようなこともありました。
親子のクマを見掛けた、という情報も(本当か?)。
22~23時間で歩けるかなあ、と計画していたのですが、結果は27時間39分も掛かってしまいました。立派な完歩証は勲章のようなものです。
エントリーは205名、実際に参加したのは184名、完歩したのは127名、と完歩率は69%のようでした。
装備万全の百戦錬磨のような参加者が多かったことを考えると、過酷な歩きだったことが分かります。
睡魔もあって、もうこんな辛いことは懲り懲り、との思いも、一晩眠ると、また参加してみたいなあ、という気分になっております。
ちなみに歩数は、1日目89873歩、2日目62514歩でした。
「アクトレップ」という会社が事務局となっており、至れり尽くせりの大会では無いのですが、その分、フットワーク軽く大会を開催しているようで、年内はあと、小豆島一周と霞ケ浦一周の大会があります。
またどこかの大会に出てみよう、と計画しています。
2020年10月20日
【3巡目-580】 55番南光坊へ [2019年3月17日]〈その9〉
(55)南光坊へ向かうにあたって、一巡目の時に「大谷霊園」の中を通ったのだが、どこかで道を間違え、違う場所に出てしまっていた。
今回は、へんろ地図の通りに歩きたい、と考えている。
写真の場所で、石段を上がって丘の上に向かうのが正解だった。多分、ここは通っていないと思う。
普通に歩いていて、道しるべがちゃんとあったので迷うことは無かった。10年前はどうして間違えたのだろうか。
石段を上ると、公園になっており、広場を抜けると車道があり、警備員が仕事をしていた。春のお彼岸で、お墓参りの車を誘導していた。
道は下りとなり、両側にお墓が並んでいる。確かに、知らない道であり、道しるべがたくさん残っていた。
無事、大通りに合流し、へんろ地図の通りに歩くことが出来た。
今回、大谷霊園の遍路道を通ったことで、へんろ地図四国全体のメインルートの赤い線の道は、記憶にある限り、完歩出来たのではないだろうか。
お城のある建物が見えてくると、今治市内となる。やや危ない系の方の豪邸かと思い調べてみると、お城好きの方が作られたマンションのようであった。
住宅街を抜けると、歩道の無いちょっと歩きにくい道となるが、すぐに大通となった。こちらは歩道も広くなっている。
今回は、へんろ地図の通りに歩きたい、と考えている。
写真の場所で、石段を上がって丘の上に向かうのが正解だった。多分、ここは通っていないと思う。
普通に歩いていて、道しるべがちゃんとあったので迷うことは無かった。10年前はどうして間違えたのだろうか。
石段を上ると、公園になっており、広場を抜けると車道があり、警備員が仕事をしていた。春のお彼岸で、お墓参りの車を誘導していた。
道は下りとなり、両側にお墓が並んでいる。確かに、知らない道であり、道しるべがたくさん残っていた。
無事、大通りに合流し、へんろ地図の通りに歩くことが出来た。
今回、大谷霊園の遍路道を通ったことで、へんろ地図四国全体のメインルートの赤い線の道は、記憶にある限り、完歩出来たのではないだろうか。
お城のある建物が見えてくると、今治市内となる。やや危ない系の方の豪邸かと思い調べてみると、お城好きの方が作られたマンションのようであった。
住宅街を抜けると、歩道の無いちょっと歩きにくい道となるが、すぐに大通となった。こちらは歩道も広くなっている。
2020年10月17日
【3巡目-579】 54番延命寺 [2019年3月17日]〈その8〉
(54)延命寺の境内に入ると、古くて渋かった売店が新築になってしまっていた。
他のお寺には無い独特の雰囲気があったので、残念ではあるが仕方がない。
赤いリュックが二つ置かれている。歩き遍路さんが先着しているようである。
お一人は、今日と明日同じ宿になる、群馬から来られた方である。久し振りに、現役のおじさん遍路を見たような気がする。一番、歩き遍路をしている数が多い世代のはずなのだが。
参拝を終え、駐車場のトイレへ向かうと、もう一つのリュックの持ち主、還暦くらいだろうか、女性の歩き遍路さんと会い、言葉を交わす。
この方は、北海道から来ている、と後で群馬の方から聞いた。
