2020年08月30日
【3巡目-566】 52番太山寺、53番円明寺へ [2019年3月16日]〈その8〉
(52)太山寺の本堂は国宝になっており、仁王門は国の重要文化財だそうである。かなり歴史のあるお寺のように思われた。
大昔、九州や中国地方のお遍路さんは、松山に上陸して、(52)太山寺から周り始め、結願寺は(51)石手寺だったそうである。
三津浜港から太山寺への道も歩いてみたくなってきた。
石手寺を参拝していて、かなり住職にお考えのあるお寺だなあ、という印象があったので、淡々と納経を受け付ける(88)大窪寺より、石手寺の方がお寺の規模とかではなく、結願寺としての貫禄があるような気がしてきた。
(52)太山寺からは、これまでとは違う道、(53)円明寺の奥の院への遍路道が遠回りにはなるが歩いてみようかと思っていた。が、時間の都合で諦めることにした。
(53)円明寺へと向かう。
時刻は午後4時を過ぎてしまった。今日の旧北条市内の宿までは13~4kmはありそうで、宿への到着が午後7時を過ぎてしまいそうである。
あまりにも遅すぎるなあ、と途中からバスに乗らなければならないか、と思うようになった。
途中、バス停で時刻表を見たのだが、北条方面には30分おきにバスが走っており、利用出来そうである。
奥の院への遍路道は歩けなかったが、写真の東海図版の「四国遍路地図」では、和気小学校の辺りの別のルートにピンクの点線が入っている。
せめてこの道を歩いてみよう、と地図を頭陀袋から取り出してみる。が、すでに入口は通り過ぎてしまっていた。相変わらず、段取りが悪い。
大昔、九州や中国地方のお遍路さんは、松山に上陸して、(52)太山寺から周り始め、結願寺は(51)石手寺だったそうである。
三津浜港から太山寺への道も歩いてみたくなってきた。
石手寺を参拝していて、かなり住職にお考えのあるお寺だなあ、という印象があったので、淡々と納経を受け付ける(88)大窪寺より、石手寺の方がお寺の規模とかではなく、結願寺としての貫禄があるような気がしてきた。
(52)太山寺からは、これまでとは違う道、(53)円明寺の奥の院への遍路道が遠回りにはなるが歩いてみようかと思っていた。が、時間の都合で諦めることにした。
(53)円明寺へと向かう。
時刻は午後4時を過ぎてしまった。今日の旧北条市内の宿までは13~4kmはありそうで、宿への到着が午後7時を過ぎてしまいそうである。
あまりにも遅すぎるなあ、と途中からバスに乗らなければならないか、と思うようになった。
途中、バス停で時刻表を見たのだが、北条方面には30分おきにバスが走っており、利用出来そうである。
奥の院への遍路道は歩けなかったが、写真の東海図版の「四国遍路地図」では、和気小学校の辺りの別のルートにピンクの点線が入っている。
せめてこの道を歩いてみよう、と地図を頭陀袋から取り出してみる。が、すでに入口は通り過ぎてしまっていた。相変わらず、段取りが悪い。
2020年08月27日
歩き遍路 2020年8月
←少し自画像
先月、7月の4連休にお遍路に行って来たばかりですが・・・
梅雨明けとはならず曇りがちで、気温も30℃に届かない日もあり、真夏を感じられず物足りなさが残ってしまうことになりました
で、あれから一ヶ月しか経っていませんが、今晩から再び、歩き遍路に出ることとしました
今回歩くことで、いよいよ三回目の結願を迎えることになります
1日目は、ことでんの八栗駅からスタートし、志度寺まで。
2日目に結願し、白鳥温泉まで。
3日目は、卯辰越をして霊山寺まで、を計画中です。
1番には「満願証」というものがあるようなので、頂いてみようかと思っています。
ちなみに、この日は51回目の誕生日となります
コンビニとかあまり無いエリアを歩くことになりますから、この暑い時期、かなり過酷な旅となりそうです
