2015年12月29日
【3巡目-50】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その9〉[2015年8月15日]
「浄蓮庵」にて15分程休憩し、出発しようとしていた時、ボボボン・ボボボン‥と大きな音が山にこだまし、こちらの方へと近付いてきた。
バイクがやって来たようである。
先程発見した林道を上って来たのだろう。
エンジンの音が止まる。ヤンキーの怖いお兄さんでもやって来るのか、と様子を見てみると、団塊の世代風のおじさんであった。
こんにちは~とさわやかな挨拶をしてくれた。
こちらも挨拶を返し、出発する。
ここからは、これまで山道を上って来た苦労を否定するかのような下り道が続く。これ以上、下らないで、と願ったお遍路さんも多いことだろう。
「柳水庵」からの平坦な道で、左膝に違和感を感じたのだが、この下りで、痛みとまではいかないが、かばって歩きたくなるくらいの状態になってしまっていた。
痛みで歩けなくなるようなことは無いと思うが、これまでにも同じようなことがあった。
次回からは、膝にサポーターをつけて歩いてみるなど、対策をした方が良いのかも知れない。
歩きの道を下っていると、ムワッとした暑い空気が急に感じられた。下界に近付いて来た証だろう。
程なくして、集落が見えてきた、左右内集落である。
子供たちのはしゃぐ声が遠くから聞こえてくる。お盆で帰省してきているのだろうか。
本年のブログの更新はこれが最後です。本年は、拙い遍路日記を読んで頂き、ありがとうございました。良い年をお迎えください。
バイクがやって来たようである。
先程発見した林道を上って来たのだろう。
エンジンの音が止まる。ヤンキーの怖いお兄さんでもやって来るのか、と様子を見てみると、団塊の世代風のおじさんであった。
こんにちは~とさわやかな挨拶をしてくれた。
こちらも挨拶を返し、出発する。
ここからは、これまで山道を上って来た苦労を否定するかのような下り道が続く。これ以上、下らないで、と願ったお遍路さんも多いことだろう。
「柳水庵」からの平坦な道で、左膝に違和感を感じたのだが、この下りで、痛みとまではいかないが、かばって歩きたくなるくらいの状態になってしまっていた。
痛みで歩けなくなるようなことは無いと思うが、これまでにも同じようなことがあった。
次回からは、膝にサポーターをつけて歩いてみるなど、対策をした方が良いのかも知れない。
歩きの道を下っていると、ムワッとした暑い空気が急に感じられた。下界に近付いて来た証だろう。
程なくして、集落が見えてきた、左右内集落である。
子供たちのはしゃぐ声が遠くから聞こえてくる。お盆で帰省してきているのだろうか。
本年のブログの更新はこれが最後です。本年は、拙い遍路日記を読んで頂き、ありがとうございました。良い年をお迎えください。
2015年12月24日
【3巡目-49】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その8〉[2015年8月15日]
「浄蓮庵」に向かって、急な上り坂を、息を切らせながら進んで行く。
スギが多いことから、この辺りはすべて人工林、人の手が加わっているということになるのだろうか。
必死に山道を歩いていると、突然、右手にお大師さんが現れる。「浄蓮庵(一本杉庵)」に到着である。
巨大な一本杉を背にして、大きなお大師さんが出迎えてくれる。
これまで気が付かなかったが、進路はお大師さんの前を右方向だが、左手にも道が続いており、物置らしき建物が見えた。
少し探検してみると、広場になっており、林道が伸びていた。
歩いてしか来れない場所かと思っていたが、ここまで、車でもアクセス出来るようである。
「柳水庵」でも同様だったが、お墓が何基か見られるのは、集落があったということだろうか。
「浄蓮庵」は日当たりが悪く、やや埃っぽい印象で、休憩場所にも悩む場所である。青いベンチがあったので、そこに荷物を下ろして一休みした。
