2021年08月29日
【3巡目-668】 66番雲辺寺、「民宿青空屋」へ [2019年8月5日]〈その11〉
[16]萩原寺への分岐を過ぎると、一巡目の時以来、10年振りの道となる。
延々と下りが続いて辛かった記憶が残っている。今回も歩いて下り続けるのがきつくなって、たまに小走りで降りることもあった。
東海図版の「四国遍路地図」によると、本来の遍路道は今下っている道の途中から左方面に入り、廃道になったことになっている。
「享保期の丁石が山中に埋もれたままの旧遍路道」となっており、興味をそそる。せめて、その分岐だけでも確認しておこうと考えていた。
丁石が残っている山道を下って行く。ほぼ順番に登場してくるから、ほとんど残っているような印象だった。
ところが、どこか途中から、全く丁石が見られなくなってしまった。
きっと、いつの間にか昔からの遍路道の分岐を通過してしまったのだろう。
(66)雲辺寺から1時間40分も歩き続けて、ようやく麓の車道に合流した。
「旧へんろ道」の文字がかすかに残る木製の看板があるが、もう何を指しているのか分からなくなっていた。
おそらく、通常右方向に進むのだが、左方向に進むと、先程探していた昔の遍路道が部分的に復元されていて歩けるのではないかと思う。
タグ :歩き遍路東海図版四国遍路地図
2021年08月26日
【3巡目-667】 66番雲辺寺 [2019年8月5日]〈その10〉
(66)雲辺寺を出立する。
道は、ロープウェイ方面と(67)大興寺への遍路道の二岐になっており、ロープウェイ駅の方へ行ってみた。
駅からの眺めが素晴らしく、麓の讃岐平野や瀬戸大橋まで見えていた。これまでの二度の訪問では悪天候だったため、こんなに眺めが良いとは思いもしなかった。
駅の温度計は、25℃を表示していた。下界よりもかなり温度は低いようである。
結局、(66)雲辺寺では、1時間半以上も滞在してしまった。
ロープウェイ駅から遍路道に入れるかなあ、と思っていたが道は無く、先程の分岐へと戻り、遍路道へと入る。
途中の五百羅漢は相変わらず壮観である。
様々な表情の羅漢を眺めながら簡易舗装の道を進むと、歩きの道への分岐となる。
お寺に置いてあるような可愛い看板が、遍路道を案内してくれる。
5分程下ると、麓のロープウェイ駅や[16]萩原寺への分岐となった。
7年前に、土砂降りの中、萩原寺へと向かった事が懐かしく思い出される。道は川のようになっていた。
今回は、素直に(67)大興寺方面へと進む。
道は、ロープウェイ方面と(67)大興寺への遍路道の二岐になっており、ロープウェイ駅の方へ行ってみた。
駅からの眺めが素晴らしく、麓の讃岐平野や瀬戸大橋まで見えていた。これまでの二度の訪問では悪天候だったため、こんなに眺めが良いとは思いもしなかった。
駅の温度計は、25℃を表示していた。下界よりもかなり温度は低いようである。
結局、(66)雲辺寺では、1時間半以上も滞在してしまった。
ロープウェイ駅から遍路道に入れるかなあ、と思っていたが道は無く、先程の分岐へと戻り、遍路道へと入る。
途中の五百羅漢は相変わらず壮観である。
様々な表情の羅漢を眺めながら簡易舗装の道を進むと、歩きの道への分岐となる。
お寺に置いてあるような可愛い看板が、遍路道を案内してくれる。
5分程下ると、麓のロープウェイ駅や[16]萩原寺への分岐となった。
7年前に、土砂降りの中、萩原寺へと向かった事が懐かしく思い出される。道は川のようになっていた。
今回は、素直に(67)大興寺方面へと進む。
2021年08月23日
【3巡目-666】 66番雲辺寺 [2019年8月5日]〈その9〉
666番目の記事が、ちょうど66番の雲辺寺に到着、になるとは縁起が良さそうである