三日間とも猛暑日の予報が出ています。もう「懲り懲り」という位きつい目に遭わなければ、満足出来ないようですね
先月、7月の4連休にお遍路に行って来たばかりですが・・・
梅雨明けとはならず曇りがちで、気温も30℃に届かない日もあり、真夏を感じられず物足りなさが残ってしまうことになりました
で、あれから一ヶ月しか経っていませんが、今晩から再び、歩き遍路に出ることとしました
今回歩くことで、いよいよ三回目の結願を迎えることになります
1日目は、ことでんの八栗駅からスタートし、志度寺まで。
2日目に結願し、白鳥温泉まで。
3日目は、卯辰越をして霊山寺まで、を計画中です。
1番には「満願証」というものがあるようなので、頂いてみようかと思っています。
ちなみに、この日は51回目の誕生日となります
コンビニとかあまり無いエリアを歩くことになりますから、この暑い時期、かなり過酷な旅となりそうです
三日間とも猛暑日の予報が出ています。もう「懲り懲り」という位きつい目に遭わなければ、満足出来ないようですね
2020年08月24日
【3巡目-565】 52番太山寺 [2019年3月16日]〈その7〉
ため池を通り過ぎると、建設現場の資材置き場のような場所に入っていきそうになる。
道を間違えたか、と引き返すが、遍路札の指示はそちらへ、となっている。
もう一度進んでみると、資材置き場の脇に道が続いていた。
ここからは短いが、少し高い所から果樹や集落を眺めながらの、長閑な道となる。
麓の集落に下りてきて、(53)円明寺への遍路道と合流する。今回の遍路旅では、菜の花が真っ盛りの時期で、至る所で咲いていた。
(52)太山寺の仁王門の所までやって来た。目の前にバス停があるのは珍しい。
ここから本堂までが長い。
今回は時間に追われていることもあり、寺間の距離を逆算しながら歩いていた。素朴な疑問だが、へんろ地図のお寺間の距離は、どこからどこまでの距離なのだろうか。
(51)太山寺のように、仁王門と本堂の距離が離れている場合は、どちらからの計測なのか、それによって掛かる時間が結構違ってくる。(58)仙遊寺も同じだろう。
突き当たりまで来ると、手水場があり、右の長い石段を上ると境内となる。上にも手水場があるだろう、と思ったら見当たらず、お清めをせぬままの参拝となってしまった。前回も同じ失敗をしてしまったような。
そう言えば、手水場を利用しているお遍路さんってあまり見たことが無いような気がする。皆さんは、どうされているのでしょうか。
道を間違えたか、と引き返すが、遍路札の指示はそちらへ、となっている。
もう一度進んでみると、資材置き場の脇に道が続いていた。
ここからは短いが、少し高い所から果樹や集落を眺めながらの、長閑な道となる。
麓の集落に下りてきて、(53)円明寺への遍路道と合流する。今回の遍路旅では、菜の花が真っ盛りの時期で、至る所で咲いていた。
(52)太山寺の仁王門の所までやって来た。目の前にバス停があるのは珍しい。
ここから本堂までが長い。
今回は時間に追われていることもあり、寺間の距離を逆算しながら歩いていた。素朴な疑問だが、へんろ地図のお寺間の距離は、どこからどこまでの距離なのだろうか。
(51)太山寺のように、仁王門と本堂の距離が離れている場合は、どちらからの計測なのか、それによって掛かる時間が結構違ってくる。(58)仙遊寺も同じだろう。
突き当たりまで来ると、手水場があり、右の長い石段を上ると境内となる。上にも手水場があるだろう、と思ったら見当たらず、お清めをせぬままの参拝となってしまった。前回も同じ失敗をしてしまったような。
そう言えば、手水場を利用しているお遍路さんってあまり見たことが無いような気がする。皆さんは、どうされているのでしょうか。
2020年08月21日
【3巡目-564】 52番太山寺へ [2019年3月16日]〈その6〉
