2013年02月27日
【212】歩き遍路26日目〈その3〉[2012年4月15日]
柏坂へんろ道を進む。ほどなく、川崎のOさんに追い付いた。
これで会うのは最後になるかも知れないから、と仮のお別れの言葉を頂いた。
これまで、ずっと一緒だったOさんたちは旧津島町の宿に泊まるが、自分はさらに15㎞先の宇和島市内の宿に宿泊予定である。明後日には帰宅予定だったから、今日でお別れとなるだろう。
結局は、峠を越えてからもう一度会うことが出来、これが最後の出会いとなった。
Oさんを追い越し、先発しているだろう人たちを追いかけた。遍路の楽しみの一つに、山道でのごぼう抜きもある。夫婦1組、女性1人が前を歩いており、お先に、と登り続けた。一度、車道に合流するが再び歩きの道となる。
上り坂が終わり、道はゆるやかとなった。左下へと下って行く清水大師への分岐があるが、下るという事はまた上らなければならないのか、と思うと、ついついパスしてしまった。
ここで脇道から、清水大師に立ち寄ったという、同宿した関西の夫婦が現れた。水が湧いている場所、というわけではなかった、との事。
その先に、水準点460.1mの看板があった。この辺りが頂上だろうか。
ご夫婦は自分の後を歩いているが、かなり速い歩きのペースである。追い立てられるように歩いていると、パッと視界が開け、つわな奥展望台に到着した。
今日は天気も良く、眼下の海をきれいに見渡すことが出来た。ベンチ代わりの丸太や切り株があるので、ここで弁当を食べてゆっくりしていくことにした。
これで会うのは最後になるかも知れないから、と仮のお別れの言葉を頂いた。
これまで、ずっと一緒だったOさんたちは旧津島町の宿に泊まるが、自分はさらに15㎞先の宇和島市内の宿に宿泊予定である。明後日には帰宅予定だったから、今日でお別れとなるだろう。
結局は、峠を越えてからもう一度会うことが出来、これが最後の出会いとなった。
Oさんを追い越し、先発しているだろう人たちを追いかけた。遍路の楽しみの一つに、山道でのごぼう抜きもある。夫婦1組、女性1人が前を歩いており、お先に、と登り続けた。一度、車道に合流するが再び歩きの道となる。
上り坂が終わり、道はゆるやかとなった。左下へと下って行く清水大師への分岐があるが、下るという事はまた上らなければならないのか、と思うと、ついついパスしてしまった。
ここで脇道から、清水大師に立ち寄ったという、同宿した関西の夫婦が現れた。水が湧いている場所、というわけではなかった、との事。
その先に、水準点460.1mの看板があった。この辺りが頂上だろうか。
ご夫婦は自分の後を歩いているが、かなり速い歩きのペースである。追い立てられるように歩いていると、パッと視界が開け、つわな奥展望台に到着した。
今日は天気も良く、眼下の海をきれいに見渡すことが出来た。ベンチ代わりの丸太や切り株があるので、ここで弁当を食べてゆっくりしていくことにした。
2013年02月24日
【211】歩き遍路26日目〈その2〉[2012年4月15日]
室手海岸を左に眺めながら、峠を下りきる。
「旭屋」さん横の自販機に到着、「民宿磯屋」に泊まっていた川崎のOさんも続いて、軽装でやって来た。
荷物は、宿の方が今日の宿「三好旅館」まで運んでくれるそうで、とても助かる、と話していた。
「旭屋」さんには、一巡目の時(2008年9月)に宿泊している。
同宿していたのは、少し年下の青年と50代くらいの男性で、会話が弾んで楽しい夕食だった。宇和島に向けて、相前後しながら歩いたことを思い出す。
これからの山越えに備えて、アクエリアスやコーヒーを購入する。Oさんには先に進んでもらい、山越えに備えて衣服の調整をした。
