2019年04月29日
【3巡目-370】 足摺岬 ① 〈その17〉[2017年7月15日]
京都のお兄さんは、昼食を食べに、と先に出発して行き、こちらも出立する。
(38)金剛福寺で、1時間以上も過ごさせてもらった。さて、これからどうしようか。
これ以上進んでは、明日の歩く距離が短くなり過ぎるし、かと言って、まだお昼で歩きを終えるのは早過ぎる。宿には4時過ぎに到着する、と伝えてある。
(38)金剛福寺を出て、樹木で覆われた道路を抜けると、視界が開け、大きなホテルや民宿などがある一角となる。
とりあえず、少し先のバスセンターへと向かった。
バスセンターにて、足摺岬へと戻ってくるバスの時刻を確認する。親切な窓口の方が、荷物を預かっても良いよ、と言ってくれたり、バスの時刻表をくれたりした。
今日の宿を聞かれ、「民宿田村」さんに泊まる、と話をすると、田村さんならもう入っても大丈夫と思う、との事だった。まだ午後2時過ぎなのだが。
地元の方がこう話されるということは、きっと人柄が良い宿主さん、という事だろう。
バスセンターでコーラを買い、中で少し休ませてもらってから、今日はこれからどうしようかと迷いつつ、出発する。
(38)金剛福寺で、1時間以上も過ごさせてもらった。さて、これからどうしようか。
これ以上進んでは、明日の歩く距離が短くなり過ぎるし、かと言って、まだお昼で歩きを終えるのは早過ぎる。宿には4時過ぎに到着する、と伝えてある。
(38)金剛福寺を出て、樹木で覆われた道路を抜けると、視界が開け、大きなホテルや民宿などがある一角となる。
とりあえず、少し先のバスセンターへと向かった。
バスセンターにて、足摺岬へと戻ってくるバスの時刻を確認する。親切な窓口の方が、荷物を預かっても良いよ、と言ってくれたり、バスの時刻表をくれたりした。
今日の宿を聞かれ、「民宿田村」さんに泊まる、と話をすると、田村さんならもう入っても大丈夫と思う、との事だった。まだ午後2時過ぎなのだが。
地元の方がこう話されるということは、きっと人柄が良い宿主さん、という事だろう。
バスセンターでコーラを買い、中で少し休ませてもらってから、今日はこれからどうしようかと迷いつつ、出発する。
2019年04月27日
【3巡目-369】 38番金剛福寺 ② 〈その16〉[2017年7月15日]
参拝を終え、再び休憩する。「安宿」さんでお接待で渡してくれたおむすびを食べる。塩味がきいて、とても美味しかった。
先程、窪津付近で出会ったお兄さんもやって来て、参拝を終えるとこちらにやって来た。
京都から来られたそうで、ほぼ通し打ちと言えようか、用事で何回か帰りながらも歩きを続けるようで、今回は7月1日から歩いている、との事だった。
肉刺が出来ており、見せてもらう。毎日針で治療しているそうである。
素泊まりで宿に泊まる事が多いようで、今日は「民宿西田」宿泊。
明日は、三原村の農家民宿全てに連絡したがダメだったそうで、その内の一軒に、寝袋を持っているからどこでもいいので寝かせて下さい、と泣きついて、泊めてもらえることになったそうである。なかなか逞しい。
この時期、本当に宿は満室になるのだろうか。お遍路さんは、あまり歓迎していないのかも知れない。
今日はもう少し先まで歩いてからバスで戻って来ては、とアドバイスしてみると、そういう方法は考えたことも無かった、と話していた。
この日は結局、大浜まで歩いた、と翌日聞いた。
話をしていると、もう一人お遍路さんがやって来て、荷物を置かせて下さい、と丁寧に挨拶し、お参りしに行った。軽装だったので、バスなども利用しながら周っているのだろうか。
先程、窪津付近で出会ったお兄さんもやって来て、参拝を終えるとこちらにやって来た。
京都から来られたそうで、ほぼ通し打ちと言えようか、用事で何回か帰りながらも歩きを続けるようで、今回は7月1日から歩いている、との事だった。
肉刺が出来ており、見せてもらう。毎日針で治療しているそうである。
素泊まりで宿に泊まる事が多いようで、今日は「民宿西田」宿泊。
明日は、三原村の農家民宿全てに連絡したがダメだったそうで、その内の一軒に、寝袋を持っているからどこでもいいので寝かせて下さい、と泣きついて、泊めてもらえることになったそうである。なかなか逞しい。
この時期、本当に宿は満室になるのだろうか。お遍路さんは、あまり歓迎していないのかも知れない。