(52)太山寺へは、[乙]コースに入りそびれてしまい、[甲]コースは二巡目に歩いているはずだから、今回は東海図版の地図で赤い点線が入っている別コース、を進んでみることにした。
用水に沿った道から、池の横を通り、田んぼが広がるのどかな道となった。
程なくして、[甲]コースへの右道への分岐があるが、そのまま無視して直進する。県道184号にぶつかった所でそのまま県道を進んでから、[甲]コースに合流した。
JR予讃線の踏切に差し掛かると、急いでいるのに遮断機が下りてしまった。
仕方なく汽車を待っていると、同じく踏切待ちしていた軽トラックのおばさんが降りて来て、夏みかんをお接待してくれた。ありがとうございます。納札を渡しそびれてしまった。
普段、人にあまり優しくされることがないためか、お接待は本当にうれしいことである。
突き当たりまで進み、大将軍神社の隣にある、小さな公園のトイレをお借りする。
こんな場所にも、「四国遍路日本遺産協議会」によるベンチがあり、太山寺道の解説版が埋め込まれていた。
神社を出ると、畑仕事をしている方が、そっち、と聞いてはいないのだが道案内してくれた。
ここからの遍路道は、へんろ地図とは微妙に違っており、実際は少し南寄りの、小高い場所にある池のほとりを通る道へと誘導される。
用水に沿った道から、池の横を通り、田んぼが広がるのどかな道となった。
程なくして、[甲]コースへの右道への分岐があるが、そのまま無視して直進する。県道184号にぶつかった所でそのまま県道を進んでから、[甲]コースに合流した。
JR予讃線の踏切に差し掛かると、急いでいるのに遮断機が下りてしまった。
仕方なく汽車を待っていると、同じく踏切待ちしていた軽トラックのおばさんが降りて来て、夏みかんをお接待してくれた。ありがとうございます。納札を渡しそびれてしまった。
普段、人にあまり優しくされることがないためか、お接待は本当にうれしいことである。
突き当たりまで進み、大将軍神社の隣にある、小さな公園のトイレをお借りする。
こんな場所にも、「四国遍路日本遺産協議会」によるベンチがあり、太山寺道の解説版が埋め込まれていた。
神社を出ると、畑仕事をしている方が、そっち、と聞いてはいないのだが道案内してくれた。
ここからの遍路道は、へんろ地図とは微妙に違っており、実際は少し南寄りの、小高い場所にある池のほとりを通る道へと誘導される。
2020年08月18日
【3巡目-563】 52番太山寺へ [2019年3月16日]〈その5〉
和食「どんと」で昼食とし、日替わりランチを注文する。
店内は空いており、ゆっくりと過ごせた。
へんろ地図を眺めながら、これからの行程を確認するが、今日の宿まではまだまだ距離がある。
「北条水軍ユースホステル」に予約してあり、午後7時を過ぎる場合には連絡して下さい、とかなり融通を効かせてくれる宿だった。
歩き遍路中に夜の7時を過ぎる到着はあまりにも遅すぎるだろう、残念ながら、途中からバスを使わざるを得ないか。30分程滞在して、店を出る。
国道を離れ用水に沿って進むと、左手に学校、そして横断歩道橋が見えてきた。ここは確か10年前に通ったことがあるぞ、と記憶が甦り、懐かしかった。
遍路札の指示に従ってここを通ったが、後でへんろ地図を確認すると、そのまま国道を進むのが遍路道となっていた。
国道を横断し、先程からずっとつかず離れずの用水というか、川に沿って進む。
へんろ地図の[乙]コースを歩くつもりだったが、用水に沿って道も右折となり、対岸へと渡れなかった。少し手前で、用水の反対側へと渡っておかないとならなかった。仕方なく、コース変更とする。
そう言えば、一巡目の時も[乙]コースを進もうと思ったら、対岸に渡れなかったのを思い出した。再び、同じ失敗をしている。
店内は空いており、ゆっくりと過ごせた。
へんろ地図を眺めながら、これからの行程を確認するが、今日の宿まではまだまだ距離がある。
