2023年03月25日
【4巡目-20】 7番十楽寺から、8番熊谷寺へ [2021年2月20日‐その4]
初めて歩き遍路をした時からある看板かと思う。
左方向が進路で、これまで遍路道に忠実に歩いていたからパスしていたが、どんな場所だろうか、と今回は行ってみることにした。右方向に進む。
車庫のシャッターが閉められており、貼り紙がしてあった。
民宿の越久田屋さん関連なのだろうか、越久田という名字でお接待所の閉鎖に関する文章が書かれていた。93才と91才で二人とも老いてきたので決断しました、との事だった。
二人で二百才目指して頑張ります、と結ばれていた。
2023年03月22日
【4巡目-19】 7番十楽寺 [2021年2月20日‐その3]
山門を出て右側へ進みぐるっと回るのが正解かと思うが、久し振りに左側へと進む。
と言っても、1~200m程ですぐに合流する。
合流点から脇道へと入り、「真念しるべ石」のある所を通り、15分程で(7)十楽寺に到着した。
ここは、マスクをしないと入山禁止、となっていた。
新型コロナに対する警戒が強そうである。
真冬という事もあって、手がかじかんで動かない状態だが、これから気温はグングン上がるはずなので、我慢する。
(6)安楽寺から歩いてきて、そのまま道なりに進む感じである。
ここを進む方が昔からの道っぽい感じがして、歩いてみることにした。
英語版のへんろ地図では、四国のみちに指定されている。
遍路石もあって、指差ししている。5分程ですぐに通常の遍路道に合流した。
2023年03月19日
【4巡目-18】 6番安楽寺 [2021年2月20日‐その2]
本当はここの宿坊に泊まりたかったのだが、ネットで調べると、この日は満室になっていた。
それで諦めたのだが、「旅館吉野」でここに泊まったお遍路さんと会い、数人しか泊まっていなかったらしい。
電話で予約していれば泊まれたかも知れなかった。前にも同じようなことがあった気が。
少し境内の様子が変化しただろうか、電話ボックスのようなものが、かつてはあったような気がする。
参拝を終え、遍路用品や土産物を売っていたり、コーヒーも飲める「お四国のしらかわ」さんに寄ってみる。
金剛杖を探すと、訳ありで300円、という格安の物が売られていた。喜んで購入する。
四巡目は、遍路装束を返上するつもりだったのだが、やっぱり杖をつきながら歩かないと、何か物足りない。
何が訳ありなのか分からなかったが、普通の金剛杖と使っている木の種類素材が違うのか、重たい。これも安さの一つだろうか。つるつるした感じもあるが、まあ良い。
2023年03月16日
【4巡目-17】 民宿森本屋から、6番安楽寺へ [2021年2月20日‐その1]
NHK天気予報によると、今日の最高気温は18℃、昨日とは打って変わって、2月とは思えない暖かさとなりそうである。
寝すぎてなお眠い、といった状態の午前7時前に、(5)地蔵寺門前の「民宿森本屋」を出発した。
放射冷却現象だろうか、今朝は氷点下近くまで気温が下がったようで、空き地や畑など、霜が降りていた。
これまで何度も歩いている遍路道のはずなのだが、あまり記憶に残っておらず、所々に覚えのある場所がある感じだった。
この、階段の無いアパートはずっと前から変わらずそのままである。今回は、売りに出されていた。
知らないのか、覚えていないのか、新しいお遍路さん休憩所も出来ていた。
(5)地蔵寺門前から、1時間ちょっとで(6)安楽寺に到着した。
2023年03月13日
【4巡目-16】 民宿森本屋 [2021年2月19日]〈その16〉
まずは、洗面所で手洗いとうがいを促されて、ちょっとたじろいてしまった。
新型コロナに関して、人によって警戒感に個人差があるのを感じる。
二食付きで予約をしたのだが、その影響で素泊まりとなってしまった。
食事のある宿に泊まりたかったのだが、予約が通ってしまっていたので変更するのも面倒で、仕方なかった。近くの希望する飲食店へ送迎してくれる、との事であった。