今回、一巡目にも歩いた、柏坂を通る山越えの遍路道を行くか、海沿いの国道を進むかでかなり迷ったが、結局は山越えの道を辿ることに決めた。
「旭屋」さんすぐ側に交番があったのだが、外から出入り出来る自由に使えるトイレがあったので、利用させてもらった。
国道を横断して、集落内の川沿いの道を歩き、いよいよ柏坂へんろ道の登り口にやって来た。
へんろ地図では、標高470mとなっている。0から470まで登り切るのは大変だろう。今回も、休憩せずに頂上まで歩き続けることが目標である。
「旭屋」さん横の自販機に到着、「民宿磯屋」に泊まっていた川崎のOさんも続いて、軽装でやって来た。
荷物は、宿の方が今日の宿「三好旅館」まで運んでくれるそうで、とても助かる、と話していた。
「旭屋」さんには、一巡目の時(2008年9月)に宿泊している。
同宿していたのは、少し年下の青年と50代くらいの男性で、会話が弾んで楽しい夕食だった。宇和島に向けて、相前後しながら歩いたことを思い出す。
これからの山越えに備えて、アクエリアスやコーヒーを購入する。Oさんには先に進んでもらい、山越えに備えて衣服の調整をした。
今回、一巡目にも歩いた、柏坂を通る山越えの遍路道を行くか、海沿いの国道を進むかでかなり迷ったが、結局は山越えの道を辿ることに決めた。
「旭屋」さんすぐ側に交番があったのだが、外から出入り出来る自由に使えるトイレがあったので、利用させてもらった。
国道を横断して、集落内の川沿いの道を歩き、いよいよ柏坂へんろ道の登り口にやって来た。
へんろ地図では、標高470mとなっている。0から470まで登り切るのは大変だろう。今回も、休憩せずに頂上まで歩き続けることが目標である。
2013年02月22日
【210】歩き遍路26日目〈その1〉[2012年4月15日]
朝食を摂り、昼のおむすびを受け取る。ここ数日、何度も顔を合わせていた愛媛のSさんとは、今日もどこかで会えると思っていたのだが、結果的にこの朝食が最後の出会いとなった。
出発準備をし玄関へ。ご主人と少し話をし、名刺を頂き、お見送りしてくれた。
旧御荘町の市街地を抜け、国道56号線を歩く。日曜日の早朝とあって、通る車は少ない。この辺りは大陸的というか、何か広々とした感じがする。
昔の地図を見ると、ここから湾を横断し、対岸に向かうロープウェイがあったようである。
標高は高くないが、峠に向かってゆるやかで単調な上り道が続く。前方に一人、ずっと前にも一人のお遍路さんが歩いているが、まあまあのペースで歩いているので追いつけない。
峠付近に自販機があったので、缶コーヒーを購入。休憩場所を探しながら歩く。良い場所が見つからなかったが、路側帯の隅っこに座り込んで休むことにした。宿で作ってもらったおむすびも一個食べる。海を眺めながらの休憩である。
休んでいると、同宿した関西のご夫婦がやって来て、追い越していった。
休憩を終えて歩き出すと、後ろからも一人のお遍路さんが歩いていた。
「民宿ビーチ」の前を通過し、海を見ながら下っていく。後ろを歩いているのは、どうやら川崎のOさんのようである。昨日、(39)延光寺への道ですれ違って以来である。
出発準備をし玄関へ。ご主人と少し話をし、名刺を頂き、お見送りしてくれた。
旧御荘町の市街地を抜け、国道56号線を歩く。日曜日の早朝とあって、通る車は少ない。この辺りは大陸的というか、何か広々とした感じがする。
昔の地図を見ると、ここから湾を横断し、対岸に向かうロープウェイがあったようである。
標高は高くないが、峠に向かってゆるやかで単調な上り道が続く。前方に一人、ずっと前にも一人のお遍路さんが歩いているが、まあまあのペースで歩いているので追いつけない。
