2013年03月31日
【227】歩き遍路27日目〈その8〉[2012年4月16日]
多分この道だろう、と歩き続ける。どうやら正解だったようで、もう一方の遍路道と合流した。
先ほど見掛けたお遍路さんの姿が見えた。(41)龍光寺や(42)佛木寺で会った、外人さんのようである。かなりへばったような歩きをしていたのだが、どうしてこんなに早くここに到達出来たのだろうか。
(43)明石寺の近くまで来たが、もうひと踏ん張り。坂道の車道を登り切ると、大きなお土産屋さんと食堂、駐車場がある門前に到着した。
山門の辺りで、少し手前で見かけた、物凄いスピードのお遍路さんがいた。既に参拝を終え出発するようだが、異様な慌て様である。誰かに道を聞いていたようだが、あっという間に去っていった。
参拝を終え荷物を置いておいたベンチに戻ると、もう一つ、リュックがある。これは、今日同宿することになる、愛知のOさんの物である。
ベンチで休んでいると、先ほどの外人さんも隣に座った。上手く言葉が通じなかったが、歯長峠はトンネルをくぐって来たのか、と聞くと、そうだ、との事(実際は山道を歩いていたとOさんから聞いた)だった。
遍路道は山門を右に出て山手に入るが、一旦下に下りて、お土産屋さんに立ち寄り、ソフトクリームを食べながら一休みした。こういったお店があるお寺は、意外と少ないのではないだろうか。参拝後の休憩に最適で、良い思い出にもなりそうである。
先ほど見掛けたお遍路さんの姿が見えた。(41)龍光寺や(42)佛木寺で会った、外人さんのようである。かなりへばったような歩きをしていたのだが、どうしてこんなに早くここに到達出来たのだろうか。
(43)明石寺の近くまで来たが、もうひと踏ん張り。坂道の車道を登り切ると、大きなお土産屋さんと食堂、駐車場がある門前に到着した。
山門の辺りで、少し手前で見かけた、物凄いスピードのお遍路さんがいた。既に参拝を終え出発するようだが、異様な慌て様である。誰かに道を聞いていたようだが、あっという間に去っていった。
参拝を終え荷物を置いておいたベンチに戻ると、もう一つ、リュックがある。これは、今日同宿することになる、愛知のOさんの物である。
ベンチで休んでいると、先ほどの外人さんも隣に座った。上手く言葉が通じなかったが、歯長峠はトンネルをくぐって来たのか、と聞くと、そうだ、との事(実際は山道を歩いていたとOさんから聞いた)だった。
遍路道は山門を右に出て山手に入るが、一旦下に下りて、お土産屋さんに立ち寄り、ソフトクリームを食べながら一休みした。こういったお店があるお寺は、意外と少ないのではないだろうか。参拝後の休憩に最適で、良い思い出にもなりそうである。
2013年03月29日
【226】歩き遍路27日目〈その7〉[2012年4月16日]
県道との合流点には昔風の看板が残っていた。「右、野村・左、明石寺」となっているのは、昔は参拝客がずっと多かった事を示しているに違いない。
番外霊場の道引大師を過ぎ、遍路道は旧道へと入っていくが、そのまま県道を進む。
下宇和公民館がある。ここならトイレを借りれそうだ。中に入りお願いすると、快く貸して頂けた。
外に出て、建物の横の目立たない場所に座り込んで、休憩とした。ようやく一休みすることが出来た。
(43)明石寺に向けて出発する。少し離れた旧道の遍路道に、歩き遍路さんの姿が見えたのだが、物凄いスピードで歩いている。
少し先に、休憩所らしき建物が見える。遍路道との合流点だろう。もう一人、歩きの人の姿が見える。そこに、物凄いスピードのお遍路さんも追いついたようだが、あっという間に追い抜いていった。
旧道に入り、遍路道はここから右折して、高速道路をくぐったり戻ったりする道に誘導されるが、こちらの道は一度歩いたことがあるので、もう一方のルートを探索してみることにした。
もう少し先を右折して、宇和高校の辺りを通る道である。
こちらのルートは、一部遍路シールが無かったり、分かりづらい道ではあったが、写真のような狭い道を通ったり、人の家の敷地のような所を通ったりと、変化に富んでおり、歩いていて楽しい遍路道だった。
番外霊場の道引大師を過ぎ、遍路道は旧道へと入っていくが、そのまま県道を進む。
下宇和公民館がある。ここならトイレを借りれそうだ。中に入りお願いすると、快く貸して頂けた。
外に出て、建物の横の目立たない場所に座り込んで、休憩とした。ようやく一休みすることが出来た。
(43)明石寺に向けて出発する。少し離れた旧道の遍路道に、歩き遍路さんの姿が見えたのだが、物凄いスピードで歩いている。
少し先に、休憩所らしき建物が見える。遍路道との合流点だろう。もう一人、歩きの人の姿が見える。そこに、物凄いスピードのお遍路さんも追いついたようだが、あっという間に追い抜いていった。
旧道に入り、遍路道はここから右折して、高速道路をくぐったり戻ったりする道に誘導されるが、こちらの道は一度歩いたことがあるので、もう一方のルートを探索してみることにした。
もう少し先を右折して、宇和高校の辺りを通る道である。
こちらのルートは、一部遍路シールが無かったり、分かりづらい道ではあったが、写真のような狭い道を通ったり、人の家の敷地のような所を通ったりと、変化に富んでおり、歩いていて楽しい遍路道だった。
タグ :歩き遍路
2013年03月27日
【225】歩き遍路27日目〈その6〉[2012年4月16日]
「きついのは最初だけ」と言われる所以の鎖場の急坂も登り切る。鎖は使わなくても何とか登れるくらいの傾斜である。