奥の方まで進むと、広い敷地に新しい山門とトイレがある。
トイレ横に自販機もあり、お参りの前にアクエリアスを飲み干し、またも休憩をする。身体が楽になった。ここまで、休みなく歩いて来たから、休み貯めである。
山門をくぐってそのまま石段を上がると大師堂に出ることになる。来た道を戻ってちょっと上がると、本堂のあるエリアで、分かりにくい。
せっかく山の上にあるお寺ではあるが、鐘が撞けないことになっており残念だった。ゴ~ンとやりたかったのだが。
厄年表の看板があり、この雲辺寺だけ、なぜか44才が男女の大厄となっている。
たまたま、数えで44の時に雲辺寺にお参りしたこともあり、厄払いをしてもらったのだが、他のお寺で聞いてみたり調べたりしたが、44才が大厄となっているのはここだけのようである。
以前は気が付かなかった、くぐって腰掛ければご利益倍増で有名な?「おたのみなす」にもしっかり座らせてもらう。
納経所前のベンチで、時間もあることから大休憩をした。
珍しく、両足の小指の裏に肉刺が出来てしまい、チクチクする。
奥の方まで進むと、広い敷地に新しい山門とトイレがある。
トイレ横に自販機もあり、お参りの前にアクエリアスを飲み干し、またも休憩をする。身体が楽になった。ここまで、休みなく歩いて来たから、休み貯めである。
山門をくぐってそのまま石段を上がると大師堂に出ることになる。来た道を戻ってちょっと上がると、本堂のあるエリアで、分かりにくい。
せっかく山の上にあるお寺ではあるが、鐘が撞けないことになっており残念だった。ゴ~ンとやりたかったのだが。
厄年表の看板があり、この雲辺寺だけ、なぜか44才が男女の大厄となっている。
たまたま、数えで44の時に雲辺寺にお参りしたこともあり、厄払いをしてもらったのだが、他のお寺で聞いてみたり調べたりしたが、44才が大厄となっているのはここだけのようである。
以前は気が付かなかった、くぐって腰掛ければご利益倍増で有名な?「おたのみなす」にもしっかり座らせてもらう。
納経所前のベンチで、時間もあることから大休憩をした。
珍しく、両足の小指の裏に肉刺が出来てしまい、チクチクする。
2021年08月20日
【3巡目-665】 曼陀峠、66番雲辺寺へ [2019年8月5日]〈その8〉
曼陀峠からの道を進み、「民宿岡田」のある佐野からの遍路道と合流した。
ここまで来れば、後はきつい上りは無かったはずで、少し安心する。
確か周囲に畑が広がっていたと思うが、耕作放棄だろうか、草むらになってしまっていた。
この辺りまで来てようやく、鹿児島ナンバーのバイクや車2台が追い抜いていった。
池田からの車道と合流すると、歩きの道へと入る。道端に紙が落ちていたので拾ってみると、「民宿岡田」で貰える手作りの地図だった。そのまま元に戻しておく。
再び車道となるが、擬木の階段が続く所までやって来た。
(66)雲辺寺まで600mとなっている。
お寺に着けば自販機があるはずで、ここまで来れば大丈夫、と荷物を下ろして、ようやく休憩することが出来た。
休憩は3時間以上ぶりだろうか。水もたっぷり飲ませてもらう。
出発時には、2,5リットルも持参していたのだが、早々に補給しておくべきだった。
階段を上がり、(66)雲辺寺に到着した。
生きて上がれて良かった。ガッツポーズが出る。
近年、山門の位置が変わったようで、毎回、どこから入ったらいいか迷ってしまうお寺である。
ここまで来れば、後はきつい上りは無かったはずで、少し安心する。
確か周囲に畑が広がっていたと思うが、耕作放棄だろうか、草むらになってしまっていた。
この辺りまで来てようやく、鹿児島ナンバーのバイクや車2台が追い抜いていった。
池田からの車道と合流すると、歩きの道へと入る。道端に紙が落ちていたので拾ってみると、「民宿岡田」で貰える手作りの地図だった。そのまま元に戻しておく。