よく見ると、建物に表札らしき物が掛かっている。ここも普通に誰かが住んでいたのだろうか。
四年前には形をとどめていた、便器がむき出しのトイレは、崩れ去ってしまっていた。
スギが多いことから、この辺りはすべて人工林、人の手が加わっているということになるのだろうか。
必死に山道を歩いていると、突然、右手にお大師さんが現れる。「浄蓮庵(一本杉庵)」に到着である。
巨大な一本杉を背にして、大きなお大師さんが出迎えてくれる。
これまで気が付かなかったが、進路はお大師さんの前を右方向だが、左手にも道が続いており、物置らしき建物が見えた。
少し探検してみると、広場になっており、林道が伸びていた。
歩いてしか来れない場所かと思っていたが、ここまで、車でもアクセス出来るようである。
「柳水庵」でも同様だったが、お墓が何基か見られるのは、集落があったということだろうか。
「浄蓮庵」は日当たりが悪く、やや埃っぽい印象で、休憩場所にも悩む場所である。青いベンチがあったので、そこに荷物を下ろして一休みした。
よく見ると、建物に表札らしき物が掛かっている。ここも普通に誰かが住んでいたのだろうか。
四年前には形をとどめていた、便器がむき出しのトイレは、崩れ去ってしまっていた。
2015年12月19日
【3巡目-48】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その7〉[2015年8月15日]
午前9時半過ぎ、「柳水庵」の休憩所を出発した。
ちょうど、(11)藤井寺から(12)焼山寺までの所要時間の中間部分をこの場所で過ごしたことになる。
「柳水庵」がちょうど中間地点ということだろう。
車道に降りてくると、車がやって来る音が聞こえてきた。少し待っていると、旅行風の方たちの運転する車が通り過ぎて行った。焼山寺へと向かっているのだろうか。
30メートル進み、再び歩きの道へと入る。すぐにダートの林道に合流し、しばらくは車が通れるほどの道幅の林道が続く。
この林道が終わり歩きの道になると、きつい山道となる。
遍路ころがしで二番目にきつい区間、ということになるだろうか。
看板は、へんろころがし 4/6 となっていた。
舗装路を横断する場所で、前方から人がやって来た。(11)藤井寺からペースメーカーにしていたおじさんである。
「浄蓮庵」まで行って引き返してきたのだろうか。
最初はかなりのゆっくりペースで、合わせるのが大変なくらいだったが、途中から随分と速足になったようである。
急な上り坂が続く。これまでは、どこまで息が続くか、と頑張っていたのだが、今回は無理をせず、息が上がった時には適度に、立ったままの休憩を小刻みに行った。
ちょうど、(11)藤井寺から(12)焼山寺までの所要時間の中間部分をこの場所で過ごしたことになる。
「柳水庵」がちょうど中間地点ということだろう。
車道に降りてくると、車がやって来る音が聞こえてきた。少し待っていると、旅行風の方たちの運転する車が通り過ぎて行った。焼山寺へと向かっているのだろうか。
30メートル進み、再び歩きの道へと入る。すぐにダートの林道に合流し、しばらくは車が通れるほどの道幅の林道が続く。
この林道が終わり歩きの道になると、きつい山道となる。
遍路ころがしで二番目にきつい区間、ということになるだろうか。
看板は、へんろころがし 4/6 となっていた。
舗装路を横断する場所で、前方から人がやって来た。(11)藤井寺からペースメーカーにしていたおじさんである。
「浄蓮庵」まで行って引き返してきたのだろうか。
最初はかなりのゆっくりペースで、合わせるのが大変なくらいだったが、途中から随分と速足になったようである。
急な上り坂が続く。これまでは、どこまで息が続くか、と頑張っていたのだが、今回は無理をせず、息が上がった時には適度に、立ったままの休憩を小刻みに行った。
2015年12月15日