峠付近に自販機があったので、缶コーヒーを購入。休憩場所を探しながら歩く。良い場所が見つからなかったが、路側帯の隅っこに座り込んで休むことにした。宿で作ってもらったおむすびも一個食べる。海を眺めながらの休憩である。
休んでいると、同宿した関西のご夫婦がやって来て、追い越していった。
休憩を終えて歩き出すと、後ろからも一人のお遍路さんが歩いていた。
「民宿ビーチ」の前を通過し、海を見ながら下っていく。後ろを歩いているのは、どうやら川崎のOさんのようである。昨日、(39)延光寺への道ですれ違って以来である。
2013年02月20日
【209】歩き遍路25日目〈11〉[2012年4月14日]
食事の時間となり、一階の食堂に向かう。
今日のお客さんは、7~8人くらいの団体客、そして歩き遍路は愛媛のSさん、旦那さんが71才という関西のご夫婦、(40)観自在寺でも見かけた50代くらいの男性だった。
団体さんを案内していたのはわりと若い方に見えたが、お遍路さんを案内する職に就いてみたい、という思いも結構ある。
明後日で今回の遍路旅は終了の予定である(結局は1日の中断を挟んでさらに1週間続く)。
明日は宇和島まで歩くので、これでSさんともお別れとなるだろう。久し振りにSさんと同じくビールを飲むことにした。ただ、1本700円と高くついてしまった。
酒が入り、話しも盛り上がり、楽しい夕食となった。Sさんと関西の夫婦は同じ日に一番から歩き始めたそうで、久し振りの再会、との事だった。
この関西のご夫婦とは、約10日後に伊予西条駅でばったり再会し、今回の遍路旅で最後に出会うお遍路さんとなるのである。
宿泊名簿に記入をするが、明日のおむすびの注文欄があったので(1個100円)、3個注文した。
岩松地区(旧津島町)への宿に荷物を1000円で運びます、とも書かれていた。
お開きとなり二階の部屋に戻る。
トイレが一階の一番奥とかなり遠く、少々不便であった。
山代屋旅館:一泊二食 6800円 部屋‥ 「ろ」の間
※お茶・浴衣あり。洗面あり。自販機は少し先にあり。朝食は6時30分から。
洗濯機は無料・乾燥機200円
宿泊客:歩き遍路3人+夫婦1組、団体客7~8人
今日のお客さんは、7~8人くらいの団体客、そして歩き遍路は愛媛のSさん、旦那さんが71才という関西のご夫婦、(40)観自在寺でも見かけた50代くらいの男性だった。
団体さんを案内していたのはわりと若い方に見えたが、お遍路さんを案内する職に就いてみたい、という思いも結構ある。
明後日で今回の遍路旅は終了の予定である(結局は1日の中断を挟んでさらに1週間続く)。
明日は宇和島まで歩くので、これでSさんともお別れとなるだろう。久し振りにSさんと同じくビールを飲むことにした。ただ、1本700円と高くついてしまった。
酒が入り、話しも盛り上がり、楽しい夕食となった。Sさんと関西の夫婦は同じ日に一番から歩き始めたそうで、久し振りの再会、との事だった。
この関西のご夫婦とは、約10日後に伊予西条駅でばったり再会し、今回の遍路旅で最後に出会うお遍路さんとなるのである。
宿泊名簿に記入をするが、明日のおむすびの注文欄があったので(1個100円)、3個注文した。
岩松地区(旧津島町)への宿に荷物を1000円で運びます、とも書かれていた。
お開きとなり二階の部屋に戻る。
トイレが一階の一番奥とかなり遠く、少々不便であった。
山代屋旅館:一泊二食 6800円 部屋‥ 「ろ」の間
※お茶・浴衣あり。洗面あり。自販機は少し先にあり。朝食は6時30分から。
洗濯機は無料・乾燥機200円
宿泊客:歩き遍路3人+夫婦1組、団体客7~8人
2013年02月18日
【208】歩き遍路25日目〈10〉[2012年4月14日]
(40)観自在寺の参拝を終え、近くの山代屋旅館に投宿した。