再び車道となるが、擬木の階段が続く所までやって来た。
(66)雲辺寺まで600mとなっている。
お寺に着けば自販機があるはずで、ここまで来れば大丈夫、と荷物を下ろして、ようやく休憩することが出来た。
休憩は3時間以上ぶりだろうか。水もたっぷり飲ませてもらう。
出発時には、2,5リットルも持参していたのだが、早々に補給しておくべきだった。
階段を上がり、(66)雲辺寺に到着した。
生きて上がれて良かった。ガッツポーズが出る。
近年、山門の位置が変わったようで、毎回、どこから入ったらいいか迷ってしまうお寺である。
2021年08月17日
【3巡目-664】 曼陀峠、66番雲辺寺へ [2019年8月5日]〈その7〉
しばらくは、緩やかに勾配のある車道となる。県境に沿っているから尾根道になるのだろうが、草むらが広がる味気ない道が続く。
何でもない場所に「旧曼陀峠」の木柱と案内板があり、かつては阿波と讃岐を結ぶ道が南北に続いていた、とある。
東は雲辺寺、西は三角寺に通じる遍路道、の表記もあることから、ここで交差点のようにクロスしていた、という事だろうか。
「曼陀高冷地野菜団地」なる解説板もあり、高品質のキャベツが生産されています、と書かれているが、畑は全然見掛けなかった。これまで続いていた草むらが、かつての畑跡なのだろう。
昔からの道のはずなのだが、あまりその形跡が無いのは、畑の造成によって道が変わってしまったのかも知れない。
そろそろ休憩したいと思いつつ、休憩すると水をガバッと飲んでしまいそうで我慢する。3時間以上、まともに休まなかったかも知れない。
汗をあまりかかないようにゆっくりと歩き続け、(66)雲辺寺を目指す。怖くて、残りの水量を確認するのも憚れた。
宿で凍らせてもらった水をチビチビと補給する。
車も全く通らなかったから、今にして思えば何かあったら危なかったなあ、と思う。水場も無かった。
何でもない場所に「旧曼陀峠」の木柱と案内板があり、かつては阿波と讃岐を結ぶ道が南北に続いていた、とある。
東は雲辺寺、西は三角寺に通じる遍路道、の表記もあることから、ここで交差点のようにクロスしていた、という事だろうか。
「曼陀高冷地野菜団地」なる解説板もあり、高品質のキャベツが生産されています、と書かれているが、畑は全然見掛けなかった。これまで続いていた草むらが、かつての畑跡なのだろう。
昔からの道のはずなのだが、あまりその形跡が無いのは、畑の造成によって道が変わってしまったのかも知れない。
そろそろ休憩したいと思いつつ、休憩すると水をガバッと飲んでしまいそうで我慢する。3時間以上、まともに休まなかったかも知れない。
汗をあまりかかないようにゆっくりと歩き続け、(66)雲辺寺を目指す。怖くて、残りの水量を確認するのも憚れた。
宿で凍らせてもらった水をチビチビと補給する。
車も全く通らなかったから、今にして思えば何かあったら危なかったなあ、と思う。水場も無かった。
2021年08月14日
お陀仏になりました。
香川:多度津駅
お陀仏になったのは、人間ではなく車の話です
これまでお世話になっていたランクルが、修理不能、との事で、ついにお陀仏になってしまいました
普通だったら新しい車を買えば、となるのでしょうが、いつも一緒にいることが当たり前だったので、この事態をなかなか受け入れられません
高知:宿毛駅
車屋から、30万円で下取りしますよ、と言われましたが、愛着があるので、と無理矢理、自宅へ持って帰りました
2004年に中古車として購入。
17年間、約26万kmを走って、走行距離は325799kmになっていました。
そんな簡単にお別れ出来ません。
高知:唐浜駅
滅多に洗車もオイル交換もせず、ほったらかし状態でした。