今日はもう少し先まで歩いてからバスで戻って来ては、とアドバイスしてみると、そういう方法は考えたことも無かった、と話していた。
この日は結局、大浜まで歩いた、と翌日聞いた。
話をしていると、もう一人お遍路さんがやって来て、荷物を置かせて下さい、と丁寧に挨拶し、お参りしに行った。軽装だったので、バスなども利用しながら周っているのだろうか。
2019年04月25日
【3巡目-368】 38番金剛福寺 ① 〈その15〉[2017年7月15日]
足摺岬の一角にある、(38)金剛福寺に到着したのは昼の12時半過ぎと、頑張って歩いてきた甲斐がある、早い時間での到着だった。
お寺前には、交通整理の警備員が待機していた。
山門をくぐり、まずは休憩である。
納経所の裏辺りの、日陰となっている石の所に荷物を下ろし、一休みする。
ここで、明日の宿の予約をする。歩きながら散々悩んだのだが、40km先の「農家民宿もりもと」に連絡してみて、ダメだったら、20km先の「民宿くもも」にお願いしてみることにした。
「もりもと」さんに電話すると、満室との事だった。昨日から何軒も宿泊を断られて滅入ってしまう。
「くもも」さんに連絡すると、今日は満室だが、明日は大丈夫、との事で、お願いすることにした。宿が決まって良かったが、さて、これからどうしようか、まだお昼である。
今日は土佐清水市街に近い所まで歩くつもりだったのだが、更に先へ進んでしまうと、明日の歩く距離が15kmなどとなってしまう。
また悩むことになった。
息が整った所で、本堂、大師堂にてお参りする。境内は近年整備され、立派な庭園風になっていた。
お寺前には、交通整理の警備員が待機していた。
山門をくぐり、まずは休憩である。
納経所の裏辺りの、日陰となっている石の所に荷物を下ろし、一休みする。
ここで、明日の宿の予約をする。歩きながら散々悩んだのだが、40km先の「農家民宿もりもと」に連絡してみて、ダメだったら、20km先の「民宿くもも」にお願いしてみることにした。
「もりもと」さんに電話すると、満室との事だった。昨日から何軒も宿泊を断られて滅入ってしまう。
「くもも」さんに連絡すると、今日は満室だが、明日は大丈夫、との事で、お願いすることにした。宿が決まって良かったが、さて、これからどうしようか、まだお昼である。
今日は土佐清水市街に近い所まで歩くつもりだったのだが、更に先へ進んでしまうと、明日の歩く距離が15kmなどとなってしまう。
また悩むことになった。
息が整った所で、本堂、大師堂にてお参りする。境内は近年整備され、立派な庭園風になっていた。
2019年04月23日
【3巡目-367】 足摺岬へ ⑤ 〈その14〉[2017年7月15日]
時刻はまだ昼の12時である。(38)金剛福寺には、目標よりも早く、「安宿」を出発してから、6時間弱で到着出来そうである。
宿のご主人は、金剛福寺までの距離が違う、とへんろ道保存協力会に話をし、お寺までの距離を23kmから28kmに変更してもらったそうだが、やはり23が正解だろう。
自分の脚では、時速4km以上のペースで歩けない。
(38)金剛福寺へ参拝する前に、天狗の鼻に立ち寄ることにした。「ウォーカーズのロケ地」である。車道から歩きの道へと入る。
天狗の鼻に到着すると、外国人のお遍路さんが3人、東屋で休んでいた。
ここでお遍路さんに会えるとは思わなかったので、驚いてしまった。向こうも、オゥ~、と声を出していた。女性3人組のようである。
この3人とは、宿も同じだった。
別に観光客の方も来ていたので、お願いしてシャッターを押してもらう。
この場所から、補陀落浄土を目指して小舟を漕ぎ出した時代があったとは、信じられない。
ここの東屋でゆっくり休もうと思っていたのだが、外人さんの輪の中に入って行く勇気も無いので出発する。
車道へと戻り、樹木に覆われた道の向こうに、足摺岬の看板が見えてきた。
宿のご主人は、金剛福寺までの距離が違う、とへんろ道保存協力会に話をし、お寺までの距離を23kmから28kmに変更してもらったそうだが、やはり23が正解だろう。
自分の脚では、時速4km以上のペースで歩けない。
(38)金剛福寺へ参拝する前に、天狗の鼻に立ち寄ることにした。「ウォーカーズのロケ地」である。車道から歩きの道へと入る。
天狗の鼻に到着すると、外国人のお遍路さんが3人、東屋で休んでいた。
