2014年09月27日
【420】歩き遍路46日目〈その7〉[2012年6月27日]
人の気配が感じられない道を歩いていく。
ポツリと分校のような建物の集会所がある。元小学校を利用したものだろうか。
ここに集まる人たちはどこに住んでいるのかと考えていると、少し先に、古い民家と小さな田んぼがあった。
歩きの山道へと入る。
一巡目の真夏の遍路の時は、太郎兵衛館辺りまでの山道がかなりきつくて、恐らく熱中症気味だった身体に、さらにダメージがきた道である。いよいよ、その場所に差し掛かりつつあるようである。少々緊張感を持ちつつ歩みを進める。
「結願」の文字が入った札も見られるようになってきたが、以前よりも減っているような。気のせいか。
竹林の中を歩いたり、イノシシ除けの柵の側を歩いたりする。やはり、急な山道区間もあり、少々きついが、この程度なら大丈夫である。
頂上付近には「長尾 奥鹿 持境」と書かれた、古い小さな石碑があった。「奥鹿」とはどこのことだろうか。
少し下りとなり、太郎兵衛館近くの車道に合流した。身体は無事である、良かった。この調子なら、女体山を越えて、無事に(88)大窪寺に辿りつけそうである。
ポツリと分校のような建物の集会所がある。元小学校を利用したものだろうか。
ここに集まる人たちはどこに住んでいるのかと考えていると、少し先に、古い民家と小さな田んぼがあった。
歩きの山道へと入る。
一巡目の真夏の遍路の時は、太郎兵衛館辺りまでの山道がかなりきつくて、恐らく熱中症気味だった身体に、さらにダメージがきた道である。いよいよ、その場所に差し掛かりつつあるようである。少々緊張感を持ちつつ歩みを進める。
「結願」の文字が入った札も見られるようになってきたが、以前よりも減っているような。気のせいか。
竹林の中を歩いたり、イノシシ除けの柵の側を歩いたりする。やはり、急な山道区間もあり、少々きついが、この程度なら大丈夫である。
頂上付近には「長尾 奥鹿 持境」と書かれた、古い小さな石碑があった。「奥鹿」とはどこのことだろうか。
少し下りとなり、太郎兵衛館近くの車道に合流した。身体は無事である、良かった。この調子なら、女体山を越えて、無事に(88)大窪寺に辿りつけそうである。
2014年09月23日
【419】歩き遍路46日目〈その6〉[2012年6月27日]
ちょうど昼時だったので、「おへんろ交流サロン」の一角で、「栄荘」からお接待で頂いた、おにぎりやゆで玉子、果物などを食べさせてもらった。
1時間以上ゆっくりと過ごし、スタッフの方と記念撮影をして出発した。
松山のOさんや広島のお姉さんは別ルートを歩くようで、女体山を越えるのは自分だけのようである。
交流サロンで貰った「へんろ道マップ」では、四国のみちコース、へんろ地図でいうと来栖神社を通るルートを歩くことになる。
出発して程なく、道しるべに従って左に入る。いよいよ結願への道へと進んでいく。
もう少し直進していれば、「遍路道中物故者供養碑」があるようである。
細い車道から、指示通りに渓谷沿いの小道に入っていく。薄暗い道を歩いていると、突然、立入禁止になってしまった。
ここまで来ていきなり立入禁止とは困る‥‥すんません、そのまま突き進んで行く。堤の一部がやや崩れかかっている場所があり、ここが原因のようだ。
すぐに車道に合流した。今にして思えば、渓谷沿いの歩いて数分程度の、ほんの短い区間が通行止めだったようで、ちょっと戻ってそのまま細い車道を歩いていれば問題は無かったようである。女体山への道が行けないのかとあせってしまった。
1時間以上ゆっくりと過ごし、スタッフの方と記念撮影をして出発した。
松山のOさんや広島のお姉さんは別ルートを歩くようで、女体山を越えるのは自分だけのようである。
交流サロンで貰った「へんろ道マップ」では、四国のみちコース、へんろ地図でいうと来栖神社を通るルートを歩くことになる。
出発して程なく、道しるべに従って左に入る。いよいよ結願への道へと進んでいく。
もう少し直進していれば、「遍路道中物故者供養碑」があるようである。
細い車道から、指示通りに渓谷沿いの小道に入っていく。薄暗い道を歩いていると、突然、立入禁止になってしまった。
