2013年07月31日

【275】歩き遍路32日目〈その5〉[2012年4月22日]

(53)円明寺からは、JR予讃線を渡って消防署を経由して行くルートと、寺の横を通って海側を歩くルートがある。
前回は消防署ルートを歩いたので、今回は海側を歩いてみることにした。

出発してからしばらく、へんろ地図では和気町となっている辺りで、道が分からなくなってしまった。
正しいと思われる道を進んだ所、向こうから沖縄のOさんと北条出身の方がやって来た。どうやら反対方向に向かって歩いていたようである。

堀江という所まで来ると、小さな川越しに海を眺めることが出来た。久しぶりの海である。宇和島へと向かう柏坂のつわな奥展望台以来だろうか。

前回歩いた堀江の旧道は、昔からの道だったという風情が残っていた。今日歩いているルートは新道になるのだろう。

少し前を歩いていた沖縄のOさんが、ファミリーマートに入って行くのが見えた。
この先の海を見渡せる場所に、汽車の喫茶店があるはずでそこに入るつもりでいたので、先へと進む。
一巡目の時には、お遍路姿で入るのも気が引けて通過したのだが、親切に対応してもらえると聞いたからである。

海岸沿いに出た所で、目的の汽車の喫茶店が現れた。前を歩いていた北条出身の方も店に入って行った。自分も続いて入店し、同じテーブルに座らせてもらった。
先程出会ったばかりというのに、自然と同じテーブルについてしまった所などは、歩き遍路同士の連帯感みたいものが働くからだろうか。

店は、汽車の車内を模した造りとなっており、落ち着いた雰囲気である。
今日は小雨がちの天気、早速、若い店員さんが乾いたタオルを持ってきてくれた。よく気が付き、話に聞いていた通り、親切だった。  


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2013年07月28日

【274】歩き遍路32日目〈その4〉[2012年4月22日]

(52)太山寺の休憩場所で話をしているうちに、金剛杖が木の棒の方は、大阪から来られたが、出身はこの先の旧北条市だそうで、「うめたこ旅館」に泊まっていたもう一人のお遍路さんだった、という事が分かった。
食事をしている時に、テレビのリモコンの使い方が分からない、と顔を出してきた方である。

うめたこ旅館→ふじや旅館→古岩屋荘→民宿みよし、と宿泊してきたそうだ。古岩屋荘から道後温泉まで歩くとは、なかなか健脚である。

これからずっと同じペースで歩くことになる沖縄のOさんは、今回は(43)明石寺から打ち始めて、新居浜まで歩くそうだ。後で聞いたのだが、歩き遍路は、確か20年ぶりくらい、との事だった。

ご夫婦とは、この時は話をしないが、最終日(62)宝寿寺まで何度も見かけることになる。「栄家旅館」で同宿した時に親しくなり、岐阜から来られたと話していた。

久しぶりにたくさんのお遍路さんに出会えた印象である。

(52)太山寺で1時間ほど過ごし、次の札所へと向かった。
(53)円明寺へは一直線、住宅・会社・田んぼと、普通の郊外の風景の中の道である。

(53)円明寺は、町中の小ぢんまりとしたお寺である。団体さんもおり、たくさんの参拝客で賑わっていた。ベンチが見当たらず、荷物を置く場所が無く、中にあった門の脇に置かせてもらった。
先程、太山寺で見掛けた面々も集まって来て、それぞれ参拝していた。  


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2013年07月25日

【273】歩き遍路32日目〈その3〉[2012年4月22日]

ひばりヶ丘からJR予讃線を渡ると、へんろ地図ではWCマークがある。
県道から少し入った所に、広い公園があり、きれいなトイレがあったので利用させてもらった。

県道19号から右折して183号に入る。ゴルフ場の所から左に入り、再び分岐を左へと進むと、久しぶりに歩きの、のどかな道となった。

途中、「無縁墳墓等会葬広告」なる立札が立っていた。
災害対策工事を行うから、墓の縁故者等は一年以内に申し出を、申し出が無ければ、無縁仏として改葬します、となっている。そもそも誰のお墓か分からないのだから、申し出は無いだろう。
この、のどかな良い道も、何らかの工事が行われてしまうようである。

