2023年08月31日
【4巡目-67】 13番大日寺にて [2021年2月22日‐その16]
大阪のKさんの話によると、「旅館吉野」に泊まっていたのは4名、先達風の方とお供の二人組、もう一人歩き遍路の方とKさん、との事だった。
もう一人の歩きの方は、新型コロナの感染を気にして、部屋食にしてもらったそうである。
失礼ながら、何と我侭なお遍路さんがいるものだ、と思ってしまった。そんなに不安なら、ホテル泊まりでも良いと思うのだが。
結局、一人っきりのような食事となってしまい、寂しかったそうで、今声を掛けてもらって嬉しかった、と話していた。
一昨日は、広島のTさんとの楽しい夕食だったから、日によって、変わるものである。
本日の宿は、予約が遅かったため、素泊まりになってしまったそうである。
自分が「鱗楼」に泊まることをお話しすると、宿のHPを確認し、連絡してみると、すでに午後3時を過ぎていたにも関わらず食事を提供してくれるとの事で、一緒な宿に泊まることになった。
同宿する歩き遍路さんと出会えて、こちらも嬉しかった。
ご一緒してよろしいですか、と言われ、同じ宿に泊まることに良いも何もないだろうと思っていたら、一緒に宿まで歩きましょう、という、お誘いの言葉だった。
あまり誘われたことがないので、ちょっと驚く。
もう一人の歩きの方は、新型コロナの感染を気にして、部屋食にしてもらったそうである。
失礼ながら、何と我侭なお遍路さんがいるものだ、と思ってしまった。そんなに不安なら、ホテル泊まりでも良いと思うのだが。
結局、一人っきりのような食事となってしまい、寂しかったそうで、今声を掛けてもらって嬉しかった、と話していた。
一昨日は、広島のTさんとの楽しい夕食だったから、日によって、変わるものである。
本日の宿は、予約が遅かったため、素泊まりになってしまったそうである。
自分が「鱗楼」に泊まることをお話しすると、宿のHPを確認し、連絡してみると、すでに午後3時を過ぎていたにも関わらず食事を提供してくれるとの事で、一緒な宿に泊まることになった。
同宿する歩き遍路さんと出会えて、こちらも嬉しかった。
ご一緒してよろしいですか、と言われ、同じ宿に泊まることに良いも何もないだろうと思っていたら、一緒に宿まで歩きましょう、という、お誘いの言葉だった。
あまり誘われたことがないので、ちょっと驚く。
2023年08月28日
【4巡目-66】 13番大日寺 [2021年2月22日‐その15]
午後2時半を回って、(13)大日寺に到着した。
「もりあんloft」を出たのが、午前7時前だったから、8時間近く掛かっている。
建治寺にも立ち寄っているが、距離は20km弱なので、時速2.5kmペースと、相変わらずののんびりさ、である。
大日寺の境内に入ると、歩き風の方が庇の下に座っていた。
自分の近くを歩いてるお遍路さんは、旅館吉野で一緒だった広島のTさんと、焼山寺への道で見掛けた野宿風の方の二人だけだろうなあ、と思っていたから、ちょっと驚く。
参拝した後もまだいらっしゃったので、話し掛けてみた。
大阪から来られたKさんで、56才との事、自分より5才年上である。大阪からの移動は制限されていた時期だったのだが、そうなんですか、と知らなかったようだ。
話を聞いてみると、なかなか興味深かった。
何と、自分が泊まった翌日に、「旅館吉野」に宿泊したそうである。
という事は、今朝吉野さんを出て、(12)焼山寺に向かったが、道に迷ってしまい到着が遅れてしまった。たまたま焼山寺で出会った方に、お接待で(13)大日寺まで車で送ってもらった、との話しであった。
一日遅れで同じ宿に泊まった方と出会うとは、不思議な感覚である。
「もりあんloft」を出たのが、午前7時前だったから、8時間近く掛かっている。
建治寺にも立ち寄っているが、距離は20km弱なので、時速2.5kmペースと、相変わらずののんびりさ、である。
大日寺の境内に入ると、歩き風の方が庇の下に座っていた。
自分の近くを歩いてるお遍路さんは、旅館吉野で一緒だった広島のTさんと、焼山寺への道で見掛けた野宿風の方の二人だけだろうなあ、と思っていたから、ちょっと驚く。
参拝した後もまだいらっしゃったので、話し掛けてみた。
大阪から来られたKさんで、56才との事、自分より5才年上である。大阪からの移動は制限されていた時期だったのだが、そうなんですか、と知らなかったようだ。
話を聞いてみると、なかなか興味深かった。
