2021年03月30日

【3巡目-625】 モエ坂、62番宝寿寺へ [2019年3月19日]〈その17〉

番外霊場の極楽寺を過ぎてからは、時折、車が走り去るようになってきた。

また、ダム建設による代替路なのだろう、歩いていても退屈な道となってしまった。
右手には、黒瀬ダムの貯水池が見えており、ダム湖に沿ってのグネグネ道である。

この区間での出来事と言えば、ポツンとあった建物からだろうか、ワンちゃんが二匹飛び出してきて、思いっきりじゃれ付かれたことくらいだろうか。
人懐っこく、歩いている人間など珍しいのか、大喜びしていた。

左手の高台に、「京屋旅館支店」の建物が見えてきた。
群馬の方は、何度電話しても出てくれず泊まれなかった、と話していたが、車も止まっており、営業している様な感じである。

車で(60)横峰寺に向かう場合は、ここからバスに乗り換えるのだろうか。
時間があればどんな所なのか、立ち寄ってみたかったのだが、(62)宝寿寺へと先を急ぐ。

程なくして、小松方面への分岐となり、左折する。
バス停名が黒瀬峠となっており、少し山越えがあるのかと身構えていたら、分岐から下る一方で助かった。  


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2021年03月27日

【3巡目-624】 モエ坂、番外極楽寺、62番宝寿寺へ [2019年3月19日]〈その16〉

集落の外れまで来ると、県道に石鎚山のロープウェイ乗り場へと向かう路線バスが走り去っていった。小学生が一人乗っているだけのようだった。

赤い鉄橋のような橋を渡り、県道へと戻って来た。
(62)宝寿寺での納経は無理そうだが、往生際が悪く、頑張れば間に合うかも、と急ぎ足で先へと進む。

へんろ地図にも掲載されている、番外霊場の極楽寺があった。せっかくなので立ち寄らせてもらう。

滝行のための更衣室があり、小さな滝があった。「難を転ずる南天ロード」という小道があったので上がってみるが、ずっと先まで続いていそうで、時間も押していることから麓へと戻る。

納経所があったので、中を覗いてみると、若いお坊さん二人の姿が見えて、驚いてしまった。

失礼ながら、無人の荒れた小さなお寺、と勝手に想像していた。

車道へと戻り少し進むと、極楽寺の案内板があった。
本堂はずっと山の方にあったようで、ウロウロとしていた場所は別院だった事が分かった。
随分と規模が大きいお寺のようである。

(62)宝寿寺での午後5時までの到着を諦めていなかったので、本堂へのお参りはパスして、先へ進むことにする。  


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2021年03月24日

【3巡目-623】 モエ坂、河口、62番宝寿寺へ [2019年3月19日]〈その15〉

全く車が通らないので、歩いていても楽しいものである。つり橋があったりして面白い。

期せずして、細野というバス停が現れる。
周囲に集落は見られず、山へと向かう石段だけがある。車が入れない集落なのだろうか。

その少し先に細野集落への車道分岐があったのだが、「細野 王子」と書かれた汚れたプレートや朽ちた看板があった。
細野王子社なるものがあるようである。一体何だろうかと、不思議な気持ちになった。

帰宅してから調べてみると、麓の石鎚神社本社から、石鎚山の頂上社までに36の王子社があるそうである。「王子社」というのがよく分からない。

石鎚神社のHPによると、神仏混淆(しんぶつこんこう)時代のなごりで、子供の姿で現れた神様が祀られている、との事だった。

河口集落から3~40分歩いた所で、ようやく次の集落が見えてきた。ここは人が住んでいるのだろうか。

集落の入口付近の県道に、ずっと探していた、車用の距離表示の看板があった。
小松まで15kmとなっている。

ただ今の時刻は午後2時16分、2時間半で15kmだと、時速6kmで歩かなければならない。
(62)宝寿寺の納経には間に合わなさそうである。

県道を一旦離れ、集落内へと入るが、やはり人の気配がしない。ここもゴーストタウンか、と思ったが、人の住んでいる家が見られるようになり、郵便局まで登場してきた。
へんろ地図では、「千野々」というバス停のある集落だった。  