この辺りも確かにきついのだが、最初の麓から県道に合流するまでも結構きつく感じた。
きつい部分を通り抜け、小さな広場のようになっている歯長峠に到着した。13時44分である。
歯長峠とは変わった名前だが、説明板によると、歯の長い巨人の伝説からきているようである。
ここから(43)明石寺まで7㎞ほどである。2時間位だろうか。藪の中に入っていくような道を進み、歯長峠を後にした。
一巡目にこの道を歩いた時には、ここからの下りが遍路道の中でも有数の悪路に感じたのだが、今回はそんな感じがしなかった。整備されたのだろうか。
森の中を下っていくと、視界が開け、松山自動車道のすぐ側まで降りてきた所で、パラパラと雨が降ってきた。
この雨は長引かずに、しばらくで止んでくれたので助かった。
車道に合流し、しばらく進み、県道29号にぶつかる手前に、歯長地蔵と東屋がある。次の休憩場所の目途としていたのだが、車が一台止まっており、婦人2名が弁当を食べていた。ここで靴下を脱いで休む訳にはいかない。仕方ないので、もう少し歩き続けることにした。
この辺りも確かにきついのだが、最初の麓から県道に合流するまでも結構きつく感じた。
きつい部分を通り抜け、小さな広場のようになっている歯長峠に到着した。13時44分である。
歯長峠とは変わった名前だが、説明板によると、歯の長い巨人の伝説からきているようである。
ここから(43)明石寺まで7㎞ほどである。2時間位だろうか。藪の中に入っていくような道を進み、歯長峠を後にした。
一巡目にこの道を歩いた時には、ここからの下りが遍路道の中でも有数の悪路に感じたのだが、今回はそんな感じがしなかった。整備されたのだろうか。
森の中を下っていくと、視界が開け、松山自動車道のすぐ側まで降りてきた所で、パラパラと雨が降ってきた。
この雨は長引かずに、しばらくで止んでくれたので助かった。
車道に合流し、しばらく進み、県道29号にぶつかる手前に、歯長地蔵と東屋がある。次の休憩場所の目途としていたのだが、車が一台止まっており、婦人2名が弁当を食べていた。ここで靴下を脱いで休む訳にはいかない。仕方ないので、もう少し歩き続けることにした。
2013年03月25日
【224】歩き遍路27日目〈その5〉[2012年4月16日]
(42)佛木寺を出発、県道をそのまま進む。しばらくで「民宿とうべや」の看板が立っている。
タヌキがやって来るという話で、一度泊まってみたいと思っているのだが、今回も機会に恵まれなかった。どういう宿なのか、外から見てみよう、という事で、脇道に入っていった。
宿前まで来ると、建物の中から誰かがじっと見ている。宿主さんだろうか。宿泊する訳ではないので、そそくさと立ち去ってしまった。今日は満室のはずである。
車道から歩きの道となり、歯長峠を目指す。真横を走っていた松山自動車道が、どんどん眼下へと遠く離れていく。
今更だが、コツコツと歩いていれば、いつの間にかこんなに高い所まで到達する。
一旦、先程の県道に合流する。森の中を通る道、車は少ない。
再び歩きの道となり、有名?な「きついのは最初だけ」の看板が登場した。ここから歩きの道となる。すぐに休憩所があるが通過する。
勾配のきつい区間もあるが、普通の山道であり、特別大変、という事は無い。
「へんろ道保存協力会」の道しるべがあり、「前方左上送電鉄塔手前歯長峠」と書いてある。この独特の文体は宮崎さんのものだろうか。もう見られなくなるのかなぁ。
峠まではまだまだ遠く、時間が掛かりそうな気がするが、歩いていると意外と早く到着できるものである。
タヌキがやって来るという話で、一度泊まってみたいと思っているのだが、今回も機会に恵まれなかった。どういう宿なのか、外から見てみよう、という事で、脇道に入っていった。
宿前まで来ると、建物の中から誰かがじっと見ている。宿主さんだろうか。宿泊する訳ではないので、そそくさと立ち去ってしまった。今日は満室のはずである。
車道から歩きの道となり、歯長峠を目指す。真横を走っていた松山自動車道が、どんどん眼下へと遠く離れていく。
今更だが、コツコツと歩いていれば、いつの間にかこんなに高い所まで到達する。
一旦、先程の県道に合流する。森の中を通る道、車は少ない。
再び歩きの道となり、有名?な「きついのは最初だけ」の看板が登場した。ここから歩きの道となる。すぐに休憩所があるが通過する。
勾配のきつい区間もあるが、普通の山道であり、特別大変、という事は無い。
「へんろ道保存協力会」の道しるべがあり、「前方左上送電鉄塔手前歯長峠」と書いてある。この独特の文体は宮崎さんのものだろうか。もう見られなくなるのかなぁ。
峠まではまだまだ遠く、時間が掛かりそうな気がするが、歩いていると意外と早く到着できるものである。
2013年03月23日
【223】歩き遍路27日目〈その4〉[2012年4月16日]
(41)龍光寺の駐車場から森の中を抜けると、のどかな下りの歩き道となり、県道に合流した。
(42)佛木寺への道沿いには、延々とチューリップが植えられており、ちょうど見頃となっていた。
夜のニュースでも取り上げられていたから、時間が合えばテレビ出演出来たかも知れない。
赤や黄色のチューリップを眺めながら、(42)佛木寺には正午過ぎに到着した。
境内に入ると、昨日、柏坂へんろ道で出会った夫婦の奥さんの方がいらっしゃった。
以前の納経所の跡だろうか、昔の写真が飾られている一角があり、遠い昔の様子を窺う。