何と、自分が泊まった翌日に、「旅館吉野」に宿泊したそうである。
という事は、今朝吉野さんを出て、(12)焼山寺に向かったが、道に迷ってしまい到着が遅れてしまった。たまたま焼山寺で出会った方に、お接待で(13)大日寺まで車で送ってもらった、との話しであった。
一日遅れで同じ宿に泊まった方と出会うとは、不思議な感覚である。
2023年08月25日
【4巡目-65】 おやすみなし亭、13番大日寺へ [2021年2月22日‐その14]
以前の「おやすみなし亭」では、お接待の食料、飲料を、たくさん提供してくれていた。
それが、随分と質素な感じになっており、失礼な言い方になってしまうが、みかんが数個置いてあるだけだった。
これまでお世話をしてくれていた方が、出来なくなってしまったのだろう、と想像する。
納札がいっぱい貼られていた遍路ノートもあって、書き込みもさせてもらったのだが。
何事も、何十年単位で継続していくことは難しいのだろうことを実感する。
おやすみなし亭を出発、十数分でセブンイレブンがあり、一休みしていくことにした。
この辺り、以前は食事する場所が見当たらなかったものだが、遍路道沿いにもコンビニが増えてきて、便利になったものである。
コンビニの横には梁田橋があるが、ここは潜水橋となっており、一度歩いてみたいと思っている。
植村旅館の方から歩いてきたら、広野集落の所で橋を渡らずにそのまま川の反対側を進んで、梁田橋を使うのもありである。
それが、随分と質素な感じになっており、失礼な言い方になってしまうが、みかんが数個置いてあるだけだった。
これまでお世話をしてくれていた方が、出来なくなってしまったのだろう、と想像する。
納札がいっぱい貼られていた遍路ノートもあって、書き込みもさせてもらったのだが。
何事も、何十年単位で継続していくことは難しいのだろうことを実感する。
おやすみなし亭を出発、十数分でセブンイレブンがあり、一休みしていくことにした。
この辺り、以前は食事する場所が見当たらなかったものだが、遍路道沿いにもコンビニが増えてきて、便利になったものである。
コンビニの横には梁田橋があるが、ここは潜水橋となっており、一度歩いてみたいと思っている。
植村旅館の方から歩いてきたら、広野集落の所で橋を渡らずにそのまま川の反対側を進んで、梁田橋を使うのもありである。
2023年08月22日
【4巡目-64】 13番大日寺へ [2021年2月22日‐その13]
静かな車道を歩いていると、へんろ道保存協力会の立杭が残っていた。
杭に書かれた言葉は、「へんろとは 歩くこと也 感謝と行〇〇」だった。「行」の後の文字は消えてしまっていた。何だったのだろうか。
下界に到達、民家が見られるようになってきた。
へんろ地図では、建治寺から下りてきて、そのまま一直線に車道を下り遍路道に合流、ではなく、途中で右折することになっている。
左の写真の場所がその分岐だろう、右折する。
短い距離だが、所々に石仏があった。今はただの田舎道のような感じだったが、歴史ある、古くからの道なのだろうか。
(13)大日寺への、通常の遍路道となっている県道に合流する。
ちょっと戻って、歩き遍路の休憩所としてお馴染みの、「おやすみなし亭」に寄らせてもらうことにした。
中に入ってみると、ガランとした感じで、以前とは随分と様相が変わっていた。
杭に書かれた言葉は、「へんろとは 歩くこと也 感謝と行〇〇」だった。「行」の後の文字は消えてしまっていた。何だったのだろうか。
下界に到達、民家が見られるようになってきた。
へんろ地図では、建治寺から下りてきて、そのまま一直線に車道を下り遍路道に合流、ではなく、途中で右折することになっている。
左の写真の場所がその分岐だろう、右折する。
短い距離だが、所々に石仏があった。今はただの田舎道のような感じだったが、歴史ある、古くからの道なのだろうか。
(13)大日寺への、通常の遍路道となっている県道に合流する。
ちょっと戻って、歩き遍路の休憩所としてお馴染みの、「おやすみなし亭」に寄らせてもらうことにした。
中に入ってみると、ガランとした感じで、以前とは随分と様相が変わっていた。
2023年08月19日
【4巡目-63】 建治寺、13番大日寺へ [2021年2月22日‐その12]
建治の滝には、結界だろうか、縄が張られていた。迂闊に入ってはいけないのだろう。
はっきりと覚えていないのだが、確か眼鏡のレンズを洗いたくて、恐る恐るちょっとだけ中に入って、小川の水ですすがせてもらったような気がする。
