2017年06月28日

【3巡目-172】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その4〉[2016年8月14日]

一休みして、鯖大師辺りの海岸を出発する。
へんろ地図にも掲載されている、海山荘があり、海賊料理という大きな看板と、派手な旗がぶら下がっていた。宿はもう少し丘の上にあるようである。

実は昨日、最初にこの宿を予約してみたのだが、満員という事で断られていた。昨日だったら、この丘を上がって行くのは大変だったかも知れない。

体調が悪いので、辿る予定でいたその後の八坂八浜の遍路道は飛ばし、国道55号線をひたすら進んだ。

旧海南町(海陽町)へと入る。遍路道は国道経由と海側の道の二つに分かれる。

国道へと誘導したそうな看板があるが、一巡目にも歩いた、海側の方の道を進むことにした。
農道は遠回り、と書かれているが、へんろ地図では100m、海側の方が短くなっている。

静かな港町、といった感じの浅川の街を進み、以前にも休ませてもらったことがある、農協の支所の入口で休憩とした。休日なので、人の出入りはない。
自販機があるので、水分補給をする。

集落を抜けると、小高い丘を越える道となる。先程休んだばかりなのだが、ゆるやかな上り道に、もうしんどくなってきた。
ちょうどこんな場所に、と言おうか、トイレと広い休憩所があったので、再び休憩とした。  


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2017年06月25日

【3巡目-171】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その3〉[2016年8月14日]

岩場の遍路道を超え、再び浜となる。
行き止まりになるかと心配していたのだが、犬の散歩をしているおばさんがいた。どこかに道が続いているはずである。
遍路札を探しながら、慎重に進む。

樹木に札が複数ぶら下がっている場所があり、林の中を入って行くと、無事に国道へと合流出来た。

この遍路道は歩いた記憶が無かった。なかなか楽しい道だったが、きっと国道をそのまま進むお遍路さんの方が圧倒的なのだろう。

この後、旧道や遍路道を丁寧に回るつもりでいたのだが、身体の調子がおかしい。脚がガクガクしたり、息切れもする。
今日の最低限の目標を、約20km先の高知県東洋町生見までとして、歩いて行くことにした。
お盆中なので宿はサーファーなどで満室だろうから、車中泊の予定である。

トンネル手前には、へんろ道への誘導看板がいくつか見られたのだが、そのまま国道を進む。
四巡目の時には必ず、遍路道を歩こう。

鯖大師の辺りまでやって来た。海岸の方に出て、一休みする。

慰霊碑があり、昭和51年に若者がボート遊びをしていて遭難してしまったことから、こうした悲しい事故が再び起きぬように、との願いで建立された、との事である。
存命なら、還暦を過ぎた頃の方たちだろうか、と慰霊碑を眺めながら考え込んでしまった。  


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2017年06月22日

【3巡目-170】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その2〉[2016年8月14日]

午前6時45分に「内妻荘」を出発した。

すぐに、「松坂峠」への上り口がある。
夏草に覆われているが、日の当たっている部分にだけ草が生え、山の中はきっと歩きやすい道だろう、と思い、峠へと向かうことにした。

案の定、草に覆われていたのはほんの一部分で、後は歩きやすい遍路道が続いていた。サワガニが、突然現れた人間に逃げ回っていた。

昨日の大坂峠と同じく、ちょっとした丘を越える道だったのだが、随分と息が切れてしまい、身体の調子がおかしい。残念ながらこの後、ますます悪くなってしまう。

松坂峠を何とか越えると、古江の浜を歩く、との遍路札があり、指示に従うと、海岸を歩く道となった。
全く覚えが無いので、この遍路道を歩くのは初めてかも知れない。

海岸を歩く遍路道は、大岐の浜だけではなくここにもあるとは思わなかった。

その内、写真の岩場が遍路道となった。へんろ札もぶら下がっている。
こんな凄い場所が道となっているとは。指示に従い進んで行く。

岩場を乗り越えると、再び砂浜となった。遍路道は続いているのかと不安になる。  


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2017年06月19日

【3巡目-169】内妻から、海南、海部、宍喰、東洋町生見まで 〈その1〉[2016年8月14日]

朝食の時間は宿の方に直接聞かなかったのだが、午前6時から、と古い看板がぶら下がっていたので、翌朝はその時間に大広間へと向かった。

まだ準備中で一旦部屋へと戻る。再び大広間へと行き、声を掛けると、慌てて食事の準備をしてくれた。
食事は6時半以降なのかも知れない。

男性の方がお世話をしてくれたのだが、感じの良い女将さんのご主人なのだろうか。渡辺いっけい風の話しやすそうな方だった。

他のお客さんを差し置いて、一人お先に朝食を頂く。

朝食後、清算をする。ご主人に今日の宿を聞かれたので、歩けるところまで歩いてから、自分の車で車中泊することを話す。

この時、夕食の時に同じテーブルだった方も歩き遍路だった、と教えてくれた。

今日は、約20km先の東洋町生見周辺の宿に全て断られ、40km以上先の「ロッジおざき」に偶々キャンセルが出たそうで、朝早くに出立していったそうである。いざとなればバスを使う、との事だった。