建物は古く、遍路宿に時折見られる、一階の真ん中が宿の方のスペースで、客室は二階、食堂などは一階の奥にあり、上がったり下りたりしなければならない形だった。
部屋に入り、まずは明日の宿の予約をする。この先の宿は25㎞先の津島か40㎞先の宇和島となる。
津島地区の「大畑・三好・よしのや旅館」に連絡するが、三軒とも満員でお断りされた。今まで、前日・当日の電話で、ほぼ順調に予約が取れていたのだが。
お風呂の声が掛かり浴室へ向かうと、愛媛のSさんも入浴していた。一緒に風呂に入りながら、宿を断られた話をすると、Sさんも何軒か断られたが「新橋旅館」に予約が取れたそうである。
入浴後に最後の一軒、「新橋旅館」に連絡してみるが、ここもいっぱいとの事だった。
もう一軒、ビジネスホテルもあったのだが、ホテルに泊まるのなら宇和島まで行こう、という事で頑張って歩くことにした。40㎞は歩けない距離ではない。
確か、お遍路プランがあるはずの「宇和島リージェントホテル」に何度か電話するが出ないので、一巡目に泊まった「宇和島オリエンタルホテル」に連絡して、予約を取ることが出来た。
宿が決まると、安心して落ち着いて歩くことが出来る。宿が決まっていないと、今日はどこまで行こうか、どこに泊まろうか、と歩いていてもそのことで頭がいっぱいになってしまうのである。
本日のコースタイム
米屋旅館7:02→8:09(39)延光寺→10:00米屋旅館→喫茶店マミむ10:34→12:10松尾峠12:10→16:42(40)観自在寺17:09→17:16山代屋旅館
歩行距離:32.5km
歩数 :48472歩
最高気温:20.7℃
最低気温:10.9℃[宿毛市]
建物は古く、遍路宿に時折見られる、一階の真ん中が宿の方のスペースで、客室は二階、食堂などは一階の奥にあり、上がったり下りたりしなければならない形だった。
部屋に入り、まずは明日の宿の予約をする。この先の宿は25㎞先の津島か40㎞先の宇和島となる。
津島地区の「大畑・三好・よしのや旅館」に連絡するが、三軒とも満員でお断りされた。今まで、前日・当日の電話で、ほぼ順調に予約が取れていたのだが。
お風呂の声が掛かり浴室へ向かうと、愛媛のSさんも入浴していた。一緒に風呂に入りながら、宿を断られた話をすると、Sさんも何軒か断られたが「新橋旅館」に予約が取れたそうである。
入浴後に最後の一軒、「新橋旅館」に連絡してみるが、ここもいっぱいとの事だった。
もう一軒、ビジネスホテルもあったのだが、ホテルに泊まるのなら宇和島まで行こう、という事で頑張って歩くことにした。40㎞は歩けない距離ではない。
確か、お遍路プランがあるはずの「宇和島リージェントホテル」に何度か電話するが出ないので、一巡目に泊まった「宇和島オリエンタルホテル」に連絡して、予約を取ることが出来た。
宿が決まると、安心して落ち着いて歩くことが出来る。宿が決まっていないと、今日はどこまで行こうか、どこに泊まろうか、と歩いていてもそのことで頭がいっぱいになってしまうのである。
本日のコースタイム
米屋旅館7:02→8:09(39)延光寺→10:00米屋旅館→喫茶店マミむ10:34→12:10松尾峠12:10→16:42(40)観自在寺17:09→17:16山代屋旅館
歩行距離:32.5km
歩数 :48472歩
最高気温:20.7℃
最低気温:10.9℃[宿毛市]
2013年02月16日
【207】歩き遍路25日目〈その9〉[2012年4月14日]
そのまま僧都川沿いのサイクリングロードのような道を歩いていけば、安全に(40)観自在寺へ到着出来るのだが、このルートは一巡目に歩いているし、おそらく近年までの遍路道は、城辺や御荘の街中を歩いていく道だったに違いないので、今回はこちらの道を歩いてみることにした。