それでも頑張って走ってくれていました。失って初めて気付く大切さ、といった所でしょうか
これまで、歩き遍路のために、四国まで何度も一緒に同行しました。
北海道:オホーツク国道
車が無いと生活できないような土地に住んでいながら、もう車に乗るのは止めようか、などと思ってしまう程、思い詰めています(笑)
豪雪なんかものともせず、力強かったです
雪などでスタックした車を、何台も救助しました
北海道:勇払原野
廃車手続きはまだせず、とりあえず、自宅に保管してあります。
時間が経ったら気持ちも落ち着くかなあ、と思っていたのですが、なかなか難しいですね
石川:小松空港
長い間、人生をともに歩んでくれて、ありがとうございました
お陀仏になったのは、人間ではなく車の話です
これまでお世話になっていたランクルが、修理不能、との事で、ついにお陀仏になってしまいました
普通だったら新しい車を買えば、となるのでしょうが、いつも一緒にいることが当たり前だったので、この事態をなかなか受け入れられません
高知:宿毛駅
車屋から、30万円で下取りしますよ、と言われましたが、愛着があるので、と無理矢理、自宅へ持って帰りました
2004年に中古車として購入。
17年間、約26万kmを走って、走行距離は325799kmになっていました。
そんな簡単にお別れ出来ません。
高知:唐浜駅
滅多に洗車もオイル交換もせず、ほったらかし状態でした。
それでも頑張って走ってくれていました。失って初めて気付く大切さ、といった所でしょうか
これまで、歩き遍路のために、四国まで何度も一緒に同行しました。
北海道:オホーツク国道
車が無いと生活できないような土地に住んでいながら、もう車に乗るのは止めようか、などと思ってしまう程、思い詰めています(笑)
豪雪なんかものともせず、力強かったです
雪などでスタックした車を、何台も救助しました
北海道:勇払原野
廃車手続きはまだせず、とりあえず、自宅に保管してあります。
時間が経ったら気持ちも落ち着くかなあ、と思っていたのですが、なかなか難しいですね
石川:小松空港
長い間、人生をともに歩んでくれて、ありがとうございました
2021年08月11日
【3巡目-663】 曼陀峠、66番雲辺寺へ [2019年8月5日]〈その6〉
車道に出ると、民家や畑があり、四国のみちの立杭もある。
どうやら、七田集落からここまで、この車道が続いていて、草ボーボーが嫌なら、こちらからも上がれるようである。
土の道は10分ちょっとだけで、ここから峠近くまでは、意外なことに舗装路が続くことになる。と言っても、一台も車は通らなかった。急な上りは無く、じわじわと標高を稼いでいく。
麓の七田集落から1時間程歩いた所で分岐となり、林道から離れて歩きの道となる。
5分程で峠となった。小さなお地蔵さんや四国のみち関連の立杭などがある。
へんろ地図では「曼陀峠」となっているが、立っている説明板では「境目」となっており、曼陀の文字はどこにも無い。
どちらが正しいのだろうか。
ここからずっと降りた車道沿いの何でもない場所に「曼陀峠」の説明版があって、どこがどうなっているのか分からなかった。
峠を越えたので、しばらくは歩きの下り道が続く。せっかく稼いできた標高を下げてしまうのが悔しい。
へんろ地図で③番の境目峠かららしき道が合流してくると、再び車道となった。
どうやら、七田集落からここまで、この車道が続いていて、草ボーボーが嫌なら、こちらからも上がれるようである。
土の道は10分ちょっとだけで、ここから峠近くまでは、意外なことに舗装路が続くことになる。と言っても、一台も車は通らなかった。急な上りは無く、じわじわと標高を稼いでいく。
麓の七田集落から1時間程歩いた所で分岐となり、林道から離れて歩きの道となる。