「北条水軍ユースホステル」に予約してあり、午後7時を過ぎる場合には連絡して下さい、とかなり融通を効かせてくれる宿だった。
歩き遍路中に夜の7時を過ぎる到着はあまりにも遅すぎるだろう、残念ながら、途中からバスを使わざるを得ないか。30分程滞在して、店を出る。
国道を離れ用水に沿って進むと、左手に学校、そして横断歩道橋が見えてきた。ここは確か10年前に通ったことがあるぞ、と記憶が甦り、懐かしかった。
遍路札の指示に従ってここを通ったが、後でへんろ地図を確認すると、そのまま国道を進むのが遍路道となっていた。
国道を横断し、先程からずっとつかず離れずの用水というか、川に沿って進む。
へんろ地図の[乙]コースを歩くつもりだったが、用水に沿って道も右折となり、対岸へと渡れなかった。少し手前で、用水の反対側へと渡っておかないとならなかった。仕方なく、コース変更とする。
そう言えば、一巡目の時も[乙]コースを進もうと思ったら、対岸に渡れなかったのを思い出した。再び、同じ失敗をしている。
タグ :歩き遍路北条水軍ユースホステル
2020年08月15日
【3巡目-562】 52番太山寺へ [2019年3月16日]〈その4〉
当てにしていた焼きそば屋さんは、閉店してしまっていた。十年一昔というが、寂しいことである。
事前に、少し遍路道を外れるとファミリーレストランがあることを調べてあったので、仕方なくそちらへ向かうことにした。
国道196号線に出て、反対方向に向かうとガストがある。車が多いので嫌な予感はしたが、ドアを開けると小さな子どもを連れた家族でいっぱい、とても一人で入れる雰囲気ではなった。すぐにUターンして、遍路道へと戻った。
ただでさえ時間に追われているというのに、15分のロスをしてしまった。
ここからの遍路道は、国道196号と用水を隔てた対岸の道となり、のんびりと歩ける道である。
国道は交通量が多く、外食チェーンなどないか、探しながら進む。
二巡目の時は早々に左折して、へんろ地図の[丙]コースを選んだ。「へんろ道保存協力会」の事務所があるコースである。
一巡目では、確か[甲]コースを歩いたと思う。
今回は、[乙]コースを進んでみようと考えている。
なかなか食事処が見付からなかったが、スーパーの一角に「どんと」という店があった。ここなら気軽に入れそうである、という事で、ここで遅い昼食とすることにした。
お遍路ブログというのに、食事のことばかり書いているような気がする。やはり人間、食べることが生きることなのだろうか。
事前に、少し遍路道を外れるとファミリーレストランがあることを調べてあったので、仕方なくそちらへ向かうことにした。
国道196号線に出て、反対方向に向かうとガストがある。車が多いので嫌な予感はしたが、ドアを開けると小さな子どもを連れた家族でいっぱい、とても一人で入れる雰囲気ではなった。すぐにUターンして、遍路道へと戻った。
ただでさえ時間に追われているというのに、15分のロスをしてしまった。
ここからの遍路道は、国道196号と用水を隔てた対岸の道となり、のんびりと歩ける道である。
国道は交通量が多く、外食チェーンなどないか、探しながら進む。
二巡目の時は早々に左折して、へんろ地図の[丙]コースを選んだ。「へんろ道保存協力会」の事務所があるコースである。
一巡目では、確か[甲]コースを歩いたと思う。
今回は、[乙]コースを進んでみようと考えている。
なかなか食事処が見付からなかったが、スーパーの一角に「どんと」という店があった。ここなら気軽に入れそうである、という事で、ここで遅い昼食とすることにした。
お遍路ブログというのに、食事のことばかり書いているような気がする。やはり人間、食べることが生きることなのだろうか。
タグ :歩き遍路
2020年08月12日
【3巡目-561】 道後温泉、52番太山寺へ [2019年3月16日]〈その3〉