旧城辺町を抜け、橋を渡り旧御荘町へと入っていった。袂には大型スーパーとバス停があり、バス待ちの学生があいさつをしてくれる。
旧城辺町と旧御荘町は川を挟んで一続きのような街であり、ずっと商店街を歩く感じだった。
四国の一番端っこの町ではあるが、意外と人の気配に満ち、活気がある印象だ。
道路は歩道が無い区間も長く、車もそこそこ通るので、少々歩きにくい道ではあった。
県道を右折し、門前街らしき道を通り、午後4時40分過ぎには(40)観自在寺に到着した。
(1)霊山寺から最も遠くにあることから、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれているそうである。
丁度、愛媛のSさんが誰かと話しながら石段を降りて来た。
一本松で姿が消えてしまったことを聞かれ、ローソンに立ち寄り、昼食としていたことを話す。宿毛で喫茶店に立ち寄ったのでは、と突っ込みが入ったが、一日四食ペースなので、二回目の昼食だった。
Sさんとは、「山代屋旅館」で今日も同宿である。
旧城辺町を抜け、橋を渡り旧御荘町へと入っていった。袂には大型スーパーとバス停があり、バス待ちの学生があいさつをしてくれる。
旧城辺町と旧御荘町は川を挟んで一続きのような街であり、ずっと商店街を歩く感じだった。
四国の一番端っこの町ではあるが、意外と人の気配に満ち、活気がある印象だ。
道路は歩道が無い区間も長く、車もそこそこ通るので、少々歩きにくい道ではあった。
県道を右折し、門前街らしき道を通り、午後4時40分過ぎには(40)観自在寺に到着した。
(1)霊山寺から最も遠くにあることから、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれているそうである。
丁度、愛媛のSさんが誰かと話しながら石段を降りて来た。
一本松で姿が消えてしまったことを聞かれ、ローソンに立ち寄り、昼食としていたことを話す。宿毛で喫茶店に立ち寄ったのでは、と突っ込みが入ったが、一日四食ペースなので、二回目の昼食だった。
Sさんとは、「山代屋旅館」で今日も同宿である。
2013年02月14日
【206】歩き遍路25日目〈その8〉[2012年4月14日]
上大道の休憩所を出る。少し行くと、少々古くなった別の休憩所もあった。遍路に優しい土地柄なのだろう。
この辺りの道もへんろ地図とは少々違うような気がしたが、道しるべ通りに進んでいけば大丈夫だった。
平野部に降りてきて、豊田という集落に入った。歴史を感じさせる家並みが見られる。
この集落にある「岡本旅館」に宿泊の電話をしたのだが、満員との事で、今日は(40)観自在寺門前の山代屋旅館に宿を取った。
到着が遅れるかと思ったが、今のペースだと、(40)観自在寺の納経にも間に合いそうである。今朝、(39)延光寺への往復で頑張ったのが良かったのだろう。
僧都川沿いに、トイレと自販機があったので、側の倉庫の軒先に座って休憩をした。
休んでいると、地元の80才くらいのおじいさんが通りかかり、話し掛けてきた。
昔、大西洋へマグロ延縄漁に行っていたとの事。
その時に、海に転落して亡くなる人たちもいたようで、年を取る毎に、その人たちの供養をしたい気持ちが年々強くなっていく、ヒザが痛いので歩いては回れないが、車で四国八十八箇所を回ることを考えている、という話だった。
日本から遠く離れた大西洋の海で命を落とした人たちがいたことに、何とも言えない気持ちになった。
この辺りの道もへんろ地図とは少々違うような気がしたが、道しるべ通りに進んでいけば大丈夫だった。
平野部に降りてきて、豊田という集落に入った。歴史を感じさせる家並みが見られる。
