2025年03月23日
【4巡目-147】 第36回 区切り打ち 帰宅 (後編) [2023年2月21日‐その12]

平日の日中にも関わらず、お客さんはたくさんいた。
(23)薬王寺まで頑張って早歩きしたお陰で、ゆっくり過ごすことが出来た。
ここの入浴料750円は、山茶花でもらった徳島割のクーポンで支払する。ようやく、クーポンが役に立った、と言えようか。

途中にあるファミレスは、ここ「トマトオニオン」だけだろうか。
クーポンが使える、との事で、ハンバーグのセットを注文する。
夕方5時を過ぎ、徳島県を離れ、深夜に、無事、金沢へと帰り着いた。
コースタイム
佐古駅→




[第36回区切り打ち 完]
タグ :歩き遍路
2025年03月18日
【4巡目-146】 第36回 区切り打ち 帰宅 (前編) [2023年2月21日‐その11]

車内は空いていた。
どこの駅から乗ったのか分からないが、おじさんのお遍路さんが一人、同乗していた。
(22)平等寺最寄りの新野駅からは、新たに若い女性のお遍路さんが乗車してきた。
この昼の時間の列車に乗れるとは、前日はどこの宿に泊まったのだろうか。
慌てて乗ったから、整理券を取るのを忘れてしまっていた。
車内表示に、整理券が無い場合には始発からの運賃を頂きます、と書かれていた。どうしようか、と不安になっていたが、降りる時に運転士さんに事情を話すと、佐古駅の駅員さんに伝えれば大丈夫ですよ、と言ってもらえて助かった。

車を止めてある、一日200円パーキングに戻って来た。
本日のコースタイム
山茶花7:26→10:01星越峠→12:35(23)薬王寺→12:39日和佐駅
日和佐駅12:40→


歩行距離:20.4km
歩数 :31303歩
最高気温:8.8℃
最低気温:2.4℃[美波町日和佐]
タグ :歩き遍路
2025年03月11日
20年が経ちました
こんばんは。
本日で、初めて歩き遍路を決行してから、ちょうど20年となりました
2005年3月10日に車で金沢を出発。
明石海峡大橋からの夜景に感動しながら、初めて四国へと上陸しました
ポカリスエットの大きな看板に迎えられて鳴門に到着。本屋さんに入って四国遍路に関する本を購入しました。それがこちらです。
左の冊子の方は、宿の宿泊料が全部載っていて、随分と参考になりました。
翌日、3月11日は(1)霊山寺に移動。
遍路用品を購入しなければならないのですが、何が必要なのかチンプンカンプンでした。
歩き始めてすぐ、(2)極楽寺でベテラン風のお遍路、兵庫県尼崎のWさんに声を掛けられました。
何度か通し打ちをされたそうで、今日の宿は?と聞かれ、何も考えていなかったことに気が付きました
一見、流浪人のような風貌の方でしたが、話を聞いてみると、大手企業に勤めていたそうで、英語ペラペラ、という事でした
(6)安楽寺の宿坊がお薦め、との事で電話をしてみると、無事に予約が取れました。
当時の定年は60才でしたから、60代前半くらいの方だったでしょうか。
今はもう、ヨボヨボなおじいちゃんになってしまっているのでしょうか(笑)
(3)金泉寺まで一緒に歩いたのですが、遍路シールが電柱などに貼ってあることなど、教えてもらいました。
今では当たり前の事も、当時は本当に、何にも知りませんでした。
その後も、この方の後を追っかけて、ひざを痛めながらも歩き続けました。
(12)焼山寺の後、「植村旅館」で一緒になった、福岡のご夫婦も元気にしているかなあ。
60才という事でしたが若々しく、お子さんは確か自分と同じくらいの年だったかと。
自分も、その60に近付きつつあります
とにかく、遍路衣装で街中を歩いていても、誰も何も思わない文化がまだ日本にあったのか、と驚いたものです
地元で同じ格好で歩いていたら、おかしい人と思われてしまいます(笑)
何もかもが新鮮で驚くことばかり、この原体験が未だに歩き続けている理由でしょう。
本日で、初めて歩き遍路を決行してから、ちょうど20年となりました


明石海峡大橋からの夜景に感動しながら、初めて四国へと上陸しました

ポカリスエットの大きな看板に迎えられて鳴門に到着。本屋さんに入って四国遍路に関する本を購入しました。それがこちらです。
左の冊子の方は、宿の宿泊料が全部載っていて、随分と参考になりました。
翌日、3月11日は(1)霊山寺に移動。
遍路用品を購入しなければならないのですが、何が必要なのかチンプンカンプンでした。

何度か通し打ちをされたそうで、今日の宿は?と聞かれ、何も考えていなかったことに気が付きました

一見、流浪人のような風貌の方でしたが、話を聞いてみると、大手企業に勤めていたそうで、英語ペラペラ、という事でした

(6)安楽寺の宿坊がお薦め、との事で電話をしてみると、無事に予約が取れました。
当時の定年は60才でしたから、60代前半くらいの方だったでしょうか。
今はもう、ヨボヨボなおじいちゃんになってしまっているのでしょうか(笑)
(3)金泉寺まで一緒に歩いたのですが、遍路シールが電柱などに貼ってあることなど、教えてもらいました。
今では当たり前の事も、当時は本当に、何にも知りませんでした。
その後も、この方の後を追っかけて、ひざを痛めながらも歩き続けました。

60才という事でしたが若々しく、お子さんは確か自分と同じくらいの年だったかと。
自分も、その60に近付きつつあります

とにかく、遍路衣装で街中を歩いていても、誰も何も思わない文化がまだ日本にあったのか、と驚いたものです

地元で同じ格好で歩いていたら、おかしい人と思われてしまいます(笑)
何もかもが新鮮で驚くことばかり、この原体験が未だに歩き続けている理由でしょう。
タグ :歩き遍路
2025年03月04日
【4巡目-145】 22番平等寺から、国道経由、23番薬王寺へ⑥ [2023年2月21日-その10]

かなり寒い一日だったのだが、気が付くと、白い物が飛び出してきた。
写真では分かりづらいが、雪が舞うようになった。徳島県南部でも雪が降るのか、とちょっと驚いた。
たまたま出会った配達の方と、雪が降ってきましたね~と言葉を交わす。

お参りは無理なので、写真だけ撮って、慌てて日和佐駅のある道の駅へと小走りで向かった。

既に、列車が迫って来ていた。
切符を買う余裕も無かった。