滝行と言えば、(61)香園寺の奥之院、白滝で行っているから一応経験済みではある。
建治の滝を過ぎてから、遍路石や石仏があるものの、荒れた歩きの道が続く。
へんろ地図では一直線に下りるような感じになっているが、右に左に進み、道が分かりにくかった。
数年後には消えてしまうのではないか、と心配である。
写真の鳥居のようなものは、木を乗せただけのようだが、人為的に造られたものだろうか。
建治の滝から15分程山道を下った所で、廃屋が見えてきた。下界に到達したようである。
建治の滝案内図がある。
レトロな看板であるが、建治寺まで、Aコース1700m(車道)Bコース1200m(歩道)と、まだ新しい案内が、左隅にあった。
はっきりと覚えていないのだが、確か眼鏡のレンズを洗いたくて、恐る恐るちょっとだけ中に入って、小川の水ですすがせてもらったような気がする。
滝行と言えば、(61)香園寺の奥之院、白滝で行っているから一応経験済みではある。
建治の滝を過ぎてから、遍路石や石仏があるものの、荒れた歩きの道が続く。
へんろ地図では一直線に下りるような感じになっているが、右に左に進み、道が分かりにくかった。
数年後には消えてしまうのではないか、と心配である。
写真の鳥居のようなものは、木を乗せただけのようだが、人為的に造られたものだろうか。
建治の滝から15分程山道を下った所で、廃屋が見えてきた。下界に到達したようである。
建治の滝案内図がある。
レトロな看板であるが、建治寺まで、Aコース1700m(車道)Bコース1200m(歩道)と、まだ新しい案内が、左隅にあった。
2023年08月16日
【4巡目-62】 建治寺、13番大日寺へ [2021年2月22日‐その11]
外の木製ベンチの所で一休みさせてもらう。
「もりあんloft」で持たせてくれたお接待のおむすびを食べていた所、やはり親切なお寺さんで、コーヒーとお茶をお接待してくれた。
この日は天気も良く、気持ち良く過ごせた。
建治寺から(13)大日寺へは、初めて歩く道となる。
滝行場も通るようなのでどんな遍路道なのだろうか、楽しみである。
荒れた歩きの道を下って行く。四国八十八ヶ所の石仏が点在していた。写真に残っており偶々気付いたのだが、「七十番が山本寺」となっていた。本山寺の誤りだろう。
へんろ道保存協力会の立杭があり、「鎖坂道 すべり注意」と「左道 迂回路(安全)」の分岐があった。
いつも通り、きつそうな方の鎖坂道を選択する。
鎖を使って下へ降りたのだが、ほとんど記憶が残っていないので、そんなに恐ろしい道では無かったのだろう。
鎖道を過ぎると、滝行をすると言う、建治の滝があった。
「建治寺」から15分程の距離があった。すぐ近くにあると思っていたから、通り過ぎてしまったのか、と諦めていた所だった。
「もりあんloft」で持たせてくれたお接待のおむすびを食べていた所、やはり親切なお寺さんで、コーヒーとお茶をお接待してくれた。
この日は天気も良く、気持ち良く過ごせた。
建治寺から(13)大日寺へは、初めて歩く道となる。
滝行場も通るようなのでどんな遍路道なのだろうか、楽しみである。
荒れた歩きの道を下って行く。四国八十八ヶ所の石仏が点在していた。写真に残っており偶々気付いたのだが、「七十番が山本寺」となっていた。本山寺の誤りだろう。
へんろ道保存協力会の立杭があり、「鎖坂道 すべり注意」と「左道 迂回路(安全)」の分岐があった。
いつも通り、きつそうな方の鎖坂道を選択する。
鎖を使って下へ降りたのだが、ほとんど記憶が残っていないので、そんなに恐ろしい道では無かったのだろう。
鎖道を過ぎると、滝行をすると言う、建治の滝があった。
「建治寺」から15分程の距離があった。すぐ近くにあると思っていたから、通り過ぎてしまったのか、と諦めていた所だった。
2023年08月13日
【4巡目-61】 番外 建治寺 [2021年2月22日‐その10]
最後の土道を上ると、建治寺への車道に合流した。
へんろ道保存協力会の立杭も辛うじて残っていた。
杭の横には、「南無大師遍照金剛 唱え歩めば涙流るゝ」であった。
お寺まであと一息である。
先程まで、あれだけしていたくしゃみが出なくなった。もしかして不思議体験か、と期待したのだが、お寺に着くと、また出だしたから違ったようである、残念。
お昼過ぎ、番外建治寺の駐車場に到着した。ここからの眺めが素晴らしい。
麓の遍路道沿いの鮎喰川が、谷間から平野部に出る様子がよく分かる。