この集落にある「岡本旅館」に宿泊の電話をしたのだが、満員との事で、今日は(40)観自在寺門前の山代屋旅館に宿を取った。
到着が遅れるかと思ったが、今のペースだと、(40)観自在寺の納経にも間に合いそうである。今朝、(39)延光寺への往復で頑張ったのが良かったのだろう。
僧都川沿いに、トイレと自販機があったので、側の倉庫の軒先に座って休憩をした。
休んでいると、地元の80才くらいのおじいさんが通りかかり、話し掛けてきた。
昔、大西洋へマグロ延縄漁に行っていたとの事。
その時に、海に転落して亡くなる人たちもいたようで、年を取る毎に、その人たちの供養をしたい気持ちが年々強くなっていく、ヒザが痛いので歩いては回れないが、車で四国八十八箇所を回ることを考えている、という話だった。
日本から遠く離れた大西洋の海で命を落とした人たちがいたことに、何とも言えない気持ちになった。
タグ :歩き遍路
2013年02月11日
【205】歩き遍路25日目〈その7〉[2012年4月14日]
一本松のローソンを出発、写真の道へと入る。道路の拡張が徐々に進んでいる。
少し微熱が出てきたようで、時折、生あくびが出る。歩くには影響ない程度だが、お遍路中に調子が悪くなったのは初めてかも知れない。
この辺りは上大道地区と言うのだろうか、へんろ地図のルートとは違う遍路道への案内標識がたくさんある。旧赤坂街道と呼ぶそうだ。一巡目に続き、今回もこのルートを歩いてみることにした。
森の中に入ったり車道に出たりする。集落のある開けた場所に出ると、へんろ地図には掲載されていないが、きれいなトイレ・水場のある休憩所に到着した。
この休憩所には遍路ノートがあるのだが、書き込みに対して、地元の方が丁寧にコメントをつけてくれている。
前回、2008年の9月にここの休憩所に立ち寄り、書き込みをした。過去のノートも置いてあり、調べてみると、自分の書き込みにもコメントが書かれていた。反応があることはとてもうれしいものである。
今回も勿論、書き込みをしてきた。次回の訪問が楽しみである。
少し微熱が出てきたようで、時折、生あくびが出る。歩くには影響ない程度だが、お遍路中に調子が悪くなったのは初めてかも知れない。
この辺りは上大道地区と言うのだろうか、へんろ地図のルートとは違う遍路道への案内標識がたくさんある。旧赤坂街道と呼ぶそうだ。一巡目に続き、今回もこのルートを歩いてみることにした。
森の中に入ったり車道に出たりする。集落のある開けた場所に出ると、へんろ地図には掲載されていないが、きれいなトイレ・水場のある休憩所に到着した。
この休憩所には遍路ノートがあるのだが、書き込みに対して、地元の方が丁寧にコメントをつけてくれている。
前回、2008年の9月にここの休憩所に立ち寄り、書き込みをした。過去のノートも置いてあり、調べてみると、自分の書き込みにもコメントが書かれていた。反応があることはとてもうれしいものである。
今回も勿論、書き込みをしてきた。次回の訪問が楽しみである。
2013年02月08日
【204】歩き遍路25日目〈その6〉[2012年4月14日]
松尾峠からは、緩やかな下り道が続く。地道からコンクリートの道に変わる。里に下りてきたようだ。
途中には四国の道の道しるべもある。遍路シールとは違う方向を指していることもあるのだが、どちらを歩いても結局は合流するようである。
逆打ちの方とすれ違ったので、次の休憩場所の目途にしているトイレのことを聞くが、そういう場所は無かった、と言う。おかしいな、と思いつつも歩いていると、間もなく目的のトイレにたどり着いた。
地図を見ていると、どうやらこの場所は、へんろ地図の赤い点線沿いではないようである。
すぐに遍路道に合流するが、道中の道しるべ通りに歩いていると、この場所に誘導されるようになっている。