参拝を終え、寺を出て、下の東屋で休憩することにした。(41)龍光寺で見かけた外国の方もやって来た。かなり疲れた様子だったが、意外と早い到着である。
自販機で缶コーヒーを買う。この場所は「ウォーカーズ」でチラッと映っているのだが、自販機は写っていない。特定メーカーの物は写せないのだろうか、単に撮影後に設置されたのだろうか。
東屋は、バスの待合所も兼ねており、先程の奥さんも休んでいた。
昨日は「三好旅館」に泊まり、今日は宇和島市内に泊まる予定で、旦那さんは普通に歩いているが、奥さんはバスに乗ってここまで来たそうである。「三好旅館」には満員で宿泊を断られたのだが、そんなにお客さんはいなかったらしい。
今日は、これまで顔を合わせてきた人たちとは誰とも会っていなかったから、うれしい出会いだった。
奥さんは、間もなくやって来た、宇和島行きのバスに乗って、市内へと帰っていった。
(42)佛木寺への道沿いには、延々とチューリップが植えられており、ちょうど見頃となっていた。
夜のニュースでも取り上げられていたから、時間が合えばテレビ出演出来たかも知れない。
赤や黄色のチューリップを眺めながら、(42)佛木寺には正午過ぎに到着した。
境内に入ると、昨日、柏坂へんろ道で出会った夫婦の奥さんの方がいらっしゃった。
以前の納経所の跡だろうか、昔の写真が飾られている一角があり、遠い昔の様子を窺う。
参拝を終え、寺を出て、下の東屋で休憩することにした。(41)龍光寺で見かけた外国の方もやって来た。かなり疲れた様子だったが、意外と早い到着である。
自販機で缶コーヒーを買う。この場所は「ウォーカーズ」でチラッと映っているのだが、自販機は写っていない。特定メーカーの物は写せないのだろうか、単に撮影後に設置されたのだろうか。
東屋は、バスの待合所も兼ねており、先程の奥さんも休んでいた。
昨日は「三好旅館」に泊まり、今日は宇和島市内に泊まる予定で、旦那さんは普通に歩いているが、奥さんはバスに乗ってここまで来たそうである。「三好旅館」には満員で宿泊を断られたのだが、そんなにお客さんはいなかったらしい。
今日は、これまで顔を合わせてきた人たちとは誰とも会っていなかったから、うれしい出会いだった。
奥さんは、間もなくやって来た、宇和島行きのバスに乗って、市内へと帰っていった。
2013年03月21日
【222】歩き遍路27日目〈その3〉[2012年4月16日]
「道の駅みま」を出て、遍路道へと戻るべく、道を進む。
通常のこの辺りの遍路道は、絵になる田んぼの中の一本道を歩く。
ちょうどその道に、一人のお遍路さんが歩いている姿が小さく見えた。疲れているのか、どこか痛めているのか、かなりのゆっくりペースだ。
そのお遍路さんにどんどん近付いていき、(41)龍光寺には、ほぼ同時に到着した。真っ黒に日焼けした、西洋系だろう外国の方だった。
今回の遍路旅で、外国人を見かけたのは初めてかも知れない。
門前には「長命水」という食堂がある。こういった、門前のお店は積極的に利用したい思いがあるのだが、先程腹ごしらえをしたばかりなので、一巡目に続き、今回もパスする。
長い石段を上る。境内には、団体客の姿があり、賑やかだった。そのため、5分程ではあるが、納経を待たされることになった。今まで納経で待たされた経験があまり無いので、5分といえども長く感じた。
後ろにいたご夫婦の旦那さんが、普通は個人客を割り込ませてくれる、とぼやいていた。
ここの納経所には「納経は順番です」の他、色々な注意書きがあり、かなりのこだわりがある寺のように思われた。静かに順番を待つ。
次の(42)佛木寺へは、駐車場からコンクリートの壁に作られた階段を上り、墓場を通り、寺の裏山を抜ける遍路道となる。
通常のこの辺りの遍路道は、絵になる田んぼの中の一本道を歩く。
ちょうどその道に、一人のお遍路さんが歩いている姿が小さく見えた。疲れているのか、どこか痛めているのか、かなりのゆっくりペースだ。
そのお遍路さんにどんどん近付いていき、(41)龍光寺には、ほぼ同時に到着した。真っ黒に日焼けした、西洋系だろう外国の方だった。
今回の遍路旅で、外国人を見かけたのは初めてかも知れない。
門前には「長命水」という食堂がある。こういった、門前のお店は積極的に利用したい思いがあるのだが、先程腹ごしらえをしたばかりなので、一巡目に続き、今回もパスする。
長い石段を上る。境内には、団体客の姿があり、賑やかだった。そのため、5分程ではあるが、納経を待たされることになった。今まで納経で待たされた経験があまり無いので、5分といえども長く感じた。
後ろにいたご夫婦の旦那さんが、普通は個人客を割り込ませてくれる、とぼやいていた。
ここの納経所には「納経は順番です」の他、色々な注意書きがあり、かなりのこだわりがある寺のように思われた。静かに順番を待つ。
次の(42)佛木寺へは、駐車場からコンクリートの壁に作られた階段を上り、墓場を通り、寺の裏山を抜ける遍路道となる。
2013年03月19日
【221】歩き遍路27日目〈その2〉[2012年4月16日]
(41)龍光寺に向けて県道を進む。路側帯があり、ちょっと用足しを、と近付くと、旧遍路道への立杭があった。
「多福院から第四十一番龍光寺へ」と書いてある。多福院とはどこだろうか。山の上の方に行ってしまいそうな感じだったので、パスした。
少し行くと、視界が開け、旧三間町務田地区となった。さっきの遍路道は短いものだったかも知れない。