歩き遍路さんだったのなら、話し掛けてみれば良かった。出来れば、年上の方から話し掛けてもらえればうれしいのだが。  


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2017年06月16日

【3巡目-168】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その14〉[2016年8月13日]


部屋からの眺めは良く、内妻の湾を一望することが出来た。サーフィンをしている人たちの姿が小さく見える。

洗濯をお願いすると、お接待でします、との事で、有難くして頂いた。

宿内は一昔前の雰囲気があり、自分にとってはなかなか面白い。
この自販機は、30年ほど前のものだろうか。

また、遍路関連のチラシや冊子があったり、旧土佐街道の歩き用の地図が貼ってあるなど、歩き遍路に理解のある宿のようであった。

距離的に、この辺りで宿をとるお遍路さんは少ないと思われるが、ぜひ頑張ってほしいなあ、と思った。

内妻荘:一泊二食 7020円 、瓶ビール580円 〈2F かつお〉
      ※洗濯はお接待で無料。レトロな自販機あり。浴衣あり、シーツ・お茶なし。朝食はおそらく
        6時から。
    宿泊客:歩き遍路2人、その他一般客、団体客、数組。  


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2017年06月13日

【3巡目-167】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その13〉[2016年8月13日]


国道から脇に入ると、八坂八浜の一つになるのだろうか、松坂峠への入口があり、夏草に覆われていた。
その先、少し下った所が「内妻荘(うちづまそう)」の入口だった。
ちょうど少年が宿へと入っていったので、家族連れなどで賑わっているのだろう。

宿に入ると、若い女将さんが対応してくれた。レスリングの浜口京子をスマートにして、可愛くした風の、感じの良い方だった。

一息ついてからお風呂へ。数人が入れそうで、わりと大きめだった。建物は少々迷路風で、上へ下へと移動があり、面白かった。

←きれいに完食しました。

夕食は午後6時半との事だったが、今日はお客さんが多いためだろう、準備が遅れていたので、一旦部屋へと戻る。
7時過ぎに大広間に向かうと、既に宿泊者が食事をして、賑わっていた。

グループごとに卓を囲んでおり、一人で宿泊していた方と同じテーブルとなった。
一般のお客さんかと思い話をしなかったが、この方も歩き遍路さんということを翌日知った。

夕食はまずまずの量で、ご飯のお替りも出来る程、食欲旺盛だった。これなら明日も元気に歩けるぞ、と思ったのだが、そうはいかなかった。  


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2017年06月10日

【3巡目-166】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その12〉[2016年8月13日]


草鞋大師から、海岸の方に降りてくる。一度歩いたことがあるはずなのだが、全く記憶に無く、こんな場所があったのか、と新鮮だった。

その内、海岸沿いの堤防を歩く道となった。面白い。
堤防道は、高知県の安芸の辺りだけかと思っていたら、ここにもあるとは忘れてしまっていた。

今日の宿はすぐ近くに見えているのだが、息が続かなくて大変である。身体の水分も抜けきってしまい、真夏恒例のかゆみも出てきていた。

堤防道から車道へと上がる所で、突堤に寝っ転がって一休みすることにした。

身体を休めるが、いつまでも寝ている訳にはいかないので、体を起こす。

海岸には海水浴やサーフィンを楽しんでいる人たちがいる。これから海に出ようとしている人がいたので会釈してみると、笑顔で挨拶が返ってきた。

サーファーと言えば、違う人種の人たち、という固定観念があるのだが、こうやって挨拶が返ってくるとはうれしいものである。

10分弱休んで、目の前に見えている宿を目指して歩き出す。
階段を上り、国道に出た。少し進んでようやく、本日の宿「内妻荘」に到着した。


本日のコースタイム
自宅 12日19:10→金沢西IC→icon17→13日0:28淡路島南PA5:37→icon17→徳島IC→icon17→7:19道の駅日和佐

道の駅日和佐7:29→7:32(23)薬王寺7:45→8:35千羽トンネル→15:20牟岐・ローソン15:49→16:03大坂峠→17:01内妻荘


歩行距離:22.8km+α
 歩数  :43896歩
最高気温:32.2℃
最低気温:25.6℃[日和佐]
  


Posted by こいったん at 22:22Comments(0)お遍路 第三拝(徳島)