ここでお遍路さんに会えるとは思わなかったので、驚いてしまった。向こうも、オゥ~、と声を出していた。女性3人組のようである。
この3人とは、宿も同じだった。
別に観光客の方も来ていたので、お願いしてシャッターを押してもらう。
この場所から、補陀落浄土を目指して小舟を漕ぎ出した時代があったとは、信じられない。
ここの東屋でゆっくり休もうと思っていたのだが、外人さんの輪の中に入って行く勇気も無いので出発する。
車道へと戻り、樹木に覆われた道の向こうに、足摺岬の看板が見えてきた。
2019年04月21日
【3巡目-366】 足摺岬へ ④ 〈その13〉[2017年7月15日]
大谷の集落から足摺岬までは、時折民家が見られる程度となる。
広く改良された道路に日陰は無く、真夏の日差しが突き刺さる。
「ペンションサライへ」の分岐を過ぎるとお墓があり、その一角の石組みに腰を下ろすことにした。日なたではあったが、他に休めそうな場所は無かった。
明日の宿をそろそろ押さえておかなければならない。真夏という事で、どれだけ歩けるか分からず事前に宿を予約することが出来なかった。
今の所順調で、まだまだ歩けそうである。
今日の宿は足摺岬だが、行ける所まで歩いてバスで戻ることとし、明日は三原村に泊まろう、ということで、ずっと考えていた「農家民宿くろうさぎ」さんに連絡してみる。
が、まさかの満室で泊まれなかった。ショックである。
こうなるとどうすればよいのか。他の三原村の宿では遠すぎるし、かといって、手前の宿では近過ぎる。
もう一度、考えながら歩くことにした。
足摺岬まであと500m地点までやって来ると、ここだけは南国っぽい雰囲気の道路が残されていた。ここもいずれは、立派な広い道になってしまうのだろうか。
広く改良された道路に日陰は無く、真夏の日差しが突き刺さる。
「ペンションサライへ」の分岐を過ぎるとお墓があり、その一角の石組みに腰を下ろすことにした。日なたではあったが、他に休めそうな場所は無かった。
明日の宿をそろそろ押さえておかなければならない。真夏という事で、どれだけ歩けるか分からず事前に宿を予約することが出来なかった。
今の所順調で、まだまだ歩けそうである。
今日の宿は足摺岬だが、行ける所まで歩いてバスで戻ることとし、明日は三原村に泊まろう、ということで、ずっと考えていた「農家民宿くろうさぎ」さんに連絡してみる。
が、まさかの満室で泊まれなかった。ショックである。
こうなるとどうすればよいのか。他の三原村の宿では遠すぎるし、かといって、手前の宿では近過ぎる。
もう一度、考えながら歩くことにした。
足摺岬まであと500m地点までやって来ると、ここだけは南国っぽい雰囲気の道路が残されていた。ここもいずれは、立派な広い道になってしまうのだろうか。
2019年04月19日
【3巡目-365】 足摺岬へ ③ 〈その12〉[2017年7月15日]
津呂の遍路小屋を過ぎると、再び「あしずり遍路道」の案内があり、そちらの方へ。
細い車道が続いており、遍路石も残っていた。
県道に戻り、足摺岬を目指し、大谷の集落となった。
昔は喫茶店があったが、前回は廃墟になっていた場所があり、今回通り掛かると、何やら変わったお店がオープンしていた。頭蓋仙骨療法、と書かれている。帰ってから調べてみると、脳脊髄液の循環を良くする療法のようである。
その隣にも、何か小さな店が営業しており、若い方の姿が見られた。
大谷集落を抜ける。
何年か前までは、熱帯風の味のある細い車道がまだ残っていたと思うが、ほとんどが片側一車線の立派な道路に変わっていた。
「マホーランカーブ」のバス停があるが、カーブなど無く、一直線の広い車道になっていた。
マホーランカーブとは、どんな由来で付けられた名前なのだろうか。
草に埋もれかかった車道がクロスしていたので、そちらが旧道なのだろう。
車には良い道となったが、歩くには厳しい道である。単調な上、日陰も無い。
細い車道が続いており、遍路石も残っていた。
県道に戻り、足摺岬を目指し、大谷の集落となった。
昔は喫茶店があったが、前回は廃墟になっていた場所があり、今回通り掛かると、何やら変わったお店がオープンしていた。頭蓋仙骨療法、と書かれている。帰ってから調べてみると、脳脊髄液の循環を良くする療法のようである。
その隣にも、何か小さな店が営業しており、若い方の姿が見られた。