ずっと谷間の道を歩いてきたのだが、この辺りは広々とした田園風景が広がる盆地となっており、急に風景が変わってしまった。
ここからは、遍路道を外れて「道の駅みま」を目指すことにする。
JR予土線を跨ぐと、右側に「民宿みま」が見える。田舎の立派な家風だった。愛媛のSさんは、「民宿とうべや」が満員で、今日はここに泊まると話していた。
「道の駅みま」に到着する。交通量もそれほど多くない道沿いにあるのだが、わりと賑わっていた。
中に入ると、食堂はまだ営業していなかったが、地元のおばちゃんたちが、たくさんの弁当を作っていたので、一つ購入した。結構、売れるのだろう。
外の木のベンチに移動し、弁当を食べながら大休憩とした。今日は、少々肌寒い。
ちょっと休みすぎただろうか、1時間ほどここで過ごし、(41)龍光寺に向けて出発した。
「多福院から第四十一番龍光寺へ」と書いてある。多福院とはどこだろうか。山の上の方に行ってしまいそうな感じだったので、パスした。
少し行くと、視界が開け、旧三間町務田地区となった。さっきの遍路道は短いものだったかも知れない。
ずっと谷間の道を歩いてきたのだが、この辺りは広々とした田園風景が広がる盆地となっており、急に風景が変わってしまった。
ここからは、遍路道を外れて「道の駅みま」を目指すことにする。
JR予土線を跨ぐと、右側に「民宿みま」が見える。田舎の立派な家風だった。愛媛のSさんは、「民宿とうべや」が満員で、今日はここに泊まると話していた。
「道の駅みま」に到着する。交通量もそれほど多くない道沿いにあるのだが、わりと賑わっていた。
中に入ると、食堂はまだ営業していなかったが、地元のおばちゃんたちが、たくさんの弁当を作っていたので、一つ購入した。結構、売れるのだろう。
外の木のベンチに移動し、弁当を食べながら大休憩とした。今日は、少々肌寒い。
ちょっと休みすぎただろうか、1時間ほどここで過ごし、(41)龍光寺に向けて出発した。
2013年03月17日
最新[第10版]のへんろ地図が届きました。
「へんろみち保存協力会」より「四国遍路ひとり歩き同行二人」の最新版(第10版)が発行されたとの事で、早速購入しました。
わくわくしながら中を開けてみると‥‥今までの地図とは雰囲気が変わっていました。一般の道路地図に、遍路道を書いたような感じで、グレードアップしています。
すいません、個人的には、ちょっと見にくいかなー。これまでのへんろ地図に慣れた身には、遍路道の赤い線と宿の場所が見つけにくく感じました。もう少し、線が太ければ。慣れたら慣れた、かも知れませんが。
遍路道で変わった点と言えば‥‥(83)一宮寺から高松市内を縦断するジグザグ道が消えている! 昨年歩いて、結構おもしろい道だなぁと思っていたのですが。へんろ石もしっかり残っていました。
他はあまり変化はないような気がします。新しく復元された遍路道の掲載を期待していたのですが、今の所は見当たりません。
遍路宿は新しい宿が増えていますが、掲載されていない所も。(21)太龍寺ふもとの龍山荘がない‥。旧広田村のゑびすや旅館とたちばな旅館は復活していますね。
もう少しじっくりと見れば、他にも発見がありそうです。
わくわくしながら中を開けてみると‥‥今までの地図とは雰囲気が変わっていました。一般の道路地図に、遍路道を書いたような感じで、グレードアップしています。
すいません、個人的には、ちょっと見にくいかなー。これまでのへんろ地図に慣れた身には、遍路道の赤い線と宿の場所が見つけにくく感じました。もう少し、線が太ければ。慣れたら慣れた、かも知れませんが。
遍路道で変わった点と言えば‥‥(83)一宮寺から高松市内を縦断するジグザグ道が消えている! 昨年歩いて、結構おもしろい道だなぁと思っていたのですが。へんろ石もしっかり残っていました。
他はあまり変化はないような気がします。新しく復元された遍路道の掲載を期待していたのですが、今の所は見当たりません。
遍路宿は新しい宿が増えていますが、掲載されていない所も。(21)太龍寺ふもとの龍山荘がない‥。旧広田村のゑびすや旅館とたちばな旅館は復活していますね。
もう少しじっくりと見れば、他にも発見がありそうです。
2013年03月15日
【220】歩き遍路27日目〈その1〉[2012年4月16日]
朝7時に「宇和島オリエンタルホテル」を出発した。まずは、市内を右に左にと歩き、別格6番の龍光院に参拝した。
一巡目の時には、この写真の階段を登る元気が無くて素通りしてしまった。
月曜日の早朝に参拝客の姿は無かった。境内はきれいに整備されている。
100段ほどの階段を上った少し高台にあることから、市内の眺めが良い。
ここからは、道しるべに従って、素直に遍路道を歩いていく。狭い通りに、向こうから学生やサラリーマンがどんどんやって来る。宇和島市内への通勤・通学だろう。その流れに逆行して歩いているから、みなさんの邪魔をしているようで申し訳無い。
トイレに行きたくなり、北宇和島駅に立ち寄った。待合室にいた学生風の女性があいさつしてくれた。宇和島のようなまあまあの都会で、若い人からあいさつを受けることはあまり無いのでうれしくなる。
「へんろ宿もやい」がある場所辺りからは、人家も途切れ、県道に沿って、田や畑、森を眺めながらの単調な歩きとなった。
道沿いには、ヘンロ小屋第21号があるのだが、前回も休んだトイレ付の休憩所がこの辺りにあるはずだから、と探しながら歩き続けたが、結局見つからなかった。確か、高速道路の工事関係者の詰所にあった簡易的な休憩所だったから、撤収してしまったのかも知れない。休みそびれてしまった。