ラーメンは大好きなのだが、今一つだった。
そう言えば、以前にも徳島ラーメンの店に寄った時、口に合わなかったことを思い出した。
今から考えると、この頃から、食べ物の味にこだわりが出てきたようである。以前は、何でも出されたものはそこそこ美味しく食べられたのだが。
ちなみに、ラーメンはくるまやラーメンがお気に入りです。
隣にあったコンビニで買い出しをし、宿へと戻った。
民宿森本屋(おんやど森本屋):素泊まり 4700円 〈1階 (は) 6畳〉
※洗濯機・乾燥機、使用していないので不明。茶あり、浴衣・シーツなし。
共同の冷蔵庫があったような。宿前に自販機あり。
宿泊客:歩き遍路1名
2023年03月10日
【4巡目-15】 5番地蔵寺 [2021年2月19日]〈その15〉
本堂を覗いてみると、確かに馬にまたがった仏像であった。
調べてみると、これは「前立本尊」と言って、御本尊の御身代わりとして、まったく同じ姿につくられたものであり、実際は5センチほどの小ささであるようである。
また一つ、勉強になった。
こうやって、ガイドブック片手に参拝するのも、なかなか面白い。
以前は古い外観だったかと思うが、その後改装されたようで、綺麗に生まれ変わっていた。
室内も、同様に新築のような感じだった。
宿のホームページから宿泊の予約が出来るようになっており、なかなか便利だった。
本日のコースタイム
高速鳴門7:51→8:16撫養港8:29→12:27(1)霊山寺12:56→13:16(2)極楽寺13:45→14:20(3)金泉寺15:00→16:12(4)大日寺16:27→16:46(5)地蔵寺17:05→17:07民宿森本屋
歩行距離:27.1km
歩数 :44845歩
最高気温:9.1℃
最低気温:1.8℃[徳島市]
2023年03月07日
【4巡目-14】 4番大日寺、5番地蔵寺へ [2021年2月19日]〈その14〉
午後4時を過ぎて、(4)大日寺に到着した。
「今こそ四国遍路」によると、朱塗りの鐘楼門だが、1階部分が角柱、2階部分が円柱、という変わった造りになっている、という事である。
それが珍しいものとは、もちろん知らなかったが、確かにそうなっている。
納経を終え、(5)地蔵寺を目指す。
少し来た車道を戻り、住宅街へと入る。
4番から5番までは、ずっと舗装路である。
五百羅漢を通り、地蔵寺には、午後4時50分過ぎの到着となった。
納経書きの方だろうか、納経へのお誘いがある。
参拝してからでも間に合いそうではあったのだが、そう言ってもらえるのなら、と先にしてもらった。
お参りしてから納経を、と注意書きのあるお寺もあったりして、人(寺)それぞれだなあ、と思った。
2023年03月04日
【4巡目-13】 4番大日寺へ [2021年2月19日]〈その13〉
四巡目の話に戻ります
(4)大日寺へと向かう。
あぜ道を通ったり、民家の横をすり抜けたり、楽しく歩ける区間である。
雰囲気の良い歩きの土道が続くのだが、道の両側に、新しい木の杭も並んでいたのが気になっている。
道を広げて、コンクリート製にするのでは、と心配になってしまった。この後、どうなったのだろうか。変わりが無ければ良いのだが。
そんなのどかな場所にうどん屋さんがあったのだが、廃業してしまっていた。以前、お接待の申し出があったのを断ってしまったことが、今だ引っ掛かっている。
山裾を辿るような小道を抜けて、少し開けた場所を歩くようになる。
ポツンとあった民家から、カラオケの声が流れてきて、人が集まっている様子が窺える。
そこに来ていた人だろう、お四国さんか、と声を掛けられる。
この新型コロナの時期に歩いていることで叱られるのか、とドキッとしたが、大丈夫だった。
お接待で、持っていたお菓子をいくつか手渡してくれた。
あぜ道を通ったり、民家の横をすり抜けたり、楽しく歩ける区間である。
雰囲気の良い歩きの土道が続くのだが、道の両側に、新しい木の杭も並んでいたのが気になっている。