午前10時過ぎ、(52)太山寺の仁王門に到着した。
が、ここから本堂までは570mあるから、もうひと踏ん張りである。
納経所はその中間くらいの所にあり、配置が変わっているお寺である。敷地がそれだけ広いということだろう。

参拝を終えると、広い屋根付きの休憩所があったので、大休憩とした。今日は小雨がちなので、雨の当たらない場所は助かる。
沖縄のOさん、道後温泉で会った、金剛杖が木の棒の方、初めて見かける夫婦の方など、三々五々集まって来た。  


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2013年07月22日

【272】歩き遍路32日目〈その2〉[2012年4月22日]

道後温泉を出て、用水に沿った道を歩いていると、前方から沖縄のOさんがUターンして来た。山頭火一草庵に寄るつもりだったが通り過ぎてしまったようである。

松山市内の遍路道にはいくつかのコースがある。前回は、「乙・甲」コースを歩いたので、今回は「丙」のコースを進んでみることにした。

分岐点に来たが、遍路札は「甲」「乙」コースへと誘導しているので、へんろ地図を見ながら意識して歩いていないと「丙」コースには入れないようになっている。

広い道路を渡るが、横断歩道が無いので、サッと向こう側へ。しばらくは遍路シールがなかなか見つからなかったが、地図を見る限り、道は間違えていないようだ。

分岐には「へんろみち保存協力会」の遍路札があったが、字が消えかかっているものが多かった。昔からの遍路シールは残っていたが、最近よく見られる形のシールは見かけなかったように思う。
現在、こちらのルートを歩く人はほとんどいないのではないだろうか。

へんろ地図の赤い点線に沿って、忠実に歩く。写真の児童公園の中も遍路道となっていた。

この辺りの住居表示は「ひばりヶ丘」となっている。どこかで聞いた地名だなぁと思っていたら、「へんろみち保存協力会」のある場所だった。昨年亡くなられた、へんろ地図の著者、宮崎建樹さんの自宅も、おそらくこの辺りになるのだろう。  


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2013年07月19日

【271】歩き遍路32日目〈その1〉[2012年4月22日]

朝食は7時からとなっているが、少し早めに用意してくれるということで、お願いしておいた。バイキング形式だったので、久しぶりに洋食の朝食を摂る事が出来た。

部屋に戻り準備をしていると、窓の外に一人のお遍路さんが宿の写真を撮っている姿が見えた。夕食・朝食と隣に座っていた方だ。話はしなかったが、お遍路さんだったようだ。

この方が、これから最終日の(60)横峰寺までつかず離れずとなる、沖縄のOさんである。お笑いのノッチに似ていたので、心の中ではノッチさんと呼んでいました。

7時半前に松山YHを出発し、8分で道後温泉の本館前に到着した。
一巡目の時には、いきなり現れたこの建物に驚いたものである。ノッチさんが、温泉の方に道を尋ねていたので、一緒に聞かせてもらった。

アーケード街を抜け、しばらくすると、パラパラと雨が降り出して来た。小雨ではあったが雨具の準備をする。ちょうど銀行の軒先に駆け込むと、初めて見かけるお遍路さんも同じように雨具を用意していた。

この時点では分からなかったのだが、この方が大洲の「うめたこ旅館」で同宿していた方だった。普通の金剛杖ではなく、どこかで拾ってきたような太い枝を杖代わりに歩いていた。
今日一日だけの短い付き合いではあったが、印象に残る方だった。  


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2013年07月16日

【270】歩き遍路31日目〈11〉[2012年4月21日]

道後温泉からは坂道を上る。最後のひと踏ん張りをし、17時過ぎ、今晩の宿「松山ユースホステル」に到着した。
鮮やかな黄色い外壁である。

もらったチラシによると、良い意味で怪しげであり、楽しく過ごせるようになっている。オーナーが自分なりのポリシーを持って、楽しみながら宿の運営を行っているのだろう。

早速入浴とするが、小さなユニットバスであり、これで多くのお客さんをさばけるのかな、と思ったが、当たり前の事に後になって気付いたのだが、ここに泊まったお客さんはみなさん、道後温泉に入りに行くようである。

