2024年01月25日
【続】 令和6年能登半島地震

石川県は、余震も少しずつ減ってきて、落ち着きを取り戻しつつあります。
災害ゴミを受け入れてくれる、との事で、ようやく破損した本棚を捨てに行って来ました。
金沢市内は通常通りの生活なのですが、同じ県内の奧能登では避難所生活を送っている方が多数いることが信じられません。

土砂の中に、墓石が散乱しています。
あと10m崩れていたら、我が家も巻き込まれる所でした。
77基のお墓が崩落してしまったそうです。
墓石はともかく、お骨はどうなってしまうのでしょうか、かなりの衝撃でした。家屋の倒壊は直せますが、遺骨は、もう誰のものなのか分からないでしょう。
この先、雪や雨、余震で我が家のお墓も流されてしまうのではないか、と不安です。
金沢市から、復旧工事をするとの事で、一時的に墓石を移転する、との連絡がありました。

この場所、亡き母の里がある場所で、馴染みのある場所なので驚きました。
こんな状態になっているのを知ったのが、地震から一週間後でした。
輪島とか珠洲の情報ばかりで、せめて県内ニュースでもう少し早く報道してくれていればなあ、と思いました。

珠洲市出身の方が、「珠洲には良い人しかおらんよ~」と言っていたので、「本当かいや」などと話していたのですが、本当に珠洲出身の人たちは、穏やかで良い人ばかりでした。
産業も無く、交通不便な土地で、皆助け合って生きてきたのでしょうか。
早く、平穏な生活が送れるようになれば良いなあと思います。
Posted by こいったん at 02:22│Comments(0)
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