トイレを済ませ、(54)延命寺を出発する。
遍路道は、最初の山門を出てすぐに左方向へ進むのだった。
先程の女性お遍路さんは、県道の方へと行ってしまっていた。あの時気付いていれば声を掛けたのに、と思う。
(54)延命寺からは、のどかな田舎道となり、お地蔵さんを見ながらの歩きとなった。なかなかよい雰囲気である。
前回は、延命寺から(56)泰山寺へと向かって歩いたので、この辺りは10年振り、という事になる。
他のお寺には無い独特の雰囲気があったので、残念ではあるが仕方がない。
赤いリュックが二つ置かれている。歩き遍路さんが先着しているようである。
お一人は、今日と明日同じ宿になる、群馬から来られた方である。久し振りに、現役のおじさん遍路を見たような気がする。一番、歩き遍路をしている数が多い世代のはずなのだが。
参拝を終え、駐車場のトイレへ向かうと、もう一つのリュックの持ち主、還暦くらいだろうか、女性の歩き遍路さんと会い、言葉を交わす。
この方は、北海道から来ている、と後で群馬の方から聞いた。
トイレを済ませ、(54)延命寺を出発する。
遍路道は、最初の山門を出てすぐに左方向へ進むのだった。
先程の女性お遍路さんは、県道の方へと行ってしまっていた。あの時気付いていれば声を掛けたのに、と思う。
(54)延命寺からは、のどかな田舎道となり、お地蔵さんを見ながらの歩きとなった。なかなかよい雰囲気である。
前回は、延命寺から(56)泰山寺へと向かって歩いたので、この辺りは10年振り、という事になる。
2020年10月14日
【3巡目-578】 大西、54番延命寺へ [2019年3月17日]〈その7〉
ジョイフル今治大西店を出てからは、旧道に戻らず、国道をそのまま進む。
へんろ地図を見ていて気が付いたのだが、確かこの辺りにビジネスホテルがあったはずで、最新版では掲載されていなかった。
どこだったかなあ、と探しながら歩いていたら、大きな老人ホームの手前にあった。張り紙があり、もう営業はしてなさそうである。
その内、国道は大型店などは無いが、片側二車線の大通りとなる。
しばらく大きな国道を進んでから、旧国道らしき道へと入ると、商店や民家などが連なるようになる。歩道が無く危険な場所も一部あるので、気を付けなければならない。
脇道へと入り、「近見二郎坊」の前を通る。
トイレをご自由にご利用下さい、となっているが、ここは営業しているのか、へんろ地図が買えることになっているが本当に?、といつも謎に思っていた。
帰宅してから調べてみると、(54)延命寺の境内にあるお店が近見二郎坊となっており、こちらがメインになっているのかも知れない。
小さな山門をくぐると、駐車場とトイレがある。
もう一つ門をくぐると、(54)延命寺の境内となった。北条から6時間ちょっとでの到着でした。
へんろ地図を見ていて気が付いたのだが、確かこの辺りにビジネスホテルがあったはずで、最新版では掲載されていなかった。
どこだったかなあ、と探しながら歩いていたら、大きな老人ホームの手前にあった。張り紙があり、もう営業はしてなさそうである。
その内、国道は大型店などは無いが、片側二車線の大通りとなる。
しばらく大きな国道を進んでから、旧国道らしき道へと入ると、商店や民家などが連なるようになる。歩道が無く危険な場所も一部あるので、気を付けなければならない。
脇道へと入り、「近見二郎坊」の前を通る。
トイレをご自由にご利用下さい、となっているが、ここは営業しているのか、へんろ地図が買えることになっているが本当に?、といつも謎に思っていた。
帰宅してから調べてみると、(54)延命寺の境内にあるお店が近見二郎坊となっており、こちらがメインになっているのかも知れない。
小さな山門をくぐると、駐車場とトイレがある。
もう一つ門をくぐると、(54)延命寺の境内となった。北条から6時間ちょっとでの到着でした。
2020年10月11日
【3巡目-577】 大西、54番延命寺へ [2019年3月17日]〈その6〉
再び旧道に入ると、国道越しに「星の浦海浜公園」が見えてきた。
真夏の遍路の時に、ここで海水浴を、という希望もあったのだが、春先に通過することになった。この先、海で遊べそうな場所は無さそうである。