ここまで来ていきなり立入禁止とは困る‥‥すんません、そのまま突き進んで行く。堤の一部がやや崩れかかっている場所があり、ここが原因のようだ。
すぐに車道に合流した。今にして思えば、渓谷沿いの歩いて数分程度の、ほんの短い区間が通行止めだったようで、ちょっと戻ってそのまま細い車道を歩いていれば問題は無かったようである。女体山への道が行けないのかとあせってしまった。
2014年09月19日
【418】歩き遍路46日目〈その5〉[2012年6月27日]
この先の道案内をしてもらった後、へんろ資料展示室に移動、昔の納札など、ゆっくりと見ていく。
全国47都道府県別に自分の納札を入れていくコーナーがある。3年前の結願の時、石川県コーナーに入れたので確認してみると、まだ自分の納札が残っていた。
ここに納札を入れていくお遍路さんが少ないのだろうか、それとも石川県のお遍路さんが少ないのだろうか。
残念ながら、これまで石川県からの歩き遍路さんに出会った事が無い。
何気なく他の県を見ていると、茨城県コーナーの先頭に、(6)安楽寺の宿坊で出会い、(13)大日寺まで一緒だったOさんの納札があった。お元気にしていらっしゃるだろうか。
この「おへんろ交流サロン」では、写真の「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」、そして「結願の四季」というDVDを頂いた。前回は遍路バッジを頂いたのだが、今回は無かった。
この任命書は記念にもなるのでうれしい。
資料を見たりとゆっくり過ごしていると、広島のお姉さんがやって来たので驚いた。昨日、(84)屋島寺でお別れして以来である。
(86)志度寺の辺りまでは来れないだろうから、もう会えないと思っていたが、素泊まり料金の安い、同じ志度の「たいや旅館」に泊まっていたそうである。
全国47都道府県別に自分の納札を入れていくコーナーがある。3年前の結願の時、石川県コーナーに入れたので確認してみると、まだ自分の納札が残っていた。
ここに納札を入れていくお遍路さんが少ないのだろうか、それとも石川県のお遍路さんが少ないのだろうか。
残念ながら、これまで石川県からの歩き遍路さんに出会った事が無い。
何気なく他の県を見ていると、茨城県コーナーの先頭に、(6)安楽寺の宿坊で出会い、(13)大日寺まで一緒だったOさんの納札があった。お元気にしていらっしゃるだろうか。
この「おへんろ交流サロン」では、写真の「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」、そして「結願の四季」というDVDを頂いた。前回は遍路バッジを頂いたのだが、今回は無かった。
この任命書は記念にもなるのでうれしい。
資料を見たりとゆっくり過ごしていると、広島のお姉さんがやって来たので驚いた。昨日、(84)屋島寺でお別れして以来である。
(86)志度寺の辺りまでは来れないだろうから、もう会えないと思っていたが、素泊まり料金の安い、同じ志度の「たいや旅館」に泊まっていたそうである。
2014年09月15日
【417】歩き遍路46日目〈その4〉[2012年6月27日]
「おへんろ交流サロン」の手前、前山ダムの所に、お気に入りである、「へんろ道保存協力会」の文章付きの道しるべがある。
女体山へはここから左に入り、前山ダムの堤を横断することになるようだが、もう少し先「おへんろ交流サロン」を過ぎてからも、この道に合流出来る。
道しるべは字が消えかかっているが、「車道直進並足歩行所要約2時間50分 女体山越えは所要約1時間余分にかかる 登坂峻険約500m 絶景・感動のコース也」と書かれている。
その少し先、右側には本来の遍路道への分岐があるが、ここも「おへんろ交流サロン」の向かいにある「道の駅ながお」から、合流出来る道があったと思う。
午前11時過ぎ、「前山おへんろ交流サロン」に到着した。
ここには、昔の遍路に関する資料などが展示されているので、今回はじっくり見ていこうと思っている。
館内に入ると、「栄荘」で一緒だった、松山のOさんも既に到着していた。