望遠にして撮ってみると、吉野川まできれいに見えていた。
辰濃和男さんの著書「四国遍路」に書かれていたお寺である。
前回訪れた時には、住職さんが、山奥に何ヶ月か籠って修行している、など色々な話を聞かせてくれた。
今回もお会い出来るかなあ、と思っていたが姿は見られず、奥さんらしき方が納経所にいらっしゃった。
へんろ道保存協力会の立杭も辛うじて残っていた。
杭の横には、「南無大師遍照金剛 唱え歩めば涙流るゝ」であった。
お寺まであと一息である。
先程まで、あれだけしていたくしゃみが出なくなった。もしかして不思議体験か、と期待したのだが、お寺に着くと、また出だしたから違ったようである、残念。
お昼過ぎ、番外建治寺の駐車場に到着した。ここからの眺めが素晴らしい。
麓の遍路道沿いの鮎喰川が、谷間から平野部に出る様子がよく分かる。
望遠にして撮ってみると、吉野川まできれいに見えていた。
辰濃和男さんの著書「四国遍路」に書かれていたお寺である。
前回訪れた時には、住職さんが、山奥に何ヶ月か籠って修行している、など色々な話を聞かせてくれた。
今回もお会い出来るかなあ、と思っていたが姿は見られず、奥さんらしき方が納経所にいらっしゃった。
2023年08月10日
【4巡目-60】 番外建治寺へ② [2021年2月22日‐その9]
立派な石に、右へんろの文字が彫られたもの、そしてへんろ道保存協力会の立杭もある分岐へとやって来た。
そのまま進めば(13)大日寺、右が建治寺、との事である。
大日寺に向かえるなら、この道を通るのも、少し勾配はあるが楽しそうである。
この辺り、開けており眺めが良い。ちょっと一休みしていくことにした。
それにしても、花粉症によるくしゃみが出まくっている。下界にくしゃみが響き渡っていたことだろう。ポツポツある民家の住人にも聞こえていたに違いない。
ここからの道もまた、楽しかった。
民家のある舗装路になったり、荒れ気味の土道になったり変化に富んでいる。遍路札も何とか残っており、迷う事はなかった。
平成遍路石がある、見覚えのある車道に出て来た。神山森林公園からの道である。
前回は、建治寺からこの場所に出て、車道を下って、[2]童学寺へと向かっている。今回は、反対方向から上がることになる。
土道を上がると、脇から生えているごつい草を刈ってくれた形跡があった。
歩き易い土道だったり、ガレ場もあったりする。色々な種類の遍路石も残っている。
そのまま進めば(13)大日寺、右が建治寺、との事である。
大日寺に向かえるなら、この道を通るのも、少し勾配はあるが楽しそうである。
この辺り、開けており眺めが良い。ちょっと一休みしていくことにした。
それにしても、花粉症によるくしゃみが出まくっている。下界にくしゃみが響き渡っていたことだろう。ポツポツある民家の住人にも聞こえていたに違いない。
ここからの道もまた、楽しかった。
民家のある舗装路になったり、荒れ気味の土道になったり変化に富んでいる。遍路札も何とか残っており、迷う事はなかった。
平成遍路石がある、見覚えのある車道に出て来た。神山森林公園からの道である。
前回は、建治寺からこの場所に出て、車道を下って、[2]童学寺へと向かっている。今回は、反対方向から上がることになる。
土道を上がると、脇から生えているごつい草を刈ってくれた形跡があった。
歩き易い土道だったり、ガレ場もあったりする。色々な種類の遍路石も残っている。
2023年08月07日
【4巡目-59】 番外建治寺へ① [2021年2月22日‐その8]
番外の建治寺へと入る分岐は記憶にあったのだが、道路の改良があったようで、随分と広々とした場所となっていた。
看板もあって、分かりやすい。
ここから右側への道に入る。
人の気配がしない、薄暗い車道を黙々と上って行く。十数分経った頃、周囲が開けて、民家があった。
桃源郷のようなと言おうか、時代劇にも出てきそうな昔の雰囲気だった。
こんな場所に家が、と思っていたら、次第にポツポツと数が増えてきた。
立派な遍路石もあった。
調べてみると、これは照蓮の標石と言うらしい。
昔の(13)大日寺への遍路道は、現在の川沿いの道ではなく、この辺りを通っていたようで、その標石、という事である。
それにしても、くしゃみをしまくり、鼻水も出まくりである。
どうやら、花粉症の症状が出ているようである。春先になると、ちょっとくしゃみが出る程度だったのが、年々ひどくなっているような気がする。