一巡目の時には、この写真の階段を登る元気が無くて素通りしてしまった。
月曜日の早朝に参拝客の姿は無かった。境内はきれいに整備されている。
100段ほどの階段を上った少し高台にあることから、市内の眺めが良い。
ここからは、道しるべに従って、素直に遍路道を歩いていく。狭い通りに、向こうから学生やサラリーマンがどんどんやって来る。宇和島市内への通勤・通学だろう。その流れに逆行して歩いているから、みなさんの邪魔をしているようで申し訳無い。
トイレに行きたくなり、北宇和島駅に立ち寄った。待合室にいた学生風の女性があいさつしてくれた。宇和島のようなまあまあの都会で、若い人からあいさつを受けることはあまり無いのでうれしくなる。
「へんろ宿もやい」がある場所辺りからは、人家も途切れ、県道に沿って、田や畑、森を眺めながらの単調な歩きとなった。
道沿いには、ヘンロ小屋第21号があるのだが、前回も休んだトイレ付の休憩所がこの辺りにあるはずだから、と探しながら歩き続けたが、結局見つからなかった。確か、高速道路の工事関係者の詰所にあった簡易的な休憩所だったから、撤収してしまったのかも知れない。休みそびれてしまった。
2013年03月13日
【219】歩き遍路26日目〈10〉[2012年4月15日]
ガストを出ると、少し先にジョイフルもあった。少し手前にもジョイフルがあったから、食事の場所に困らず便利な区間である。
住宅街にある「馬目木大師」を過ぎて遍路道は突き当たりを右折するが、今回は左折してすぐに右折し、宇和島城の西側を歩いてみた。
午後7時近くとなり、周りはかなり薄暗くなってきた。
適当に右に左にへと進む。宇和島駅近くの「フジ」というスーパーで夜食などの買い出しをし、アーケード街を通り抜け、本日の宿「宇和島オリエンタルホテル」に到着した。
入浴をし、洗濯をするが、同じような洗濯機なのだが、なぜか無料と300円のものがある。もちろん、無料の方を使わせてもらった。
大きなホテルで、素泊まり5500円と少々高めだったが、値段なりの雰囲気などはあったと思う。一階の、以前はレストランがあった場所は工事中、コンビニが出来るようだった。
歩き遍路にとっては、ホテルの洋室よりは、荷物を広げられる和室の方が良いのだが、時折、清潔感のあるホテルに泊まるのもまた良いものである。
到着が遅くなったので、すぐに寝る時間となってしまい、せっかく良いホテルに泊まったのだが、勿体無くも感じる。
今日の歩行距離は40㎞を越えた。
本日のコースタイム
山代屋旅館7:06→9:52柏坂登り口9:52→10:47つわな奥展望台11:08→12:30国道56号線横断12:30→15:37松尾トンネル→ガスト宇和島店18:15→19:07宇和島オリエンタルホテル
宇和島オリエンタルホテル:素泊まり 5500円
※備品は一般のビジネスホテルと同じ。洗濯機、無料と300円があり、乾燥機(1台)30分100円。
共用パソコンあり。
現在、建物1階にローソンがOPENした模様。
歩行距離:40.4km
歩数 :55749歩
最高気温:21.0℃
最低気温: 7.1℃[旧御荘町]
住宅街にある「馬目木大師」を過ぎて遍路道は突き当たりを右折するが、今回は左折してすぐに右折し、宇和島城の西側を歩いてみた。
午後7時近くとなり、周りはかなり薄暗くなってきた。
適当に右に左にへと進む。宇和島駅近くの「フジ」というスーパーで夜食などの買い出しをし、アーケード街を通り抜け、本日の宿「宇和島オリエンタルホテル」に到着した。
入浴をし、洗濯をするが、同じような洗濯機なのだが、なぜか無料と300円のものがある。もちろん、無料の方を使わせてもらった。
大きなホテルで、素泊まり5500円と少々高めだったが、値段なりの雰囲気などはあったと思う。一階の、以前はレストランがあった場所は工事中、コンビニが出来るようだった。
歩き遍路にとっては、ホテルの洋室よりは、荷物を広げられる和室の方が良いのだが、時折、清潔感のあるホテルに泊まるのもまた良いものである。
到着が遅くなったので、すぐに寝る時間となってしまい、せっかく良いホテルに泊まったのだが、勿体無くも感じる。
今日の歩行距離は40㎞を越えた。
本日のコースタイム
山代屋旅館7:06→9:52柏坂登り口9:52→10:47つわな奥展望台11:08→12:30国道56号線横断12:30→15:37松尾トンネル→ガスト宇和島店18:15→19:07宇和島オリエンタルホテル
宇和島オリエンタルホテル:素泊まり 5500円
※備品は一般のビジネスホテルと同じ。洗濯機、無料と300円があり、乾燥機(1台)30分100円。
共用パソコンあり。
現在、建物1階にローソンがOPENした模様。
歩行距離:40.4km
歩数 :55749歩
最高気温:21.0℃
最低気温: 7.1℃[旧御荘町]
タグ :歩き遍路宇和島オリエンタルホテル
2013年03月11日
【218】歩き遍路26日目〈その9〉[2012年4月15日]
松尾トンネルを抜けると、へんろ地図に掲載されており気になっていた山男食堂があった。その少し先のWCマークを当てにしていたのだが、どこにあるのか分からなかった。
時間は既に午後4時過ぎ、宿まではあと9㎞ほどもある。休憩をよくするので、1時間で3㎞歩く計算で考えているが、到着はやはり7時頃となりそうである。
途中からバスに乗ることも考えていたのだが、結局、宿まで歩き通すことになった。