スタッフの方に案内され、椅子に座る。「へんろ道マップ」を渡され、この先の道案内をしてくれる。
「へんろ道マップ」には5つのコースがあり、これから自分が歩こうとしているのは、一巡目と同じく「四国のみちコース」である。
案内をしてくれたスタッフは、新しく入ったばかりという感じの方で、こちらの方が遍路道に詳しいのでは、とも思えたが、一生懸命に説明してくれていたので静かに話を聞かせて頂いた。
女体山へはここから左に入り、前山ダムの堤を横断することになるようだが、もう少し先「おへんろ交流サロン」を過ぎてからも、この道に合流出来る。
道しるべは字が消えかかっているが、「車道直進並足歩行所要約2時間50分 女体山越えは所要約1時間余分にかかる 登坂峻険約500m 絶景・感動のコース也」と書かれている。
その少し先、右側には本来の遍路道への分岐があるが、ここも「おへんろ交流サロン」の向かいにある「道の駅ながお」から、合流出来る道があったと思う。
午前11時過ぎ、「前山おへんろ交流サロン」に到着した。
ここには、昔の遍路に関する資料などが展示されているので、今回はじっくり見ていこうと思っている。
館内に入ると、「栄荘」で一緒だった、松山のOさんも既に到着していた。
スタッフの方に案内され、椅子に座る。「へんろ道マップ」を渡され、この先の道案内をしてくれる。
「へんろ道マップ」には5つのコースがあり、これから自分が歩こうとしているのは、一巡目と同じく「四国のみちコース」である。
案内をしてくれたスタッフは、新しく入ったばかりという感じの方で、こちらの方が遍路道に詳しいのでは、とも思えたが、一生懸命に説明してくれていたので静かに話を聞かせて頂いた。
2014年09月12日
【416】歩き遍路46日目〈その3〉[2012年6月27日]
(87)長尾寺を出て、駅の方へ歩いていくと中国銀行があったのでお金を下ろしてから、結願の寺、(88)大窪寺へと出発した。
通し打ちではないので、特別な感慨というのは感じられず、いつも通りに歩いていく。
感動の涙を流してみたいのだが、感受性がにぶい自分には無理であろう。これで遍路は終わりではなく、三巡目、四巡目と続いていくはずである。
ここからのルートは、一巡目と同じく、女体山を通る道を歩くことにしている。
本来の遍路道は、「おへんろ交流サロン」の手前から山の方に入って行く、遍路地図では大回りに見える方の道で、こちらの方が勾配も少なく歩きやすいようである。
一巡目の時の真夏のお盆の時期の結願では、暑さのためか身体に変調をきたし、リタイヤ寸前まで追い込まれた女体山への再チャレンジである。
ちなみに真夏の遍路は、暑くても外に出るようにして、暑さ慣れしておかなければならないと思う。
しばらくは車通りは少ないが、路肩、歩道が無い県道を歩くが、県道から離れ、細い道となる。所々にある史跡にはこまめに説明書きがされているので、サッと読みつつ進んで行く。
次第に山が迫ってくると、前山ダムが目の前に見えてきた。ここまで来ると、楽しみにしている「前山おへんろ交流サロン」はもうすぐである。
通し打ちではないので、特別な感慨というのは感じられず、いつも通りに歩いていく。
感動の涙を流してみたいのだが、感受性がにぶい自分には無理であろう。これで遍路は終わりではなく、三巡目、四巡目と続いていくはずである。
ここからのルートは、一巡目と同じく、女体山を通る道を歩くことにしている。
本来の遍路道は、「おへんろ交流サロン」の手前から山の方に入って行く、遍路地図では大回りに見える方の道で、こちらの方が勾配も少なく歩きやすいようである。
一巡目の時の真夏のお盆の時期の結願では、暑さのためか身体に変調をきたし、リタイヤ寸前まで追い込まれた女体山への再チャレンジである。
ちなみに真夏の遍路は、暑くても外に出るようにして、暑さ慣れしておかなければならないと思う。
しばらくは車通りは少ないが、路肩、歩道が無い県道を歩くが、県道から離れ、細い道となる。所々にある史跡にはこまめに説明書きがされているので、サッと読みつつ進んで行く。