道後温泉のアーケード街を抜ける。
道後温泉椿の湯、という、新しく出来たばかりのような立派な建物があった。こちらも、日帰り入浴出来るようである。
どこかで右に入り、一本隣の道を進むはずだったなあ、どこだったか、と考えながら進んで行く。
道端に遍路石を発見した。という事は、何らかの分岐だった場所だろうか。とりあえず右折してみることにした。
しかし違っていたようで、取り敢えず小学校を囲むように細道が続いていたので進んでみると、通りに出て来た。渡った先が、山頭火の一草庵へと続く、通常の遍路道だった。
しばらくは用水に沿った道を進んでから、松山大学の運動施設の側を通り過ぎる。
学生がスポーツをしている姿を見られたら面白いのだが、垣根が続いているため今一つよく見えないのが残念である。
その一角に、高知市内ではよく見かけるデイパークの駐車場があった。1日250円、駐車可能台数は5台だった。
車で現地入りして、この辺りを区切り打ちする際には、利用出来そうである。
再び、用水に沿った道となる。この先に、10年前に立ち寄った焼きそば屋さんがあったはずである。今回はそこで昼食にしようと考えている。現在も営業していてくれると良いのだが。
道後温泉椿の湯、という、新しく出来たばかりのような立派な建物があった。こちらも、日帰り入浴出来るようである。
どこかで右に入り、一本隣の道を進むはずだったなあ、どこだったか、と考えながら進んで行く。
道端に遍路石を発見した。という事は、何らかの分岐だった場所だろうか。とりあえず右折してみることにした。
しかし違っていたようで、取り敢えず小学校を囲むように細道が続いていたので進んでみると、通りに出て来た。渡った先が、山頭火の一草庵へと続く、通常の遍路道だった。
しばらくは用水に沿った道を進んでから、松山大学の運動施設の側を通り過ぎる。
学生がスポーツをしている姿を見られたら面白いのだが、垣根が続いているため今一つよく見えないのが残念である。
その一角に、高知市内ではよく見かけるデイパークの駐車場があった。1日250円、駐車可能台数は5台だった。
車で現地入りして、この辺りを区切り打ちする際には、利用出来そうである。
再び、用水に沿った道となる。この先に、10年前に立ち寄った焼きそば屋さんがあったはずである。今回はそこで昼食にしようと考えている。現在も営業していてくれると良いのだが。
タグ :歩き遍路
2020年08月09日
【3巡目-560】 51番石手寺、道後温泉 [2019年3月16日]〈その2〉
(51)石手寺から、山側の遍路道を進む。
古びたベンチと踊り場がある、元展望台のような場所があった。こういう寂れ具合が結構、興味をそそってしまう。
歩きの道が続き、分岐もあったが、遍路札があるので道に迷うようなことは無かった。街中にこんな遍路道があって、結構楽しい。
静かな車道に出てくると、タクシーが止まっている。隠れ休憩場所だろうか。
車道を進んで行くと、テニスコートがあり、壮年の皆さんが楽しんでいる。その向こうに、7年前に泊まった松山YHの黄色い建物が見えてきた。
この場所に出て来たのか、と思うと同時に懐かしかった。あの時泊まり合わせて、しばらく同じ行程だった沖縄のOさんはお元気だろうか。
道後温泉本館まで来ると、新婚さんだろうか、カメラマンによる撮影が行われていた。
観光客らもその様子をカメラに納めており、和やかな時間が流れていた。
帰宅してから気が付いたのだが、東海図版の「四国遍路地図」では、道後温泉本館の前を通る道は遍路道になっておらず、一本違う道に赤い点線が引いてあった。
こちらはどんな道なのだろうか、もっと早く気が付いていればよかった。
古びたベンチと踊り場がある、元展望台のような場所があった。こういう寂れ具合が結構、興味をそそってしまう。