大谷集落を抜ける。
何年か前までは、熱帯風の味のある細い車道がまだ残っていたと思うが、ほとんどが片側一車線の立派な道路に変わっていた。
「マホーランカーブ」のバス停があるが、カーブなど無く、一直線の広い車道になっていた。
マホーランカーブとは、どんな由来で付けられた名前なのだろうか。
草に埋もれかかった車道がクロスしていたので、そちらが旧道なのだろう。
車には良い道となったが、歩くには厳しい道である。単調な上、日陰も無い。
2019年04月17日
【3巡目-364】 足摺岬へ ② 〈その11〉[2017年7月15日]
出来立ての道路の歩道に座って休んでいたお遍路さん、まだ30代くらいだろうか。
挨拶をして、これから右へ行くのか左へ行くのか、指差ししながら尋ねてみると、右の方へ、との事。これから足摺岬へと向かうそうである。
ではまた後で、と声を掛けて先を急ぐ。
同じ方向に進んでいるお遍路さんがいてくれて嬉しい。
この歩き遍路さんとはその後仲良くなり、翌日には一緒に写真を撮ってお別れすることになる。京都から来られた、という事だった。
しばらくは人気のない車道を進み、次の集落へとやって来る。
県道はバイパスっぽく、旧道は別にあったのかも知れない。探検してみれば良かった。住宅は密集しておらず、広い範囲で点在している印象である。
再び樹林の道を歩いていると、見覚えのある津呂の遍路小屋が見えてきた。
道路沿いの建物だけではなく、上の方にも何か建物があるが、ここも利用しながらお遍路さんを泊めてくれているのだろうか。
じっくりと中まで見なかったが、きれいに整備されている印象だった。
挨拶をして、これから右へ行くのか左へ行くのか、指差ししながら尋ねてみると、右の方へ、との事。これから足摺岬へと向かうそうである。
ではまた後で、と声を掛けて先を急ぐ。
同じ方向に進んでいるお遍路さんがいてくれて嬉しい。
この歩き遍路さんとはその後仲良くなり、翌日には一緒に写真を撮ってお別れすることになる。京都から来られた、という事だった。
しばらくは人気のない車道を進み、次の集落へとやって来る。
県道はバイパスっぽく、旧道は別にあったのかも知れない。探検してみれば良かった。住宅は密集しておらず、広い範囲で点在している印象である。
再び樹林の道を歩いていると、見覚えのある津呂の遍路小屋が見えてきた。
道路沿いの建物だけではなく、上の方にも何か建物があるが、ここも利用しながらお遍路さんを泊めてくれているのだろうか。
じっくりと中まで見なかったが、きれいに整備されている印象だった。
2019年04月15日
【3巡目-363】 足摺岬へ ① 〈その10〉[2017年7月15日]
宿から窪津まで、約14kmを3時間半と、時速4km/hで歩けている。
今休憩して少し時速は落ちるだろうが、自分としては良いペースである。まだ、ひどい息切れなどの症状が出ていないのは嬉しい。
窪津からは、そのまま県道を歩かずに、きちんと遍路道を辿ることにする。
きついジグザグの坂道が短いながらも続くので、覚悟して出発する。
集落内を歩く。赤ちゃんを連れたお母さんと挨拶を交わす。町外れまで来ると、歩きの道への入口がある。
しっかりとした遍路石もいくつか見られた。
コンクリートで固められた急坂を上り、高台へと到達する。
海側に金属板のある道を進むと、電柱に右へ、という素朴な字がマジックで書かれていたので指示に従う。砂利道の、のどかな道となった。
再び県道へと戻る。
車道は年々拡幅が進んでいるようで、二車線の区間が多くなってきたが、一時的に車一台がやっと通れるほどの幅となった。前方から車がやって来て、道端に避ける。名古屋ナンバーの車だった。
窪津小学校横を通り過ぎると、道路工事が終わったばかりのような広い道となった。
その一角の木陰となっている歩道に、お遍路さんが座って休んでいる姿が見えてきた。今回見掛けた、二人目の歩き遍路さんである。
今休憩して少し時速は落ちるだろうが、自分としては良いペースである。まだ、ひどい息切れなどの症状が出ていないのは嬉しい。
窪津からは、そのまま県道を歩かずに、きちんと遍路道を辿ることにする。
きついジグザグの坂道が短いながらも続くので、覚悟して出発する。
集落内を歩く。赤ちゃんを連れたお母さんと挨拶を交わす。町外れまで来ると、歩きの道への入口がある。
しっかりとした遍路石もいくつか見られた。