旧大西町へと入って旧道を進み、一旦国道に出ると、目的地の「ジョイフル今治大西店」があった。
午前11時10分の到着だったから、4時間半以上、ほぼ歩き続けたことになる。
今日は日曜日なので混雑を心配していたが、昼にはちょっと早かったので、大丈夫だった。やっとひと心地つく。
店内には、家族連れや中高生らしき青年たちで、そこそこ賑わっていた。
近くのテーブルには、おじさん軍団がおり、電話で知り合いを呼び出していた。その内、呼び出された夫婦もやって来て、まるで近所の居酒屋である。
帰る間際には、老婆のシスターたちもやって来た。近くに教会があるのだろうか。
酔っ払ったお遍路さん(私)もいるし、「人種のるつぼ」状態で可笑しかったです。
45分程も滞在して、店を出た。後は、(58)仙遊寺まで、休憩なしで歩き続けるつもりである。
真夏の遍路の時に、ここで海水浴を、という希望もあったのだが、春先に通過することになった。この先、海で遊べそうな場所は無さそうである。
旧大西町へと入って旧道を進み、一旦国道に出ると、目的地の「ジョイフル今治大西店」があった。
午前11時10分の到着だったから、4時間半以上、ほぼ歩き続けたことになる。
今日は日曜日なので混雑を心配していたが、昼にはちょっと早かったので、大丈夫だった。やっとひと心地つく。
店内には、家族連れや中高生らしき青年たちで、そこそこ賑わっていた。
近くのテーブルには、おじさん軍団がおり、電話で知り合いを呼び出していた。その内、呼び出された夫婦もやって来て、まるで近所の居酒屋である。
帰る間際には、老婆のシスターたちもやって来た。近くに教会があるのだろうか。
酔っ払ったお遍路さん(私)もいるし、「人種のるつぼ」状態で可笑しかったです。
45分程も滞在して、店を出た。後は、(58)仙遊寺まで、休憩なしで歩き続けるつもりである。
2020年10月08日
【3巡目-576】 伊予亀岡、54番延命寺へ [2019年3月17日]〈その5〉
亀岡の集落を歩いていると、古びた商店に、「踏切防護協力員 赤旗 信号炎管」と言う、小さな赤いプレートが掲げられていた。
今はおそらく無いと思うが、昔はそんな協力員と言う制度があったのだろうか。
伊予亀岡駅まで50m、という標識が出ていた。
トイレに行きたかったのだが、遍路道を外れて50m、に迷ってしまう。駅は見えているものの、通過してしまった。
歩き遍路同士なら、この気持ちを分かってもらえるだろう。
昔からの街道だった雰囲気のある道が続いていた。分岐があり、さらに細道へと入ると、線路に沿ったいい感じの道になった。
こんな道があったのか、と一度この辺りは歩いているはずだが、記憶から飛んでしまっていた。ここで、列車が通過してくれれば良かったのだが。
この、伊予亀岡駅付近の旧道は、なかなか変化に富んでいて、面白かった。
へんろ地図を眺めながら、旧道を丹念に辿る。
立憲民主党の枝野代表が今治に来る、という事で、宣伝カーが抜きつ抜かれつで賑やかに走っていた。
今はおそらく無いと思うが、昔はそんな協力員と言う制度があったのだろうか。
伊予亀岡駅まで50m、という標識が出ていた。
トイレに行きたかったのだが、遍路道を外れて50m、に迷ってしまう。駅は見えているものの、通過してしまった。
歩き遍路同士なら、この気持ちを分かってもらえるだろう。
昔からの街道だった雰囲気のある道が続いていた。分岐があり、さらに細道へと入ると、線路に沿ったいい感じの道になった。
こんな道があったのか、と一度この辺りは歩いているはずだが、記憶から飛んでしまっていた。ここで、列車が通過してくれれば良かったのだが。
この、伊予亀岡駅付近の旧道は、なかなか変化に富んでいて、面白かった。
へんろ地図を眺めながら、旧道を丹念に辿る。
立憲民主党の枝野代表が今治に来る、という事で、宣伝カーが抜きつ抜かれつで賑やかに走っていた。
2020年10月06日
【3巡目-575】 菊間、54番延命寺へ [2019年3月17日]〈その4〉
国道196号線を進んで行くと、お馴染み、太陽石油の工場が見えてくる。相変わらず格好良く、写真を撮りまくる。