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2021年03月21日

【3巡目-622】 モエ坂、虎杖、河口 [2019年3月19日]〈その14〉

「モエ坂」を下った虎杖から、河口集落に向かって、静かな車道を進む。

10分程歩いた所で、民家が見えてきた。狭い車道に沿って住宅が並んでいるが、人の気配がしない。
もう営業していなさそうな旅館も何軒かあり、止まっている車も無く、廃墟となった集落のように思われた。

帰宅してからこの辺りを歩いた方の記事を探してみると、犬が吠えている、との記述があったが、その犬の姿もなかった。
旧石鎚村の人口が、2人かそれ以下になっているようだから、無人の集落になってしまっているのかも知れない。

無人らしき集落を抜けると、別の車道と合流し、バス停を発見した。

時刻を見ると、1日5本だけだが、15時台と17時台に西条方面行きのバスがあった。
これで、万が一、麓に辿り着くまでに真っ暗になりそうだったとしても、バスに乗れば大丈夫である。安心した。

車道を進むが、全く車がいない。通り過ぎていったのは、市の巡回らしき車だけである。
反対方向に進めばロープウェイがあるはずで、もう少し人の気配があってもよさそうなものだが、どうなっているのだろうか。  


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2021年03月18日

【3巡目-621】 モエ坂、虎杖、河口へ [2019年3月19日]〈その13〉

写真は、虎杖のモエ坂出口である。
ここから、石鎚山までは二つのルートがあるが、黒川道は通行止、今宮道入口まで800m、と表示が出ている。

実は、石鎚神社とか成就社など、謂れなどよく分かっていなかった。山自体が信仰の対象となっているのだろうか。

調べてみると、「石鎚山を神体山とする神社で、山麓に鎮座する本社、山腹の成就社と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称である」とあった。

「本社」は、(64)前神寺の手前にある「石鎚神社」のようである。

地元にも、「白山」や「立山」など、霊山があるのだが、昔の歩きの道が残っている、とか、本社や頂上社があって、と言った話は聞いたことがないので、どうもピンと来ない。

昔からの信仰と深く関わりのある道のようで、こうやって実際にその場所の入口までやって来て、ぜひ歩いてみたくなっている所である。

黒川道の入口があったが、通行止の札が出ており、今宮道を進むように指示が出ていた。今宮道を歩くお遍路さんは、年にどれ位いるのだろうか。

幸い、横峰寺で降っていた雨も、山道を歩いている間に止んでいた。
通る車は全く無く、車道の真ん中を歩いたりと、気分良く歩きながら、河口を目指す。

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Posted by こいったん at 00:09Comments(0)お遍路 第三拝(愛媛)

2021年03月15日

【3巡目-620】 モエ坂 [2019年3月19日] 〈その12〉

お堂からさらに下へと進んで行く。
時折、コンクリートで固められた道もあった。

道が崩落したのだろう、所々に迂回路らしき道が作られているのが分かった。

そんなに急坂も記憶に無く、脚を踏ん張って下るような場所もなかったように思う。大きな石がゴロゴロしているような所はあったが、適所に踏み石が置いてあった。
現時点では、道自体、歩きにくいようなことは無かった。

星ガ森から1時間10分で、無住の民家が見えてきた。無事、麓に到着で、「モエ坂」制覇である。
虎杖集落だろうか、と言っても、周囲には他に建物は無かった。

帰宅してから調べてみると、民家ではなく、「周桑農協小松支所石鎚出張所」の跡、という事であった。こんな場所に農協があったとは。

色々調べてみると、先程のモエ坂途中の集落跡らしき場所も含め、この辺りは「石鎚村」と言う一つの行政村で、昭和30年代には1000人位の人たちが住んでいたそうである。

平成19年には2人となっている。現在はどうなっているのだろうか。
一つの村が消えるという、信じられない事が起きていた。消えた集落が山の中腹に点在しているようである。
近くに住んでいたら、すぐにでも探索に行く所なのだが。  