逆打ちの方は、赤い点線沿いを歩いて来たのだろう。
ここで20分ほど休憩し、出発しようとすると、愛媛のSさんが追い付いてきた。もっと引き離したかと思ったが、意外と早くに追い付かれてしまった。
ここからしばらくは相前後しながら歩くことになった。
一本松地区を通り抜けると、国道56号線にぶつかった。
国道を渡り、角にあるローソンで昼食とした。スパゲッティと缶コーヒーを買い、店の駐車場の奥まった場所に座り込んで食べることにした。一日4食ペースなので、昼食の第二弾ということになるだろうか。
前を歩いていた愛媛のSさんに、また置いていかれることになった。
途中には四国の道の道しるべもある。遍路シールとは違う方向を指していることもあるのだが、どちらを歩いても結局は合流するようである。
逆打ちの方とすれ違ったので、次の休憩場所の目途にしているトイレのことを聞くが、そういう場所は無かった、と言う。おかしいな、と思いつつも歩いていると、間もなく目的のトイレにたどり着いた。
地図を見ていると、どうやらこの場所は、へんろ地図の赤い点線沿いではないようである。
すぐに遍路道に合流するが、道中の道しるべ通りに歩いていると、この場所に誘導されるようになっている。
逆打ちの方は、赤い点線沿いを歩いて来たのだろう。
ここで20分ほど休憩し、出発しようとすると、愛媛のSさんが追い付いてきた。もっと引き離したかと思ったが、意外と早くに追い付かれてしまった。
ここからしばらくは相前後しながら歩くことになった。
一本松地区を通り抜けると、国道56号線にぶつかった。
国道を渡り、角にあるローソンで昼食とした。スパゲッティと缶コーヒーを買い、店の駐車場の奥まった場所に座り込んで食べることにした。一日4食ペースなので、昼食の第二弾ということになるだろうか。
前を歩いていた愛媛のSさんに、また置いていかれることになった。
2013年02月05日
【203】歩き遍路25日目〈その5〉[2012年4月14日]
しばらく愛媛のSさんと一緒に歩いたが、松尾峠への登り口で、後で追いつきますから、と先に行ってもらい小休憩をした。
山道は少々自信があるので、その内追いつくだろう。ここで衣服の調整を行う。汗かきなので、山道に差し掛かる時には、出来るだけ薄着になって登るようにしている。
この松尾峠を前回歩いたのは、2008年の9月である。気温は30℃以上あっただろう、なんときつい山道だ、と思ったものである。
しかし、今回は4月、外気温によってやはり全然違う。もちろんきつい山道なのだが、悲鳴をあげるほどではない。順調に上り続ける。
愛媛のSさんにも追い付き、一気に追い越して、正午過ぎ、松尾峠に到着した。
ここからは伊予の国、愛媛県となる。
ちなみに、宇和島市の手前にも同じく「松尾峠」があり、少々ややこしい。
まだ力が残っていたので、峠の解説版をサッと読んだり撮影してから、そのまま峠を下った。
松尾峠には、一日に200人の人たちが通り、茶屋が2軒あった時代が、約80年前まで続いていたそうである。
峠を下った先に、きれいなトイレがある休憩地点があるはずだから、そこを目標にして歩き続けた。
山道は少々自信があるので、その内追いつくだろう。ここで衣服の調整を行う。汗かきなので、山道に差し掛かる時には、出来るだけ薄着になって登るようにしている。
この松尾峠を前回歩いたのは、2008年の9月である。気温は30℃以上あっただろう、なんときつい山道だ、と思ったものである。
しかし、今回は4月、外気温によってやはり全然違う。もちろんきつい山道なのだが、悲鳴をあげるほどではない。順調に上り続ける。
愛媛のSさんにも追い付き、一気に追い越して、正午過ぎ、松尾峠に到着した。