次第に山が迫ってくると、前山ダムが目の前に見えてきた。ここまで来ると、楽しみにしている「前山おへんろ交流サロン」はもうすぐである。
2014年09月09日
【415】歩き遍路46日目〈その2〉[2012年6月27日]
缶コーヒーを買って一休みし、出発する。
この辺りは、人の名前のような、造田是広という集落名のようだ。
ここから、遍路道を外れて広瀬橋を渡り、県道3号線を進むことにした。銀行(信用金庫)でお金を下ろしたかったからである。
こちらの道の方が大通りで、銀行がありそうな感じがしたのだが、結局は見つからなかった。
(87)長尾寺は、旧長尾町の街中にあるお寺である。ちょうど、栄荘で一緒だった、松山のOさんが参拝を終えた所だった。
遍路道沿いに看板が多かったと話していたが、この先も真新しい看板が多く、遍路道の案内板や、史跡があればその場所の云われも詳しく解説されている。
Oさんは、山門で一礼して先に出発していった。改めて写真をみると、きっちりとお辞儀をしているなあ。
長尾寺でも一人っきりになってしまったが、その後一人二人と地元の方がお参りにきていた。
この(87)長尾寺は、「定年からは同行二人」の小林淳宏さんが、どこの宿にも泊まれずに、野宿をしたお寺である。裏の墓場だったのだが、その場所を見に行くのを忘れてしまっていた。
翌日、與田寺で満願した後、車でこの寺に戻ってきて探索することになった。
この辺りは、人の名前のような、造田是広という集落名のようだ。
ここから、遍路道を外れて広瀬橋を渡り、県道3号線を進むことにした。銀行(信用金庫)でお金を下ろしたかったからである。
こちらの道の方が大通りで、銀行がありそうな感じがしたのだが、結局は見つからなかった。
(87)長尾寺は、旧長尾町の街中にあるお寺である。ちょうど、栄荘で一緒だった、松山のOさんが参拝を終えた所だった。
遍路道沿いに看板が多かったと話していたが、この先も真新しい看板が多く、遍路道の案内板や、史跡があればその場所の云われも詳しく解説されている。
Oさんは、山門で一礼して先に出発していった。改めて写真をみると、きっちりとお辞儀をしているなあ。
長尾寺でも一人っきりになってしまったが、その後一人二人と地元の方がお参りにきていた。
この(87)長尾寺は、「定年からは同行二人」の小林淳宏さんが、どこの宿にも泊まれずに、野宿をしたお寺である。裏の墓場だったのだが、その場所を見に行くのを忘れてしまっていた。
翌日、與田寺で満願した後、車でこの寺に戻ってきて探索することになった。
2014年09月06日
【414】歩き遍路46日目〈その1〉[2012年6月27日]
いよいよ結願の日である。
栄荘での朝食の時間を忘れてしまった。ゆっくり朝食を食べて、出発したのが7時だったので、おそらく6時からだったのでは。
宿の女将さんに、写真を撮ってもらい、お接待でおむすびや果物、お茶を頂いた。ありがとうございます。
宿を出て、旧志度町内を真っ直ぐ進み、(86)志度寺に到着した。
お寺の境内は広く、悪いという訳ではないが、あまり整備されていないというか、荒れた印象である。注意書きの多いお寺に比べれば、却って、気軽にお参り出来そうな雰囲気である。納経所は広く、きれいだった。
朝早いこともあり、一人っきりでの参拝となった。
朝の通学・通勤時間帯の志度町内を歩く。少々、気が引ける。
両側に山が迫ってくる。遍路地図では緑色となっているので山がある印象は無いが、低い山の間を通る。
左手に、歩き遍路の名所になりつつあるような、「オレンジタウン」の文字が山の斜面に見えてきた。
オレンジタウンを通り、県道3号線から旧道らしき道に入る。自販機のある休憩所を探しながら歩いているが、なかなか発見出来ない。
玉泉寺を過ぎ、宮西という所の交差点の空き地の一角に自販機があったので、そこで腰を下ろして休ませてもらうことにした。
栄荘での朝食の時間を忘れてしまった。ゆっくり朝食を食べて、出発したのが7時だったので、おそらく6時からだったのでは。
宿の女将さんに、写真を撮ってもらい、お接待でおむすびや果物、お茶を頂いた。ありがとうございます。