コンクリートで固められた急坂を上り、高台へと到達する。
海側に金属板のある道を進むと、電柱に右へ、という素朴な字がマジックで書かれていたので指示に従う。砂利道の、のどかな道となった。
再び県道へと戻る。
車道は年々拡幅が進んでいるようで、二車線の区間が多くなってきたが、一時的に車一台がやっと通れるほどの幅となった。前方から車がやって来て、道端に避ける。名古屋ナンバーの車だった。
窪津小学校横を通り過ぎると、道路工事が終わったばかりのような広い道となった。
その一角の木陰となっている歩道に、お遍路さんが座って休んでいる姿が見えてきた。今回見掛けた、二人目の歩き遍路さんである。
2019年04月13日
【3巡目-362】 窪津、38番金剛福寺まで 〈その9〉[2017年7月15日]
休憩処の「てまり」を出発し、少し細い車道を進むと、足摺岬へと続く、広い道に出て来た。
太平洋の雄大な眺めを堪能しながら歩くことが出来る区間も長く、ずっと薄暗い中を歩いてきた所で、明るい場所に出て来た印象である。
車の通りも程々にあり、県外ナンバーの車も走っていた。
水産工場だろう、大きな建物が見えてくると、窪津の集落となる。漁港には漁師たちが集まって何か談義をしているが、席を外して海に向かって立ちションしている人たちもおり、豪快に生きている。
旧道と新道との分岐地点に、窪津漁協直販の「大漁屋」というお店や、喫茶店その他施設が固まっており、車も多く止まっていた。
どこか腰を下ろせる場所はないかと探し、銅像の側の組合敷地にベンチを発見し、休ませてもらうことにした。自販機で、缶コーヒーやアクエリアス、持参している2Lペットボトルのぬるい水などを飲んで、息を整える。
一巡目の時、窪津に至るまでに、県道を歩くよりも時間が掛かる、と表示されていた「あしずり遍路道」となっている山道を歩いたのだが、どこだったか忘れてしまい通過してしまったようである。
太平洋の雄大な眺めを堪能しながら歩くことが出来る区間も長く、ずっと薄暗い中を歩いてきた所で、明るい場所に出て来た印象である。
車の通りも程々にあり、県外ナンバーの車も走っていた。
水産工場だろう、大きな建物が見えてくると、窪津の集落となる。漁港には漁師たちが集まって何か談義をしているが、席を外して海に向かって立ちションしている人たちもおり、豪快に生きている。
旧道と新道との分岐地点に、窪津漁協直販の「大漁屋」というお店や、喫茶店その他施設が固まっており、車も多く止まっていた。
どこか腰を下ろせる場所はないかと探し、銅像の側の組合敷地にベンチを発見し、休ませてもらうことにした。自販機で、缶コーヒーやアクエリアス、持参している2Lペットボトルのぬるい水などを飲んで、息を整える。
一巡目の時、窪津に至るまでに、県道を歩くよりも時間が掛かる、と表示されていた「あしずり遍路道」となっている山道を歩いたのだが、どこだったか忘れてしまい通過してしまったようである。
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2019年04月11日
【3巡目-361】 以布利遍路道、てまり、足摺岬へ 〈その8〉[2017年7月15日]
足摺岬近くでよく見られる、土を車が通れるようにくり貫いたような道が、時折現れる。
ぼんやりと歩いていたら、危うく「以布利遍路道」を通過してしまう所だった。
前回は車道を歩いてみたのだが、随分と遠回りをしてしまっていた。今回は遍路道を忠実に辿っていく。
急な下りの歩きの道となる。以布利遍路橋を渡ると、再び上りとなり、一旦車道に出る。
すぐに再びあしずり遍路道の案内があり、林の中へ突入する。
亜熱帯風の樹木が生えている中を歩いて行くと、こんな所にという場所に、きれいな新築のお家があった。神戸ナンバーの車が止まっていたので、別荘なのだろうか。
竹林の歩きの道となり、表土が流れて歩きにくい部分も乗り越えて、車道に到達した。
再び、こんな所に、という場所に、元お好み焼き屋さんがある。かつては、この場所でお店を営業していたとは信じられない程の辺鄙な場所である。
今は「てまり」という、お遍路さん休憩処となっていた。庇を大きくとっているので、その下で休ませてもらおうと思ったら、今回はドアが開いており、中におばちゃんがいて、驚いてしまった。