道を広げて、コンクリート製にするのでは、と心配になってしまった。この後、どうなったのだろうか。変わりが無ければ良いのだが。
そんなのどかな場所にうどん屋さんがあったのだが、廃業してしまっていた。以前、お接待の申し出があったのを断ってしまったことが、今だ引っ掛かっている。
ポツンとあった民家から、カラオケの声が流れてきて、人が集まっている様子が窺える。
そこに来ていた人だろう、お四国さんか、と声を掛けられる。
この新型コロナの時期に歩いていることで叱られるのか、とドキッとしたが、大丈夫だった。
お接待で、持っていたお菓子をいくつか手渡してくれた。
2023年02月20日
【4巡目-12】 3番金泉寺 [2021年2月19日]〈その12〉
早速、車も通れないような細い道となる。ここからが、歩き遍路の楽しい所だろう。
墓地を抜けると再び車道に。静かな普通の住宅が並ぶ県道を進む。
四角い石が点々と敷き詰めてあるあぜ道を通りぬけると、(3)金泉寺に到着となった。
極楽寺からは、約35分である。
新型コロナの影響で、1番2番で見掛けた夫婦が参拝しているのみ、と寂しい札所であった。
護摩堂はどこやろ、と探し天井を見てみると、何とか絵が描かれているのが分かった。
(3)金泉寺の納経所は教育が行き届いているのか、いつ訪れても感じの良い対応をしてくれる。
ここで、スマートフォンの電源が切れてしまった。
ここまでの道程など計測してくれていたのだが、分からなくなってしまった。
まだスマホに慣れていない頃だった。これを機に、モバイルバッテリーを購入したり、こまめに電源を消すことを学習することになった。
2023年02月16日
【4巡目-11】 2番極楽寺 [2021年2月19日]〈その11〉
昔からの遍路道もあるが、今回はそのまま県道を直行した。
途中、脇道を入った所にうどん屋さんがあり、入ろうかどうしようかとウロウロするも、止めることにし、20分弱で次のお寺、極楽寺に到着した。
四巡目は、遍路衣装を身に着けずに普通の格好で歩くことに決めていたのだが、金剛杖は欲しいなあ、と思い、ここの感じの良い売店で購入しようと考えていた。
が、新型コロナの影響で、昨年4月からずっと休業、となっていた。
「今こそ四国遍路」によると、本尊の阿弥陀如来像から差す光が遠く海まで達して、驚いた魚が逃げてしまい、不漁続きとなってしまった。
困り果てた漁師たちは、阿弥陀様にお願いして、本堂の前に小山を築いて光を遮ったそうで、「日照山」という山号がついたそうである。
確かに、ちょっと小山になっている部分があった。
なかなか面白い。
2023年02月12日
【4巡目-10】 1番霊山寺 [2021年2月19日]〈その10〉
この頃は、新型コロナの影響で、首都圏を始め、人の多い地域には移動の制限があった時期である。
何と、一番札所でありながら境内には誰もおらず、貸切状態だった。
後に、ようやく夫婦らしき方たちがやって来た。
以前は本堂の横に遍路用品店や納経所があって、写真の場所と、どちらでも納経してもらえたかと思うが、今はこちらに集約されているようだった。
参拝客が少なく、(1)霊山寺でも、このような状態だった。
店員のおばちゃんは気さくな方で、お接待の茶菓子を頂き、楽しくお話をする。
高速鳴門から歩いて来たことを話すと、驚いていた。
一番札所と言えば、自分が歩き遍路を始めた頃は、対応が悪いとのもっぱらの噂で、自分自身も冷たく対応されたことがあった。
16年経って、係の方も世代交代したのか、今ではすっかり変わった印象である。
2023年02月08日
【4巡目-9】 1番霊山寺・四巡目を開始するにあたって [2021年2月19日]〈その9〉

各寺ごとに、見所などを紹介しており、これでお勉強しながらの遍路である。
般若心経を始め、蝋燭・線香・納札も省略。手を合わせるだけにして、余った時間でお寺の歴史を勉強したりとか、境内を見て回りたいと考えています。
2021年2月7日の記事です。
https://masaushi3975.kitemi.net/e111216.html