【3巡目-47】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その6〉[2015年8月15日]
「柳水庵」の休憩所には、清水が湧き出していた。
もちろん、この水の存在は知っていたが、万が一枯れていては、と思い、念のために5.5リットルもの飲料水をリュックに詰めてきていた。
汗をかきすぎないようにゆっくり歩いて来たことや、思ったほどの暑さではなかったので、結果的には2リットルのペットボトル一本でも大丈夫だった。
いくら何でも、5.5リットルは用意し過ぎだった。
(12)焼山寺まで歩き通せるか自信が無かったので、まだ今日の宿の予約はしていなかったが、ここまで来れば大丈夫だろう、と連絡してみる。
これまでの二巡では、「植村旅館」に宿泊している。一度、「なべいわ荘」に泊まってみたいと思っていたのだが、お盆中は営業しているのだろうか。
ということで、第一候補にしていた、神山の「桜屋旅館」に電話すると、無事に予約を取ることが出来た。
名古屋の青年が先に出発していった。
今日は行ける所まで行く、と話していたが、無事に二日間の遍路旅を終えただろうか。
よく考えてみると、歩き遍路の方との会話は、3年振りになるだろうか。
最近では、宿に泊まっても貸切ばかりで、実際に今回泊まった二つの宿もそうだった。明日、明後日とも、道中、歩き遍路さんとは出会わなかった。
青年の話では、「旅館吉野」に宿泊していた歩き遍路は3~4人だったそうで、ここまで、50代くらいの男性と40代くらいの女性の二人を追い越してきた、と話していた。
食欲は無かったが、おにぎりを一つ食べて、こちらも出発した。
もちろん、この水の存在は知っていたが、万が一枯れていては、と思い、念のために5.5リットルもの飲料水をリュックに詰めてきていた。
汗をかきすぎないようにゆっくり歩いて来たことや、思ったほどの暑さではなかったので、結果的には2リットルのペットボトル一本でも大丈夫だった。
いくら何でも、5.5リットルは用意し過ぎだった。
(12)焼山寺まで歩き通せるか自信が無かったので、まだ今日の宿の予約はしていなかったが、ここまで来れば大丈夫だろう、と連絡してみる。
これまでの二巡では、「植村旅館」に宿泊している。一度、「なべいわ荘」に泊まってみたいと思っていたのだが、お盆中は営業しているのだろうか。
ということで、第一候補にしていた、神山の「桜屋旅館」に電話すると、無事に予約を取ることが出来た。
名古屋の青年が先に出発していった。
今日は行ける所まで行く、と話していたが、無事に二日間の遍路旅を終えただろうか。
よく考えてみると、歩き遍路の方との会話は、3年振りになるだろうか。
最近では、宿に泊まっても貸切ばかりで、実際に今回泊まった二つの宿もそうだった。明日、明後日とも、道中、歩き遍路さんとは出会わなかった。
青年の話では、「旅館吉野」に宿泊していた歩き遍路は3~4人だったそうで、ここまで、50代くらいの男性と40代くらいの女性の二人を追い越してきた、と話していた。
食欲は無かったが、おにぎりを一つ食べて、こちらも出発した。
2015年12月10日
【3巡目-46】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その5〉[2015年8月15日]
「へんろみち保存協力会」のHPを見ると、廃業した宿がずらりと掲載されていました。
https://www.iyohenro.jp/contents/news/map
宿主の高齢化が言われていましたが、実際に年月が経って、廃業する宿がかなり出てきたようです。
太龍寺の麓の坂口屋さんなど、周りに宿が無い所はきついですね。連絡すれば送迎してくれる宿もあるようですが、気兼ねで連絡しづらいですし、計画が立てにくくなってきました。
下方に建物が見える地点までやって来た。「柳水庵」である。
ここからは急な下り道が続くので、膝を痛めないように静かに降りて行く。