一言挨拶し、外で休ませてもらう。看板が出ており、コーヒー、紅茶など、飲み物の提供を行っていると書かれていた。
ゆっくり休んでもよかったのだが、まだ元気だったので、ちょっと腰を下ろしただけですぐに出発した。
ぼんやりと歩いていたら、危うく「以布利遍路道」を通過してしまう所だった。
前回は車道を歩いてみたのだが、随分と遠回りをしてしまっていた。今回は遍路道を忠実に辿っていく。
急な下りの歩きの道となる。以布利遍路橋を渡ると、再び上りとなり、一旦車道に出る。
すぐに再びあしずり遍路道の案内があり、林の中へ突入する。
亜熱帯風の樹木が生えている中を歩いて行くと、こんな所にという場所に、きれいな新築のお家があった。神戸ナンバーの車が止まっていたので、別荘なのだろうか。
竹林の歩きの道となり、表土が流れて歩きにくい部分も乗り越えて、車道に到達した。
再び、こんな所に、という場所に、元お好み焼き屋さんがある。かつては、この場所でお店を営業していたとは信じられない程の辺鄙な場所である。
今は「てまり」という、お遍路さん休憩処となっていた。庇を大きくとっているので、その下で休ませてもらおうと思ったら、今回はドアが開いており、中におばちゃんがいて、驚いてしまった。
一言挨拶し、外で休ませてもらう。看板が出ており、コーヒー、紅茶など、飲み物の提供を行っていると書かれていた。
ゆっくり休んでもよかったのだが、まだ元気だったので、ちょっと腰を下ろしただけですぐに出発した。
2019年04月09日
【3巡目-360】 以布利、窪津、38番金剛福寺まで 〈その7〉[2017年7月15日]
以布利港に向かって、初めて歩く車道を下って行くと、「大阪・海遊館 以布利センター」と、「じんべえ広場」があった。
この二つ、度々他の方の遍路紀行に登場しているのだが、自分には記憶が無く、おかしいなあ、と思っていた場所である。
まだまだ元気なので、ここは通過する。真夏の陽気となっているが、体調不良などは無く、今の所大丈夫である。
大きな堤防が続き、内側にある以布利の町を守っている。堤防の切れ目があり、前回までは以布利の街中を歩き、ここから港へと出ていたと思う。
港からは、歩きの小道が海岸奥へと続いている。小さな石や漂着物の上を歩くが、何となく踏み固められているので、ギリギリ道が分かる状態だった。
案内も風化してきており、やはり誰かが定期的に整備をしないと、歩きの遍路道の維持は厳しいと思う。
奥の方まで進み、マングローブ林のような木が覆っている中を入って行く。薄暗い上りの歩きの道となり、サワガニが逃げまどっていた。
車道へと出るが、この辺りは地図で見るイメージと違い、かなり辺鄙な場所、という印象で、人も車も見掛けることは滅多にない。
この二つ、度々他の方の遍路紀行に登場しているのだが、自分には記憶が無く、おかしいなあ、と思っていた場所である。
まだまだ元気なので、ここは通過する。真夏の陽気となっているが、体調不良などは無く、今の所大丈夫である。
大きな堤防が続き、内側にある以布利の町を守っている。堤防の切れ目があり、前回までは以布利の街中を歩き、ここから港へと出ていたと思う。
港からは、歩きの小道が海岸奥へと続いている。小さな石や漂着物の上を歩くが、何となく踏み固められているので、ギリギリ道が分かる状態だった。
案内も風化してきており、やはり誰かが定期的に整備をしないと、歩きの遍路道の維持は厳しいと思う。
奥の方まで進み、マングローブ林のような木が覆っている中を入って行く。薄暗い上りの歩きの道となり、サワガニが逃げまどっていた。
車道へと出るが、この辺りは地図で見るイメージと違い、かなり辺鄙な場所、という印象で、人も車も見掛けることは滅多にない。
2019年04月07日
【3巡目-359】 大岐の浜、以布利、窪津、38番金剛福寺まで 〈その6〉[2017年7月15日]
20分ちょっと大岐の浜を歩いて、突き当りの方までやって来た。
岩場にあったサンテナを目印に進んできたが、そのちょっと横手に道路へと上がる道があった。ブイがぶら下がっているのが目印である。
岩に座って足を乾かし、身なりを整える。斜面を上り、車道へと出て来た。
ちなみに、明日もこの大岐の浜を歩き、海水浴を楽しむことになる。
旧道となっている細い車道を進む。金沢ではセミが鳴き始めたばかりだったが、こちらではもう最盛期のように鳴き声が響き渡っていた。