花粉症に罹っているのを認めないといけないのだろうか。
看板もあって、分かりやすい。
ここから右側への道に入る。
人の気配がしない、薄暗い車道を黙々と上って行く。十数分経った頃、周囲が開けて、民家があった。
桃源郷のようなと言おうか、時代劇にも出てきそうな昔の雰囲気だった。
こんな場所に家が、と思っていたら、次第にポツポツと数が増えてきた。
立派な遍路石もあった。
調べてみると、これは照蓮の標石と言うらしい。
昔の(13)大日寺への遍路道は、現在の川沿いの道ではなく、この辺りを通っていたようで、その標石、という事である。
それにしても、くしゃみをしまくり、鼻水も出まくりである。
どうやら、花粉症の症状が出ているようである。春先になると、ちょっとくしゃみが出る程度だったのが、年々ひどくなっているような気がする。
花粉症に罹っているのを認めないといけないのだろうか。
2023年08月04日
【4巡目-58】 広野、番外建治寺へ [2021年2月22日‐その7]
小さな「赤松峠」を越えると、広野の集落へと入って行く。
個人商店が並び、一昔前はちょっとした商店街だったのだろう、懐かしさを感じる雰囲気だった。
結構大きな集落と思われ、さすが中学校が残っている町だなあ、と思ったが、調べてみると近年になって休校になり、広野小学校がここに移ったようである。
ここの学校のグラウンドの一角の遍路道沿いには、自由に使える綺麗なトイレがあったのだが、今も利用出来るのだろうか。
今回は利用せず、写真だけ撮って通過したのだが、入口が開いており、利用可能な雰囲気ではある。
広野を過ぎてから、三巡目に続き、番外の建治寺を目指すことにしている。
前回は、神山森林公園側から入り、別格の童学寺へと抜けているが、今回は広野側から入り、(13)大日寺方面へと進むから、一般的なルートという事になるのだろうか。
初めて歩く道となるから、楽しみである。
個人商店が並び、一昔前はちょっとした商店街だったのだろう、懐かしさを感じる雰囲気だった。
結構大きな集落と思われ、さすが中学校が残っている町だなあ、と思ったが、調べてみると近年になって休校になり、広野小学校がここに移ったようである。
ここの学校のグラウンドの一角の遍路道沿いには、自由に使える綺麗なトイレがあったのだが、今も利用出来るのだろうか。
今回は利用せず、写真だけ撮って通過したのだが、入口が開いており、利用可能な雰囲気ではある。
広野を過ぎてから、三巡目に続き、番外の建治寺を目指すことにしている。
前回は、神山森林公園側から入り、別格の童学寺へと抜けているが、今回は広野側から入り、(13)大日寺方面へと進むから、一般的なルートという事になるのだろうか。
初めて歩く道となるから、楽しみである。
2023年08月01日
【4巡目-57】 旧遍路道探索(赤松峠) [2021年2月22日‐その6]
鮎喰川に沿って、梅の花を眺めながら歩みを進める。
この先、再び今日のメインイベントの一つがある。
東海図版の四国遍路地図によると、神山温泉方面からの道と合流する、広野集落の手前にある秋葉神社を囲むようにして赤い点線の遍路道がある。
ほんの短い距離なのだが、ここを探検することである。
それらしき分岐はすぐに見つかり、坂を上る。
先程の玉ヶ峠からの探索と同じく、民家の敷地内を通るような形となっていて、ちょっと緊張する。
ただこちらは、その先に土道が見えている。
「赤松峠」の看板があり、日当たりの良い丘のような感じで、百五十四丁の丁石やたくさんの石碑、昔の墓らしきものなどもある、由緒あり気な場所であった。
またも、新たな遍路道発見である。
遍路札やシールが無いのは、民家を抜けるからだろうか。
この先、再び今日のメインイベントの一つがある。
東海図版の四国遍路地図によると、神山温泉方面からの道と合流する、広野集落の手前にある秋葉神社を囲むようにして赤い点線の遍路道がある。
ほんの短い距離なのだが、ここを探検することである。
それらしき分岐はすぐに見つかり、坂を上る。
先程の玉ヶ峠からの探索と同じく、民家の敷地内を通るような形となっていて、ちょっと緊張する。
ただこちらは、その先に土道が見えている。
「赤松峠」の看板があり、日当たりの良い丘のような感じで、百五十四丁の丁石やたくさんの石碑、昔の墓らしきものなどもある、由緒あり気な場所であった。
またも、新たな遍路道発見である。
遍路札やシールが無いのは、民家を抜けるからだろうか。