宇和島市街の手前に、出口というバス停があり、バスの転回場になっている。その一角にトイレがあったので、小休憩とした。
ここからは一本裏道へと誘導する遍路標識がある。いよいよ市街地に入っていくのか、と思ったが、すぐに国道に合流し右折する。
郊外型の店舗が立ち並んでいる。
今日の宿「宇和島オリエンタルホテル」は、以前はレストランがあったのだが、無くなってしまい、今回は素泊まりである。どこか夕食の場所を探しながら歩いていると、ガストがあった。
まだ午後6時前だったが、今日は日曜日、家族連れなどが押し寄せる前に食べてしまおう、という事で、入店することにした。
靴下を脱いでゆっくりと休憩し、イタリアンハンバーグのセット(814円)を注文した。
食べ終わる頃には、子供連れの人たちが次々とやって来た。
時間は既に午後4時過ぎ、宿まではあと9㎞ほどもある。休憩をよくするので、1時間で3㎞歩く計算で考えているが、到着はやはり7時頃となりそうである。
途中からバスに乗ることも考えていたのだが、結局、宿まで歩き通すことになった。
宇和島市街の手前に、出口というバス停があり、バスの転回場になっている。その一角にトイレがあったので、小休憩とした。
ここからは一本裏道へと誘導する遍路標識がある。いよいよ市街地に入っていくのか、と思ったが、すぐに国道に合流し右折する。
郊外型の店舗が立ち並んでいる。
今日の宿「宇和島オリエンタルホテル」は、以前はレストランがあったのだが、無くなってしまい、今回は素泊まりである。どこか夕食の場所を探しながら歩いていると、ガストがあった。
まだ午後6時前だったが、今日は日曜日、家族連れなどが押し寄せる前に食べてしまおう、という事で、入店することにした。
靴下を脱いでゆっくりと休憩し、イタリアンハンバーグのセット(814円)を注文した。
食べ終わる頃には、子供連れの人たちが次々とやって来た。
2013年03月09日
【217】歩き遍路26日目〈その8〉[2012年4月15日]
旧津島町岩松地区を出て、国道に合流する。逆打ちの方とすれ違う。
ここからは、ゆるやかな上り坂となり、(宇和島の)松尾峠へと向かっていく。
「磯」という喫茶店があり、ここで後半の昼食とする。サンドイッチ(500円)を頼んだ。
喫茶店を出ると、松尾トンネルが待っている。トンネル左側からは、平成18年に地元住民によって復元された、峠を越える遍路道への入口がある。
この道は前回歩いているので、排気ガスが充満しているというトンネルを通ることにした。その前に、トンネル横に見えている休憩小屋に立ち寄ってみた。一巡目の時に、旭屋で同宿した人たちと休憩した、懐かしい小屋である。
東海図版の四国遍路地図には、野井坂が~明治末期の旧松尾峠越え道路の完成までは、唯一の幹線交通路だった~と書いてある。ということは、松尾峠越えの道が使われた期間はそれ程長くはないという事だろうか。
マスクを着用し、全長1710mの松尾トンネルへと入っていく。
へんろ地図には、「800~1800は車両交通量が多く、トンネル内は排気ガス充満の状態になる。」と書かれている。
国道に並行して、宇和島道路という自動車専用道が開通していることもあってか、交通量は思った程ではなく、歩道もあるので怖い思いをすることもなく、トンネルを通過した。
ここからは、ゆるやかな上り坂となり、(宇和島の)松尾峠へと向かっていく。
「磯」という喫茶店があり、ここで後半の昼食とする。サンドイッチ(500円)を頼んだ。
喫茶店を出ると、松尾トンネルが待っている。トンネル左側からは、平成18年に地元住民によって復元された、峠を越える遍路道への入口がある。
この道は前回歩いているので、排気ガスが充満しているというトンネルを通ることにした。その前に、トンネル横に見えている休憩小屋に立ち寄ってみた。一巡目の時に、旭屋で同宿した人たちと休憩した、懐かしい小屋である。
東海図版の四国遍路地図には、野井坂が~明治末期の旧松尾峠越え道路の完成までは、唯一の幹線交通路だった~と書いてある。ということは、松尾峠越えの道が使われた期間はそれ程長くはないという事だろうか。
マスクを着用し、全長1710mの松尾トンネルへと入っていく。
へんろ地図には、「800~1800は車両交通量が多く、トンネル内は排気ガス充満の状態になる。」と書かれている。
国道に並行して、宇和島道路という自動車専用道が開通していることもあってか、交通量は思った程ではなく、歩道もあるので怖い思いをすることもなく、トンネルを通過した。
2013年03月07日
【216】歩き遍路26日目〈その7〉[2012年4月15日]
サンクスを出て、津島大橋の手前を右折して、旧津島町岩松地区へと入る。
狭い通りに商店が並んでいる。予約が取れなかった三好旅館もある。「てんやわんや」の文字が書かれた看板をよく見かける。この辺りの住民グループのようで、遍路道の整備にも取り組んでくれているようだ。
町内のトイレがある休憩所で一休みする。今日は、朝食の時以来、愛媛のSさんに会っていない。休憩しながら、Sさんが来ないかなーと待っていたのだが、姿は見えなかった。最後のお別れの挨拶をしたかったのだが、仕方ない。
ここを出てからは、一人旅となった。宇和島まで行く人は、もっと早くに通り過ぎているだろう。時間は2時半過ぎ、あと15㎞くらいある。
到着は夜7時過ぎになりそうである。今日はホテル泊まりなので時間は気にしなくてもいいが、あまり遅すぎるのも何なので、適当な所でバスに乗ることも考えている。