「柳水庵」の奥の院があり、中に入ってみると、遍路ノートが置かれてあった。今日の日付で二人組の名前が書かれていたが、1時間以上前に通過したようである。
「柳水庵」で手を合わせ、少し下った場所にある休憩所にやって来た。
(11)藤井寺から2時間23分での到着である。
「長戸庵」で会った青年が、腰を下ろして休んでいた。こちらも、隣に座らせてもらう。
名古屋から来られたそうで、GWに続き、二回目の遍路、との事。
今回の予定が(19)井戸寺までだったので、同じ日程かと思ったら、明日行く予定だそうで、こちらより一日早い計画だった。
今日は行ける所まで行って、どこかに泊まるそうである。
「旅館吉野」に泊まって、今日から歩き始め、明日帰る、と話していた。
へんろ地図は持参しておらず、携帯で地図を見ながら歩いているそうである。
仕事の都合で二日間しか歩けないとの事だった。何が彼を四国遍路へと駆り立てているのだろうか。
https://www.iyohenro.jp/contents/news/map
宿主の高齢化が言われていましたが、実際に年月が経って、廃業する宿がかなり出てきたようです。
太龍寺の麓の坂口屋さんなど、周りに宿が無い所はきついですね。連絡すれば送迎してくれる宿もあるようですが、気兼ねで連絡しづらいですし、計画が立てにくくなってきました。
下方に建物が見える地点までやって来た。「柳水庵」である。
ここからは急な下り道が続くので、膝を痛めないように静かに降りて行く。
「柳水庵」の奥の院があり、中に入ってみると、遍路ノートが置かれてあった。今日の日付で二人組の名前が書かれていたが、1時間以上前に通過したようである。
「柳水庵」で手を合わせ、少し下った場所にある休憩所にやって来た。
(11)藤井寺から2時間23分での到着である。
「長戸庵」で会った青年が、腰を下ろして休んでいた。こちらも、隣に座らせてもらう。
名古屋から来られたそうで、GWに続き、二回目の遍路、との事。
今回の予定が(19)井戸寺までだったので、同じ日程かと思ったら、明日行く予定だそうで、こちらより一日早い計画だった。
今日は行ける所まで行って、どこかに泊まるそうである。
「旅館吉野」に泊まって、今日から歩き始め、明日帰る、と話していた。
へんろ地図は持参しておらず、携帯で地図を見ながら歩いているそうである。
仕事の都合で二日間しか歩けないとの事だった。何が彼を四国遍路へと駆り立てているのだろうか。
2015年12月06日
【3巡目-45】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その4〉[2015年8月15日]
「長戸庵」を出てすぐ、写真のような、以前は見られなかった誘導版があった。
「樋山地、石鎚神社、お鎖」となっている。
この先にも何か所かで、同じような道標があったが、何か歴史のある場所なのだろう。
本日は(12)焼山寺に向けて、到達できるか心配で、とても立ち寄る気力は湧かないが、機会があれば最初から計画に入れて周ってみることも考えてみたい。
「長戸庵」から10分弱で、下界の素晴らしい眺めを堪能できるスポットに到着である。
新しい立杭があり、「ここは風景発心の地」と書かれてある。屋根付きの休憩所もあった。
おそらく、一番霊山寺からこれまで歩いて来た道のりを一望出来ているのかも知れない。
「長戸庵」で出会った青年もやって来て、写真を撮っている。
この先、分岐がいくつかあるが、先程の「樋山地」への物など、わりと新しい立杭が出来ており、焼山寺や藤井寺への所要時間も表示されているなど、分かりやすく案内してくれている。
その分岐の一つで写真を撮っていると、先程の青年が一声かけて追い越して行った。歩くペースはかなり早いようである。
ここまで、下界では30度を超えている真夏の山登りとなっているが、タクシーの運転手さんが話していたように樹木に覆われている場所がほとんどで、むしろ冷んやりとさえしていた。