5分程で峠となった。小さなお地蔵さんや四国のみち関連の立杭などがある。
へんろ地図では「曼陀峠」となっているが、立っている説明板では「境目」となっており、曼陀の文字はどこにも無い。
どちらが正しいのだろうか。
ここからずっと降りた車道沿いの何でもない場所に「曼陀峠」の説明版があって、どこがどうなっているのか分からなかった。
峠を越えたので、しばらくは歩きの下り道が続く。せっかく稼いできた標高を下げてしまうのが悔しい。
へんろ地図で③番の境目峠かららしき道が合流してくると、再び車道となった。
2021年08月08日
【3巡目-662】 曼陀峠、66番雲辺寺へ [2019年8月5日]〈その5〉
(66)雲辺寺への遍路道は3つある。
一般的なのは、「民宿岡田」のある佐野を経由する道だろうと思うが、これまで二度歩いていることから、今回はへんろ地図に本来の遍路道、と書かれている①番の「曼陀峠道」経由で雲辺寺を目指すことにしている。
曼陀峠への分岐の国道沿いに、石川酒店の看板がある。
酒屋はやってないだろうが、自販機くらいはあるだろう、ようやく水分補給が出来る、と喜んで近付いてみると、壊れた自販機が置いてあるだけだった。
水分は持参しているものの、手持ち分だけではちょっと不安である。と言っても、この周囲に自販機は無さそうである。いざとなったら沢水を、の覚悟で、山道に突入することにした。
しばらく狭い車道を進むと、山道への入口となった。突き当りに、随分と大型の遍路石が見えている。松山付近でよく見られるような大きさだった。
最初はコンクリートで固めてあったが、しばらくして土の道となる。
予想通り草ボーボーだったが、覚悟はしていたから草むらに突入する。
一度、小さな林道を横断し、再び山道に入ると、車道に出て来た。
一般的なのは、「民宿岡田」のある佐野を経由する道だろうと思うが、これまで二度歩いていることから、今回はへんろ地図に本来の遍路道、と書かれている①番の「曼陀峠道」経由で雲辺寺を目指すことにしている。
曼陀峠への分岐の国道沿いに、石川酒店の看板がある。
酒屋はやってないだろうが、自販機くらいはあるだろう、ようやく水分補給が出来る、と喜んで近付いてみると、壊れた自販機が置いてあるだけだった。
水分は持参しているものの、手持ち分だけではちょっと不安である。と言っても、この周囲に自販機は無さそうである。いざとなったら沢水を、の覚悟で、山道に突入することにした。
しばらく狭い車道を進むと、山道への入口となった。突き当りに、随分と大型の遍路石が見えている。松山付近でよく見られるような大きさだった。
最初はコンクリートで固めてあったが、しばらくして土の道となる。
予想通り草ボーボーだったが、覚悟はしていたから草むらに突入する。
一度、小さな林道を横断し、再び山道に入ると、車道に出て来た。
2021年08月05日
【3巡目-661】 曼陀峠、66番雲辺寺へ [2019年8月5日]〈その4〉
別格の椿堂付近を過ぎ、ゆるやかな上りが続く国道を進む。
「ヘンロ小屋第37号しんきん庵・法皇」が見えてきた。折角なので、一休みさせてもらう。
高床式倉庫のようになっているので、石段を上がらなければならない。ここに限らないのだが、脚が疲れている歩き遍路に、なぜ階段のある休憩所を造るのだろうか、とかねがね疑問に思っていた。
ヘンロ小屋プロジェクトの紹介によると、国道の騒音を避けるように中二階の構造です、と書かれていた。野宿をするお遍路さんのために高い所に休憩所があるのだろうか。
遍路ノートが置いてあり、一筆書かせてもらった。前の書き込みは8月○日となっていた。歩いている方を全く見掛けないが、少なからずいらっしゃるようである。