この辺りは結構バスの本数が多い。翌日、その場所まで戻って歩くのもいいだろう。
町外れに、野井坂(へんろ道)↗岩松の町並み↘という真新しい看板があった。野井坂のへんろ道といえば、復元に向けて整備している話は聞いていたが、通れるようになったのだろうか。
その看板が、手作りのものではなく、市や県が作ったような看板だったのは、自治体も遍路道の復元に積極的に関わってくれているからに違いない。
狭い通りに商店が並んでいる。予約が取れなかった三好旅館もある。「てんやわんや」の文字が書かれた看板をよく見かける。この辺りの住民グループのようで、遍路道の整備にも取り組んでくれているようだ。
町内のトイレがある休憩所で一休みする。今日は、朝食の時以来、愛媛のSさんに会っていない。休憩しながら、Sさんが来ないかなーと待っていたのだが、姿は見えなかった。最後のお別れの挨拶をしたかったのだが、仕方ない。
ここを出てからは、一人旅となった。宇和島まで行く人は、もっと早くに通り過ぎているだろう。時間は2時半過ぎ、あと15㎞くらいある。
到着は夜7時過ぎになりそうである。今日はホテル泊まりなので時間は気にしなくてもいいが、あまり遅すぎるのも何なので、適当な所でバスに乗ることも考えている。
この辺りは結構バスの本数が多い。翌日、その場所まで戻って歩くのもいいだろう。
町外れに、野井坂(へんろ道)↗岩松の町並み↘という真新しい看板があった。野井坂のへんろ道といえば、復元に向けて整備している話は聞いていたが、通れるようになったのだろうか。
その看板が、手作りのものではなく、市や県が作ったような看板だったのは、自治体も遍路道の復元に積極的に関わってくれているからに違いない。
2013年03月05日
【215】歩き遍路26日目〈その6〉[2012年4月15日]
ここで休憩中に、一人のお遍路さんが通過して行った。今朝、少し前を歩いていた人だったかも知れない。柏坂へんろ道では見かけなかったので、ずっと国道を歩いてきたのだろうか。
もしその人だったとしたら、どちらを歩いても、時間的にはあまり変わらないということだろうか。山越えの遍路道よりは、少々距離はあるが、国道経由の方がずっと早いかと思っていた。
ちなみに、「旭屋」さんの辺りから国道にぶつかるまでは、柏坂経由で2時間50分だった。
関西のご夫婦は先発。しばらくして自分も出発した。逆打ちの方に会い、あいさつをしてすれ違う。今年はうるう年なので、逆打ちの人は多く、毎日2~3人と会っていただろうか。
対岸に渡り、国道と川に沿った、サイクリングロードのような道となる。遠くにサンクスが見える。関西のご夫婦が出て行く姿が見えた。
次にこのご夫婦と出会うのは、10日後、伊予西条駅でとなる。
そのサンクスに立ち寄り、ソフトクリームを買う。ここで川崎のOさんと会うことが出来た。これで本当に最後となった。今まで前を歩いてくれていて心強かった、と言ってくれる。
Oさんと初めて出会ったのは、高知県須崎市の大間駅の辺りだったから、ずいぶんと長い付き合いだった。きっと、無事に歩き通して結願されたことだろう。
もしその人だったとしたら、どちらを歩いても、時間的にはあまり変わらないということだろうか。山越えの遍路道よりは、少々距離はあるが、国道経由の方がずっと早いかと思っていた。
ちなみに、「旭屋」さんの辺りから国道にぶつかるまでは、柏坂経由で2時間50分だった。
関西のご夫婦は先発。しばらくして自分も出発した。逆打ちの方に会い、あいさつをしてすれ違う。今年はうるう年なので、逆打ちの人は多く、毎日2~3人と会っていただろうか。
対岸に渡り、国道と川に沿った、サイクリングロードのような道となる。遠くにサンクスが見える。関西のご夫婦が出て行く姿が見えた。
次にこのご夫婦と出会うのは、10日後、伊予西条駅でとなる。
そのサンクスに立ち寄り、ソフトクリームを買う。ここで川崎のOさんと会うことが出来た。これで本当に最後となった。今まで前を歩いてくれていて心強かった、と言ってくれる。
Oさんと初めて出会ったのは、高知県須崎市の大間駅の辺りだったから、ずいぶんと長い付き合いだった。きっと、無事に歩き通して結願されたことだろう。
タグ :歩き遍路畑地コミュニティセンター
2013年03月03日
【214】歩き遍路26日目〈その5〉[2012年4月15日]
いよいよ3月となりました。今冬は12月初めから雪が降り始め、寒い日も多く、ずいぶんと冬が長く感じられます。これだけ春が待ち遠しかった年は無かったかも知れません。
これから、四国遍路もピークの季節を迎えることでしょう。3月1日から徳島を歩き始めたお遍路さんも多いのではないでしょうか。早く、三巡目を開始したい、今日この頃です。
森の中の山道の下りが続くが、ようやく開けた明るい場所に降りてきた。つわな奥展望台から、ちょうど1時間だった。ここからは舗装路である。
関西のご夫婦と抜きつ抜かれつで歩く。田んぼの中ののどかな道、横の溝にはサラサラと水が流れている。
国道56号線の下をくぐり、芳原川沿いを歩く。地元の方たちによるオリジナルの道しるべがあり、川の両岸、どちらからも行けます、と書いてある。へんろ地図の山本商店がある方を歩く。
間もなく、一巡目の時にも休憩した、畑地コミュニティセンターに到着した。ここには自販機もあり、ゆっくりと休める。
関西のご夫婦も既に到着していた。