歩きの道が続き、分岐もあったが、遍路札があるので道に迷うようなことは無かった。街中にこんな遍路道があって、結構楽しい。
静かな車道に出てくると、タクシーが止まっている。隠れ休憩場所だろうか。
車道を進んで行くと、テニスコートがあり、壮年の皆さんが楽しんでいる。その向こうに、7年前に泊まった松山YHの黄色い建物が見えてきた。
この場所に出て来たのか、と思うと同時に懐かしかった。あの時泊まり合わせて、しばらく同じ行程だった沖縄のOさんはお元気だろうか。
道後温泉本館まで来ると、新婚さんだろうか、カメラマンによる撮影が行われていた。
観光客らもその様子をカメラに納めており、和やかな時間が流れていた。
帰宅してから気が付いたのだが、東海図版の「四国遍路地図」では、道後温泉本館の前を通る道は遍路道になっておらず、一本違う道に赤い点線が引いてあった。
こちらはどんな道なのだろうか、もっと早く気が付いていればよかった。
2020年08月06日
【3巡目-559】 51番石手寺から、52番太山寺、53番円明寺、旧北条市まで [2019年3月16日]〈その1〉
前に、(51)石手寺の門前がボコボコ、と書いたが、正面がこんな感じで、跨ぎながら本堂へと向かう印象である。
意外なことに、鐘を鳴らすことが出来たので、一撞きさせてもらう。幸先の良い、歩き始めとなった。
今回の、(51)石手寺での課題として、へんろ地図の山側に赤い点線があり、この道を歩いてみよう、と考えている。
前回、この道を探索したのだが、どこなのか分からなかった。
本堂へと向かうと、その脇に石段が続いており、へんろ道保存協力会の立札があることに気が付いた。どうやら、この道のようである。あっさりと見付かった。
石手寺は境内が奥深い印象で、探索すれば色々と発見がありそうである。以前、境内にあったトンネルをくぐって、どこかの車道に出たこともあった。
今日の宿は、約24km先の「北条水軍ユースホステル」である。のんびりしていては到着がかなり遅くなるので、早々に出立する。
長い石段を上がる。石手寺のお山四国、となっており、所々に石仏があった。
意外にも、人の話し声が聞こえてくる。おじさん二人組で、何か説明をしながら案内をしている様子だった。今日はどこまで?などと話し掛けてきてくれたので、少し言葉を交わす。
2020年08月03日
【3巡目-558】 第30回 区切り打ち 出発[2019年3月15・16日]
区切り打ちの歩き遍路も、ついに30回目となりました。
2月の遍路に続き、節約のため、今回も公共交通機関を利用しての四国入りです。
スポーツクラブで運動後、金沢のお隣、白山市の松任海浜公園に車を止め、ここから夜行バスに乗り、京都駅で下車。
今回は、車内で4時間程は眠れました。
時間短縮のためJRを使い舞子駅へ。高速舞子バス停から、神戸発の松山行き高速バスに乗りました。
松山市駅には昼前に到着。ここから路線バスに乗り換えです。
バスを待っていると、早速、地元の方から話し掛けられました。
松山市内の札所の跡継ぎの権利がある方と知り合いだったようで、結局、跡は継がなかったらしく、こんな楽な商売は無い、黙っていても収入があるのに勿体無い、ということでした。
本当に勿体無いなあ、と思います。今の自分だったら、喜んで坊さんになります。みんな同じことを考えるものなんですね。
本日のコースタイム
南砺市福光21:13→→松任海浜公園23:21→→16日5:00京都駅5:21→→6:44舞子駅→高速舞子7:30→→11:12松山市駅11:17→→11:45(51)石手寺
2月の遍路に続き、節約のため、今回も公共交通機関を利用しての四国入りです。
スポーツクラブで運動後、金沢のお隣、白山市の松任海浜公園に車を止め、ここから夜行バスに乗り、京都駅で下車。
今回は、車内で4時間程は眠れました。