夕食は同年代か少し年上の人たちと同じテーブルだったが、お遍路さんなのかどうか分からないし、話をしないままとなった。隣で食事していた方とは、明日から最終日まで、何度も顔を合わせることになるとは、この時想像もしなかった。

オーナーさんとテレビを見て、時折話をしながらの食事となった。とても美味しい夕食だった。


本日のコースタイム
ガーデンタイム6:05→三坂峠7:49→8:30坂本屋8:57→10:00(46)浄瑠璃寺→10:29(47)八坂寺10:54→11:31札始大師堂12:02→12:26(48)西林寺12:49→13:31(49)浄土寺14:10→14:31(50)繁多寺14:56→15:28(51)石手寺16:15→16:53松山ユースホステル


松山YH:一泊二食(個室料金) 4935円 [311号室]
      ※洗濯代・200円。乾燥機45分100円。共同冷蔵庫・自販機あり。シーツあり、浴衣無し。
        朝食は7時少し前からバイキング形式。パソコンあり。
    宿泊客:歩き遍路2人?、一般客10数人くらい。


歩行距離:29.0km
 歩数  :47632歩
最高気温:22.6℃
最低気温:14.8℃[松山市]  


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2013年07月13日

【269】歩き遍路31日目〈10〉[2012年4月21日]

(51)石手寺は参拝客も多く賑わっているお寺ではあるが、入口は狭くなっている。
「ウォーカーズ」にも登場していた回廊には露店が並び、この雰囲気がとても良い。

四国八十八ヶ所で二番目に賑やかなお寺ではないだろうか。個人的な印象では、一番は(75)善通寺、三番は(1)霊山寺という感じがする。

今日は土曜日だが、思ったほどの人出ではない。といっても、他の札所のように、貸切になるようなことは無さそうである。
大きな香炉が貫録を示していた。

納経すると、「本来の仏教 ブッダの真実」という冊子を渡された。荷物になるなぁ、と思ってしまったが、中身は勉強になりそうなことがたくさん書いてある。ただ、普段あまり耳慣れない話なので、なかなか頭に入ってこない。

16時過ぎには納経も終わったので、後は宿に入るだけである。お寺でゆっくりと過ごし、向かいのファミリーマートで買い出しをし、そこの駐車場にある「ヘンロ小屋第二十五号石手寺前」で、菓子をつまみながら、一休みした。

ここから道後温泉に向かって、へんろ地図には山側を通る道も書かれており、今回はこちらを歩いてみよう、と少し探してみたのだが、どこか分からなかった。仕方がないので、普通に車道に沿って歩くことにした。  


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2013年07月10日

【268】歩き遍路31日目〈その9〉[2012年4月21日]

(49)浄土寺の辺りは、都市郊外の拠点といった風で、活気があり賑やかしい。

次の(50)繁多寺へと向かう。住宅街を道しるべに従って進み、午後2時半過ぎに到着した。
今日は(51)石手寺の納経に間に合うか心配だったが、この調子では、十分間に合いそうである。

(50)繁多寺は高台にあるので、街の見晴らしがとても良く、松山市街の眺めが広がっている。境内も広々としている。

次の(51)石手寺へは、普通の住宅街を右に左に進む。分岐には大量の遍路シールが張られているから、しっかり確認して行けば大丈夫である。

県道40号に出ると、交通量が多く、歩道の無い、狭い道となる。ここは、一巡目を歩いた中で、一番歩きにくかった区間として記憶に残っていた。
今回は、午後の昼下がりとあってか、思ったほど車通りは無く、前回ほどの恐怖感はなかった。

道は広くなるが、ひたすら直進すると、(51)石手寺が見えてきた。正面の石橋は「渡らずの橋」と呼ばれているそうで、弘法大師お道開きの橋で、この橋を歩くと足が腐るといわれているそうだ。
そうとは知らず、一巡目の時には渡って往復してしまった。  


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2013年07月07日

【267】歩き遍路31日目〈その8〉[2012年4月21日]