トイレを借りようとドアを開けようとしたが閉まっている。今日は日曜だから休みのようだった。
トイレ借りようと思ったんに‥‥とぼやいていると、突然、中から人が現れてドアの鍵を開けてくれたのには、ビックリしてしまった。ぼやきが聞こえたのだろうか。
「壁に耳ありや」と関西のご夫婦が言い、こっそり笑いあった。
ご夫婦の今日の宿は、あと少しの津島町内の宿だったが、明日は宇和島泊まり、と近距離である。先日の雨でカメラが壊れてしまったので、宇和島市内で購入するためにゆっくりしていくそうだ。あの足摺岬へ向かっていた日のことだろう。あの日は、みんなそれぞれに苦労したようである。
これから、四国遍路もピークの季節を迎えることでしょう。3月1日から徳島を歩き始めたお遍路さんも多いのではないでしょうか。早く、三巡目を開始したい、今日この頃です。
森の中の山道の下りが続くが、ようやく開けた明るい場所に降りてきた。つわな奥展望台から、ちょうど1時間だった。ここからは舗装路である。
関西のご夫婦と抜きつ抜かれつで歩く。田んぼの中ののどかな道、横の溝にはサラサラと水が流れている。
国道56号線の下をくぐり、芳原川沿いを歩く。地元の方たちによるオリジナルの道しるべがあり、川の両岸、どちらからも行けます、と書いてある。へんろ地図の山本商店がある方を歩く。
間もなく、一巡目の時にも休憩した、畑地コミュニティセンターに到着した。ここには自販機もあり、ゆっくりと休める。
関西のご夫婦も既に到着していた。
トイレを借りようとドアを開けようとしたが閉まっている。今日は日曜だから休みのようだった。
トイレ借りようと思ったんに‥‥とぼやいていると、突然、中から人が現れてドアの鍵を開けてくれたのには、ビックリしてしまった。ぼやきが聞こえたのだろうか。
「壁に耳ありや」と関西のご夫婦が言い、こっそり笑いあった。
ご夫婦の今日の宿は、あと少しの津島町内の宿だったが、明日は宇和島泊まり、と近距離である。先日の雨でカメラが壊れてしまったので、宇和島市内で購入するためにゆっくりしていくそうだ。あの足摺岬へ向かっていた日のことだろう。あの日は、みんなそれぞれに苦労したようである。
タグ :歩き遍路畑地コミュニティセンター
2013年03月01日
【213】歩き遍路26日目〈その4〉[2012年4月15日]
雨の日には屋根が無く休憩出来そうもないが、今日は素晴らしい眺めを堪能しながら、気持ち良く過ごすことが出来た。
ずっと森の中を歩いてきたが、この辺りだけ、木が伐採されており、眼下の海を見渡すことが出来るようになっている。
一緒に上がってきた人たちも、それぞれここで休んでいる。まだ11時前だったが、おにぎりを食べて昼食とした。
今日は宇和島まで40㎞を歩かねばならないので、一足先に出発する。
ここからの下り道には、色々な説明板が立てられている。「ゴメン木戸」や「イノシシのヌタ場」など真面目な話から、トッポ話(ほら吹き話)などには下ネタ話もあり、退屈させない。
実話もあるようで、どこまで本当なのだろうか。昭和61年という、最近の話まである。
どれもさっと読みつつ、道を下る。
森の中に休憩所があったので、立ったまま息を整えていると、関西のご夫婦がやって来た。凄いスピードで下っていくのには驚いた。ご主人は71才と聞いているが、このお二人、只者ではない。山登りはよくされるそうである。
一軒の古民家の前に出る。壁には、堂々と歩き遍路用の道しるべが貼ってあり、左の方へと進む。
しばらくすると、ビニールハウスがあり、作業していたおばさんからポンカンを2個頂いた。
今回のお遍路道中では、お接待が多くうれしい限りである。納札をお渡しし、ありがたく頂く。
地元の方との会話を楽しみにしている川崎のOさんも、ここでお接待を頂き、この方と家族の話などをしたそうである。Oさんは基本的に休憩はせず、こうやって地元の方と話している時間に立ち止って休むくらい、と話していた。
こういう、地元の方とのふれあいを楽しむ遍路行もある。
ずっと森の中を歩いてきたが、この辺りだけ、木が伐採されており、眼下の海を見渡すことが出来るようになっている。
一緒に上がってきた人たちも、それぞれここで休んでいる。まだ11時前だったが、おにぎりを食べて昼食とした。
今日は宇和島まで40㎞を歩かねばならないので、一足先に出発する。
ここからの下り道には、色々な説明板が立てられている。「ゴメン木戸」や「イノシシのヌタ場」など真面目な話から、トッポ話(ほら吹き話)などには下ネタ話もあり、退屈させない。
実話もあるようで、どこまで本当なのだろうか。昭和61年という、最近の話まである。
どれもさっと読みつつ、道を下る。
森の中に休憩所があったので、立ったまま息を整えていると、関西のご夫婦がやって来た。凄いスピードで下っていくのには驚いた。ご主人は71才と聞いているが、このお二人、只者ではない。山登りはよくされるそうである。
一軒の古民家の前に出る。壁には、堂々と歩き遍路用の道しるべが貼ってあり、左の方へと進む。
しばらくすると、ビニールハウスがあり、作業していたおばさんからポンカンを2個頂いた。
今回のお遍路道中では、お接待が多くうれしい限りである。納札をお渡しし、ありがたく頂く。
地元の方との会話を楽しみにしている川崎のOさんも、ここでお接待を頂き、この方と家族の話などをしたそうである。Oさんは基本的に休憩はせず、こうやって地元の方と話している時間に立ち止って休むくらい、と話していた。
こういう、地元の方とのふれあいを楽しむ遍路行もある。