ヘンロ小屋を出発し、山の方に向かって国道を進む。分岐があり、左の方が旧道で、七田の集落を通って曼陀峠への道っぽくみえる。
しかし、遍路シールなど何も無い。剥がされたのかなあなどと思いつつ、左の方へと入ってみた。
何軒かの民家を過ぎると、再び国道が近付いてきた。
ここにちゃんとへんろ道保存協力会の立杭があり、曼陀峠への案内もあった。もう案内も無い廃道になってしまったのかと思ってしまった。
「ヘンロ小屋第37号しんきん庵・法皇」が見えてきた。折角なので、一休みさせてもらう。
高床式倉庫のようになっているので、石段を上がらなければならない。ここに限らないのだが、脚が疲れている歩き遍路に、なぜ階段のある休憩所を造るのだろうか、とかねがね疑問に思っていた。
ヘンロ小屋プロジェクトの紹介によると、国道の騒音を避けるように中二階の構造です、と書かれていた。野宿をするお遍路さんのために高い所に休憩所があるのだろうか。
遍路ノートが置いてあり、一筆書かせてもらった。前の書き込みは8月○日となっていた。歩いている方を全く見掛けないが、少なからずいらっしゃるようである。
ヘンロ小屋を出発し、山の方に向かって国道を進む。分岐があり、左の方が旧道で、七田の集落を通って曼陀峠への道っぽくみえる。
しかし、遍路シールなど何も無い。剥がされたのかなあなどと思いつつ、左の方へと入ってみた。
何軒かの民家を過ぎると、再び国道が近付いてきた。
ここにちゃんとへんろ道保存協力会の立杭があり、曼陀峠への案内もあった。もう案内も無い廃道になってしまったのかと思ってしまった。
2021年08月02日
【3巡目-660】 曼陀峠、66番雲辺寺、「民宿青空屋」まで [2019年8月5日]〈その3〉
国道を延々と進む。太陽が照り付け、暑さでだんだんとバテてくるが、まだまだ元気である。
国道沿いにバス停がある。
先程、朝のラッシュ時間にも関わらず空っぽのバスが通り過ぎていったのが気になっていたのだが、時刻表を見てみると、一日一本しかないバスだった。それでも誰も乗っていなかったのだろうか。
以前は、「民宿岡田」のある佐野集落を通って徳島の池田まで走っていたはずだが、手前の七田までとなっていたから、県境で運行打ち切りとなってしまっているようである。一日一本では、区切り打ちに使うのも難しい。
へんろ地図にも載っている「しのはらストア」を過ぎると、民家も少なくなり、次第に田舎風になってきた。
少しずつ道に勾配もついてくるようになった。
ホテルから1時間40分程で、別格14番の常福寺(椿堂)のある辺りまでやって来た。自販機が並んでおり、大きな木の木陰で一休みすることにした。
ここの自販機で予備の水分を買っておくべきだったのだが、その後自販機が見付からなくなり、(66)雲辺寺への山道で苦労することになってしまう。
国道沿いにバス停がある。
先程、朝のラッシュ時間にも関わらず空っぽのバスが通り過ぎていったのが気になっていたのだが、時刻表を見てみると、一日一本しかないバスだった。それでも誰も乗っていなかったのだろうか。
以前は、「民宿岡田」のある佐野集落を通って徳島の池田まで走っていたはずだが、手前の七田までとなっていたから、県境で運行打ち切りとなってしまっているようである。一日一本では、区切り打ちに使うのも難しい。
へんろ地図にも載っている「しのはらストア」を過ぎると、民家も少なくなり、次第に田舎風になってきた。
少しずつ道に勾配もついてくるようになった。
ホテルから1時間40分程で、別格14番の常福寺(椿堂)のある辺りまでやって来た。自販機が並んでおり、大きな木の木陰で一休みすることにした。
ここの自販機で予備の水分を買っておくべきだったのだが、その後自販機が見付からなくなり、(66)雲辺寺への山道で苦労することになってしまう。