国道321号線に出て、小学校の前を過ぎると、分岐となる。土佐清水市内へと続く立派なバイパスが完成しており、遍路は左折して旧道へと入る。
「民宿旅路」や「民宿星空」の辺りは、車が通らなくなり、すっかり静かになっていた。
この辺りのへんろ地図をよく見ると、歩きの点線の道がある。山側に遍路道があるのかも知れないが、見落としてしまった。
現代の遍路石の誘導に従って、左の細道へと入る。
福祉施設を囲むように歩くと車道に出る。遍路シールに従って左へと進むが、そのまま港へと続く、味気無い車道だった。
一巡目の時にこの辺りを歩いた時は確か、細道をグネグネと進み、港へと出ていたと思う。
岩場にあったサンテナを目印に進んできたが、そのちょっと横手に道路へと上がる道があった。ブイがぶら下がっているのが目印である。
岩に座って足を乾かし、身なりを整える。斜面を上り、車道へと出て来た。
ちなみに、明日もこの大岐の浜を歩き、海水浴を楽しむことになる。
旧道となっている細い車道を進む。金沢ではセミが鳴き始めたばかりだったが、こちらではもう最盛期のように鳴き声が響き渡っていた。
国道321号線に出て、小学校の前を過ぎると、分岐となる。土佐清水市内へと続く立派なバイパスが完成しており、遍路は左折して旧道へと入る。
「民宿旅路」や「民宿星空」の辺りは、車が通らなくなり、すっかり静かになっていた。
この辺りのへんろ地図をよく見ると、歩きの点線の道がある。山側に遍路道があるのかも知れないが、見落としてしまった。
現代の遍路石の誘導に従って、左の細道へと入る。
福祉施設を囲むように歩くと車道に出る。遍路シールに従って左へと進むが、そのまま港へと続く、味気無い車道だった。
一巡目の時にこの辺りを歩いた時は確か、細道をグネグネと進み、港へと出ていたと思う。
2019年04月05日
【3巡目-358】 大岐の浜 〈その5〉[2017年7月15日]
大岐観光センター、と言っても小さな喫茶店で、これまで二度利用して、モーニングを注文している。
その時は地元のおじさんで賑わっていたが、今回は立ち寄らないものの中を覗いてみると、やはり人の姿が。高知のモーニング文化はすごい。
大岐海岸へ出る分岐にコンクリート壁があったので、そこに腰掛けて一休みする。やっと、日陰で休める場所が見付かった。
案内板があり、大岐の浜の南側に小川があって、増水時には手前で車道に出るように、との事だった。裸足で歩くつもりなので、これは気にしなくてもよい。
三連休の初日でもあり、多くの人たちで賑わっている海岸へと出る。早速、サンダル・靴下を脱ぐ。
木橋を渡り、砂浜へ。遍路姿で少々恥ずかしいが、観光客の間を通り抜け、波打ち際へと出る。砂が引き締まっており、足が沈まないので歩きやすい。
金剛杖は海水に浸けてもいいものなのか考えたが、波灌頂があるので大丈夫だろう、といことで、杖を突きながら歩く。打ち寄せる波が気持ち良い。
水も透き通っており、とても綺麗だった。
しばらく進むと人も少なくなり、サーファーがポツポツいる程度なので、恥ずかしさも薄らいでいく。
その時は地元のおじさんで賑わっていたが、今回は立ち寄らないものの中を覗いてみると、やはり人の姿が。高知のモーニング文化はすごい。
大岐海岸へ出る分岐にコンクリート壁があったので、そこに腰掛けて一休みする。やっと、日陰で休める場所が見付かった。
案内板があり、大岐の浜の南側に小川があって、増水時には手前で車道に出るように、との事だった。裸足で歩くつもりなので、これは気にしなくてもよい。
三連休の初日でもあり、多くの人たちで賑わっている海岸へと出る。早速、サンダル・靴下を脱ぐ。
木橋を渡り、砂浜へ。遍路姿で少々恥ずかしいが、観光客の間を通り抜け、波打ち際へと出る。砂が引き締まっており、足が沈まないので歩きやすい。
金剛杖は海水に浸けてもいいものなのか考えたが、波灌頂があるので大丈夫だろう、といことで、杖を突きながら歩く。打ち寄せる波が気持ち良い。
水も透き通っており、とても綺麗だった。
しばらく進むと人も少なくなり、サーファーがポツポツいる程度なので、恥ずかしさも薄らいでいく。
2019年04月02日
第16回 名古屋ツーデーウオーク(愛知県) [2019年3月30日・31日]
3月30日(土)・31日(日)に、愛知県名古屋市で行われた、
「第16回名古屋ツーデーウオーク」 に参加してきました。