その工場の一角に、ローソンが見えていて驚いてしまった。店は閉まっているようだが、一般人は入りにくそうなあの場所で、24時間営業しているのだろうか。
帰宅してから調べてみると、平日の日中だけ営業しているようである。最近、病院などでも日中だけ営業のコンビニがあったりするから、その類なのだろうか。
国道沿いに案内板があり、お接待所が有るので休憩していって下さい、との事で、場所はそのローソンだった。平日日中のみの開設だそうである。
太陽石油を過ぎると、次の課題として、伊予亀岡駅付近の旧道を歩いてみることである。
一巡目の時にはこちらの道を歩いたが、二巡目ではいつの間にか通過して、そのまま国道を進んでいた。
国道の左側に歩道があり、そちらを歩いていたのだが、亀岡への分岐は右側にあった。遍路シールは見当たらなかったから、へんろ地図を眺めながら歩いていないと、旧道に入ることは難しそうである。
長く続く亀岡の集落を歩いていると、確かに10年前、この道を通ったなあ、と記憶が甦ってきた。
その工場の一角に、ローソンが見えていて驚いてしまった。店は閉まっているようだが、一般人は入りにくそうなあの場所で、24時間営業しているのだろうか。
帰宅してから調べてみると、平日の日中だけ営業しているようである。最近、病院などでも日中だけ営業のコンビニがあったりするから、その類なのだろうか。
国道沿いに案内板があり、お接待所が有るので休憩していって下さい、との事で、場所はそのローソンだった。平日日中のみの開設だそうである。
太陽石油を過ぎると、次の課題として、伊予亀岡駅付近の旧道を歩いてみることである。
一巡目の時にはこちらの道を歩いたが、二巡目ではいつの間にか通過して、そのまま国道を進んでいた。
国道の左側に歩道があり、そちらを歩いていたのだが、亀岡への分岐は右側にあった。遍路シールは見当たらなかったから、へんろ地図を眺めながら歩いていないと、旧道に入ることは難しそうである。
長く続く亀岡の集落を歩いていると、確かに10年前、この道を通ったなあ、と記憶が甦ってきた。
2020年10月03日
【3巡目-574】 北条から、菊間、54番延命寺へ [2019年3月17日]〈その3〉
旧菊間町に近付いてくると、池内園芸さんがある。果物などを売っていたと思うが、この時間はシャッターが下りていた。
うどん200円の文字がある。
確かここにレトロなうどんの自販機があって、もう販売もしていない状態だったが、間違えてお金を入れた人がいるのだろう、金かえせ、などの文字が落書きされていたはずである。機械は無くなっていた。
大判焼き屋さんも併設していて、一巡目の時に、雨の中購入したと思う。今も営業しているのだろうか。
海岸に沿って歩き続けると、民家が立ち並ぶようになってきた。立派な鬼瓦が迎えてくれる。
旧菊間町の中心に位置するのだろうか、「遍照院」には午前9時過ぎに到着した。
トイレをお借りし、線香を立てて簡単にお参りする。
北条水軍YHを出てから、ようやく肩の荷物を下ろした。2時間半も歩き続けるとは、以前の自分では考えられない。
まだ寒い時期、ということもあるだろうが、お昼にご褒美があることが主因かも。
休憩もせず、すぐ出発する。
遍路道にも指定されている、静かな菊間の市街地を進み、再び国道196号線を進む。
うどん200円の文字がある。
確かここにレトロなうどんの自販機があって、もう販売もしていない状態だったが、間違えてお金を入れた人がいるのだろう、金かえせ、などの文字が落書きされていたはずである。機械は無くなっていた。
大判焼き屋さんも併設していて、一巡目の時に、雨の中購入したと思う。今も営業しているのだろうか。
海岸に沿って歩き続けると、民家が立ち並ぶようになってきた。立派な鬼瓦が迎えてくれる。
旧菊間町の中心に位置するのだろうか、「遍照院」には午前9時過ぎに到着した。
トイレをお借りし、線香を立てて簡単にお参りする。
北条水軍YHを出てから、ようやく肩の荷物を下ろした。2時間半も歩き続けるとは、以前の自分では考えられない。
まだ寒い時期、ということもあるだろうが、お昼にご褒美があることが主因かも。
休憩もせず、すぐ出発する。
遍路道にも指定されている、静かな菊間の市街地を進み、再び国道196号線を進む。