2017年06月07日

【3巡目-165】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その11〉[2016年8月13日]


大坂峠を息を切らせながら進む。

「ちょっと一服→海が見えるよ」と、遍路札があったので行ってみると、太平洋を眺められるスポットだった。
サンテナが置かれているので、ここに座ってゆっくりと海を眺めて下さい、という配慮だろうか。

遍路道沿いには、牟岐町観光ボランティアガイドの会の解説の張り紙があり、大坂峠は八坂八浜の最初の峠で、峠の長さは1km、高さは98m、との事である。
この先、八坂八浜と呼ばれる地域で、歩きの遍路道が続いているのだろう。
あまり歩いた記憶が無いので、今回は出来るだけ辿っていくようにしていきたい。

林の中を抜けると、視界が開け、眼下に美しい眺めが広がった。

今日泊まる予定の「内妻荘」も見えている。時刻は、午後4時半となっていた。
早く着きすぎて困るのでは、と思っていたのだが、めがね騒動のため、そんな心配も杞憂となった。逆に到着予定の5時を過ぎてしまいそうである。

予約の時に、遅くなりそうなら一報を、と言われていたので、出来るだけ時間通りに到着したい。

峠を下り、車道との交点に、草鞋大師がある。お地蔵さんが道端にぽつんとあった。平成二十二年建立、となっていたので、最近新しくなったようである。  


Posted by こいったん at 22:16Comments(0)お遍路 第三拝(徳島)

2017年06月05日

第14回 加賀百万石ツーデーウオーク(石川県) [2017年6月3日・4日]

6月3日(土)・4日(日)に行われた、第14回「加賀百万石ツーデーウオーク」に参加してきました。

こういった行事に参加するのは、「予定」が苦手なこともあり初めてとなります。

参加を決めたのは、最長コースが、1日目は30km、2日目は24kmと、本格的な歩きが出来そうなので、ちょっとやってみようか、と思った訳です。

初日、会場へ向かうと、ウォーキングスタイルの人たちがたくさんいました。30kmを歩こう、という人がこれだけいるとは驚きました。
歩き遍路をしているならともかく、一般の人たちは歩き通せるものなのでしょうか。

←有名な「ひがし茶屋街」も、コースに入ってました。

1日目は、長町武家屋敷跡やにし茶屋街、忍者寺、前田家墓所を通る、30kmコース。

制限時間は7時間半、ということは時速4kmで歩かなくてはなりません。ちょっと厳しいかなあと思ったのですが、どの方も休憩もそこそこにひたすら歩いていたので、周りに合わせて歩き、6時間半で完歩しました。


2日目は、主計町、ひがし茶屋街、卯辰山、金沢大学、兼六園、金沢城公園などの24kmです。

距離ごとにコースがいくつかあり、最長コースに参加したのは、両日とも350人ずつくらいのようでした。

金沢市内の観光名所をほぼ網羅しているのではないでしょうか、充分に楽しめました。
まさか、「兼六園」の中まで歩けるとは思いませんでした。
写真は、金沢城公園でのイベントの様子です。

二日間ありますので、あっ、昨日見掛けた人だ、といったことがあるのが楽しかったですね。
来年もぜひ、参加したいと思います。  


Posted by こいったん at 13:51Comments(0)ウオーキング大会

2017年06月02日

【3巡目-164】 23番薬王寺から、南阿波サンライン、牟岐、内妻まで 〈その10〉[2016年8月13日]


牟岐町のローソンを出発し、国道ではなく、草鞋大師がある、ヘンロ地図では点線となっている本来の遍路道と思われる道を進んだ。

しばらく車道を進むと遍路札があり、「入口」と書かれ、空き家へのスロープがある。この空き家が入口とは、室内を通っていくのか、と思いきや、反対側に遍路道への案内があった。

初めての遍路の時に通っているはずなのだが、全く記憶が途切れていた。
大坂峠と呼ばれる、歩きの道へと入る。
ちょっとした上り道なのだが、激しく息が切れてしまい、何度も休憩する。やはりアルコールはまずかった。

この道には思い出があり、十一年前に歩いた折に同宿したり、何度か顔を合わせていた福岡県のご夫婦と、期せずして再会することが出来た峠道であり、久しぶりの探訪となった。

当時は60歳ほどで、まだ青年のようなご主人と信心深そうな奥さんで、途中、明石寺から絵葉書を送って頂いた。
もう70歳を超えているだろうが、元気にしていらっしゃるだろうか。

一緒に休憩した場所があるはずなので、その場所を探しながら歩いていた。
何となくここだったかなあ、という場所はあったが、確信は出来なかった。  


Posted by こいったん at 20:30Comments(0)お遍路 第三拝(徳島)