時間短縮のためJRを使い舞子駅へ。高速舞子バス停から、神戸発の松山行き高速バスに乗りました。
松山市駅には昼前に到着。ここから路線バスに乗り換えです。
バスを待っていると、早速、地元の方から話し掛けられました。
松山市内の札所の跡継ぎの権利がある方と知り合いだったようで、結局、跡は継がなかったらしく、こんな楽な商売は無い、黙っていても収入があるのに勿体無い、ということでした。
本当に勿体無いなあ、と思います。今の自分だったら、喜んで坊さんになります。みんな同じことを考えるものなんですね。
本日のコースタイム
南砺市福光21:13→→松任海浜公園23:21→→16日5:00京都駅5:21→→6:44舞子駅→高速舞子7:30→→11:12松山市駅11:17→→11:45(51)石手寺
タグ :歩き遍路
2020年08月01日
2020夏 歩き遍路 トピックス(後編)
3日目[7月25日]は、(82)根香寺から(80)国分寺、そして(83)一宮寺へ、と変則ルートで歩きました
遍路ころがしを下っていると、前方からお遍路さんが 久し振りに見掛ける、夏の歩き遍路さんです。
国分寺から一宮寺へは初めて歩く道となり、楽しみにしていました
(83)一宮寺からは、へんろ地図より抹消されてしまった、階段状の遍路道を、英語版のへんろ地図を頼りに歩きました。
朝の出発が遅れ、山道でバテたことなどから、途中から日没に。
遍路石があったので写真を撮りましたが、かなり不気味ですね
本日の宿「ホテルルートイン高松屋島」に到着したのは、午後8時を過ぎてしまいました
4日目[7月26日]の最終日は、屋島ケーブルの駅跡を探索してから、(84)屋島寺を目指します。
屋島寺の裏側にて、テレビドラマ「ウォーカーズ」で、3億円当たれ~と「かわらけ投げ」をしていた場所を、ようやく発見出来ました
放送から14年も経つんですね。
この日は(86)志度寺まで歩く予定でしたが、寄り道し過ぎて時間オーバー。
真念のお墓がある、番外の「洲崎寺」で今回の遍路旅を終えることになりました。
筋肉痛にすらならず、元気に歩き通せました。が、期待していた梅雨明けが遅れ、本格的な夏の暑さとはならず、何か不完全燃焼気味
来月、もう一回行こうか、と密かに計画中です
なお、(77)道隆寺の手前では、欲しかったかわいいお地蔵さんを、無事に頂くことが出来ました
次回からは、昨年3月に(51)石手寺から(63)吉祥寺まで歩いた記事となります。
遍路ころがしを下っていると、前方からお遍路さんが 久し振りに見掛ける、夏の歩き遍路さんです。
国分寺から一宮寺へは初めて歩く道となり、楽しみにしていました
(83)一宮寺からは、へんろ地図より抹消されてしまった、階段状の遍路道を、英語版のへんろ地図を頼りに歩きました。
朝の出発が遅れ、山道でバテたことなどから、途中から日没に。
遍路石があったので写真を撮りましたが、かなり不気味ですね
本日の宿「ホテルルートイン高松屋島」に到着したのは、午後8時を過ぎてしまいました
4日目[7月26日]の最終日は、屋島ケーブルの駅跡を探索してから、(84)屋島寺を目指します。
屋島寺の裏側にて、テレビドラマ「ウォーカーズ」で、3億円当たれ~と「かわらけ投げ」をしていた場所を、ようやく発見出来ました
放送から14年も経つんですね。
この日は(86)志度寺まで歩く予定でしたが、寄り道し過ぎて時間オーバー。
真念のお墓がある、番外の「洲崎寺」で今回の遍路旅を終えることになりました。
筋肉痛にすらならず、元気に歩き通せました。が、期待していた梅雨明けが遅れ、本格的な夏の暑さとはならず、何か不完全燃焼気味
来月、もう一回行こうか、と密かに計画中です
なお、(77)道隆寺の手前では、欲しかったかわいいお地蔵さんを、無事に頂くことが出来ました
次回からは、昨年3月に(51)石手寺から(63)吉祥寺まで歩いた記事となります。
タグ :歩き遍路