2024年07月09日
【4巡目-99】 櫛渕へんろ道④ [2023年2月19日-その8]
お堂には、へんろ道保存協力会の札もあった。
ここで写真を撮っていると、通り掛った軽トラの方が、真念へんろ道ですか、とこの先の道案内をしてくれた。
ため池の横を通り、竹薮の中を進む、との事である。
きっとこの方も、遍路道の整備に関わってくれているのだろう。
古い遍路札があり、もう字が消えかかっていた。
最近復元された道、という訳ではなく、知る人ぞ知る道だったのだろうか。
山裾を進むと、またも大きなお堂があった。
歴史ある遍路道がここにも隠れていたとは。
ここから一山、丘を越える竹薮の道となる。
丘を越えた所で、再び大きなお堂があり、ここには地蔵尊の由来、という説明板があった。
櫛渕町と勝浦方面を結ぶ重要な街道で、四国八十八ヶ所の街道として利用された、多くの墓標や無縁塚が散見される、と書かれていた。
ここで写真を撮っていると、通り掛った軽トラの方が、真念へんろ道ですか、とこの先の道案内をしてくれた。
ため池の横を通り、竹薮の中を進む、との事である。
きっとこの方も、遍路道の整備に関わってくれているのだろう。
古い遍路札があり、もう字が消えかかっていた。
最近復元された道、という訳ではなく、知る人ぞ知る道だったのだろうか。
山裾を進むと、またも大きなお堂があった。
歴史ある遍路道がここにも隠れていたとは。
ここから一山、丘を越える竹薮の道となる。
丘を越えた所で、再び大きなお堂があり、ここには地蔵尊の由来、という説明板があった。
櫛渕町と勝浦方面を結ぶ重要な街道で、四国八十八ヶ所の街道として利用された、多くの墓標や無縁塚が散見される、と書かれていた。
Posted by こいったん at 00:03│Comments(0)
│お遍路 第四拝(徳島)