本当にあるのかなあ、と思ったら、確かに観音様がいらっしゃった。
これまで何度も霊山寺を訪れているのだが、全く気が付かなかった。
今回の遍路旅では、本に書かれているものをチェックしながら札所を巡り、なかなか楽しかったのだが、今になって振り返ってみると全く頭の中に入っておらず、ほとんど忘れてしまっていた。
元々、寺社仏閣には興味があまり無いことから、何度も復習が必要なのだろう。
2023年02月04日
【4巡目-8】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その8〉
結構、最近のもののようにも見える。
遍路道は右だが、徳島は左の方へ、と指示していた。ここから徳島市内へと続く街道があったのだろうか。何か面白そうである。
一旦、新しい県道に合流し、再び旧街道らしき道に入ると、そこは板東駅へと向かう時に歩く、お馴染みの道となった。
道路に引いてあるグリーンの線に沿って歩き、(1)霊山寺には、午後0時27分に到着した。
ゆっくりペースでこれくらいの時間だったので、ご参考までに。
へんろ地図の後ろのページに、これまで歩いた場所の地図が掲載されており、高速鳴門から1番までの距離は9.2km、となっている。
バス停から直行すれば、2時間半で歩けるのだろうか。もっと距離がありそうなものだが、と少し自分で調べてみた。
ほぼ一直線に走っている、JRの鳴門駅から板東駅までの距離だけでも10.6kmあるから、9.2kmというのは、おそらく間違いだろう。約12kmだろうか。
2023年01月31日
【4巡目-7】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その7〉
高松・鳴門方面の分岐駅となる場所だが、随分と廃れてしまっている印象で、昭和の雰囲気が残っていた。
一昔前はそれなりに人もいたのだろうが、今は廃商店が残っているだけの静かな住宅街だった。
それでもバス路線になっているようで、ドイツ村へと向かうバスが通過していった。
何でもない道端に、「四国一番 霊山寺」と書かれた看板がかろうじて残っていた。
この道が、霊山寺へのメイン街道だった頃のものになるのだろう。それは昭和何年位までの事だったのだろうか。
写真を撮っただけであっさり通過するが、看板には、「四国霊場第一番前札所」と添え書きされている。
由緒ある場所だったのだろうか。
2023年01月27日
【4巡目-6】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その6〉
この時はコロナ禍で、宿が営業しているかどうか、という時期だった。
本日の宿は、5番地蔵寺の門前、「民宿森本屋」にネット予約済みだが、明日の宿はまだである。
(11)藤井寺近くの「旅館吉野」に電話をしてみる。
すんなりと予約がとれた。
念のため、食事は提供されるか聞いてみると、当然、二食付き、という感じで安心した。
最近では、二食付きの宿が減ってきて、悲しんでいる所である。
池谷駅の手前で、道を間違えてしまった。
祠がある踏切の手前で右折しなければならなかったのだが、そのまま線路を渡って、道なりに直進してしまった。
田園地帯に突入して、何かおかしいなあ、と地図を確認して、誤りに気が付いた。
(1)霊山寺まで、旧撫養街道を歩いて間違いやすいのは、ここだけだろうか。
2023年01月23日
【4巡目-5】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その5〉
市内を抜けると、民家が並び、小さな商店が時折あるような、街道らしい道が続いていた。
スマホを手に入れたことから、この先、食事が出来る場所は無いかなあ、と歩きながら探すのだが、まだ時間が早いこともあって、営業している食事処は見付からなかった。
街道からちょっと外れた場所にあったファミリーマートで、軽食を購入する。