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2021年03月12日

【3巡目-619】 60番横峰寺、星ガ森、モエ坂 [2019年3月19日]〈その11〉

ちょうど正午過ぎに、(60)横峰寺を出発し、まずは星ガ森を目指す。10年振りとなる。

平坦な道が続くイメージだったが、結構な上りである。砂利道の林道を進み、10分程で雨の星ガ森に到着した。

10年前には、モエ坂方面への通行止の看板があったような気がするが、今回は見当たらない。ホッとする。
やはり、事前に調べた通り、通行可能なようである。

鳥居を通して石鎚山を遠望できるようになっており、遥拝所としての役割がある場所である。恥ずかしながら、何となく知ってはいたのだが、頭に入っていなかった。

今日は雨とガスのため、何も見えない状態である。

いよいよ、モエ坂へと突入する。
悪路を覚悟していたのだが、意外と道は落ち葉でフカフカしていて、石が転がっているようなこともなく、歩きやすい。

10分程下ると、お堂があり、お地蔵さんが並んでいる。ここに集落があったことを示す石碑まであった。

こんな、車も入れない、人跡未踏のような場所にも人が暮らしていた時代があったとは、信じられない。確かに、道に沿って石垣は残っていた。
大昔には、石鎚山へ向かう人たちがこの道を歩いていたそうである。  


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2021年03月08日

【3巡目-618】 60番横峰寺③ [2019年3月19日]〈その10〉

(60)横峰寺の休憩所での話に戻ります。

もう一人、先程本堂でもお参りしていた方も休んでいた。60代半ばくらいだろうか。この方も、同じく「ビジネス旅館小松」に泊まっていたそうで、今日も連泊との事。

小松から直接上がってきたのではなく、こちらの方が本筋、と大頭から湯浪を通って、(60)横峰寺まで来たそうである。それでちょっと遅い到着となったようだ。

写真を撮って下さい、とお願いされ、シャッターを押す。なかなか、良い顔をしていた。充実した歩き遍路がそうさせているのだろう、と勝手に想像する。
星ガ森に行くつもりだったが天気が悪いので止めておく、身体が寒いので、と先に出発していった。

入れ替わりに、男性と女性の歩き遍路さんがやって来る。
男性の方はよく分からなかったが、女性の方は、西条市内のホテルに連泊していたそうである。

この先、小松方面への遍路道に入れるか心配なようで、香川の方に、林道からの分岐の場所までご一緒させて欲しい、とお願いして、3人で出立していった。

休憩所には誰もいなくなり、こちらもたっぷり休憩させてもらった所で、出発することにする。

山道への不安はあまり無いのだが、麓の虎杖や河口から、小松や氷見の町までの正確な距離が分からないことで、明るい時間に到着出来るのかが、ちょっと心配である。  


Posted by こいったん at 00:06Comments(0)お遍路 第三拝(愛媛)

2021年03月03日

2021冬 歩き遍路 トピックス(後編)

3日目[2月21日]は、(12)焼山寺を目指します96

途中、遍路道を外れて、気になっていた「樋山地」「石鎚神社」へ立ち寄りました。

(12)焼山寺には、寄り道時間を除いて、5時間程で到着ですicon22

この日は、たまたまネットで発見した、鍋岩にある「農園ゲストハウス もりあんloft」に泊まりましたが、食事は美味しくて豪華、二食付きで6000円と安いし、宿の方は親切だし、でとても良い宿でした11


4日目[2月22日]は、16年振りの「玉ヶ峠」、丸太が転がってます。

峠を越えてからは、古い遍路道を探索します。

行き止まりの恐怖を超え、ひっそりと佇む丁石を発見! 感動でしたicon104

番外の建治寺に寄りましたが、遍路道はかなり荒れていました。数年後には、道が分からなくなりそうです94

(13)大日寺で歩き遍路さんと出会い、宿まで掛け連れにicon58 この日は、「鱗楼」に泊まりました。


最終日の5日目[2月23日]は、半日の行程。

徳島市内を横断し、そのまま道なりに進む、旧土佐街道を歩きました。

「日本一低い山」にも登頂し、地蔵橋駅で今回の遍路旅を終えました18


ちなみに、昨年末より、ようやくスマホデビューしまして(笑)、上の写真はスマホで撮った物で、横長になっています。GPS機能でどこにいるか分かったり、色々検索出来たり(バスの時間とか)と、かなり便利ですね9

徳島駅・高速舞子(舞子駅)・京都駅と、JR・高速バス・JR・高速バスと乗り継いで、金沢へと帰って来ました5

今だ楽しかった遍路の余韻が残っていて、仕事ヤル気なし状態ですface03  


Posted by こいったん at 00:05Comments(0)歩き遍路 トピックス