「樋山地、石鎚神社、お鎖」となっている。
この先にも何か所かで、同じような道標があったが、何か歴史のある場所なのだろう。
本日は(12)焼山寺に向けて、到達できるか心配で、とても立ち寄る気力は湧かないが、機会があれば最初から計画に入れて周ってみることも考えてみたい。
「長戸庵」から10分弱で、下界の素晴らしい眺めを堪能できるスポットに到着である。
新しい立杭があり、「ここは風景発心の地」と書かれてある。屋根付きの休憩所もあった。
おそらく、一番霊山寺からこれまで歩いて来た道のりを一望出来ているのかも知れない。
「長戸庵」で出会った青年もやって来て、写真を撮っている。
この先、分岐がいくつかあるが、先程の「樋山地」への物など、わりと新しい立杭が出来ており、焼山寺や藤井寺への所要時間も表示されているなど、分かりやすく案内してくれている。
その分岐の一つで写真を撮っていると、先程の青年が一声かけて追い越して行った。歩くペースはかなり早いようである。
ここまで、下界では30度を超えている真夏の山登りとなっているが、タクシーの運転手さんが話していたように樹木に覆われている場所がほとんどで、むしろ冷んやりとさえしていた。
2015年12月02日
【3巡目-44】 11番藤井寺から12番焼山寺、神山市街まで 〈その3〉[2015年8月15日]
「端山休憩所」で水分補給をし、すぐに歩き出す。
最初のきつい勾配区間は乗り越えた、と思ったが、この先も、意外と上りがあった。
この辺りで、前方をペースメーカーのように歩いていたおじさんが,、いつの間にかいなくなってしまった。
どうやら、ペースアップして、先に行ってしまったようである。
この方とはその後、「柳水庵」と「浄蓮庵(一本杉庵)」の中間ですれ違った。どこで引き返してきたのだろうか。
ゆるやかな稜線上の道で、記憶に無い水場があった。これまでは、水分補給が出来そうなほどには水が出ていなかったので覚えていないのだろう。今回はちょろちょろと清水が出ており、口に含めそうな感じである。せっかくなので、一口飲ませてもらった。
(11)藤井寺から1時間13分、ようやく「長戸庵」に到着した。人の気配は無い。
最初の休憩ポイントに考えていたので、荷物を降ろしてゆっくりと休憩する。
今回の遍路は、真夏であり、金沢から少しの仮眠だけで車を走らせて来ているので、体調不良など最悪の場合には、ここから山を下ることも考えていた。
現在までの所、全く大丈夫である。
一休みしていると、一人の青年がやって来た。お賽銭を入れてお参りしている。遍路衣装は身につけていないが、おそらく歩き遍路さんだろう。
この時は挨拶だけをして、こちらが先に出発した。
最初のきつい勾配区間は乗り越えた、と思ったが、この先も、意外と上りがあった。
この辺りで、前方をペースメーカーのように歩いていたおじさんが,、いつの間にかいなくなってしまった。
どうやら、ペースアップして、先に行ってしまったようである。
この方とはその後、「柳水庵」と「浄蓮庵(一本杉庵)」の中間ですれ違った。どこで引き返してきたのだろうか。
ゆるやかな稜線上の道で、記憶に無い水場があった。これまでは、水分補給が出来そうなほどには水が出ていなかったので覚えていないのだろう。今回はちょろちょろと清水が出ており、口に含めそうな感じである。せっかくなので、一口飲ませてもらった。
(11)藤井寺から1時間13分、ようやく「長戸庵」に到着した。人の気配は無い。
最初の休憩ポイントに考えていたので、荷物を降ろしてゆっくりと休憩する。
今回の遍路は、真夏であり、金沢から少しの仮眠だけで車を走らせて来ているので、体調不良など最悪の場合には、ここから山を下ることも考えていた。
現在までの所、全く大丈夫である。
一休みしていると、一人の青年がやって来た。お賽銭を入れてお参りしている。遍路衣装は身につけていないが、おそらく歩き遍路さんだろう。
この時は挨拶だけをして、こちらが先に出発した。