庭先のウメの花を眺めたりしながら、旧撫養街道を進む。
大きな神社が見えてきた。阿波神社となっている。
この辺りから、通常のへんろ地図にギリギリ掲載されている場所となっており、「東林院(種蒔大師)」の近くである。
今になって、東林院にも立ち寄れば良かったなあ、と後悔している。
へんろ地図に載っている空海の史跡となっている、全ての場所に立ち寄る、というのを目標に歩くのも面白そうである。
初っ端から逃してしまった。
2023年01月16日
【4巡目-4】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺へ [2021年2月19日]〈その4〉
他のお遍路さんの記事で見たことがある、立派な遍路石があった。
明治時代のもので、確かに「四國へんろ道」の文字が読み取れる。この道が街道で間違いないようである。
その後も、「遍路道関所跡」なる、真新しい石柱があったりした。
住宅が多かった道沿いも、次第に小さな商店が見られるようになってきた。
そのシャッターには、「四国遍路が始まる街 大道商店街」といくつも看板が貼り付けられており、かつては岡崎港に到着したお遍路さんが、この道を通って(1)霊山寺へと向かった、と書かれていた。
四国遍路で町おこしをしているような雰囲気でもあった。
そうであれば、あの撫養港(岡崎港)に案内板の一つでもあったら良いのになあ、と思う。
2023年01月12日
【4巡目-3】 撫養港(岡崎)から、1番霊山寺、5番地蔵寺まで [2021年2月19日]〈その3〉
まだ明石海峡大橋が無い時代の船着き場があったのだろうか、数十年前らしき看板と待合所風の建物が残っていた。
ここから昔のお遍路さんは歩き始めたのか、と感慨に耽りたい所だったが、2m以上はあろう高い堤防に阻まれて、海が見えない状態で、立ち入ることも出来ない。
少し離れた場所まで行って、港のあったろう場所を眺めてみる。崩れかけた桟橋が残っているのが確認出来た。
まずは、ひたすら撫養街道を進んで、(1)霊山寺を目指す。
その入口が、恐らく写真の場所である。
新築の住宅があったりして風情も無く、本当にここが街道の入口で、昔のお遍路さんが歩き始めた場所なのかなあ、と疑心暗鬼になる。
取り敢えず、進んでみることにした。
2023年01月08日
【4巡目-2】 高速鳴門バス停、撫養港(岡崎)へ [2021年2月19日]〈その2〉
何かと思ったら、無人で乗ることが出来るモノレールのようである。こんな物があるとは、なかなか楽しい。
子供が遊びに使ったりしないのだろうか。
自分が子供の頃だったらきっと、遊び場になっていただろう。
これに乗って、麓へと降りられるようである。ボタンを押すと動き出し、小さなワクワク旅である。
終点には、係員もいる高速バスの待合所があった。
バス停すぐ側の、「マルナカ」などが入った商業施設の駐車場を横切らせてもらう。
今から16年前、生まれて初めて明石海峡大橋を渡って四国入りし、歩き遍路をやってみようか、と思っていた時、ここの二階にある書店で遍路に関する本をいくつか購入した、懐かしい場所である。
今も書店は、営業している様子だった。
撫養川の大きな橋を寒さに震えながら歩いて渡ったが、渡船場があり、乗客が降りる姿が見られた。
後で調べてみると、無料の渡船だったらしい。
2023年01月04日
【4巡目-1】 第34回 区切り打ち 出発 [2021年2月18・19日]〈その1〉
今回は、公共交通機関を利用しました。
仕事を22時ちょっとで早退し、慌てて「松任海浜公園」バス停へと向かいました。
ここに車を止めて、夜行バスで京都駅へ向かい、早朝5時に到着。
時間短縮のため、JRで舞子駅まで移動。
高速舞子バス停から再び高速バスに、とお馴染みになりつつあるパターンでの四国入りです。
高速鳴門バス停で下車し、撫養港(岡崎)を目指します。
風が冷たくて寒いです。四国だから暖かいだろう、と衣服に無頓着、薄着で来てしまいました。
コースタイム
金沢→