ここからは伊予の国、愛媛県となる。
ちなみに、宇和島市の手前にも同じく「松尾峠」があり、少々ややこしい。
まだ力が残っていたので、峠の解説版をサッと読んだり撮影してから、そのまま峠を下った。
松尾峠には、一日に200人の人たちが通り、茶屋が2軒あった時代が、約80年前まで続いていたそうである。
峠を下った先に、きれいなトイレがある休憩地点があるはずだから、そこを目標にして歩き続けた。
2013年02月02日
【202】歩き遍路25日目〈その4〉[2012年4月14日]
宿毛市内では、一巡目に通ったことがある遍路道ではなく、一本北側の道を歩いてみた。
モーニングがある喫茶店でも無いかなーと探していると、上手い具合に「マミむ」という喫茶店があった。
オールディ・モーニングと書いてあり、午後4時までやっているようだ。
少々勇気を出して、入ってみることにした。
店内に入ると、突然現れたお遍路さんに、ヒャーッという感じだった。ここは遍路道沿いではないので、お遍路さんが来ることは無いのだろう。500円のセットを頼んだ。
店員の高校生ぐらいのおねえちゃんは興味津々な様子で、何日目ですか?と質問が。なかなか感じの良い子だった。午前中の腹ごしらえを終え、出発した。
宿毛市街を抜けると、遍路道は何度も丘を登っては平地に降りるを繰り返すはず。
ここも一度通ったことがあるので、今回は県道7号線を通ってから北上し、遍路道に合流するルートを歩いてみた。田舎道ではないのだが、牛の姿も見られた。
分岐には、たまに見かける、文字が消えてしまった緑のテープが残っていた。こちらを歩く人もいるのだろう。
へんろ地図で10.6kと書かれた大深浦の辺りで、通常の遍路道と合流するが、ずっと先に進んでいると思っていた愛媛のSさんが、ちょうど歩いてくるのが見えた。「おーい」と声を掛けると気付いてくれた。
宿毛市街からの、上ったり下りたりの道が最高に良かった、由岐の俳句の小径に匹敵するぐらいだ、というような話をしていた。
自分が以前通った時には、峠に向かうかと思えば平地に戻ったりを繰り返し、少々うんざりだったので、人によってこうも感じ方が違ってくるものなのか、と思った。
モーニングがある喫茶店でも無いかなーと探していると、上手い具合に「マミむ」という喫茶店があった。
オールディ・モーニングと書いてあり、午後4時までやっているようだ。
少々勇気を出して、入ってみることにした。
店内に入ると、突然現れたお遍路さんに、ヒャーッという感じだった。ここは遍路道沿いではないので、お遍路さんが来ることは無いのだろう。500円のセットを頼んだ。
店員の高校生ぐらいのおねえちゃんは興味津々な様子で、何日目ですか?と質問が。なかなか感じの良い子だった。午前中の腹ごしらえを終え、出発した。
宿毛市街を抜けると、遍路道は何度も丘を登っては平地に降りるを繰り返すはず。
ここも一度通ったことがあるので、今回は県道7号線を通ってから北上し、遍路道に合流するルートを歩いてみた。田舎道ではないのだが、牛の姿も見られた。
分岐には、たまに見かける、文字が消えてしまった緑のテープが残っていた。こちらを歩く人もいるのだろう。
へんろ地図で10.6kと書かれた大深浦の辺りで、通常の遍路道と合流するが、ずっと先に進んでいると思っていた愛媛のSさんが、ちょうど歩いてくるのが見えた。「おーい」と声を掛けると気付いてくれた。
宿毛市街からの、上ったり下りたりの道が最高に良かった、由岐の俳句の小径に匹敵するぐらいだ、というような話をしていた。
自分が以前通った時には、峠に向かうかと思えば平地に戻ったりを繰り返し、少々うんざりだったので、人によってこうも感じ方が違ってくるものなのか、と思った。