宿を出て、旧志度町内を真っ直ぐ進み、(86)志度寺に到着した。
お寺の境内は広く、悪いという訳ではないが、あまり整備されていないというか、荒れた印象である。注意書きの多いお寺に比べれば、却って、気軽にお参り出来そうな雰囲気である。納経所は広く、きれいだった。
朝早いこともあり、一人っきりでの参拝となった。
朝の通学・通勤時間帯の志度町内を歩く。少々、気が引ける。
両側に山が迫ってくる。遍路地図では緑色となっているので山がある印象は無いが、低い山の間を通る。
左手に、歩き遍路の名所になりつつあるような、「オレンジタウン」の文字が山の斜面に見えてきた。
オレンジタウンを通り、県道3号線から旧道らしき道に入る。自販機のある休憩所を探しながら歩いているが、なかなか発見出来ない。
玉泉寺を過ぎ、宮西という所の交差点の空き地の一角に自販機があったので、そこで腰を下ろして休ませてもらうことにした。
2014年09月03日
【413】歩き遍路45日目〈その12〉[2012年6月26日]
さぬき市へと入り、JR志度駅前で左折し旧道へと戻る。
旧志度町は平賀源内の故郷のようで、それにちなんだ看板が多くあった。平賀源内とは、発明家、時には文芸家、大山師と、多彩な才能を持っていたようである。
18時近くになってようやく、本日の宿「栄荘」に到着した。食事が豪華と聞いて、ここを選んだ。
宿内は、木造で迷路のようになっており、部屋もたくさんあり、少々歴史を感じさせる造りとなっていた。部屋は一番奥の控えの間付きで、一番良い部屋を宛がってくれたのだろうか。ただ、入口の廊下の床が、踏むたびにギー、と大きな音を立てるので、出入りする度に隣室のお遍路さんにはうるさく聞こえていただろう。
お風呂はやや広めで、二人なら同時に入れそうだった。
夕食は、もう一人泊まっていた隣室のお遍路さんと、広い広間で食べることになった。愛媛県松山市のOさんという60才の方で、通し打ちとの事である。遍路話をしながらの食事となった。評判通り、美味しく頂いた。
栄荘:一泊二食 6500円 〈210号室〉
※洗濯機無料・乾燥機1時間200円、シーツ・お茶あり、宿近くに自販機あり
宿泊客:歩き遍路2人
本日のコースタイム
パレス高松6:33→JR高松駅→JR鬼無駅6:55→8:40(83)一宮寺9:58→13:19(84)屋島寺14:12→15:00洲崎寺15:06→15:55(85)八栗寺16:28→17:42栄荘
歩行距離:31.9km
歩数 :55469歩
最高気温:27.9℃
最低気温:20.9℃[高松市]
旧志度町は平賀源内の故郷のようで、それにちなんだ看板が多くあった。平賀源内とは、発明家、時には文芸家、大山師と、多彩な才能を持っていたようである。
18時近くになってようやく、本日の宿「栄荘」に到着した。食事が豪華と聞いて、ここを選んだ。
宿内は、木造で迷路のようになっており、部屋もたくさんあり、少々歴史を感じさせる造りとなっていた。部屋は一番奥の控えの間付きで、一番良い部屋を宛がってくれたのだろうか。ただ、入口の廊下の床が、踏むたびにギー、と大きな音を立てるので、出入りする度に隣室のお遍路さんにはうるさく聞こえていただろう。
お風呂はやや広めで、二人なら同時に入れそうだった。
夕食は、もう一人泊まっていた隣室のお遍路さんと、広い広間で食べることになった。愛媛県松山市のOさんという60才の方で、通し打ちとの事である。遍路話をしながらの食事となった。評判通り、美味しく頂いた。
栄荘:一泊二食 6500円 〈210号室〉
※洗濯機無料・乾燥機1時間200円、シーツ・お茶あり、宿近くに自販機あり
宿泊客:歩き遍路2人
本日のコースタイム
パレス高松6:33→JR高松駅→JR鬼無駅6:55→8:40(83)一宮寺9:58→13:19(84)屋島寺14:12→15:00洲崎寺15:06→15:55(85)八栗寺16:28→17:42栄荘
歩行距離:31.9km
歩数 :55469歩
最高気温:27.9℃
最低気温:20.9℃[高松市]
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