伊予鉄道の踏切を渡り、道路を渡ると(49)浄土寺であるが、この道路の信号の待ち時間がとても長い。

一巡目の時に、一緒に信号待ちしていたおばさんが、ここの信号は長い、とぼやいていた。その信号が青になっている。渡ってしまおうと少し走ったが、赤になってしまった。

ここで、先程からのお遍路さんといっしょになり、少し話をした。
変わった周り方をしているようで、昨日は松山市内を北条方面に向かって歩き、今日は浄瑠璃寺辺りから道後温泉方面に向かって、明日は久万高原辺りを歩くそうだ。
札始大師堂で逆打ちの方と面識があったのは、こういう周り方をしているからだろう。
おそらく、この近辺にお住まいではないか。

(49)浄土寺に到着する。団体さんがいるが、周りに配慮して隅の方に並んでお経を唱えているので感心した。
境内の様子が思い出せないが、お寺が続いているので仕方がない。

浄土寺の周辺には、数年前まではいくつかの温泉や旅館があったが、一時期、全く宿が無い頃があった。
一巡目の時には、近くの久米駅からわざわざ松山市内まで鉄道を使って宿に向かった。

現在、新しい宿が出来てはいるが、先述の通り、歩き遍路が泊まれる価格設定とはなっていなかった。なかなか調整が難しい区間である。

この先、北条から大西までの約20㎞も宿が無い区間となっている。ここはJRが並走しているので、何とかなりそうだが、この先、宿の廃業などで、今まで以上に日程が組みにくくなる場所が出てくるかも知れない。  


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2013年07月04日

【266】歩き遍路31日目〈その7〉[2012年4月21日]

大きな重信川を渡るが、ほとんど水が流れていなかったような気がする。
前方には、札始大師堂で見掛けたお遍路さんが、ゆっくりと歩いている。
分岐に四国八十八ヶ所番外大師堂という祠があり、細い道に入って行くと、(48)西林寺に到着した。

この辺りは札所が連続するため、一つ一つのお寺の印象が薄くなってしまうのだが、この石橋と駐車場の感じは記憶に残っていた。
近くには番外霊場の「杖ノ渕」があり、水が湧き出している場所だそうで行ってみたかったのだが、納経時間の事もあり、先へ急ぐことにした。

ここから(49)浄土寺にかけては、一巡目の時に、納経に間に合うよう、必死に小走りした区間だ。その時は、17時の数分前に到着し、ギリギリ間に合った。

国道11号線の広い交差点を渡る。写真の道を進み、突き当りを右に曲がり、すぐ左に曲がる。角には、手のマークが入った、古い石標が残っていた。

細い道が続き、はるか向こうに(49)浄土寺の山門が見えるが、門前町にはなっておらず、普通の住宅が両側に並んでいる。前方に札始大師堂で会ったお遍路さんが歩いている。ゆっくりと歩かれているので、徐々に近づいてきた。  


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2013年07月01日

【265】歩き遍路31日目〈その6〉[2012年4月21日]

午前11時30分頃に、番外霊場「札始大師堂」に到着した。
これも後日調べて分かったことだが、ここに泊まった衛門三郎が、木を削って札を作り、自分の名を書いてお堂に納めた、これが納札のはじまりと言われているそうである。

ここが、納札の発祥の地であったかも知れないとは驚きである。

そんな由来をつゆ知らず、もうお腹はペコペコである。早速、弁当を食べることにした。

そろそろ今日の宿を確保しなければならない。道後温泉に泊まることを楽しみにしているお遍路さんもたくさんいるだろうが、宿の値段もはっきりせず、割高に違いないから、どこに泊まったらいいのか分からず、却って困ってしまう。

松山YHに連絡し、予約を取ることが出来た。ユースホステルに泊まるのは、学生時代以来となるから20年ぶりぐらいとなるだろう。

腹ごしらえをしていると、ちょうど目の前の道路に、前のお寺でもチラリとお見掛けしたお遍路さんが通りかかり、声を掛けてくれた。

そこへ逆打ちのお遍路さんがやって来て、お互いに声を掛けあっている。昨日も出会っているようだったが、順打ちと逆打ちの方がどうして昨日会っているのだろうか。

「札始大師堂」を出ると、交通量のある大きな道路に出た。いよいよ街に入って来た感じがする。  


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