近いようで遠い名古屋です。数えるほどしか行ったことがありません。
「名古屋」という大都市での開催で、千~二千人位参加しているのかなあ、と思ったら、30km・21kmコース合わせても300人位でしょうか。
参加者の平均年齢も高い印象で、企業から動員されたような若者グループがいませんでした。
1日目は、中村公園やトヨタ産業技術記念館、名古屋城、大須観音などを巡る30kmコースです。
とにかく地方在住なので、名古屋市内の大きなビルディングやマンションが続く街並みに驚いてしまい、観るもの全てが新鮮です。
巨大マンションの一軒一軒、一人ひとりそれぞれに人生があるのかなあ、と感慨に耽ってみたりしながら、名古屋市内を歩き続けます。
この、「長者町繊維街」って凄い看板、まるで香港みたいです。
約7時間で、出発した熱田神宮公園に到着しました。
ウォーキングでは、都会名古屋を満喫していたのですが、終了後、車を走らせていると、慣れない道路に大きなクラクションは鳴らされるわ、食事する場所がなかなか見つからず、お風呂は芋の子を洗うような混雑、ともう帰りたくなってしまいました。
2日目は、山崎川さくら並木や東山動植物園、名古屋の中心「栄」などを歩く、30kmコースです。
こちらは一足早く、桜が咲きだしていました。
名古屋市内を歩いていて感じたのは、捨てられているゴミが少なく、街も埃っぽくなくてきれいだなあ、と思いました。
あと、新車の良い車に乗っている割合が高くないですか?
立派なセダンが明らかに多く走っており、金沢に帰ってきて改めて実感しました。軽自動車も少ないです。
生活水準はこちらと大きく違わないと思うのですが、どうしてでしょうか、不思議です。トヨタ自動車と関係があるのでしょうか。
もう一つ、コンビニの店員さんに外国人が多いことにも驚きました。入ったコンビニの半分は外国人店員でした。こちらでは滅多に見掛けません、というか、会ったことが無いかも。
名古屋からの帰りは、国道41号線を延々と走り、富山経由で帰って来ました。岐阜の山中で、予期せぬ降雪に。10㎝ほど積もって、前が見えないくらいの降りでした。
「第16回名古屋ツーデーウオーク」 に参加してきました。
近いようで遠い名古屋です。数えるほどしか行ったことがありません。
「名古屋」という大都市での開催で、千~二千人位参加しているのかなあ、と思ったら、30km・21kmコース合わせても300人位でしょうか。
参加者の平均年齢も高い印象で、企業から動員されたような若者グループがいませんでした。
1日目は、中村公園やトヨタ産業技術記念館、名古屋城、大須観音などを巡る30kmコースです。
とにかく地方在住なので、名古屋市内の大きなビルディングやマンションが続く街並みに驚いてしまい、観るもの全てが新鮮です。
巨大マンションの一軒一軒、一人ひとりそれぞれに人生があるのかなあ、と感慨に耽ってみたりしながら、名古屋市内を歩き続けます。
この、「長者町繊維街」って凄い看板、まるで香港みたいです。
約7時間で、出発した熱田神宮公園に到着しました。
ウォーキングでは、都会名古屋を満喫していたのですが、終了後、車を走らせていると、慣れない道路に大きなクラクションは鳴らされるわ、食事する場所がなかなか見つからず、お風呂は芋の子を洗うような混雑、ともう帰りたくなってしまいました。
2日目は、山崎川さくら並木や東山動植物園、名古屋の中心「栄」などを歩く、30kmコースです。
こちらは一足早く、桜が咲きだしていました。
名古屋市内を歩いていて感じたのは、捨てられているゴミが少なく、街も埃っぽくなくてきれいだなあ、と思いました。
あと、新車の良い車に乗っている割合が高くないですか?
立派なセダンが明らかに多く走っており、金沢に帰ってきて改めて実感しました。軽自動車も少ないです。
生活水準はこちらと大きく違わないと思うのですが、どうしてでしょうか、不思議です。トヨタ自動車と関係があるのでしょうか。
もう一つ、コンビニの店員さんに外国人が多いことにも驚きました。入ったコンビニの半分は外国人店員でした。こちらでは滅多に見掛けません、というか、会ったことが無いかも。
名古屋からの帰りは、国道41号線を延々と走り、富山経由で帰って来ました。岐阜の山中で、予期せぬ降雪に。10㎝ほど積もって、前が見えないくらいの降りでした。
タグ :第16回名古屋ツーデーウオーク